風人日記 第二十九章
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二重生活
  2009年4月6日~6月29日

09年4月12日朝撮影。小諸の庭先。
手前に咲いているのがたぶん桃か杏。
たぶんというのは自然に生えた木で、誰も正確に知らないから。
右手前の切り株は真ん中が合歓、周りがニセアカシア。
塀工事のためやむを得ず伐ったものをテーブルセットふうにした。
右端奥がその伐ったニセアカシア。
花の向こうに一部が見える箱のようなものは、色付きブロックで作ってもらったコンポスト。
生ゴミや落葉を入れ、堆肥にするつもり。その右が畑予定地。






このページは日記であると同時に日々のエッセイ集、さらには世の中への自分なりの発言、時には創作かもしれぬジャンル不分明な文章を含めた自在な場所のつもりです。とにかく勝手に書きますが、時折は感想を掲示板なぞに書き込んでいただくと、こちらも張り合いが出ます。どうかよろしく。



               お知らせ (*日記はこの欄の下方にあります)

新刊を出しました! 

6月12日発売! 3年ぶりです。

『オキナワ 大神の声』(飛鳥新社 2200円+税)。
 
              


7年来毎年訪ねていた琉球弧列島を舞台に、喜界島から与那国島まで八百数十キロを歩いてゆく短篇連作集で、境界地域としての奄美や沖縄の人の出入り、歴史と現状、そしてウタキ信仰や創世神話に象徴される神秘主義を描いたつもりです。
 もう一つはそれらを通じての人々の人生、そして私自身のインド以来の旅人生を描いたとも言えます。写真に出した宣伝チラシでは、編集者はそっちに注目しているようです。

発行部数が少ないので大手書店のみにあります。あとはアマゾンなどネット書店。アマゾンには簡単な説明も出ています。御覧ください。


アウン・サン・スー・チーさんをただちに釈放せよ!

 ミャンマー(ビルマ)軍事政権は過日、スー・チーさんを突然拘束し、裁判にかけているが、これは軍事政権自身による自宅軟禁期限が迫ってきたこと、まもなく選挙がおこなわれる予定であることのための政治的拘束である。

 ただちに釈放し、公正な選挙を実施するようミャンマー軍事政権に強く求める。また、国際社会はこの件に注視し、軍事政権に対し監視と圧力を強めるよう要請する。



                         *(これより日記)

6月29日 初収穫で一杯、至福の時

土曜日に小諸に戻り、ただちに畑を見に行ったら、実っていた。
キウリ2本、黄色のミニトマト2個、ナス1個である。

なんだ、それだけ、なぞと言うなかれ。これでも4月以来の汗水の結晶なのである。

キウリは切ってコチジャンを付け、トマトはそのまま連れ合いと1個づつ。ナスは他の野菜と一緒にローズマリーやイタリアンパセリ(これらのハーブ類も自家収穫物なり)などを混ぜて軽く炒めて。

それらをつまみにビールを飲んだら、うまいこと、うまいこと! いやあ、至福の時であった。

この勢いで、昨日も今日も畑および庭仕事に自然に手と体が動く。そして汗をかき、シャワーを浴びて着替える。これがいい。

仕事の方もちゃんとはかどっている。つい先ほど、締め切り間近の短篇をほぼ仕上げた。約36枚。まずまずの出来だし、土曜日には学校で新1年生用の文芸入門講座の2回目を終え、小生担当分は終った。また木曜にはAO入試のエントリーシート77人分も読み、第1次選考も済ませた。

ほかに、今月は日大文芸賞の予備選考も終えたし、何より3年ぶりの著書『オキナワ 大神の声』も発刊、その献本や宣伝関係もなんとかこなし終えた。

そして金曜日には、書評家土屋敦さんが週刊朝日のインタビューでカメラマンともども大学の研究室まで来てくださり、丁寧に話を聞いてくださった。なんと彼は、取材前に小生の実質的な処女本『印度巡礼』まで読んできてくださっていたのには感激した。36年前の本なのである。週刊朝日の掲載号発売は7月1週か2週らしい。楽しみである。

