「いいかげん、お前ウゼェーんだよっ!」
もう二度と連絡してくんな!と怒鳴ると、ぶちん、と頭のなかでコードを引き抜くような音がして、回線が切れた。
残ったのは残像の代わりの静寂と、軽くなった痛み。
「あー、せいせいした。」
ルークは頭をひとつ振り、一気に引いた痛みに満足の笑みをこぼした。
そもそも、アッシュのひとりよがりな忠告は、もともとあれやこれやと命令されるのが嫌いなルークにとって、相当な我慢を余儀なくされた。
アッシュが、おせっかいだけで言っているのではないことは分かっているが、なにせ一言余分な事が多い。
屑だの無能だのサル以下だの言われ続ければ、落ち込みもするし、傷つきもする。
我慢にもとうとう限界がきた。
それが昨日だっただけのことだ。
昨日、引きちぎるように回線を切った後、アッシュからは一切の接触がなかった。
あのプライドの高いアッシュが、あれだけ罵られて、ルークに構おうという気になるはずもない。
アッシュからの連絡がないということは、あのすさまじい頭痛の恐怖から逃れられるということだ。
ルークは上機嫌で、今日は宿の朝食に、バターとジャムとをこってり塗ったトーストを3枚もおかわりして食べて、周囲を呆れさせたほどだった。
コーヒーを飲み終わり、カップをテーブルの上に置くと、溶け切らなかった砂糖が底にたまっていた。
めざとくそれを見つけ、アニスが、なにその異常な味覚!とルークをからかった。
舌がお子様なのにも限度があるわよ。
「しかたねぇだろ。俺の味覚じゃねぇし。」
むしろアッシュの味覚を受け継いでいるだけだ。
アッシュもコーヒーに大量の砂糖を入れることを、ルークは知っている。
『こういうとこ、マジうざい・・・。』
味覚は、ルークのせいではない。
でも、本当はルークのせいであって欲しい。
なにからなにまで被験者と一緒なんて、ぞっとする。
そう、ぞっとする。
ルークは初めて会った時の己の被験者のことを思い出していた。
初めてあった時、アッシュの瞳は冷えていて、水気を含んだ髪はずっしりとした重い色で、本当に血を吸ったかのようだった。
『あああ!ムカつくっ!』
余計なことまで思い出してしまったではないか。
思えばアッシュはあの時から、ルークを見下していたではないか。
被験者というありもしない特権で、実年齢の低い己のレプリカをいじめて楽しいか?
楽しいのだろう。
この世で、自分以外は価値がないと本気で思っているような男だ。
自分から零れ落ちた複製品などもはや自分が気にかけてやるような存在ではないと思っている。
そう、己の複製品など。
なんの感情もない・・あっても自分に文句をいう訳もない存在だと、思っていたに違いないのだ。
だからこそ、あんな風に。
「あーっやめたやめたっ!ムカつく!!」
折角、気分が良いのだ。
なにもわざわざ不愉快なことを思い出すことはない。
いきなり叫びだし、頭をがしがしかき出したルークを仲間たちはそれぞれ複雑な表情で見つめていた。
アッシュの嫌いなところ。
傲慢で俺様なところ。
まるで従うのが当然とばかりに一方的に回線を繋げてくるところ。
口癖のように人を罵るところ。
そして、人の気持ちにお構いなしに、自分でやりたいようにやるところ。
言い出したらキリがない。
いなくなったらさぞかしせいせいするだろう。
なんの束縛も無く、ルークの心はどんなに晴れるかしれない。
もう二度と。
・・・・・あいつに会わないですんだら、どんなに良いだろう・・・。
そんなことを考えながらトーストをかじっていたら、胸がつかえ、ルークは慌てて、冷めかかっていた紅茶を飲み込むのだった。
ケテルブルグに寄ったついでに、一度は行ってみたいと密かに皆が思っていたスパに行くことになり、ルークはピオニー陛下から貰った会員証を持って(誰が持っても良かったのだが)、皆とホテルへの道を急いでいた。
雪は降った当初は柔らかいが、一晩たてば凍てついて、転倒の元になる。
さすがに雪国育ちのジェイドはそんなことはないが、(たとえ雪国育ちでなくともジェイドが転ぶとは思えない)、不慣れな他の連中は、ルークも含め、皆、アヒルのようによたよたと覚束ない足取りで進んでいた。
