「やはり、ですか・・・。」
「ああ。」
ガイは頷きながら、ジェイドの言葉に多少の落胆が混じっているのを聞き逃さなかった。
朝、眠れたかと訊ねる仲間達の声に、ルークは明るく、今日は平気だ、治ってきたのかもな、と答えた。
くっきりと残る目の下のくまを、仲間たちは見なかったことにして、そうそれは良かったわね、と笑って返した。
こどもの気遣いと強がりとを、無碍にできる筈もない。それくらい彼らはルークには甘い。
だがこの幼い純粋なこどもは、自分が愛されているという事実を認めることに、極端に臆病でもあった。
「・・それも、まあ・・・今更ですが。」
他人を信じる勇気を奪ったのは、ある意味で彼らだろう。
ティアとミュウ以外の全員は、一度はルークを捨てたのだ。
もちろん、そのままにしておくつもりはなかった、と今ならば誰もが言い訳をするだろうが、しかし、事実は事実だ。
ルークにはその事実だけが残り、迎えにいったガイがもしもあの時いなかったなら・・・。
そこで、ふとジェイドは思い出したことがある。
後に合流したルークが言った事がある。
「・・・アッシュ・・・。」
「なんかいったかい?ジェイド。」
「いえ・・・。」
そう、アッシュだ。
「昨日はよく眠れたそうですね?」
ジェイドににこやかに話しかけられた瞬間、ルークの表情に、怯えとうろたえが走り、ダメだしに視線が外される。これだからこのこどもは嘘がヘタだというのだ。
「うん・・・まぁ・・。」
歯切れの悪い言葉で返すルークににっこり笑い、
「あなたのよく眠れた、というのは明け方まで何度も寝返りを打つことなのですか?それではレム睡眠状態にも陥っていませんよ。よく眠れたという表現には値しないと思います。」
「レム・・?」
夢を見る状態のことです、とジェイドは言い、そんなことはどうでも良いのです、とさらに強い口調できっぱり言った。
「そろそろ本当に改善しなければいけませんよ。分かってますか?ルーク。貴方の体がもたないのです。」
「う・・うん、分かってる。」
自分だってできれば改善したいのだというルークに、それは本当だろう、とジェイドも思う。
しかし、ルークはなにかを隠しているという印象も否めない。
「で・・でもさ。」
ルークは、ちらりとジェイドを見ると、もう眠れたなどと嘘をつくのを諦めたらしく、
「俺だって治したいとは・・・思ってんだけど。」
どうしたら良いかわからないんだ、と言った。
眠れも、治せも決心するのは簡単だ。けれど、それに対する具体的な案はなにもない。ただ闇雲に眠ろうとしてそれが敵うなら、とっくにそうしている。
途方に暮れてしまっているルークに、そうですねぇ、とジェイドはルークの胸のあたりを見ながら相槌をうった。
ルークは自分で本当に気がついていないのかもしれないが、原因はきっと彼の中にある。
眠りを妨げるほどにルークの精神を支配するそれを取り除くことができれば・・・もしくはルーク自身がを自覚することがその鍵なのかもしれないが・・・それができれば、やっとこの得体のしれない闇から脱出できるだろう。
しかし、推測などいくらでもできるが、確信をもっての一歩が得られない以上、どうあがいても無駄に終わる。
催眠術の強力な呪縛をもってしても、ルークはそれに応じなかった。
自分を縛る屈強な楔をほどき、自力でジェイドの質問を跳ね除けた。
まるで、しゃべるくらいなら死んだほうがマシだとでもいうように。
「お、ここにいたのか。ふたりとも。」
宿の廊下で立ち話、といった体のふたりを見つけ、ガイが近づいてくる。
手にはグレープフルーツの入った袋を抱えていて、窓から入り込んできた新鮮な風の匂いのような、独特な柑橘系の香りがガイの歩いてきた後を追ってきていた。
