神の山
              夫馬基彦    

「おはよう、お客さん、タト・パニ(お湯)です」
 ノックのあとそう呼びかける声に、男はゆっくり立ってドアを開け、裸足の少年が重そうに提げている銹びかけのブリキ・バケツを二つ受取ると、裸になって浴室へ入った。浴室とはいってもコンクリート打ちをしただだっ広い空問に、金隠しもないU字型平面状の便器と細かい穴のあいたシャワー用金具が、それぞれ一個ずつ対角線の位置にポツンとあるだけだ。そのシャワー器具からは水しか出ないから今は無用の存在だが、男はやはりその下あたりに立って、バケツからぬるい湯を身にあびせては石けんを使い出した。
 中肉中背にしてやや下腹のたるみ出した生気のない躰。腋の下や、胸からみぞおちのくぼみにかけては脂汗がじっとりたまっている。それを掌でこそぎ落すようにして、次に腹を洗い出すと、押えるたび胃が痛んだ。胃に内容物はないから疹痛はないが、代りに膨満感と極端な空腹時にしばしばある胃壁を胃酸が侵食しているような感覚が同居している。ところどころ糜爛した薄赤色と緑色まだらの胃壁が、腫れ上り熱を持っているのが目に浮ぶ。その胃の上に、二つのバケツのうちから幾分かは暖かい方の湯を何度もふりかけては右手でマッサージし、ついで左手の指で肛門を洗う。そこもこのところ酷使しているから、だいぶ腫れ上ってピリピリ痛い。昨夜も十時すぎ下痢便を出したし、今朝起きぬけにもそうだった。そのためこのところ常時、肛門周辺に下痢便の飛沫が付着しているような不快感がつきまとった。習慣にない朝シャワーを浴びる気になったのも、一つにはそれゆえだ。
 下痢は五日前から始まった。この町を流れる川のずっと下流にあたる人口百万の宗教都市で、街を挙げての祭に浮かれ暴飲暴食をしたのが原因である。ガンジャ(大麻)とヨーグルトと蜂蜜と氷水とをジョッキ並グラスに入れ撹拌したバングジュースなるものを、花火が上るたびにワッと飲んでは二杯も三杯も重ね、その酩酊状態の中で、更に一口で頭から汗の噴き出す香辛料の効いた揚げ団子を一皿も食べて三時間後、スコールのように腹が下って以来下痢は止まない。持参の強力下痢止め薬のお蔭で時々軟便程度にはなるものの、体力維持のためと思って摂る食事が仇になるのか、すぐ元の木阿弥だった。何しろこの国の食事ときたら、気をつけてはいるもののどこかに刺激物が隠されているらしく、荒れた胃には興奮剤のようなものだったし、それに二月とはいえ日中は暑い陽射しのもとでついつい飲みたくなってしまう冷たい清涼飲料の類いが、また悪循環を誘ったのかもしれない。
 しかし、下流の都市から遠く千キロメールも離れたこの町は、もはや暑いということはない。男はぬるい湯に少し背筋をゾクッとさせると、湯浴みを切り上け、衣服をつけて一階の食堂へ降り、ミルク茶とパン二切れだけの食事をした。パンには穴がいくつもあいており、金網で焼いたらしい焦げ目が桝目についた上に、ほんのお情けのようにバターが薄く塗られているだけだったが、それを濃いミルク茶で一口ずっ噛み下していくと胃には丁度いいようでもあった。
 やがて男は表へ出ると、ソロソロと道を歩いた。ベルトに通した小物入れの他には荷は何もない身軽さの上に、湯浴み後の爽やかさが髪にそよぐ徴風の心地良さとなってはいたが、その軽さの中に下痢腹の不快感が妙な重さとなって歩みをのろめ、いつもどちらかの奥歯を知らず知らず噛みしめさせているような気分があった。
 けれども、道には音楽があふれていた。結婚式らしく、数名のブラスバンドを先頭に、紙幣をレイのように首に掛け薄化粧した花婿、ついでその親族・友人らしい一団の晴着姿の人々が賑やかに行列をなし、時々撤かれる紙吹雪や掛け声と共に、金管楽器のどこか割れかけたような音がトルコの軍楽の如く乾いた空気の中で躍っていた。その行列を暫く見物したのち、男はもの静かな道を選び、両側に花を飾った小さな祠や堂のある中を通って、川岸に向った。途中、一頭立の馬車が一台、シャランシャランと鈴を鳴らしたなら追い抜いていったが、他には、歩みの遅い彼を追い抜く者とてなかった。馬車の背にはこの地方にゆかりのラクシュミという女神の絵が描かれていたから、あるいはそれは一昨日、男が乗った馬車かもしれない。男もまた、あの馬車のシャランシャランの音と共にこの町へ入ってきたのだ。
 川岸へ出ると、堂の軒下、がじゅまるや菩提樹の木の下に、肩までの長髪や逆に巻貝状に結髪した巡礼僧らが多数坐っていて、黒い手で食事用の麦粉をこねていたり、素焼のチリム(短煙管)でガンジャを吸っていたり、経文を諦していたりした。その中には一昨日の夕いきなり声をかけられ、一緒にガンジャを吸った僧もいたが、今日は目の合わぬままそこを通り過ぎ、川原への坂道を降りていった。両側には痩せた男女の乞食が十数人、ほば等間隔に並び、右後方には彼らの住まいらしい黒いつぎはぎだらけのテントが、白い石の川原に一塊りにひっそりあった。
