風人日記 第十九章
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藍の朝顔
  2006年10月4日〜


これは午前11時頃撮影。ゆえに早朝よりだいぶ色も張りも衰えている。
縁など一部は少々萎え始めている。つまりいささかというかかなり
草臥れているわけだ。が、そこが己を見るようで親近感が生じる。






このページは日記であると同時に日々のエッセイ集、さらには世の中への自分なりの発言、時には創作かもしれぬジャンル不分明な文章を含めた自在な場所のつもりです。とにかく勝手に書きますが、時折は感想を掲示板なぞに書き込んでいただくと、こちらも張り合いが出ます。どうかよろしく。



               お知らせ (*日記はこの欄の下方にあります)


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 ベトナム戦争、911事件のニューヨーク、往昔の天山南路を素材の旅小説集。60歳前後や団塊世代から、戦争を知らない現代若者世代まで、誰もに面白い。





12月26日 寒い雨

 私はクリスマスも忘年会もなく、昨日は旅の荷造りと年賀状書きをした。

 年賀状といってもたった7枚である。数年前から年賀はだんだんメールに移していき、ついに今年はこちらから出すハガキとしてはこれだけになった。相手はメールを使わない、かなりの年長者が殆どだ。

 それでも届く年賀ハガキは毎年かなりあり、それらにはメアドが分ればメールで返事を出すが、分らなければハガキで返事を出すか否か思案し、やはり年長者やメール類にはたぶん縁がないだろうと思える人を優先して、返事のハガキを出す。

 ただし、用意するハガキはかなり少ないから、こちらのメアドを確実に知っているはずの現役学生諸君には失礼するし、だんだん日付があとになるにつれハガキ切れで見切りとなる。

 中には、年賀状はやはりハガキでないとと言う人もおり、それなりに分るが、そういう人でも文面や宛名がほとんがプリントされていたりすると、なんだか妙な気分になる。文面がまったく類型通り、住所も勤務先、の類は絶対返事を出さない。

 会ったこともないし、自分とはどう考えても何の縁もないと思える家族が列記してあったりするのも、なにかアホらしい。事前に来る「喪中につき年賀は遠慮」の通知状もしばしば首を捻る。よく知っている人の直接の両親や連れ合い、親密な家族が亡くなった場合は「そうだったなあ(あるいは、そうだったのか)。大変だったろう」と頷くが、遠く離れた妻の母の喪中などと書かれていると、そんなの関係ないだろという気がする。

 というわけで、だんだん減らしていっているうち、7枚になった。返事として出す分もたぶん今回は20枚以下になるだろう。ラクになってきた。

 明日から恒例の沖縄離島の旅に出る。今年は久米島、座間味島。むろん前後に那覇に泊るから、本島はこれで3年連続だ。元旦も向うだが、沖縄は旧正月なので、新暦の正月は那覇の一部を除くと殆ど何もないのが少々つまらない。

 何にせよ、天気が一番気になる。去年は久高島の暖房もない民宿で寒い雨だったし、一昨年はヤンバルで山道を散策中に降られた。どうか、お天気にナーレ。



12月21日 実質冬休み入り

 昨日、卒業試験の試験監督が終り、あと2日試験期間があるものの、私の担当分としては実質冬休みになった。

 おかげで今日は一日、自宅書斎にこもっていられたばかりか、もう授業や公的義務がないという解放感が身を包んだ。大学教師は普通の勤め人に比べれば時間的にも上下関係にも拘束はゆるく、だいぶラクな勤務なのだが、それでもやはり宮仕え感はあり、ふだんの息は抜けない。

 授業再開は来年1月9日であり、約20日間の休みというわけだ。この27日からは恒例の南島めぐりに出かける。屋久島から始め、年に島を3つくらいづつ南下していき、印象に残った島を素材に短篇小説を書く試みを初めてから、はや何年になるかしら。

 成果は「季刊文科」誌に発表してきた。5作目の号はまだ届かぬままだが、そのうち出るだろう。

 今年は沖縄本島から久米島、座間味島へと足を伸ばすつもりだ。沖縄には2年前の「旧満州戦争遺跡の旅」以来の知人たちが何人もいて、今回も待っていてくれる。到着日には早速その仲間たちと賑やかに会食の予定だ。楽しみなことである。

 早く来ぬか、27日。体調に気をつけねば。



12月17日 市場原理主義への疑念

 野球の松坂大輔がアメリカのレッドソックスと6年60億円で契約したニュースを見ていたら、そのこと自体は明るい結構な話題と思えた反面、心のどこかで、しかしそれにしても何か釈然とせぬ思いも残った。