「良い香りだな。」
くんくん、と鼻を慣らしてグレープフルーツの香りを嗅ぐルークに、そうだろう?とガイは笑った。
「柑橘系の香りにはリラックス効果があるんだそうだ。眠れない時に効くらしいぞ?」
「え?グレープフルーツがか?」
「そう。といっても食べるんじゃなく。枕元に置いておくと癒されて気分が落ち着くんだそうだ。」
「へぇ・・・。」
確かに良い匂いだよな、と笑うルークの顔に指す暗い影に、ふいうちのようなタイミングでジェイドが言った。
「いっそアッシュに頼る、というのはどうでしょう?」 「アッシュ?」
ぱちぱちと瞬きをしたのは、ガイだった。
「ええ・・・。彼はルークの完全同位体であると同時に、被験者です。ルークに感覚が繋げられことを考えれば、彼の操作によってルークを上手く眠りに誘えるかもしれない。」
「・・・・・。」
けどなぁ、とがしがしとガイは頭を掻いた。
「たしかにありえる話かもしれんが・・・アッシュがルークの為になにかするなんて、素直に応じるかな?」
ガイの心配もわかる。
アッシュはルークに対して良い印象を持っていないどころか憎んでいるといって憚らない。その彼が、もし頼んでも、素直に彼らの願いを聞き届けたとしても・・・精神的に繋がっている状態の無防備なルークに、悪意を持ったとしたら、誰も間に入って止めることはできないのだ。
「ええ。ですから、最後の手段ですね。ただ試してみる価値はあるとは思いますが。」
「しかしなぁ・・・。」
納得がいかない様子で、しかしガイはそれ以上を口にはしなかった。
渋るのは彼の勝手に抱く嫌悪感が根底にあるからで、それはルークの意志が関係していないからだ。
ガイが渋ったところで、やるやらないと権利はルークにある。
「アッシュ、か・・・。」
ルークは腕を組み、宿の窓から外へと視線を投じる。
そして、そして言葉すらもその窓から投げ捨てるように、言った。
「冗談じゃねーよ。」
そして組んでいるままに手を動かし、己の両腕をさする。
まるで、穢れたものをはらうように。
その粗野な言い方に少しだけ驚いて、ガイは、けどな、とルークに言いかけたが、その後が続かない。
確かに仲は良くはなかったかもしれないが、なにかとつっかっかってくるアッシュと違い、ルークの方は歩み寄ろうとしていた筈だ。それがまるで、今のルークの態度といえば、嫌っているのは自分だと言わんばかりに外を睨み、アッシュの名前を呼ばないで済むように、口を切り結んでいる。
頑なな表情に、眉を顰めたのはむしろガイの方で、なにがここまでルークの態度を変えたのか質問をしようにも、どこを切り口にしたら良いのかすら想像ができなかった。
「まあ、嫌なら仕方がないのですが。」
最後の手段と私も思ってますしね、ジェイドが言って、この案は打ち止めになった。
ルークの態度にも、ガイとは違ってなにも感じないのか、それとも興味がないのか声のトーンに変化はなく、それでは、と違う質問を繰り出す時も、まるで同じ温度の声質だった。
「原因ばかりに目をむけていないで、違うアプローチをしましょう。」
「違うアプローチ?」
首を傾げるルークに、ええと薄く笑い、
「ルーク。あなたは、いつから眠っていないのか・・・つまりは、最後にぐっすり眠ったのはいつだったか。思い出せますか?」
「ぐっすり・・・。」
「ええ。夢も見ないほどです。起きたくとも起きられないくらいに深く。そういうのはいつの事だったのか、という質問です。」
「・・・それは・・・。」
ルークは眉をよせ、少し悩むようにしながら、唇を人差し指で擦る。
そうしてしばらくしてから、わざとらしいほどはっきりとした声で、う〜ん、と唸ると、
「思い出せねぇ・・・。悪い。」
