人のせいにするな、とその他大勢に諭され今に至っても、誰にも人を恨むなとは教えられなかった。
 それはたぶん、彼ら自身も憎しみなどないのに、人の命のやりとりしなければならないという立場に際して、やり場のないやるせなさと、少しの憤りを感じてここまでやってきたから、ということなのだろう。
 軍属ではなくとも、今のルークには、それくらいは察することができる。
 下から見上げた高き塔は先端は青空に溶け、どこまでの高さに頂きがあるのか想像することもできなかった。しかし、たしかにこの塔には頂上があり、最先端技術で、飛ぶ機能を備えた音機関でここまで辿り着いたとき、そこを上から見下ろしてもいたのだ。
 焦りは、ルークを急かすようにして一歩を踏み出させた。
 少し冷静になりなさい、と促すジェイドの声も、周囲の声に耳を貸さないルークの態度を改めるように叱責するティアの声も、ガイの怒りを含んだ諭す声も、彼の行動を止めるには至らなかった。
 はやく、はやく。
 この階段を上りきらなければ。
 もしかしたら、自分は、最大にして密かに最愛と胸に秘めている人を、失ってしまうかもしれないのだ。

 


 

 アッシュに名前が呼ばれた時、まるで石かなにかで殴られたような衝撃があって、自分は本当は彼に名前を呼ばれることを恐れていたのだ、とルークは気がついた。
 全てをいずれは彼に返す。
 その日を恐れ、その日を待ちわび、更なる罪の意識を重ねていくことで、ルークは自分を保っていた。その罪の意識があるからこそ、ルークはアッシュの目の前に立てた。
 ルークが彼に会うには、理由が必要だ。
 罪悪感こそが、彼と自分を結ぶ確固たる絆だった。
 お互いを搾取しあう関係性からの脱出はもはや、到底望めないほど縺れ合った彼らは、そのがんじがらめの先にお互いがいることを意識していなければ、自分自身を保てないほど歪みつつもあったのだろうと、と頼みもしないのに分析してみせたのは、片方をこの世に生み出す技術を構成した、かつての子供だった。
 
 歪んでいようがなんだろうが、どうでも良い、とルークは思う。

 以前この塔へと来た時は、同じ高さを何百と連ねている白い階段を、下を見てまたぐ度に、激しい呼気が自分の耳をついていた。
 今は、あの時と状況が違い、エレベーターが生きている。
 音機関によって浮上する感覚を味わいながら、しかし、ルークの心臓はあの時よりもさらに激しく、存在を誇示していた。
 それはルークがここに、生きている証。

 死にたくはない。

 
 死にたくはないのだ。

 

 

 


「ローレライの解放はアッシュがやれ!」
 床に剣を突き刺し、駆け寄ろうとするティアを鋭く制する。
 同じく走り寄ろうとするアッシュを止めるジェイドが目の端に映り、ルークは今までの中でもっとも、ジェイドに対して感謝と信頼の情を覚えた。

「・・・俺も一緒に、消える、から!」

 叫んだ時、もうルークにはわかっていた。

 ルークが死にたくないのは、彼に二度と会えなくなるからだ、ということに。

 死にたい訳ではなかった。死ぬのは怖い。彼に会えなくなるのも、声が聞けなくなるのも、考えただけで鳥肌が立つ。
 しかし、ルークがやらなければ、アッシュが代わりにこの場所に立つだけだ。
 どちらを選んでも結果は同じ。この輪廻のように忌々しい相互性は、崩れることは許されない。

 
 それならばいっそ、全てを彼に捧げようと決めた。
 思えばお互いがお互いを違うものと知りながら、同じであろうと、ずっともがき続けてきたような気がする。
 今となっては、アッシュへの罪悪感は彼の所有物を根こそぎ奪った自分の存在にではなく、彼と同じでありえなかった自分自身の贖罪の意味が強い。
 確かに彼のようでありたかった。
 ヴァンに認められ、その他大勢にその優れた資質を認められた被験者が誇らしく、そして、少しでも彼のようであったなら世界が変わっただろう、などと羨望のまなざしと嫉妬にかられて胸を焦がしたあの時が、懐かしかった。
 自分は彼の求めるものになれないまま、逝く。
 自分だけのものはなにひとつ持たず、しかし、確かに自分のものであった全てのものをはなむけに、ルークはこの世界から消え去る。
 そして彼には二度と会えなくなる。


 ぐっと喉の奥に込みあげてきたものを、飲み込み、ルークはきつく唇を噛み締めた。
 目の前で自分が消えたら、少しは彼でも、自分の為になにかを感じてくれるだろうか。少しは惜しいことをしたと、あとで残念に思って貰えることができたなら、他にはなにもいらないのに。


 物いいたげな表情をつくり、視線をあげればアッシュと目が合う。
 怒ったような複雑そうな表情の下に困惑の色が浮かんでいるのを見てとって、やはり彼は自分自身で思っているほどはっきりとした性格の持ち主ではないのだ、と確信した。
 ルークは、彼自身よりも深いところで"アッシュ"という人物を理解していた自分に優越感のようなものを覚え、すがるような視線を向ければ、気まずそうな表情で見返すくせに、けっしてアッシュは視線をそらそうとはしなかった。
 小さく唇を動かし、声に出さずに最期の望みを伝えると、アッシュは目を見開いた。