そもそも音機関で整備された街の中と比べ、ホテルまでの道は、人手で雪かきされている為、他に比べて道に残っている雪が多い。
「ちょっと、ちょっとルークゥ!」
「ん。」
「なにぐずぐずしてんのよ!」
気がつけば、ルークは一番後ろで、しかもだいぶ遅れていた。
会員証を持っているヤツが遅れてどうする、とアニスに怒鳴られ、ルークは悪い悪いと足早に仲間達を追いかけた。
にへらっと笑うと、締まりのない顔だな、とガイが笑った。
他の連中も口にこそしないが、同じような感想を持っていたのだろう。
ルークはにこにことしながら、彼らと並び、適当に会話をし、しかし頭の中では、実はピオニー陛下が言った言葉が頭を離れなかった。
その為、楽しみにしていた筈のスパなのに、向かっている今、気はそぞろだ。
会員証を貰った時のことだ。
どういう流れでそうなったのかは思い出せないが、一堂はピオニー陛下も交え、なぜかブウサギだらけの部屋のなかで、お茶をしていた。
陛下のブウウサギは十分に餌を与えられているからか、それともしつけが良いのか、ルークたちに出された茶菓子を横取りすることもなく、めいめいが好き勝手に寝たり跳ねたり、人の足元に擦り寄ったりしていた。
なかでもルークの人気はダントツだった。
1匹のブウサギがルークの足元で寝ると別のブウサギがやってくる。それが3匹も重なるとさすがに邪魔だし重いので、座っている場所を変えれば・・・ブウサギも後を追いかけてくる始末。
ティアの羨望のまなざしを受けながら、ルークが必死にブウサギたちから逃げていると、なんだお前はブウサギにもモテるのか、と陛下が言った。
「にも?」
「にもって、ことはルークってどこかでモテてるんですかぁ?」
首を傾げるルークとアニスに、陛下は笑い、そうそうこいつはな、と話しだした。
赤い髪と碧の目はキムラスカの宝石ってな。城のやつらの注目を浴びる浴びる。
マルクトとキムラスカは長い間敵国だったが、そんなマルクトの貴族からみても、キムラスカの貴族の特徴である赤毛と碧の瞳は、高貴で美しいものらしい。
「あの美しい方はどなただと、まぁ、貴婦人方やら果ては城の兵士まで、色めきだってたんだぜ?」
まったくこの俺を差し置いて、と本気とも冗談ともつかぬ言葉とともに、ピオニーはルークを、ちらりと睨む。
「う・・美しい・・・。」
ルークといえば、それが自分を差す言葉とは思えず、目を白黒させていた。
「えー?」
「ルークが、ですの?」
「ま、いっつも一緒にいるお前らには、ピンとこない話だろうがな。」
不可解そうな表情の一同を見回し、ピオニーは笑い、
「俺も、初めてこいつを見たときは、内心、おお!とか思ってた。」
まあ、今更だがな、とルークを見る。
げ、とそれこそ内心で思っていたルークになにを思ったのか、だから初めて会った時の話だから安心しろ、と言って
「見慣れたってのもあるが・・・。お前は人懐っこいからなぁ。高貴な感じがあまりしないのはその為だろうな。」
どちらかっていうと、あいつのほうが、とピオニーは続けた。
「あいつ?」
「お前の被験者。」
前に、ローレライの鍵の一件で会ったといっただろう?と皇帝は言った。
「あれは確かに"美しい"。」
「・・・・・。」
「まさに、至高の宝石って感じだな。」
おや陛下、無類の女好きの肩書きは返上ですか〜?というジェイドの声に、アホか!と怒鳴るピオニーの掛け合いはその場を和ませ、つられてルークも笑みを浮かべたのだった。
はぁ、と息を吐くと、白く立ち上る。
至高の宝石、と皇帝から呼ばれた男からは、あれから連絡は一切こない。
はじめルークは、なくなった頭痛に喜んでいたものの、それは3日やそこいらの平和だろうとタカを括っていた。
あのアッシュが、自分の優越さを見せ付ける為の行為をやすやすと放棄する筈がないと。
だが、予想に反して、アッシュからの連絡がなくなって、もうひと月近くになる。このひと月の間に、ルークたちもあちこちと世界の裏側まで移動し続けているのだ。
