夢現の時間
                                
夫馬 基彦

 私はかつて能に関心を持ち始めた頃、「夢現」という言葉に惹かれた。観世寿夫氏がどこかで使っておられた語で、夢幻能という言い方は正確ではない、本来的には夢現能と呼ぶべきである、との趣旨だったと思う。
 確かに夢幻能の構造は、脇やアイが登場する現在の時間と、中入り後の夢(過去)の時間とによって成立しているから、過去と現在、夢と現(うつつ)と把えた方が合理的な気がする。夢幻だとすべてが夢まぼろしになってしまう。

 そして私は、当時書いていた小説に「夢現(むげん)」というタイトルをつけた。内容は、千葉県市川市に住み始めた三十代の青年が市内の手兒奈霊堂を訪れる。そこは住宅街にポツンとある白っぽい方形の空間で、万葉時代から、漁師の娘だった手兒奈が二人の男に言い寄られ、迷いの果てに自殺してしまった伝説がある。

 青年は「求塚」にそっくりの話だなと思い、数年前インド放浪中の仏蹟地ブダガヤで見た光景を想い出す。若いのに裸足にブランケット一枚の日本人流浪者が、夜ひとり「求塚」を謡い舞って見せたのだ。流浪者には強い葛藤がありそうだったが、自分はもはや空気のヴェールの向うにするりと抜け出すように別の時空に来てしまった、もはや元の時間や日本には戻れない、と言う。

 青年は帰国数ヶ月後、突然、その流浪者の老いたる母の訪問を受ける。母は、あれには恋人らしき女性がいた、会ってみてほしい、と頼む。
 鉄道が終点になっている先がそのまま虚構じみた遊園地豊島園の入口になっている、白っぽい方形広場脇の喫茶店で会うと、稀にみる美貌のその女性は、全共闘青春時代の火炎瓶闘争の光景を語り、流浪者はリーダーだったが、しかし彼が思いこんでいるらしい三角関係なぞなかったと言う。むしろ青春期にありがちな自己中心的な妄想だったのではと、左右の焦点が少し違うような眼差しで語る。青年はその目に惹かれる。

 ふと意識が戻ると、場所は元の手兒奈霊堂前で、変哲もない住宅街を歩き出すと、驚いたことに三人連れの淡い着物に袴姿の若菜摘みの娘たちに出会う。ハッと目を瞠ると、それは近くの女子短大の卒業式帰りの女性たちらしい。時空はすべて元通りである。

 もう三十年近く前の作だが、これを含む作品集を私は『夢現』(中央公論社)と書名にもした。わが第一創作集である。今読み返すとあれこれ直したいところも多い青春の書だが、しかし懐かしい。

 と、こんなことを思いだしたのは、先だって「浅見真州の会」三番能でほぼ三十年ぶりに「求塚」を見たからだ。
 以前見たのはどなたのものだったか、不謹慎ながらどうしても思い出せない。本当は観世寿夫さんの名演とされた「求塚」を見たかったのだが、氏は直前に亡くなられていたため、あれこれ探して見た気がする。

 私はその後「橋の会」創立時からの会員になったので、浅見真州さんとはずっと舞台で馴染みだ。歳も、氏が二つ年長と近い。
 だから、歳ふるごとに親近感もましていったが、しかし壮年期までの氏には骨格のせいもあってどこか無骨感があった。殊に女の役になると肩が物理的に張って、合わないような気すらした。

 だが、この日、六十五才の誕生日という氏は、円熟していた。多少の加齢が骨格のいかつさも消したのか、柔らかく、重層する時間を自在に往き来し、私はいつしかかつての己の時間と一体となるがごとく恍惚とした。
 地謡もよかった。かねがね私は「求塚」は地謡の良さが一番出る曲と思っているが、潮のような音の波が時空を寄せては返し、超越感覚さえ生じさせた。

 こういう舞台は、私の個人的事情ならずとも三十年に一度のものではなかろうか。本当によかった。    (了)
    【能楽ジャーナルNo37(2006年9月)所収】