風人日記 第二十五章
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今年度はあれこれ…
  2008年4月1日〜

この花、パソコン内のピクチャアーを探しているうち、目にとまった。
「東北北海道」と記した2006年のもので、8月の日付みたいだから、
はて、どこで撮ったものか。青い色が清楚で、かつある種の官能性が
あり、気に入ったのだろう。その後、2名の方からクレマティスと知らさ
れた。






このページは日記であると同時に日々のエッセイ集、さらには世の中への自分なりの発言、時には創作かもしれぬジャンル不分明な文章を含めた自在な場所のつもりです。とにかく勝手に書きますが、時折は感想を掲示板なぞに書き込んでいただくと、こちらも張り合いが出ます。どうかよろしく。



               お知らせ (*日記はこの欄の下方にあります)


 チベット問題に関して、中国政府への抗議・要請等のアピールを出すようペンクラブ獄中作家・人権委員会へ提案したら、すぐ賛成が相次ぎ、文案も出来て承認された。
 今日午前を期して各マスコミや中国大使館その他関係機関に送られるはずです。
 英文訳も付加されるはずですが、とりあえず日本語文をここに書きます。3月26日



  チベットの事態を憂慮し、言論表現の自由と人権の尊重を求める

われわれ日本ペンクラブ獄中作家・人権委員会は、平和を希求し、言論表現の自由と人権を守る立場から、チベットならびにその他の地域で平和的な抗議行動を行っていたチベット人に対し、中国当局が厳しい弾圧を行っていることを憂慮するとともに、中国政府が中国国内でのチベットをめぐる言論、現地でのジャーナリストの取材ならびに海外からの報道等を規制している点についても看過できない。

日本ペンクラブ獄中作家・人権委員会は中国政府に対し以下の点を要請する。

1 チベットの抗議行動に対して自制をもって対応し、平和的対話を求める全ての声に耳を傾けること。

2 チベットの人々の表現・集会・結社の権利を保障し、これらの権利を行使したことを理由に逮捕・拘束されている人々を速やかに解放すること。

3 ジャーナリストがチベット自治区及び隣接するチベット人居住地域に障害なく入り取材できるよう保障すること。

4 今回の事態の究明のため、国連等国際機関の調査を受け入れること。

さらに日本政府が国際社会と協力し、中国政府が今回の事態に対し最大限の抑制した対応をとるよう働きかけることを要請する。

2008年3月26日

社団法人日本ペンクラブ 獄中作家・人権委員会

 *下記の「ダライ・ラマ法王日本事務所」のサイトに、ダライ・ラマの内容濃い声明が出ています。是非お読みください。


Tibet関係サイト  

 http://www.geocities.jp/t_s_n_j/index.html(日本語)

 http://www.tibetsites.com/(英語。写真多し)

 http://www.tibethouse.jp/(日本語。ダライラマ法王日本事務所

 http://www.amnesty.or.jp/

大紀元 (中国在外で発行されている反体制派のネット新聞。法輪功寄り)

 http://jp.epochtimes.com/jp/2008/03/html/d56609.html
 (日本語)

Tibet The Story of Tragedy (youtubeによる55分のチベット悲劇の物語)

  http://www.youtube.com/watch?v=0VRneGYpaXc

 http://tsnj2001.blogspot.com/ (チベット支援ジャパン。日本の各種イベント等)


* 3月14日の「ビルマ集会」(私も司会者として参加)は、無事終了しました。一時どしゃ降りの悪天候にかかわらず80人の参加を頂き、会場はほぼいっぱいでした。参加者の方々、どうもありがとうございました。(3月15日) (当日の内容を知りたい方は、3月までの日記欄お知らせを御覧ください)

 そのビデオ映像が「Oh My News」で放映されているので、よかったらご覧ください。
   http://live.omn-japan.jp/cgi-bin/live.cgi?id=19

 もちろん問題の性質は今後も持続していくことなので、ビルマ、そしてちょうど昨日から起ってきたチベット問題などへのウオッチは、今後とも続けていくつもりです。


BurmaInfo & ビルマ民主の声

   http://www.burmainfo.org/politics/88GSG_200708.html (日本語)

  Democratic Voice of Burma ( ビルマ語、英語。ビデオ映像多し)



「季刊文科」39号(鳥影社。1000円) 大手書店にあり。

    「やんばる島」(連作・南島シリーズの7)  

     http://www.choeisha.com/bunka.html



    発売中:『按摩西遊記』(講談社、1800円)  アマゾンで送料無料

                 
  http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062134470/249-5398224-6034725?v=glance&n=465392

6月28日 あー、終った

今日午前、文芸学科1年生用の「文芸入門講座」の小生担当時限第2回が終った。

これは本来の担当授業以外に専任教員だけ1人2回受け持つもので、土曜日に設定されているため、先週今週と土曜も出校せざるを得なかったのである。

6月はこのほか、第3日曜にはオープンキャンパスの高校生や父母向け特別授業があったし、9日には日大本部で日大文芸賞の予備選考会もあり(私は今募集中の回からの選考委員で、つまり正式には来年の選考メンバーなのだが、オブザーバー出席を求められた)、大学関係だけで都合4回も臨時出校となった。