とジェイドに謝った。
「いえ、謝ることではないですよ。・・・ですが、思い出したら話してくれますね?」
「うん。約束する。」
だって、たいしたことないし、とルークらしくもなく、余計な一言を添え、ジェイドに答える。
それが言い訳がましく聞こえるとは、想像できないのだろうか。
ガイは溜息をつき、横で、澄ました顔のまま、ええ、お願いします、と普通にルークと会話するジェイドを胡散臭く眺めた。
意識が遠のいていくような感覚がして、気がつくと地殻の中を彷徨っていた。
遠くまるで水が耳に入った時のように、すこしの反響と耳鳴りとが混じった状態でモノが聞こえ、ふわりとした感覚は自分自身の体の重みが一切感じられない。
死ぬ時もこんな感じなのかもしれない、とルークはぼんやりと思った。
「・・・・・!アッシュ・・。」
足元にアッシュがヴァンと対立しているのが見える。
アッシュの強さは知っているが、ヴァンの強さはそれ以上だ。そして、多勢に無勢と分が悪い。
「アッシュ!!」
そこにいるアッシュが実在のアッシュかもわからないまま、叫んだルークの声は、アッシュにはきちんと伝わったようだった。
『レプリカか。なんの用だ!』
アッシュがこちらの方向を見たが、視線が捕らえた先は、ルークの位置とはずれている。
やはりアッシュもルークの存在を感じるものの、実在として見えていないのだろう。
「俺が宝珠をもってそこにいく!ここでローレライを解放しよう!」
ヴァンという存在は、いつかはまみえなければならない運命の筈なのに、なかなか遭遇できない。
ある意味で、今は好機だ。
なのに、必死で訴えた言葉は、アッシュを激高させた。
『俺に指図するんじぇねぇ!』
その怒鳴り声をきっかけに、ぶつん、とまるでなにかから引きちぎられるようにして、ルークの意識は地殻から自分の体へと戻ってきた。
気がつけば、床に膝をつき、うずくまるルークを仲間達が囲んでいて、心配そうに見守っている。
「大丈夫?ルーク。」
伸ばされるティアの指を、軽く掴み、ルークはうめいた。
「ふざけるな、は・・・。」
「ルーク?」
「ふざけるな、はこっちのセリフだ・・・。」
なんのつもりだ。被験者ってだけで、いつもいつも俺を見下しやがって。
頭の中には沸騰した血がめぐり、回線もローレライの接触もないのに、がんがんと頭痛がした。
憎しみにも似た怒りが腹の底からわきあがってきて、ルークの神経を焼けつかせそうだった。
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。
いつもいつも勝手しやがって、俺をまるで、人形のように扱いやがって。
俺の、この生きている鼓動を、めぐる血潮を、否定しなければ、己の存在を確かめられない哀れな被験者のくせに。
「アッシュが危ない・・・!」
ルークは言った。
息を飲む一同をぐるりと見て、行こうと先を促す。
ラルゴとの戦闘を終え、疲れた体に鞭打って、もつれるように外へと飛び出した時、ルークたちの目の前に広がっていたのは、もはや人とは思えない容姿に成り果てたモースと、イオンに瓜二つのこども、そして・・・。
「師匠!」
「・・・兄さんっ!」
生きていると聞いたあと、その姿を目にするまでの間は、まるで何年もたっているかのようだ。
それくらいに、現実感は乏しく、今でもルークは白昼夢を見ているようだ、と頭の片隅で思った。
死んだ筈の人だった。
自分が殺した筈の。
ひたむきに信じていた頃、ルークはヴァンの上背を見ては、なんて大きな人だと思っていた。
体躯だけではなく、その心も、とても大きな人だ、と。
それは我が師をを誇りに思う弟子の心理がそう見せていたものかもしれないと思っていたが、再び目の当たりにしても、大きな人間という印象は変わらなかった。
