風人日記 第二十六章
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転形期?
  2008年7月1日〜

書斎前のベランダから撮った柳瀬川。
これは上流側を少し斜め方向に撮ったもので、書斎からは
川はほぼ平行にしか見えず、手前の道路も見えない。
手前が志木市、川向うは富士見市である。
今は写っていないが、川には鴨や白鷺、川鵜がよく来、
水中には鯉や鮒、鮠等が豊富にいる。釣師も多い。
08年7月3日撮影。






このページは日記であると同時に日々のエッセイ集、さらには世の中への自分なりの発言、時には創作かもしれぬジャンル不分明な文章を含めた自在な場所のつもりです。とにかく勝手に書きますが、時折は感想を掲示板なぞに書き込んでいただくと、こちらも張り合いが出ます。どうかよろしく。



               お知らせ (*日記はこの欄の下方にあります)


 チベット問題に関して、中国政府への抗議・要請等のアピールを出すようペンクラブ獄中作家・人権委員会へ提案したら、すぐ賛成が相次ぎ、文案も出来て承認された。
 今日午前を期して各マスコミや中国大使館その他関係機関に送られるはずです。
 英文訳も付加されるはずですが、とりあえず日本語文をここに書きます。3月26日



  
チベットの事態を憂慮し、言論表現の自由と人権の尊重を求める

われわれ日本ペンクラブ獄中作家・人権委員会は、平和を希求し、言論表現の自由と人権を守る立場から、チベットならびにその他の地域で平和的な抗議行動を行っていたチベット人に対し、中国当局が厳しい弾圧を行っていることを憂慮するとともに、中国政府が中国国内でのチベットをめぐる言論、現地でのジャーナリストの取材ならびに海外からの報道等を規制している点についても看過できない。

日本ペンクラブ獄中作家・人権委員会は中国政府に対し以下の点を要請する。

1 チベットの抗議行動に対して自制をもって対応し、平和的対話を求める全ての声に耳を傾けること。

2 チベットの人々の表現・集会・結社の権利を保障し、これらの権利を行使したことを理由に逮捕・拘束されている人々を速やかに解放すること。

3 ジャーナリストがチベット自治区及び隣接するチベット人居住地域に障害なく入り取材できるよう保障すること。

4 今回の事態の究明のため、国連等国際機関の調査を受け入れること。

さらに日本政府が国際社会と協力し、中国政府が今回の事態に対し最大限の抑制した対応をとるよう働きかけることを要請する。

2008年3月26日

社団法人日本ペンクラブ 獄中作家・人権委員会

 *下記の「ダライ・ラマ法王日本事務所」のサイトに、ダライ・ラマの内容濃い声明が出ています。是非お読みください。


Tibet関係サイト  

 http://www.geocities.jp/t_s_n_j/index.html
(日本語)

 http://www.tibetsites.com(英語。写真多し)

 
http://www.tibethouse.jp/日本語ダライラマ法王日本事務所

 http://www.amnesty.or.jp/

大紀元 (中国在外で発行されている反体制派のネット新聞。法輪功寄り)

 http://jp.epochtimes.com/jp/2008/03/html/d56609.html
 (日本語)

Tibet The Story of Tragedy (youtubeによる55分のチベット悲劇の物語)

  
http://www.youtube.com/watch?v=0VRneGYpaXc

 http://tsnj2001.blogspot.com/ (チベット支援ジャパン。日本の各種イベント等)


BurmaInfo & ビルマ民主の声

   http://www.burmainfo.org/politics/88GSG_200708.html (日本語)

  Democratic Voice of Burma ( ビルマ語、英語。ビデオ映像多し)



 「季刊文科」41号(鳥影社。1000円) 大手書店にあり。

    「大神の声―宮古島、大神島」(連作・南島シリーズの8)  

     http://www.choeisha.com/bunka.html



    発売中:『按摩西遊記』(講談社、1800円)  アマゾンで送料無料

                 
  http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062134470/249-5398224-6034725?v=glance&n=465392

