風人日記 第三十七章
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大災害を背に
  2011年4月1日〜6月30日


我が庭に咲いたクロッカス。2011年4月3日、夫馬撮影
5茎ならんでいます。よく見て下さい。





このページは日記であると同時に日々のエッセイ集、さらには世の中への自分なりの発言、時には創作かもしれぬジャンル不分明な文章を含めた自在な場所のつもりです。とにかく勝手に書きますが、時折は感想を掲示板なぞに書き込んでいただくと、こちらも張り合いが出ます。どうかよろしく。



               お知らせ (*日記はこの欄の下方にあります)

『文学2010』(日本文芸家協会編)に短篇「行きゆきて玄海灘」が選ばれる

 発行は講談社、2010年刊。
 石原慎太郎、河野多恵子、辻原登ら18編の昨年度日本の短篇代表作アンソロジー。

 何と小生が年齢では上から3人目で、川村湊氏の解説ではわざわざ「ベテラン」として「他はみな新しい世代の作家」と区分けされています。私がそんなに歳とったのか、他の同世代以上が元気をなくしたのか、微妙な気分です。


 
なお、「ゆきゆきて玄海灘」は「季刊文科」45号(昨年8月刊)掲載作で、下記『オキナワ 大神の声』の番外篇とも言うべきものです。対馬・壱岐を舞台に、芭蕉の同伴者であった曽良の死をめぐって書いたもの。曽良の墓は何と壱岐にあります。
 未読の方、ぜひどうぞ。


『オキナワ 大神の声』(飛鳥新社 2009年刊 2200円+税) 


 
              


 7年来毎年訪ねていた琉球弧列島を舞台に、喜界島から与那国島まで八百数十キロを歩いてゆく短篇連作集で、境界地域としての奄美や沖縄の人の出入り、歴史と現状、そしてウタキ信仰や創世神話に象徴される神秘主義を描いたつもりです。
 もう一つはそれらを通じての人々の人生、そして私自身のインド以来の旅人生を描いたとも言えます。写真に出した宣伝チラシでは、編集者はそっちに注目しているようです。

 大手書店およびアマゾンなどネット書店にあります。毎日新聞9月20日に書評(川本三郎氏)、週刊朝日8月7日号に著者インタビュー、沖縄タイムス8月28日に紹介記事、ほかに図書新聞(中沢けい氏),mixiレビュー欄等に書評があります。この日記30章の中の日記からリンクしているものもあります。御覧ください。


ミャンマー(ビルマ)、中国、北朝鮮での体制転換を望む

 昨年までこの欄には、ミャンマーやウイグル、チベットなどでの人権尊重を求める文章をずっと掲載してきたが、同種のものを続けることはもはや意味がない気がしてきた。それらの地域での人権侵害、抑圧、非民主の実態は何ら改善されないからである。

 ミャンマーにおいては形だけの選挙がおこなわれ、選挙から締め出したうえで終了後アウンサン・スー・チーさんを軟禁から解放したが、実態は軍事政権独裁そのものであり、自由や民主制が出来たわけでないことは誰の目にも明らかだろう。
 またウイグル、チベットでの中国官憲による暴虐も、ネットや外電で伝わるだけで枚挙にいとまがない。

 そして、それらの背後に「世界の大国」という中国政府の存在があることは明々白々の事実である。しかもその中国においては、劉暁波氏のノーベル平和賞受賞を機に「08憲章」署名者や周辺の民主派人士に対し軟禁等の抑圧が続いている。
 加えて中国においては、かねて「労働教養制度」なる不可解なものがある。これは政府や警察の意に沿わぬ人物を裁判や弁護士の弁護なしに最大4年間収容所で強制労働をさせるというもので、全国350か所で約16万人(08年現在)が収容されていると言われる。

 また不可思議な世襲金王朝による先軍(つまり軍事政権)国家北朝鮮では、政治犯20万人が強制収容所に収監されているとされる(2010年1月22日付読売新聞)。

 これらの事実を考えると、私はもはやこの国々では体制自体が根本的に変ることなくして事態の解決はないとしか思えない。
むろんそれは極めて困難で、おそらく多くの犠牲も生じる事柄だろうし、それぞれの国、体制権力の内部自身から大きなうねりが生じる必要があろうけれど、私は近隣アジア人の一人として切にそれを望む。

        
                  2011年1月1日
                      日本ペンクラブ獄中作家・人権委員 
                                          夫馬 基彦


                        *これより日記                      
6月30日 真夏日続く、体調不如意

夏が暑いのは当たり前とはいえ、今年は6月から真夏日が続くのはかなり異常だろう。その暑いさなかに涼しい所から移動して東京界隈で仕事となると、相当くたびれる。

数日前結石の猛烈な痛みに襲われたのも、今も続く下愕部の痛みも、ひょっとしたら体力減退ゆえの側面もありではと思えてくる。ま、下愕部の痛みに関してはかれこれ1ヶ月半続いているから、根本原因は別なのだろうが。

信州と東京界隈の2重生活中は、どっちで医者にかかればいいか迷うのも問題点だ。継続治療が必要になりそうな事柄に関しては、夏休みのことも考えると小諸市の方がいい気がするし、しかし医療機関の豊富さでは圧倒的に志木市界隈の方がいい。

だんだん自分でも感じる老いや体力減退、近づく定年を考えると、ぼつぼつ年来のかかりつけ医を含め医療機関のシフトを変えていった方がいいのか、あるいは定年ぎりぎりまで慣れたかかりつけ医中心の方がいいのか、やはり決めかねる。

そしてそれぞれの場に3日半づつで、しかも東京界隈に関しては3日とも仕事日程となると、なかなか医院に行く時間もままならぬ。信州の涼しい気候、緑の風を楽しむためには、代りの不便、不都合も生じるということだろうか。なにかいい方法はないものか。


6月26日 昼を抜いたら突如結石が痛み出し

昨日、小諸へ帰宅するやいなや猛烈な腹痛始まる。持病の腎臓尿管結石だ。血尿もかなりの程度。列車時間の関係で昼食が出来ず、車内でサンドイッチでもと思っていたが車内販売がなかなか来ぬ上、やっと来たら食べ物売り切れ。やむなくビールとナッツだけにしたのが引き金かも。


結石の兆候は数日前からあった。空腹はよくないと以前医師からいわれた気がするが、忘れていた。治療法は要するに鎮痛剤と猪苓湯、ブスコパンくらいで、用意してあるのだが、鎮痛剤は飲みすぎはいけないし、猪苓湯は即効性がさほどないしで、脂汗タラタラ。以降、今朝明け方まで、実に痛く苦しかった。

