風人日記 第二十七章
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柳瀬秋天
  2008年10月4日〜

外壁リフォーム中の我が家の建物
手前の棟の最上階14階の一部が我が家だが、こうなると
むろんどことも定かでない。これは南面だが、北面も横もすべて
すっぽりガーゼ状の幕に覆われ、さながら大きな繭のなかに入った
感じである。これが丁度12月まで3ヵ月間続く。
08年10月4日撮影。
(この南面は11月中旬にヴェールがとれた)
(12月5日、北側ヴェールもとれた)






このページは日記であると同時に日々のエッセイ集、さらには世の中への自分なりの発言、時には創作かもしれぬジャンル不分明な文章を含めた自在な場所のつもりです。とにかく勝手に書きますが、時折は感想を掲示板なぞに書き込んでいただくと、こちらも張り合いが出ます。どうかよろしく。



               お知らせ (*日記はこの欄の下方にあります)

ビルマ(ミャンマー)における軍政の暴虐に抗議する 

 昨11月21日ミャンマー軍事政権の裁判所は、今年5月のサイクロン被災者に対し無許可の救援活動をしたとして拘束された人気コメディアンのザガナル氏に、禁固45年を言い渡した。

 また11月17日には「88年世代学生グループ」のミンコーナイン氏ら9人に、65年の禁固刑を宣告した。
 18日には全ビルマ僧侶連盟のガンビラ氏に禁固12年、20日にはヒップホップ歌手ゼカートー氏に禁固6年を宣告。

 ほかにもこれまで70人以上の民主化活動家を禁固刑に処している。

 65年とか45年の禁固とは一体いかなる刑なのか。想像もつかぬほどの暴虐であり、非人間的扱いであることは言を待たない。私の知る限り、歴史上にもこのような刑はなかったのではないか。
 私は表現と教育にたずさわる一個人として、このような暴政に強く憤りを感じ、ミャンマー軍事政権およびそれを支援する中国政府などに対し厳重に抗議する。

 ミャンマー軍政が倒れ、ビルマに民主的社会が出来ることを心から祈る。

                        2008年11月22日   夫馬 基彦


BurmaInfo & ビルマ民主の声

 http://www.burmainfo.org/weekly.htm(日本語)

 Democratic Voice of Burma ( ビルマ語、英語。ビデオ映像多し)


Tibet関係サイト

 http://www.geocities.jp/t_s_n_j/index.html
(日本語)

 http://www.tibetsites.com(英語。写真多し)

 
http://www.tibethouse.jp/日本語ダライラマ法王日本事務所

 http://www.amnesty.or.jp/

大紀元 (中国在外で発行されている反体制派のネット新聞。法輪功寄り)

 http://jp.epochtimes.com/jp/2008/03/html/d56609.html
 (日本語)

Tibet The Story of Tragedy (youtubeによる55分のチベット悲劇の物語)

  
http://www.youtube.com/watch?v=0VRneGYpaXc

 http://tsnj2001.blogspot.com/ (チベット支援ジャパン。日本の各種イベント等)



 「季刊文科」41号(鳥影社。1000円) 大手書店にあり。

    「大神の声―宮古島、大神島」(連作・南島シリーズの8)  

     http://www.choeisha.com/bunka.html



    発売中:『按摩西遊記』(講談社、1800円)  アマゾンで送料無料

                 
  http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062134470/249-5398224-6034725?v=glance&n=465392

12月28日 今年は飲んでもいいと神様がおっしゃっている

金曜日、今年最後の検診を受けた結果、血糖値はまったく正常、尿検査も異常なし、血圧もまあまあ、となり、念のため寒さ対策用のど薬も処方してもらい、終了。

前週には泌尿器科で手術後3ヶ月検診を受け、結石は全くなし、今後は1年に1回検診に来ればいい、となった。思えば結石はこの3〜4年大小はともあれ常にあり続けたわけだから、これは何年ぶりかのさわやかさだ。9月の手術は痛かったが、やった甲斐があったというものである。

というわけで、今年の年末年始は飲んでもよさそうだなと思ったところへ、普段はまず見ない新聞折り込み広告に何げなく目をやったら、わりあい近くの酒類ディスカウント店で「越の寒梅 別撰」を大安売りしているのを見つけた。

すぐ飛んでいったのは言うまでもない。しかも車で。車なら1升瓶2本もむろんラクに運べる。ほかに昔よく飲んだ泡盛久米仙の古酒43度もの角瓶1本、出羽桜純米吟醸4合瓶1本もつい手が伸びた。