9月30日 寒い九月尽、株価大暴落

昨日今日とやけに冷える。暑さと汗に弱い身には、汗をかかない気候は大歓迎なのだが、昨日はやや体調不如意もあり風邪が怖くて一歩も外出せず。今日はそうも言っておれず、それに体が少し慣れた気がしたので、朝から2,3用を足してきた。

その際、レインコートを今秋初めて着用したが、全く暑くなく頃合だったから、完全に秋冷の季となったのだろう。

帰ったら昼のニュースで、東京市場大暴落の報がやや興奮気味に語られていた。世界各地にも波及している模様だ。が、震源地はもとよりアメリカだから、日本やその他がいくらじたばたしてもどうにもなるまい。

新政権もたぶん間もなく始まる総選挙も、景気回復が重要争点になろうが、これまた日本一国だけの努力や対処ではいかんともなるまい。説得力のある対処法はどこからも聞えてこない。

かつてバブルとその崩壊時の経済関係者、殊に日頃えらそうだった銀行や証券マン、経済評論家、大蔵官僚らが、誰一人としてなにも信用できなかったことを思い出せば、今回も諦念ばかりが先行する。

1930年代の大恐慌時は、世の中と民草はどんなふうに日常の変化を受けとめていたのか、日々の感覚自体はどんなだったのか、なぞと考えるが、気が付くと身の回りに当時を知る人がほとんどいない。

青年時代はよくその種の話を聞いた記憶があるが、みな消え去っていったわけだ。今度もまた時とともに、人とともに、消え去っていくだろう。ある意味では、所詮そうしたことに過ぎないのである。

風邪をひかぬよう、昨日から「お湯のいらない足浴ブーツ」なるものを使っている。銀色の大きなブーツで、いささか滑稽感のある代物だが、何となく愉快な気分にもなる。



9月25日 秋祭お面踊りはじまる

新内閣が誕生した。
意外性も清新さも全くなし。総理以下18人中11人が2世3世議員、女性閣僚も2名いるが、いずれも2世そのもの、うち1人はついこの間まで大学院生だったお嬢さんである。女なら、若けりゃいい、ってもんじゃないだろう。

同じ党の前内閣投げ出しに関する国民への謝罪は一言もなし、総裁選を争ったはずの者から2名が入閣し、総裁選はまさに茶番の出来レースだったというわけだ。目的はとにかく祭り気分を盛り上げることだったのだろう。

ピーヒャラドンドンの祭囃子は、秋風に乗って季節感をかきたてる効用はあるが、火吹き男や白目剥きのお面、それに東京ばかりか千葉からまで飛び交うべらんめえ口調は、何やら品悪く、うらさびしい感さえある。

ああ、これが日本の秋のまつりごとか。稲穂はたわわに稔っているが、食料は値高く、危なくあやしげで、べらんめえを好きになれない田舎育ちの身は、まだ暑いのか涼しいのかよく分らぬ温暖化気候の中で、ともあれハッピならぬ秋上着をはおって、今週から学校へ連日通ってます。
けっこう疲れます。



9月20日 台風一過

今朝早く書斎に入ったら、遠くの秩父連山がくっきりと澄み、霞んではいるが妙義、赤城、皇海連山も見える。空は雲が7割おおっているが、薄空色・青色も少し見え全体に明るい。

台風13号がすでに通り過ぎたのだろう。野分とともに秋満ちる、感がする。ベランダには1輪だけ青い朝顔が咲き、さわやかだ。

我が身の方も、17日に退院後1週間の検診をし、術後順調、次の診察は1ヶ月後でよしとなった。膀胱あたりに残っていた砂粒状の石も17日中には流れ落ち、18,19日とこの二日間ほとんど痛みも頻尿感もなく、ほぼ完治に近い印象がある。

思えばこの夏は、7月中旬に右頸部・後頭部が痛み始めて以来、あちこちが痛く、整形外科、泌尿器科とかかり続け、生まれてはじめての入院まで体験したが、昨日、メタボの1ヶ月検診で訪れた内科主治医によれば、血糖値・悪玉コレステロールとも基準値より下がっている、血圧も下がっている、とのことで、ホッとした。

