風人日記 第二十四章
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ウオーキングの朝
  2008年1月3日〜

12月30日、日本最西端の島・与那国島の海岸周回道路を
走っていて見つけた巨木。
確かここには「アグの木」と書いてあったが、
正式には「オオバアコウ」と言うそうだ。
幹が何本分も重なったように見える
実に大きな樹で、思わず写真を撮った。






このページは日記であると同時に日々のエッセイ集、さらには世の中への自分なりの発言、時には創作かもしれぬジャンル不分明な文章を含めた自在な場所のつもりです。とにかく勝手に書きますが、時折は感想を掲示板なぞに書き込んでいただくと、こちらも張り合いが出ます。どうかよろしく。



               お知らせ (*日記はこの欄の下方にあります)


 チベット問題に関して、中国政府への抗議・要請等のアピールを出すようペンクラブ獄中作家・人権委員会へ提案したら、すぐ賛成が相次ぎ、文案も出来て承認された。
 今日午前を期して各マスコミや中国大使館その他関係機関に送られるはずです。
 英文訳も付加されるはずですが、とりあえず日本語文をここに書きます。3月26日



  
チベットの事態を憂慮し、言論表現の自由と人権の尊重を求める

われわれ日本ペンクラブ獄中作家・人権委員会は、平和を希求し、言論表現の自由と人権を守る立場から、チベットならびにその他の地域で平和的な抗議行動を行っていたチベット人に対し、中国当局が厳しい弾圧を行っていることを憂慮するとともに、中国政府が中国国内でのチベットをめぐる言論、現地でのジャーナリストの取材ならびに海外からの報道等を規制している点についても看過できない。

日本ペンクラブ獄中作家・人権委員会は中国政府に対し以下の点を要請する。

1 チベットの抗議行動に対して自制をもって対応し、平和的対話を求める全ての声に耳を傾けること。

2 チベットの人々の表現・集会・結社の権利を保障し、これらの権利を行使したことを理由に逮捕・拘束されている人々を速やかに解放すること。

3 ジャーナリストがチベット自治区及び隣接するチベット人居住地域に障害なく入り取材できるよう保障すること。

4 今回の事態の究明のため、国連等国際機関の調査を受け入れること。

さらに日本政府が国際社会と協力し、中国政府が今回の事態に対し最大限の抑制した対応をとるよう働きかけることを要請する。

2008年3月26日

社団法人日本ペンクラブ 獄中作家・人権委員会


Tibet関係サイト  

 http://www.geocities.jp/t_s_n_j/index.html
(日本語)

 http://www.tibetsites.com(英語。写真多し)

 
http://www.tibethouse.jp/home.html日本語

 http://www.amnesty.or.jp/

大紀元 (中国在外で発行されている反体制派のネット新聞。法輪功寄り?)

 http://jp.epochtimes.com/jp/2008/03/html/d56609.html
 (日本語)


* 3月14日の「ビルマ集会」は、無事終了しました。一時どしゃ降りの悪天候にかかわらず80人の参加を頂き、会場はほぼいっぱいでした。参加者の方々、どうもありがとうございました。(3月15日)

 そのビデオ映像が「Oh My News」で放映されているので、よかったらご覧ください。
   http://live.omn-japan.jp/cgi-bin/live.cgi?id=19

 もちろん問題の性質は今後も持続していくことなので、ビルマ、そしてちょうど昨日から起ってきたチベット問題などへのウオッチは、今後とも続けていくつもりです。皆さんも情報等あったらお知らせください。

 (以下の記述は、集会の内容を知らない人も多いので、もうしばらく掲載しておきます)

 第26回「WiP(ライターズ・イン・プリズン)の日」シンポジウム
   【なぜ私はこの国を伝えたいのか ―ビルマ報道とジャーナリストの目】

  日時:2008年3月14日 18時30分〜20時30分
  会場:日本プレスセンター(日比谷)10Fホール
       地下鉄霞ヶ関駅、内幸町駅より数分
         会場整理費(資料パンフ付)500円