ところが、朝食時になったらパクパク食べられ、食べるにつれ痛みが急速に減じていき、食べ終った時にはまったく痛みはなくなり、排尿もスムーズ、血尿もほぼなくなっていた。うーむ、こんなことってあるのかしら?
まるで陣痛のあとみたい。ただし、石はまだ出ていない。
御存じの方教えてください。



6月23日 ガイガーカウンターが高い

ウクライナ製の携帯線量計がいいらしいと知ったが、しかし値段が約11万円と高すぎる。

他に何もないならともかく、5万円程度のものがいくつかあるので、それではだめなのかとやっぱりためらう。

結局、相変わらず決定できない。要するに高すぎるのだ。

安くてまずまずのものはないのか。あるいは政府なり自治体が大量注文と引き換えに安値販売させる手立てはないのか。
そもそも線量計は原発事故に責任のある東電や政府が、国民に配布すべき筋合いのものではないのか。



6月19日 まだガイガーカウンター(線量計)を買ってない

3月の20日ごろから線量計を買おうかという気が起き、ネット上などでだいぶ種類や値段などを調べた。値段は最初は2万円くらいから30万円くらいまで様々、器種もずいぶんあることが分った。

また、放射線にはα線、β線、γ線があり、通常の線量計ではγ線だけしか測れないことも分った。更にそのガンマ線線量計も器種が違うとだいぶ数値も変ってくるらしいことや、現在使われている器械は場所によってかなり違い、また測る地上高度によっても違い、従って数値の比較が完全に合理的統一的に出来ていないことも分っていった。

しかもそのうち、線量計の手ごろそうなものはあちこちのサイトで品切れとなったり、随分値上がりしたりした。安いものの多くはほぼ品切れである。

それであれこれ思い悩み、その間に学校で震災被災学生用に寄付金を出したり他にも寄付呼びかけがいくつもあったため、そっちに気を取られているうち、時間ばかりどんどん経っていった。

そして未だに線量計は買わぬままという実態だが、一体どうしようかしら。要するにこの器種が一番いい、値段も手ごろ、ということがはっきりすれば決断がつくのだが、それが分らないのである。

それに空中線量は分っても、食品の線量は簡単には測れないらしいこと、内部被ばくに関してはムリ、なぞと知ると、あまり意味がないかな、神経質になるだけむなしいかなと思えたりもする。

どうしたものか、事情に詳しい方、すでに線量計を持っている方など、ぜひ意見を聞かせてほしい。


6月15日 ロキソニンを飲む

だいぶ前、1カ月ほども前から下愕部が痛かった。いや、上愕部も少しは痛かった。私は若い時から就寝中歯ぎしりをする体質で(なぜかは全く不明)、朝起きると主として下愕部が痛いことがしばしばあったので、かなり長い間、今回もそれかと思っていた。

が、それが原因なら通常2,3日もすれば痛みがひくのに、今回はいつまでも、それも右側はほぼ痛くなくなったのに、左側だけいつまでも痛い。鏡の前で口を開いて奥まで見てみても歯自体、あるいは歯茎に特に異常は認められない。

今日も朝から左下愕部だけが妙に痛く、食事時も、その後電車に乗ってからも気になる。大学で授業をしても気になる。
よって、学校帰りの駅プラットホームで急に思い立って手持ちの(私は鞄にいつも常備薬を少量持っている)ロキソニン(鎮痛消炎剤)を1錠飲んでみた。

すると帰宅したころから気分がよく、つまり1カ月近かった痛みからほぼ解放されて、ビールもうまかったし、食後の今にいたるまでだいぶ気分がいい。痛みの原因が何だったのかは未だに分らぬままだが、とにかく痛みがなくなったのはありがたい。

これからゆっくり原因を突き止めようと思っているが、歯に関しては若いころからずいぶん無理や不節制をしたので(歯科医から稀にみるいい歯だと言われていたのに)、そのつけかとも思っている。

いづれにしても「痛い」のは、人間にとってかなりの難物だと痛感した(ここでも痛いという字を使う)次第。



6月12日 反原発デモ

昨日のデモ、参加しようかという気が半分あったが、移動予定日だったのと朝のうちやや雨がぱらついたのでやめてしまった。

それにしても遠く離れたドイツではいち早く30万人ものデモが起り、従来容認派だったメルケル政権までが20年以内に原発廃止を宣言したのに、当事者そのものである日本の動きは鈍い。上から下までまことに鈍感な国である。

木曜金曜と、またしても授業で原発の話をしてしまったが、そのたびにもう何も言いたくない、若い者たち自分で考えんかい、と思いつつ、いつのまにか、一番影響を受けるのはおぬしたちだぞ、女の子は10年後に子供を産むかも知れんではないか、男だって精子の遺伝子を放射線は貫通するのだぞ、放射性物質はひょっとしたら10年は封じ込めぬ可能性があるし、体内に入ったセシウムやストロンチウムは30年はなくならないんだぞ、その間被ばく量によっては年間0.5%づつ癌発病率が増えていくのだぞ、とまたまた喋り続けてしまう。

ああ、むなしい。ほんとにもうやめたい。



6月9日 人間ドックの予約を入れる

だいぶ先8月のことだが、申し込み期間が定まっているので、今日決めた。毎年のことなのに、申し込む前後から少し緊張する。というか、健康のことをあれこれ考え、いささか生活や体調に気をつけるようになる。

連れ合いは去年は受けなかったけれど、今年はこういう機会くらいはやはり自分もと申し込んだ。台湾旅行を控えているので、その直前に設定した。旅行後よりはその方がいいだろう。台湾では多分食べまくるから。

9月は私も久しぶりに外国へ出かけようと思っている。体調を整えておかなくては。


6月7日 今日は実によく働いた

午前、きうり用に支柱ネットを立て、朝顔の苗(未生)を塀際あちこちに植え、午後、じゃがいもに土寄せをし、夕方、新しい畝を少し開墾した。

汗だくになり、4時過ぎに風呂に入り、窓外にジャーマンアイリスの華麗な花を眺めた。

連れ合いは近所のよそ様の畑にひまわりの苗を植えた。興にのって更に種を播いた。

晩酌のビールが実にうまかった。



6月5日 大連立でもいい

菅退陣後、大連立だそうだけど、それでもいい。河野太郎を首班にすれば。

震災復興を呼号しつつ、原発容認推進あいまいダラダラ現状維持内閣になるのなら、私はもはや日本政治を侮蔑するだけだろう(すでに半分そうなりかかっているのだけれど)。

永田町のクソッタレども、経済亡者連中、無知無関心の国民、みんな顔を見ずに済むようどこかへ消え去ってくれ。


6月2日 河野太郎内閣を期待する

内閣不信任案が出、今日の午後3時頃決着するそうだが(今は午前11時)、さてどうなるやら。こんな時期に政局争いかとも思うし、さりとて菅内閣でいいとも思えない。
では、不信任側は誰が何をするのか、何も言わない。