その男と対峙して、アッシュがいた。
アッシュはかけつけてきたルークに目もくれず、目の前にヴァンに集中している。
ローレライを開放しようどころの騒ぎではない。ルークの先ほどの悪態の方が的外れだったのだ。
アッシュは微動だにせず、ずっとヴァンを睨んでいた。
その瞳には余裕がない。
少しでも集中力が削がれれば、自分の命がないことくらい、長い間師として崇めていたアッシュには分かりきっていることなのだろう。
張り詰めた空気の膠着は、立っていられないほどの凄まじい破壊力で破られた。
「なに、この力は!?」
「冗談じゃないぞ!?」
口々に叫ぶなか、超振動か!?と切羽つまったリグレットの声がして、そんなバカな、とルークは思った。
自分は超振動なんて発動させてない。
アッシュだって、この状況でそんな余裕があるものか。
「いや、違う。」
周囲を制するようにヴァンが言い、その視線がルークの上で止まった時。
ぞわっと背中を寒いものが駆け抜け、ルークの体は動かなくなった。
さほどの時間などかかってはいないだろうに、やけにゆっくりとヴァンが近づいてくるのが見える。
まるでひとコマひとコマを脳裏に焼き付けようとするかのように、くっきりと濃く、浮き上がるその姿は圧倒的で、ルークは硬直したまま、動けなかった。
我に返ったのは、両手首の痛みからだった。
見れば、ヴァンはルークの両手を取り、憎しみを込めて締め上げる。
容赦のないその力に、ルークは痛みから悲鳴をあげかけたが、それを飲み込む。
それがなにを意味するものはか分かっていて、その状況に本能は警告を発していた。しかし、逃れるにもギリッ、と両手首を締め上げる力に、逃れる隙など到底ない。
「・・・・!」
くそ、と小さく舌打ちしたが、声にならなかった。
ヴァンはルークの両手を離す気配もない。
それだけヴァンの力は強く、ルークが全身が使って身を捩り、体を交代させようとしてもビクともしなかった。
「・・・宝珠か。」
忌々しそうに吐き捨て、ヴァンはルークの首に手を伸ばす。
伸びてくる手のひらに、恐怖で身が竦み、ルークは思わず目をつぶっていた。
「・・・・・っ!」
まぶたを閉じた世界で、首に手がかかる感触がして、それは徐々に閉められていく。狭まっていく気道に、息が苦しい。
空気を求めて、ルークの喉がぐうっと鳴った。
締められた首から、体を持ち上げられそうになって、ルークは、死の恐怖を感じ、そして同時に目の前にいる男への畏怖をも感じた。
この手の感触を覚えている。
およそ生き物を扱っているとは思えない、荒々しく乱暴な手の感触。
『愚かなレプリカルーク。』
「・・・・は・・離せ!!」
締められている喉からつぶれた声が出て、ルークは足で蹴り上げ、空いた左手で闇雲にヴァンの肩口を叩いた。
全身を捻って逃れようとする小動物に苛立つようにして、ヴァンは大きく舌打ちすると、くるりとルークの体を反転させ、背中から抱え込んだ。
羽根を捕らえられたニワトリのように固定され、ルークが驚いて目を開くと、ちょうど正面に、動揺した仲間達の顔があった。
「ルーク!」
「兄さん!」
怒りとも焦りともつかない表情を浮かべてヴァンに詰め寄る仲間達から引き剥がされ、背中から固定されたルークはなす術もなく、これから磔にされる罪人のように、彼らを見つめていることしかできない。
仲間が救出しようにも、自分を攻撃すればルークも巻き添えになることを計算し、ヴァンはわざわざルークを捕らえた。
「・・ルークを離せ!」
ヴァンが一歩退けば、一歩前に出る。一定の距離は越えることができずに、ガイに焦りの表情が浮かぶのを見て、それから。