今月はほかにも総長選挙立会演説会が午前10時過ぎからあったり、論文博士発表会など、例年はないことがあって、学校関係が忙しかった。

私的にも信州での地鎮祭やペンクラブ関係の会なぞもあり、日頃ゆったり派の私としては、近来まれな日程がコンクに詰まった月だった。

実際、今カレンダーを見てみると、先週今週の2週は日曜から土曜までぎっしり所用でうずまっており、我ながらよくこなしたなと思う。

まあ、この程度は世間や特に働き盛りでは当り前なのでもあろうが、このごろすっかり初老じみた私としては、実感として体調も崩さずやっと乗り切ったとホッとしている次第である。

さて、来月は次第に夏休みモードに向っていこうし、梅雨も明けるだろうし、気分も明るみそうだ。


6月24日 独立中国ペン張祐氏と懇談

昨日、ペンクラブ本部で小さな会合を持った。アムネスティーの招待で来日中の独立中国ペンの張裕事務局長を囲んで、交流したのである。

張氏はスエーデン在住の科学者で、1989年の天安門事件後、中国での表現の自由を求め出版編集活動をする傍ら、独立中国ペン会員として行動してきた。

独立中国ペンというのは、中国国内の北京ペン、上海ペンとは別に、国外にいる中国人作家やジャーナリスト・研究者ら(その中には天安門事件後亡命した大作家の鄭義氏や天安門のリーダーだった魏京生氏らもいる)による自主団体で、アメリカをはじめヨーロッパ各地などに会員がいる。

中国本土のペンクラブは、全くの官製団体で、中国作家協会(政府傘下の団体そのもの)が毎年(あるいは2年に1回か)20名づつ任命するだけの会員によってできている。なぜ20名かというと、国際ペンクラブの規約で20名いないと一つのペンクラブとして認可されないからで、従って本部へ納める会費も毎年20名分だけの最低額ですむよう、そうなっている。北京、上海ともそうだという。

人口13億、その南北二つのペンクラブだから、さぞ大団体かと思うのが普通だが、実態はこうなのだ。むろん本来は作家らの自由意思による参加、ボランティア団体で、民主・人権・自由等が最大の目的だが、そんなものはほとんどかけらもなく、日本ペンとの関係で言えば、1年おきに双方から儀礼的作家訪問団を送りあい、よく言えば友好交流、実態としてはパーティーと物見遊山をしあっているのだった。

だから、独立中国ペンはペンの趣旨からいって中国関係で最もペンクラブらしいのは我々である、我々は中国の民主化、人権擁護、表現の自由を目指してアクチブに闘っているし、アメリカペン、カナダペン、オーストラリアペンなどは我々と強く連帯してくれている、日本ペンもぜひその連帯に加わってほしい、というのが、来訪の趣旨だったようだ。

「ようだ」というのは、張氏からはっきりそういう申し出がなされる前に、こちらの常務理事らから、日本ペンは中国ペンともともかく長年付き合ってきており、独立ペンに肩入れしすぎるとその関係が難しくなる。日本ペンは2800名の会員がおり内部が多様であり、委員会によっては─例えば獄中作家・人権委員会─は独立ペン寄りである。そういう双方向性はこれまで通り今後も維持したい。またヨーロッパのペンも最近では旗色をあいまいにしており、独立ペンとの関係はもう少し見守りたい。といった意思表明がなされたためもある。

張氏はこの説明を微妙な苦笑とともに聞いていたが、結局、話はそれ以上具体的に進まなかった。独立ペン寄りの獄中作家・人権委員会副委員長の私(委員長が外国にいて留守のため私が委員会代表で出ていた)としても、微妙な思いで、個人的には言いたいことがあったが、それは先の常任理事でも個人の意見は別なことも分っていたし、事前討議もしていなかったから、客の前で内部不統一を見せるのもどうかと思え、もっぱら腕組して黙っていた。

会はそのあと上海料理店へショバを変え、極めて楽しく「友好交流」を深め、それなりに確かに有意義であった。酒も30年物の紹興酒などがあり、実にうまかった。
が、しかし、彼を通じて知らされた事実(新聞記事を含め)──ネット上でのやり取りを監視する警察官が5〜6万人、ネットに書いた文章のせいでの作家や記者の逮捕者が2004年以降83人、うち1人の師濤氏はたった1通のメールで懲役10年になった、などと知ると、美酒の酔いもどこかほろ苦くなる。

世の中ってほんとに難しい。歳をとればもう少し世の中を見通せるかと昔は思っていたが、そんなことは一向ない。視界はますます濁り、頭も体も疲れが増進する。一体どうすればいいのやら。


