円空について

  これから、江戸時代前期の「円空」や「円空像」について、
 興味を持たれる方のために簡潔にまとめてみました。

・ 1632年(寛永九年)-1695年(元禄八年)年7月15日入寂。
・ 伊吹山、大峰山などで修業した修験者として各地を巡錫し、後年に天台寺門宗の僧にもなっています。
・ 北は北海道西南部から、南は三重県、奈良県までを廻国、修行しています。
・ 伊吹山、白山、大峰山、高賀山など修験の山での修行の他、園城寺(三井寺)や
  法隆寺などの大寺院でも修行を積んでいます。
・ 生涯で10万体、あるいは12万体の神仏像を彫ったと、伝えられています。
・ これまでに約5400体の円空仏が確認されていますが、未公表のものを含めると、
  更に数が増えると思われます。
・ 円空像は、仏像、神像などから成り、変わったものでは錫杖の柄に龍神の顔を
  彫った(洞戸円空記念館蔵)ものもあります。
・ 円空仏で最大のものは、荒子観音寺(名古屋市中川区)の仁王門に安置されている
  仁王(阿)像で321.3cmの像高があります。また、最も小さいものでは、同寺所蔵の千面菩薩の中の
  2.8cmの阿弥陀如来像です。
・ 円空仏の像種で最も多いものは、観音菩薩像です。民家で祀られている円空仏の多くが
  観音菩薩坐像です。



近世畸人伝 僧圓空附俊乗より 口絵


 円空年表(小島梯次・円空学会理事長 編)

 西  暦  年  号 年齢  事    項
1632年 寛永九年 1  美濃の国に生まれる。
1663年 寛文三年 32 11月、神明神社(岐阜県郡上市美並町根村)に三体の像を造像。
1664年 寛文四年 33 9月、白山神社(郡上市美並町福野)の阿弥陀如来像を造像。
12月、子安神社(郡上市美並町勝原)の諸像を造像。
1666年 寛文六年 35 1月26日、津軽藩弘前城下を追われる。この後、北海道に渡り、40数体の円空仏を残す。 
1667年 寛文七年 36 宝昌寺(愛知県海部郡大治町)の観音像を造像。 
1669年 寛文九年 38 10月、白山神社(岐阜県関市雁曽礼)の白山本地仏三尊を造像。
鉈薬師(名古屋市千種区田代町)の諸像を造像。
1670年 寛文十年 39 神明社(岐阜県郡上市美並町黒地)の天照皇太神像を造像。 
1671年 寛文十一年 40 3月、個人(岐阜県美濃市下廿屋)蔵の馬頭観音像を造像。
7月、法隆寺の巡堯春塘から、「法相中宗血脈佛子」を受ける。
個人(岐阜県関市菅谷)蔵の不動明王像を造像。
1672年 寛文十二年  41 長滝寺阿名院(岐阜県郡上市白鳥町)の十一面観音像を造像。 
1673年 寛文十三年  42 この頃、栃尾観音堂(奈良県吉野郡天川村)に収蔵されている諸像を造像。 
1674年 延宝二年  43  3月、三重県志摩市片田地区の大般若経を修復。扉絵を58枚描く。 
6月から8月にかけ、薬師堂(三重県志摩市阿児町)の大般若経を修復。扉絵130枚を描く。
1675年 延宝三年  44  9月、松尾寺(奈良県大和郡山市)の役行者像を造像。 
1676年 延宝四年  45  立春、竜泉寺(名古屋市守山区)の馬頭観音像を造像。
12月25日、荒子観音寺(名古屋市中川区)で「両頭愛染法」を書写する。 
1679年 延宝七年  48  6月15日、白山神託宣を受けた旨を不動明王像(岐阜県郡上市八幡町千虎)など4体の像に墨書。
7月5日、園城寺(滋賀県大津市)の尊栄から「仏性常住金剛寳戒相承血脈」を受ける。
1680年 延宝八年  49  9月中旬、月崇寺(茨城県笠間市)の観音像を造像。 
1681年 延宝九年 50  4月14日、貫前神社(群馬県富岡市)で大般若経を見終わり、七言絶句と和歌を詠み生年と生国を記す。 
1682年 天和二年  51  9月9日、広隆寺(栃木県鹿沼市)の千手観音像を造像。
9月吉日、光樹院(栃木県日光市)の高岳から「サラサラ童子法」「七仏一切薬師法」などを受ける。
1684年 貞享元年  53  春、高賀神社(岐阜県関市洞戸)で漢詩を詠む。
12月吉日、不動堂(岐阜県関市鳥屋市)に円空仏を祀る。
12月25日、熱田神宮(名古屋市熱田区)で「読経口伝明鏡集」を書写。この頃、荒子観音の円盛から「天台円頓菩薩戒師資相承血脈譜」を受ける。 
1685年 貞享二年  54  5月吉祥日、千光寺(岐阜県高山市丹生川町)の弁財天像の厨子の扉内側に朱書きの銘がある。
12月8日、長寿寺(岐阜県高山市丹生川町)の棟札に記述有。 
1686年  貞享三年  55  1月17日、稲荷神社(岐阜県羽島市)の稲荷像三体を祀る厨子に銘あり。
3月、個人(岐阜県高山市)蔵の厨子に「貞享三年三月円空自作板殿村」の記述がある。
6月吉日、円空仏を祀る薬師堂(岐阜県高山市丹生川町)の鰐口に同日の銘有。
6月25日、天満宮(長野県木曽郡南木曽町)の天神像を造像。
8月12日、等覚寺(長野県木曽郡南木曽町)の弁財天像、ならびに十五童子像を造像。 
1689年  元禄二年  58  3月7日、太平寺観音堂(滋賀県米原市伊吹町)の十一面観音像を造像。
8月9日、園城寺の尊栄から「授決集最秘師資相承血脈譜」を受ける。また、同日、同寺同師から「被召加末寺之事」を受け、 自坊の弥勒寺(岐阜県関市)が正式に園城寺の末寺となる。
1690年  元禄三年  59  9月26日、観音堂(岐阜県高山市上宝町金木戸)の今上皇帝像を造像。 
1691年  元禄四年  60  1月吉祥日、熱田神宮で歌を詠む。
4月20日、薬師堂(岐阜県下呂市金山町)の青面金剛神像を造像。
4月22日、個人蔵(岐阜県下呂市)の青面金剛神像を造像。
5月8日、八幡神社(岐阜県高山市朝日町)の八幡大菩薩像を造像。 
1692年  元禄五年  61  4月11日、高賀神社(岐阜県関市洞戸)で降雨祈願の為、大般若経を真読誦し、その旨を懸仏に書き記す。
5月吉日、高賀神社(岐阜県関市洞戸)の大般若経内に「元禄五年壬申 暦五月吉日」と書いた紙片を残した。
1685年 元禄八年 64 自坊の弥勒寺(岐阜県関市)で入寂。墓碑銘には「當寺中興 ユ(弥勒菩薩種子) 圓空(花押) 元禄八乙亥天 七月十五日」と刻まれている。 

奈良県・天川村にある栃尾観音堂周辺にある円空窟とされる場所


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