痛さと病院通いの夏だったが、こっちも台風とともに過ぎ去りぬということらしい。
散歩(ウオーキングというほど早足にしていない)に出ても涼しくなったし、土手には曼珠沙崋が見事な朱色に咲き、田圃は稲が黄色く稔り3−4割は早くも刈り入れられている。

秋たけなわである。来週からはまた大学が始まる。


9月15日 じっと石を見る

結石を破砕してからちょうど1週間。破砕以前の激痛はなくなったが、チリチリした痛みはずっと続き、しょっちゅう尿意を催し、そのつど砂粒状の細片が出る。一番大きいのは7ミリ×2ミリだった(これは1個のみ。あとはおおむね小さい)。

つまり尿管をふさいでいた大きな石は確かに破砕されたわけで、施術は成功なのだが、しかし丸1週間経ってもまだ細片が出続けるとは、いささか意外だ。予感としてはまだ3〜4日は続きそうな気がする。

で、いきおいこの数日は結石片を採取するたび陶器の小容器に入れ、じっと観察することになる。色は当初は赤みが強かったが、これはいわば血尿に浸っていたせいだろう。
だんだん薄茶色、ベージュ色になっていくが、形状は拡大鏡で見るとかなりごつごつしている。

石とは言っても尿酸かシュウ酸のカルシウム化合物で、いわば化学結晶だから、よく見れば表面は小さな突起状の集合となっており、指先で触ればちくっと痛かったりする。

ふうむ、なるほどこれが腎臓から狭い尿管を通って周りを傷つけながら、時に途中で2,3日ひっかかったりしつつ、ゆるゆる降りてくるわけか、小さいのに痛いわなあ、と妙に感心・感慨が生じる。

いったいなぜこんなものが体内でできるのか、破砕術がなかった昔は開腹手術までしていたというし、それもなかった時代はひょっとしたらたった小さな石1個でもだえ苦しみ、あぶら汗を流し続けて絶望したことだろう。

石が出来るのは結局体質的なものらしいし、人間の体とは妙なものである。
じっと石を見る仕儀となる。


9月10日 退院の御報告 世情を知る 

8日からの入院を今日終え、午前中に退院した。
経過は予想外のこともあり、かなり翻弄された3日間だった。

まず初日は午前10時から1時間程度で終るはずだった衝撃波破砕が、途中から造影剤のせいか「石」が見えなくなったとかで、かなり撃ってから一旦中断、午後3時に再開となり、けっきょく「ダン、ダン、ダン」とまるで道路工事の際に路面を叩く音のごとき(と感じる)衝撃波を計6千発撃って終った。

点滴・座薬・注射と3重の鎮痛剤漬けで頭はボウーッ、医師曰く「これがラリッている状態です」のゆえ体も視界も揺らめく中で、にもかかわらず後半は相当痛く、どうなる事かと思った。

がまあ、結石自体は確かに破砕出来たようで、衝撃波終了後からは混濁色の尿が流れ始め、以降、利尿剤の点滴のせいで1時間弱足らずごとにトイレへ点滴用具の車輪付き棒を押して通うたび、尿から細かい砂粒大の赤い結石粉末が次々に流れ出た。

あとはどんどん水分を取って石を流すだけというのだが、これがそう簡単ではない。
朝に次ぎ昼食も抜いたのちの夕食は意外にうまかったが、そのあとも深夜2時まで点滴利尿剤を続け、おかげで廊下の端にあるトイレというか尿蓄積所まで深夜に点滴装置をガラガラ引っ張って幾往復、午前3時頃やっと眠れたと思ったら、5時には検温、血圧測定、血液採取、「朝一の」尿採取、新たな点滴、そして8時20分にはレントゲン検査と続き、要するにろくに眠れなかった。

おかげで2日目は終始うつらうつら、間に点滴をはさみ、今度は朝昼晩と三食きちんと食べ、午後には連れ合いと娘の見舞いを受け、持参した村上春樹訳の『グレート・ギャッツビー』を読み進めようとしつつ、気がついたら2ページ読んだところで、夜九時の消灯時間だった。