6月19日 満開

数日前からベランダの花が咲き乱れている。南側が小花くちなしで、約十数輪、ほかにあじさい、琉球朝顔や南天の花など。北側がカナダ百合に立葵。

カナダ百合は今これを書きながら数えてみると、25輪もある。薄緑色の混じった白のうえ、香りが全くない種類なので(カナダ系はみなこうかしら?)、華麗絢爛といったイメージは出てこないが、しかし我が家の北向きベランダとしてはまれに見る豪華さだ。

立葵も例年は下から2,3輪づつゆっくり咲いていくのに、今年はすくすく伸びた茎に昨日あたりは8輪ほど赤ピンクの大花をつけていた。
おかげで葵の赤と百合の白が隣り合って、豊かさを増幅させている。

私も連れ合いも2,3輪づつ長く咲いてくれた方がいいのに、と言い合っているが、そう言いつつ思わぬ豪華さにいい気分でもある。

昨日までくちなしは香りを楽しもうと室内に入れていたが、あじさいのピンクの花をヒヨドリが食べ散らかしていくので、くちなしと交代させた。どういうわけか赤い花だけが齧られるのである。鳥にも好みがあるらしい。


6月14日 最近の文学賞のありよう

昨日、大学院の授業で、最近の評判作から1人1作を選んで紹介・意見を述べる、ことをした。

時間の都合でうち3人分だけをやったが、一人が新芥川賞の川上未映子「乳と卵」をとりあげた。

私はこの作を3分の1ほど読んだところでどうしても読み続ける気になれず放棄、いったい何たる文章、何たるつまらなさと思ったが、内容が女性のおっぱいと生理(血を流す感覚)にかかわるものだけに、自分が年輩の男たるせいかもしれないと思い、若い人、特に女性はどう受けとるかと関心を持った。結果は、女性3人男1人の感想が点数にすると70点から50点と個人差があった。

ふーむと思っていると、そのあと文春誌掲載の芥川賞選評が紹介されていき、ほめている者とけなしているないし全く言及せずの人がほぼ半々であることを知った。つまりぎりぎり受賞というわけだが、驚いたことに小川洋子ら複数が(池澤夏樹もいたか?)「見事な作」みたいに言っていることだった。

え、一体、どこからそんな言葉が出てくるのかとびっくりした。そんなことを言うのは作家じゃない、ほんとに本気で言っているのか、とあっけにとられたほどだ。

で、思わずそう口をはさみかけると、石原慎太郎さんが厳しいことを言っていますと話が続いた。石原氏は、こんな作のどこがいいのか、私は全く否定するし、そのことを先々も間違っていたと思わないだろう、という意味のことを歯切れよく言っていた。私は政治家としての石原氏は極右で大嫌いだが、作家としては信用する。

また、ほかに高樹のぶ子が全く言及すらしていないことも知った。受賞作に関して言及なしというのは、まさに無視ということであろう。ふつう受賞作には儀礼としても一言二言述べるのは当然だから、これはかなりのことである。

学生が、「この作がもし50代女性の作だったら、どうなっていたでしょう?」と聞くので、私は即座に「まず受賞しなかったでしょう。ひょっとしたら、候補にすらならなかったかもしれない」と答えた。作者が見栄えのする若い女性で、タレント性のある歌手でもあり、かつ作品の発表誌が文春発行の「文学界」のため、受賞となれば本を文春が出せることが、授賞の大きな要因であることはほぼ間違いなかろう。

次に、別の学生が今期三島賞の『切れた鎖』田中慎弥を紹介した。

こちらは単行本が対象なので、表題作以外に2作あり「切れた鎖」1作だけの評価ではないが、しかし私はこの表題作に辟易した。文章が不必要に長すぎ、へたくそすぎて、読むだけで苦痛なのだ。おまけに登場人物や時間が錯綜して内容を把握しにくいこと著しい。

学生の反応は今度はかなり一致し、取り上げた当人自身が選択を間違えたかもしれませんと言い、点数も50点以下が多かった。

そして面白かったのは、この表題作が前記芥川賞候補に川上未映子とともに上がっていたため、その選評も読もうとしたところ、探せどろくに「ない」のである。やっとわずかにあったのが小川洋子と山田詠美で、山田詠美の内容は私の印象とほとんど同じだった。あとは無視である。

つまり、芥川賞選考委員は9人全員、ほとんどよしとしなかった作が、三島賞に選ばれたわけだ。むろん先述の通り三島賞は本1冊が対象だから、他の作の評価も入ってこよう。
実際、私自身、「蛹」という作はカブトムシの幼虫を語り手にした作りで、ちょっと面白く感じた。こっちは文章もさほど悪くなかったし、この作者は案外方法的意識で書いているのかと思え、先行きはひょっとして可能性ありかもと思った。

が、しかし、表題作であり、分量的にも一番多い作が先述のごときであるものが、なぜ選ばれたのか。こっちの選考委員の判定眼も疑われるとしか言いようがない。
作者が主催社である新潮新人賞出身でなかったら、まず受賞はなかったのではないか。