 第1部: 田辺寿夫(ビルマ・ウオッチャー。ビルマ市民フォーラム)
       チョー・チョー・ソウ(ジャーナリスト。雑誌編集発行)

 第2部: 江川紹子(ジャーナリスト)、山本宗補(フォトジャーナリスト、ビルマ市民フォーラム)、      綿井健陽(ビデオジャーナリスト、アジアプレスインターナショナル)
 
      司会:夫馬基彦(ペン獄中作家・人権副委員長)

   主催:日本ペンクラブ獄中作家(WiP)・人権委員会


BurmaInfo & ビルマ民主の声

   http://www.burmainfo.org/politics/88GSG_200708.html (日本語)

  Democratic Voice of Burma ( ビルマ語、英語。ビデオ映像多し)



「季刊文科」39号(鳥影社。1000円)発売中。 大手書店にあり。


    「やんばる島」(連作・南島シリーズの7)  

     http://www.choeisha.com/kikanbunka.htm

     36号「植民島」、37号「植民島2」


発売中:『按摩西遊記』(講談社、1800円)  アマゾンで送料無料

                 
  http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062134470/249-5398224-6034725?v=glance&n=465392

3月28日 花咲きぬ去年(こぞ)の思いを想い出し  南斎

 去年のちょうど今頃作った句は以下の如し。

   花咲くや二十年の憂さ遠のきぬ 南斎

この句なしで読めば、恋句ともとれそう。その方がいいかな。




3月26日 チベット問題へのアピールを出す

 上のお知らせ欄に書いたように、チベット問題に関し私が所属するペンクラブの委員会からアピールを出しました。

 私個人としてはこれがどれほどの効果を持ちうるかかなり悲観的なのですが、何もしないよりはいいかもしれない、現に中国政府は外国記者のチベット地域への一部入域を認めかけているから、もう少し後押しすることにならないかなどと考えています。

 尤も、日本政府に関してはたぶん何もしないでしょうね。何しろ日本の高村外務大臣は、ラサでの事件が伝えられた時、「事態が収まること、在留邦人が無事であることが一番大事」とだけ言い、チベット人のこと、少数民族問題については一言も触れさえしなかったのですから。この発言では、中国政府がデモを鎮静化させ、日本人に死傷者さえ出なければいい、ととれるではありませんか。

 現にその後、ヨーロッパなどでは為政者による強い中国政府批判(サルコジ仏大統領)や、オリンピックボイコット発言などが出ているのに、日本政府関係は一言もありません。

 私個人の意見としては、オリンピックは開会式ボイコット、競技には参加、ぐらいの措置を取るべきと思うし、周辺にもその意見が多数派なのに、政府やオリンピック関係者からその種の考えが何も出てこないのは情けない限りです。

*付記:本日(26日)の朝日新聞夕刊16面にこの声明の記事が出ました。素早い反応で、やったかいがあった気がしています。
 我が家は他の新聞を取っていないので、ほかにも載った新聞があったら御一報いただければ幸いです。


3月23日 チベット問題のその後と台湾総統選 

どちらもこの間ずっと注視してきたが、チベット問題は広がりに期待するとともに、中国政府の欺瞞ぶりに腹が立ち続ける。

すでにネットでもテレビでも数多くの媒体で、中国武装部隊の残虐ぶりは明らかになっているのに、中国政府は一言も認めないばかりか(昨日、アバ県での発砲だけは認めたらしいが、死傷者が出たとは言わず)、チベット人、ダライ・ラマが悪いの一点張りである。

悪いのは中国漢民族による他民族の侵略支配、抑圧なのであり、信教の自由、言論の自由を認めない強権政治なのだ。
チベットは元来独立国であり、民族も言語も文字も文化も宗教も異なる別の国・地域である。

それを無理やり漢民族の力で統治しようとするやり方自体が、植民地主義であり、帝国主義だ。中国は共産主義・社会主義を標榜しながら、経済は金もうけ的資本主義そのもの、政治は独善的帝国主義そのものだ。

