風人日記 第十六章

神々の島から
  2006年1月3日〜


2006年元旦、沖縄本島最高の聖地とされる斎場御嶽、三庫裡から
久高島を望む。ちょうど真東の久高島から沖縄創世の神アマミキヨが
本島に降臨し、沖縄史が始まったとされる。
海上かすかに見える平らな島が久高島。夫馬撮影。






このページは日記であると同時に日々のエッセイ集、さらには世の中への自分なりの発言、時には創作かもしれぬジャンル不分明な文章を含めた自在な場所のつもりです。とにかく勝手に書きますが、時折は感想を掲示板なぞに書き込んでいただくと、こちらも張り合いが出ます。どうかよろしく。



               お知らせ


「季刊文科」(鳥影社刊。秋山駿、大河内昭爾、吉村昭ら編集)33号発売中(1月25日〜)

  連作短篇「南島シリーズ」のうち、第3回「喜界島」掲載。



3月30日  映画「クラッシュ」(ポール・ハギス監督)のこと

 アカデミー賞「作品賞」の評判作ということで、1昨日見に行ったのだが、いやあ、なかなか書く気になれなかった。

 アメリカ・ロスアンジェルスを舞台に人種差別や人種間の軋みをテーマにしただけあって、見ている間から胃が痛いような感がし始め、見終わってもなおそうで、もう考えたくなくなるのだ。

 といって、監督の視点や描き方がいけないとか気に入らないのではない。むしろそれはなかなか的を得ており、中国人、黒人、イラン人、ヒスパニック系、白人(人種差別主義者もそうでない善意の人も双方出てくる)、それぞれが善悪両面かなり公平に描かれるし、全体としての思想はむしろ極めてまっとう、信頼出来る。

 が、それだけに今のアメリカ、進歩的といわれるカリフォルニアの、この種の問題に関する実情が、凝縮して出過ぎ、それがツライのだ。

 人間というのはどうしてこうなんだろう、自分は日本にいてよかった、アメリカ社会になぞ住んだら大変だ。理屈とは別に、そういう実感が否応なく湧き出てきてしまうのである。

 一方では、だがアメリカは自らこういう映画を作り、それを受賞させ、興行的にも成功させている、つまり大勢の観客を得ている、たぶん支持されているという実情もあり、ふところは十分広い。

 だから、これはアメリカが悪いとか、民主主義がどうという問題ではない。要するに、人間とはこういうものだ、本能的に差別的で、身勝手、他人に完全に平等にはなれず、善意の通りにも進まない、等々がいやというほど迫ってくるので、滅入るのである。

 思い出すと今でも滅入る。ゆえに映画評に徹しきれない。なかなかの映画だ、脚本も演出もよくできている、伏線の張り方もうまいし、作劇術としても上々、と思いながら、楽しくはなかった、後味も悪い映画だ、と言わざるを得ない。

 結論。1級の映画、しかし暫く食欲の減退する映画である。



3月28日  小説家小嵐九八郎氏の切腹傷跡

 下に書いた卒業式のあと、4年ゼミを持たぬ者は謝恩飲み会的なものもないので、副手を誘い3人で飲みに行った。江古田駅近くの寿司屋である。

 そこで飲み始め暫くすると、小嵐氏がすっくと立上がり、「手術の傷を見せるよ」と言って衣服をまくりパンツまでずり落した。

 と、仰天瞠目! みぞおちあたりから始まってほぼ縦に真一文字、おチンチンの上あたりでやや迂回、そこから先は見えなかったが右大腿部の付け根辺まで、まだ真新しい赤みを帯びた切開あとがミミズのごとく続いている。

 病名は正確に聞かなかったが、要するに大腿部に至る大きな血管がタバコの吸いすぎで詰まり始め、上から触っただけでジャリジャリしていたため、血管ごと人工製に取り替えたのだという。

 手術は12月に行い40日間の入院だった。
「痛いのなんの。昔の内ゲバの痛さを1か2としたら、100くらいの痛さだぞ。それが体の奥底からズキーン、ズキーンと来る。分る?」

 鉄パイプで殴られた痛さを想像するだけで冷や汗が出る身に、分るわけがない。ただ、想像力は勝手に動くから、頭がボーっとしてくる。

 本能的に切り換えた頭は、それにしても大学同期生ながら小嵐氏は腹が全く出てないな、タバコの効用だか何だかいい面もある、なぞと考え、しかし、オレはいくら腹が出てもいいからやはりタバコは吸うまい、としみじみ思った。



3月26日  昨日は卒業式

 年に1回、教え子たちの着物姿、背広ネクタイ姿を見る日だ。18,9歳の時の顔が浮んで来、だいぶ大人になったなと思う。

今年は4年ゼミを持っていなかったので、直接言葉を交す諸君は例年ほどではなかったが、それでも10名以上が挨拶に来てくれ、家族に紹介されたりもした。

就職先が決まっていたり、方針がはっきりしている諸君は4月から新しい門出だし、そうでない諸君もとにかく学生というモラトリアム期間は終ったわけである。

今後は大変でもあろうし、これからこそが本番だとも言える。
何はあれ、おめでとう。そしてやはり頑張れと言いたい。



3月25日  MIXI 1ヶ月

 2月21日付でmixiなるものに入ったと書いたが、ほぼ丸1ヶ月が経過した。2月は28日しかなかったから30日たったところで報告しようと思っていて、今日になってしまった。

 総括的に考えると、功罪両面あるものの、なかなか面白かったというのが一番妥当であろう。

 功の方は、@社会の広さが改めてよく分ったこと。
日常生活ではほぼ決まった人たちにしか会わないし、それは大学教師だったり物書き・編集者関係が大半で、世間的にはかなり少数者だ。いつのまにか世間が狭くなっていたところがある。

 Aネット社会の実情がかなりわかること。
 若者はじめ、大人たちにもネットがどんなふうに使われているか、どんな効用があるか、が分る。全般的にはやはり若者中心のメディアだが、2割程度は大人もいて、いろんな使い方をしている。

 B個人的には何年も前の教え子とか、日頃あまり直接付合いはない人との交流が促進出来た。また全く新しくネット上で知り合いが出来た。これはどれも楽しい。

 Cアクセス数も今朝現在1845あり、うち約5割は未知の人と思える。それらからHPへのアクセスもあったと思え、カウント数が増えた。これは所期の目的の一つだったので、まずまず成果を出したと言える。

 D書き込みやメッセージがどこからでも出来るので、自宅のパソコンにこだわる必要がない。ゆえに見る回数も増え、生活の中での楽しみになった。

 などであろうか。
 罪の方は、@時間をとられすぎかなという気が少しすること。
ただし、これは、それなら見る回数を減らせばいいだけだから、自分の責任である。

 Aアクセスの足跡を辿ると、中にはエッと言う種類の人もいたり(妙な自己顕示癖の人やあやしげな趣味の人)、言いにくいがあまりにレベルが低すぎるとゲンナリすることもある。これはとにかくページを開いてみないと分らないから、開く時少々身構えざるを得ない。

 Bひょっとしたら自分が極めて無防備に自分をさらしているのではと、思えてくる時があること。ただし、これは考えてみればHP自身がそうだし、本を出すこと、あちこちの人名辞典類に名を出すこともそうだから、物書きとしてはやむを得ないかもしれない。

 C1回だけだが、ウイルスメールが来たことがある。むろんmixiのせいか否かも分らぬことだが、この1年ほど全くなかったのに,mixi開始後暫くして来たからちょっと疑ってしまった。ただし、メールサーバーの方ですぐ破棄してくれたから実害は何もなく、さほど気にしていない。

 こんなところだろうか。探せばもっとあるかもしれないが、今はこれくらいが思いつく。
 結論的には、初めて車を買った時、初めてネットを始めた時などの気分に似ている。功罪両面あるし、面倒や危険もあるかもしれぬが、でも面白くもあり、先行きだんだん今ほどは使わなくなるかもしれぬが、やめることはなさそうという実感である。