というわけで、最近の新人賞(去年の芥川賞「アサッテの人」もひどかった)や新人のありようがあほらしくなった。


6月9日 町の老化

昨日、近所のペアモールという商店街へ行ったら、本屋と文房具屋がまもなく閉店の張り紙が出ていた。向かいのアジア物産店も暫くまえ閉めたばかり、ほかにもこの1年ほどでシャッターを下ろしたままの店が2,3ある。

だいぶ前には行きつけだった酒屋も閉め、以来酒の好きな銘柄を選べなくて淋しくなった。おかげで酒量が減った利点もあるものの、今度の本屋と文房具店閉店はちょっとした本やノート、インクなぞを買う所もなくなるわけで、被害一方である。いちいち隣駅まで電車で行かねばなるまい。

理由は要するに私の住むニュータウンが老齢化したからだ。埼玉県南部のここは、某大手デベロッパーが創立何十周年を期して、約30年前から数年かけて大規模開発したところで、当初は人口約1万5千人、駅もそのために作られた緑多いモデルタウン的存在だった。池袋から準急25分と地の利もいい。

私はそこへ17年前引っ越してきたのだが、当時は商店も活気に満ち、小公園には子供の声が満ち、図書館や体育館、学校、市役所の出張所等各機関も完備し、町全体が生き生きしていた。

が、当時壮年期だった住民の中心世代が今やほぼリタイアないしそれに近い状態になり、子どもたちはみな就職とともに出て行き、残ったのは初老から老年世帯のみとなったのだ。

夜中なぞにちょくちょく救急車の音がし、覗くと老人らしき人が運ばれていくことも少なくなく、昼間もデイサービス車がよく目につく。
子供の姿や声は極めて少ない。

静かなのはいいが、やはり寂寥感がほんのり漂う。エレベーターで出会う人も顔なじみの半数は定年退職者になり、新しい人はだいぶ世代が下で、正直、親近感があまり生じない。

やむを得ない世代交代だ、世の中というものはこういうものだろうとは思うが、それにしても生活必需品の馴染みの店までがこうもなくなっていくと、なんといっても不便だし、ものがなしい。


6月5日 梅雨入り

このごろ朝起きるたびに外が湿っている。もう梅雨だそうだ。
今朝も雨は見えないが、下の中庭や道路は湿って見える。霧雨でも降っているの
だろうか。

おかげでどことなくうす寒い。よって暖房を軽く入れた。
風邪だったのだ。日曜あたりから体調不如意になり、月・火はずっと寝ていた。微熱程度で咳も鼻水も出なかったのだが、最初腰が痛く、次いで足がだるく、やけに眠かった。

昨日はほぼ回復、出校したが、学食までの中庭の道が遠く感じられた。だいぶ体力が落ちている。

でも、ゆうべ3日ぶりに風呂に入りさっぱりしたせいか、今朝は目覚めもまずまず、風邪はどうやら乗り切ったらしいとホッとしている。歳ふるごとに風邪が怖くなってきた。


5月31日 阿英君、おめでとう

昨日、台湾へ留学中の教え子阿英君が研究室を訪ねてくれた。
台北の名門輔仁大学大学院中日翻訳研究所へ合格したので、その報告を兼ねてだ。

日本では大学院進学者はさほど多くないし、従って入学難易度も高くないが、台湾や韓国、中国、それにアメリカなどでは一般企業への就職にも修士やドクターの資格は大きく作用するから、入学希望者は多く、入試も相当難しい。それに中日翻訳コースがある所はきわめて少ないから、その意味でも狭き門だ。

で、早速祝杯を挙げようと、彼のテニス部の後輩ゲレ君も駆けつけ、3人でお向いの例のネパール料理屋で乾杯となった。

阿英君が夫馬ゼミ生だったのはもう何年前だろうか。彼は5年までいた上、商社だったかへ就職し、5年後退職、台湾に渡って2年、すでに32歳だ。

が、たった2年にしてはずいぶん台湾のことをよく知っている。北京語もかなり出来るみたいだし、彼女もいるらしいし、棒球(野球)はプロの後援会に入ったり草野球チームで4番を打ったりで、完全に台湾にとけこんでいる。

スポーツはこういうとき役に立つみたいだ。
何より、言葉をきちんと覚えようとする姿勢と人柄がいいのだろう。いつも微笑んでいる感じでゆったりしている。この晩も一緒にいて全く違和感がなかった。

同席したゲレ君(4年間夫馬ゼミにいて卒業、今は出版社を経て印刷会社勤務で、学校のゼミ誌の印刷などに力を貸してくれている)も、すっかり感心し、台湾に行きたいと言い出した。行くといい。身近な外国を知ることは日本と己を知ることにもなる。

若い活動的な教え子と会うのは楽しいものだ。


5月25日 少年チーム田植のなかを駆けぬけり  南斎

関東平野の中では、ここらはちょっと遅めなのではと思うが、柳瀬川近辺でもいよいよ田植えが始まった。

午前中の雨のあと、田の多くが水に満ちたので、夕近く散歩がてら見にまわったら、半分近くで田植えが進行中ないし済んでいた。
機械植えだが、まっすぐのものもあれば曲がったものもある。田植機の運転技術の問題なのだろう。