震災復興、そして最大課題たる現在進行中の原発問題はどうするのか。自民党も公明党も民主党小沢派も何一つ語っていない。現政権に引っ込めと言う以上、自分ならどうする、こうした方がいいではないか、ということをきちんと述べるべきだろう。

ただ辞めさせるだけの権力闘争なぞ無意味だし、では不信任案をやめて今まで通りあいまいにだらだらもいらだつ。

何より原発問題に関しては改革・方針変更するならまさに今だろう。脱原発、原子力保安院抜本改組独立、電力会社独占体制廃止、発送電分離、電力自由化、自然エネルギー発電への国を挙げての取り組み、は今せずしていつするのか。

そのために首班として唯一思い浮ぶのは河野太郎しかいない。彼にやらせてみたい。

だが、どこからもその声は出ていない。どうにもならんなあ。物悲しいことである。



5月31日 太陽のもと畑を耕し汗を流す

今日は久々の暖かい晴れ日だったので、近所もどこも畑や庭に人が出ていた。
私もまず重みで倒れかけたジャーマンアイリスの花に支柱を立てることから始め、ついでトマトやじゃがいもの畝に土寄せをし、それからトマトにプラスチック製三角の支柱を立てた。去年使ったものだが、プラスチック製だからどこも傷んでいない。便利なものだ。

それだけ終えたら汗だくで、洗面所でお湯で体をふきシャツを替えた。これが爽快である。昼食は外に出、ついでに種苗店に寄って朝顔の種を買った。おととし西洋種の種をだいぶ買い、大ぶりの花を咲かせたが、去年はその実生だけにしたら花が小さくなり、いささか物足りなかったからだ。朝顔の花は1年目以外はどうもそのまま継承しないらしい。

ゆえに新しい種をというわけだが、むろん去年の種からの実生分が既に芽を出しているので、買うのは一袋だけにした。ブルーの大輪、赤の中輪、多種混淆と3種あった袋のうち、結局3番目にした。植えた場所によってどんな花が咲くか分らぬ方が楽しみがあるからだ。

帰宅してそれを庭のあちこちに播いた。いったん苗づくりをする手もあるが、直播きにした。発芽100%とはいかぬが発芽した場合強い気がするからだ。種を播くためには周辺の草を自ずとむしることになるから、やはり汗をかく。午前に続いて2度目の汗だ。

いい気分である。あたりはアカシアの花の香りがほのかに漂い、庭にも道にも白い花がいっぱい落ちている。アカシアの花のてんぷらはもう2回食べた。ぼつぼつ終りだろうな。


5月29日 アカシアの雨、アカシアの白い花

まさに今が盛りで、我が家の敷地は隅から隅まで白い花と香りにおおわれている。二階の書斎の西窓外は90%アカシアの若葉と花房で、上方に空がところどころ覗いているだけだ。

昨夕5時に入った風呂も窓外はアカシア・オン・パレードで、アカシアの湯に入っている気分だった。

花は今年生り年なのかもしれない。去年は花が少なくて、樹勢が衰えた木もあり、15メートルほどの中木1本は枯れた。勢いのなかった20メートルの大木1本も、今年は少し勢いを戻して咲いている。春に木の周囲2メートルに円形の穴を掘り、堆肥と水、少量の化成肥料を入れたのが効いたのかもしれない。

いずれにしろ、庭じゅう合わせれば約20本、最高は20メートル級が8本、見事に柔らかい緑の連葉と豆科ふうの白い花を雨に打たせている。昔よく歌った西田佐知子の歌が自然に口をついてくる。

http://www.youtube.com/watch?v=rM8aE3yoUp4



5月27日 5月最終授業

暦の都合で今日の授業が終ると、次は6月になる。6月は番外の遠隔授業があったり1年生の入門講座が2回あったりで、授業的には1年で一番忙しい月だ。

それに比し5月はいい気候の中で予定通りの新年度授業が着実に安定していき、順調だった。その5月の授業が終るかと思うと、ホッとし、安心感も生じる。何となく今年度全体の予測がつく気がするからだ。

特に今日金曜日は大学院と学部の連句講座だから気分がいい。
院は学生の平均年齢が高く大人の雰囲気があるし、連句は本来自分の好きなことだから、どちらもあまり「教える」ことを意識せず自然に動いていく感があるからだ。

台風が近づいているらしく夕方からは雨らしい。早くも梅雨入りの気配でもあるが、柔らかい雨は文字通り世をみずみずしくしてくれ悪くない。放射能が含まれていないことを祈るのみである。


5月24日 初夏にして寒い

下は今朝の二つのつぶやき。どちらもほんとです。

A浅間冠雪、北アルプス・白馬連峰も全面真っ白。5月のこの時期としては極めて珍しい。つまり寒い。

@昨夜はアカシア、柿の葉のてんぷらに、ぎぼしのおひたしで晩酌をした。まさに初夏の味。連れ合いは急にてんぷらに自信をつけ、次は何を揚げよう、何でもできると言いだした。



5月21日 実に楽しい卒飲みだった

昨夜は11年前の卒業生とのゼミ飲みだった。
集まったのは7名、男2名女5名である。

うち結婚しているのが二人。二人とも結婚写真を見せてくれた。一人はケータイの写真だったが、すぐスルスルっと出てきたから、だいぶあちこちで見せまくっているのだろう。

年齢は36歳から33歳まで。さすがにだいぶ変ったともいえるし、あまり変っていないとも言える。誰も顔を見るなりすぐ分った。太った者もいれば痩せた者もいる。

で、つい正直にそう第1声を放つと、「太った」と言った時は「先生、そういうことは言わないでー」とブーイングが起る。ぼくはこれが分らない。太ったことが悪いと思ってないからだ。学生時代の痩せていた時よりふくよかでいいし、男も女も22歳から33,4歳になればある程度太って当たり前だとも思う。

でも、女性の場合、悪い事らしい。ヘンな思い込み、風習である。

幹事が明るく話を進めてくれるせいもあって、みんなも明るく喋る。結婚者はいかにも明るく、子供が欲しいなどと言う。が、多数派の5人は結婚しておらず、中でも女性組はあまり結婚したいとも思っていないみたいだ。帰宅後連れ合いにそう言ったら「そうよ、結婚しなくてもよくなったのが女には一番いいことよ」と言った。確かにそうかもしれない。少なくとも結婚しなくちゃあといったくびきから解放されたことは、女性にはいいことに違いない。