 具体的に一番いいのは、やはり足跡が辿れ、相手がどういう人かおよそ分ることだ。一応の礼儀があるし、世間が自宅にいて分る。コメントやメッセージも手軽に書く気になれ、外出嫌い、直接の付合い嫌いには有難い。

 このHPを見て、関心を持たれた方、mixiの方も覗いてみて下さい。周辺にたいていミクサーの一人や二人はいるでしょうから、そういう人に頼んで紹介者になって貰えば無料で入会出来ます。



3月24日  珍しくはしご酒、疲れ酒

 私はめったに外で酒を飲まない。酒は大好きでほぼ欠かさず晩酌をするが、外、特に繁華街などへ出かけてまで飲むことは好きでない。

 だから、誘われなければまず行かない。が、昨日はしばらく前一人が言い出したのへ私も積極賛成し、会議のあと5時半頃から、同僚3人とターミナル駅近くで飲むことになった。以前仕事のあとに割合よく飲んだのに、この1年余どういう訳か疎遠になっていたので、久々に旧交を温めようと思ったのだ。

 学校のことなどは離れ、野球とか春休みのこととかのんびり話しつつ飲んだら楽しかろうと思った。

 ところが、始まったら話は学校のことばかりだった。しかも納得出来ないことが多い。だんだん苛立ち、やがて口論となった。

 それで一旦解散し、うち一人に口直しをしようと誘われ、2軒目へ行った。いわゆるはしご酒だが、店へ向かいながらこういうことはずいぶん久しぶりだなと思った。学生諸君と飲んだ時など、あまり飲まない諸君のため2次会に喫茶店へ行くことはあるが、赤い顔をして繁華街の酒場をはしごした記憶が思い出そうとして出てこなかった。

 口直しは穏やかに沖縄旅行の話などして気持も和んだが、帰路またさっきの話の続きというか余波になり、駅の地下街で立ったまま今度は私も鬱憤半分、熱心にしゃべり込んでしまった。

 帰宅すると11時半すぎで、風呂に入って床につくと、体も頭も疲れているのに、頭の中が勝手に話の続きをしたりして半睡状態だった。人、それも大勢に会ってくると、しばしば起る症候でもある。

 おかげで寝ても疲れ、今朝はいささか眠気がつきまとう。もともと人嫌い的要素はあったが、その傾向がだんだん増幅していきそうだ。



3月22日  勝った! そして少し考える

 昨日は一日中、野球に熱中した。19日の準決勝戦もそうだった。
 私としては全く久々のことだ。たぶん、その昔中日ファンだった少年時代、ドラゴンズが優勝した時以来である。

 スポーツに熱中して大声を上げたり出来るのは気持がいいもので、何だか若返った気分の私は試合終了後散歩に出、ちょっと道の選択を間違えたのもものかわ、どんどん歩き、結局2時間も歩いてしまった。

 おかげで熟睡、今朝も体調すこぶる爽やかだが、一つだけ気になることが生じた。
 イチローの発言をめぐる韓国側の反応で、「30年間日本に手を出せないように……」や、2次戦韓国に敗退後の「不愉快です」が、韓国側からするとある種の蔑視を含んだものととられたようだ。

 韓国側からブーイングが起るまで私自身気がつかなかったことだけに、そうか、確かにそうとられ得るな、と自分も含めた日本人側の意識を考えた。仮にアメリカ人選手が「30年間アメリカに手を出せないように」とか「(アジア勢などが勝ったら)不愉快です」と言ったら、我々も不愉快になる気がする。

 難しいものだし、こうした時ふと潜在意識が露呈する気もする。心すべきだし、今頃アメリカ人、韓国人が今度の結果をどう思っているか、本音の部分を知りたいものだ。



3月20日  関東平野の黄砂

 昨日終日吹き荒れた風は本当に凄まじく、まさに嵐だった。

 平野のただ中の14階にいると、ピューピューと鳴る音が恐いほどで、ベランダでバケツなどがひっくり返っていても、直しに出ることさえ出来ない。

 理由は風のほかに黄砂がもうもうと吹き付けてくるからで、遠景の地平線が黄色く覆われたほか、鍵をかけたサッシ戸から微粒子がいつとはなしに入り込み、書斎の机やパソコンは2回も湿りティッシュで拭いたが、そのつど真っ黒になった。

 この黄砂、かねがね中国大陸から飛んでくるのか、それにしては湿った日本海側、中央山岳地帯と経て来るのに、ずいぶん量が多いと不思議に思っていた。

 その疑問が解けた。昨日、MIXIでケンタリさんという多磨地方在住の81歳の方が、アレは関東ローム層の土が黄色いからだと書いておられたからだ。

 なるほど日本産黄砂だったかと、ある意味では納得だが、じゃ、関東特産で他の地方にはないのかしら、と新たな疑問も湧いてくるから際限がない。



3月18日  保釈

 昨日、ライブドアの宮内氏ら2名の保釈が報じられた。拘置所をガラガラ台車を押して出てくるところが写ったが、面白かったのは布団はじめ荷物がずいぶん多かったことだ。

 狭いはずの独房にあんなに入っていたのか、結構私物に囲まれて過ごしていたんだな、というのが第一印象で、暖房がないそうだから要するに防寒具が多いのではと次に考えた。

 1月から昨日までの50余日は、一番寒かった季節でもある。まだ若い壮年の身にもかなりこたえたろう。宮内氏が途中、空を見上げ、うしろのたぶん自分がいた建物を振り返ったのが、よく分る気がした。

 ホリエモンだけが釈放されなかったことを考えると、今後保釈組との間に落差が生じそうな気がする。すでに釈放組は、堀江は部下に罪をなすりつけている、と語っているそうだし、一方でホリエモンはそういう形で頑張り抜いている気もする。

 いずれにしろ、ホリエモンが保釈される時には、ライブドアは実質他人のものになっており、部下も誰もついてこず、彼はその意味で天涯孤独になるかもしれない。

 いや、佐藤優や植草一秀が結構頑張っているように、彼にも手をさしのべる人はかなり出、また予期せざる展開がありそうな気もする。私はそちらを期待する。世の風潮や多数派、まして権力なぞに唯々諾々と従う必要はない。



3月16日  うらやましうき世の北の山桜  はせを

 春休み中だが、会議だけはぽつぽつある。
今日の教授会の席上、前回をもって退職承認された某教授が非常勤講師になる旨、報告された。

氏はまだ61歳、定年にはそうとう間があるのに自ら辞められた。画家に専念したい、もう雑務などしたくない、だんだん時間がなくなってきた、という理由らしかった。

非常勤なら週に1,2回来て絵の実技指導だけすればいい。入試のこととか会議とか日常雑務をせずにすむ。

あー、そう出来たらいいなあ、自分もそうしたい。そう思った人はたぶん何人もいたのだろう、この教授の話題が出るたび、皆何となく羨ましげにしてもの悲しげな表情をする。



3月15日  おくのほそ道 越後村上界隈

  13,14日と新潟県北部の胎内市、村上市へ行って来た。芭蕉の「おくのほそ道」の足跡を訪ねてのことだが、えらく寒かった。

 日本中がそうだったらしいとはいえ、湯沢から浦佐あたりは積雪3メートルほど、新潟周辺は殆どなかったが、彼の地は雪がちらつき、朝目覚めると一面純白だった。

 気温はたぶん日中でも零度前後、夜以降は明らかに零下だった。長いつららが軒並み下がり、少年時代を思い出した。

 その中で、折から村上市では「町屋のお人形さまめぐり」なる催しが行われていた。3月3日から1ヶ月間、雛人形などを家々が飾り、誰にも公開しているのである。

 鮭屋や畳屋、呉服屋、菓子屋といった店が土間や裏の座敷に伝来の人形を飾って、家人が丁寧に説明してくれる。

 私は7,8軒見せてもらった。全部まわれば30軒はあるのではないか。ほかに資料館には大名雛、山車もあり、華麗なものだった。

 町にはイヨボヤ会館という鮭に関する博物館もある。三面川のすぐ脇まで地下道が掘られ、川床での鮭の産卵が実見出来るようにしてある。

 産卵は12月頃で、今は2−3センチの稚魚が見られた。4年後には北太平洋の長い旅の後戻ってくるというから、感嘆してしまう。

 観音寺なる破れ寺には明治に亡くなった仏海上人のミイラまであった。黒くひからびた本物である。山形の湯殿山注連寺で修行した人だそうだ。

 注連寺のミイラは以前見たことがあり、確か鉄海上人とかそんな名だった。わが師のひとりである作家・森敦さんの名作「月山」にも登場する。村上から庄内地方や月山は遠くないと実感し、懐かしさと縁を感じた。