 水辺まで歩いた男は、かがんで軽く両手濯いだが、数メートル先で喫ぎをしている二、三の巡礼のように口まで漱いだり身を冷水に入れたりはしなかった。水はやや黒味を帯びてはいるものの澄んで美しく、対岸の丘までほんの二十メートル程の幅の水流は、まるで男の母国のどこぞ山間の清流を思わせた。下流の都市ではこの同じ川が川幅だけで二、三キロにもなり、時に対岸が霜でかすんで見えなくたるなどとても信じられなかった。人も殆どいない。せせらぎと鳥の囀りの他には静寂と光だけが空間を埋めていた。遠い異国にいる感じはなかった。幼年時代に少しだけ訪れた避暑地の初秋、そんな懐しいような、躰の中の大人の神経と緊張がすっと空中に融け出していくような気配があたりに充ちていた。
 だが、丁度眼前で蛇行した水流の右手下流側を眺めると、一面の荘々たる大平原とその彼方の円い地平線が視角百二十度ほどにも見え、振返って左手上流側へ五十メートルも歩き灌木の茂みを越えると、そこは二つの支流の合流点である広大な石の川原だった。
 そうして、その川原の白い石の上にケンローがうしろ向きに静かに坐っていた。うしろで束ねた長髪を背中まで垂らし、古セーターに腰巻き姿なので一見国籍不明だが、よく見れば細い肩幅にやや胴長の風情がやはり同国人かと思わせる。
「やあ」
「こんにちは」
 挨拶し合うと、男はケンローの隣に自分も手頃な石を捜して坐った。ケンローとは昨日この同じ場所で初めて出会ったばかりなのに、すでに旧知の仲のような気がしている。昨日七、八時間も立て続けに喋り合った上、胃が重いので、今日はすぐさしたる言葉も出ないまま、並んで上流を眺めた。上流ニキロほどには流れをはさんで三、四階建の白やピンク、オレンジ、グリーンなどの各道場の建物が山々を背に十ほども並び、そのうちのどれかからは徴かに経文朗唱の声がマイクに乗って聞えていた。それは仏教の声明にもイスラームの祈りの声にも似ていたが、朗唱の抑揚こそが大気の中でのゆるやかな風の存在と波を感じさせる体のもので、男はその波動に自分の呼吸と胃の痛みを同時に重ね合せた。そうして、ゆっくり目を左へ動かしていくと、一番手前の山の上に白い堂が一つ見えた。それには屋根はあるものの、壁は半分ほどしかない。男がそれを見ていると、
「あのお堂はね」とケンローが低声に言い出した。
「あれでも建築中なんですよ。ちゃんとした寄進者があって、その依頼で職人が二人ほど毎日作業をしている筈なんだけど、僕が四年前この町へ初めて来た時、屋根を造っていて、今やっと壁だから、一体いつ出来上るのでしょうね。全く、時問感覚が違うものだか…」
 終りは眩きとなって白い川原に消え入ってしまった言葉を聞きながら、男は、
「しかし、羨しいことだ」
 と眩いた。四年間で壁一つ造るような仕事を自分もしてみたいというより、遅々たるものであれ行為の結果が確実に形となって積み上けられていく仕事の内容が羨しかったのだ。男はこの十年間、休日を除いては寒暖にかかわりなく毎日勤めに通ったが、形になって残っているものは何もない。


 まもなく男はケンローと一緒に立上ると、ゆるゆると川原を横切って街に出た。ケンローが、まだ腹に力が入らないようですね、と言い、ええ、と答えると、では家に行きましょう、家にとびきりの特効薬がありますよ、と誘ったからだ。
 ケンローの家への道筋には小規模な古いバザールがあり、石畳の道の両側には服地屋や香辛料屋や穀物屋や金物屋や家具屋や薬屋や飴屋が並び、それぞれ手秤で品物を量ったり、雑誌や新聞紙を貼って作った紙に唐辛子や飴を入れ客に渡したりしていた。どの店も軒は低く、半ばが木造で、中は薄暗く、その薄暗い奥から目の光った、大抵は鼻下髭を生やした男たちがこちらを見ていた。突然、歯と赤い舌を見せて呼びかけてくる者もいるが、大概はまず目でこちらを見定めようとするだけだ。道には時折り馬車や荷車が通る他は、あまり人通りもない。男はまたしても幼年時代に訪れたどこかの町、しかし今度は想い出そうとしても想い出せぬ翳と光の町を思いながら、道の中ほどを歩いた。ケンローは男の横をヒタヒタとサンダルの音をたてて少し内股に歩いていた。途中、ケンローが立止って煙草を買った際、脇腹を軽く突く彼に促され、酒落た赤紺チェックのシャツを着たまだ三十がらみの煙草屋の手を何気なく見ると、親指の脇に長さ一センチ、直径五ミリほどの茸のようなものが生えていた。最初はよく分らぬまま、しかし何やらハッとして凝視すると、それはどうやら六本目の指だった。しかも、その小さな爪には真っ赤なマニキュアがしてあった。