私はかつてソ連邦が解体したとき、次は中華人民共和国だと思ったが、それはいつ来るのだろう。

台湾の総統選も意外な結果だった。国民党が勝つかもしれないとは思っていたが、大差すぎる。これでは「一つの中国」論が力を持ち、中華帝国に対する有力な批判勢力だった台湾の自立心を弱めかねない。

私ははっきりいって台湾独立を支持するし、チベットもウイグルも独立した方がいいと思っている。雲南のいくつかの少数民族(といっても人口は1000万以上だったりする)も内心そう思っている人々は多いだろうし、内モンゴルも明らかに異民族異文化だ。

それらを漢民族支配の「中華国家」として統治しようというのがそもそも無理があろう。
一歩引いて「中国」を認めるにせよ、それは緩やかな連邦にして、構成諸民族の自治は十二分に保証すべきである。



3月19日 ついに出てきたチベット血の虐殺写真

3月16日、四川省ガバ(アバ)県でのデモに対する武力行使結果の写真。明らかに銃撃による死体である。
目をおおうものなので、これ以上何もいわない。あえてアドレスを記すが、見たくない人は見ないこと。
 http://www.tchrd.org./press/2008/pr20080318c.html


3月17日 上のお知らせ欄更新、チベットのことなど

お知らせ欄を更新しました。
ビルマ集会のことが一段落したと思ったら、今度はチベットです。

チベットも小生には思いがかなり深く、かつて若き日、ネパールやインドのブダガヤでチベット難民たちと親近したことを想い出します。
ダライラマともブダガヤの旧正月で2,3度遭遇しました。

質朴で信仰厚い民たちで、私は彼らの経営するテント食堂でほとんど毎食食べ、夜もそこに泊ったりしました。当時はチベット解放戦線なるものの噂もちらほら聞きました。

ダライラマは当時は30代半ばで、いくらも世代が違わぬ人という印象でしたが、今はだいぶ歳をとった様子がこの頃の報道で感じられます。
みんなどうしているかしら。

チベット情報のサイトも書きましたので、ぜひ覗いてください。



3月15日 昨宵のビルマ集会、意外に盛況

昨14日宵、プレスセンターで開催した懸案のビルマ(ミャンマー)シンポジウムは、宣伝不足、担当事務職員の退職、一時どしゃ降りの悪天候、などのマイナス要因にもかかわらず、約80名の参加者があり、会場はほぼいっぱいになった。

出演者の話も面白く、ビルマの現状報告から日本の関与(旧軍、最近の援助国としての政府の態度)、またマスコミ界、特にフリージャーナリストの役割、まで率直な発言がなされ、会場では多くの人がメモを取っていた。

私の知人関係もマイミクのmotoi君、日藝映画科の山田教授が来てくれ、熱心に聞いてもらった。

私の司会もおおむね好評で、「話の引き出し方がうまい」「終りがキマッていた」などと、何人もからほめられた。

とにかくこれで、去年秋以来ずっと懸案だったことが終わり、ホッとした。イベントはたった1日の2,3時間のことに過ぎないのだが、準備から後片付けまで主催者側としては雑事が結構あるもので、少なくとも気分としては結構大変だった。

近くの居酒屋での打ち上げ会を10時半に終え、帰宅は11時45分、私としては極めて珍しい0時過ぎの風呂に入っていると、疲れがスーッと抜けた。


というわけで、この欄上方の「お知らせ欄」も久々に書き換えます。



3月13日 明日(14日)、いよいよ「ビルマシンポジウム」18:30より


もう、何度かお知らせしてきましたが、以下のような次第です。ペンクラブは2月に「災害と文化」という大きなイベントがあったばかりで、宣伝が遅れたとか、大学が春休みといった事情が重なり、参加者が少なそうな気配です。ぜひ来てください。


第26回「WiP(ライターズ・イン・プリズン)の日」シンポジウム

 【なぜ私はこの国を伝えたいのか ―ビルマ報道とジャーナリストの目】

  日時:2008年3月14日 18時開場、同30分開演〜20時半終了予定。
  会場:日本プレスセンター(日比谷)10Fホール
        地下鉄霞ヶ関駅、内幸町駅下車数分。
      会場整理費(資料パンフ付)500円