 自分の核を中心に、なにかが入り込んで制御するのもままならぬほどの暴れるそれが、急激に静まりかえっていくのを感じて、ルークは、え、と目を見開いた。
 手の中で、凝固しそうなほど感覚的に掴めていた見えないなにかが、四方へと流れていくのを感じる。
 気のせいだろうか。
 自分の心臓あたりから、光が放たれているような・・・。

「くそ!宝珠か!!」
 声が聞こえ、視線を向けると、黒い布に覆われた胸板がすでに目の前に迫っていた。
 あっと言う間に利き手が取られ、その上に黒い手袋が被せられる。
 皮でできているそれは体温もなにも感じられない。ルークは、それを悲しく思った。
「・・・あ、アッシュ・・・。」
「安心しろ、お前の超振動に力を貸してやるだけだ。」
 ちっ、と舌打ちの音が聞こえ、嫌そうな表情を隠しもせずに言う己の被験者の顔を、ルークは見た。
 アッシュはルークを見ない。
 手の中にある剣と、その先にいる大勢の生気の乏しい人間たちを見ている。まるで俯瞰しているかのようなその表情に、こんな時でも眉間にシワを寄せているんだなぁ、とまるで人事のような感想を持った時、鋭く、突き放すようにアッシュが言った。
「・・・お前はひとりで消えろ。」
 その代わり、とアッシュは小声で言った。
 おまえの望みはかなえてやる、と。
「うん・・・・アッシュ、ありがとう!」


 やっぱり彼は応えてくれた。
 最期を迎える人間を無碍にできるほど、彼は冷血にはなりきれない。
 だから、きっと傍に来てくれるだろうと思った。
 そして、自分の最後の望みを叶えてくれるだろう、と。


「・・・アッシュ。」
「この、バカが。」
 ぽつんとつぶやかれた言葉には、いつものような憤りはこめられていなかった。それは、諦めの言葉のように聞こえて、果たしてアッシュが手放そうとしているのはなんなのだろうと、ルークは思った。

 最後まで拒絶すると決めてきた意思を覆すことか。
 その自分の人形の命だろうか。

 剣を握っていた自分の手のうえに、自分のものではない手が添えられているのをルークは見た。
 チカラがルークの体を通り抜け、その度に、内側から湧き上がるように新しい力がみなぎってくる。
 巨大なそれを、自分で制御するよりも、彼に任せることを決め、ルークは目を閉じる。
 視界が完全に途切れる寸前、空へと昇っていく無数の光の粒が見えた。彼の表情は見なかったが、どんな顔をしているだろう。

 彼から抱擁や愛撫の類を受けることは無理だった。
 それは、彼にとっては最悪の自慰行為であり、憎むと決めた相手に施しを与えるなど、彼の高い矜持が許さない。
 だから。
 
 
 超振動の独特の、機械音にも似た甲高い音がして、ルークは自分の死を意識した。
 死の目前に人が目を閉じるのは何故だろうと思ったら、ルークは目を開けていた。セオリー通りにならないからこその自我だ。自分の死のシナリオは、誰にも書かせる気などない。
 いつの間にか光の粒がルークたちを中心に渦を描くようにして立ち上っていく。
 回転する光が、アッシュの長い髪を巻き上げて、まるで薪をくべられた炎のように立ち上っていた。
 ばらばらと靡くそれを、毛先から視線をずらしていって、アッシュの顔へと焦点をあてる。いつもまとめているアッシュの前髪は、風に煽られてだいぶ崩れていた。
 ああ、やっぱ俺たち似てるかも、とその顔を見て、今朝、鏡のなかで見たばかりの自分の顔を思い出した。
 光はどんどんと勢いが強くなる。
 目も開けられないほどまぶしく辺りを照らし出しながら、昇天するように空へと立ち上る無数の光に、これでは回りを囲んでいるはずの仲間達にも、自分たちの姿は確認できないだろうと思った瞬間、ぐい、と腕を引かれて、少しだけバランスを崩した。
 唇に暖かいぬくもり。


 アッシュは約束を守った。
 
 命とひきかえに、ルークが要求したものの意味を正しく理解し、彼にとっての精一杯の意思表示で、それを与えてくれた。

 

 ずっとアッシュが欲しかった。


 ほんのかけらで良い。アッシュが自ら、ルークに渡そうと思ったなにかを得てみたかった。

 
 けれどもアッシュからルークになにかが与えられることなど、普通の状態ではありえない。


 だから、
普通の状態でない時に、賭けたのだ。


 ルークは賭けに勝った。
 ルークはアッシュに、自分の為だけのなにかを手放させることに成功した。

 


 その為になら、俺は。


 自分の命の重さなどに迷わない。

 

 

 アッシュの唇の感覚に集中する為に、ルークは目を閉じる。

 今、この瞬間だけが、ルークの全てだ。
 明日というものはたぶん、自分にはもうない。

 

 弔いの鐘のように透明な音を響かせ、唇をあわせたふたりの間で、超振動が発動した。

 

 

 

 

 

明日に続いたはずの涙は飲んでしまった