「見ましたか」
「ええ、見ましたとも」
「あの人はたぜあの指にだけマニキュアをするのでしょうね。あれが自慢なんでしょうか?」
「……」
「ところがあの人は、年のうち半分くらいは手袋をして、絶対人にあれを見せないんですよ」
 男はケンローと顔を見合わせ、互いに暖味に笑った。
 初めて訪れるケンローの家は三軒長屋の一番端で、土間に木製の簡易ベッドが一つあるだけの部屋だった。長方形の部屋の両端が観音開きの板扉になっているが、窓は一切ない。電灯もなく、ケンローは部屋に入るとまずランプに火をともし、それから男に濡の上の毛布に坐るよう勧めた。
 小型灯油コンロで茶をわかして飲んだあと、手渡された特効薬は、黒い小指の先大の丸薬だった。
「これですか」
「ええ、実はこの山奥産の生アヘンですがね、これが万病の特効薬です。僕も一緒に嚥んでみます」
 ケンローはそう言って、薄い山羊髭を震わせたがら少し窺うように男の顔を見たが、男は、
「そうですか」
 とだけ言って、ケンローと共にそれを口に入れ嚥み下した。少し苦かったが、味は漢方の胃薬なぞとさして変らない。黙したままランプの灯を見つめていると、ほぽ二日に一度はこれを楽しみとして嚥んでいるというケンローが、バラと蓮の香のする香を一本焚き、傍の弦楽器をとって、
「効きだすのは三十分か一時間してからです。それまで僕がこれでも弾いていましよう。完全に効いてからは無理ですが、それまでは静かな集中が出来ますから」
 と言った。楽器は一メートル以上もある長いもので、弦は七本、それにそれぞれ共鳴弦が付いているから全部で十三、四本もありそうだった。ケンローはそれを胡座の膝上に立てると、左手指でちょっと弦を押えてみてから、「痛っ」と言って眉をしかめた。
「こんなですよ」
 そう言って見せてくれた左手の指は、中指人差指薬指の中央に深いひび割れが走り、一部では赤い肉がふくらみ、一部では黒く胼胝の如く盛り上り固まっていた。四年間毎日弾いているうちにこうなった、三ケ月に一度くらいは肉が割れて血が出る、とケンローは言った。
 その指で弦を押えつつやがて弾きだされた曲は、空間をすべて音で埋めていくような音楽だった。一つの音が鳴ると直ちに共鳴弦が呼応し、それにかぶせて次の音が鳴り、更に共鳴し、そしてまた瞬時に次の音が重なる……。それが低音から高音へと途中何度かの軽やかなステッブを混え登りつめると、今度は回転しつつあたりを徘徊し、しばし下りにかかると見せて、一転更に上昇する。薄暗い、饐えた匂いもあった部屋が、いつしか音のレースの襞に包まれ、ランプの焔の先には虹の階段が出来た。
 男はそれを感嘆と共に聞いた。重かった胃は生アヘンのせいか、いっとき胃の中で徴かなろうそくでも灯ったように熱を感じ、ついで次第に軽やかに安らいでいくのがはっきり知れた。
 三曲目になっていた頃だろうか。音が徐々に緩やかになっていき、ふと途切れた気がしてケンローを見ると、彼が薄闇の中でほの白い楕円形に包まれて、楽器を弾く姿勢のまま全く静止していた。目は前方斜め下を向いたまま、眠る前の羊のようた視線だった。ランプはついていたが、部屋は以前より随分暗く感じられた。男は自分が次第に前屈みになっていき、やがて小さく丸い繭になるように思った。「絶対的平和」という感覚が白い靄のように已れを包んだ。


 翌日、男はリュックを背に山岳地方行きのバスに乗った。とりあえずの行く先はジュラという村である。そこは彼の川の上流にある、いわばこの町の次の小聖地だった。小さいが著名な寺院があり、思いがけぬ塔があるとのことだった。男の腹はまだ落着かなかったが、前日の特効薬のせいで痛みは薄らいではいた。便も幾分軟便になっていたから、三時間程の行程は何とか持ちそうな気がした。
 バスは四十人乗りの箱型で、窓の半分はガラスがなく板でふさいであった。乗客は半分が鼻が高く目の大きな平地からの参詣客ふうであり、半分は大きな穀物袋や木箱を持ったモンゴロイド系の山の民たちだった。道は町をはずれるとすぐ川に沿ってうねる急峻な砂利道だった。磨滅したタイヤはしばしば殆ど弾力を感じさせぬ程にバウンドし、男はそのたびに胃を押えて衝激に耐えたが、窓外を見ると、その土挨の中を巡礼僧が時折り歩いていた。手に錫杖を持ち、髪を肩まで垂らし、額に赤あるいは白の聖粉をつけ、肩から頭陀袋を提げ、足はおおむね素足だった。今朝までは恐らく下の町のあの川岸近くに坐していた者たちに違いない。彼らはあの町での行を終え、いま次なる巡礼地を目指し、一歩一歩上流へと歩いているのだった。その行が一ケ月の無言の行だったか、一週間の断食だったか、一呼吸ごとの真言誦唱行だったか、それは分らない。