 26、7才の青年が1年に10億もらうというのが、どこか社会的に公正を欠く、アンバランスすぎないかという思いだ。

 むろん、やっかみと言われればそれまでの面もあるが、しかし一方で近来の日本、いや世界に、格差、平たく言えば貧富の差の増大が目立ちすぎるからだ。
 今の世では、中学高校時代くらいからすでに己の能力が見え、社会の中低層で生きざるを得ない行く末の殆どが見えてしまう人が、随分いるのではないか。

 物価の違う外国の例はさておくとしても、国内的にも年収2,3百万円以下の層、このままだと生涯、年収1000万は超えるべくもない人々が多数になりつつある現在、10億円は途方もなさ過ぎる感がある。

 いくら市場原理主義に基づく、それだけの価値があるのだ、とはいえ、それは要するに大衆社会における商品価値というだけのことだろう。もとはと言えば、松坂君の能力も半分ほどは生まれつきの資質かもしれないし、生涯下積みで終る人たちの能力も多くは生まれつきの資質とも言える。

 私は決して好きな国ではなかったが、かつてのソ連や東欧諸国では、スポーツ選手を国家管理のもとある種のプロのごとく養成し、優遇していた。当時、私はそれにも必ずしも賛成ではなかったものの、しかし今から思えばその優遇の程度はせいぜい家や就職の提供、ややいい程度の給料、優秀成績者には報償年金保証ぐらいであって、まあ妥当だった気がする。

 今、市場経済になったそれらの国々で、彼らがどうしているのか、スポーツ選手等の現状はどうか、も私には不分明だが、グローバル化という名の市場原理主義が世界をおおいつつある中で、社会的公正、安寧が失われつつあるのは確かであろう。

 日本では郵政民営化も、民間企業の活力に委ねる、市場の原理に任せる、という論理のもとに実行された。かつて国鉄が分割民営化されたときも基本的に同じ論理だった。

 確かに国家負担によるある種の不合理は是正される面もあるが、代りに勤め先の少ない地方での“国鉄さん”“郵便局さん”のいくぶん牧歌的に安定した位置、津津浦々までともかく列車が通っており、貯金も送受金も出来た信頼感は失われたような気がする。

 市場原理主義とは、弱肉強食、一將とは言わぬが十將くらい功成って千骨枯る、システムではないのか。不快な拝金主義もはびこりそうだ。



12月12日 付属推薦入試終る

 この頃入試は随分多様化し、わが日芸文芸科でも夏休み前後のAO(アドミッション・オフィス)入試、11月の留学生・帰国生・校友会推薦入試・編入試験、そして今日の付属推薦入試、あと2月末の一般入試と続く。

 学科によってはこのほか保体審(保健体育審議会)推薦入試、一般推薦入試もあるから、まさに多様化そのものだ。

 入試としてはほかに大学院入試も学内進学入試、一般入試とあるから、私が直接かかわるものだけで6個あることになる。

 今日の付属推薦入試は、全国に多数ある日大系付属高校から高校長推薦の形で応募してきた30数名の現役高校生に、作文と面接を行う。

 みんな制服の、半数ほどは東北とか九州とか相当遠い地方からホテルへ泊りがけで上京し、今朝、緊張しきってやって来た諸君だ。

 口がもつれる子もいるし、紅潮しボーっとしたまま暫くろくに答えられない子もいる。「好きな本は?」「部活はどんなことをしていたの?」などとおいおい聞いていくのだが、読んだ作品は芥川、鴎外といった教科書的なもののほかは、絵本とか少女ものライトノベル(近頃はラノベと縮めて言う)、宮崎駿的世界などへ急に飛ぶ。

 同時代の大人の作品ではせいぜい江國香織の名が出るくらいであり、映画も『ミリオン・ダラー・ベイビー』とか『ラスト・サムライ』などで、クリント・イーストウッドを除くと監督の名前を言えることは少ない。

 受験に追い立てられる高校3年には無理もないかなとも思うが、それで「将来の志望は作家か編集者」と言われると、ついほっぺたが急に痒くなったりする。

 地方の諸君は、受かればたいてい来年4月からワンルームマンションなぞ借りてひとり暮し、あこがれの東京というか都会生活開始となる。胸躍るだろう、楽しいだろう、と思うと、出来るだけ落したくないし、しかし4年後、志望通り作家(含むラノベ作家)か編集者になっていける子は何人いるだろうと考えると、肩の荷が重いような憂鬱な気分にもなる。