植えたばかりの田も、まだ水が張られただけの田も、中には今頃代かき中の田も、それぞれ風情がある。塗られたばかりのぴかぴか光る畦もいい。

その田なかの農道を、近くの小学校のリトルリーグらしき少年野球選手たちがユニフォーム姿の背に跳ねをいっぱい付けて、走っていく。身長はまだ1メートル20センチほどだ。若苗というところであろう。


5月21日 歌仙mixi座ついに出来る

3月末からmixi風人日記上で進行していた連句が、このたび満尾した。オンライン上では久々の歌仙である。このHPに掲載の歌仙としては2004年以来だから、何と4年ぶりだ。

というわけで、「俳諧連句」欄に「歌仙の六」として掲載したので、ぜひ御覧ください。20代、30代の若い教え子中心の伸びやかなものになりました。


5月17日 サイクロンと地震 ビルマと中国

ビルマ(ミャンマー)で大型サイクロンによる膨大な被災者が出たと思ったら、今度は四川省を中心にした大地震である。

どちらも数十万から百万単位、中国の場合はひょっとしたらそれ以上の被災者数で、死者だけでもどちらも10万の大台を超えそうだ。

私は高校生時代に伊勢湾台風を体験、5000人の死者の一端を実見したし、神戸大震災の時も1ヶ月後くらいには現地を訪れたから、様子をある程度想像できるが、規模と惨状は何十倍かの凄まじさだろう。

映像等で惨状を見てもうなり声をあげるだけで言葉もないことが多いが、一番感じることは、両国とも政府や為政者側の対応のまずさだ。

ミャンマーの場合、外国の支援を拒否し、被災者をほっておいて軍政維持のための国民投票を強行するなど、まるで国民不在だし、中国は、学校などの倒壊棟数7000、その下に生き埋め児童生徒多数なぞと聞くと、いったい何たる建築、と呆れと怒りが止まらない。

どちらの国も強権政治下の官僚や役人たちが、いかに怠けたり腐敗しているかの証左であろう。
そして、ミャンマーはともあれ軍政維持、中国はオリンピック優先かと思うと、国家とか権力というものの情けなさ、虚しさを改めて感じざるを得ない。

ひょっとしたら人間というものがそういうものかとさえ思えてきたりし、そうとう虚無的気分になりかかりもする。

人間および人間社会とはかくも情けないものなのか、あるいはミャンマーと中国の政権体制が悪いだけなのか、どちらであろう?



5月13日 寒さとドリアン

毎日、どうしてこんなに寒いのかしら。
冬用のジャージーを着てウォーキングしてもまだ寒く、20分で切り上げちゃったりした。

そんなさなか、注文しておいたドリアン(冷凍)が着き、解凍を待ち兼ね1年ぶりに食べた。いやあ、うまいことうまいこと。これを臭いなどという人が理解できない。実にふくよかで、芳醇な香りだと思うがなあ。


5月10日 院生との晩餐

連休明けの週は授業や会議をこなすだけで疲れる。体も精神もどこかリズムが合わないのだ。休みは自分の世界にひたれてよかった。

昨日は連句の授業と大学院の授業。連句は歌仙の構成解説を終え、いよいよ発句の作成までこぎつけたが、句はすぐはできない。無理もない。連句が初めての者が大半の上、発句は式目も一番難しいのである。

それが最初というのが、教育的には困るのだが、やむを得ない。内緒だが孕み句という手もあるよ、と裏技まで示唆して、また来週、と終えた。

院の創作研究はメンバーが4名と確定したし、その全員が第1回課題小説を書いてきたので、合評形式の授業が軌道に乗った。
ただし、2名はとても小説以前。あと2名はかなり筆力はあるが、完成度にはだいぶ遠い。独善度も高い。

しかしここらで一献まじえておきたくなり、研究室向かいのネパール料理屋にいざない、皆で食事兼ビールとなった。

ネパールのアイスビールは授業あとの喉には香りよく爽やか、好評だった。ダル&チキンカレーの夕食セットも店主がサービスでラッシーを付けてくれ、大きなナンの付いた皿は4人用テーブルに載りきらず、一人は隣のテーブルで食べた。

ビールのあと私は目当てのククリ(ネパールラム)を頼んだが、女性群は誰も同調せず、男子1名だけが一緒に飲んだ。アルコール度42度というのが女性には強すぎると思えたのかもしれない。

尤も、ビールの小瓶もなかなか空かなかったから、今年の女性群はあまり酒好きではないのかもしれない。去年の女子学生はすさまじい飲んべえというよりうわばみに近くて呆れたから、それに比し半ば安心し、半ば物足りなかった。



5月5日  菖蒲湯は少年の香り六十歳  南斎

今日、夏立ちぬ。
実はゆうべ、もう菖蒲湯に入っちゃったのだが、句は今日ご披露。
やはりいい香りだった。冬至の柚子湯といい、私はこの種のものが好きだ。

湯上りに千年灸なるものを足の甲にすえて、心地よく就寝した。
この灸は連れ合いがヨガの先生に教わってきたもので、初め「フーン」と言っていたのに、試してみるとなかなかいい。