ただガンジャを吸っていただけの僧もいようが、いずれにせよバスで三時間の距離は歩けば二日はかかる筈だった。そうしてジュラで彼らは数日か一週間の次の行をするのだろうか。恐らく下の町ほどに長滞在はすまい。場合によったら一日か二日で、更に次の巡礼地目指して上へ上へと歩き続けるのだろう。行く先は今は見えぬが、眼前に重なる山々の更に彼方にある標高六千メートルを越える白い雪の山の懐である。そこは今、窓外に見える川の最源流であり、その谷々には神が宿っていると言われていた。そこまで着くには、この界隈の盛夏である五月頃だろうか。中には匍っての登攀を誓約する者もいると聞くが、その場合は一体何年かかるのか。男は少し目をつむって頭の中で計算してみたけれど、結局判断不能だった。
 振返ると、埃にまみれた僧は口を引きしめ前方を凝視したまま、次第に後方に消えてゆき、代ってカーヴの際に先刻出てきた町が僅かに見えた。手前側の色とりどりの道場群と、その向うの黒茶色の街。あの落着いた、どこか故里のように感じられた小ぢんまりした町は、ここから見ると山の世界への入口であり、そこから向う遙かに広がる暑い平原や都市との境界の町だった。それは蛇行する川に抱かれるようにして、徴かな陽炎を揺らめかせていた。男はこの三日過したその町を離れることに少し感傷を感じた。
 午近く着いたジュラは、もの衰しげな地だった。セーターの襟を立てながらバスから降り立つと、擦り切れた衣服に破れ靴をはいたガイドと称する者たちが二、三人、おずおずと声をかけてき、それを断わって歩き出した枯れ木と岩の多い径には、元レプラ患者や手足のない障害者などの乞食がパラパラと並び、その末尾には巡礼僧たちまでが坐って、寒い眼差しで手をさし伸べていた。周りには乞食や僧たちのものと思われる乾いた人糞の臭いがぷんぷんと漂っていた。人は、一足先に賑やかに歩み去った同じバスで来た参詣客の一団の他には殆どなく、空は不透明に白かった。
 寺院では、窟(いわや)の中で青・黒・赤・黄の原色でどぎつく彩色された、十数本の手と十余の顔を持った石彫像だけが金色の目で薄闇を睨んでおり、そこを通り抜けると径は峡谷の上の吊り橋へと通じ、対岸には三階建の白い僧院とその上に聳える高さ十数メートルの円筒状の白塔だけが孤絶してあった。先刻の参詣客たちはどこへ行ったのか、かき消えたように見当らず、物音はまるでなかった。男は慄えながら吊橋へ歩み出し、下を見た。二十メートルほど底に岩壁に囲まれ、清流が流れていた。あの大河がこれほどの渓流になるのか。男はしばしそう思ったが、その感動は実は徴かに揺らぐ足許から背筋を突き抜けて頭芯に至る恐怖の故かもしれなかった。さほど重い筈もない背中のリュックの重心が急にかなり後ろにあるように感じ、さながら後ろ髪を引かれて背面からゆっくり谷底に落下しそうな錯覚までが生じた。
 男はそれでも吊橋を渡りきると、リュックを僧院に預け、めまいをこらえながら塔の螺旋状の内階段を決して振り向かずに登った。登れば何かがありそうに思えたからだ。
 だが、塔頂に至ると、そこには白衣・弁髪の三十歳ほどの僧が一人、粗末なガラス瓶に詰めた水を黙って売っているだけだった。何の水だ? 尋ねると、僧は黙したまま右手の人差し指で戸も何もない窓から下を指した。覗くと、めくるめく遙かな底に先程の渓流があった。振り返って僧を見つめる男に、彼はおごそかに、この水は暑い平地へ持ち帰って一年置いても決して腐らない、万病の薬だ、と言った。
 男は水は買わずに塔を降りると、僧院の厠を借り排便をした。緊張と冷たい谷風のゆえか、下痢が再発していた。
 約二時間後、男は寺院脇の茶店の屋外ベンチに腹を抱えるようにして腰をかけ、対岸をじっと見つめていた。あれから熱い茶を飲み、持参の柔いパンを食べ、薬をのんだため、渋り腹はどうにか収まっていたが、代りにその間のちょっと前に、上へ行くバスが出てしまっていたからだ。あとはこの地へ泊るか、三時過ぎのバスで下の町へ戻るしかない。けれど、男はどちらも意に染まなかった。ホテルはこの先の村との間に一軒だけ人影も見えぬ赤茶色の建物がひっそりあったものの、さながら墓場のようだったし、といって戻るのはホッとする半面、いかにも淋しい。まるで俺の人生のようじゃないか。男はそう呟いて、白分以上に存在を主張している如くに思われる胃を押えた。
 ところが、その時だった。
「やっぱりここにいましたか」
 そう声がして、振り仰ぐとそこにあの薄い山羊髭のケンローが、肩から僧のような頭陀袋を提げて立っていた。衣服は昨日のままだが、手には毛布を携え、足には腰巻とは不釣合な編上靴をはいていた。尋ねるとケンローは、体調不如意な男が心配で先程のバスで追ってきたと言った。
「休暇の期限があるから、あたたはきっと無理をしても先へ行ってしまうのではないかと思いましてね」