ルークの視線は左へとずれた。
「・・・アッシュ・・・。」
手の中の捕らわれのこどもがつぶやいた言葉に、ヴァンの集中力が一瞬途切れたがその時、
「その手を離せ!」
ぶわっと一陣の風が舞い、ヴァンへと銀色の刃が襲い掛かってきた。
「ふん・・・。」
ヴァンはそれを体を避けてかわし、一歩後ろへ下がったことで出来たスペースに、リグレットが走り出て、銃口をアッシュに向けた。
「閣下の邪魔はさせん。」
睨むリグレットとその後ろのヴァンの姿を視界に捕らえ、アッシュはそのまま動かず、その場には膠着した瞬間が生まれた。
「・・・アッシュ。」
ルークが呼ぶ声を耳にして、ヴァンは一瞬、眉を顰めた。
ルークを見下ろせば、その視線はアッシュに向いていて、ある種のひたむきさを感じさせるその声に、次の瞬間、ヴァンは悟った。
「・・・そういうことか・・。」
ヴァンは、一旦開放していたルークの首に手をかける。
ルークの喉がひゅっと鳴り、途端にアッシュの表情がくずれ、目を見開いたままのルークに視線が注がれる。
「アッシュ。"これ"は、」
ヴァンは言った。
その目には憐れみと嘲笑とが浮かんでいる。
「・・・お前の、"女"か。」
「・・・・・!」
「こともあろうに、自分のレプリカと情を交わして、愛人にしたのか。」
「・・・・・てめぇ・・。」
ルークの首に手をかけたことにより、ヴァンの左脇腹あたりが空いていた。
ルークは思い切り肘鉄を食らわし、ひるんだヴァンが手を離したのと同時に、腰の剣を抜いた。そのままの向きで斜め後ろ目掛けて剣先を叩き込む。
舌打ちの音がして、ヴァンの体はルークから離れた。
その隙に、ルークは体を反転させ、ヴァンと正面から向き合う位置に立つ。
「閣下!」
驚いたリグレットの隙をついて、アッシュが拳銃を叩き落した。
「ヴァン、覚悟!」
斬りかかってきたアッシュの剣を受け止めたヴァンに、ルークも斬り込んだが、投げ飛ばされたアッシュを受け止めたことで、ルークも吹っ飛ぶ。
「くっ・・ここまでか!」
ルークとアッシュが、宝珠と剣が揃っていることが、第七音素の活性化を呼んだのか、ふたたびヴァンの体から光が放たれ、その姿が一瞬、ぶれた。
引き際を悟ったヴァンからは、呪詛の言葉も捨てゼリフもなく、ただ、また会おうとだけ告げる。
「待てっ!ヴァン!」
「アッシュ!」
その後を追跡しようとするアッシュを呼んだのは、引きとめようとした訳ではなかった。
しかし、アッシュは足を止め、振り返ってルークを睨む。
「・・・なんだ、レプリカ。」
その目には炎が宿っていて、ルークは言葉を飲んだ。
やすやすと捕らわれたルークに対する苛立ちからなのか、それともそれ以外のことを、知られたことに対する怒りなのか。
どっちにしろルークの油断と、力のなさがその状況を引き起こしたのに間違いなく、今ここでアッシュが自分を切り捨てようとしたとしても、そうされるだけの理由が俺にはある、とルークは思った。
「あ・・あの・・俺・・・。」
「あの〜、そろそろ良いですかね?」
今までどこにいたんだ、と言いたくなるようなタイミングで割り込んできたその声に、ルークは目を見開いて振り向き、アッシュは大きく舌打ちした。
「ジェイド・・・。」
「とりあえず移動しましょう。」
もちろん初めからそこにいたジェイドは、にこり、と胡散臭く笑った。
「あ・・うん・・・そうだ、な。」
仲間たちと少し離れた場所にいるイオンと瓜二つのこどもを、ルークは見た。
あのこどもがイオンのレプリカであることが間違いない。どこか安全な場所に保護した方が良いだろう。
ルークがそちらを見ている間に、アッシュが身を翻した気配がした。
歩み去ろうとする後ろ姿をルークは慌てて、追いかける。