幼年時代、年寄はああいうヘンなことをするんだなあ、と見ていたものだけど、だんだんおのれがそうなってきた。時はめぐり、進む。


5月1日 早くも5月

今年の立夏は5月5日だから、まだ暦上の夏には多少間があるが、しかし昨日今日と温度は25度前後、ウオーキングをしながら思わずシャツを腕まくりした。今年初めてである。

半袖姿の人も多く、ああ、夏だなあと思う。書斎から見える向こう岸の病院前には鯉のぼりが5尾と吹き流しが翻っている。塀の外側では勤務から逃れてきたらしい人がたばこをのんびり吸っている。勤め人のエスケープのひと時なのだろう。

学校も休みだし、後期ゴールデンウイークがまだだいぶあるしで、いい気分だ。


4月28日 聖火リレーと山口補選

長野の聖火リレーは、教え子が複数、当日行っていたせいもあり、早朝からテレビを見続けた。
一番の印象は中国の赤い国旗の氾濫─つまり中国人の大量動員ぶりと、聖火リレー自体のぶざまさ・滑稽ぶりだった。

聖火リレーの本義はいったいどこへ行ったのか。あれでは国家意識と警備能力、義理・メンツの発露だけではないか。

また、あの状態の中でのリレーランナーたちのニコニコぶりも頂けなかった。警官に囲まれ官製動員中国人の声援のなか走ってうれしいのか。なぜ辞退しなかったのか。やむなく走るにせよ苦悩の表情を少しは見せたらどうなのか、と感じた。

マスコミ関係もだめだ。ようするに異常事態、トラブルの発生を面白がっているだけで、なにゆえこうなったか、チベット問題、中国の独善的中華国家意識については、記者もコメンテーターたちもろくに触れようとしない。

IOC,長野市もだめだ。どちらもオリンピック、聖火リレーの本義、そしてチベットの人権抑圧を考えたら、リレーは中止すべきだったのだ。それでも中国のため強行したのなら、あれにかかった経費数千万円を中国政府に請求すべきだ。

日本政府も福田のび太もだめだ。何もまっとうなことは言わず唯々諾々とあんなことをし、胡錦涛を迎えるだけらしい。情けなくて苛立たしい。

等々思いはいっぱい生じるが、なんだか虚しくて、ものをいう気力がだんだん萎えていく。

山口補選は民主党の圧勝に終ったが、思ったほど嬉しくもない。なんだ、当選者は結局元大蔵省の役人かという気もするし、今後、首相問責決議案を出したところで、政権側は無視すればそれまででもあるからだ。のび太はどのみちサミットまでは必死に椅子にしがみつくだろう。

ああ、虚しい。


4月24日 風人連句会mixi座 進行中

 mixi内でひょんなことから始まった連句がすっかり歌仙模様になってきました。今25句目ですから、まもなく歌仙完成となるでしょう。現在までの分をここにも紹介します。


 発    花咲きぬ去年(こぞ)の思いを想い出し     夫馬南斎
 脇     子のランドセルみがく明けがた        多岐一朴
 第三   夕暮に麝香揚羽の迷ひ出て              南
 4     婦人警官ふと雨をかぐ               朴
 月    爪を塗りまた落しては月仰ぐ          高田 倫
 秋     海賊版は朱欒(ザボン)剥き剥き  *注1  落合 玲
ウ 
 秋    金木犀どこにいるぞとキョトキョトし      筧 海隠
 雑     私も霞む黄土のスモッグ           湊 野住
 雑・恋  白皙の義兄の見目のうるわしき            南
 雑・恋   吐息をひとつ頤(おとがひ)預け          倫
 恋離れ  香のおぼえ日がな肩こりほゝゑまる          朴
 夏     夏蓬摘む婆の集会                 玲
 夏月   蟾(ひき)鳴いてサバト催す月の夜          住
 雑     瓶缶プラとダンボールしづか            朴
 雑    チベットの破れ僧衣が捨てられて           南
 春     保険証なき新年度かな               住
 春    桜見て証明写真は笑みこらへ          魚住 寧
 春      鰆漬けつつ故郷(ふるさと)は今         倫
ナオ(名残の折 表)
 雑    むちゃくちゃな父の歌にも妙な味           玲
 雑     この世に道理がなくてはならぬ           朴
 雑    一日があと1時間長ければ              倫
 恋呼び   神主ゆるゆる祝詞奏上               南
 恋    毎朝のネクタイ結ぶ指に惚れ             玲
 恋     痴情のもつれここに始まる             住
 恋    男抱き夢では女をなぞる今日             玲
 冬        