 第1部:対談 田辺寿夫(ビルマ・ウオッチャー。ビルマ市民フォーラム)、チョーチョーソウ(在日ビルマ人雑 誌編集発行者)

 第2部:シンポ  江川紹子(ジャーナリスト)、山本宗補(フォトジャーナリスト、写真集「ビルマの子供たち」)、綿井健陽(ビデオジャーナリスト、アジアプレス)
      司会: 夫馬基彦(作家、ペン獄中作家・人権副委員長)

   主催:日本ペンクラブ獄中作家(WiP)・人権委員会



3月8日 春来たる 土手の賑はひ 鯉の恋   南斎

この句には若干の解説が必要だろう。とくに下5だが、ふざけているわけではなく、本当に鯉の恋というものがあるのだ。昔からの春の季語にある「猫の恋」に似て、鯉も春みずぬるむ頃になると、陽の注ぐ浅瀬などでオスメス重なり身をこすりあう性衝動を繰り返すのである。

やがては産卵し、その上にオスが精子をふりかけ、コンクリート岸辺の藻の上なぞにびっしり数の子昆布みたいに受精卵がつく。その頃までにはまだ日が少々あるが、今日あたりの日当たりでは鯉の一部が早くも待ち兼ねたようにバシャバシャと音高く水を跳ね上げ、騒いでいる。まさに連句用語で言う「待ち兼ねの恋」そのものである。

わが書斎から見下ろせる柳瀬川で、このところちょくちょく見える光景であり、ウオーキングがてら土手に出ると、ウオーカーが何人か立ち止まってそれを眺めていたりする。訳を知らない人が多く、「何でしょうね」とか「遊んでるんですかね」と言う人もいるが、確かに遊んでいると言えなくもない。

人間も遊びたいとたいてい思っている。




3月4日 入試すべて終る


わが日藝の入試は8学科分を4回に分け、2月の毎火曜日に行われる。
文芸学科の入試はその最終回第4火曜日26日で、2次試験が29日金曜だった。

おかげで29日は午前中から午後4時過ぎまで作文・面接・採点と続き、くたびれたが、その結果の最終認定が今日の教授会で行われた。これはまあ形式的手続きとも言えるが、ともあれこれによって初めて受験者たちに正式合否が知らされる。

言い換えれば、これで教師側としても入試がすべて完了となる。あー、終った、の実感の時だ。
あとはやっと春休み気分というわけである。出校日も会議が2回に卒業式ぐらいとなる。
さあ、わが時間だ。

今度は長篇を書きたくなっている。が、いいアイデアは浮ばない。夢でも考えていたりする。今までは、まとまった時間がとれないからとどこかで逃げ口実も生じていたが、もうそうはいかない。だんだん自分を追い詰めていくことになる。苦しいがそれが快楽でもある。

ところで、ペンクラブの
「ビルマ・シンポジウム」もやはり成功させたい。
  3月14日(金)プレスセンターにて、18:30より

上のお知らせ欄、もう一度ご覧ください。



2月29日 いよいよ3月14日〈WiPの日〉シンポジウムの詳細決定

 昨日の獄中作家・人権委員会で、上記お知らせ欄のように詳細がすべて決まった。
すでにペンクラブ公式HPに載せるとともに、各マスコミにも連絡し、毎日新聞等では早くも記事にしていただいたとのことである。今後、各紙誌に載っていくと思われるので、御注目ください。

 普段なら大学でも学生諸君らに呼び掛けるところだが、目下は春休み中なので、それが出来ない。学生諸君、卒業生諸君は、ぜひ参加してみてちょうだい。たまには教室以外でのこういう催しもなにかの参考になると思います。



2月25日 懸案終了、さりながら寒し


毎年の確定申告だが、今年はくたびれ果てた。
例年同様「会計王」という古いソフトを使おうとしたところ、去年クラッシュしてリカバリーしたVAIOと合わず(去年まではちゃんと使えていた)、半年分処理したところで、突然動かなくなってしまったのだ。