というわけで、今月は実に忙しかった。畑の初収穫はその褒美だろうと思っている。



6月21日 タヌキ、キツネ、シカ、サル、シジュウカラ、スズメ……

前回日記の「子熊」については、あとでコメント欄に書き足したように、子熊がいると母熊もいるわけで、一番危険なのらしい。牧歌的でいいとは言っていられないので、市の有線放送も大声で告知したのであろう。
ただ、それにしても浅間山荘と我が家界隈は全く反対側で遠く離れている。市内一律に放送する必要はなかった気がする。

などと考えながら昨日小諸に戻り、畑を見回りながら塀越しに御近所と話していたら、獣の話がひとしきり出た。まず以前も書いた「疥癬タヌキ」だが、その後見かけず、代ってちゃんとした毛ありタヌキをお隣さんが目撃したそうだ。

シカも見たとお隣夫人が言うので、うちの連れ合いがあたしは近くの博物館裏でキツネを見たと形状等を説明したら、お隣夫人は「じゃ、あたしが見たのもシカじゃなくキツネだったかのかな。この道を走っていたの」と目の前の土と草の道を指すのだった。

残念ながら私はどちらも見ていないので、ただ想像するだけだが、ひょっとしたら熊も現れるかもしれないしと、急に期待が膨らんできた。サルは出たことがあるそうだ。

私が見たのは先だってのカニのほかはシジュウカラとスズメが圧倒的に多い。シジュウカラはちっさく、黒い体の頬だけ白く、実にかわいらしい。水浴び場を作ってやろうとホームセンターで大きめの(つもり)深鉢を買ってきて、アカシアの木のふもとに置いているが、一向水浴びに来ない。代りにメダカでも飼おうかしら。

スズメは次々と群れでやってくるばかりか、つい先週あたりからはくちばしの黄色い子スズメも交じってきた気がする。今年のがもう育ったのではと思われる。

カッコウと藪ウグイスは声だけがする。



6月16日 子熊が出た

今朝、市の有線放送が大きな声で鳴りだした。
「浅間山荘付近で子熊が出没していますので、ご注意ください。子熊が出ています」

我が家は壁の厚い密閉式工法の家なので、外の音はめったに聞えないのに、二人とも「えっ、何!」と一斉に反応したぐらいだから、通常よりかなり大きい声だったと思う。

で、意味を聞き取り終るや、顔を見合わせた。
「子熊ならいいじゃないの」
「浅間山荘ってだいぶ遠いわよね」

実際、かなりの距離だし、浅間山の何合目かの高い位置で、確かに小諸市内とはいえ、住宅地の街のほうとしてはまず関係ないのだが、あの放送ぶりは市役所職員もつい喜びが露出してしまったのかしら。

我が家近辺では、それよりちょくちょく現れる狸が疥癬ですっかり毛抜け状態なのがかわいそうで、気になっている。お隣さんなぞは何とか捕まえて獣医に連れて行ってやりたいと言っているのだが、まだ捕まらない。

また、我が家では今朝、庭先というかすぐ軒下を川蟹がゆるゆると横歩きしていたが、川は数十メートル先の崖下にしかない。そこからやってきたとはとても考えにくいのだが、しかし他にはなおさら思いがつかない。

あれはいったいどこからやって来、どこへ行ったのだろう?!



6月11日 『オキナワ 大神の声』明日12日発売!

いよいよ出ます。小生も今日、見本刷りを手にしました。
菊地信義さんの装丁が実にいいし、小生作成の下手な字の地図も御愛嬌です。

大手書店またはネット書店を覗いてみてください。



6月5日 新刊を出します 

来週、6月12日発売! 3年ぶりです。

『オキナワ 大神の声』(飛鳥新社 2200円+税)。

7年来毎年訪ねていた琉球弧列島を舞台に、喜界島から与那国島まで八百数十キロを歩いてゆく短篇連作集で、境界地域としての奄美や沖縄の人の出入り、歴史と現状、そしてウタキ信仰や創世神話に象徴される神秘主義を描いたつもりです。
 もう一つはそれらを通じての人々の人生、そして私自身のインド以来の旅人生を描いたとも言えます。写真に出した宣伝チラシでは、編集者はそっちに注目しているようです。