アルビオールの利便さを考えると、相手が今頃どこにいるのやら、皆目見当もつかない。
公園にさしかかった。
ここを抜ければ近道だが、足場は悪い。
公園を抜けるか回り道をするかで、軽く相談する為に、一同は一瞬足を止めた。
ルークの斜め前で、こどもが作ったと思われる不恰好な雪だるまが、左に傾いて立っていた。
「・・・・・。」
思わずそれを。
ルークは蹴飛ばした。
なにをしているのよ、あなたは!と、ティアに怒鳴られた。
こどもが作ったとひとめで分かるものを壊すと人は当然のように怒る。そんなことをしてはいけないと諭してくれる。
だが。
苛立ちをどこにぶつけたら良いのか、なににあたれば解消されるのか、それは誰も教えてくれない。
ルークには、あたる相手がいない。
それはそうだ。
怒りの相手は、今や世界を二分する大国の主だ。
怒ったり、怒鳴ったりすれば、ジェイドに殺される。
それに、なぜ怒っているのかと問われても、理由は、自分の正当な権利であると主張できないものだ。
つきつめてしまえば、それは単なる嫉妬だ。
アッシュを誰かに褒められたくなかった。
彼が、どんなに綺麗であるかを、誰にも知られたくなかったのだ。
誰も気がつかないでいれば良いと思っていた。
アッシュの良いところは全部、ルークがひとりだけ知っていれば良い、と。
アッシュの短気さを咎める声や、ムキになってかばうナタリアの声を聞くたびに、ルークはひとり、誰もアッシュの本質について語らないことを確認しては、ほくそ笑んでいた。
だから・・・。
「まぁ、アッシュ?」
ナタリアの声に、はっとしてルークは顔をあげた。
どうしましたの?と綻んだ声で、走り寄るナタリアの背中の向こうに見えた、白い世界に浮き出るようにして生える赤と黒のくっきりとしたコントラストが、ルークの心臓あたりを痛みで抉った。
別に、と一定の声のトーンでアッシュは言い、
「・・・お前たちこそ、なぜこんなトコロをうろついている。」
とこちらを見た。
しかし、その視線の中に、ルークは、自分が入れられていないことに気がついた。
スパに行くんだよぅ、アッシュも行く?というアニスに、俺はお前たちみたいに暇じゃねぇ、と怒鳴る声がして、そういうと思いましたぁ〜きゃはっ、と声が返す。
その間もルークは、自分の足元を、雪でだいぶ汚れたブーツの先を見つめていた。
じゃあ、アッシュ。失礼しますよ、とジェイドが言って、アッシュが短く、ああ、と答える。
行きますよ、ルークと促す声に、ルークは、あ・・ああ・・と顔をあげ、そのままアッシュの横をすり抜けた。
それだけなのに。
「・・・・・アニス・・・。」
ルークが呼ぶと、ん、なに?とルークの視線よりも低い頭が振り返った。
「俺・・・。」
アルビオールに忘れ物してきちまって、とルークは言った。
アニスはえー?と眉を寄せて、それってスパに入るのに必要なもの?とルークを批難しかけたが。
「・・・・・じゃあ、取りに行ってきなよ。」
と言って、会員証を受け取る為に、右手をルークに差し出した。
ブーツのつま先が蹴った雪が、自分にかかったが、ルークはそんなことを気にしている余裕はなかった。
急いで戻れば、どこかで追いつくかもしれない。追いつけなくても、この街にいることは分かっているから・・・と頭の中で考える。
しかし、ルークの予想に反して、アッシュは、まだそこにいた。
正確には、予想に反してというよりも、ルークのほのかに抱いていた期待通りに、だ。
「・・・・・アッシュ!」
ルークが戻ってきたのに気がついた途端、アッシュは足を進めて行ってしまおうとする。
まって、とその背に縋り、長い教団服を掴むと、その手を振り払われる。
「触るな、屑が。」
「あ、ごめん・・・。」
アッシュは冷たくルークを見ると、掴まれた自分のマントを叩くようにして整えた。
ルークが黙ってその仕草を見ていると、アッシュはルークを睨み、
「・・・・・ここで会ったのは偶然だから、安心しろ。」
と自嘲気味に笑った。