あれこれ試みたがどうにもならず、さらに古いパソコン、パナソニック(ウインドウズ98)を引っ張り出して、そっちへいちいちデータを移すのに半日かかった。そして残り半年分を仕上げるのにまた何時間かかかる。

ところがそのパソコンは現在使用しているプリンター(比較的新しい)につなげず、出来上がった内容をメモリーに入れ、連れ合いの古いパソコン(会計王が入っている)に移し、やっとプリント。それを元に申告書の控をともあれ作成した。

そこまででつごう最初から数えると丸2日かかり、くたびれ果てて寝た。寝ながらも、頭の中で申告書の項目がちらつき、まるで若き日の試験前夜みたいな気分であった。

そして今朝、若干の訂正をしたのち、やっと提出用を仕上げ、さっき税務署へ簡易書留で郵送手続きをしてきたところなり。
ああ、くたびれた。実にくたびれた。

やることは別に大したことじゃないし、創造性なぞまるで必要ない事務的なことに過ぎないのだが、要するに年に1度しかやらないことなので、コトを思い出すのに頭がぎくしゃくするのである。

郵便局の帰り、かなりの解放感があったけれど、しかし空気は寒く、耳隠しをかぶってもなおビンと冷えた。実はこの2,3日ちょっと風邪気味で、漢方の風邪薬を服用中なのである。

明日は文芸科の入試日だから、休むわけにはいかない。今日はウオーキングなぞやめ、あったかい家にこもっていよう。




2月21日 このごろ嫌いな人

福田首相:かつて官房長官時代から、長官というより「官房長」的人物だなと思っていたが、この頃はどこかの役所か大きめの会社の総務部長という感じがする。
いつも他人事みたいな言い方をし、国会では官僚の作文を棒読み、人間的味が全くないつまらない人。

町村官房長官:一見穏やかでふくらみのありそうな顔に見えたけど、時間がたつにつれ、何事も言質を取られることなく巧みにかわせばよし、個人の見識や責任感はほとんどない人物という気がしてきた。

鳩山法相:おっちょこちょいで無見識、人権感覚ゼロの脂ぎった男。死刑囚問題の時は自分が死刑執行署名をしたくないゆえの発言かとも思ったが、その後6人だかにぱっぱと署名、近来最大の死刑署名法相となったと聞いて唖然とする。「冤罪発言」においては、それでも法務大臣かと思った。
即刻罷免すべし。

しかし、福田首相は罷免もせず、だらだらと「無難に」内閣を維持するだろうな。

そうそう、ついでに言っておけば、上記3名とも典型的世襲議員である。


2月16日 熊谷守一(クマガイモリカズ)

昨日は久しぶりに埼玉近代美術館へ行ってきた。うちから道1本、車で30分足らずのここは以前はちょくちょく通ったが、このところは御無沙汰だった。

今回の目的は企画展の「熊谷守一展」である。
私はこの画家をずいぶん好きで、20数年前、短篇小説に書いたことがある。「白い秋の庭の」で、単行本『楽平、シンジ、そして二つの短篇』(福武書店)に収めた。

発表時から好評で、数名の人から「名品の趣あり」とえらく褒められた。自分でも自信作、愛着作で、その後もペンクラブの電子文藝館に収録してもらった(以下のアドレスです。よかったら御覧ください)。

  http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/index.html

また、ちょうど20年前、信濃毎日新聞からの依頼で、1ページ全部に彼の絵1枚を紹介し、それへのコメントの形でエッセイ「鮮やかな色彩とユーモア」を書いたこともある。

その紹介作は〈宵月〉(1966年作)で、濃いブルーの夜空を背景に枯れた黒い葡萄の葉と幹、そして白い半月が描かれているだけの、色彩は3色だけ、構図は簡明単純化そのものの図だ。

その当の絵が今回展示されており、私はまるでおのれの所有物に会ったごとき気分になった。熊谷さんの絵は持てるものなら持って、書斎に置きたいが、寡作だった人でもあり、そうはいかない。