ぜひ読んでみてください。
発行部数が少ないので大手書店のみにあります。あとはアマゾンなどネット書店。アマゾンはすでに予約受付中です。簡単な説明も出ています。御覧ください。


5月31日 もうアカシアは終った

水曜に埼玉に行き、昨日土曜日こちらに戻ったら、アカシアの花が全くなくなっていた。
いや、厳密にいえば薄茶色になった花が3割ほど残ってはいるが、白くふさふさし甘くほのかに香っていた花は完全にない。
代りに畑や庭の上に落ちた花びらが、まるで雪のように白く覆っている。

うーむとしばし腕組みしたが、アカシアの花は1週間の定めとは聞いていたから、やはりそうであったか、と悲しく感嘆するしかない。ひょっとしたら桜より短い運命かもしれない。

だが、来る途中の列車から見た信濃追分、平原あたりのアカシアはまだ白い花房が付いていたから、所によってはまだあるかもしれない。崖を降りた先の千曲川の中州は、我が家で「アカシア島」と名付けたくらい全島アカシア一色の島で、花が少し遅めの感じだったから、まだ咲いているかもしれない、行ってみようか、とつれあいと意見が一致した。

そして出かけようとしたら、雨が降ってきた。白雨というより緑雨という感じで、かなり寒い。やはり信州は南の関東平野や東京界隈よりは4、5度低いのである。

その雨のなか傘をさしたままついつい草むしりをし、一夜明けた今朝もまた傘をさしてトマトの支柱立てをした。植えたばかりのブーゲンビリアにも支柱を立てたが、この南国の花、はたして無事育つだろうか。花は咲くには咲いているのだが。



5月24日 アカシアの雨

♪アカシアの雨に打たれて、このまま死んでしまいたい……
というのは私の学生時代はやった歌で、西田佐知子という細身でハスキーな声の歌手が歌うと、こちらまでそのまま死にたくなるような、しかし決して死にはせずただひたすら酒を飲みたくなるような気分になるので、人気があった。

どういうわけか、殊に新左翼の過激派学生に熱愛派が多く、私の同期生、のちに三里塚に住んで成田闘争の記録映画などを撮った故福田克彦もその一人で、デモの後なぞ機動隊に痛めつけられた体をなでさすりながらの安酒の際、決まってこの歌を唄ったものだ。

今、窓外は小雨が降っている。昨日の夜半から朝までもそうだった。
そしてその雨は、柔らかい緑と白い花房のたわわに下がったアカシアの木の上に降っている。そう、小諸の我が家の敷地はまるでアカシア林の中と言っていいくらいなのだ。

全部で10本はある。大は樹高たぶん20メートル近く、小は5,6メートル。いずれも多分実生からの自然のもので、敷地外にも崖方向に何本かが連なり、緑と白い花房を揺らしている。匂いはほのかに甘く、蜂蜜にすると味も香りもいい。

正式にはニセアカシア、または和名「針槐(はりえんじゅ)」と言うそうだ。明治くらいに北米から渡来した外来種で、荒地向きの繁殖力の強い特性から、北海道あたりから始まってあっという間に日本北部に広がった。札幌で見るアカシアも、旧満州・大連のアカシアも、先述の歌「アカシアの雨に打たれて」のアカシアもすべてこの木のことである。

このアカシア以前に「アカシア」名の木が別にあったため、こう名付けられたが、本物のアカシアを見たことがある人はめったにいない。私も周辺の人も皆そうだ。木も花もニセアカシアのほうがずっと風情があるともいわれている。

だから、「ニセ」と付けるのがどうも気に染まなくて、我が家では面倒だから「アカシア」でいこうとこの頃なってきた。実際、歌も小説『アカシアの大連』も皆そうなっているのも似た気分からであろう。

そう思いつつ、しとしとと降る雨も花も緑も柔らかいアカシアを見ていると、心も身も柔らかに静まっていく。雨の直前に運よく植えた地這いキウリの苗にも雨がやさしい。



5月20日 新聞はひょっとしたら要らないものなのかしら……?

