風人日記 第二十一章
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花見から
  2007年4月2日〜


今年の卒業生・塩原卓哉君が送ってくれたもの。
埼玉県本庄市の「塩原園芸」産のあじさいで、目下農水省種苗登録申請中の
「ハイドランジア 舞姫」である。
鮮やかなピンクを基調に斑入り大型花となっており、これがあじさいかと思えるほど華麗だ。
昨日、電車の中をかかえてきたら、大概の人が視線を向けた。塩原、ありがとう。






このページは日記であると同時に日々のエッセイ集、さらには世の中への自分なりの発言、時には創作かもしれぬジャンル不分明な文章を含めた自在な場所のつもりです。とにかく勝手に書きますが、時折は感想を掲示板なぞに書き込んでいただくと、こちらも張り合いが出ます。どうかよろしく。



               お知らせ (*日記はこの欄の下方にあります)


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 ベトナム戦争、911事件のニューヨーク、往昔の天山南路を素材の旅小説集。60歳前後や団塊世代から、戦争を知らない現代若者世代まで、誰もに面白い。





6月28日 歯医者の句

  診療着干せば嘲る麦の風
  満天に不幸きらめく降誕祭
  極寒の病者の口をのぞき込む
  薔薇の家犬が先づ死に老女死す

 歯科医たる西東三鬼は面白い俳人であったが、かなりの変人だった気もする。歯医者にはどうも偏屈者、鬱屈者が多いのではないか。あの仕事を朝から晩まで毎日していると、そうなりそうな気がする。

 今日、また歯医者へ行く予定。



6月22日 久々のジャズボーカル 丸山繁雄

 昨夜は江古田駅南口のライブハウス「Buddy」へ行った。旧友丸山さんから招待状を貰ったからだ。

 いや、毎年貰っていたが、去年まで金曜は所沢校舎出校日だったので、ずっと失礼していたのだ。だから、何年ぶりかなと思いながら行くと、彼がステージで「今日で私は56歳になりました」と言ったので、じゃ、少なくとも7年ぶりかと思った。

 かつて彼は私の連句会「麦の会」の連衆で、毎月1回は歌仙を巻く間柄だった。当時は40代だった。麦の会の閉鎖後は、彼も忙しくなり、大学の校門付近で1,2度会ったくらいだろうか。

 彼は音楽学科で「ジャズ概論」「インプロビゼーション」の講座を持っているジャズアーチストで、男性ボーカリストとしては多分日本1,2である。「酔狂座」というグループを主宰し、司会もうまい。早稲田のダンモ研(モダンジャズ研究会)出身者ではタモリについで司会術ナンバー2と言われている。

 昨年は『ジャズ・マンとその時代』(弘文堂)という大部の本も著し、4000円を超える値の高い本にもかかわらず先頃2刷が出た。英語力も確かだし、ジャズ界ではそのうち大御所になりそうな気配すらある。昨夜も前座の司会者から「スーパー・ボーカリスト」と呼ばれていた。

 歌は曲目の半分以上がかつて聞いたことのあるもので、懐かしかった。声量まだまだ衰えず、スキャットも巧みで、やはり1級品と思わせた。会場満杯、若い学生から中高年のカップルまで、幅広い客層も彼のキャリアを示している。

 奥さんや息子さんにも会い、2時間堪能して、帰路についた。



6月19日 追伸

 下に書いた朝顔の色のことだが、少し気になって調べてみたところ、最初「青」だったものがだんだん「赤」になっていくこと、酸性雨のあとなぞは赤になるといった記述はあちこちにあるが、青花だったものが最初から赤花として咲くと明記したものにはまだ出会わない。

 それに思い出していくうち、去年はブルー中心に数種あり、赤花もひっそりとだが1,2株だけあった気がしてきた。ひょっとしたら今咲いているのはそれかも知れない。一番元気がいいので何となく去年の多数派と思いこんだ可能性ありだ。