 旅の一番の目的は、芭蕉の「おくのほそ道」になぜ村上界隈のことが明確に書かれていないかの謎を探ることだったが、それについてはもう少し考えをまとめてから書く。かなりの見当はついた。



3月12日  娘がやってきた

  ほしければ上げる本があると言ったら、昨日、取りに来たのである。
1冊は『国家の罠』(佐藤優)、もう1冊は『震度ゼロ』(横山秀夫)。

 前者は例の鈴木宗男事件で逮捕された外務省ロシア担当役人の著書で、なかなかの好著。大学は神学部出の異色ノンキャリアだけあって、言うことも行動履歴も面白い。

 被逮捕中の検察官とのやりとり、拘置所暮しのあれこれ、裁判経過、事件の裏側、どれも興味をそそられる。旧約聖書の話がチラチラ出るのがいい。

 2冊目はこの数年評判の警察小説作家の近著。小説としての出来はさほどではなかったが、地方記者出身者が描く某県警本部の構造、人物模様が面白かった。

 腰掛けで警察庁から来るキャリア本部長、僅か35歳で部長のエリートキャリア、50代の準キャリア、同じく50代のノンキャリア組部長連、更にそれらの女房連、が織りなす人間劇というわけだ。

 私としては珍しい読書内容だが、おかげで警察、検察、拘置所等の一面がよくわかった。折からホリエモン事件もあったし、彼の現況を想像するにも役に立つ。

 娘とは昼食後、川向こうをのんびり散歩した。梅匂い、水仙咲き、蕗の薹と土筆まで見つけて摘み、家に戻って蕗の薹の味噌炒め、土筆茹でにポン酢、途中の酒屋で買った黒龍の吟醸垂れ口で一杯やった。

 絶妙な春の味であった。



3月10日  鯉の性行動始まる?

 ?マークを付けたのは確信がないからだが、例年、春から4月にかけて起ることが、昨日あたりから眼下の柳瀬川で起っている気がする。

 鯉の成魚が岸に近い浅瀬あたりで重なり合い、ばちゃばちゃと水しぶきを上げ、時に大きくくねらせた体を水面に跳ね上げたりするのである。

 昨日ずいぶん暖かかったから、春と感じ取ってのことではと思えるが、ちょっと早すぎる気もする。本物なら、まもなく岸辺の藻の上に、数の子昆布みたいに半透明の小さく丸い卵がびっしり付くはずだ。

 以前それを採ってきて、水鉢で孵化させたことがあったが、うまく育てるのは難しかった。で、以来、折々岸に降りて観察するにとどめているが、メダカのような稚魚になって泳ぎだし、やがて5,6センチから10センチ弱の若魚になっていくのを見るのは、気持がいい。

 彼らの群を橋の上から見続けていると、連れ合いは「キミは前世、魚だったに違いない」と言う。ほんとにそうかもしれない。そういえば私は釣師らが鯉や魚を乱暴に釣り上げたり、岸に置いたままにして血がにじんだりすると、腹が立ってくる。

 じっと睨みつけてやったことは2度や3度ではない。食べもせず、ただ楽しみだけで他の生き物を苦しめるな、とどうしても考えてしまうのである。

 それでいながら、魚を食べるのは大好きで、新鮮な刺身に憧れるのだから、一体なんだろう。魚にしてみれば、拷問係と死体処理人の違いにすぎないかもしれない。身勝手なものだ。



3月8日  ゼミ飲み

 昨夕、学生諸君と久々のゼミ飲み会をした。バイトやら旅行中やらで出席は案外少なかったが、江古田の「おしどり」という古い居酒屋で寄せ鍋を囲んだ。この店は昔の漁師町の居酒屋みたいで、広く、活気がある。

 最近のこざっぱりした流行のチェーン居酒屋とはだいぶ違って、小じゃれたものは出ないが、実質がある。

 酒も案外うまい。出羽桜とか黒龍とか越乃寒梅(これは飲まなかったけど)など飲んべえ好みの酒があり、さっそく頼んだ。

 二十歳の若者たちは、飲むより食べる方がメインで、大いに食べた。それを見ながら恋愛の進行具合やバイトの稼ぎぶり、来年度の計画などを聞くのが面白い。

 新しい習い事を始めた者、行きたい外国をどこにしようか探す者、来れなかった者の品定め……。まあ、お定まりでもあるが、かなり個性的メンバー揃いだったので、なかなか楽しい。女子学生がぶきっちょにビールをついでくれたりするのも、こういう時でないと味わえない。

 デザートを食べに喫茶店へ二次会して、私は甘いぜんざいを食べた。学生たちは巨大なクリームパフェなぞを食べていた。お腹冷えないかしら。
 再会は四月新学年となる。



3月5日  ラクダの涙

 しばらく前に『ラクダの涙』(ビャンバスレン・ダバー監督)という映画を見た。モンゴル人の若い女性監督が、ドイツで作った映画で、舞台はもちろんモンゴルである。

 ほぼドキュメンタリー映画だが、やらせも若干ありそうな仕立てだ。おおざっぱなストーリーはゴビに住む遊牧家族にラクダの子が生れる。何頭もいるのだが、うち1頭が真っ白な毛の赤ちゃん。

 親はらくだ色なのにどうしてと思える。ラクダにもいわゆる白子がいるのかしら。
 そのせいか難産だったせいか、母親が子を嫌い、乳を与えようとしない。飼い主の一家はなんとかしようと知恵を絞り、ついに町から馬頭琴の楽士を呼び、その音色に合わせ、若い嫁が美しい声で唄を歌って聞かせる。

 馬頭琴の音はラクダの腹に共鳴するのか、ラクダは次第に優しくなり、子に乳を飲ませるようになる。そして、涙を流す。

 このシーンは本当にラクダの大きな、眠そうに見えていた目から、涙が次々あふれ出てくる。ヘーエ、本当に泣くのか、としばし見とれてしまうほどだ。

 だが同時に、しかしラクダは本当に子供の件で泣いたのかな、どうも人間の都合のいい解釈ではないか、ひょっとしたら他のことで涙が出たシーンをくっつけたのでは、という気もしてくる。

 が、映画は牧歌的で、遊牧生活の日常がよく出て面白い。登場人物の顔も朝青龍そっくりだったり、むかし田舎の小学校にいた同級生そっくりだったりで、いかにも懐かしい。

 よし、今度はモンゴルへ行くか、と思った次第。ただし、冬は零下40度、映画のスタッフはいつも誰かが体調をこわしてダウンしていたとか。厳しそうではある。



3月3日  文芸科2次入試終る

 2月はじめから続いていた日芸入試が、今日の文芸科2次試験ですべて終了した。
 文芸科は昨年に続いて今年も志願者数横ばいで、長期低落傾向にほぼ歯止めがかかった。

 2次試験はいつものように作文と面接だが、10時から開始し、面接終了は午後4時過ぎ。受験生諸君も採点者の教師も疲れた。

 内容もまあ、昨年並というところか。男子が多かったが、女性の方が出来がいいから、入学者は結局女性やや多しとなるだろう。

 あとは、4月のガイダンスで顔を合わせるのみ。いい子たちが揃ってくれますよう。
 これでやっと、教員の身にも春休みの気配が見えてきた。さあ、のんびりしたい。



3月1日  こぬか雨 春のヴェールをかけている  南斎

 前作(2月25日作)がどうも説明的で気に入らぬので、もう一つと思ったのだが、さて如何。

 昨日の民主党永田議員の記者会見は面白かった。頭を下げるは、下げるは。顔つき、おっちょこちょいぶり、いかにも若い感じ、すべて自民党の杉村太蔵君とそっくりなのがまた面白い。