それに色彩・構図とも明澄そのものだから、印刷もきれいに出るし、プリントをいくつか楽しんだ方が、量・こころとも豊かになっていいかもしれない。

今度の展示は、油絵のほか日本画、書、も多数あり、今までの熊谷展のうちでも一番のような気がする。彼の有名なコレクター木村定三氏のコレクションがほぼそろっているらしいのもうれしい。

というわけで、本当に何年ぶりかで守一翁の無欲・自然の境地に触れられ、こころなごんだ。
私も気ままに木を植えられる庭付きの住まいを早く手に入れ、植物や蝶や鳥などと暮したいものだと、改めて切望した。



2月11日 世は3連休だそうだけど

我が家ではほとんど関係がない。
二人ともいつものように起き、いつものように食べ、いつものようにパソコンに向かったり書見をし、そして午後に時間を見つけてウオーキングというか散歩をし、夕方からささやかな晩酌に移る。

ウオーキングは早朝の土手でしていた時は、スピードも上げるし、ウオーカーとたくさん行きかうので、自ずと汗をかくほどに歩いたが、午後、土手以外の場所を歩いていると、なんだか散歩ふうになってしまう。

ま、寒いうちはやむを得ないと思っているが、立春も過ぎたことだし、早く暖かくならないかしら。やはり早朝ウオーキングの方がメリハリがついていい。



2月7日 書くことの快楽

正月に行った南島の旅を素材にした短編小説が、どうにか終りに近付いてきた。
2作書くことにしたのだが、1作は既に出来、もう1作も結末が見えてきた。両方仕上がれば、シリーズ全体も終結模様となる。

むろん、一旦出来てから仕上げの鉋がけやら、シリーズ全体を見ての直しやらもあるから、先行きもう少し時間はかかるが、とにかくゴールが視野に入ってきたことは事実で、いささかのホッと感がある。

鉋がけは大幅に気に入らないことに出くわさない限り、楽しい作業とも言えるから、神経は細心に使うものの、余裕もある程度ある。

問題は仕上げた後のことで、売れない作家にとってはそっちが実は一番の難物なのだが、それは今は考えないことにするしかない。
とにかく少しでもいいものを書きたいし、そう思って集中していられる時が作家として一番充実感がある。




1月31日 雪の信州


一昨日昨日と、また所用で信州小諸及び周辺へ行った。軽井沢以降、佐久平も小諸市も一面の雪で、今冬初の雪体験となった。

寒いがきれいで、前日まで少し風邪気味で心配していたのに、気分は悪くなかった。3か所ほどまわり、普段は絶対会わない種類の人たちに会ったのも面白かった。ずっと田舎で暮してきた人たちの堅固さや生活感が見えるのもいい。

特に信州人には、寒冷地と空気のピリッとした清浄さの中での暮しが培ったものか、質朴さと、はっきり自分の意見を言う気質、そしてある種の頑固さが共存していて、なるほど信州かたぎというものがあるなあ、と改めて思った。

昔から教育県・革新好みというが、確かにそういうところがあるし、同時にかなりの保守性がある。この数年、田中康夫の登場ぶりと敗退ぶりを思い出して、つい微笑んでしまった。

小諸で泊ったホテルは都市型のビルだったが、4階に湯量豊富な天然温泉があって、湯煙もうもう、外は純白の雪世界で、久々にいい気分だった。

夕方と寝る前、そして翌早朝の3回入って、すっかり肩のこりも風邪気味も取れた。
翌日の青空と浅間山の雪もようも美しかった。




1月26日 ペンクラブの委員会と飲み会


昨日は午前中、大学で試験監督をし、午後は4時から兜町のペン会館へ行った。

獄中作家・人権委員会は珍しく12名もの委員が出席し、久々に盛会となった。3月14日(金)に東京日比谷のプレスセンターで「WiPの日」を開く最終決定日ゆえである。

WiPの日は、18時開場、2部構成のシンポジウム形式で、「なぜ、私はこの国を伝えたいかーービルマ報道とジャーナリストの目」がタイトルとなった。

1部は、ビルマ専門家や在日ビルマ人の方々の出演。
2部は、亡くなったカメラマン長井さんのことを導入に、独立ジャーナリストの方2−3人に出演依頼。

私は2部の司会担当、と大まかに決まった。
出演者の決定などディテールが決まったら、改めてこことHP上でもお知らせするから、皆さんもぜひご参加ください。

6時から2次会に移った。私は朝からちょっと喉がひっかかる感があったし、寒かったので、この日は失礼して早寝しようかとも思ったのだが、委員長の今野さんや作家の小嵐さんが「熱燗を飲んだら治るよ。ちょっとだけでも飲んでったら」というので、空腹でもあり、つい引きづられた。