 この種のことを御存じの方いらしたら御教示下さい。



6月19日 朝顔が咲いた

 昨日2輪、今日2輪と今年初の朝顔が咲いた。今日はそれを見るために朝5時半に起きた。
 色は、去年はライトブルーだったのに、今年はかなり濃い赤である。

 種はすべて去年ベランダで穫れたものばかりだが、しかしこんな色の種類あったかなと首をひねり、だが葉の形は去年と同じような気がするし、そこでひょっとしたらと考えついた。

 今年は春先に鉢の土を大幅に入れ替えたのだ。マンションの植栽委員会で作っている腐葉土を殆どの鉢に半分以上入れたのだった。

 きっとそれが強い酸性だったのではなかろうか。朝顔もあじさい同様、土の酸性アルカリ性によって花の色が変るのではないかしら。これからおいおい咲いていくだろう他の鉢の花がどんな色になるか楽しみである。



6月16日 実にくたびれた1週間

 今週は最初の日曜が所沢校舎でのいわゆる春祭で出校した。本来なら5月の土曜日の行事だが、ハシカ休みで延期になった結果だ。出校は以下水・木・金と続き、昨金曜は5限終了後、院生との飲み会だった。

 そして今日の土曜日は、午前中に1年生のための「文芸入門講座」の担当日だった。これは今年から開講した、1年生のためのいわば専任教員顔見世オムニバス講座で、一人二回受持つ。その第1回目だ。

 つまり休日を含め週5日の出校となり、かてて加えて丁度日曜から歯痛が高まり、月曜の診察治療で「確実によくなります」はずだったのが、全く逆、治療後の夕方からますます痛み、要らないはずの鎮痛剤を夜中を含め1日4錠飲み続けて火曜水曜木曜となり、ついに耐えきれず木曜午前には予約なしで診察して貰った。

 結果は穴をあけたところに蓋をしたのがまずかった、蓋を取り、化膿止めを内服薬にしますとなり、そうしたら痛みはピタリと引き、もう鎮痛剤は結果的に全く要らなくなったのに、今度は向うから10錠処方された。

 どう考えても診たて違い、少なくとも処置違いと思えるのに、エクスキューズは全くなし。これだから医者は腹が立つ。

 あれやこれやで実にくたびれた1週間だった。この午後から明日一日は出来れば昼湯にでも入ってごろごろ寝転がっていたい。



6月12日 歯医者さんは神さま→やっぱり普通の人

 しばらく前から歯痛が続いていた。原因ははっきりしている。昨年の8月に一度痛んだ虫歯が再発したのである。

 その時は鎮痛剤を少し飲んだらすぐ痛みが引いたし、自然の歯はもうあまり削りたくないと思い、そのままにしてしまった。医師もこれくらいならそれでいいという意見だった。

 今回、痛くなってから、かねて聞いていた3MixーMP法を試してみようと考えた。あまり削らず3種混合の抗生物質によって殺菌し、あとは自然再生を図る、というものだ。
 で、先週、ネットでその治療法を採用している歯科医を探し、東京都内まで出向いた。

 が、結果は手遅れ、神経まで侵されているから従来法でやるしかないとのことだ。ウーム、去年の段階でやっておくべきだったと臍をかんだが、時遅し。

 結局、近所の行きつけ医院にかかろうとしたが、こちらは随分込んでいて予約は月曜という。そして、それを待つ昨日曜日に痛みは悪化し、鎮痛剤なしではいられず、夜中も起き出して追加を飲む始末となった。

 そして昨日、やっと診察日となり、まず麻酔、ついでガリガリとかなり削り、でも思ったより痛くないまま、小さな金属ブラシのようなもの(と思う)を突っ込んではゴリゴリ引っ掻き、殺菌剤を入れて蓋、あとは1週間後となった。

 医師はその間中、「大丈夫、これは確実によくなりますよ」と2度も言ったが、終るとその通り殆ど痛みはなくなっているかのようで(麻酔も効いているからはっきりしないが)、いやあ、何だ、これなら最初からここでやればよかった、いい医者だ、となんだか歯医者さんが神さまとまでは言わぬにせよそれに近いものみたいに思えた。