学生時代のゼミ誌を持ってきた者がいて回覧したら、多くの諸君が誰がどんなことを書いた、合評で誰がどう言ったと、詳細に覚えていたりしたので驚いた。そういえばこのクラスは4年時に学部長賞2名、6年卒業者も学部長賞受賞で、計3名が学部長賞という、わがゼミの歴史の中でもひょっとしたら過去一番優秀組だったのかもしれない。

うち1名は卒制がそのまま新潮新人賞候補になり、惜しくも次点だったが新潮掲載になり、その後も新潮・群像の2誌から編集者が付きエッセイを掲載されたりした。

幹事のKは学生時代以来ずっと演劇集団を率いていたが、土方などまでした挙句「さすがにどうにもならなくなりました」そうで、その後ゲーム脚本家としてかなり知られ、今は専門学校でそれを教えている。教え方の苦労なぞ聞いていると、私の大学の苦労とほとんど同じ感じで、つい笑いが出てきたりした。

話がはずんで2次会となり、私もゼミ飲み・卒飲みとしては多分初めて「行く、行く」と応じた。そして日ごろは飲まないことにしている焼酎や泡盛など蒸留酒まで何杯もお代わりをし、11時半くらいの電車で帰った。

今朝起きたら喉がぜいぜいしていたからずいぶん喋りもしたのだろう。こういうことは本当に久しぶりだ。またやりたいものだ。


5月17日 「静かな心が欲しい」

次の文章、つい今しがたあるサイトで読み、その通りだと深くうなづきました。掲載サイトの前文に「この文を読み自在に伝えてほしい」旨の記述があったので、ここに転載します。関係者の方、不都合な面あったらお知らせください。すぐ削除なり対処します。


☆ 静かな心が欲しいけれど。  読者・主婦 
 
(数行略)
 わたくしは、今、静かな心がほしいと切実に思います。もう毎日腹が立って頭にきてしかたありません。日本という国の危機存亡の事態なのに、どうしてこんなありさまなのかと。
 心をしずめるために、自分の心の乱れたさまを書くことが少し効果がありそうですので、もし気力とお時間がありましたら、しばらくおつきあいください。

 毎日色々な考えが渦巻いていますが、私の心騒ぐ憤りの原因は、二点あると分析しました。一つは政府の原発事故対応、もう一つは、国の方向を見通せない苛立ちです。

 原発事故が起きたことについては、旧自民党政権下の、安全性二の次の原子力政策に一番大きな責任があると思っています。震度6の地震がきたら、日本全国の原発は程度問題はあっても、どれでも全部壊れます。原発の耐震基準が震度5程度であったことをどうしてメディアは追及しないのかと思います。
 浜岡を止めたところで、あそこには山のような使用済み燃料があり、何年も何年もそういう燃料を冷却し続けなければ廃炉にも出来ない原発は、もし地震や津波で同じように冷却機能が失われれば福島の二の舞です。稼働したままの大惨事よりましというだけです。
 そんな安全性の信頼できない原発を、この狭い、世界屈指の地震国日本に54基も作ってしまった責任は途方もなく重たいものです。しかも、重大事故を想定した対策が何もなかったなんて信じがたい人命軽視でした。産官学の絡んだよほど大きな利権の結果であるのは容易に想像つきます。
 ですから、もともと政局不安定だった現政権が、原発事故への備えがなく混乱して、事故の初動対応に数々失敗したとしても、最初から手のほどこしようのなかった破壊かもしれず、ある程度は(それでも悔やまれますが)しかたない部分はあったと思います。
 しかし、事故から二カ月経った今は違います。私は事故後に、国民を守るという断固とした基本姿勢の欠ける今の政府対応に烈しい怒りを感じています。
 国民が政権交代を選んだのは利権より人権を大切にしてほしいということだったはずなのに、旧政権と同じことをしています。一言で言えば、被曝する国民より亡国の会社であった東電が大事ということでしょう。御用学者たちと新聞テレビの大手メディアが協力者です。この国はとっくの昔にお金だけで動く国になっていて、電力会社に乗っ取られていたのですね。

 今、早急に国がしなければならないことは、当然被災者を助けることです。被曝から国民を守ることです。どうして、今さら情報を隠蔽するのか。既に大変なレベルの放射能を浴びている福島とその近辺の子どもたちをなぜ避難させないのでしょう。
 現在国が認めている20ミリシーベルトまで(さすがに10ミリシーベルトに下げたようですが、それでもまだ高い)というのは国際的に到底理解の得られる数値ではありません。国が勝手に基準値をあげたため、福島の子どもたちは高い被曝を続けています。早く避難させるべきです。
 梅雨のくる前に校庭の汚染された土を除去するだけで、格段に放射線量が減ると、ある教授は書いていました。汚染された土は原発周辺にもっていけばいいと誰でも思いますのに、文科省は校庭の土を上下入れ替えるそうで、これは汚染をより深めるだけです。
 このままだと子どもの25人に1人は癌になるという学者までいるのに、許されるのですか。福島県の放射線アドバイザーのY教授は、百ミリシーベルトまで大丈夫だ、自分は孫を砂場で遊ばせると豪語して(つまり非常時だから国民は我慢しろ)と講演して、非難の嵐でありましたが、行政はなんでこんな学者の言だけとりあげるのか。