ウウムと腕組をしたが、娑婆とはルールが違う別所のゆえいかんともしがたく、露鵬兄弟が解雇さるとかのニュースに、日本社会は何たる狭量、と怒りつつ、結局9時半には眠っていた。

そして今朝は、5時に目覚め、検温、血圧測定をすませ、窓を開ければ涼やかな秋風そよそよ、昨夜途中からはクーラーもいらず、さわやかな寝ごこち起きごこちだった。

が、そうなると7時半からの朝食がとたんにまずくというか前日までみたいにうまくは感じなくなり、今日は点滴1袋だけで終りと聞いて、何やら退屈な気がし、早く退院したくなった。

そうして、会計所でカード用機械故障のため30分ほどももたもたしてからついに解放され、掃除のおばさん、薬剤師、看護師さんたち多数に「退院おめでとうございます」と次々に言われ、午前11時半退院した次第。

たった2泊3日なのに、シャバが明るく生き生きと見え、リフォーム進行中のニュータウンが懐かしく見え、我が家がえらく安寧なところに思えた。

一番印象深かったのは、看護師さんたちの勤務ぶり。あれは相当大変だし、深夜尿取りに通うたび廊下から眺めるナースステーションの夜勤看護婦さんたちにいたっては、机に突っ伏して仮眠していたりで、気の毒、申し訳ない、感までした。と言って彼女たちなしではこちらもどうにもならなかったことを思うと、いやあ、世間は想像以上にシビアなものだ、と痛感させられた。

たまには入院もしてみるものだ。


9月5日 リフォームと入院

 家のリフォームをすることになった。街区全体のことなので周りも全部そうなのだが、十四階の我が家も両側ともすっぽり覆って、外壁・ベランダ、ドアなどの共用部分を塗り替えたり修繕する。その足場作りが始まった。

 いきおい、ベランダのものはすべて整理しなければならず、この二,三日、網戸やBSアンテナを室内に入れたりしたが、一番難物が植木鉢類で、20数個ある鉢類を思い切って半分以上捨てることにした。来年からは春・夏休みはここにいない可能性大なので、どのみち鉢類は枯らしてしまいそうだからでもある。

 その整理は土の処分まであるから結構な肉体労働で、30分もやれば汗だくになる。それを日に2,3時間ほど、その都度ぬれたシャツを変えていると、日に3枚も替えることになる。
 そして、やっと、今朝でどうにかめどがついた。どうにかというのは、朝顔が今朝も7輪も爽やか清楚に咲いているので、その関係は整理できないからだ。

 がまあ、2,3日のうちにはそれも思い切らねばならないだろう。鉢の中には20年前からのものをはじめ、それぞれに思い出もあるので、整理は何かこころの中を整理している感もあった。まもなく65歳、ちょうど人生の節目でもある。家の外側リフォームは内側のリフォームも伴いつつある。

 折しも、8日(月曜)から3日間、近所の病院に入院することになった。
持病の腎・尿路結石悪化のため、衝撃波結石破砕法なるものをすることになったためである。

 最近のこの方法はずいぶん発達しているらしく、別に切ったりするわけでもないし、大したことではなさそうだが、しかし私は入院自体がつらつら考えても本当に生れて初めてで、それなりに緊張がある。
 うまく個室がとれればいいが、施術は成功するだろうか…、なぞと、あれこれ心配ではある。



8月29日 信州から帰る

昨日午後、2日半の信州から帰宅した。信州は涼しく、天気も良く、快適だった。汗ばまないし、クーラーは全く不要なのが、体を元気にさせる。

と思っていたら、2日目からどうも持病の腎結石の兆候が現れ、夜中に鎮痛剤を服用、その後は大過なく帰宅したのだが、昨夜というか本日未明に腹部背部が猛烈に痛く坐薬鎮痛剤を使用、起床後の今もやや鈍痛がある。

やれやれ、今日は泌尿器科医院行きか。
先週は整形外科、内科(これはメタボ云々の検診)だったから、まるで病院通いの夏だ。

今年が特別なのか、それとも年齢からくるある種の予兆、傾向なのか。憂鬱な気分に夜中猛烈な雷雨が重なり、いま下の川は濁流が川幅を倍にして流れている。



8月21日 本日青鷺5羽白鷺1羽、川床に折たたみ鉄パイプ椅子1脚

上から見下ろすと、それらがよく見える。
青鷺は長い間、白鷺の若オスが成熟する前の色と思いこんでいたが(どこかでそう聞いたことがある)、大きな青鷺もいるし、この頃多いので調べてみたら、別種だった。

たいていオスとメスが意識しあって、時々つついたり、追いかけっこをしたりしている。

川は浅いので底までよく見える。



8月17日 雨だ、待望のお湿り!