 ケンローはそう言って、三角形の細い顔をほころばせた。
 男はそれからケンローと共にホテルヘ行き、宿をとった。案の定、宿には客は誰もいず、通された二階の部屋は二つの粗末なベッドの他には何もなく、窓に牢獄の如く鉄格子がはまっていた。二人は顔を見合わせたが、やがて夕暮と共に窓外に猿が渓流の音を引き裂くように蹄き声を発し、その鉄格子を伝って飛び交うのを見て、訳を納得した。男はその猿声に脅えながら、塔と水と風だけに関する詩を書き、昨日と同じアヘンの丸薬を二人で嚥んだあと、今日は彼がケンローにそれを詠んで聞かせた。ケンローはベッドに腰をおろし、一点を凝視したままシンとしてそれを聞いた。


 次の日、男はケンローと共にバスに乗った。行く先はデバ・ギリという地である。それは当初男が少しでも近づこうと目指していた、あの巡礼僧たちが夏までかけて歩き登るという水源の谷からは途中からやや脇へそれることになるが、やはり彼(か)の川の支流の一つの源流点に近い地で、昨夜ケンローの話したところによれば、その、前面百八十度をことごとく千年の白雪を頂く山々にとり巻かれた谷には、戸数数十戸ほどの小村があり、その中には一宇の堂があってそこに彼の音楽の師が住んでいるというのだ。ぼくは夏の間はその師と共に住んでいるのですが、冬季だけはさすがに寒さに勝てず下界に降りているのです、ですが、僧でもある師は厳寒でもそこに籠り続け、神と、時に訪れる巡礼者のために楽を奏し続けています、あたたも相応の布施を置いてくれる気があったら、そこへ行って師の楽を聞いてみませんか、それは多分あなたの心と魂を軽やかに宙に舞わせ、逢かな雪山の頂にまで飛翔させてくれるでしょう。そこへならぼくも師への挨拶かたがた同行出来るし、あなたの体調次第では荷物も持ってあげられます、そうしてその方面への週二度のバスが丁度明日ここを通ります。ケンローはそんなふうに言ったのだが、むろん男に異論のあろう筈はなかった。男はもともと水源の谷へ体力的にも時間的にも辿り着けるとは思っていなかったからだ。ただし、行程は車で二日、バスは一日目の宿泊地点で終り、そこからは乗合トラックを待って乗り継ぐ、というのだった。
 男はこの躰で果して大丈夫だろうかと思いつつ、しかし同行者のいる安心感からバスの揺れに身を任せていた。バスは二、三時間おきに小休止を繰り返しながら、川添いの山道を登った。半日ほど経って橋を一つ越えてからは川は左側となり、バスはいつしか彼の川の支流域に入りこんでいた。道も川もせばまり、窓外を見下すと時に男たちは数十メートルの断崖上にいた。胃の痛みはアヘンで押え、とろとろと眠るようにして果てしない針葉樹林帯を走っていくと、男はまだ見ぬ仙境へ連れていかれるようにも、少年時代スキー場の帰途、深夜バスで山中を走った時のようにも思えた。
 バスは時折り小さな村で停りつつ、こうしてえんえんと一日走った。
 終点に着いたのは夕方五時前だった。躰の中全体が洗濯機中の水の如く撹拌されたあとのような気分で小さな広場に降り立つと、そこは巨大なV字状谷の中腹にあたる場所だった。すでに山の端に陽は遮られ、あたりは黄昏じみていたが、道路の左側は幅数メートルほど緩やかな荒地が続いたあと、ほば仰角六十度くらいの急傾斜が一気に続き、恐らく数十メートルもあろうという谷底に白い渓流が糸のように流れており、道の右側は一且幅百メートルほどの小台地になっていたのち、再び四十五度近いとも思われる角度で傾斜が上に続いていた。いや、村の家々は台地を中心にその傾斜地にも、あんな所にと思えるほど点々と散らばっていたから、さすがに四十五度はないのか、あるいはところどころに階段状の平場があるのかもしれない。家々は木造やあるいは煉瓦造りの平べったい蟹のような建物で、屋根には石が沢山乗せてあった。そうして何よりも驚いたのは、広場の端に立って巨大な谷の進行方向、北西の方角を見てみた時である。そこにはV字型の紫の山稜の間に、夕映えを受けて真っ赤に輝く見上けるばかりの三角錐形の雪山が凛然と屹立していたからだ。それは燃えるようでもあり、冷厳に一切を拒絶するようでもあり、あるいは突如天地のはざまから何者かがこの谷間を呑み尽そうと立ち現れたといった印象でもあり、いずれにしろ息をのむ荘厳さだった。
「あれがデバ・ギリ(神の山)です。村はあの麓にあるのですが、そこからは雪山はもっと両側一面にも見えます」
 かたわらから言うケンローに男が茫然としたまま肯くと、ケンローは更に、
「ここはタト・パニ(温泉)という所です」
 と言った。
「タト・パニ?」
「ええ、温泉という意味です。正式にはラクシュミ・タト・パニと言うんですが、皆ただタト・パニと呼んでいます。ラクシュミは女神の名だから、つまりラクシュミ女神の温泉という訳です」