結果はだんだんメートルが上がり、初顔合わせだった弁護士の五十嵐二葉さんらを相手に、かなりの高声で喋りまくっていた。五十嵐さんは古くからの名だたる人権派弁護士なので、ついこちらも力が入り、はっきりは覚えていないがどうやらペンクラブの現状批判までやってしまったらしい。

以前と違って理念や理想がなくなった(低下した)、委員の選出・構成が縦割り過ぎてオープンでない、などだ。
日頃からの思いで、間違っているわけではないが、酒の場だけで言うのもなあ、と今朝目覚めて必ずしもすっきりせず。

酒ってやっぱり妙な作用がある。



1月22日 ヒラリーかオバマか 

私はどちらにも一度大統領をやらせてみたい。
何しろアメリカ大統領と言えば世界最大の権力者である。使える武力もすごければ、金もすごい。影響力も当然ながら世界のどんな権力者より群を抜いている。

ところが、それに女性がなったこともなければ、黒人がなったこともない。それぞれ、いったいどんな政治をするか。
イラク戦争は終結させるのか。アフガンはどうするのか。

また、男中心の社会構成、男が働いて女は家庭、的な古き価値観はどうなるか。
あるいは、世界人口からすれば少数派である黒人が権力を握ったら、世界は変化するのか。

当初、オバマ圧倒的有利が言われたニューハンプシャー州予備選のとき、私は白人社会による黒人への揺り戻し、平たく言えば、やはり黒人はいやよという潜在的人種主義が表面化するのではと考えていたが、結果はほぼそうなった気がする。

女性への揺り戻しはまだないが、今後どこかで現れるかもしれない。

つまり、女性も黒人(有色人種)も、世界の権力地図の中ではまだまだマイナーあるいは弱者なのだ。それが今度初めて数字になって、帰趨というか変化が顕在化する。まさに史上初めてのことで、楽しみな次第である。




1月18日 またしても0度C 


ちょうど昨日のテレビ番組で、寒暖差の激しい寒さ(つまり、暖かいところから急に寒いところに出ること)は高血圧を招く、年配者は要注意、と言っており、気になった。
ゆえに今朝も早朝ウオーキングはやめる。

すでに3日続きだ。おかげで体重が1〜1、5キロ戻ってしまい、腹も少しだぶつく。うーむ。むつかしいもんだ。何かいい方法はないかしら。



1月14日 寒い ただいま0度C

昨年11月に新しいパソコンにして以来、パソコンを開くと画面右側に表示される気温を見る習慣ができた。今日は現在2度の表示である。ただし、場所は東京基準なので、私の住む埼玉県S市の気温を見ると(お気に入りに入れてある)、午前9時で0度Cと出る。

やはり寒い。先ほどベランダに出て、鉢植え類に水をやったりしたが、それだけで体が冷え、咳が出た。
石垣島で拾ってきた肉厚の植物をコップにさしておいたら、根が出てきたので、小鉢に移植したが、むろんベランダなぞに置けそうにない。

当分リビングの卓上に置いて見守ることになる。
まだ名前も調べてないし、花が咲くのか否かも全くわからない。ただ、咲けばいかにも南国的なものになるであろう予測だけはつく。それが楽しみなのだ。

朝のウオーキングもこのところさぼり気味だ。というか、あまり寒いと高血圧によくないらしいので、食後とか昼間にすることにしたのである。雨が降ると休止にするから、2日ぐらい歩かない日も出てきた。

