お遍路の 皆さん


観音経を覚えてみませんか

1. お遍路を歩いているとき

 皆さんは、お遍路を歩いているとき、どのようなことを考えていますか。
今までの自分のこと、将来のこと、仕事のこと、家族のこと、亡くなられたご親族のこと、好きな人のこと、旅で出会った人たちのこと、受けたお接待のこと、・ ・ ・ 樹々の梢を過ぎ行くそよ風とともに、いろいろなことを考えながら歩いておられることでしょう。
しかし、鬱葱とした山の中の急な坂道、石ころだらけの道、土砂降りの雨、笠が吹き飛ばされそうな風 などなど、このような状況になると、修行を積まれている方はともかくも、私のような凡夫には静かにものを考えながら歩くことなどとてもできません。
かえって、自分は今どうしてこんなことをしているのだろうかとか、今 ここで休んだらどんなに楽だろうとか、さらには過去に出会った嫌なこと、思い出したくないようなことが次から次へと浮かび上がってきます。なぜか、楽しい思い出、愉快な出来事などは出てきません。
 そのような時に、声を出してお経を唱えてみてください。
声を出すことが大切です。一生懸命に唱えます。不思議に雑念はなくなります。
般若心経、十三仏ご真言など札所でお勤めする文言でいいのです。短い同じ文句を繰り返してもいいです。周りの環境が気にならなくなります。
いつの間にか距離が進んでいます。
 以前テレビで五、六歳の兄弟が「念彼観音力《ねんぴかんのんりき》 念彼観音力」と言いながら、第十一番藤井寺から第十二番焼山寺までの遍路ころがしを登りきった様子が放送されていました。
シドニーオリンピックで金メダルに輝いた高橋尚子さんも走っているときに、不動明王のご真言を唱えていたそうです。
修験の人たちは「懺悔懺悔六根清浄」と唱えながら、険しい山道を登ります。
これらの人たちも同じことかもしれません。雑念がなくなり、歩き、走り、登ることだけに一心になれるのではないのでしょうか。
是非試してみてください。

2. 観音経

 歩いているときに唱えるお経は、経本やメモを見ながらというわけにはなりません。山道や雨風の中ではもちろん、平地であっても危険を伴います。このようなときのお経は、やはり覚えておいた方がよいでしょう。
十三仏ご真言も覚えた、般若心経も覚えたという人は、観音経はどうでしょうか。
観音経を覚えてみませんか。
 先に兄弟が唱えていた「念彼観音力」は、 観音経の中の一句です。
お遍路で四国を巡拝しているとき、般若心経に比べて観音経を耳にする機会はほとんどないのではないかと思います。
しかし、四国八十八ヶ所の中の30ヶ寺、約三分の一のお寺が観音様をご本尊とされています。
また、西国三十三所、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所をはじめ、日本全国各地に観音霊場があります。これらの霊場の宗派も天台宗、真言宗、曹洞宗、臨済宗他各宗派に及び、もし観音様がいらっしゃらなければ、仏教はこれほど世界中に広まらなかっただろうとさえ云われています。観音様は、それほどポピュラーな仏様なのです。
 観音様について説かれたお経はたくさんありますが、最も古く有名なお経が法華経の中の「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」、別名「観音経」です。観音様のご利益、功徳が書かれています。
 歩いているとき、一句、一節ずつでも繰り返しお唱えしてみてください。 きっと雑念がなくなることと思います。

3.覚えるときに

 お経に限らず記憶するには、書いて覚える、読んで覚える、聞いて覚える、あるいはそれらの組み合わせなど、人により得意とする方法は異なるそうです。
皆さん方それぞれ得手とする方法で試みられればいいと思います。
 般若心経を覚えることができたのでしたら、観音経を覚えることはできます。
「やればできる」をベースにしてチャレンジしてみてください。
 ここでは、私が気づいたこと、感じたこと、覚えるときのポイント等について記します。  ・ ・ ・ 釈迦に説法かもしれませんが。