私はこのごろ東京(というか正確には埼玉県)では新聞をとっていない。

理由は直接には、信州との二重生活になったためだ。両方でとるには週半分の留守時の対処に困るし、双方とも週半分だけの配達サービスというものもない。かつ、東京周辺なら出かけた際、駅売りをどこでも買えるし、勤め先でも見ようと思えば見られる。

さらに東京界隈は朝刊と夕刊があるから、量もかさむ。信州では、新聞によるが例えば朝日新聞の場合、夕刊はない。つまり信州ならいちいち配達停止の依頼をせず放っておいても、二,三日大きめポストに朝刊が溜まるだけで別にどうということはない。値段もだいぶ安い。

というのが具体的経緯で、最初はどうも落ち着かない感じもあった。朝起きてまず新聞を広げる習慣だったのにそういかぬし、晩酌前にちょっと夕刊をめくることも出来ない。

うーむ何かいい方法はないかとしばしは首をひねり、ネットのニュースなぞに目配りを強めたりした。テレビもと言いたいが、こっちはあまりその気にならなかった。朝も夕方もテレビをつけるより静寂の中で自然の緑や風景を見る方がはるかに魅力的だからだ。

ネットは複数の新聞や媒体を自由に選べるし、記事も短めで便利である。外国のニュースも自在に見られるし(私の場合、まあ英語のものを少しだけだが)、近頃では映像付きで特定のネタを何種類か追跡できたりもする。

かくして約4ヶ月、だんだん新聞自体がなくても一向気にならなくなってきた。当初、ニュースは他媒体で代替がきいても、夕刊の文化面なぞはそうはいかぬ、自分などにとっては新聞の一番のメリットは文化欄だと考えたりしたが、それもこのごろでは、長年の思い込みと錯覚だったのかもしれないと思いだした。

ゆっくり考えてみると、かつてはよく読んでいた文芸時評や加藤周一の「夕陽妄語」といった署名エッセイなぞも、今は読みたいものが思い当らない。いわゆる文化情報自体もぜひ知りたいと思うものがろくになくなってきた。署名記事や特集を見ても引き入れられることは本当に不思議なほどない。

これはなぜか。自分が歳とともに世間のいわゆる第一線に関心を失ってきたのか、記事の方に魅力あるものがなくなってきたのか。あるいは名文家、真正の知識人等がいなくなったのか、社会自体にじっくり考えるべき内実が減じてきたのか。

たぶんに傲慢に言わせていただけば、自分自身がもはやその種のものを必要としなくなってきた、考えるべきことは自分で考えればいいと思えてきた、なぞとも思いがめぐったりする一方、今の世の中、世界は得体が知れず、昔よりは良くなったような気もするものの、実態は似たことが目つき顔つき口先を変えて気持悪くぬらぬら蠢いているだけ、とも思え、こんな世界は遠目に、焦点距離も少々変えて、黙って見ているにしくはないからだと思えたりもする。

いずれにせよ、気がつくと駅売り新聞もほとんど買わなくなっているし、新聞を読まない日が何日も続いていたりする。つまり新聞がなくてもちっとも不便を感じなくなっている。

一体なぜかしら?
ひょっとしたら、大相撲をいっかな見なくなっているのと同程度のことなのかしら?


5月15日 緑の下、走る

新緑の季節になると、緑に酔ったり、少々精神が不安定になったりする人がいるそうだけど、私はこのところ走り回っている。

まず、月曜には故郷の母から手首を骨折した知らせが来、だいぶ慌てた。何でもトイレの前で転んだ折にそうなったそうで、ギブスがとれるまでに6週間というのだが、92歳のこととてそう簡単に治らない気もする。

いずれにせよ、今月末、86歳の叔母ともども小諸の家へ来る予定だったのは当然中止となり、すでに予約済みだったホテルはキャンセルした。

水曜には小諸から直行で所沢校舎の授業に出、2コマ終ってホッとしたとき、突然思い出した。4時にマンション近くの喫茶店で編集者と会う予定だったのだ。
時間はすでにその4時を過ぎている。間違いの原因は前年度まで時間割が2限3限(つまり2時半終了)だったのを今年度からは3限4限に変更したことを、体と脳がころりと忘れていたためだ。