12月7日 連句講座終了す

 長い間、上のお知らせ欄に載せてきた、水道橋での連句講座が昨夜で終了した。
 5回の設定だったので、連句を巻くには時間が足りず、半歌仙(18句)も少し残してしまった。

 受講者12名中には、かつて早稲田のエクステンションセンターで半年だったか1年だか私の連句講座を受けてくれ、その後も連句を続け、今では座を持って捌きもしている方もいたり、随分巧みな技巧派俳句を作る人もいたりだった。いきおい、同じ人の句を2句以上採用する場合も出、ということはつまり18句中に受講者全員の句を採用するのが中々難しい。

 さて、どう案配するかと最終授業に臨んだら、たまたまというか、ひょっとしたら自信のない人が恐れをなしたのか、欠席者が3名出て、丁度うまく出席者全員を採用・配分出来る形になり、ホッとした。

 連句は「座の和を尊ぶ」ことも大きな眼目なので、捌き役は句の善し悪し以外にこういうことにも意を用いなくてはならない。それでも1人で3句採用の人も出たのは、やはり句の力であり、いいものは中々捨てられない証左でもある。

 いづれにせよ、久しぶりの大人(平均年齢60ン才だった)との連句はそれなりに楽しかった。新しい場所へ行くのは、定型化した日常にちょっとした刺激を与えてくれるものである。帰途、水道橋から後楽園駅へ向うきらびやかなイルミネーション・アーケードを通るのが、少々名残惜しかった。



12月3日 秋山会で昼酒 生誕記念日

 昨日は毎年恒例の、文芸評論家秋山駿さんを囲む会だった。
 一昨年までは「温泉へ行く会」でもあり、関東のどこか温泉地へ一泊で出かけるのを十数年来慣わしとしていたが、昨年秋山さんが体調不如意になられたのを機に、都内での日帰り会になった。

 おまけに今回は練馬のそば屋で午後3時からという、かなり変則時間の設定となり、昼食をしていくべきか迷ったが、ともあれ3時からすぐ飲み会となった。といっても、主賓のあれほど酒好きだった秋山さんは一滴も飲めない身になっておられるから、周りだけがワイワイ昼酒を飲むわけで、どうもなんだか申し訳ないと思いつつ、しかし30分もするとそんなことはみな殆ど忘れて大いに飲んでいた。

 集まったのは小説家4人、評論家2人、新聞記者(文化部)4人、編集者・フリージャナリスト4人、新宿のスナックママ1人、古本屋1人、秋山さんの女子大の教え子女性2人。

 例年より少し少ないし、古い常連は当然ながら年々歳をとっていく実感があるが、よくしたもので一方で新しい若手参加者が現れ、活気はちゃんと持続している。この日も若手女性二人のほか、Y紙の記者も若々しいイケメンさん(この言葉、初めて使ってみた)のうえ知性豊かで、話していて爽やかだった。

 6時頃一旦終えたあと、大半のメンバーは車で2次会場新宿の「ブラ」を目指したが、私と秋山さん、中沢けいさんは西武練馬駅に向った。飲めない秋山さんを送りがてらだが、すぐ電車に乗るのも何やらさびしく、駅近くの昔の匂いのする喫茶店に入り、秋山さん、中沢さんは珈琲、私は珈琲を飲めない体質なのでついビールの小瓶ハイネケンを頼んでしまった。

 飲みかけてから、「ア、秋山さんは3時間酒の匂いだけ嗅ぎつつじっと我慢してらしたんだ」と気づいたが、時すでに遅し。いつまでたっても人への思いやりを中々優先させられない。
 実はこの日は、私の誕生日でもあったので、少し調子に乗っていたのだ。身勝手な63才である。



11月28日 ほんとに分らない?!

 こんなこと何回も書きたくないのだが、今、例のアマゾンの『按摩西遊記』ランキングを見てみたら、何と31,998位になっていた。昨日夕見たときは約22万位だったのである。

 見間違いかと、一旦消してまた見直してみたが、間違いない。

 ウーム、ほんとに全く、奇々怪々。今度は何の思い当ることもないから、考えられるのは知らない誰か(複数かも)が少なくとも数部以上昨日から今朝にかけて買ってくれたということか。

 もう間もなく発売6ヶ月になるから、そんなに急な動きはないと思うのに、本当に分らない。それとも、どなたかが私の知らぬところで秘かに、私を励まそうとプッシュして下さっているのか。だとしたら有難いことだ。有難うございます。

 それにしても、あのランキングは……?