 それに、原発の作業員を守るための自己血幹細胞移植(谷口プロジェクト)が進まないのは理解に苦しみます。あんな危険な場所で、国民のために闘ってくれている人たちを見殺しにするようなものです。
 高い放射線量のなかで仕事をする人間に将来健康被害がでないはずがないのに、どうしてこんなことすらできないのか。原子力安全委員会がその必要はないといったからとは、原子力安全委員会も菅総理も「バカかおまえは」です。
 原子力安全委員は原子力関係の学者の最高の地位で、東大教授はじめ錚々たる権威の方々がおられますが、その歴代のエライ方々は今回の事故のA級戦犯でもあります。高給をもらって政府の意向に沿うらしい彼らの結論が正しくないのは自明のこと。
 もし多くの医師が必要だと認める自己血幹細胞移植という医療準備が必要ないというなら専門家の安全委員の方々こそ、原発で復旧作業なさればいいのです。人類未曽有の海の汚染の研究や、原子炉や燃料棒の破壊についてきっと得難い研究ができるでしょう。
 日本の119の医療施設、それに世界中が心配してヨーロッパの50の施設が支援を申し出ているのに、なぜ今すぐに彼らを守ることをしないのでしょう。ただでさえ劣悪な環境で日夜過酷な勤務を、命を削ってしてくれている人たちを、国家の総力をあげて支援する以上に大切な仕事が今の日本にありますか。ほんとうは東電が自腹でやるべきことです。東電は周辺住民はおろか、自分の会社の社員も作業員も助ける気がない。こんな冷血な反社会的会社が存続することは許せません。
 詰まるところ、あれもこれもお金の問題なのかと思うと益々腹が立ちます。政府は東電を救うために大甘の救済策をとるのに、国民にはお金を割けないとはどう考えても間違っています。当然すべき東電の資産保全措置もとらないでこのままいくと、被災者への賠償金をケチるという結果になりそうで、煮えくり返ります。
 私は安全対策をとってこなかった東電のためには一銭だって出したくありませんが、福島の子どもたちや原発作業員の方々のためにはせめてもの謝罪の気持でお金を出します。ふつうの日本人なら誰でもそう思うでしょう。政府が財政危機にあるなら、民間の寄付を募れば、かならずその程度の金額は集まるはず。義援金を使ってもいいと思うのです。

 政府にはこれ以上の放射能汚染の広がりを防ぐ義務があるのに、まだ明確な方針が打ち出されていないことも猛烈に頭にきます。これは一刻の猶予もない話です。政府に危機感があるのでしょうか。救いがたい無能ぶりです。日本を汚染列島にしないという強い決意を内外に証明しなければ、日本は世界中から汚れた国とみなされ相手にされなくなるでしょう。それともすでに対策されているのでしょうか。だとしたら発信力がなさすぎです。
 事故対応だけで大変なのはわかりますが、事故処理と平行して汚染を拡散させない作業はもっと大切です。日本の未来がかかっているのです。汚染された瓦礫や土壌処理など一日も早く行い、そして全国に拡散させないでほしいのです。福島の方々には気の毒ですが、とりあえず福島の原発周辺に汚染されたそれらを保管しなければ、このまま考えなしにあちこちに運ぶと、日本中に放射性物質が蔓延します。家畜もかわいそうですが、処分しなければ運ぶことでさらに汚染がひろがります。車両の通行も汚染地域のものは洗浄する必要があると思うのですが、どのようになっているのか不安です。
 野菜も魚介類も肉や卵も、汚染されたものを流通させてはならないのです。まして学校給食に使うとは、子どもたちをより多く被曝させ、きつい言い方をすれば死なせてしまうかもしれないということです。文科省や学校関係者は子どもを守る気があるのですか。日本の未来を守らないのですか。
 汚染されたものは国が買い上げ、絶対に流通させないことが国民を守ります。これも結局お金の問題なのでしょう。
 風評被害は真実を隠蔽した時に起るそうです。どんなに大量になろうとも、だめなものは絶対に流通させないという強い姿勢を政府が打ち出せば、大丈夫なものは売れることになり、結局風評被害から救われるのです。今、政府のしていることはひたすら情報の隠蔽です。安全基準値を甘くして、誤魔化して国民をどんどん被曝させている。汚染された食糧を垂れ流し、放射性物質を日本全国にどんどん拡散させています。このまま放置していると日本の食物は何も安全に食べられなくなります。
 官僚主導から政治主導を掲げたことは間違いとはいいませんが、日本の官僚はもともと有能で仕事能力があるのです。どうしてもっと上手に使えないのかと、よきリーダー不在でとばっちりを受ける国民の不幸を嘆くばかりです。

 もう一つの苛立ちは国民に向けてのものです。呑気で無関心な人が多すぎないか、平和ぼけ極まってしまったかと思うことが多いのです。
 日本は2011年3月11日以前にはもう戻れないし、また戻ってはならないのだと考える人がせめて過半数にはなってほしいと願うのに、そうなりそうにありません。
 メディアを無気味な力に抑えられてしまっているせいかもしれませんが、少なくとも原発に反対する割合がもっと圧倒的なものにならないのが不思議でなりません。なぜこんなに「原発続行してもよい人間」がいるのでしょう。ドイツは脱原発に転換しました。電気がゼロになるわけでもないのに、どうして少しばかり電気が足りないのがいやなのか。住む場所や食べ物や水がなくなるほうがずっと深刻なのに。
 そもそも、電気はじつは原発がなくても足りる、まかなえると主張する学者はたくさんいます。原発のおいしい利権を手放したくない勢力が、原発は安い発電でクリーンで(本当は一番高い発電で効率も悪い。海水の温度を高くして温暖化にも貢献しない)原発なしに日本が立ち行かないと国民を洗脳したせいという説もあります。その真偽は私にはわかりませんが、あり得る話ではあります。
 たとえ電力不足になろうとも、日本のような地震国はもはや原発なしでやっていくしかないではないですか。今の原発は次のエネルギーまでの繋ぎで、可能な限り早く廃止すべきです。今回の震災はそれを思い知らせてくれました。原発を持つことは戦争を始めることと同じだと書いていた人がいました。そして、日本は戦争を始めたのに闘う武器をまったく持っていなかったと。日本は何十年も何をしていたのでしょう。原発用ロボットもアメリカなみの防護服もないのです。ああ、無防備に被曝するしかない作業員の方々!
 日本はロシアや中国のように広い国土はないし、人の住める平野はもっと少ない。福島をうまく収束できなかったり、もう一回でも他所で原発事故が起きれば、日本の大半が人の住めない場所になってしまいます。国民の大半が難民になる危機を前にして、企業の収益なんて議論はむなしいです。原発でおいしい思いをする人たちだって、国家破綻してしまえばそんなものなーんの意味もなくなるのに。