3.1 まずは解説書を

 まず観音経の解説書により内容を把握します。このとき、すべてを詳しく理解する必要はありません。
お経の解釈には『事釈』と 『理釈』があります。
事釈・・・文面どおりに解釈し、理解していくこと。
理釈・・・文章に含まれている仏様の教え、精神を読み取り、理解すること。
時間的に余裕のない方は、まず事釈だけ、お経を物語りとして解釈されればいいと思います。事釈はむずかしくはありません。
暗記してから、または素読ができるようになってから、深い内容、理釈を理解する、それでもいいのではないでしょうか。
解説書は書店、図書館で求めれば、いろいろなものがあります。またインターネットでもいろいろなサイトで見ることができます。

3.2 お経を聴くこと

 つぎに、CD等によってお経を聴くこと。ふりがなだけに頼って暗記していると、実際にお経を聴いたとき全く異なるように聴こえることがあります。リズムを覚えることも大切です。
また観音経の読み方は、宗派により少し異なる箇所があります。正確に覚えたい方は、ご自分の宗派の経本、CD等を参考になさってください。
インターネットでも聴くことができます。

3.3 経本(教材)はひとつに決めておくこと

 これは重要なことです。
経本、書籍等によって、段落、改行、一行の文字数、フォントなどの書式が異なります。
これらが異なると同じ経文でも違うように感じてしまいます。
暗記するときに使用する経本(教材)は、最後までひとつのものに決めておくことをお勧めします。
一度覚えてしまえば、これらの書式はもちろん関係なくなります。

3.4 最初は偈頌《げじゅ》から

 観音経には散文で書かれた長行《じょうごう》といわれる部分と、韻文(漢詩)で書かれた偈頌といわれる部分があります。
普段の法事などで唱えられる観音経は、偈頌の部分が多いようです。
偈頌は形式が決まっているため、長行に比べて覚えやすいと思います。
まずは偈頌。それから長行の順に進めば、取り掛かりやすいのではないでしょうか。

3.5 繰り返すこと、とにかく繰り返すこと

 数語あるいは一節を区切りとして声に出して繰り返します。最初は1フレーズ3〜4秒で言える長さがいいようです。
大切なことは毎日繰り返すことです。机を前にした学習以外に、歩きながら、家事をしながら少しの時間を見つけて繰り返してみてください。
また、覚えられたと思ってもそこでやめないこと。 一時的に記憶できたとしても、すぐに忘れてしまいます。覚えるためには、その後も繰り返すことが必要です。

3.6 思い出すこと

 記憶することと同じようなことですが、書いたり、読んだり、聞くこと(インプット)とあわせて、思い出すこと(アウトプット)が大切です。経本(教材)を見ないで、あるいは聞かないで思い出します。このとき、思い出さない空白になった箇所があれば、その部分を一生懸命に思い出そうと試み、考えます。テストと同じことです。忘れてしまったと思っていても、案外覚えているものです。
朝、目覚めの床の中で、昨夜記憶した部分を思い出してみるのもよいでしょう。
これはかなりの効果があります。

3.7 記録すること

 解説を読んだ個所、覚えた個所などを記録することです。
経本、書籍に書き込んでもいいし、日記、カレンダー、パソコンに記録してもいいでしょう。記録すれば、成果が目に見えます。

3.8 期限を決めること

 ただのんびりと覚えられれば覚えようと思っていると、次第に意欲がなくなってしまいます。この部分は何日までに覚えようと目標を持って、ある程度のプレッシャーも必要です。

3.9 つぎに覚えるお経を決めておくこと

 30キロメートルの距離を歩くときに、30キロメートルを歩くと考えて歩くと、どうしても最後がきつくなります。このとき35キロメートルを歩くのだと考えて歩くと、最後まで同じスピードで歩くことができます。 お経を覚えるときにも、観音経だけを覚えようと思っていると、最後の方で効率が低下してしまいます。
「この観音経を覚えると次はあのお経を覚えよう」と考えておくと、最後まで同じ調子で進むことができます。

3.10 素直に喜ぶこと

 一行、一節でも、覚えられたら、素直に喜んでください。
覚えることに喜びを感じてください。覚えることを生活の中の一つの喜びとしてください。喜びが次の段への挑戦の原動力となります。
このとき、ひとつのところを覚えたと思っても、他の箇所を忘れて、喜ぶどころではないかもしれません。
しかし、忘れたことと、覚えられたことを分けて考えます。覚えられた喜びだけを感じればいいのです。
忘れたところは、またすぐに思い出すことができます。ここは少し楽天的、能天気に考えましょう。