 あとで別に登場した前原代表の顔も面白い。かねがね「デコ坊や」にそっくりだなと思っていたが、民主党の国会議員会で非難されている時の、質問者に視線を合わせず空を向きっぱなしの表情が、いよいよデコ坊やふうだった。

 デコ坊やとは、腹話術師が使う人形のことである。



2月27日  「季刊文科」南島シリーズCの短篇ほぼ上がる

 この1週間あまり集中していた「聖俗島」が、今日ほぼ出来た。36枚。
 もう一度見直しの必要があるが、大筋はOKの実感がある。一日おいて見直し、完成と思えたらメール送稿する。

 季刊文科は締切りから発刊までが長いので、気が抜ける面があるが、大河内昭爾、秋山駿、吉村昭氏ら先輩連の一種のボランティア雑誌なので、まあのんびり待つしかない。

 それを承知か今までも黒井千次、笠原淳、司修氏らがゆっくり書いてきた。今は私の番で、忍耐も順番のうちだろう。

 これまで「沖永良部」「与論島」「喜界島」としてきたタイトルも、今度は実在名を使わなかった。モデルには先だっての年末年始に行った沖縄周辺を使っているのだが、虚構性をより強く出したいためだ。

 久々の神秘小説、しかれども俗性十分というところである。



2月25日  梅はまだ 蝋梅ならと風きたる  南斎

 久々に車で寄居の温泉に行った。関越で1時間、見晴らしのいい丘の上の湯ぶねから見る秩父の山々は、すっかり春霞に包まれていた。

 湯のあと、いつも行く梅畑に寄ってみたが、蕾はふくらめど花は殆どなし。残念と呟いていたら、鮮度のいい香りがどこからともなく来る。見まわすと、下の畑脇に一群の黄色い蝋梅が満開である。

 嬉しくなって湯冷めもものかは、間近に寄って思い切り香りを吸い込んだ。近くに蕗の薹もいくつか顔を出している。やはり春だ。



2月23日  ペンクラブWiP(獄中作家)委員会

 年末に東京外語大で開いたWiPの日シンポジウム「ベトナムを知ってますか」以来、今年初めての委員会だった。出席は作家の今野敏、元編集者の千葉昭、詩人・帝京大教授の田村さと子、ノンフィクションライター兼翻訳家の永島章雄、東外大教授の川口健一、そして私の6人。

 やや少ないが、今年の計画策定に関して順調に話は進んだ。11月にアルゼンチンの詩人ファン・ヘルマン氏を呼んでペン会長井上ひさしとの公開対談を核とするイベントを開くことになった。国際交流基金の補助も得られそうで、まずは順調にいきそうである。

 私は宿題として、中国でこの2月2日に獄中死した41歳の夕刊紙編集者について、中国政府への抗議文を英語で作成することになった。どうも気が重いが、中国ではこのところネット上に発表した政府批判的文章を理由に懲役10年が宣せられるなど弾圧が多いから、座視するわけにもいかない。

 しかも後者の事例の際は、中国ヤフーが政府に執筆者の情報を知らせた。これはネット使用者としては重大問題だ。どう対処していくべきか、誰もが考えねばなるまい。

 終っていつもの居酒屋で2次会となった。会議では控えめ、大人しやかだった面々が急に、他委員会委員長の批判を一斉に始めたりして、可笑しかった。私も生ジョッキに加え日本酒2合を飲んでしまった。



2月22日  15分

 今日は学校で夕方近く委員会が一つあるので、出校した。
 会議は定刻通り始まり、委員長報告が5分ほどあった後、私が少し発言した。それをめぐってというか誘発され、3人ほどが発言し、私と委員長の間で多少のやりとり後、議論は収束した。

 そのあと、委員長が会議の終りを告げた。他に議題はないらしい。「えっ、もう」、あちこちで声が挙がり、時計を見ると開始後15分経過だった。立上がる人も出始めたから、本当に終ったらしい。
 
 私は「あーあ、発言してよかった。あれがなかったら今頃不愉快だろうなあ」と思いつつ、帰途についた。帰宅までに50分かかった。



2月21日  会員制ブログ

 2月2日にブログなるものを始めてみたと書いた。ヤフーブログだ。
 その後、大きな字で書けるものを探し、さるさる日記なるものにも顔を出してみた。

 が、それぞれの利点はあるものの、欠点も大きい。ヤフーは新アクセス数がはっきりする点、訪問者履歴が分る点はいい。しかしHPとのリンクが出来ないし、字がやはり私なぞには小さすぎる。

 さるさるは字はいいが、アクセス数や訪問者履歴が分らない。ウームと思っていたら、先輩作家で日本ペンクラブ電子文藝館館長の秦恒平さんが、mixiなるものに入ったとHPに書かれていた。

 名は院生の教え子から半年ほど前聞いたことがある。いわば会員制のブログで、紹介者がいること、身元が分っているので、あまりヘンな人物や荒しはないこと、訪問者は全員確実に分る、という話だった。

 その時はブログ自体が若者用媒体すぎる印象がして、関わる気になれなかったが、今度、若干の経験から、他のブログと違うメリットがありそうな気がして紹介を依頼、入ってみた。

 結果は今のところ、面白い。昨日入ってまだ丸1日少々なのに、早くもアクセス数40を超えた。紹介者が教え子だったからその周辺を辿ると知人がかなりいたせいもあるが、検索したら知人の作家や物書きも案外いるのも理由の一つだ。

 出身地とか苗字などで検索していく楽しみもある。
 何年も前の教え子が歌手になっていて、新宿ゴールデン街に店まで開いていることも分った。

 すぐ交信出来、そのうち行ってみる気になった。ついでに彼女の同期生たちも誘うかなぞと考えると楽しい。

 いずれにせよ、確かに新しいコミュニケーション媒体のような気もするし、パソコン最初期にあったニフティー通信など「パソコン通信」が似ていた気もする。あれも会員制で、検索がいろいろ出来た。

 当分はこれの可能性を探ってみるつもりである。



2月19日  ワラビスタン不発、河鍋暁斎美術館へ

 今日は在日クルド人たちが多く住み、通称ワラビスタンと呼ばれている地があるというので、一見せずばやと出かけた。さほど遠からぬ埼玉県蕨駅前である。

 が、行ってみると、クルド人たちの溜り場という駅近くマクドナルド店にもそれらしきはゼロ、僅かに近くのパチンコ屋から出てきた青年2人がそれらしいので、パチンコ店2軒をまわったが、またしてもゼロ。

 場所が違ったかと西口に移ってしばし徘徊してみたが、こちらもそれらしき影はゼロ。さてはガセネタだったか。
 で、結局諦め、蕨市内にあるという河鍋暁斎美術館に30分かけて歩いていった。

 これはすぐ見つかり、住宅街の中に落着いてあった。幕末から明治にかけての狩野派から浮世絵的要素まで含んだ面白い絵師で、その曾孫の眼科医さんが蕨市在住であることから、こぢんまりした美術館を作ったものだ。

 幕末から明治初期の風俗ー例えば象や豹、虎が海外から来て、各地で見せ物興行を行った際の写生を元にした絵や、鶏、猫、鯉などの動物画、一つ目などの妖怪図、現在も谷中の伊勢辰で売っている千代紙の図柄など、変化に富んでうまい。