11月23日 連句講座その後

 水道橋の日大生涯学習センターでの連句講座が、どうにか軌道に乗ってきた。
 なにしろ全部で5回の制約があるから、かなりハイスピードで解説・実践と進めざるを得ない。おかげで、2回くらいまでは中高年層の生徒さんもついてくるのに必死の様子だった。

 こっちも江古田の芸術学部で5時50分まで授業をしたあと、急いで移動、おにぎり一つ程度を食べただけですぐ喋り続けるわけだから、やや疲れがち、時々ミスをしたりの展開だった。

 が、昨日の第3回あたりで、生徒さんも幾分慣れてきたのだろう、どうにか句が進行しだし、一挙に4句進んだ。これで表6句が出来たわけだ。しかも、その中身が中々面白いので、ここに披露してみる。

 発句  ここですと連れし神田や冬紅葉   鳥羽山美智子
 脇     地階に集ふ小夜の時雨の     佐藤 万里子
 第三  早朝はいつも元気な我ならむ     丹治 亜子
  4     豆腐売り来てラッパの音ぞ     原田 富江
  月   象番は泊り勤務に渡る月       山県 總子
  6     金木犀に鼻くすぐられ       谷 鬼丸子(男)

 女性9名、男性3名、36才から74才、平均年齢ン10ン才なので、どうしても女性軍優勢となる。

 発句、脇は神田三崎町の地下教室に集まっての連句会という当季当座(今、ここで)句。まあ、互いの挨拶と、状況説明である。
 第三はガラリと転じて、日常の自宅での様子か。何となく初老の健康標語みたいだが、かえって真実味があって初々しくもある。

 4句目はさすが女性方、すぐ生活の匂いがでる。下7がやや字足らず感があるが、表記してしまえば「ラッパ」も少なくとも2字半の感はしてくるから、ま、いいかと、とりあえずこのまま進行させた。あとで直すかもしれない。

 次は月の定座。表だから格調高く行きたいところである。
 出た句は実にユニーク、斬新だった。なんといっても「象番」がいい。意表をつくし、どこかユーモラスだし、動物園あたりの光景もはっきり浮び、構図も大きい。象番は前句の主婦の夫ととれば、相対付けですっきりする。

 それを受け6句目が、またいい。この「鼻」は、もちろん象のあの長い鼻であろう。園内ほど近くに金木犀が咲き、象が鼻を伸ばしクネクネさせてはその香を求めている。はたして象の嗅覚はどんなか、金木犀の香にどう感じるのかは、人間には不可知だが、想像力はいろいろ働く。

 「象番」からこの句にかけては、いかにも俳味が漂い、かなりの佳句だ。2,3名の方を除いて多数は全くの初心者なのに、ひょっとしたら筋がいい。

 というわけで、ここでも紹介してみる気になった次第。



11月18日 アマゾンの怪

 アマゾンは熱帯の深いジャングルなので、未知の暗闇と生物が充満していそうだ。ひょっとしたらコンラッドの『闇の奥』(こちらはアフリカあたりのことらしいが)みたいな不可思議な王国まであるかもしれない。

 ネット書店のアマゾンも似た気配がある。何しろ世界最大のネット書店であり、日本の書物倉庫だけでも実に広大なものらしいから、迷い入ると闇の奥みたいになりかねない。

 この日記のすぐ上に我が著『按摩西遊記』に付随してアマゾンのサイト・アドレスがあるから、ちょっとクリックしてもらえば分るが、そこに本の(たぶん販売)ランキングなるものがある。それによると『按摩西遊記』は今朝ただいま161,067位である。

 これがつい1週間前は3万位くらいだった。その前日まではなんと30万位くらいであった。

 つまり、その時、たった1日で27万一挙に8艘飛びしたわけだ。
 理由はこの日、我が知人が『按摩西遊記』を5部まとめ注文したせいと思われる。
 
 さすがにオドロキ、「えっ、たった5部で27万違うのか!」と思ったものだが、翌日から平均1日2万位くらいづつ下がっていき、目下16万位という次第だ。

 今年6月、本が出版された頃、この数字の意味がよく分らなかった。明確にはおぼえていないが、数字が随分変動するし、一時は表示されなかったり、一番いいときは1万数千位になったり、やがて3−4万位にほぼ安定したかなと思っていたら、急激に下がって30万位くらいになったりした。