その姿を、ガイは眉を寄せたまま、睨んでいた。
「・・・ジェイド。あいつら・・・。」
「さっき聞いたとおりですよ。」
飄々とした体で、ジェイドが言った。
しかし、もしも聞こえたのだとしても同じようにしらんぷりをしている他の仲間に気をつかっているのか、声は小さい。
「おそらく、ですが・・・。」
「・・・気がついていたのか?」
あんたは、というガイの声に多少の批難を感じ取り、やれやれ、とジェイドは苦笑した。
外で整備をしていたギンジが、おかえりなさい、と言い終わる前に、その横をすり抜け、アッシュはどさりとアルビオール3号機のシートへと身を投げ出す。
そのまま、深く溜息をついて、前髪をぐしゃりとかき乱した。
「くそ・・っ。苛らつく・・!」
思えば、久方ぶりに目にするヴァンの姿だ。
殺しても殺しても、相変わらずしぶとくてヘドが出る。
昔からああいう男だった。
智謀にたけ、人の心を読むのが上手い。
知らなくても良いことにまで気がつく・・・・・。
カタン、と音がして、ギンジがタラップをあがってきたようだった。
行き先を告げようして視線を後ろへとずらしたアッシュの目が見開かれる。
「なにしにきやがった・・・・。」
アッシュの舌打ちにも、ルークは眉ひとつ動かさず、そのまま近づいてくる。
いつにない静かな表情に考えていることが読めず、落ち着かない気分になりながら、アッシュはルークを睨んだ。
「ギンジには、2号機に移って貰った。」
「は?お前、なにを言ってる。」
ギンジは3号機のパイロットで、アルビオールを操縦できるのは彼か彼の妹だけだ。
そのギンジがいなくなるということは、ここに3号機は取り残されることになる。
「うん・・・。」
ルークは言った。
「それで、良いんだ。」
「馬鹿か、てめぇは!なにが良いんだ!」
怒鳴るアッシュの横から操縦席へと手を伸ばし、ルークがレバーを引くと、ハッチが閉まる音がする。
完全に出入り口がふさがった頃、ルークはアッシュを見た。
その視線に熱を感じて、アッシュは、もう一度怒鳴ろうとした声を飲み込む。
「明日・・・迎えに来て貰うことになってる・・。」
言いながらルークは、アッシュの目の前で、上着のボタンをひとつずつ外していく。
「お前・・・。」
肩袖を脱いだままの中途半端な状態で、座席に座るアッシュの上に左膝を乗せると、ルークは身を屈め、アッシュの唇を通り過ぎて、その胸元に縋りつくように顔を埋めた。
「気持ち・・・悪かった・・・。」
あの腕も、あの手のひらも、忌まわしいもの以外のなにものでもない。
大勢の死の象徴、己が作り物であるという証拠を握っている、あの手のひら。
「・・・・・。」
アッシュはなにも言わなかった。
しばらくして、縋りつくルークの背に、腕が回される。
その瞬間、ルークは堪え切れずに嗚咽を漏らした。
激しく喉が渇いていた。
まだ眠りから醒めきれていない状態で、ルークは己の喉元を意識した。
まるで焼けてでもいるように、ひりひりと熱く、唾を飲み込もうと喉を動かしたが、カラカラに乾いた口内からは、一切の水気が出てこない。
この渇きには心当たりがある。
それなりに激しい情事を交わした覚えがあったから、間違いなくそれが原因だろう。
そんな時、ルークの横にあった重みが軽減され、キシリと粗末な寝台のマットレスが音をたてた。
気配で相手が起き上がったこと察していると、次にはベッドサイドにおかれていた水差しから、コップに水を注いでいる音がする。相手もきっと喉が渇いたのだろう。
「・・・ん・・・。」
自分も欲しいと訴えたかったが、重くて口が開かなかった。
訴えられたとしても、てめぇでやれ、と悪態をつかれるのは目に見えている。その言葉に応えるにも、疲れてだるい体は睡魔に浸透されすぎていて、動けない。