昨日なぞは風が強かったので、結局30分で切り上げた。
毎朝ウオーキングと言っても、かくのごとく予定通りにはいかない。

人生も似た感じで、60も半ば近くなればもう少し悠然としていられるかと思ったら、全然そうはいかない。20年も前の失策に毎晩うなされたり、人を恨んだり、かと思えば10代のときの初恋の人の面影が突如浮かんできて、しまった、あのときは…などと悔やんだりだ。

時間も人生も己も、妙なものだ。
短編小説を書こうとこのところ考え続けているのだが、その時間・世の変転をどう取り扱うかが難しく、いい方策がまだ出てこない。小説を書くときだけ、時間と人生をコントロールできる感があるのが、小説を書く醍醐味の一つなのだが……。



1月10日 新年授業始まる

7日から新学期は始まっていたのだが、私の授業としては昨日が第1日だった。

1年ゼミと1,2年対象の文芸創作論。

前者は出席7名、後者は約80名。久々だからやはり気が入る面がある。

ゼミはゼミ誌の最後の合評をやったのだが、学生たちの小説や文章が意想外に面白かった。1年はまだ正式には小説の書き方は教えていないのだが、結構書くのだ。しかも今回の雑誌はエッセイを含め全体が「夜」というテーマで縛りが入っているので、統一感と比較の妙味があっていい。

後者の方は大教室での大授業だが、実質1年間の締めの日なので、「文学とは何か」「文芸創作とは何か」から始め、主として小説に託し、文学とは結局「私とは何か」「人間とは何か」「人生とは何か」「社会とは何か」そしてさらに大きく言えば「宇宙とは何か」に至るまでをことばを通じて追求し表現するもの、といった話をする。

人間は「私」を通じてしか他者も世界も感知できない、ゆえに私をとことん見ることによって人間を見ることにもなる、きれいごとではない私のすべてを冷徹に見る、おのれの中にある存在の井戸を深く深くのぞきこむ、それが文学である、書くことはそのおのれをさらけ出す覚悟をすることである、といったことを話した。

1,2年の初心者に話す内容としてはやや重すぎた気もするが、しかし、どこかの段階で認識してもらいたいことなので、まあ早めに、というわけだ。

私は2年ゼミは持たないし、創作論の方は一度とった人はとれない建前だから、今年の諸君とはあと1年ちょっとは触れない可能性があるので、あえてそうした。

この中から3年次江古田校舎で何人、私の授業を取りに来るかが楽しみである。来てくれればそういう学生との紐帯は深くなる。教師としてうれしい時だ。



1月6日 ああ、うちはいい

 私は若いころからよく旅をしてき、周囲からも世間からも相当の旅好きと思われてきたし、自分でも確かに旅好きだと思う。
 が、このごろどうも旅がおっくうになることもある。

 宮古・八重山への旅から帰って自宅にいたら、安心感・快適感・気楽感、そして集中感もある気がして、この方がいいかなとも思えた。

 むろん、それらは旅あってこその気分ともいえる。どこへも行かずじっと家にいたら、別種の不満、不充足感が生じることも間違いなかろう。

 結局、万事好都合にはいかぬという普遍的事実にすぎないのだろうが、ひとつ、体力の衰えということはあるかもしれない。要するに歳とともにそうなっていくのだろう。去年、暑いミャンマーから帰った後もしばらくボウーっとしていた。

 慣れた場所でゆっくり眠り、朝、白い霜を見ながら慣れた土手をウオーキングし、連れ合いの慣れた手料理を食べ、慣れたパソコンに向かっていると、落ち着く。旅先で知った本も、ネットで探して注文したらもう沖縄から着いた。荷物になるので買わずにきたシークァーサーのジュースと宮古島のもろみ黒酢も、昨日ほど近いオリンピック食品売り場へ行ったら、ちゃんとあった。

 うちで十分なのかとふと迷う次第だ。



1月3日 帰ってきました

 昨日、宮古・八重山の旅から無事帰ってきました。
 皆さん、新年おめでとうございます。今年がよき年でありますよう。

 帰ったばかりで、まだ落ち着きません。少々くたびれてもいるので、とりあえず新年の御挨拶だけにさせてもらいます。南島の話等はまた項を改めます。