 で、不審に思ってアマゾンにメールで数字の意味を問い合わせたら、「これは(アマゾンにおける)本の累積販売数。数字は毎日機械により刻々変動していく。一般に1万位以内ならベストセラー」との返事だった。

 とすれば、3万位は純文学としては上々かなぞと思っていたが、しかし何かおかしい。累積販売数ならなぜほんの僅かな日数で何十万位も下がったりするのか。1冊も売れない日が続いたとして累積数が減るわけではない。また、累積数なら、売り出し直後は毎日かなり売れていたとして、数字は低いはずだ。あとになるほど高くなるはずである。

 なのに、6−7月頃3−4万位になり、その後落ちていくのは不可解千万だ。9月初め頃だったか、一時は「ランキング外」になったことまである。そして、その後やや持ち直し、10月半ばだったかにはまた一気に4万位になった。

 何かあったのか、それとも誰かがよほど大量に買ってくれたのか、いったい何部買うとこんなに一気に変動するのだろうなどと、あれこれ考えた。

 そして、今回だ。これは身近な知人が購入者で、事前に話も聞いていたから、丁度いい機会と思って推移を毎日見続けたのだ。

 いやあ、どう分析してもいまだに分らない。前にアマゾンに問い合わせたとき、返事自体に1週間か2週間かかったうえ一向要領を得なかったから、もう聞く気にもなれない。どなたか訳の分る人あったら教えてほしい。
 


11月13日 5本指ソックスの怪

 この頃、私は先が5本指に別れたソックスをはいている。
 しかも親指だけが色違いで、甲の部分は派手な2色のしましま模様である。
 極めて目立つし、履いている当人自身我ながら可笑しいと思っている。

 きっかけは近所の商店街の文房具屋(衣料品店ではない!)の店先に積み上げられているのを見つけ、「?」と思ったのだ。最初、手袋かと思ったが、どうも違うし、くるぶしから上部分がない作りなので、足袋みたいにも見える。実際、昔、うちのおばあちゃんは毛糸で編んだ手作りのそんな足袋をはいていたものだ。

 が、手に取ってみると、なんだか違う上に、値段がたった1足99円である。99円!!
 中国製だが、それにしても一体いかなる値段か。
 誰が、どういう理由で、こういうものを、こんな値段で、しかも文房具屋で、売り出しているのか。私の知らないいかなる訳がそこに隠されているのか?

 好奇心に満ちた作家たる私は、早速、ともあれ論より証拠、体験は認識の母、と3足買ってみたのである。

 結果は中々いい。何となくあったかいし、親指以外ふだん存在を殆ど感じない人差し指以下4本の指が急に確固とした存在を主張しだす感があり、ソファの上に投げ出しても中指がピクピク動いたり、小指が1本だけグッと開いて意志を主張したりする。

 気のせいか歩く時しかと5本指に力が入り、血行がよくなり、踏ん張りがきく感じがする。ソファの上で5本指の間に手の5本指を入れ、ヨガの作法でごりごりと関節の運動をさせられもする。

 おまけに、実はこれが一番の長所だが、毎朝靴下をはくのが楽しく、家の中を歩きながら見るたびつい笑い出したくなって愉快な気分になる。退屈な日々、初老を迎えたさびしい人生がなにやら楽しくなる。

 たった99円でかくもメリットがあっていいのかと、私は連れ合いに向って毎日1度はこのソックスを褒めた。

 ところが、ほんの5日目、そのソックスの親指部分が内側でどうも引っかかる。見ると糸が何本も露出し錯綜している。少し迷ったが、履くたび親指の爪に糸が引っかかるのも煩わしく、思い切ってエイとその一部を鋏で切った。

 翌日、たぶんその部分に小さな穴があいた。繕おうか一瞬考えたが、まあいいや、なにせたった99円なのだから、とつい思った。

 その後洗濯し、乾いたのを今朝履いたら、穴は少し拡大していたが大したことはないのでそのままにしていた。と、穴はどんどん大きくなっていき、午後にはもう親指の裏全面になった。

 足を返して眺めると、親指が目だし帽からバアーッと顔を出しているみたいで、面白い。やはりこの靴下は可笑しい、楽しいものだと思いつつ、私はまだそれを履いている。



11月9日 キラキラ無機無季連句講座開始

 水道橋の日大法学部隣にある日大生涯学習センターでの連句講座が、昨日初日だった。

 水道橋の日大と言えばその昔、経済学部中庭での日大全共闘の集会を覗きに行き、秋田明大らの演説を聞いて以来である。で、ある意味で胸ときめかせながら行ったのだが、地下鉄後楽園駅で降りてからの道が胸ときめくよりお目目キラキラだった。