まるで深く引きずられるように、ふたたび暗い闇のなかに、意識が落ちようという時、さあ、と喉元に流れ込んできたものがあって、ルークはなにも考えられないまま、それを飲み込んだ。
乾ききった体に、与えられた水は甘かった。
どこかでふくろうが鳴いている。
そう思った途端、ふわりと意識が浮上して、ルークはそろそろと目を開けた。
視界は暗く、どこにいるかがわからなかった。
体はあちこち痛くて、そのうえ自分のものとは思えないほどだるく、まぶたでさえ重くて、すぐにもつきそうだった。
体がなにかに密着していた。
まるでパズルのピースのように、自分の体にぴたりとあった熱いカタマリに、それがなんだか気がついた。
そして、同時に、あの時と同じような激しい渇きも感じる。
「俺って本当に意志が弱いよな・・・。」
もうふたりきりでは会わない、と決めていたというのに、結局はこのザマだ。
ジェイドに、いつ眠ったかと聞かれて、答えられなかった。
ルークが最後に眠ったのは、アッシュとの情事の後だ。
ふたりで盗賊を斬り殺し、その恐ろしさに、ルークはアッシュに縋った。
それを思い出した時、ルークは、初めて不眠障害の原因がなにであったかに気がついたのだ。
そんなことを、どうして答えられる。
「・・・はっ・・。」
ルークは口元を手で覆った。
自分自身に対する嫌悪で、吐き気がするほどだ。
アッシュを憎んでもいるくせに、キスのように水を飲ませてもらったことが忘れられず、後生大事に引きずっている自分。
逢瀬を重ね、アッシュを知り、もっともっとと貧欲に求める自分に気がついた時、ルークは自分で自分自身の存在意義をもう一度問い直すこととなった。
アッシュに会えば満たされる内部は、ならば、アッシュからなにも与えられなければ、空っぽということだ。
それが違う感情から成り立っているという可能性を、その時ルークは少しも考えず、ただレプリカだから、足りないオリジナルの部分を取り込もうと、心がもがいているのだと、そう思っていた。
思い返せば、前からそうだった。
何度も殺意を口にしながら、横で寝入るアッシュの首に刃の切っ先を突きたてなかったのは、どうせ彼に気配が気付かれるからではなかった。
殺せない、ただそれだけだったのだ。
自分が、アッシュの人形であったと、ただ、それだけのこと。
口元に自嘲の笑みを浮かべ、ルークは身を起こそうとした。
少し体を浮かせると、いつのまにかけられたのか、布地が肩から滑りおちる。
手に取ってみると、それは暗い闇夜のなかでも、黒地に赤い独特の意匠が見て取れた。
「・・・・・っ。」
アッシュは本当は。
きっと彼は見捨てられないのだ。
自分より弱いもの、困っているものの手を振り払うことができない。
ならば、もしも自分がひとりで立った時。
もしも、アッシュのようにひとりで荒野にも進めるようになった時、彼は自分には手を差し伸べてくれなくなるのだろうか。
きっと、そうなのだろう。
その時が、アッシュに認められた時なのだ。
ルークはずっとアッシュに認められたかった。
彼から独立した人として生き、もはやアッシュの人形ではないということを証明したかった。
だが、本当にこの腕から逃れることを、自分は望んでいるのだろうか、とルークは思い、心の中を探る。
明確な答えはそこからは出てこない。
いつか、それがわかる日がくることを、心のどこかにで恐れていることを感じながら、ルークは自分の背中に廻っている腕の感触を意識し、そして、観念したように目を閉じた。
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