年賀状はもう出したし(メールなど使いっこない年長者あてにほんの数枚だけ)、不要文書はスレッダーにかけたし、風呂の掃除も済ませたし、最愛の冷凍ドリアンもたっぷり買い込んだし、さあ、飲むぞ。



12月23日  肩凝りのいつしか安し冬休み  南斎

正式には明日からだが、今日が休日なので、実質的に今日から冬休み入りである。

学校の諸事も、原稿の著者校も、信州での用も丁度終り、ゆうべはいつもより多めに晩酌をやって早寝し目覚めたら、この間ずっと痛かった肩や上腕の痛みがずいぶん減じていた。明らかに休みの効用である。

今年はあれこれの事情から、埼玉の自宅マンションで年末年始を過ごすことになった。この5〜6年(7年?)は琉球弧のどこかの島で正月を迎えていたから、だいぶ久しぶりのことだ。

9月から始まり、白幕で覆われたり一時はサッシ窓にまでビニールを張られたりした外装リフォームも、すっかりペンキなどが塗り替えられ終りかけているし、物心両面で新鮮な気分である。

今年は体調・体力に自信がないので、あまり動かず穏やかに日を送ろうと思っている。書き直したい作品もあるので、今日からそれにかかる。落ち着いた自分の時間である。



12月19日 インフルエンザワクチン

インフルエンザ流行の兆しというので、昨日、近所のクリニックでワクチンを打った。今年は体力に自信がないので、念のためと思い立ったのである。

それにしてもワクチンなんて久々だなと考えていたら、ひょっとすると高校時代以来ではと思えたりした。大学時代以降は自発的にやるなぞということ自体がなかった気がするからだ。

と、ここで、今思い出したのだが、外国渡航の際、何回かコレラとかチフスなどのワクチンを打ったことがあった。
ただし、それも比較的若い時代のことで、近来はなかった。こっちの個人的事情のせいか、世の中自体がそういう傾向になったのかは定かでない。

たまたま新設の新しい内装のクリニックで、20代くらいの若い看護婦さんに「はい、腕をまくってください」「ちょっとチクッとしますよ」なぞとやってもらっていると、なんだか小学校時代に帰ったみたいだった。

これで通常のインフルエンザはたぶん大丈夫として、新型インフルエンザが襲来したらどうなるだろう。大流行すれば日本で数百万の死者も、という話まであるが……。



12月13日 一段落

昨日で年内の授業日程や付属入試、学科内会議などが一通り終った。
まだ来週に卒業試験や院生の指導、教授会等はあるが、通常授業はないからだいぶ気がラクだ。

授業はもう17年やっていて慣れてはいるのだが、やはり人前でしゃべること、間違いがないようにすること、予習や準備の必要、などの諸点から、どこか気が張っている。歳とともにふと度忘れしたりすることへの防止策も必要だ。
というわけで、週6コマの授業はやはり気が抜けない。

あとは冬休みにだんだん向かい、完全に自分の時間となる。私は大学の専任教師になったのは50代になってからで、それまでは長年原稿料生活の物書きだったから、貧乏な代わりに自由と自分の時間には満ちていた。

大学でいわば勤め人になってからは、生活は安定したが、自由はだいぶ失われた。だから、休みになると、「やっと本来の自分の時間だ」との気分が湧き起ってくる。

さあ、書こう、とも思う。



12月7日 繭すべてとれる、雪の峰が光る

長らく覆っていた繭の北側膜が取れた。
おかげで昨日朝カーテンを開けた時からパッと視界が明るく、彼方に冬の山々が一斉に見え、奥には真っ白な浅間や皇海・日光連山が光っていた。

去年まで毎年見ていたものだが、今年は秋のそれらをほとんど見なかったので、実に新鮮である。関東平野の広さも改めて感じる。

手前の柳瀬川は河川敷の緑が鮮やかなうえ、水も透明で水底がよく見える。そこに昨日は白鷺が19羽、今日は渡りの鴨が20羽くらいいた。鴨の数は年々減っているが、白鷺は増えた。3,4キロ先にかつてあった鷺たちの巣、通称白鷺城が水枯れで潰えたため、どうやら鷺たちが近くの柳瀬川周辺に移動してきたのではと思える。