気温も外気は23から24度ほど。窓をあけておけば室温も26度である。いやあ、ホッとするなあ。

それが即反映したというわけでもなかろうが、頸、結石など体調もかなり好転した。

下の柳瀬川にもいま、鴨が15,6羽、青鷺が3羽、白鷺が2羽いる。上々である。



8月15日 雨乞いお盆

昨日午後、雷音がし、急速に曇り、すわお湿りと期待したが、雨はマンション北側の一部にほんのパラパラだけ。南側は一滴もなかった。まさに一条の通り雨だ。

頸は相変わらず痛く、連日鎮痛剤飲みつつの日々。おまけに昨日は尿路結石の兆候あり、こっちの薬も併用しだった。結石はたいてい体力が落ちている時におこるから、要するに全体に暑さばてから始まっているのかもしれない。

それにしてもこの暑さ、35度前後なぞというのは、青年時代には一夏に1回あるかないかだったのに、今はしょっちゅうだ。明らかに温暖化の結果だろう。

それらの中で、このところ終戦前後や戦争期の歴史・証言番組を見る機会が多いが、80歳を過ぎた人たちがさすがにもう最後の機会と思ってか率直に語る内容が、胸につまされる。

原爆の被害、沖縄戦の惨状、近江のある裕福な村から出征していった兵士たちの体験、中でも中国で無理やりスパイにさせられたという人の体験談なぞは、聞くだけで息をのみ、呆然とした。

ああ、雨でも降って、万物、天地を冷やしてほしい。



8月10日 空蝉の集ひ来りてひそひそと  南斎

             

(*掲出句、今日11日、中7を直しました)

以前の日記に、今年は蝉がなかなか鳴かないと書いたが、このごろではニュータウン内のどこも蝉しぐれの真っ最中である。油蝉にミンミン蝉、他はまだ聞かない。やがてツクツク法師も出るだろう。

蝉の穴、空蝉がいたるところに目につく。五年地下にいて1週間の地上暮し。その境の変身の証拠たち。

風にカラカラと転がっていたり、木や葉にまだしっかりしがみついていたりするが、うち集って何事か言葉を交わしている風もあり。

歳時記的にはもう立秋を過ぎたが、今年は今が苛烈の猛暑日続きだ。さて、彼らは何を語らん。


8月6日 体調不良

しばらく前から右頸部と後頭部、それに右手首あたりが痛いので、気になり、昨日、整形外科へ行ってきた。
本当は近所にあった内科兼整形外科が両面の診察が受けられ一番良かったのだが、行ってみたら2か月前突然閉鎖されていた。驚いて近所の調剤薬局に行って聞いたら、まったく突然で、翌週診療予定だった人が困っていたとのこと。いったい医師倫理はどうなっているのかと、疑問に思った。

やむなく隣駅の整形外科に行ったところ、そんなに要るのかと思うほど沢山のレントゲン(首および肩をあれこれ。肩は別に問題にしていなかったのに)をとった上で、要するに頚骨椎間が狭まっている、とだけだった。

処方は鎮痛剤にビタミン12、胃薬、鎮痛消炎の貼り薬。1年前と全く同じ。
違うのは前の医院は内科兼用の医師だったので、まず脳梗塞とか脳腫瘍の可能性とか脳にかかわる問題を診断してくれたのに、そういうことを聞くと、「それは内科や脳外科へ行って」とだけで、専門外は我関せずという感じだったこと。そういうものかもしれないと思いつつ、なんだか解せぬ思いだった。