今年度はカレンダーの具合でまだ4月に2度授業をしただけであと2週分連休で休みだったため、たぶん小諸の緑に酔っていたのだろう。頭は昨年までの長い習慣で2時半授業終了、よって4時の約束はちょうどいい、と停止していたのである。

慌てて喫茶店に電話し相手に詫びてから、タクシーを呼び、走った。自宅までタクシーは初めてで、だいぶ料金もかかるし、何分かかるかも定かでなかったが、やむを得ない。私の様子を見たタクシー運転手は危ないくらいに欅並木街道を突っ走ってくれた。

30分遅れで何とか仕事はこなせたが、いやあ、ほんとに焦った。お詫びにそのあとの一杯と夕食は全部こっち持ちにしながら、歳かなあという気もふとした。

そして帰るなりくたびれ果ててばたんと寝、昨木曜はまた午前から学校、授業2コマに教授会だった。さいわい会議は早めに終ったのだが、帰途の住宅街の緑下はだいぶ速足になった。

どうも体と脳が緑に慣れていない気がする。小諸の薄緑、東京界隈のすでにかなり濃い緑、それぞれにどうも酔う。狂ってはいないと思うのだが。


5月10日 人間は朝食前に労働すべきである

今日は午前6時前に起床した。
そして6時20分から表に出、草取りを始めた。25分にはつれあいも現れ、これは門外へ出、道路ぎわの掃除と草取りを始めた。今日は月に1回の町内清掃日だからである。

1戸1人がルールだから、私は門外へは出ず、中の草取りに専心した。
表はまもなく定刻の6時30分に御近所衆が出そろい、お喋りまじりに草取りが進む。舗装部分以外は草がこの1週間ほどで随分茂り、放っておくと草でうずまる(と思える)。

我が家としてはそれも緑に取り巻かれいいではないかとの思いもあったが、お隣さんの話では「いやあ、この草など、身の丈以上になり、大変ですよ」とのこと。あとでつれあいに聞いたところによると、実際草むらを刈っていくとすでにゴミが幾つか捨ててあったそうだ。

つまり放っておくと、ゴミ溜めにされるのだ。近くに観光客が来る施設があるため、無断駐車やついでにゴミを捨てていく輩があとを絶たないのである。

これじゃ大変だから、草を刈る。塀の内側も同じ理由から草を刈らないと、ゴミを投げ込まれかねない。
で、私もせっせと草取りをする。通称勲章草と呼んでいるペタペタくっついてくる蔓状の草が、すでに高さ30~50センチぐらいに伸び放題となり、積み上げた枯れ枝類なぞほとんど覆い隠さんばかりになっている。

これも冬枯れの景色に最初に生えてきたときは、緑鮮やかで美しく、「うわあ、草だ、草だ」とうれしくて、水をやったりさえしたが、気付くとこいつのおかげで今は屋敷内が手入れ放置の草叢の趣がある。

それは我が本意でもないし、御近所迷惑でもある。草は種が飛ぶし、虫もわく。それに清潔感や美観は近所全体の問題でもある。自分の土地だからといって好き勝手にしていいわけではない。坂の一番はずれの家だが、近所のコミュニティーは確かにあり、町内会もあれば回覧板もある。ゴミの分別収集もある。ゴミ関係は一番の大事である。

そこで熱意をこめて、私は敷地内の草を取る。刈ると根が残ってまたすぐ伸びそうなので、なるべく根こぎにする。いきおい力もいる。気がつくと汗ぐっしょりで、やがて汗が目に入って痛くなる。道路側を終えて敷地内に来ていたつれあいも、向こうで「腹へった、腹へった」と節度もなく叫んでいる。