枯れの世界の中の大型の白い鳥は美しく、清爽感がある。時に青鷺が混じっていたりするのがまた面白い。青鷺と白鷺は混交するのかしら。



12月3日 前期高齢者 

いっとき問題になった後期高齢者は75歳からのことだそうだが、それから判断すると小生はちかごろ前期高齢者になった。

何かお祝いでもくれるかと思って娘にそうメールを出したら、返事が来て、「前期でも後期でも高齢者は高齢者。風邪をひかぬよう足首を温め、寝るときはガーゼマスクをつけるといい」と書かれていた。祝い品の話はどこにもない。

やむなく小生は今日もボージョレヌーボーを老連れ合いとさしで飲み、いかにも新鮮なエキスを体内に取り込もうとするだろう。
いや、ヌーボーはもうすっかりなくなったのだったか。結局、昔からのごくありふれた日本酒を、ぬる燗でちびちびやることになりそうだ。
じじむさいかしら?



11月28日 もやもや 小泉毅の磁力 

厚労省元事務次官殺傷事件が起ってから、私の意識が微妙に揺れている。

「オツ、すごいことが起った」「やったなあ」といった感情から、やがてあっけなく当人の自首、「犬の話」が出てきたあたりで、「?」となり、しかしまた時間がたち、彼の人生経過や言動がわかってくるにつけ、何とも言い難いもやもやとある種の「理解」が生じてくるのだ。

そのもやもやと「理解」はなかなかはっきりした言葉にならない。なっている部分もあるのだが、それは今のところどうも書きづらい。誤解されては困る、社会的にまずいかもしれない、それにまた今後の展開次第で「間違いだった」となる可能性もある、といった複合感がそれこそもやもやと立ち込めるからである。

そして、テレビニュースに登場する彼の顔、逮捕時のものと、過去の明るそうな青年時代、少年時代のものなどを見比べるたび、「さて、これはいったい何なのか」と腕組みする。
小説家として物を見る視力は少なくとも人並よりはあると自負している身なのに、そうであり、傍らのノンフィクション作家である連れ合いに聞いても似た反応だ。

関心は強くある。近来の事件では秋葉原事件や他のものよりはるかに強くある。秋葉原事件はある意味では単純な、よく分るものだった。が、今度は当人の年齢が46歳であり、生活実態が不分明なこともあって、強力な磁力だけを感じつつ、「コトガラ」は霧の中である。

まったく、あれはどういうことなのだろう。そして、なぜ妙に引き付けられるのか。もっと時間が必要なのだろうか、彼にとっても、外部の私や、社会にとっても。



11月22日 2年後の卒業生たち

ゆうべは久々に卒業生たちの顔を見た。2年前のゼミ生11名。

大学の門前近くの飲み屋で7時からという設定だったが、午後2時には早くも近くの喫茶店や学校に現れた者がおり、あとで聞いたら「今日は会社を休んで来た」そうだった。

ほかに院生も6時には現れ、私と3人で先に行って飲み始めた。
他の諸君は意外に遅く、7時過ぎからぽつぽつという感じ、8時から9時近くになって全員そろった。みな、仕事などが忙しいらしい。中には会社で土下座して出てきたという者までいた。

勤め人が多いが、院生(日藝1名、早稲田1名)、映画学校生(1名)、介護職、IT関係ベンチャー会社立ち上げ奮闘中、来年1月から地方局ラジオDJ予定者など、バラエティーに富んでいる。勤め先の景気が悪く転職考慮中なぞ、世相もダイレクトに反映している。

数日前入籍したばかりのニコニコ男、来年結婚予定のホンワカ女性もいて、ひとしきりプロポーズや馴れ初め話で盛り上がりもした。極めて意外だったのは、その二人がいずれも6年の恋を実らせた結果というし、それに触発されて周りから、「ぼくは11年の付き合い中」とか「あたしも5年の彼氏」、「夫馬ゼミで出会いこれからもずっと一緒に行く」などの発言が相次ぎ、へーえ、近頃の若者たち、こんなに身持ちが固いというかまっとうなのか、とかなり感動した。

派手っぽい芸術学部ゆえに、一見かなり奔放そうに見えがちのうちの学生だが、先入観や思い込みはいかんなと認識を改めた。

中にはもうベンツを手に入れた、次は格安マンションだ、という者もいるし、社会に出た若者と話すのは面白い。
おかげで、ついつい焼酎なぞを飲み続け(体調のため、この頃焼酎やウイスキーなど蒸留酒はほとんど飲まない)、気が付いたら10時半過ぎだった。「先生、目がしょぼしょぼしてますよ」と言われ、あわてて帰った。もう就寝時間なのである。