 ところが、昨夜から今朝になってもまだ上顎部から頬の一部までが腫れて痛い。医師は当初要らないとしたが、念のためとこちらから申し出て処方して貰った鎮痛剤を飲んで、今これを書いているのだが、ああ、やっぱり、かの歯医者さんはいつもの、決してちょくちょく会いたくはない普通の人だった。



6月8日 ペンクラブの新体制

 日本ペンクラブの2年に1度の新体制が出来た。
 会長:阿刀田高、専務理事:浅田次郎、そして私が属してきた獄中作家(WiP)委員会は人権委員会と合体して獄中作家・人権委員会と改組され、委員長は今野敏となった。

 いずれもエンターテインメント系作家である。理事から大江健三郎さんも消えたようだし、かなりの様変わりである。ペン会長は初代が島崎藤村、2代:正宗白鳥、3代:志賀直哉、4代:川端康成……と続いてきた。最近は前会長(14代)が井上ひさし、13代:梅原猛だった。

 どうとるかは色々あろうが、どうもエンタメ系が勢いを増し、いささか小粒になった実感は免れない。

 フームと思っているところへ、新獄中・人権委員会の委員・副委員長留任というか就任要請が来たので、今後どうなっていくのかと思いつつ、ともあれ受諾はした。

 獄中作家委員会はその名の通り、政治権力によって獄中にとらわれたり執筆禁止などの状態にいる作家やジャーナリスト、研究者ら広義の「ライター」を助ける国際組織だが、日本においては正直、もうだいぶ以前からあまり意味や現実感のないものではあった。
 
 近隣諸国も、かつては韓国や台湾、ベトナム、インドネシアなど獄中ライターが一杯いた時期には、それらの救援支援活動に具体的意味があったが、この頃では中国以外にはめったにない。ゆえにこの何年間の日常活動は新しい獄中ライターの報が伝わるたび中国政府と裁判所に抗議文を送るだけというのが実態だった。

 だから、日本における獄中作家委員会は抜本的にありようを考え直すべき時期にあると感じていたから、人権委員会との合同に私は賛成だ。何か新しい方向性を見出しうるかもと幾分の期待を持ったのが、受諾の理由である。従来通りなら、正直、身を引こうかという気も少しあった。

 まだ第1回会議も開かれていないし、会長や理事会など新体制の方針も伝わってきていないので、先行きは全く未知数のままだ。さて、どうなるか、ペン会員はもちろんその他の方も多少の関心を持って頂くと有難い。



6月4日 懐かしの「美しき月曜日」

 多少の説明がいるが、「美しき月曜日」というのは、私が13年前出した短篇連作集『美しき月曜日の人々』(講談社)という本を意識しての語だ。

 この題は別に月曜日が美しいのではなく、「美しき」はむしろ「人々」にかかる。ただし、それも心や外観が美しい人という意味ではなく、美を仕事にしている人々、つまり美術家の意である。

 月曜日はその美術家たちが銀座や日本橋などの画廊で開く個展やグループ展のオープニングデイで、いわゆるオープニングパーティーもこの日に集中する。つまり月曜の画廊は絵描きや彫刻家らがいささかまたは多分に酔っては、あるいは意気軒昂と、あるいは嫉妬と悔しさを入り混じらせながら、集い合う日なのである。

 私はその雰囲気が面白く、好きで、かつ実際に当時の友人たちとしては物書きより美術家たちの方が多かった関係で、月曜と言えばたいていどこぞの画廊で飲むのが常だった。
 その習慣が消え去ったのは、いつ頃からだったか。

 今日はその月曜日の画廊へ久しぶりに出かけた。昔なつかしきネオ・ダダ・グループの風倉匠、田中信太郎、吉野辰海3人のドローイング展が開かれたからだ。私は吉野辰海の〈スクリュー・ドッグ〉シリーズを好きで、〈連犬〉という作をわざわざ注文で作ってもらい、持っている(このHPの俳諧連句欄に載せている)。