よって作業を中断、手を洗い、顔を洗い、シャツを着替え、朝食にした。午前8時だった。オレンジの汁が慈雨のごとく思え、アロエ入りヨーグルトがまさに醍醐味だった。


5月5日 夏立ちぬ

「節句」という言葉にふさわしく、今日で季節が区切られ夏となった。
あいにく小諸は曇り模様だが、しかし寒くはなく、鮮やかな新緑が周りを取り巻いている。

今朝8時に散歩に行った懐古園(8時半までと夕5時以降は無料)は、評判通りつつじが満開に近く見事だった。いろんな種類があるなか、一番多いのは穏やかな朱色のもので、これは完全に満開だった。

ほかに白藤及び山藤が満開で、はちみつを連想させる甘い匂いがぷんと漂っていた。ミツバチがいっぱい羽音を鳴らせている。

このところかかっていた著者校も先ほど上ったし、まさに区切り時である。明日は授業準備のため、埼玉のマンションに戻る。本当に風薫り、緑に酔う、いいゴールデンウイークであった。ひょっとしたら生涯一、二の時だったような気さえする。

さあ、また、下界の時間だ。これもまた頑張ろう。



5月1日 若葉うるわし、身はかろし

今年は暖かいそうだ。おかげで寒冷地のここでも木々はもう若葉の候となり、どこもかしこもすっかり黄緑色におおわれた。
「山笑ふ」という私の一、二に好きな季語があるが、1週間ほど前にひそやかに笑いだしていた山々が今は早や大笑いしている。

一昨日昨日と近くの温泉(前者は1回450円、後者は500円)に行ったせいか、肩や腕の具合が良く、左はほとんど痛みがなくなった。右のしつこい慢性的五十肩はそう簡単にはいかぬが、でも痛みはこのところ随分減じており、日常生活に支障をあまり感じなくなっている。

気候がいいこと、体調がいいことが一番、と昔からよくお年寄りが言うが、まったくその通りと痛感する。
まあ、これもそれに慣れると、だんだん新たな欲望や望みが湧いてくるから、いっときのものとも言えるが、しかしこれらにプラス仕事の具合もよし、となれば今のおのれとしてはほぼ申し分なしである。

いいゴールデンウイークとなってきた。



4月28日 本日零下2度

6時頃起きたら、外が霜で白かった。先だっては初夏並だったのに、やはりここらは寒い。
植えたばかりの苗類が霜に負けないか心配なり。昨日は蕗も2株植えた。これがしおれている。



4月26日 またまた植えた!

今日は林檎(アルプス乙女)と楓と柿(前回1本植えたけど、苗売り場を見ていたら1本では実がならないと書いてあったので、大慌てでもう1本追加)と山椒の苗を1本づつ、それに先だっての茄子とトマトがたった2本づつだったので、各2本、別の種類を追加して植えた。

だんだん塀際も空きが減ってきたし、畑も多少はそれらしくなってきた。
午後ずっと穴掘り、すなわち石ころと格闘し、4時にやっと終了、小生もつれあいも肩が痛くなった。

まことに軟弱な肉体です。やむをえません、もう60ン歳なんだから。でも、おかげさまで楽しい。


4月20日 植えた、植えた!

昨日、近くのホームセンターへ出向き、茄子とトマト、それにいちじく、柿、花梨(かりん)の苗を買った。

林檎や葡萄、枇杷等もほしくなったが、連れ合いが林檎はちゃんと生らせるのが難しいと言うし、葡萄は私の子供時代の体験でやはり難しいことを知っているし、枇杷はどちらかといえば南国系だから寒冷地の信州ではどうかなと思い、控えた。

一緒に鍬、立鎌、如雨露付き長ホース20メートル、それに鶏糞堆肥40リットルも買い、準備万端。早速、植えにかかった。
浅間山火山の麓なので畑予定地にも庭にも軽石ふう石ころが多く、当初はもっぱら石との闘いである。それでも汗だくになって約3時間、どうにか全部植わった。

これで先だって作った小さな畑の、枝豆、パセリ、春菊、茗荷、ローズマリーと合わせると、かなり種類も楽しみも増えた。
ほかに台所裏には泥つき葱や芽の出たにんにくなぞも植えてあるから、家庭用としてはまずまずだろう。