11月15日 繭から出る 

9月から3カ月近くずっと我が家を覆っていた白い繭の南側が、一昨日から取れた。

ベランダおよび外壁等のペンキ塗り、補修が済んだからだ。一時はサッシ戸にぴったりビニールが張られ、息苦しいくらいだっただけに、実に明るく開放的に感じる。空はかくも青かったか、夜景はかくもキラキラしていたか、ベランダもかくもきれいになったか、とこの2,3日はカーテンも閉める気にならず、ふーむふーむと感嘆ばかりしている。

以前は13年間この通りだったのに、人間というのは妙なものだ。

北側はまだ窓にビニールが張られたままだが、こうなるとこれも楽しからずやで、こっちの繭も取れた時にはどう見えるかが今から心待ちである。

階段および廊下も明るい色に塗り替えられた。まだペンキの匂いが強く、残った部分もあるから「塗りたて」の掲示と匂いにおっかなびっくりの段階だが、まもなくドアの塗り替えまで行けばほぼ終わりだ。

そうなれば、さしづめパチンコ屋なぞによくある「新装開店」の類だろう。いっそ花輪でも飾ろうかしらん。



11月10日 トンネルを出るともみじの国だった。

昨日、また信州へ行った。
信越新幹線でトンネルを抜け軽井沢へ出た途端、視界が一変した。
山も森も樹々もほぼすべてが紅葉し、赤や黄に見事に色づいているのだ。

山が殊に美しい。小高い山が上から下まで赤黄が混在したいわゆる錦繍に彩られているのは、毎年見ても歓声が出るほどきれいである。楓や漆系の広葉樹もいいし、落葉松の黄もいい。日本の秋は素晴らしいともつくづく思う。

佐久平から小諸へ行き、紅葉の名所という懐古園へ寄ると、紅葉が丘の楓がこんな赤があるのかと思うほど濃く深かった。崖から見下ろす千曲川や対岸の山も見惚れた。

山粧(よそお)うという季語があるが、信濃では山も平もすべて粧う。



11月5日 暗殺させるな

オバマがダブルスコアで勝った。いろいろ控え目に考えても、歴史的事件のような気がする。歓喜しているアメリカ人たちの笑顔が本当に明るい。

アメリカがこれからいかに変化していくか、やはり期待が大きく湧きあがる。アメリカは単なる一つの国家ではなく、世界連邦のひな型としての実験国家なのだ。アメリカの今後は人類の今後であろう。

かくなるうえは彼が暗殺されることがないよう、アメリカ社会全体がそれだけは守ってくれるよう望む。



11月3日 奥巴馬 

あー、いい連休だった。
一面のコスモス畑が目をみひらくほどにきれいだった。

明日(日本時間明後日)のアメリカ大統領選挙が楽しみである。
タイトルは中国語でオバマと読むそうだ。馬の種類ではない。



10月29日 昨夕、九州から帰る 

今回の旅は平戸が眼目で、伝統の祭りである平戸おくんちを見つつ、キリシタン関係、日本最初の出島、かつて台湾を基地に清に戦いを挑んだ鄭成功(母が平戸の日本人)、平戸に在住し「王」を名乗った中国人海賊の親玉・王直などの遺跡を訪ねた。

が、結局一番印象的だったのは、平戸島、生月島の住民の人たちの優しさ、親切さ、穏やかさだった。

ちょっと道を尋ねても、通りがかりに話しかけても、皆じつに物腰柔らかに、丁寧に教えてくれるばかりか、「どこからいらっしゃいました?」から始まり、「ああ、埼玉ですか、私の姉が秩父にいましたので、私も何回か行ったことがあります」「私、大学受験のとき、3ヶ月だけ大宮のおじのうちにいましたの」などと話が始まるのである。

後者の大学受験の話はだいぶ年配の女性なので、はていつごろのことかと思ったらなんと30年以上前のことだった。ほかに、飯能、越谷、草加に縁者がいるという人にもそれぞれ出会った。

しかも、これらがいやらしくもうざったくもない。なんともゆったりした口調でおおらかに語られるから、ついこちらもにこやかに「ああ、そうですか、そうですか。ご縁がありますねえ」などとなる。