結局、いわゆる首吊り、電気ビビビ、貼り薬(髪の毛が邪魔してすぐに上半分がはがれる。駅でふと気づいたら、シャツの襟の上に半分ほどが垂れ下がっていた)を大量に貰って終り。次、いつごろ、どう、とかの話も全くなかった。

土日もやっているフシギというか働き者の医院であることが驚きだったが、従業員の大半および医師自身も相当くたびれた顔をしていたこと、全体がちゃんと掃除をしているのかしらと気になるほど薄汚れていたのが印象的だった。

病名の開示がないので、首つりや電気ビビビのあと通りすがりに「あの、病名は何でしょう?」と聞いたら、面倒くさそうに無言でメモ用紙にポンとハンコを押して呉れた。「頚椎症性神経根症」と書かれていた。

でもまあ、医者に見せ、一応の診断がついたらヘンに安心するもので、私は帰宅して風呂に入るとすぐ、晩酌のビールを「ああ、うまい」と飲んだものだ
。医者の効用と愚痴、毎度のことのような気もするが……。


7月30日 真夏日の二十日つづけり脳抜ける  南斎

昨日今日と朝食後2度寝した。どうも眠り足りぬからだ。
昨日は前日夕、喫茶店で人と会った際ついコーヒーを飲んでしまったとか(私はカフェイン類を夕以降とると眠れなくなることがある)、二夜とも仕事のことで思いわずらったなどのせいもあるが、最大の理由は要するに暑かったからだろう。

戸をあけた隣室のクーラーはつけているのに、寝ていても体はほてり、パジャマはぐっしょり濡れて夜なかに着替え、不快な記憶が夢に浮んだりする。それが連夜続く。

それで朝起きてもどこかだるい仕儀となる。

下5の「脳抜ける」は少々こなれの悪さを感じるが、実感でもある。「脳とける」にしようか迷ったが、「抜ける」を選んだ。


7月24日 初蝉の遅き今年を 訝りき   南斎

歳時記によると、初蝉は6月に鳴くとしたり梅雨明けに鳴くとされている。今年はどうも遅いと思っていたところへ、今朝、今年初めての声を聞いた。

鳴き声の具合からたぶんミンミン蝉である。嬉しくなって耳をすませたが、どうもたった一匹みたいだ。降るようにとかあたりを包むようには鳴かない。

ひとしきり鳴いたと思うと、また静寂に戻ってしまう。南側のベランダならどうかと移動してみたが、木立の多いこちら側では全く鳴いていない。

どうも少ない。私のみならず先日の教授会でそのことを話題にする人もいたから、つまり私の住まい界隈だけではなく、東京の他の場所でもそうらしい。

何かの異変だろうか。温暖化は蝉には都合がいいのか悪いのか。
話は飛ぶが、人間が無差別に人を殺したくなるのは気候というより心理の問題が大きかろうけれど、でも、気温や湿度ももしかしたら関係あるのかもしれない。真冬にはああいうことはしない気がするし……。

蝉の声はオスがメスを呼ぶ声である。したがって、唖蝉というのはメスのことだそうだが、オスだってあんまり暑いと黙っていたくなる。



7月19日 授業終り、いよいよ夏休みへ

昨日で、大学の通常の前期日程が全て終了した。あとB試験期間があり、年末なぞだと試験監督を1個ぐらいせねばならいが、確かめてみたところ今回はないそうだから、まあ、実質的夏休み入りというわけだ。

それでゆうがた院生と飲み会を開いたのだが、1名は腹痛で欠席、女性2名はあまりというかほとんど飲めないうえ、うち1名は魚が食べられないというので困った。何しろ入った店は海鮮料理中心だったのだ。前もって言ってくれれば店の選択を変えたのにと思うが、時すでに遅し。

1人だけの男子生は女性群とはまるで違って、サワーやら焼酎を次々とハイピッチで飲む。以前女子学生のアパートのトイレで吐いたりした前歴が知れているから、どうも気になる。