 なんと東京ドームの道向いにトウキョウドーム・シティーなる派手やかなアミューズメントビルみたいなものが出来ており、光を反射する噴水や池が見える上、その脇の水道橋への道がなんだか「2001年宇宙の旅」で見たようなきらきらイルミネーションが光り輝くトンネル状アーケードで、人通りの少ないそこを歩いていくと、宇宙世界か別世界へ行くごとき気分になってくるのだった。

 いやあ、こりゃあいい、こんななら毎日通ってもいいと思いながら水道橋界隈へ着くと、日大も巨大なビル群となっており、当り前だが全共闘時代とはだいぶ違う。

 ふむむむ、世の中は変っているなあ、ひょっとしたらトウキョウは繁栄してるんだなあ、ぼやぼやしているとオレは取り残されるぞ、と何やらしばし感慨ともある種の焦りともいったものを感じたが、しかし後楽園から日大まで樹や花といったものはほぼ全く見なかったし、ずいぶん無機的でもあった。

 その無機のただ中の地下室で、俳諧連句のあらましを述べ、歳時記を語り、発句は「さあ、当季当座で、幽玄に」などと言うのだが、8時半に終って受講生の1人、友人でもあるマイミク仲間の鬼丸子さんと歩いていたら、彼が周りを見渡しつつ、「この辺で当季(今の季節、初冬の季語を必ず使うという意味)と言われてもねえ」と首を捻った。

 その通りである。当季感は飲み屋に冷房も暖房もついていない、いわば負の季節感ぐらいのものだった。



11月3日 鴨来たる

 いま眼下の柳瀬川を見ていると、小ぶりの鴨が11羽スイスイ泳いだり、岸にはい上がったりしている。そういえば先週あたりから散歩の折、少し鴨が増えた気がしていたから、いよいよ今年の鴨が渡ってきたのかもしれない。

 以前から軽鴨は通年でおり、それに引かれてか少数ながらカルガモならざる鴨まで通年でいるようになっていた。カルガモはくちばしが黄色いからすぐ分るのに、黄色くない鴨が年中いるのだ。

 ゆえに、渡りの一番乗りを特定するのが難しくなっていた。何か明確な根拠はないかと毎年思うのだが、当人たちは何も言わないし、足輪が着いているわけでもないし、北の方からうち揃って飛んできたのを目撃しても、いま渡ってきたとは限らない。そこらをちょっと散歩(散飛?)してきただけかもしれない。

 というわけでまごまごしていると、ある寒い朝などに100羽ほども飛び交っているのに出会ったりする。鳥には鳥のスケジュールがある。それに勝手な思い入れをするのは、人間の、主として定住性による。

 遊牧民は渡り鳥をどうとらえているのかしら?



10月28日 来年度がもぞもぞ動き出す

 この時期になると、ぼつぼつ来年度の方針や予定などが動き始める。主として勤め先の大学でのカリキュラムやスケジュール策定が日程に上がってくるからだ。

 非常勤講師として大学で授業を持ち出して今年で丸15年、専任教員(企業で言えば正社員)になってからでも10年であり、来年度からは大学院の後期課程(いわゆるドクターコース)まで持たされることになりそうである。

 年齢のこともあり、一区切りの頃合いという気がかなりする。考えてみると、これまで学部の授業に関しては殆ど変化なく続けてきたのだ。学生の気質や雰囲気、大学の情勢、そしてこちらの経験と気分、とだいぶ変った面もある。

 今度、大学院は前期(修士)後期(ドクター)合わせて形の上では4コマも持つことになるし、あまりに小人数専門化の様相もあるので、学部の方は少し間口を広げようかと思い始めた。文芸科生以外の他学科生とも接点を拡げてみたい。

 個人の書く方の仕事も、私など創作系教員の場合は、普通の先生たちにとっての「研究」がそれに当ることになるので、授業とのバランスも考えながらやはりなるべく時間を作って進めていきたい。

 現実は結局、夏休みとか春休みなど休み中心のスケジュールになりがちだが、人生の残り時間、作家としてのエネルギー継続可能期間を思い、あと何作かは是非書きたいのである。