 元来が賑やかな人たちなので客も多く、5時半ころには部屋はいっぱいだった。吉野、田中の両主役のほか、赤瀬川原平、秋山祐徳太子といった名だたる面白面々もおり、ほかにもかつて故平賀敬宅などでよく顔を合わせた高砂幹郎ら、何年ぶりかで会う懐かしい顔がそこここにいた。

 風倉氏の出品作〈消えていく絵〉(印画紙に焼き付ける形式で描かれているので、実際に時間と共に消えていくらしい)なぞを素材にネオ・ダダ時代の昔話も盛り上がる。酒も行き交う。

 だが、何かが以前とは違う。
 なんだか活気と迫力が足りないのである。みんな年とっており、おそらく平均年齢は60歳以上なのだ。昔はわさわさいた若くてボインな女性も小粋な熟女も皆無であり、白髪、白髭ばかりが目立ち、杖つき姿もチラホラする。話題は盛り上がっても、すべて昔話である。

 かくいう私も、「あれ、フマちゃん、生きてたの」などと言われる。こっちもそう言いたくなる相手がいる。右からは神経痛の話が聞え、左からは誰それが死んだ話が聞える。赤瀬川さん(彼は高校の先輩であり、小説では中央公論新人賞で私が先輩だ)が「絵描きは食えないから」とスピーチのなかで言ったが、そういえば絵だけで食えていそうな人はろくにいない。

 その赤瀬川さんにしろ、主要収入は本の印税や原稿料だろう。
 小説家も大変だが、美術家も大変だ。みんな貧乏で一生過ごし、しかし絵や彫刻を止めることもなく、60代になってもこうして集ってはまるで色気の片鱗もなく、しょぼしょぼ酒を飲んでいる。

 私も多分そう見えるのだろうなあ。「このあと2次会はー」という声を聞き流し、私は早々に帰路についた。
 


5月31日 今日でおしまい

 何がって、ハシカ休みがである。いい休みだったと言うと、不謹慎なという声が出そうだが、しかしその分授業は7月に延長され、補講もあるしで、学生諸君に殆ど影響はない。

 また、休みであり登校禁止になったのは授業と若い学生だけで、会議や校務は通常通りあったし、教員にとってはいわゆる研究日(授業日以外のウイークデイは大学ではそう呼ばれる。芸術系大学の場合、正確には研究創作日とされる)が増えたのである。

 5月のさわやかな季節にかくも研究日が出来たのは、大学に来て以来初めてだった。
 実際問題として有難かったし、私は“出来るだけ長く”と依頼されていた谷崎潤一郎論エッセイをこの機会に一気に書き上げることが出来た。42枚である。

 アイザック・シンガーとか外国作家に関しては書いたことがあるが、日本作家に関してこれくらいの分量で本格的に取組んだのは初めてだった。いくぶん意外に思われるかも知れないけれど、谷崎は実は私が日本近現代文学で最も評価する作家である。

 作品はだいぶ前からゆっくり読み返していたが、書き出す踏ん切りが中々つかなかったのに、休みのおかげで自ずとスタート出来た。そして我ながら終始楽しく、充実感を持って取り組めた。いい10日間だった。

 発表は夏の「江古田文学」谷崎特集である。いずれ改めて御案内するが、ぜひお読み下さい。



5月27日 たった一人の田植え

 いま午前7時、向うの田圃に白い小型ライトバンが到着し、まもなくたった一人が田植えを開始した。すでに昨日までに何枚かの田の田植えが済んでいるが、どれも機械植えだった。今どき手植えは珍しい。

一枚終えるのにハテどれくらい時間がかかるか。芭蕉の句のように全部終るまで見届けるわけにもいかないが、どこか牧歌的で、充実感があり、いい風景だ。

 てなことを毎年今頃、このHPに書いている気がするが、要するに私が水田とか田植えを好きなのだろう。幼少年時の時間に直結するせいもある。

 あっ、今、農夫がライトバンで帰っていってしまった。どういうわけだろう。苗を取りに帰っただけなのか、日差しが照ってきたので夕方までもう休むのか。
 手植えは確かに大変ではあろう。しかし日曜日中にし終えないと、明日からは勤めがあるのではないか……。