宿や資料館の類などでもそうで、何を聞いても懇切に教えてくれるし、資料館は来訪者が少なかったせいもあろうが、ほとんど付きっ切りで説明してくれた。

宿は2箇所に泊まり、軽自動車のレンタカーを借り、島をあちこち走って教会などを見てまわったが、人情に感嘆するばかりで、不愉快なこと、せわしないことは一度もなかった。

かつて司馬遼太郎氏が「街道を行く」シリーズの『肥前の諸街道』のなかで、「平戸島の人々は日本で一番穏やか、親切な人々だ」みたいな言い方をしているが(この通りの言葉ではなかったかもしれない)、まさに私も同感だ。

あれは一体何ゆえ出来上がった性格だろう。
私はもっぱらそのことを考え続けたが、一つには食べ物に恵まれたこと(といっても海の幸だけで、田畑は少なそうだった)、歴史ある地としての誇り、それにひょっとしたら平和・隣人愛のキリスト教精神が有形無形に作用しているのかもしれない。あとは、交通不便ゆえの「昔ながらの存続」が確実にあるだろう。実際、長崎空港からバスや列車で3時間余もかかるのである。

いずれにしろ、人口2万ほどの平戸の町の商店街は落ち着いて、風情をたたえ、きちんと残り、若い人も結構多く、あまり過疎化の匂いもない。井元コレクションのご主人などじつに面白い、いい印象の人もあり、私は平戸の大ファンになった。



10月23日 雨がしとしと

授業の途中から降り始め、帰路、帰宅後と降り続けている。
家は外装リフォームのベールとベランダ塗装用養生でサッシ窓まで全部ビニールで覆われ、いわば二重繭の中みたいな状態なので、その外でかすかにしとしと音を感じさせる。

本当は相当な降りなのだ。それが遠のき、一緒に俗事世事を次第に遠のかせていく。このままそれらがすべて消え去らないかと茫漠と思う。
そこへ電車の音が通っていく。

夕まぐれが濃くなるにつれ、だんだん外界を忘れてゆく。車の音が霧の中を走っていくような気がする……。



10月18日 ホッとする

今日は2か所の病医院へ行った。
先月入院した病院の泌尿器科へ前回後1カ月の診察と、メタボ症候群のためのかかりつけ内科医院へ1ヶ月定期検診のためである。

どちらもいわば1カ月目のチェックというわけだが、泌尿器科は、尿が極めてきれい、次は2ヶ月後でよろしい、となり、メタボの方も、血糖値が基準値よりはるかに下の95、血圧もだいぶ低下となった。

血糖値に関しては医者も相当意外だったらしく、首をかしげ、こう問うたものだ。
「何かしましたか。食事療法を始めたんでしたか」
「いえ、それは1年前からしています」
「ですよねえ。それなら一体……?」
「あ、この頃ウオーキングを再開したことはしましたが……。夏の間は暑さと体調不如意で休んでいたけど、9月末から再開したんです」
私は言いながら、しかしまだまだそれほどの距離をを歩いているわけじゃなし、その程度でそんなに下がるものかしらと思っていたが、医師は、
「あ、じゃ、それだ。それがきいたんですね」
といかにも納得したようにうなずいた。

私はまだ納得できずにいたが、しかし何にせよ、数値の大幅減少はうれしいにはうれしい。この数字ならもはやメタボとは言えないくらいなのだ。とにかくホッとする。

で、相当いい気分で医院を辞したのだが、歩きながら、ひょっとしたらそれは結石の結果ではと思いついた。結石の施術前後は食欲もだいぶ減っていたし、酒も都合17日間は飲まなかった。

その後は飲みだし、自分としてはほぼ元に戻った気分でいるが、絶対量は3割ぐらい減っている気もする。塩分なぞもそうで、かねて減らしていた上に、このごろは冷奴を食べる際も醤油はかけず生姜とかつをぶしだけで食べたりしている。
退院の際に渡された「結石のための食事」なるチラシに、相当忠実に従っているのである。

それだけ結石の痛みと初入院のインパクト、6千発の衝撃波ダンダンダンの印象が強かったわけだが、血糖値はたぶんその結果下がったように思える。つまり禍転じて福となったのであろう。