別にお前につきまとったりしねぇから心配するな、と告げる声は静かで、ルークは鳩尾のあたりを殴られたように苦しくなる。
それはまるで、ルークが、自分の前に現れたアッシュに対して文句を言いに来たとでも思っているような言い方ではないか。
「・・ちがう・・俺は・・・!」
「・・・お前が俺を嫌いだってことも、よく分かった。」
今更だしな、と投げやりにアッシュは言った。
勘違いを訂正しようとする声すら拒絶され、ルークは目の前が暗くなる。
ああ、あんなことを言うんじゃなかった。
もう連絡するな、などと。
アッシュがどんな風に受け取るかなどと、ルークは考えもしなかった。
そもそもの喧嘩の原因をルークは覚えている。
売り言葉に買い言葉のような掛け合いではあったが、それでも明確な意思を持って、あの時ルークは、あの言葉をアッシュに言ったのだ。
怒れば良い、と思った。
回線を繋いできたら、何度か無視してやろうと決めていた。
それで焦れば良いと思った。
いつも振り回されてきた意趣返しに、それで少しはルークの気持ちを考えれば良いと、そう思っていた。
あんな一言が。
こんな風にアッシュを傷つけるなんて、思いもしなかった。
「ごめん・・・・・。」
いたたまれなくなって、ルークは頭を垂れる。
ルークの密かな企みは終わった。
それも最悪な結果。
ルークが、気を惹く為にしかけたなど思いもせず、アッシュは、ルークの言葉を、自分に対する絶対的な拒絶の言葉として鵜呑みにした。
いつも慎重なくせに、こういう時だけはやけに素直で。
いや、己のレプリカが・・・まさか、自分に嘘をつく訳がない、と。
そう信じていたから、なのかもしれないけれど・・・どっちにしろもう意味がない。
今、アッシュは、折角開きかけていた扉をぴたりと締め、ひとりで孤独な水槽のなかに、一匹の魚のように潜っていこうとしている。
「俺は、あの、時・・・。」
理由を聞きたかっただけなんだ、とルークは言った。
だって、と続ける。
「おまえがなにを考えてるのか、俺にはわかんねぇ・・・。」
おまえは俺の考えが読めるのに、ずりぃ、と。
それが被験者とレプリカの力関係だからだとかではなく。
ルークはアッシュの気持ちを知りたかったのだ。
「なのに、おまえ・・・のらりくらりと交わすから・・・。」
「・・・・・。」
そんなことも言われなきゃ分からないなんざ、頭まで劣化してるなと笑われ、カッと頭に血が昇った。
だって、どうしても知りたかった。
考えることはできるけれど、それが自分の期待からくる幻ではないと。
確かなものであるという証に、アッシュにはっきりと言って貰う必要が、ルークにはあったのだ。
「なぁ・・・。」
ルークは言った。
「あの時、キスしたのって・・・なんでだ?」
あれ、キスだよな?気を失ってた訳じゃないから、人工呼吸じゃないよな?
なけなしの勇気を絞って、ルークが言えば、アッシュは心底呆れたような顔をした。
だから、そういう顔をするのヤメテくれ。
とルークは思う。
やっぱり、勘違いなのでは、俺がバカなだけなんじゃ、と思ってしまうから。
「・・・もう一度、自分で考えろ。」
アッシュは言った。
「考えたってば・・・。」
ルークは答える。
それでもわからないから、教えて欲しいのに。
「なら、もっと考えるんだな。」
アッシュは言った。
気配に気がついたぱっとルークが顔をあげると、アッシュは足を進めて、ルークをそこに置いていこうとしていた。
「まっ・・・。」
まって、と叫びそうになったルークよりも早く、
「答えが出た頃。」
連絡ぐらいはしてやる、とアッシュは言った。
「連絡・・・。」
それは、このひと月、ずっとルークが待ち続けていたものだ。
「・・・お前の言葉を信じるかどうかは、それ次第だ。」
そして。
「このひと月の、俺の気持ちを思い知れ。」
俺はずっとお前のせいでやるせなかったんだ!と憎々しげに吐き捨てた言葉は、本人は気がついていなくとも、愛だの恋だのに分類されるものだった。
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