 なお、前回の「蛙声」の句、このままだと春の句ととられかねないが、私の中ではそれこそ幼少年時から、蛙声は田植え時の象徴的景物なのである。



5月23日 今年また蛙声聞ゆる六十三

 数日前から川向こうの田んぼに水が入り始めたが、今宵初めて蛙声が賑やかに立上がってきた。
 もとより雄雌が呼び交わす声である。水の中だけに潤いがさらに増し、枯れかけた初老の肉に響く。六十三とは私の歳である。



5月21日 たたり目に怪報

 土曜日夜に簡単なFAXが来た。学校からで「はしかのため5月21日から31日まで全学部休講」という内容だ。えっ、まさかあ。
 寝耳に水である。文理学部がすでに休講中とは知っていたが、芸術学部に関しては前日金曜日の夕方まで学校にいたのに、そんな気配はどこにもなかった。

 で、半信半疑でいたところ、だんだんネットを通じて事態がはっきりしてきた。まず、土曜夜のうちに、院生のS君がmixi日記に「助かったあ。論文の2次発表が延期になった」と書き、ついで日曜になると、作家のH氏が自分のHPに「日大での講演がはしかのせいで延期になった。有難いやら困ったやら」と書いたのだ。

 ははあ、どうやら本当らしい、と思うにつけ、私もなんだか得をしたような気になってきた。これで体調を気にせずゆっくり回復を待てる、このさい依頼されている長めのエッセイも書いてしまおうかなど、あれこれ気分がふくらむのである。

 いやあ、季節はいいし、窓外の田んぼに水も入り出したし、風邪さえ本復したらちょっと遠出もしたい……。ま、あとで補講とかしわ寄せは来るに決まっているけど、今は思わぬ知らせに元気が出てきた。



5月18日 弱り目にたたり目

 というとあんまりしょぼくれムードだが、簡潔に言うと先週末から風邪をひいたところへ、この火曜日から左半身とまでは言わぬが左腕・左顔面・左唇までが軽い痺れ状態になったのである。

 ギョッとしてすぐ疑ったのは脳梗塞・脳血栓関係だが、医学書を仔細に読んでもどうも思い当る記述が少ない。一晩寝たら腕の痺れはほぼ引いてもいた。

 出校したら丁度同世代の脳梗塞経験者がいたので、聞いてみたら、一過性の軽い脳血栓の可能性ありとのことだが、しかし脳梗塞関係の場合、仮に左脳に問題が起ったら左顔面に障害が来るほか、首から下は反対側の右腕や脚に来るという。

 ということは、顔も腕も同じ左側の私の場合、どうも解せない。
 で、ハッと思い出したのは先月飲んだ高校の同級生二人が期せずして言っていた腕が痺れた話。原因は頸椎とのことだった。

 早速、今日になって行きつけの(との言い方がすでに物悲しい。五十肩以来馴染みなのだ)近所の整形外科医に行ってみたところ、少なくとも腕の方は間違いなく頸椎間の神経圧迫によるもの、顔面の方は別物で多分顔の一部圧迫による(寝椅子に横臥して書見中にことは起った)痺れ、脳梗塞はまず関係なしとの診断だった。

 療法は結局、ビタミンB12服用(痺れ緩和)と首つり・頸部肩への電気リハビリ、あとは自然治癒を待つのみ、とのことだった。

 ともあれホッとした。首がぎくしゃくし、風邪もまだ完復とは行かず、どこか落着かないものの、最悪の事態ではなかったと思うと、ほんとに安心した。実は周辺にちょくちょくその種の人が出ているので、切実感も生じるのだった。