 小さいが3部屋見て歩き、最後には紅茶まで付いて300円の入場料は安かった。何だか喫茶代を引くとタダで絵を見せてもらった気分だった。

 ワラビスタン不発のがっかりをそれで帳消しにし、帰りは西川口駅まで歩いたら、駅前界隈はヘーエというほどの風俗街だった。真っ昼間だったので人出もネオンもないが、そこらで突っ立ってタバコをふかしている中年男たちが皆妙に色白、不健康な顔つきで、いかにも水商売ふうである。

 夜ならおそらくガラリと変った表情になるのではと、面白いような、めったに街へ出ぬ私には随分違った世界に見えた。



2月17日  ホリエモン保釈されるか、再逮捕か

 武部自民党幹事長次男への3000万円振り込み疑惑の浮上で、ヘーエやはりそういうことがあったのか、と思わされたが、まだ真偽のほどは分らない。

 注目点は、ホリエモンが保釈申請をしたことだろう。容疑は一切否認中とされるから、それでも保釈となれば検察は敗北だ。そこで考えられるのは、一旦釈放しておいて、拘置所の庭で新たな容疑で再逮捕、という手だ。

 昔からこの手は、せっかく釈放と喜んでいた被疑者をがっくりさせ、いわゆるオトシ易い策とされている。検察はおそらくそれを狙っているのではないか。再逮捕容疑は「粉飾決算」でもいいし、タイミングよく「3000万円メール」が出てきたところをみると、そっち絡みかもしれない。

 それにしても次々といろんな話が出てくるものだ。沖縄で死亡した野口氏なる人物に関しては、近頃ではやくざによる他殺説の方が優勢なくらいである。

 虚実とりまぜた情報をこれでもかと撒き散らされる側は、うかつに信じないよう一歩身を引いておく必要がありそうだ。



2月15日  入試相次ぐ

 先週の日芸第1回美術・音楽・放送学科に次ぎ、昨日は第2回映画学科の一般入試であった。美術学科を除き各科とも受験者が減少。少子化の流れで半ばはやむを得ないとは言え、今年は新要因もありそうだ。

 映画の場合、立教大に映像学科ができ試験日がバッティングするとか、早稲田に映像専修学校ができたとか、地方にもその種のものが続々できているらしい。

 来週の第3回は写真と演劇学科だが、写真も世のデジタル化現象に追われ、旧来のアナログ的やり方自体が追い込まれているようだ。企業も名門ニコンまでがカメラから撤退した。

 今日は大学院一般入試である。文芸学専攻は志願者数名らしい。私も担当するが、さて、どんな人たちが来てくれるか、楽しみである。



2月12日  男系天皇万世一系論を嗤う

 このところ皇室典範改定問題、紀子さん懐妊などから、天皇は男系万世一系であり、今後もそうあらねばならないという意見が沸き起っている。主張者の中には、それがまるで日本の伝統と文化の根幹であるように力む人までいる。

 だが、本当にそうか。
 何より天皇家の系図のうち、@神武から始まって初期14代までは神話的想像であり、歴史的に存在が認められているのは15代応神天皇からであり、A26代継体天皇は、先代武烈天皇で皇統が絶えたため、近江の豪族に生れ越前の豪族のもとで育った人物が、武烈の姉(妹説もあり)と政略結婚(9人目の妃)して、「大王」(当時はまだ天皇の呼称さえなかった)を名乗ったものとされている。

 ただし、彼は応神後四世または五世の孫ともされているから、いわば遠縁だったのではあろう。
 が、507年に河内の国で「大王」を名乗った彼は、約20年都に入れず、526年やっと都入りしたが、翌527年には反乱(磐井の乱)が起ったという曰く付きである。

 つまり、彼の皇位を認めていなかった人たちが大勢いたわけだ。また、少なくとも継体以降27代からの天皇は、常識的には女系といった方がよさそうだ。四世または五世の孫となると、平たく言えばひい祖父さんの更に父親か祖父となり、通常の感覚では親族とはもう言えないし、他にも同程度の血筋はいっぱいいるのではと思える。それより母親の血筋の方が当然周りからも重視されたろう。

 また、その後も北朝の後鳥羽天皇は三種の神器がないままの即位だったし、血統的には南朝の方が正しいとは昔からよく言われる。『神皇正統記』の北畠親房も皇臣楠木正成も南朝支持だ。

 男系論者はよく、男子たることを決めるY染色体は男子にしかないから、男系ならそれがずっと継承される、ゆえに男系がいい、とする。しかし近来の遺伝子学では、Y染色体にも乗り換えや変異は頻繁に起るとされ、つまりY染色体の内容が何代も確実に継承されていくわけではない。

 いわんや、仮にY染色体が継承されるとして、それは46もある染色体のたった一つに過ぎない。他の45の染色体がより近い血筋のものである方が、全体としての継承度は遥かに高い。それに一体、そのY染色体にいかなる遺伝子が含まれているのか。それは果して何がなんでも継承されねばならぬものなのか。

 等々を考えていくと、男系論者の論拠などばかばかしくなってくる。
 天皇の継承自体、歴史の中ではそのつどの事情で決まっていったのだ。現代は現代らしく、時代に応じて決めればよい。現天皇自身も要所で「日本国憲法を守り」と述べており、その憲法には男女平等と書いてある。

 更に言えば、今回のような訳の分らぬ事態が生じてくるなら、いっそ現行天皇制の是非自体も考えるべきであろう。イギリスなどでは、国民が何のてらいもなく王室存続の可否を論じている。それが主権在民であり、それが伝統となってこそ文化国家である。



2月9日  雪の信州

 所用があって信州へ行って来た。
 まず飯綱高原へ行ったのだが、新幹線を降りた長野市街は晴れていたのに、車でほんの3,40分山を登って高原へ着く頃には雪模様となり、戸隠蕎麦の昼食中も、その後の訪問先でも窓外はずっと雪だった。

 遠景で見ると水墨画ふう、近景は純白で、空中に降る雪を眺めていると、どこか幻惑感さえ生じてくる。

 麓の長野市に降りると、積もってはいるが雪はほぼやんでいる。薄暗くなっていくなか、車で上田市塩田平まで移動し、別所温泉の真田幸村隠し湯なるひとり150円の共同湯に入ったあと、舞田という集落のはずれで一泊した。雪はなく、真の闇ばかりがあった。

 朝、シャー、ザーッという音に目が覚め、まだほの暗いなかカーテンの蔭から覗くと、外はうっすらと雪景色で、音は早起き人の雪かき音だった。

 もう少し寝、明るみと共に起き出すと、外は本格的に雪で、飯綱高原とは違ってかなり広々した盆地および周囲の山々が、一面の雪景色である。

 きれいだなあ、きれいだなあ、と言いながら紅茶とチーズパンの朝食をとり、オーバーを着て表へ出ると、耳が痛いほどに冷える。持って出た温度計を玄関前に置いて、集落内を少し歩いて戻ってくると、温度計は零下2度になっていた。庭の真ん中ならもっと低かったろう。

 いやあ、信州の冬はほんとに寒い。北海道と並ぶ寒冷地だと改めて実感し、僅か新幹線70分ほどで大宮へ戻ってくると、窓外を見ただけで穏やか暖かそうな風情に、近いのにこんなにも違うのかとまた不思議な気がする。

 思いがけぬ雪見の二日であった。



2月5日  映画『ミュンヘン』を見る

 昨日、近くのシネプレックス新座で封切り初日を待ちかねて見た。
 スピールバーグ監督が、かつてのミュンヘンオリンピックでの、パレスチナゲリラ「黒い9月(ブラック・セプテンバー)」によるイスラエル選手ら11人人質事件を直接動機にした作だ。

 この事件はイスラエル国家によって国を奪われたパレスチナ人側が、それを「世界に訴え、人質と交換にパレスチナ人政治犯の釈放を求め」起したものだが、人質を空港から移送しようとする際、イスラエル特殊部隊によって攻撃され、結果的にゲリラ側・人質側双方20人ほどが全員死亡した事件である。