 作家の耐用時間・年齢に関しては、これまで大勢の先輩を見てきた結果、個人差はかなりあるにせよ、平均して72,3才ではと感じている。多くは70歳前後での大病を機に、体力気力が衰え、2,3年でおおむね実質的作家活動は終るというのが普通だった。

 生きながらえても大したものは書けないし、代表作や力作はせいぜい60代までではないかと思える。むろん例外はあるが。

 大学の方も教授の定年はかなり長いが、それが終るとすぐにはやめないものの、非常勤講師を1,2年続けたところで自ずと退いて行かれるというのがほぼパターンだ。

 その年齢と作家の耐用年齢はほぼ等しい感がある。
 それまでに私はもう10年を切った。後悔せぬよう、少しハンドルを切って方針を整え、まだまだ頑張っていきたい。



10月23日 オフ会、快調!

 土曜の夜、志木市の居酒屋で中高年4人が集まった。小生夫妻とマイミク仲間のササヤン夫妻である。

 これだけでは分らぬ人には分らぬだろうが、マイミクというのは近頃話題のソーシャル・ネットワーキング・サイト(SNS)mixiの仲間のことで、「ササヤン」はそのハンドルネームだ。ついでにいえば私のmixiネームは「風人」である。

 私とササヤンは以前一度近所の喫茶店で会ったことがあるが、女性二人はどちらも相手カップルと全く初対面である。ただし、私の連れ合いはmixiに入っているから、ササヤンともネット上の交流は多少ある。ササヤン夫人はそれもない。

 だが、接点はいくつかある。まず両夫婦とも同じ駅利用者で、つまり御近所さんだ。次に女性二人は奇しくも信州の隣町出身の、完全に同郷人だ。更に4人とも本にまつわる仕事を職業にしている。私と連れ合いはジャンルは違うが物書きだし、ササヤンはいわば編集者というかプロデューサーで、夫人はさるネット書店勤務者だ。

 おまけにむろん本好き同士、二組とも学生時代の同期生で、こちらは文学部同士、ササヤンカップルは文学サークル仲間だったそうだ。

 ふーむというわけで、それで会ったわけだが、確かに話が合う。時間制限2時間だかの居酒屋だったのに、大いに飲み食い、お喋りしまくっているうちに4時間近くたっていた。

 世代はこちらが年長、丁度一回りくらい違う感じだが、それが丁度いい面もある。こちらは相手が若い方が活気があっていいし、向うにしてもたまに年長組と気軽に飲むのは面白い面もあるのではと思える。

 実際、御近所、仕事もおおむね似た世界の住人となれば、気ラクだし、分りが早い。それにネット上ではほぼ毎日多少の交流があってはや7,8ヶ月になるから、だいたいの気質や考え方も分っている。

 会ったのは1,2回目なのに、安心というか違和感がないのである。うちの連れ合いは酒は殆ど飲めぬのに、パクパク食べてるうち時間がたっちゃったと言っている。

 いいことも具体的にあった。実は私はこのところしばらく憂いある身だったのだが、ササヤンがその半分ほどを見事に払いのけてくれた。或る事柄に、豊富な人脈を使って爽やかな希望を与えてくれたのだ。

 ネットやSNSに関してもまだまだどこまで信用していいのか、どう使えばいいのか未知数の面はあるが、こういうことがあると、ちゃんと大人が信頼出来る人間関係を作っていける場だとも感じる。

 私たち両夫婦は今後ちょくちょくこういう晩を持つことになるだろう。楽しいことである。



10月19日 散散心ぱ

 妙なタイトルになってしまったが、本当は「ぱ」は口偏に巴と書く。ATOKの辞書にはあるのにここには出てこないので、やむなくひらがな表記にした。

 意味は中国語で「気晴らししよう」。「ぱ」は接尾辞だからまあ意味はない。心を散らし散らそう、というわけだ。

 気は晴らそうとしても中々晴れるものではないが、心を散らすことはもう少し簡単な気がするから、中々いい言葉だ。

 あれこれを忘れて散散心ぱ。酒でも飲んで、よく眠ろう。丁度新酒の季節だ。

  憂あり新酒の酔に托すべく   夏目漱石



10月14日 ノーベル文学賞よ

 このところパレスチナ人文学者エドワード・サイードの『ペンと剣』を読み継いでいたところへ、ノーベル文学賞がトルコのオルハン・パムクに決定の報がでた。

 私は全く知らない人だったが、彼は帝政オスマントルコが少数民族アルメニア人100万人を虐殺した事件に関し、事実をきちんと認めるべきと発言して、官憲から「国家侮辱罪」で訴追され(その後、EU加盟をめぐる政治的配慮で取り下げ)、ナショナリストから非難を浴びていたという。