 授業をちょっと早めに切り上げて帰宅したが、いやあ、健康不安で暮れた1週間だった。



5月13日 寝る

 風邪をひいて一日寝てました。熱は格別ないのですが、のどがガラガラ、咳と痰が出、そのたび落着かないので寝るにしくはなし、という感じです。

 うとうと、うとうと、あれこれ思わぬことが思い浮かんだりしました。不思議なものです。



5月8日 夏は来ぬ

 いい季節になった。若葉がかぐわしいし、風さわやか。上着なしで歩くのが気持いい。

 連休中はどこにも出かけず、仕事にかなり打ち込めた。丁度きりもついた感がある。
 さて、また授業準備に追われる日だ。ぼつぼつ学生諸君の課題作も集まるころだし、今年は新講座「文芸創作論」に150人も来てしまったから大量に読まねばなるまい。

 やや気も重いが、ある種の期待もある。



5月4日 岩盤浴初体験

 かねがね名は聞いていたが、車で30分ほどのところに「所沢温泉」なるものを発見したので行ってみた。近くに若山牧水の父の生家「若山茶園」があるため、見つけたのである。

 温泉は露天風呂など一部だけが沸かし湯天然温泉(鉱泉と言うべきか)で、その二階に別料金で岩盤浴場がある。

 なんとかジウムやら言う成分が含まれる石が温められれている上に浴衣がけで横たわる、要するに仰臥式サウナで、照明が夕焼け色から青、グリーンなどと淡く変化していき、ピンクフロイドにちょっと似た音楽や鳥の鳴き声、せせらぎ音、などが25分間流れる仕組みだ。

 なんだ、これだけかとも思ったが、5分目くらいから、いや、汗が流れる流れる、目を瞑っている顔からも次々流れ落ちていくさまが感じられ、爽快感がある。

 終って、サービスのジュースを飲んでいると、体がだいぶ軽くなった感があり、ノンアルコールのせいもあって若いころのスポーツ後のような気分だった。ただし、帰宅後すぐビールを飲んでしまったが。

 温泉とセットで1000円、近いし、あまり込んでいないし、欅の大木に囲まれている武蔵野的風情もまあまあで、ちょくちょく行こうと決めた。



4月30日 連休や血統短気の父むすめ

 せっかく爽やかな連休入りだから、娘と久しぶりにインド料理でもと待ち合せたら、駅の出口を左右取り違え、30分待ちとなった。言い合いとなり、会食はお流れ。

 カッカしながら残念な思いもあり、原因を反芻していたら、要するに親子とも性格がそっくりなことに気づいた。意地っ張りで短気なのである。物哀し。



4月27日 ワーイ、明日から連休だあ

 授業が始まってからまだ3週間だが、実質9日間の連休となると、いい気分だ。新学年はクラス編成や顔見世、新講座の滑り出し具合、学生の把握と、かなり気骨が折れるだけに、ホッとした気分になる。

 学生の方も多分そうで、連休の話題になると、“大学は休み多いですねえ”と言いながら、みな顔がほころんでいる。帰郷者もいるだろうし、東京のあちこちを見物という者もいるだろう。

 こちらはたぶん、ずっと次作の構想練りと資料読みに明け暮れるだろう。普段は毎日学校へ行くわけではないのだけど、時間が細切れになってどうしても集中した作業は出来ないのだ。

 世間は人出が多いし、旅に出ようとしてもやけに値段が高くなっていたりで、自分なぞはウイークデイに行けばいいじゃないかと敬遠してしまう。実際は思うだけで、そうすることはめったにないのだけれど。

 朝からとにかくいい気分である。さあ、最後の授業日に出かけるか。



4月23日 料理派と後片付け派

 我が家は食事の準備は連れ合い、後片付けは私と決まっている。
 理由はかなりはっきりしている。私は血統的に食いしん坊こらえ性なし派で、空腹になってくると、要するに辛抱出来ない。パッと食べ始めるか、夕食の場合だとともあれ晩酌を始めないと落着かない。