 イスラエルはこのあと、ゴルダメイア首相直々の命でモサド(イスラエル秘密諜報機関)に報復隊を結成、事件を指令したパレスチナ側幹部11人の暗殺を指令する。映画はその顛末を若き暗殺隊長を軸に描く。

 スピルバーグは自身がユダヤ人であり、ナチスによるポーランドでのユダヤ人虐殺テーマの『シンドラーのリスト』を作った人でもある。

 だから、どんなふうに描くかに興味があったのだが、要約すると、@見ている最中はハラハラドキドキ夢中になって見、A2時間半かかって見終わった直後は、ややくたびれ、力作だったと思いつつ、しかし何か物足りなさや疑問点も感じ、B一晩寝てみた今は、結局、映画全体としてはあまり上出来ではないという感想が固まってきた。

 理由は、映画の80%はサスペンスと派手なドンパチの連続のため、ともあれ引っ張られてみてしまう(@の理由)が、要するに人殺しシーンの連続と大音響にいい加減くたびれる(A)。そして、なぜこう簡単に進行していくのか、暗殺隊の隊長以下メンバーたち(4人中2人はいい歳の中年男である)はどういう人間かと疑問を持たざるをえない(B)からである。

 つまり暗殺隊の人間が殆ど描かれないし、隊長役にしろ、なにゆえこんな役を引き受けたかの理由がよく分らない。両親のことが意味ありげに出てくるが、意味ありげなだけでどういう意味かは遂に分らない。妊娠中の妻も何の反対もしない。

 また、暗殺対象の情報をフランス人のルイおよびそのあやしげな組織が、いとも簡単に次々提供してくるが、そのルイとはどういうふうに繋がりが出来たのか、その組織は何なのか、が一向分らない。

 そして一番の難点は、この事件の根幹、イスラエルとパレスチナ問題の本質についての思考が、一向に出てこないことだ。オリンピックで軍人でもないスポーツ選手が人質にされたことへの怒りは分るが、パレスチナ側がそうした理由、人質を死に追い込んだのはイスラエル側自身であったこと(政治犯釈放に応じていればこうはならなかった)、イスラエルは離散民であったユダヤ人悲願の国ではあるが、そのゆえにパレスチナ人の故郷を奪い彼らを新たな離散民にしてしまったことへの矛盾・葛藤、などが殆どゼロなのだ。

 結末部などに幾分その気配はあるとも言えるが、映画の展開や根幹には殆どない。要するに、この映画はサスペンス・アクションの要素をとってしまえば、かなり単純な、深みのない映画と言わざるをえない。

 だがまあ、見ることは勧めると言えば、矛盾するだろうか。



2月2日  ブログなるものを開設

 最近流行のブログの功罪をかねがね考えていたが、実行してみるのが早かろうととりあえず「ヤフー・ブログ」に「夫馬基彦の風人日記ブログ篇」を作ってみた。

 確かに簡単でわずか1時間足らずで出来るには出来た。まだ使いこなしは出来ないし、画面や字は小さく、このHPとのリンクも出来ず、満足にはほど遠い。

 内容もこの日記のほぼコピー版で、こちらの読者はわざわざ見てもらう必要もない。狙いは逆で、ブログの不特定多数読者を多少なりともこのHPに引き込もうという次第だが、どうなるかは全く未知数である。

 ブログの印象としては大衆性、通俗性、若者向き、お手軽、等が伴うが、代りに間口広く大勢との交流があり得る利点があろう。開設3日での印象はまだ何も言えない。コメントもトラックバックもまだゼロだ。

 まあ、しばらくやってみて効用がないようなら、やめようと思っている。画面表記の字が小さすぎるのは、老眼の身には早くも若干苦痛だ。
 皆さんの意見も聞かせて下さい。



1月31日  ケーブルテレビの効用

 しばらく前に地上波デジタル化対応のため、マンション内の多くがケーブルテレビに加入した。我が家もそのうちのひとりだ。

 当初はチャンネルナンバーが変ったり、数が多すぎたりで少々戸惑ったが、慣れるにつれ便利さも感じている。

 一番はアメリカのCNNを始め、日テレニュース、アサヒニュースター、日経ニュースなどニュース専門チャンネルが一挙に見られるようになったことだ。

 我が家は私も連れ合いもニュース好きで、従来はニュースを求めてチャンネルをぱちぱち変えたり、結局見つからず1時間待ったりだったから、常時ニュース番組は非常に有難い。それも日本語だけで3局もあれば視点の偏りも正せる。

 もう一つは映画専門チャンネルのあること。我が家は二人とも映画好きというか、私は若き日「杉並シネクラブ」という映画上映団体の事務局長役をしていたし、連れ合いはドイツ映画や台湾映画の紹介および字幕翻訳者としてプロだった。

 必然的にいまだに映画に目が向くわけで、選択肢が一挙に広がった。おかげで、このところは成瀬巳喜男監督作品をずっと見続けた。だいぶ通俗で、知名度ほど大した監督じゃないと改めて思う一方、幸田文原作の『流れる』なぞはよかった。まあ原作の良さ80%だけど、成瀬の通俗性が生きてもいた。

 デジタル化による画面の美しさも確かにあるし、今のところケーブル化上々の次第である。



1月29日  卒論面接終了 「日芸情報」欄の平成18年度講座案内を更新

 昨日、3時間半をかけ、通称卒論面接(正式には口頭試問)を終えた。担当分は主査・副査分あわせ11名。全員が合格したと思う。

 すでに3年以下の年末成績表を点け、教務課へ提出済みでもある。
 よって、これで卒業式・4年生への授賞審査以外、平成17年度分の日程は全部終ったことになる。

 さすがにホッとし、大過なかったことにまずまずの思いもある。
 その気分の冷めぬうちにと、このHP「日芸情報」欄の私の講座案内を平成18年度用に書き改めた。

 基本的には昨年通りだが、今年の進行具合を見て少しづつ改めもした。ちょっと気が早いかとも思うが、来年はどんな学生が来るだろう、どんなふうに前進させようかと考え始めもする。

 これでは休まらないが、すぐ先を考えてしまうのはかねての性癖で、今更直らない。まあ、あれこれ考えるのが楽しくもあるのだろう。



1月27日  学生の卒論・卒制を読む

 今年は4年ゼミを持っていないので、主査になるのは留年組3人だけ。あと副査が他ゼミの8人である。

 留年組3人のひとりは8年生、というか5年以降当人はもう中退気分だったのに、親が卒業だけはせよと授業料を納め続けていたケースだ。日芸の授業料は安くないので、総計300万以上になろうか。

 しかも当人は授業単位は全部取っており、卒論だけ残していたので、随分高い卒論代につく。しかも、その学生が去年暮、4年ぶりに1回だけ卒論指導に訪れた時、父親が同伴していた。

 親は私の同世代と思しい。気持は顔を見ただけで分った。私は学生に「いったい幾つになった。こんなこともひとりで出来ないのか」と思わず詰問口調になったが、学生も苦しそうな顔をしているし、向うでは父親が俯いて座っているので、それ以上は言えなかった。

 学生も「その金は今は借りておき、おいおい返します」と言う。だが、フリーターやってますと言うし、当分返済は無理だろう。Nよ、卒論は何とか通してやるから、頑張って早く返済しろよ。

 読む作業としては、今年は論文8人小説は3人だけだったので、比較的ラクだった。他ゼミが創作系ではないせいだ。論文は全体に短いし、論旨を掴めばさほど面倒はない。

 小説はうまかったり面白ければいいが、そうでなくてもとにかく最後まで読み、チェック事項を口頭試問(いわゆる面接)で質さねばならないから、ツライ。早い話、下手で詰まらぬ作を読むほどくたびれる。

 だが、いい作もあったし、論文からは昨今の学生や若者の内実がうかがえ、面白くもあった。



1月24日  マスコミと小泉政権にも罰を!