おまけに途中から隣席に来た男5−6人のグループが、バカ高い声で笑ったり騒いだり、本当にぎょっとするような声を上げたりする。しかも皆えらくガタイが頑丈そうなうえ、二の腕に濃い入れ墨を入れていたりだ。早い話、相当がらが悪く、目でも合ったら因縁をつけられそうな悪い予感さえする。おまけに入れ墨男がこちら向きでちょうど私と顔がちょくちょく合う。

だんだん居心地が悪くなってきて、私は2時間ほどで出ることにした。私も飲みなれないサワー類を重ねたせいでなんとなく腹がくちた気がしていたからでもあるが、あとで考えると女性たち、特に魚を食べられない1人は、あまりおなかも満ちていなかったのではないか。

学生たちはまだ2次会に行く様子だったので、まあ何とかしたのだろうが、私は駅へ行くまでに蒸し暑さで汗ぐっしょりになり、帰宅して風呂に飛び込んで出ると、えらく空腹だった。

あわててパンと飲むヨーグルトを摂ったが、どうも不完全燃焼だった。院生諸君はどうだったろう。2次会がうまくいっていればいいのだが。



7月13日 猛暑

昨日はどうやら35度前後になったらしい。
らしいというのは私の住居地が正確に何度だったか分らないからだが、ほど近い東京都練馬区が35,7度の猛暑日だったというから、暑さの実感としてもおそらく似たりよったりだったろう。

おまけに我が家はマンション最上階だから、夏は上から直射日光がしみてくる感じで、よけい暑い。
ニュースでは熱中症云々と言い続けているし、ゴミ捨てに出た以外ついに終日一歩も家を出なかった。

だいたい私は汗っかきの特異体質で、5,6月でも日向を少し歩くと汗で下着のシャツが相当湿る。自宅以外ではいちいちシャツを変えるわけにもいかないからそのままにしていると、今度は蒸発熱でその部分がかなり冷える。ゆえにいったん風邪気味になると、暑かったり寒かったりでなかなか治らない。

そのせいかどうか、今年は春ごろ以来喉がいつもひっかかる感じで、クーラーがきいたりちょっと寒くなるとすぐ咳が出る。やむなく先日来ぜんそく・アレルギー系の薬を少し飲んでいるが、毎日飲むと気のせいか少々胃の具合が悪くなる。

よって、今日から薬は一時中断することにした。
クーラーもなるべく切るようにしているが、少し時間がたつと汗ばんでくるのでまたつけると、湿ったシャツが冷え、また咳が出る。堂々巡りで困ったものだ。何かいい手立てはないものか。


7月8日 白けるサミット

1、過剰警備
2、ホストおよび主役のつまらなさ
3、チベット問題を取り上げないこと
4、サルコジの新女房が来ないこと

1、は埼玉県の東上線車内まで、テロ警備云々と放送が流れる始末である。どう考えてもばかばかしい。

2、福田はろくな笑顔もホスト精神も見せず、ただただ記念写真を撮り、予定議事を大過なくこなしたいだけに見える。
ブッシュは、2年前まで悪の権化みたいに言っていた北朝鮮の金正日に揉み手をした後、このサミットを花道にかっこよく手を振って去るつもりらしいが、そもそも死に体になっているうえ、2酸化炭素対策すらやる気がないのだから、あのだいぶ草臥れた顔と力のない声を聞きながら、ああ、この男も老いたなと感じるだけだ。

3、チベットやビルマ(ミャンマー)の理不尽な問題こそ、力のある先進国が世界の人権と平等のため努力すべきことだろう。それが中国の根回しのせいで何もなしとなるなら、まさにサミットとは強国大国間のなあなあ連合というに等しい。

4、せめて彼女の魅惑的な顔でも見たかった。ほかに何の楽しみもないもの。



7月3日 日記のページを新しくしました

ページ最初の写真を、毎日眺めている柳瀬川の風景にしました。
書斎の机から見ている角度とはやや違いますが、ともあれ私の日常で一番目にするものです。

ウオーキングもこの土手が多いし、花見も考え事もここでが多い。小さな川ですが、自然も多く残っており、これがあるゆえに私はここへ引っ越してきた気がします。そして、もう16年たってしまいました。