  *注1:上海ではDVDなどの海賊版が横行している。


18日朝:ぼつぼつ恋の呼び出しでもいい感じです。
     私が1句付けました。いよいよ本格的に恋。

18日夜:早くも新婚ないし新所帯の熱々ムード登場です。
     もう少し恋、行きましょう。斬新に、色っぽく。

21日: 早くも痴情がらみになってきました。もう1句恋
     で行きましょうか。恋離れでもOK。

23日: ぼつぼつ恋を終りましょう。次は冬を1,2句。


*ここで簡単にこれまでの連衆の紹介をしておきます。

夫馬南斎  私です。省略。
多岐一朴  文芸評論家。日藝、早稲田大学両文芸科講師。著書『文学の旧街
      道』(旺史社)ほか。連句歴古し。
高田 倫  日藝文芸科OG。元フリーライター、目下はDTPの在宅勤務をし
      ながら子育て中。30ン歳。
落合 玲  日藝放送科OG。演劇ライターだったが、目下上海にて子育て中。
      30歳。風人連句会の連衆だった。
筧 海隠  日藝文芸科OG。ITプログラマー。連句は初めて。20代後半。
湊 野住  日藝文芸科OG。最も熱心な連句受講者だった。卒後、風人連句会
      に参加。歌舞伎通。介護事務所勤務。
魚住 寧  日藝文芸科出身者としては初のOB(男性)登場。小説も書き、賞
      をもらったことあり。宮崎県の高校教師(国語)。教え子を続々
      日藝に送りこんでいる。

  *新しい方々もぜひご参加ください。



4月19日 新クラス一巡す

今週は新年度新クラスの授業開始だった。
水曜からはじまって木・金と、場所も所沢校舎の1,2年生、江古田校舎の3,4年、そして大学院修士の2クラス、と計6コマである。

まだ1回目なので受講学生数は決定しないし、例年、最終的には連休明けまでずれ込むから何とも言えないが、まあ出足は学部は昨年並み、院は倍増。

院の創作研究はどうやら5人で、47歳から24歳まで、日本語もまだ十分といえない留学生からすでに3000枚は書き、あちこちに応募してきたという学生まで、実にバラエティーに富んでいる。

言い換えれば、いったいどうやって授業をやっていけばいいのか迷う。小説を書きたいことでは一致しているが、ホラー小説を書きたい者から梶井の「檸檬」が好きという者までバラバラなのだ。

さて、どうするか、どうなるか。

もう一つは所沢の文芸創作論が問題で、去年は登録127人、課題を出すと毎回80人くらいが提出するので、読むだけで大変だった。で、受講者を減らそうと、評価はだいぶ厳しくし2割ほどを落としたが、今年にどう反映するか。

できれば80人程度になってくれぬかと思っているが、第1回の出足は去年とあまり変わらない感もあった。今年はもっと厳しくすると宣言でもしようかしら。



4月14日 雨

このところ雨が多い。今朝も雨だ。そして寒い。

朝カーテンを開けて雨だと、何やらホッとする面もある。ウオーキングはとりあえず中止だなというのが一つ、外出もしなくていいというのが二つ、静かで心落ち着くというのが3つ。

ウオーキングはやった方がいいはずなのに、休めるとホッとするのはいかなる心情だろう。
外出はどのみち私はめったにしないし、今日あたりは予定もないのに、なぜそう思うのか。
3番目は車の音や生活騒音が確かに減るけど、心落ち着く感覚は別物みたいな気もする。好天で暖かい日は明らかに気分良く元気になることを思うと、ハテどちらがいいのか。

我ながらなんだか勝手なものだ、極めて非論理的だ、と思うが、しかし実感としては間違っていないとも思う。なんでしょうかね、これは。



4月10日  新学年行事一通り終る

4月から新学年の時期だが、わが日藝も8日入学式、9日1年生ガイダンス・ゼミクラスわけ、夜は講師懇談会、10日大学院開講式・ガイダンス、とひとしきり行事が続いた。

昨9日は胸ふくらませる新入生諸君の一部が、キャアーなぞと嬌声を上げながら各研究室をあいさつ回りに歩き、私の部屋でもパソコンで「風人通信」を覗いてキャアーなどと言った。なぜキャアーなのかさっぱりわからないが、わからないのは年取った証拠かもしれない。若い子、特に女の子は何事につけキャアーなのである。

今日の院生はさすがに年齢がだいぶ上なのでそういうことはなく、群も組まず、一人づつトントンとノックして礼儀正しく現れ、指導教授たる私に「よろしくお願いします」と挨拶していった。

これで院は私を指導教授にした学生が2年で3人、1年で3人となり、今年は大忙しの様相だ。日藝の特徴で院でも小説を書きたい創作希望者が多いせいだからやむを得ないが、院はマンツーマン的指導が建前だから、計6人もいると、どこまで手がまわるか心配でもある。

が、年齢は40代から22歳まで、出身大学も関西、韓国、関東近県、東京と幅広く、バラエティーがどう作用するか楽しみでもある。
来週からいよいよ授業開始、さてどうなりますか。



4月7日 風人連句会mixi座が進行中


 mixiの方で、ひょんなことから連句が始まり、1週間後の今すっかり定着し、歌仙(36句)形成に向け進行中です。私としても公開連句は久々なので、この場でも紹介しておこうと思います。
 以下はmixi本日付け日記欄からの転載です。