面白いものだ。期待した「もう薬も要りません」はどちらからもなく、今まで通り3種の薬処方が渡されたが、しかしまあ、だいぶいい気分にはなった。

明日は信州に快活に出かけられそうだし、来週は九州への研究旅行にも元気で旅立てそうだ。


10月10日 深い懐かしさ、にじむ涙

映画『那須少年記』(森詠原作、初山恭洋監督)を見た。
私にしては久々の街まで出かけての映画で、場所は恵比寿の東京都写真美術館ホール。

原作および原作者を知っていたので、どんな仕上がりかと思って出かけたのだが、実に引き込まれた。

時は昭和29年、那須塩原界隈の中学生を中心にした物語だ。昭和29年といえばもう50年以上前、まだ第2次大戦の余波も残り、朝鮮戦争は休戦になったばかりという時期で、今やかなりの過去なのだが、私なぞには同時期に少年時代を送った懐かしい時期でもある。

主人公オサムは母子家庭で転校生、それにきれいで本好きの女性担任教師や成績抜群だが反抗児のアキラ、遊び友達、女子同級生たち、そして昔風の付き合いのある大きなアパートの一風変わった住人たちが、輪郭確かに登場する。

背景たる自然がまた本当に美しい。那須連山、森、那珂川、草原が、四季の表情を移り変わり鮮やかにとらえられ、日本の田舎ってこんなに良かったかと思わせる。

学校の建物も質素な図書室の風情も、開襟シャツに下駄ばきといった服装(大人の教師もだ)も、そういえばあのころはそうだったと微笑ましい。

そこに登場する『次郎物語』やスタンダールの『赤と黒』、新撰組を名乗る不良グループとの対決、戦前派的暴力教師と「思想の科学」などを読む進歩派教師、初恋的な淡い恋、先生との別れ、初恋との別れ、友との別れ……。

すべてが古いといえば古い、枠はきっちりしている。人物像はまじめでまっとう、理解を超えるハチャメチャさの類は一切ない。

が、一見類型的かと思わせる話は、これで終るかなと思ったエピソードが次々とさらなる意外な展開を続けていき、全く飽きさせない。ずんずん引き込まれてゆき、しばしば涙が出、しかし終始、安定感と信頼感を感じ、おのれの少年時代を思い出させる。

俳優たちも爽やか、演出は極めて丁寧で、カメラは明るく美しい。決してセピア色の映画ではなく、誰にもある前期青春のイメージと合わせ、画面は現実の時間そのものとも思えてくる。

見終わって感じるのは、やはりある定型でもあると思うが、定型の保守性が、人間と、青春、少年期のまっすぐさ、を実に堅固にとらえるがゆえに、懐かしさが深いのである。

私は後半あたりからしばしば胸がジーンとし、ラストには涙がにじみ、そして終了後すぐ帰宅する気になれず、愛飲するエビスビールの直営店らしきを見つけ、黒ナマを飲みつつ映画のパンフレットを見返し、そして気が付くと涙があふれていた。

映画とともに自分の少年期を思ってのことだが、ふと気づくと隣の席もさっき映画ホールにいた初老カップルで、「よかったね、よかったね」の声が聞えてきた。

10月4日〜10月17日まで。JR恵比寿駅10分、恵比寿ガーデンプレイス内、東京都写真美術館ホール。1日4回上映。学割、シニア割引あり。ぜひお勧めする。


10月4日 天の夢

10月になり、さわやかな季節になった。
しかし、我が家の建物は今13年ぶりの外壁等リフォーム中で、棟ごとすっぽりガーゼ状の幕に包まれている(上の日記冒頭写真参照)。

私の好きな作家で師匠筋でもあった森敦さんの名作「月山」に、破れ寺2階で寒い冬をしのぐため、寺の古奉加帳の和紙をほどいて張り合わせ、小型蚊帳のようなものを作って毎晩その中で過ごす。すると外は深い雪で覆われた静寂のなか、蚊帳の中はまるで蚕の繭の中ででもあるかのごとくほんのり暖かく、夢幻の彼方に天の夢を見る。という話が出てくる。

リフォームの幕はいささか汚れた布で、風情といったものはないし、ベランダの外にあるから、繭の中といった実感にも乏しいが、しかし多少似た雰囲気もないではない。

音も風も弱まるし、光もいつもボーっとかすみがかり穏やかで、外部とはまさに薄ヴェールで隔てられた感がある。小雨が降っても判然としないし、鬱陶しくもあるが、なんとなく別世界にいる気もしてくる。

天の夢とは言わぬまでも、秋の青空の夢ぐらいは見たいものである。