 代表作の『私の名は「紅」』は東西文明問題が背景の作らしくもあるから、彼もまたオリエンタリズムを身に背負った作家かもしれない。

 で、私は彼唯一の政治小説『雪』を読んでみたくて、ネットで今調べてみたのだが、ペ−ジ数が実に膨大である。なんと570ページだ。読むスピードの遅い私は通常の2−300ページの本でも読了まで1週間から2週間かかったりするから、ウームと思案投首になる。

 今、私の机上には読みかけないし読む予定の本が数冊あるが、そのうちの一つウクライナの作家アンドレイ・クルコフの『大統領の最後の恋』は630ページもあるため、全体量からすると遅々として進まずすでに1ヶ月以上積みっぱなしなのだ。

 ウーム、本というものはせいぜい400字詰め換算600枚、350ページ以内くらいにして貰いたいものだ。第一、500ページを超えると枕にはなるが、寝転がって読むのもままならない。



10月9日 とうとうやった北朝鮮の核実験

 まだ詳細不明だが、ついに核実験が本当に行われたようだ。事実だとすれば、日本の間近、北東アジアの緊張という意味でやはり大きな事態だ。

 現実的には北朝鮮はアメリカとの直接交渉および韓国・日本への脅し効果で、援助を引き出そうということだろう。先般のミサイル失敗例からもすぐに核攻撃力が証明されたわけでもないが、しかし、いわば「ナントカに刃物」のおそろしさがある。

 時代離れした奇天烈な、かつ中々にずるがしこい独裁国家が、とにかく一度に何十万人もを殺傷しうる武器を手に入れたというのは、どう対応していいのか分らぬところがある。

 といって、あまりうろたえても敵の思うつぼだろうし、刃物を振りかざせば振りかざした当人も次の瞬間やられるおそれがあるわけだから、同じくらい恐かろう。

 その微妙なはざまで文字通り刃物の上の綱渡りを双方がしていくことになるが、この「双方」が実はどことどこなのかが問題だ。片や北朝鮮であることは間違いないが、もう一方はアメリカなのか、韓国なのか、日本なのか。あるいはそれらに中国を加えた連合組合わせなのか。

 はっきりしているのは、実はアメリカにとっては直接的脅威は殆どないことであり、何かが間違っても刃物の被害を受けるのは要するに距離の近い韓国・日本であろうということだ。

 また、もっと言えば韓国は核攻撃するには近すぎ、うっかり爆発させれば自国も被害を受けかねないし、30分後には即38度線を越えて韓国の空軍も地上軍も北に必死の反撃を開始しかねない。

 となると、一番目標にしやすいのは日本ではなかろうかと思えるところが、ウームと呻らざるをえない。

 と思わせるのが、刃物を持ったナントカさんの狙いだろう。ウーム、あの妙な髪型のあんぱん顔チンケ男、そして牢獄国家の看守集団たる軍部ども。ウーム。



10月4日 この頃の蕣(あさがほ)藍に定まりぬ  子規

 朝顔が好きで毎年ベランダの鉢に5鉢は咲かせる。7月から紺や青、赤紫、冨士紫、白、といろんな色が咲くが、だんだん減ってゆき、今や2鉢だけが残る。

 1鉢は私が「冨士紫」と命名した大ぶりの紫に白縁どりだが、この二日は咲かない。よって今朝はついに小ぶりの藍(なかに濃い赤紫の縦線が5本かすかにある)だけになった。

 最初タネをどこで貰ってきたのだったか、たぶん柳瀬川沿いの半ば野生化した花から2つ3つ勝手に採取したのが増えたもので、花も葉も小さいが生命力は強い。今年あたりは3鉢ぐらいいつの間にか他種を席巻して咲き誇っていた。

 そのうちの一つがいまだに咲き続けている。子規の句は当人の病床から見たものだろうと思え、カリエスで寝たきり、36才で夭折した人の視線があるが、私のベランダの朝顔は夏去り秋来たり、それもはや晩秋に近づけどまだまだ盛んの図だ。朝顔は秋の季語なのである。

 とはいうものの、さすがにこの涼しさのなかで一鉢だけの濃い藍色は、孤高感と共にいささかの寂寥感もあり、ついじっと見てしまう。

 待っていることもあるのだ。