木は本当は橅(ブナ)を第一に植えたかったのだが、苗が見つからない。もともと民家でそうそう植える木ではないので、売り苗として出てこないらしい。ネットで探しても信州には扱っているところが今のところ見つからない。御存じの方あったら教えてください。



4月18日 新学年度第1週一巡、ホッとする

今週から始まっていた新学年のクラスが一通り終わった。
大学院を入れて全部で6コマ。正式登録締め切りはまだ1,2週先なので、人数は未決定だが、大体どのクラスがどんなふうになりそうかの見当はつく。

予想通りの講座もあればだいぶ違うのもある。が、まあ総じて想定の範囲内ではある。

ゼミだけは定員制だし、下見者がかなり人数オーバーしているから、実際の申込者がどうなるかは来週火曜にならないとわからない。体験的にいえば、他へまわる者もかなり出るから、おそらく丁度適正人数になるだろう。選抜(つまり落とす)せずに済むのが一番いい。

さあ、これで1週間いた東京界隈とおさらばして、小諸に戻れる。今度は3,4日はいられそうだ。
向こうもだいぶ若芽が出たろう。桜は終わっているかもしれない。畑や庭の芽吹きが楽しみである。


4月11日 どこもかしこも異常高温

下のような日記を柳瀬川で書いた翌日の今日、小諸へ来てみたら、いやあ、こっちもずいぶん暖かかった。
そして、桜もたった4日で一気に5分咲き。我が家に関しては何と満開だった。
ただし、小さく、色薄く、はかなげな、山桜ふう。たぶん自然に育ったものであろう。


4月10日 初夏のごとく

「春爛漫」と題そうかと思ったが、実感はもっと「暑い」印象なので、こうした。

実際、この暑さは何なのだろう。おとつい小諸からやってきた身には驚くべき気温で、柳瀬川の桜なぞも満開を通り越して落花もうもう(ハラハラではない)、見上げれば花はすでに3、4分は散っている様相だ。

小諸ではまだ開花以前、暖冬のせいで今年は早そうとはいえ、満開はやはり下旬だそうだから、約1カ月気候は違う。柳瀬川土手の向こう岸では真っ黄色の菜の花も、小諸では一つも見なかった。

日本も広いものだとの実感がわくが、暖地がいいのは50肩や腕・手首・頸などの痛みが一気に減じることで、柳瀬川へ来て一晩寝たら、朝、見事にどこも痛くなくなっており、悪夢も見ず熟睡できたのには、しばらく訳が分らなかったほどである。

かくして一昨日入学式、昨日1年生ガイダンスを終え、今日は暖房なぞまるでいらない北向き書斎で、菜の花を見降ろしつつこれを書いている次第です。

ああ、花びらがこの14階近くまで飛んで来て紋白蝶かと見まがう。川面は花びらで3分の1ほどうずまっている。なんだか南国にいるみたいだ。


4月6日 種蒔き

昨日、街探索に出たついでに、あちこちで種苗屋や花苗屋を見つけるたび少しづつ買ってしまった。

まず花は風鈴おだまき、野菜はパセリの苗。次いでみょうがの地下茎、これは今年植えても食べられるのは来年だと言われやめようとしたら、売り手のおばあちゃんが「来年にしたらまた食べられるのは再来年になるだけだよ」というので、それはそうだと思い、買ってしまった。

他に種は黒枝豆を買った。これは4月蒔きで3ヶ月後くらいには実るというので、ビールのつまみにと思ったのだ。

それらを今朝、つれあいと二人で植えたり蒔いたが、私は50肩に加え、左手首がやけに痛いので、スコップを使っての力仕事はもっぱらつれあい、私は移植ごてでちょこちょこと浅い小さな畑を作った。

それでもやり終わったらやっぱり肩がちょっと痛むので、ロキソニンを飲んだが、ともあれ念願の畑第1日だ。芽が出るのが楽しみである。

庭は杏の花がピンクに咲きだし、プラムらしき木と山桜のつぼみがふくらみはじめた。寒かった信州もいよいよ本格的に春だ。今日は春もやがかかっている。おかげで遠景のアルプスなどは見えないけれど、景色が新しい展開を示しだした。