 今回の震災は日本が生まれ変わるチャンスです。このまたとない天恵をつかまえなければ、亡くなった方々に申し訳ないし、日本は滅びてしまうと真剣に憂えるのです。
 震災前の夜の渋谷のどぎつい電飾とけたたましい音量の海を歩いていて、私は時々地獄ってこんなふうかもしれないと思うことがありました。何かとてつもなく過剰でいやな感じがしました。新幹線だって、なんであんな数分間隔で運行する必要があるのだろうと思いました。リニアモーターカーってそんなに必要なものなのかしらと。
 「便利」な快楽が、じつは人間を幸福にするものではなかったことに気づいてもいいと思うのに、三月十一日以前に戻ることを望むひとがどうしてこんなにたくさんいるのだろうかと絶望感にとらわれてしまうのです。私のように放射性物質を心配しているのは少数派です。とくに関係ない西日本の人たちは無関心な人が多いのです。自分たちの近くにも原発の危険があるのに。
 もう三月十一日以前の日本には戻れません。戻ることは幸せではありません。戻ろうとすれば奈落しかないのは明白です。日本は世界に先駆けて、違うシステムを構築すればいいのです。経済が落ち込んでも、国民が幸福でいられる道はあります。一からやり直すのです。今こそ発想の転換をしなければならないのです。ビジネスチャンスだってそういう発想の中にあるはずです。
 どうか、日本中の人々に原発の是非についてわが事として深刻になって関心を寄せてほしいと思います。もんじゅは関係者が自殺しているほどのおそろしいトラブルを今も抱えている原発です。このままでよいはずがありません。もんじゅに事故があれば、日本人は京都を失います。
 今のこのような事態を招いたのは私を含む国民の責任でもありました。強く反対行動をしてこなかった国民にはみんな責任があるのです。子どもや孫の世代を悲惨な状況にしないために、今こそ一人一人が立ちあがらないといけません。少なくとも反対派が増えることは、原発の安全性を今より高めるには役立つのです。あちこちで原発反対のデモはあるようですが、メディアはとりあげません。大スポンサーの電力会社とはなんと無気味な怪物かと思います。
 昨日あるサイトを見ていましたら、文科省のスピーディ(拡散予想)から、東京もすでにチェルノブイリの第三区分エリアに入っていると思われるとありました。これは十年か二十年後に癌や白血病の増加する地域ということだそうです。
 たった一つのサイトのことで、他の専門家が指摘してはいませんので、この情報が信頼にたる真実かどうかはわかりません。ただ、原発から未だ大量の放射性物質の放出が続いて収束の見通しの立たない状況ですから、今後東京の汚染の強まる可能性はあるでしょう。東京にも福島なみに濃厚なホットスポットのあることは最近わかってきているようです。
 あえて楽観的になろうとする自分がいて、悪いことは信じなくても、やはり落ち込むニュースでした。自分が病気になるのはいたしかたないと諦めても、子どもたちは絶対守りたいとそればかり思います。自分の行く末がわかってもう覚悟を決めたらこわいものなんかありません。半分やけくそですが、なんでもやってやろうと思っています。日本を滅ぼしたくありませんし、子ども世代を守りたいと思います。必ずそうしたいと思います。

 民主主義とは、一部のおいしい思いをしたい人間が大部分の無関心な人間を利用して自分の思い通りにする政治形態と言う人もいます。無関心な人間が多いほど都合のよい政治があります。その結果がこのざま。私は政治なんか大嫌いな人間でしたが、今こそ一人一人がめざめなくては、日本も子どもたちも守れません。
 しかし何が出来るでしょう。私は人並み以下の無能な人間です。ただのおばさんです。主婦です。みづうみに何か良いお考えはおありですか。それで悶々と怒り悩み、そしてこんな長いメールをみづうみに書き送るわけでした。どうかお許しください。
 すべてが悪い夢だったらとため息の日々。静かな心になりたいです。
(数行略)


5月16日 この国はむなしい、没落の一途をたどるだろう

いろんな要因から表題のようなことを考えるのだが、その一例は福島原発爆発以降よく見る「顔」のお粗末さだ。

まず東電の社長以下役員たちから技術陣と思しき連中まで、社長のあの見ているだに気分が悪くなる悪相は特段にせよ、ほかも見事に無責任、嘘つきの顔が並ぶ。あるいは組織の指令通り、ということは上役のいいなりに動いてきただけの気概のない表情ばかりだ。

保安院は嘘つきというよりアホで、広く出回った回文「保安院全員アホ」が、笑うと同時に涙が出てくるほどの情けなさだ。

経済界のリーダーとかいう連中もひどい。歳とったイジワル猫みたいな顔や、風格はおろか責任感や胆力を感じさせる顔は皆無で、要するにカネの計算をしてきただけの顔が並ぶ。財界の大立者といった存在はもうないのかと思える。

政治家も同じ。閣僚やら野党第一党の三役といった輩の顔のなんと力の無さ、貧相さ、下品さ。昔は好き嫌いは別として、なるほど実力者、腹の据わったという印象の人物がいたものだが、そのかけらもない。

マスコミもそうで、ニュース番組のキャスターは軽々しく、コメンテーター類はせいぜいどこかの会社か役所の資料課長みたいな顔をしている。ジャーナリストの持つ冴えとかシャープさが感じられず、サラリーマンが順番で出て来たなとしか思えない。

印象批評にすぎないかもしれぬが、こういう印象はなかなか重要というか正鵠を射た面もあるもので、どこの国や社会、集団に行っても、顔を見ればだいたいその集団がどんなレベルか、どんな傾向の場所か分るものである。

今の日本の顔では、こりゃこの国はダメだ、覇気も、力も、知性も、精神の豊かさもない、だらーっとした、無責任で、小粒な、流れに任せてただ生きているだけの人間が多数を占めた落ち目のB級国家だなと、なんだかしみじみと侘しく感じられる。

日本は今世紀半ばには何事も現状の半分程度、もうじき存在価値もなくなるなあ、といった感じになるのじゃないかしら。


5月12日 やっぱり福島原発1号機はメルトダウンしていた

3月11日直後からの外国報道や外国の対応は正しかったのだろう。アメリカは80キロ圏からの全面撤退、その他の国々も東京から多数を引き上げたが、あれは明確な根拠があったわけだ。

日本だけが政府・東電以下マスコミまでウソをついていたのである。情けないことだ。私など初老組はもうあきらめの境地だが、若い人たち、特に子供を生む可能性のある女性や子供たちの先行きはどうなるのだろう。

10年、15年後が恐ろしい。



5月10日 今年はアカシア合歓林住期か

東京と小諸は気温にして8度平均差があり、季節感としてほぼ1カ月遅れだ。従って、連休明けがだいたい東京界隈の4月上旬桜が散ったころに相当し、今頃が若葉の候の始まりとなる。

そこへ加えて昨日までの2,3日はこちらとしては異常に暑く、東京界隈とあまり気温が変らぬ日々だったため、あっという間に若葉が伸び、そこへまた今朝がたからはほどよい雨がしとしと降っているので、大げさでなくほんとに目の前で若葉が伸び広がっていく気がする。

数日前までは桂の丸葉がきれいだったのだが、今はアカシアの豆科のような丸い連葉、更に今朝はついに檪の若葉までが一斉に伸びてきた。アカシアについては毎年書いているように、葉の色も手触りも実に柔らかく、これから1週間ぐらいで伸びてくる花の蕾房と共に、さっと湯がくとサラダにしてもうまく、薄ごろもでてんぷらにしても極上。

