書評『森敦との対話』森富子(集英社刊)

                      希有の出会い
                                          夫馬 基彦


 私はかつて森敦さんの晩年に十年弱だけ謦咳に接した者だが、それだけ付き合い、いくら森さんの作品を読んでも、解けぬ謎があった。それは、これほど個性豊かで、天賦の才があり、文学一途で大変な勉強家が、なぜ六一歳まで殆ど作品を世に出さなかったのか、であり、もう一つは森さんの具体的生活、つまり経済や家族は一体どうなっていたのか、である。

 殊に後者に関しては、森さんは一〇年働いて一〇年遊ぶ、庄内地方での放浪は妻と楽しく過ごした、みたいな言い方をされるが、本当にそんなことが可能だったのか、奥さんはそもどんな人だったのかが一向分らぬのだった。加えて森さんの横には自宅であれ外であれたいてい、養女と称する、その割には歳勘定が合わないような富子さんがいたが、この人はいったい誰なのかも大いなるフシギだった。

 それらがこの本を読むと、一気に解消した。当の富子さんが長年の封印を破るようにして、率直に、愛惜をこめて書いておられるからだ。

 奥さんはまるで天真爛漫な童女ふうで、富子さんのことを「むすめ、むすめ」と呼んではその洋服をねだり取ってしまうような人であったこと。富子さんがいかに熱烈な森敦ファンであり、弟子であり、森夫妻への献身者であったか。長年、理論ばかりで書くことにはむしろ臆病だった森さんを、富子さんがいかにして書く気にさせ、原稿やゲラを浄書し、ついに名作「月山」を完成させたか。

 それらの間、森夫妻が過ごした調布市のアパートや、ほど近い富子さんのアパート(そこは毎日夜七時からは森さんの書斎となった)での、森敦と富子の対話・交渉はいかなる風変りなものであったか。そして、いかにして富子さんは森さんの養女となり、奥さんは亡くなったか。

 推理小説の結末同様、惜しくて教えられないが、世にはこういう希有の、明らかに運命的出会いがあるものだとつくづく感動させられる。                                        (作家)

              (赤旗 2004年10月3日 日曜日 読書欄掲載