さよなら八高線の旧ナナサン形

  103系電車は国鉄時代に3500両近く製造された 国鉄を代表する形式と言っても過言ではない、国鉄の標準型通勤電車です。しかしその103系とまったく出が異なる車輌が103系3000番代です。103系3000番代の元はアコモ車と呼ばれたクハ79600、モハ72970で、主にクハ79300、モハ72500を改造して103系並みの車体にした車輌たちです。

  当時の国鉄は地方に走る旧型車両の内装や、車体性能が都市を走る新性能車両と比べ劣っており、早急に改善を必要としていました。しかし、新車の投入を行いませんでした。主な理由としては、電車区などの検査機能が新性能電車を受け入れることができなかった、また首都圏の通勤ラッシュ緩和のために車輌増備を必要としている状況で、地方路線の輸送改善まで手が回らなかったというのも事実です。そこで国鉄は旧型車の性能をそのままにして、車体のみ更新する車体更新工事を1972年から1975年に73系に実施。当時増備が進められていた103系高運転台の車体とほぼ同様のものを7台枠にのせ、車内のアコモデーションの改善を図りました。

  この通称アコモ改善車は合計21両が登場。鶴見線に1両配置、仙石線20両配置の4両編成で活躍を開始しました。鶴見線では他の73系に混じって途中塗装をオレンジからぶどう色に変更され1980年まで活躍。 一方仙石線では他の73系が引退した後も途中ウグイスからスカイブルーに塗装変更を受け103系に混じって1985年まで活躍しました。鶴見線に所属したモハ72970は80年7月16日付け(鉄道ピクトリアルより)で廃車されましたが、仙石線で活躍したアコモ改善車は改造後の経年が浅いため、電化開業を控えた川越線の川越〜高麗川間にアコモ改善車を新性能化した上で転用する事になりました。

  アコモ改善車を新性能化した工場は大井工場、大宮工場、大船工場、新津車輌所の計4つの工場で、4両編成から3両編成に減車したため、クハ79600をクモハ102-3000に改造する大工事が実施されました。当時の国鉄の財政状況ゆえか、台車は101系の廃車発生品で済ませています。床下はクモハ102-3000にMGをモハ72970から移設した以外は、ほとんど種車の物を使用しておらず、結局73系は台枠を残してほとんど全てのものが入れ替わってしまう結果となりました。その後余剰となっていたモハ72970 4両も青梅線の103系増強により、サハ103−3000に改造。晴れて103系に仲間入りし、オレンジに塗られて活躍を開始しました。

  その後八高線の八王子〜高麗川間が電化開業。通し運転を開始しまた編成も4両に増強される事になりました。そのために青梅線で活躍していたサハ103-3000を川越、八高線に転入、生き別れていた103系3000番代が全て八高線に集結する結果となりました。非冷房だった103系3000番代は1990〜1991年頃AU712によって冷房改造を受け、また転落防止幌の設置にあわせて、妻面窓の閉鎖も行われた。またATS-P形の設置も行っています。

  山手線に新型E231系500番代が投入され、捻出された205系は101、103系置き換え用として各線に転入しました。八高線にも205系3000番代が転入。八高線の103系3000番代を一気に置き換えました。最後まで残ったハエ53編成が、10月2日に川越、八高線103系さよなら運転を実施後、10月12日に一般の営業運転に入っりましたが、残念ながら10月17日に大宮工場に廃車回送され、103系3000番代は73系時代から続く50年余りの歴史を閉じました。

▲テールライトの隣りにある標識灯掛けは、交流区間を回送するために仙石線を走る電車には必ず装着されるもの。この電車が仙石線を走っていたという名残。
▲(左)マスコン、ブレーキハンドルは既に103系改造時には交換済み。(右)側面のドアの手掛けは仙石線時代からのもの。
▲(左)ドア開閉装置は115系などと同様の機械式のTK8を使用している。(右)運転室の後ろにあるこの蓋は、ドア点検用のもの。
▲種車の銘盤が残っている。1956年近畿車輛製のクハ79451のもの。
▲クハ103-3003(←クハ79605←クハ79451)1985年大宮工場で103系化工事を実施。
▲サハ103-3003(←モハ72975←モハ72615)1986年大井工場で103系化工事を実施。
▲モハ103-3003(←モハ72980←モハ72566)1985年大宮工場で103系化工事を実施。
▲クモハ102-3003(←クハ79610←クハ79368)1985年大宮工場で103系化工事を実施。
編成番号 103系番号 103系化改造場所 種車番号 アコモ改造場所
-- -- -- モハ72970←モハ72587 郡山工場
ハエ51 クハ103−3001 大井工場 クハ79609←クハ79949 郡山工場
サハ103−3001 モハ72971←モハ72502
モハ103−3001 モハ72974←モハ72543
クモハ102−3001 クハ76604←クハ79456
ハエ52 クハ103−3002 大宮工場 クハ79603←クハ79349 郡山工場
サハ103−3002 モハ72973←モハ72561
モハ103−3002 モハ72972←モハ72504
クモハ102−3002 大井工場 クハ76606←クハ79374
ハエ53 クハ103−3003 大宮工場 クハ79605←クハ79451 郡山工場
サハ103−3003 モハ72975←モハ72612
モハ103−3003 モハ72980←モハ72566
クモハ102−3003 大井工場 クハ76610←クハ79368
ハエ54 クハ103−3004 大船工場 クハ79607←クハ79305 郡山工場
サハ103−3004 モハ72977←モハ72509
モハ103−3004 モハ72978←モハ72560
クモハ102−3004 大井工場 クハ76608←クハ79342
ハエ55 クハ103−3005 新津車輌所 クハ79601←クハ79435 郡山工場
サハ103−3005 モハ72979←モハ72511
モハ103−3005 モハ72976←モハ72544
クモハ102−3005 大井工場 クハ76602←クハ79378
▲103系3000番代各車改造履歴(鉄道ピクトリアル2000年5月号参考)
下の絵は、クモハ102−3003、モハ103−3003の73系時代の姿を、予想して描いたものです。クハ79は更新工事により、側面の3段窓が2段アルミサッシュに改造された姿、一方モハ72は高槻区新製配置の姿の予想です。どの絵もへたくそですが、73系の想像の足しになれば幸いです。
▲(参考)クハ79368  (本来ジャンパ管受けはありません・・・) ▲(参考)モハ72566
若い(私と同世代)の103系ファンの方は、この103系3000番代の出が73系だという事実は多分ご存知の事だと思います。しかし、73系がどのような車輌で、どのようなバリエーションがあって、どこで活躍していたか、という事柄はあまり知られていないように私は感じます。もしこの記事を読んで、73系とはどんな電車か気になったら、検索サイトで『73系』と是非検索してみてください。73系の総数は103系と比べ約3分の1程度ですが、バリエーションは103系と比べてはるかに多いと私は思います。
 

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