 その温泉は近くに湧き出しているというのだが、ケンローはその前にまず宿をと言って、内股に靴を地に摺るようにして先に立って歩いた。
 宿はすぐ近くにある、村で一軒だけの茶店だった。入ると、中は手前半分が土間で、奥半分が山羊か羊の毛で編んだ擦りきれた絨毯敷きの床部分だった。土間との境にはダルマ・ストーヴ風のものが焚かれ、上には大釜に湯が軽く煮立っていた。男たちはともあれ床部分に上ると、隅に荷を置いた。周りにはすでに同様の荷や毛布、それに折り畳式の携帯マットなどが散在しており、どうやらここがそのまま寝所となると知れた。裏手にはもう一つ小さな小屋も続いていたが、そこは家族連れや長期客用らしかった。客は全部で十人ほどが壁にもたれたり、ランプの下で胡座をかいたりしていた。茶を飲んだり、土間の真っ黒な木製長卓ですでに食事を始めている者もいた。大半が陽焼けし、黒ずんだセーターやズボンを着こみ、小さな黒い目を朴訥げに丸く見開いた山の民たちと思えたが、意外にも中には一人、茶色の髪に碧眼の白人青年もいた。青年は髪を長く垂らし、ケンローと同じように腰巻をつけた痩身を薄毛布でくるんで、ぼんやりストーヴの火を見っめていた。
「チャイ(茶)?」
 セーターにジーパン姿、真っ黒な爪をした店の者に尋ねられ、男とケンローはストーヴの脇に寄ってミルク茶を飲み、ついでそのままその場所で肉ソバ風のものを食べた。食事にはやや早い時間だったけれど、ケンローがここにはソバもありますよと言ったので、長い間母国風の食物に飢えていた男がすぐ注文したのだ。ソバは暖くて、疲れた胃にも柔く馴染んだ。
「そうだ、チャンもありますよ」
 ケンローの言に二人はそれも注文した。チャンは白いどぶろくで、味はやや薄いが発泡性も僅かにあり心もちビールのようだった。酒の少ない、あってもひどく強烈で粗悪なものしかないこの国では、それは仏の甘露の如く舌と喉にしみた。
 二人は食事を終ると、懐中電灯とタオルを持ち、布で頭から上半身をすっぽり蔽い、温泉へ向った。外はすでに冷気が厳しく、肌が引き締まるようだった。温泉は台地と上への傾斜の境界にある野天風呂だった。白然岩の前面を畳二畳分ほどコンクリートで平たく固めた表面に、白と赤と緑などで優しけに徴笑んだ女神の絵が描かれ、その開かれた掌の先の直径二十センチほどの穴から湯が少しずつ湧き出していた。そして下の、横五メートル縦三メートルほどの一応人工と思われる長方形の石の湯漕を充たしていた。湯はほぽ透明だった。二人は脇に一本だけあるヒマラヤ杉の枝に衣類を脱いでかけると、この国の習慣通りパンツをはいたまま湯漕に入った。夜だったし、他に人は誰もいなかったから、男はパンツも脱ごうとしたのだが、ケンローがいつ誰が来るかもしれぬからとそれを止めたのだ。
 湯はほどよく熱く、首から上の、肌が痛むような寒さとの対比が思わぬ恍惚感さえ生んだ。ふり仰ぐと空には手が届くように一面の星が降り、その光に照らされて神の山が銀色に光っていた。対岸の岩稜の山々も濃紺の巨大な山水画の如く聳え立ち、僅かな風の音だけが聞えた。男はそれらを眺めては時々音たてて頭ごと湯に浸り、また飽きずに眺めた。先刻、ケンローが店の者に確かめたところでは、デバ・ギリの村への乗合トラックは今朝出たから、次はそのトラックが戻ってきた翌朝、つまり明後日になるとのことだったので、それまではどうせこの地を動けぬと思うと、気持はよけい落着いた。男は、まだまだ底の方で重苦しい胃を湯の中でゆっくり撫でた。ここで一日湯につかって休養すればだいぶ好転しそうた気がした。また空を見上けると、僅かの時間の間に流れ星が二つも三つも目に入った。まもなく手桶とやかんを持った村人の男が現れ、ラクシュミの穴から湯を汲んでいった。村人はこの湯を飲料にも使っているようだった。男の頭の中には詩の言葉が何行も浮んだ。
 宿へ戻ると、客がだいぶ増えており、土間の卓はほぼ一杯だった。村人や今日のバスの運転手・車掌、それに又しても三人の白人青年男女がいた。彼らはここに寝泊りしている風情はなく、聞くと村の中の空小屋を借りて滞在していると言った。皮膚は白かったが、衣類は村人なみに黒ずみ、物静かに徴笑んでだけいた。男とケンローは床部分に上ってまたチャンを飲んだ。湯上りの躰にそれは心地よく泌み通り、視界をほんのり揺らめかせた。やがて二、三ケ所でほば前後してハッシ(大麻樹脂)の香りが漂い出したと思ったら、どこからともなく素焼製のチリムが回ってきた。それを両掌で半ば蔽って持ち、直接口をつけぬようにして軽く一口吸うと、びっくりするほど上質のハッシだった。それだけで茫と頭芯が抜ける如くになり、二度目に回ってきたチリムを今度は深く吸いこんでみると、もはや躰中の体重が一度に消えたみたいだった。陶然、恍惚、空中遊泳、肉体の消滅、しかれども明晰にして心気昂揚、そんた感覚が一どきに身にあふれ、ランプの焔に映える人々の顔が急に笑みと輝きに充ちた気がした。