 ついにホリエモンが逮捕された。早いなあというのが実感だが、要するに株式市場をこれ以上混乱させたくなかったのと、事案がはっきりしているせいだろう。多分、ホリエモン以下宮内某その他、誰も事実関係自体は否定していないはずだ。

 濡れ手で粟、狡い詐術に対し一罰百戒のためホリエモンを血祭りにした検察の警世意識、国策捜査意識は分らぬではないが、それならこれまで彼を持ち上げ続けてきたマスコミや小泉政権にも相応の罰を与えるべきではないか。

 小泉政権は国会追及、支持率、選挙等の形でいずれかなりの罰を受ける可能性があるが、マスコミやマスコミ人種は又しても何のお咎めなしになりそうだ。

 テレビなぞ見ていても、文字通り掌を返し、正義漢面をしてホリエモンの罪をあげつらっている。中には前から分っていたみたいなことを言うヤツまでいる。分っていたのなら、なぜ今まで言わなかった。

 ホリエモンは確かに浮かれていたし、脱法的発想はフジテレビ株買い占めの時から明らかだったが、彼はそれをニコニコ公言してもいた。それが既成観念や常識にとらわれた社会に新鮮な気分をもたらしたのも事実だったのではないか。

 それを一番煽ったのがマスコミであり、ポピュリズム政権小泉一統だ。煽られたのは国民全般でもあったが、マスコミは影響力、したり顔の度合、安全地帯からの無責任さ、において一番罪が重い。

 皆、恥じよ。暫く口を慎め。
 ホリエモンは簡単に罪を認めるな。抵抗し尽くし、その上で熟考して、捲土重来を期せ。



1月22日  続報 何と川鵜500羽!

 下の21日のこと、更に鵜の目鷹の目で調べ、今朝、実地に土手へ出てみた結果、川鵜と判明した。決め手は口の周りと羽の付け根部の白斑。これは川鵜の繁殖期特有のものだそうだ。

 更に驚きだったのは、この川鵜、150羽どころか500羽ほどいたことだ。書斎の窓からは全部見切れなかっただけで、土手から見るといるわいるわ、飛び立つ時バタバタと体が重そうなのはそれこそ身重のせいなのだろう。

 首が短く見えたのも、14階の上から見下ろすのと下から見上げるのとでは、だいぶ印象が違うせいもあったようだ。

 いやあ、それにしても500羽とは。7,8年前の最盛期の鴨飛来数ですら300羽くらいだったから、破格である。

 やはり東京湾での餌異変のせいらしいが、地方によっては鮎や鯉の稚魚が食べられすぎるため、猟銃で撃ち落とす場合もあるとのこと。私も、柳瀬川のさほど多くない鯉の若魚やハヤ・鮒がなくなりはせぬかと心配だ。



1月21日  追加

 下に書いたのはもっぱら川鵜(留鳥)のつもりだったが、調べてみたら冬の渡り鳥に海鵜があるようだ。最近の寒さでそれが大量にやってきたとすれば話は合う。

 が、海鵜は鵜飼に使う種類だそうだから、それなら首は相当長いはずなのに、私が見た鳥はそんなに長くなかった。やはり謎である。



1月21日  横吹雪 鵜の群れ三十飛び立ちつ  南斎

 我が家から見る雪としては今冬初ものである。北側の書斎から柳瀬川を見下ろしていると、黒く長い首の鵜が何と30羽ほども水に潜ったり顔を出したり。やがて、横なぐりの雪しまきの中を上流側へと一斉に長い首を伸ばして飛び立っていった。

 川鵜は数年前まではせいぜい数羽来るだけだったが、この頃は随分増えてきた。なんでも下流の隅田川や浜離宮界隈など東京湾近くの餌事情が変ったため、ここらあたりへ移動してきのだそうだ。

 それにしても増えたなと思っていたら、10分ほどして今度は上流側から鵜に似た黒い鳥が来るわ来るわ、何と150羽ほども左から右へと3隊ほどに陣形をなして飛んでいき、殆ど呆然とした。

 え、これがみんな鵜!? しかし、その割には首が短く、さりとて烏とは羽の動かし方、飛び方が明らかに違っていた。一体、何だったのか? 御存じの方、教えて下さい。



1月19日  ライブドア強制捜査は反小泉派の反撃かも

 一昨日から突然起ったライブドア捜査問題は、ヒューザー小嶋の証人喚問と偽装建築問題からの目そらせ説や、逆に小泉権力の謀略説まで議論を巻き起こしている。

 確かに小嶋証人喚問の当日にわざわざやる必要はないから、「目そらせ説」は強制捜査日に関しては一理ある。が、捜査自体は何ヶ月も以前からであることを考えれば、目そらせは本質的には成立しない。小泉謀略説に至ってはまるで説得力がない。アホのたわごとである。

 ライブドア捜査で小泉・武部はやはりかなりダメージを受けるのは確実であり、現に昨日の自民党大会でももはや焦点は小泉以後、自分はもう小泉系ではないと示した方が得策、という雰囲気は自民党やその周辺にも出てきている。

 むしろ一番考えられるのは、捜査開始が去年の選挙直後からだったことからも、あの選挙で煮え湯を飲まされた側が恨み骨髄で反撃を始めた、それとかねてITバブルや若い新傾向に反発を覚えていた保守傾向の権力─つまり検察の気分が一致して「国策捜査」になったのではないか。

 反撃の方は、煮え湯組は30数人もおり、その中には警察官僚、法曹関係者、官僚、ジャーナリズム出身者等がいることからも、ライブドアに関するある程度の情報を集め、秘かに検察に告発するくらいは当然考えられる。

 落選組はもとよりかのホリエモンに肉薄された亀井氏などは、まさに怨念の塊であろう。そこへフジテレビやTBSなど背筋をヒヤッとさせられたマスコミ関係も絡んだかもしれない。
 自民党内にすら、いい加減小泉を蹴落したい人間は相当数いるのではないか。

 つまり、情報も力も十分な上、この数年来、「鈴木宗男問題」や「議員秘書問題(山本穣司から辻元清美、田中真紀子まで)」などの政治的懲らしめ─国策捜査を見てきた者にとっては、当然考えつくシナリオだ。

 さて、この帰趨、どうなっていくか。建築偽装問題とダブルセットで、9月の小泉退陣までドラマチックに動いていくのではないか。直接、権力もなければ関われもしない物書きとしては、「見者」としてじっと見据えていく。



1月17日  短篇一作上がる

 師走から書き始めていた短篇が、今日どうにか仕上がった。もう一日ぐらい寝かせておこうかとも思ったが、すでに昨日から何回か読み少しづつ直したので、もうよかろうと思えてきた。

 で、思い切って今、編集者宛メール送信した。さすがにホッとするというか、気持がいい。無論、また直しがないとは言えぬのだが、ともあれ一段落である。

 が、のんびりはしていられぬ。昨日、学校から今年の卒論・卒制が11人分ドサッと着いたからだ。今度は人の作を採点前提で読むわけだ。これもラクではない。

 今日は休肝日と宣言したので、晩酌も出来ない。せっかく区切りの日なのに淋しいなあ。
 (実は昨日休肝日だったのを、打ち上げと称し一日延期したのだ。すべて自分の責任である)



1月15日  林檎来る りんごの歌が口に出る  南斎

 毎月月初めに青森からリンゴを送ってもらっている。小さな箱に5,6個だが、月々銘柄も違ったり、何より新鮮で楽しい。

 それで箱を開ける時なぞ、ぷーんと匂う香りと共につい歌を口ずさんでいたりする。一つはロシア民謡の「♪りんごの花ほころび〜」、もう一つは幼い頃流行った確か石坂洋次郎作詞の「♪紅いりんごに唇よせて〜」という歌。石坂洋次郎は『青い山脈』『若い人』『陽のあたる坂道』など青春小説の人気作家で、大半が映画化された。

 「りんごの歌」も確かどれかの主題歌だったのではないか。「青い山脈」の歌は今でも歌える。島崎雪子というきれいな女優さんが歌っていた気がするが、間違いかしら?