 一方、連れ合いは料理が結構好きらしく、レシピなどもちょくちょく集めるし、開始すると鼻歌を歌ったりしている。食べ終わると、一転、ソファにごろんと横になってテレビを見たり新聞を読んだり、食卓上など見向きもしない。

 そこで私がせっせと片付け、洗い、レンジマットを交換し、布巾を洗って干す、ゴミを分別しゴミ捨て場へ出す、となる。
 終ると、ベランダの植物類に水をやり、枯れかけた葉や花を摘み、虫を点検する。古新聞や古雑誌の整理・交換出しもし、夕方には洗濯物の取り入れをする。

 洗濯自体は私がやる場合と連れ合いがするのとほぼ半々。風呂掃除は連れ合いが多く、便所掃除はどういうわけか私一人だ。台所の掃除もたいてい私だが、リビングや書斎のクリーナーがけは連れ合いだ。

 買物はどちらも嫌いだから、90%連れ合いが生協注文にし、たまに隣の団地に新鮮野菜や魚介を買いに行くときは散歩がてら一緒に行く。

 時々思うけど、こういう分業というか性癖はどこから来たのだろう? ちなみに私の書斎はほぼ完璧に整頓されているが、連れ合いのそれは足の踏み場もない。二人とも物書きなのだが。



4月19日 いやあ、寒い

 昨日は一日うそ寒く、最高気温10度くらいだったようだ。2月並の冬日である。
 おかげで学食で食べた熱いネギ味噌ラーメンがうまかった。私はラーメンは年に数回程度しか食べないのに。

 今朝も寒い。曇り日にもかかわらず、書斎から遠景の北秩父の山々がかなりくっきり見える。2,3日前までは春靄で霞んでいたのに。



4月15日 花散りぬ人替りゆく酒二合

 これは本歌取りと言ってもいい。

  考へて飲み始めたる一合の 二合の酒の夏の夕暮   若山牧水



4月11日 今年も新入生が

 8日が入学式、9日が新入生ガイダンス、10日が大学院開講式だった。

 9日のガイダンスでは新1年の夫馬ゼミ生11人と顔を合わせた。女子6名、男子5名、18歳5名、19歳3名、20歳1名、21歳1名、27歳1名である。

 現役組が案外少ないし、27歳はかなり異例だ。年長組にはいわゆる大検組も複数おり、「高校には行ってません!」と元気よく言ったのも異例のうちだろう。

 27歳も大検組で、図書館等で働いているうち、これらの本の中にいつかは自分の本を置いてみたいと思い入学しました、と言う。ジンと来る動機だ。自己紹介も他の学生とは違って言葉遣い、内容ともまさに大人の挨拶だった。

 他にも作家になりたいものが2〜3名、編集者とか本造り志望が2〜3名で、学生番号順に振り分けたクラス(2年以上は自由選択制だが、1年だけは振り分け制)にしては上々である。

 私が作家だと言うと、食い入るように私のプロフィール欄を読んでくれる様子も初々しい。で、つい『按摩西遊記』も見せてみたが、しかしまあ二十歳前後の、これまで受験勉強中心だった若い諸君に、還暦前後の初老の小説を勧めるのはどうもためらってしまう。値段もたぶん彼らには高いはずだ。

 資料室や地域の図書館にはたぶんあると思うからと話し、このHPの紹介もした。ここで短篇のいくつかは無料で読めるからだ。

 ついでにmixiのことも少し言ったら、早くもその晩の午前0時とか3時の時間に足跡が2つも付いていた。どころか、昨日の夜には女子学生から電話がかかってきて、「風邪をひいてしまったが、明日の身体検査は代りの日がないでしょうか」という質問だった。

 大学のゼミ担任は高校とは違って事務的なことは知らない場合も多い、事務所に問い合わせてと言うと、風邪のしゃがれ声で「ハイ」としおらしい。教授の自宅にこういう電話は私のみならずかなり珍しいと思うが、なんだか可愛らしい気がした。