「いいでしょう、ここのは」
 ケンローがにこやかにそう言い、男がそれに「ええ」と深く肯くと、まるでそのやりとりを解したかのように周りの人々がどっと笑った。部屋の隅では頼の赤い中年の男が、目尻の小皺を三重四重にしたがら、ゆらゆらと声明を低く唱い出した。長い間孤りで過してきた男はこれほど大勢と夜を共にすることはめったになかったが、異和感は全くなかった。軽い緊張と大きな解放感が同時に身を包み、視界が金色(こんじき)に拡がった。


 寝袋の中で蛹の如く眠ったあと、翌朝遅く起き出すと、外は快晴だった。神の山は前日見た夕映えの燃える赤とも星夜の銀色とも違い、純白だった。それが真っ蒼な空を背景に浮び出るように清浄に坐している。夕映えの際みたいに怖しげに上から蔽い迫る印象はなく、峻厳にして優しくそこに在る、といった風情だった。巨大なV字谷もまたそれに照応して、前日の紫や濃紺から岩稜の濃茶、灌木群や針葉樹の濃緑へと色を変え、谷底は人の心まで吸いこむように深く、白く、霧を発していた。それらはいかにも雄大、清冽な光景だった。男は後頭部の一点に痺れさえ感じながら小台地を歩き始め、そしてやがてふと気づいて目を瞠った。台地の峰側半分及び傾斜地の多くが見渡す限りガンジャ畑だったのだ。この界隈では春である季侯がら、まだ花も穂もない、丈七、八十センチほどの緑草だったが、それが一面にさやさやと風に揺れていた。男は、そうか、ここはこういう土地柄だったか、と思いつつ、その緑葉の光景を見るだけで前夜の頭芯を突き抜けるような快感を半ば蘇らせ、歩いた。
 けれども、男の脳髄を痺れさせることどもは、この種の快楽ばかりではなかった。それは男にとって切実な問題である厠のことだった。男は宿へ戻ると、店の者から、日中明るい内の排便は外の厠でしてくれるようにと言われたのだが、その厠というのは、道路を横切った荒地の先の崖にあった。崖は遠目には一枚の屏風状に見えたのに、近づくとそこここに枝葉ともいうべき小さな亀裂があって、そこが村人たちの厠になっていたのである。斜めに降りる径が付き、一応小さな蓆張りの小屋にはなっていたものの、中は二枚の板が渡してあるだけで、下は二十メートルほどの谷だった。躰を少し前屈みにすると、五十メートルの谷底も見えた。男はそこで垂らされた麻縄に掴まり、慄えたがら排便した。軟便が空を切って落ちていき、途中で割れ、やがて徴かな湿った音がした。男はそれを日に三度、涙をこらえつつした。
 しかし、あるいはその苦行の緊張が一方で男の快楽を昂めたのかもしれたい。男は日中、透明に輝く陽光の中で野天風呂につかり、出ると陽溜りでハッシを吸い、また風呂につかった。風呂はいわば近在からの湯治客である宿の相客や村人で賑わい、目の前で薄衣をまとった女性たちも湯浴みをした。コンクリート壁に描かれた女神と同様に、女性たちの髪はたいてい背の中程まであり、乳房はお椀のようにこんもり丸かった。その彼女たちは男やケンローとは違って湯に浸かったままではなく、沐浴風に立ったりかがんだり、頭から湯をかけたりするから、躰の線がどこも生き生きと動いて魅惑的だった。見るともなくそれらを眺め、神の山を仰ぎ、谷の断崖を見、男は恍惚と、半ば天界に身を置いた心地だった。
 そんな男の隣ヘダンという名の、初めに会った白人青年が並ぶこともあった。一日中ハッシを吸いっ放しの彼は、充血した赤い目をトロンとさせたままだった。
「どこから来た?」と問うと、
「オーストラリア」と答え、
「いつまでいる?」と聞くと、
「分らない。八月までこの界隈にいて、雨期の最盛期になったら、洪水を見に下流の宗教都市へ行く」
 と、ぼんやり答えた。何でもすでに去年も同じようにしたそうだ。その際の洪水は河畔の石造建築の三階分くらいにしか水位が上らなかったが、自分は何年かに一度あるという六、七階分まで達する大洪水に遭遇し、そこへ舟を漕ぎ出してノァの箱舟の如く漂ってみたいのだと言った。
 男はそれを聞いてその壮大な大洪水の様を想い浮べ、雨期にはこの地の谷も激流におおわれるという様を想った。
 湯から上って少し傾斜地を登り、一面のガンジャ畑ごしに村と谷すべてを見下して坐っていると、脇からケンローが、
「さっきの男みたいに、ああやって二年、三年と国へ帰らなくなってしまう者が多いんですよ。この辺りへ一度来るとそうなってしまうのかもしれません。僕も実はそうなんです」
 と眩くように言った。男が「ホウ」と顔を向けると、