 『陽のあたる坂道』や『乳母車』などは石原裕次郎主演だったはずだ。裕次郎が爽やかな青春もの主人公たり得ることを示した記念作でもあった。

 りんごは甘酸っぱく爽やかで、しかもどこか牧歌的気分にさせてくれるのは、そういう内的リンクが自然にあるせいかもしれない。



1月13日  授業一巡

 今日で江古田・所沢両校舎の1年から3年までと大学院の授業が一巡した。新年の挨拶と同時に、もう人によってはさようならである。試験等はあるからお互い学校へは来るが、顔は会わないかもしれない。

 特に所沢校舎は前期課程で行事が少ないから、あとは年度末教授会の時ぐらいだけかもしれない。2年以下の学生の顔は3ヶ月見ない可能性大である。

 江古田の方にはちょくちょく行くが、試験監督とか面接試験、会議などが中心になる。人前で喋るのはやはり相応に緊張するものだから、それがなくなるのはホッとする。また自分の創作に集中出来る気もして嬉しくもある。

 喋りのせいで、今日も喉がかれている。晩酌で温め、明日からは書こう。今日は曇って寒い日であった。



1月11日  大学始まる

 今日から大学の授業再開である。本日は大学院2コマ、学部1コマ。来週から試験日程にはいるため、実質本年度最後の通常授業でもある。

 久々だし、かつ最後となると、何となく熱が入って喋りまくることになり、午後3コマ分終ると喉がかれていた。これから成績点けも始める。

 明日は4年の卒論・卒制提出日だから、土曜日には宅配便でドサッとそれらが届く。たぶん総計1000枚は超えよう。それを28日の面接日までに読み、チェックしておく。結構大変である。

 学生諸君も4年生は今晩あたり徹夜する者もいるだろう。それがすめば彼らは2ヶ月半の休みとなるが、教師は来月には入試も控えているし、むしろ文字通り書き入れ時だ。さあ、頭を切り換え、違った形に引き締めよう。



1月9日  娘夫婦と昼食

 昨日は思い立って正月の顔合わせをした。といっても「昼御飯でも奢ろう」と声をかけ、二つ先の朝霞台駅近くの見晴らしのいいレストランでランチを食べただけだが。

 フランス風イタリア料理とでも言えばいいのか、パスタよりそれ以外が中々気が利いてうまい店で、ミニ瓶のスパークリングワインで「新年おめでとう」と乾杯した。

 さすがにすぐなくなって物足りないのでビールも一瓶とったが、娘婿は殆ど飲めず、連れ合いも飲まないので、もっぱら私と娘だけで酌をしあった。

 婿殿はこの日夜勤明けだったのに、9日の祝日また出勤だそうだ。中々ハードな仕事だ。
食後、近くの黒目川のほとりを少し散歩し、市営施設でのバーゲンセールを見つけ、覗いてそれぞれちょっとしたものを買った。

 私はスニーカー、妻はセーター、娘は食べ物、婿殿はMD。いずれもごく安い品である。フムフムと頷きあって電車に乗り、志木駅で別れた。正月唯一の祝事であった。



1月7日  松の内終る

 といっても正月的行事なぞなにもしなかった。せいぜい3日から雑煮を食べ続けたくらいだが、これは正月にことよせ好きな餅を食べていると言った方がいいかもしれない。

 今日は連れ合いはヨガの会の新年会なので、ひるは私一人なのだが、自分で雑煮を作った。鶏ガラでとっておいたスープに大根と人参の薄切り、そこへ焼き餅を二つ入れ、三つ葉代りにベランダのクレッソンと柚子を二切れほど載せるだけ。

 簡単だが、なかなかうまい。箸休めにわかさぎの佃煮と葉唐昆布少々。これで日本の正月の昼食としては十分と思うがどうかしら。

 部屋から見ていると外は上天気で暖かそうに見えるので、今日は仕事を半ドンにして散歩にでも出たいと思うが、やっぱり寒いんだろうな。遠景の山が白く、きれいだから。



1月5日  仕事、軌道に乗る

 2日に帰宅、3日からすぐ仕事と思っていたが、3日は年賀状・メールの整理、HPの新ページ造り等に一日かかった。

 年々こちらから出す年賀状は減らし、今年はついに4通だけ。加えて学生諸君らにははがきが来ても返事は出さないかもしれない、出来るだけメールで、と言っておいたせいでだいぶ来るものも減ったが、それでも両方合わせればかなりの量になる。

 おまけに一度に来ればいいが、3日4日5日とさみだれ式に来るから、中々きりがつかない。
 4日は今日からこそと思ったが、暮れの27日から丸1週間別世界にいた頭はそう簡単に戻るわけもなく、結局、終日資料読みに暮れた。

 というわけでやっと今日から始動したのだが、かなり快調、2時には6枚となったので打ち止め、散歩に出た。
 内地は寒い。関東はまだいい方らしいが、風は冷たく、今季初めて手袋をした。

 やっぱり沖縄は暖かかった。羽田へ着いた時、気温差15度だったのだ。日本も結構大きい。信州へ行く用もあるけれど、積雪50センチと聞くと、足が竦む。当分延ばそう。



1月3日  いよいよ2006年始動 聖なる島の矛盾

 暮れの27日から昨1月2日まで、恒例の沖縄へ行っていた。屋久島から始めこの何年か、毎年南島を3つくらいづつ南下していくことにしている一環である。

 今年は沖縄本島も3回目になるので、周辺の島にしようと伊計島(これは海中道路で地続き)、渡嘉敷島、久高島とまわった。

 渡嘉敷島はかつて大戦中の沖縄戦で300名以上もの島民によるいわゆる「集団自決」が行われた地だ。折しも同じ宿に全国高校「歴史教育者協会」のグループがツアーで来ておられ、持参のビデオを一緒に見せて頂いた。

 それは事件への直接参加者中ほんの数名の生残りの一人金城さんが、当時の事実を克明に語っておられるもので、それによると当時の島民は米軍上陸のあかつきは皆死ぬものといった雰囲気が醸成されていった。ゆえに村長が先頭になり棒で家族を順に殺していき、自分もまた実母と弟妹を石で叩き殺した。あたりは血の海になった。といった凄まじい話である。

 島は同時にノロ制度がまだ半ば残っており、渡嘉敷神社で出会った女性区長はほんの3年ほど前憑依体験を持つ神女(カミンチュ)だった。その人の案内で会った稲守ノリコさんは98才になる島最高位の神女だった。

 話が面白く、急に島の実相が違って見えてきた。私は終戦時頃はノロや神女が今以上に健在だったのなら、なぜ事件を予見し回避出来なかったか聞いてみたかったが、何かはばかるものがあって遂に聞けなかった。

 久高島の方はかねて神々の島として名高いだけあって、確かに時間が4、50年遡る感じで、島全体が牧歌性と霊性、自然との共生感に満ちた印象であり、クボウ御嶽を始めいくつもの拝所(ウガンジョ)に満ちていた。

 が、人口300名足らずのたった一つの集落からなる島は、同時に噂や陰口、狭い人間関係が縛る閉鎖社会であることも容易に察せられた。たった三日いただけで、島の人間関係のかなりのことが分ってしまう実感があるのだ。

 中学を卒業すると殆どが出て行ってしまう。高校はたいてい那覇に行き、そのまま帰りたがらない。殊に若い女性はろくにいず、40過ぎても結婚出来ない男がごろごろ、というのが実情なのである。当然、女中心の祭祀はあまり出来ない。

 ここのクボウ御嶽と対岸の斎場(セーファ)御嶽で、私は明らかに頭がボーっとし、視界が陽炎のように揺らぐ霊気を感じたが、そういった聖性と文明化、近代社会は相容れないものかもしれない。いつもながら残念なことではある。