3.11 覚えられた後の姿を想像すること

 夢を持つことです。
将来の覚えられた後の自分、札所で唱えている様子や山道、風雨の中で唱えながら歩いている姿を思い浮かべながら学習することは、励みになります。
夢を持つことです。

3.12 お酒は禁止

 ”酒でも飲んで忘れてしまえ”と云われるように、飲酒は記憶をリセットします。飲酒後の学習、学習後の飲酒は、ともに記憶を阻碍します。学習したこと、時間が無駄になります。
「不飲酒戒《ふおんじゅかい》」という戒律があります。また、禅宗のお寺の入口には「不許葷酒入山門《くんしゅさんもんにいるをゆるさず》」と書かれた石の柱があります。これらは酒が心を乱すからという以外に、飲酒により折角修業で身につけたものを忘れてしまうから”禁止”されているのではないでしょうか。

3.13 いつもコピーを手に、ポケットに

 経本の必要な箇所のみコピーして、いつもポケットに入れておきます。このときA6判くらいのチャック付きのポリ袋が便利です。伸び縮みするストラップを付けてベルト通しに引っ掛けておけば、落とすこともないでしょう。


 この他に皆さん方それぞれ得意とする方法を持っておられると思います。
いろいろ工夫を加えて 挑戦してみてください。

4.おわりに

 私が観音経を知ったのは、野口英世の母シカの話を聞いたことがきっかけでした。
 それは次のような話です。
「英世の生まれた福島県三ツ和村の池に、夜な夜な河童が出るという噂がたった。村人が夜、本当に河童が出るのかと見に行くと、英世の母シカが暗闇の中、池に入って貝を取っていました。『おシカ、こんな夜中に池に入って、こわくはないのか』 村人が尋ねると、シカは 『いつも観音様が見ていてくださるから、こわくはない』と答えたということです」
 この話を聞いて、シカの一途に観音様を信ずる心に感動したのはもちろんですが、観音様とはこんなにも人間を強くするものなのか、観音様とはどのような仏様なのだろうか、観音様を知りたいと思いました。  今でこそ、インターネットで「観音様 観音経」と検索すれば、観音様の由来、観音経の経文、読み方はもちろん、現代語訳、解説、読経までもすぐに見ること聞くことができます。しかし、インターネット環境がほとんど整っていなかった二十年ほど前のこと、全く手がかりのなかった私は、書店で「FOR BEGINNERSシリーズ 観音経」という本を求め、読んでみました。この本は観音経の偈頌の部分を解説したものでしたが、大変わかりやすく書かれていました。これが始まりでした。

 観音経は、般若心経と比べると長いため、覚えるためには時間がかかります。また、折角覚えたと思ったところを忘れたり、似たような箇所と混同してしまったり、挫折しかかることがあるかもしれません。
しかし、それだけに覚え得たときの感動はひとしおです。達成感、満足感が得られます。
お遍路で歩いていても、以前の雑念に惑わされていた頃に比べて、ワンランク上の歩きのような気さえします。
なにより、覚えられたという自信が付きます。掛替えのない心の宝物になります。

千里の道も一歩からと申します。一歩一歩を積み重ねていけば、必ずゴールを見ることができます。
なにもしなくても一年、なにもしなくても時は過ぎ去ってゆきます。
みなさん、もしよろしかったら観音経に時間を使ってみませんか。

念念勿生疑 観世音浄聖 於苦悩死厄 能為作依怙
具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼

合  掌

※ 最後に余計なことかもしれませんが

 高野山の経本の中に「経を読むに、たとい諳ずるとも本を看るべし」 と書かれています。お経は手に持つか、経机の上に置いて読むことが正しい作法です。
どのように位の高いお坊様でも、お勤めのときにはお経を手に持っておられます。
ご自宅でのお勤め、札所での読経の際には経本を読むようになさってください。
 「えっ!では、歩きながらお経を唱えることは無作法なことなの?」
安心してください。憶えているお経を歩きながらお唱えすることは、誦経《ずきょう》といって作法にかなったお経の読み方の一つです。


観音経カード
[蓮花]


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