「最初は女連れだったんですよ」
 とケンローは低声で語り出した。
 それによると、彼は四年前、恋人と一緒にこの国へ来た。元来音楽家だったからその方面の勉強を相応にしていくつもりもあったが、半ばはさっきのダンと同じようにただ漂うだけの感じもあった。ところが、何気なくこの地へ来、半月程も茫然と過しているうち、向うのデバ・ギリの村の音楽僧のことを聞き、急に行ってみたくなった。で、恋人ともども訪れてみたところ、僧は誠に妙なる楽を一曲聞かせてくれた上、弟子入りしたいのなら女を帰し暫くここで僧と生活せよ、それが試験だ、と言った。ケンローは止むなく恋人に暫くタト・パニで待つようにと言い含めて帰した。試験はせいぜい一週間か十日くらいのものだろう、合格するにせよ断られるにせよ、先のことはその時点で相談すればいい、と考えたからだ。けれども、試験はそのまま一夏に及んだ。ケンローはその間毎日、早朝から夜まで僧の身の回りの世話をさせられた。堂を掃除し、神像を磨き、一日二回の食事を整え、谷まで降りて水を汲んだ。水は汲み上げると共に僧に理由もなく捨てられ、すぐまた汲みにやらされた。一切無所有になれと言われ、持金も預かられた上、夜は石の床に毛布一枚で眠らされた。ケンローはよほど逃げ出そうかとしばしば考えたが、通常の意識は次第に麻痺していく感じがあった。それは苦のゆえでもあったけれど、どこかに曰く言いがたい快楽の匂いもあった。そうして三ケ月後、入門を許され、タト・パニヘ戻ってみたら、当然ながら恋人はすでにいたかった。下の境界の町へ降りてみても同様だった。
「さすがにその時は呆然として、何か自分は大きな誤りを犯したのではないか、自分はどこかいびっで、ひどく身勝手な人間なのではないかと悩みましたが、でも結局そのままですね」
 ケンローはそう言って、薄い山羊髭の上の口を軽く開いたまま、谷間の深い崖の方を見つめていた。話はそれだけだった。長い身の上話でもなければ、これ以上の詳細が語られた訳でもない。だが、以来四年、デバ・ギリの村と下の境界の町で、手の指に深い溝が出来るほどに楽器を奏し続けたという事実だけで、男はその話の意味を理解した。
「何だか随分昔の話を聞いたような気がしますね」
 男はそう眩いて、向うの白い巨大な神の山を眺めた。


 ところが、そのデバ・ギリからのトラックはその日夕方になっても到着しなかった。車か道路かに故障があったのかもしれない、宿の者がそう言い、男たちは夜まで車の音に耳を澄ませたが、谷間には風の音が大きな笛の音の如く鳴り渡るだけで、人工音は一切聞えなかった。
 男たちはまた翌日一日をこの地で過すことになった。温泉に、ハッシに、山の民の徴笑に、神の山に、谷に、厠。男はここへ来てたった三日なのに、早くも下界のことは半ば忘れかけていた。
 そうして、その夕方、昨日は客も荷も殆どなかったので出発を一日遅らせた、とあっけらかんと笑う運転手と共に、幌つきの小型トラックがやっと着いた時、男は初めて迷った。なぜなら、下の町からの週に二度の往復バスもほば同時に着いていたからだ。
 日付は二月二十一日だった。明日デバ・ギリヘ発つとすれば、仮に中一日向うで過ごすだけとしてもここへ戻るのが二十四日、一泊してすぐ下の町へ十一時間がかりで降り、翌日、飛行場のある都市へ辿り着いたとして二十六日で、辛うじて月内に国へ戻れるかどうかだった。一ヶ月の休暇はそれで切れる。無理矢理とった休暇だけに、三月になっても出勤しなければトラブルが起るだろう。下手をすれば辞めることになるかもしれたかった。しかも、この日程はあくまですべてがうまく接続してのことだった。今までの経過からすれば、その可能性は果して五十%もあるだろうか。
 男は煩悶しながら、寝袋にもぐった。脚も躰も丸め、両腕で胸を抱きかかえ、胎児のような形で自らの体温を感じつつ、山道を孤りで歩いている夢を見た。道は森の中をどこまでも続いていた。先にも後ろにも何も見えない。いや、遠くで徴かに自動車の音が懐しい故里の音の如く聞え出し、やがて黒い箱車が近づいてくると、それは女神の絵を背に描いたあの一頭立ての馬車だった。シャラン、シャラン、馬車は軽やかに音たてて走り、男はいつしかそれに乗って川岸を雲に乗る如く進んでいた。行く手には白い霧が湧き立ち、男はその中へ今度は本当に空界に舞い上るように、馬車ごと飛びこんでいった……
 翌朝、村は深い霧だった。谷底から山全体を蔽うように白い霧が湧き出し、人々は五メートル先も見通せなかった。
 男はその中で黙ってリュックを背負ったまま神の山の方角を見続け、そうしてやがてうっすらと霧が晴れていくと共に、ケンローと肯き合って、破れた幌つきのトラックの方へ歩み寄って行った。
                (了)