(転載分)
ひょんなことから始まった連句もすでに全体で12句まで進んでいるし、コメント欄への書き込みや投句が多数にのぼり、スクロールするにも長すぎる感があるので、ここに表示しなおします。

なお、呼び名も今後は便宜上、「風人連句会mixi座」としようかと思います。
皆さん、ふるって御参加ください。投句、コメントも今後はこの欄に。(4月7日記)


 発   花咲きぬ去年(こぞ)の思いを想い出し   夫馬南斎
 脇    子のランドセルみがく明けがた       多岐一朴
 第三  夕暮に麝香揚羽の迷ひ出て           南
 4     婦人警官ふと雨をかぐ             朴
 月   爪を塗りまた落しては月仰ぐ          高田 倫
 秋    海賊版は朱欒(ザボン)剥き剥き *注1  落合 玲
ウ 
 秋   金木犀どこにいるぞとキョトキョトし      筧 海隠
 雑    私も霞む黄土のスモッグ           湊 野住
 雑・恋 白皙の義兄の見目のうるわしき         南
 雑・恋  吐息をひとつ頤(おとがひ)預け        倫
 恋離れ 香のおぼえ日がな肩こりほゝゑまる      朴
 夏     夏蓬摘む婆の集会               玲
 夏月


     *注1:上海ではDVDなどの海賊版が横行している。


6日朝記。
5句目はさすが一朴さん、味のある恋離れ句(「連句はじまる」のコメント欄に説明あり)となりました。

6日昼。
さっそく夏蓬の句が付きました。肩こりにうまく付くし(よもぎはもぐさの原料)、人情他の出方も丁度いい。うまいものです。
次はいよいよ夏の月です。夏の季語と月を両方出すこと。

*ここで簡単に連衆の紹介をしておきます。

夫馬南斎  私です。省略。
多岐一朴  文芸評論家。日藝、早稲田大学両文芸科講師。著書『文学の旧街道』(旺史社)ほか。連句歴古し。団塊世代。
高田 倫  日藝文芸科OG。元フリーライター、目下子育て中。30ウン歳。
落合 玲  日藝放送科OG。演劇ライターだったが、目下上海にて子育て中。30歳。風人連句会の連衆だった。
筧 海隠  日藝文芸科OG。ITプログラマー。連句は初めて。20代後半(?)。
湊 野住  日藝文芸科OG。最も熱心な連句受講者だった。卒後、風人連句会に参加。歌舞伎通。介護事務所勤務。



4月4日 早くも大学始まる チベット情報など

 
昨日は今年度第1回教授会、第1回大学院分科委員会と会議が続いた。まだ春休み気分だったが、来週からは入学式、ガイダンス、大学院開講式と続くから、頭の中は半分以上学校モードに切り替わった。

 終了後、同僚の映画学科山田教授とネパール料理屋で一献やった。ネパール料理屋といっても私の研究室の道向う真ん前に暫く前にできた小さな店で、ネパール人ふうが本日の昼ランチ「大根と鶏のカレ―、780円」などと黒板に書き出す庶民的な装いだ。

 で、一度と思い昼食を食べに行ってみたところ、カレーもなかなかうまかったし、メニュを見たらネパールビールが2種、インドビールが2種、さらにネパールの酒もありそうなので、これは一度試飲をと訪れたわけだ。

 味は悪くなかった。ネパールのアイスビールなるものがうまかったし、ククリという砂糖キビから作ったというバーボンみたいな酒がよかった。アルコール度42度、インド的香料の香のする黒糖酒と言えようか。ロックにすると爽やかで、日ごろ強い酒は避けている身もつい2杯飲んでしまった。

 今後ちょくちょく行くことになりそう。何しろ近いし。

 上のお知らせ欄「チベット情報コーナー」に、「ダライラマの声明」と「チベット 悲劇の物語film」のURLを載せました。ぜひ一見ください。後者は時間はかかるけど(55分)、実に引き込まれる映像です。



4月1日 またも4月

 
年々歳々当然ながら4月はめぐって来るのだが、歳をとるにつれまた来たかの感もある。若い時のようにそう前向きになれないし、目下あまりいい材料もないからだが、でも全く希望がないわけでもない。

 何とか本にしたいと思っている作品は出来上がったのがすでに一つならずあるし、初夏のうちには私的には相当大きなプロジェクトも始まる予定だ。

 近頃は平均寿命が延び、男でも80歳近くまで生きるらしいから、こちらもそのつもりでいなければならない。つまり、あとまだ10数年はある。前向きとは言わぬにせよ、後向きにはならぬ方がよかろう。新しいことを始めたり、新しい成果を形にするのは、高齢社会では、自分のためのみならず世に多少の活力を生み出すみたいな気もする。

 mixiの方でひょんなことから連句も始まった。連句は以前は好きでかなり集中したが、学校の授業を除いては2,3年前から中断模様だった。いわば復活である。

 チベットやビルマ情勢も心配だが、新学期も始まるし、とにかくいろいろ新展開の年度になりそうである。、