花が咲けばほのかに甘やかな香りが風に乗って漂い、界隈一帯を包む。私は小諸に住みだした時から年齢や生活意識との兼ね合いもあって「アカシア林住期」と名付けているが、まさにその実感が立ち上ってくる。

今年はそれに加えて合歓の若木が10数本も育ち、多分その多くがあのピンクの香り高い花を咲かせてくれるはずなので、一層楽しみである。いっそ「アカシア合歓林住期」と名前を改訂した方がいいかもしれないとワクワクしながら考えている。



5月8日 浜岡原発全機停止を喜ぶ

今回の菅内閣による静岡県浜岡原発の全機停止要請は、やっと心を少し明るくしてくれた。菅氏が原発問題で相当イラついているのは感じていたが、ならばなぜさっさと脱原発宣言をしない、するなら今だ、時期を失したら日本では「経済のため」とかいう理由で結局なし崩しに現状維持になっていくぞ、とこちらがイライラしていた。

反応として相変わらず「唐突」だの「合理的理由がない」「電力不足になる」「代替エネルギーがない」などの言説が、したり顔に出ているが、間抜けたことを言うでない。福島原発爆発後50日もたってやっとの1歩がなぜ唐突なのか、あんな大事故を起こしたこと、浜岡は福島以上に地震の危険が大きい断層の真上にあるという以上の合理的理由がどこにあろう。

また、電力は他の方法を総動員すれば停電なぞ必要ないことは既に証明済みではないか。代替エネルギーはある意味では自然の中に無尽蔵で、要は人間がどれだけ本気で取り組むか次第なのも明らかだ。

バカ者どもには本当にあきれてものが言えない。メディアもそうで、NHKニュース9でまで「唐突」だの「合理的理由が不十分」だのと言っていたが、キャスターも担当記者なる者もおつむが悪すぎる。

その1日前あたりの朝日新聞では、自民党の原発推進派の某が、自分たちが正しいに決まっている、河野太郎のような反対派人間は社民党か共産党に行け、などとほざいていたが、中曽根康弘以下の長年の自民党原発推進派は今回の事態に関しまずは自己批判し、国民に謝罪するのが筋ではないか。

浜岡原発停止要請の決定はそれらの中にあって、政府や体制の内部から初めて出た「脱原発」につながる動きであるだけに貴重な気がする。ダラ菅、イラ菅、セカヌル菅がやっと見せた決断だけに、ここは国民も民主党内も足を引っ張ったりせずに彼に声援を送っていこう。



5月6日 連句の授業終り、今週はこれまで

今年は登録締め切りが延びたためまだ最終メンバーが決定しないが、だいたい20名程度で進めることになりそう。まあ頃合いである。

今日は折しも立夏だったので、そのことから始め、暦の復習をする。昔は立夏はまだすずしめだったりして春の気配だったが、このごろは地球温暖化のせいかすっかり初夏の様相である。現実がだんだん暦と一致してきたわけだ。

私個人に関しては信州の小諸にいると、染井吉野は終ったものの他の桜はまだ盛り時だったりで、花の春の印象もあり、移動とともに季節感が混和して、多少落ち着かない。

だが、連句の授業は講座6コマ中一番楽しいので、毎年この教室に行くときだけは気分が明るくなる。授業をせねばとか教えにいくという感じがなく、自分も楽しみにいく気分なのである。これも給料の一端と考えると何ともありがたいことだ。芸は身をたすくの類いだろうか。むかし連句を手ほどきしてくだすった佐々木基一さんや真鍋呉夫さんが懐かしく思い出される。



5月3日 ビン・ラデンに関するつぶやき

1、(5月2日)オサマをオバマが殺害した。これで世界最大のテロリスト団体はアル・アメリカーダと確定。

2、(5月3日午前)アメリカは最低ビン・ラデンを裁判にかけるべきだった。いきなり妻や子まで一緒に殺す権利はどこにもない。生け捕ったイラクのフセインが大量破壊兵器は作っていないと裁判で証言したことが怖かったのか。

3、(同)結局、この世は腕力、武力で支配されている。民主主義だの正義、公正なぞはない、強者にとって都合のいい時だけのものだ、という実感が強く湧いてくる。むなしい世界だ。

4、(同)タイムズスクエアのアメリカ人たちは狂っている。自分たちがアフガンで女性子供を含め何十万人、イラクで更に多数を殺したことを忘れているか、それはよしとしている。


4月30日 小諸は寒い、だが花盛りなり

一昨日夜帰ったときも駅からの道がコートなしでは寒かった。東京では日中25度の夏日だったのに。
昨日は陽射しがあったかそうだったので午後、散歩に出たところ、風が冷たく途中で切り上げて帰った。

今日は予報では日中15度くらいにはなりそうなので期待している。目下はやや曇り模様。

だが、待望のアカシアも芽をほころばせつつあるし、ぐみ、姫りんご、かりん、ゆすら梅、ブルーベリーなどが花を咲かせたりつぼみを膨らませている。いずれも実がなるものばかりで、コメリやカインズホーム、直売所などでついつい買ってしまったものばかりだが、いつから実が食べられるかと楽しみである。まあ、今年はブルーベリーの他はかろうじて姫りんご程度かと思っているけれど。


4月28日 東京は暑い

今日は午前9時過ぎに江古田校舎に出校したのだが、大学に着いたときは汗ばんでいた。コートはもちろんなし、上着も薄手の夏服なのに、である。暦的にはまだ晩春だが、実感温度ははや初夏だ。木々の緑も鮮やかで、一番きれいな若葉の候である。

小竹向原駅から校舎まで住宅街を歩くのだが、つつじや薔薇などの花が盛りである。どちらも香りが強く、道にまで漂ってくる。それでついあちこちを見回したりして、普段気づかなかったことに気づいたりする。

ああ、このマンションはなかなかいい建て方をしているな、小さいのに向きがよくて周りに緑がうまく配置できているとか、このお宅はハーブや花がずいぶん好きらしい、庭から垣根までに満ちあふれている、そうかこういう奥さんの堪能の成果か、今日は(心の中でつぶやく)、などといった調子だ。

金曜日だと連句の授業があるので、その日見た花や木を季語として紹介したりするけれど、今日はその授業がないのがちょっと残念なくらいだ。大学の前庭も3種のつつじとまだ葉だけのあじさいが瑞々しい。


4月25日 孫正義はえらい!