4月6日 同級生交歓

 「文藝春秋」誌のグラビアページに、たぶん何十年来続くページがある。「同級生交歓」で、いろんな学校の同級生(同期生ではない)が何人か昔なつかしげに写っているものだ。

 このページに関しては、好きな人と嫌いな人にかなりはっきり分れるようだ。好きな人は、ヘーエ、あの人とあの人が同級生か、といった意外感なぞが面白かったりだろうし、嫌いな人は、しょせん成功者や有名人の得意面が並ぶだけ、と思える面があるからだろう。
 
 どちらも一理ありだが、私はともあれ写真の顔がみな屈託を忘れ晴々している点が好きだ。

 今夕、私は高校の同級生と一献やることになっている。もう3年来続いている会で、メンバーは二人だったり四人だったりするし、タイミングが合わず今回はだいぶ中があいて一年ぶりくらいだろうか。

 やはりいいものだ。格段の話があるわけじゃないけれど、ちょっとしたことの中に昔の若い顔が浮ぶし、利害関係が全くないメンバーだから、とにかく屈託から離れられる。いつもセッティングしてくれるW君が相当のグルメで、実に旨いものを食べさせてくれるのもいい。

 今日はどんな店か、どんなものが出るかな、と考えていると、行く前についこの文章を書きたくなってしまった。



4月2日 花見オフ会

 昨4月1日、昨年に引き続き今年もmixi仲間で花見をした。ネット用語でいうオフ会である。
 昨年は3人だけでほんの小手調べというところだったが、今年はちょっと拡大しようということで、去年の参加者がそれぞれ知人のマイミクさん(mixiの仲間)に声をかけ、計7人になった。

 それぞれのマイミクさんだから、Aさんのマイミク=Bのマイミクならずで、互いに初対面の関係が交錯するわけだが、ま、事前に互いのmixi画面を少し覗き合ったりはしているから、全く予備知識がないわけではない。

 それにみな、自宅か職場が柳瀬川にほど近い御近所衆でもあり、物書き、詩人、編集者、ネット書店勤務者と、本に関わる人ばかりだ。むろん文学好きばかりでもある。

 私はこの日のために越乃寒梅・別撰を用意した。1品持ち寄り制だからそれぞれ酒類も持参するはずであり、多すぎるかなとは思ったが、盛上がりを図ろうとドシッと1升瓶ごと置いた。

 さすがに好評でどんどん酒が進み、付随して話も盛上がった。一番若いササヤンなど、殆ど口のとぎれるヒマもない。12時に開始し、ふと気づいたら5時近かった。暑いほど好天だった日も陰り、周りの人も随分引いている。

 ヤヤヤと立とうとしたら敷物が濡れており、尻が下着まですっかり湿っている。川原には冬前に刈られた草の棘がだいぶあり、それで敷物に小さい穴があき、前夜の雨で湿っていた草や土から水気が沁み出たらしい。

 体の内部は酒ですっかり温まっているから、うかつにも何時間も気づかなかったらしい。立上がってみたら、えらく腰や股関節あたりが痛く、ヨチヨチとしか歩けない。おかげで締めの挨拶も殆どし忘れ、よたよたと(私だけだが)解散となった。

 帰ってすぐ熱めの風呂に入ってやっと人心地ついたが、いやあ、みっともない。五十肩変じて六十腰である。娘にメールでそのことを書いたら、歳なんだから気をつけて、折り畳みの簡易椅子は100円ショップにだって売ってるんだから、そういうのを使いなさい、と叱られた。

 娘に心配されたり叱られたりは、これまであまりなかった気がするから、いよいよそういう歳になってきたかの思いが生じる。そういえば、花見メンバーでも私たち夫婦が最年長だった。ササヤンが生年昭和32年と言ったとき、期せずして一座から感嘆の声が洩れたが、わが連れ合いは今日になっても、だんだんあたしたちが一番年上になる機会が増えてきたわねえ、と感慨を洩らしていた。

 いや、しかし、娘が一ついい感想も言った。ヘーエ、mixiのオフ会なんてパパは新しいことやるわねえ。