孫正義氏がヤフーで全国各地の放射線量を同一基準(地表からの高さ、ガンマー線とベータ線などの関係、機種間の相違など)で公開すること、ソフトバンクの全国支店に放射線測定器を常備すること、を表明。

子供の受ける放射線量基準値を勝手に上げるな、日本の電気代はアメリカ、中国、韓国などの3倍で高すぎる、などとも言っている。

先だっては震災被害に100億円を寄付、引退までの役員報酬全額も寄付と言明したし、「脱原発自然エネルギー財団」設立のため10億円を投入とも宣言した。

大したものである。具体的だし、決意のほどが毅然としている。あれこれケチをつける人もいるが、では金持のうちのどれだけがそういうことをしたかを考えれば、掛け値なしにえらい。

何かもっと大きな野心があるのかもしれないが、それも結構。私は彼が日本の首相になって思い切った改革をしてくれる野心を持ってほしいと思う。在日出身の首相、まさに正義の首相、なにかが大きく動くだろう。日本人は長年の安穏に胡坐をかき、エネルギーも精神も劣化し、もはや大きな抜本的改革をする力がなくなっている。ここらで新しい力を入れよう。



4月22日 新年度のめどがついた

今日で今週分の私の授業が終った。新年度2週目だから、今年の学生の受講者の数や様子もだいたい分った。増えたクラスもあれば減ったクラスもあり。全体的にはほぼ前年並だが、大学院はだいぶ増え、レベルも上った。

修士の私を指導教授とするクラスのレベルは、掛け値なく過去最高。結局8名で進行することになったが、うち2名は学部長賞受賞者、1名はすでに大手出版から本を出しているセミプロ、他も技量はなかなかの面々だ。近々誰かがしかるべき賞をとりそうな予感がする。

学部の方はまあ歳も若いし(院は30歳を筆頭に24,5歳中心だ)、1年生なぞは昨日まで高校生だった連中だから、まあ作文よりはましな文章を書かせることから始まる。

いずれにせよ、庭仕事の信州から出て来て、18歳から最高32歳(学部留学生がそうだ)までの若者を連日相手にし3日経つとさすがにくたびれる。一日一日としては大した時間を労働していないのに、今日あたり帰りの地下鉄の中で眼がしょぼしょぼした。

さて、これで今日もソウルマッコリなぞを飲んで(すでに飲みながらこれを書いている)、早めに寝て、明日午前には小諸へ帰りつく。このごろは文字どうりあっちが自宅で、こっちは仕事場あるいは前線基地という感が実感的に定着してきた。

さあ、一休みである。


4月19日 待望の雨、そして夢のような虹の架け橋

昨晩遅くから小さな嵐と言っていいくらいの雨風となり、今日も午後から今度はしとしとと降りつづけている。視界は土も草も木もすべてしっとりし、緑色が実に鮮やかだ。

花も桜、桃、杏、山桜、辛夷、水仙、クロッカス、たんぽぽ、すみれ、花だいこん、それにまだ蕾だが8分がたほころびつつある紫つつじ、と色とりどりである。

やっぱり春だなあ、爛漫だというのが、信州の遅い春の実感で、懐古園への花見客も自粛などせずどんどんいらっしゃいと言いたくなる。

それに今朝は我が家から西方ほんの100メートルほどのところに、紫から赤までくっきりと見える大きな虹の橋がかかった。思わずワアと歓声を上げるほどの見事なもので、今まで見たなかでたぶん一番大きく、近かった。写真を撮っておけばよかったと今頃になって思うが、見るのに夢中で目を離す気になれなかったのである。


4月16日 タイヤ交換2100円なり、ぼつぼつ花どきか

今日、小諸へ帰ってすぐ近くのガレージでタイヤ交換をした。タイヤの履き替えとも言うのだが、雪や氷対策用のスノウタイヤと通常のタイヤを替えることである。

小諸に引っ越すまではついぞないことだったので、最初は戸惑うやら珍しいやらでかなりの事柄みたいな気がしていたが、3年目ともなるとすっかり慣れてちょっとした季節の儀式程度にしか思わなくなる。

今日にしたのも11日に電話したら「今混んでまして、15日以降になります」と言うので、ならば16日に予約しただけで、さしたる意味もない。が、言いかえれば今頃がタイヤ交換どきというわけで、年によっては今頃までひょっとしたら雪が降ることありという次第だ。

やはり寒い地方ならではの節めなわけだが、おかげで春はいよいよ花開いてきた。白木蓮、辛夷満開。杏、桃も咲き、桜の蕾が所によりほころびかけている。懐古園の開花予想は18日、満開は26日、連休が花見どきなのである。花見客も多いはずだ。我が家の前も不法駐車でいっぱいになったりする。

苛立つがまあ咎めないことにしている。



4月13日 政府は放射線測定器を大量確保し、配布せよ

理由:
1、今回の福島原発事故は国の原子力政策の結果で、当然責任がある。
2、放射線は今後少なくとも1年以上発散し続ける。
3、従来主として報じられてきたヨウ素以外にセシウム、プルトニウム、ストロンチウムまで発散している。
4、それらは半減期が長く、殆ど半永久的に存在し続けるものまであり、つまりは一度受けた放射線は蓄積する一方である。
5、また今後の地震・余震等によって新たな原発事故が起きる可能性が相当ある。
6、放射線量は風向き、地形、天候等によって日々、時間によって変化する。
7、よって食べ物を扱う業者・店舗、農業・漁業従事者、幼児・妊婦がいる家庭はもとより、行政機関、同じ市町村内でも地形や自然条件が違う場所・地点では放射線量をきちんと測定すべきである。

以上のことが広域できちんとなしうるのは国しかない。早急に対応すべきである。


4月11日 極右知事誕生。東京都心に原発を。

腹が立ち、これは書かかねばなるまいと意気込んでこのページの前に坐ったが、だんだん情けなくなってきた。日本も核武装すべし、在日の連中に人権なんてあるのかね、などと言い、もうやめるもうやめると嘘を言い続けて結局横からかっさらう常連の、78歳の人物を、なぜ東京都民は選んだのか。

なんだか東京都民の民度をさえ疑いたくなる結果に、言葉を発する元気がなくなってきた。
さあ、東京都心に原発を作ってくれ。



4月9日 桜散る 自粛の桜 散る桜

さっき土手へ出てみたら、満開だった桜が強風にあおられて早くも散り始めていた。ずっと乾いていたから土埃も立ち、花弁が一緒になってかなりの強さで吹きつける。下の舗装道路には花弁が風上から風下へサアーッと音立てて吹かれてゆく。ロープとシートで厳重に縛られたままの屋台が寒そうに身をちぢこめている。

マイミクのけろっぴ君が日記に書いていた良寛か特攻隊員の句、
  散る桜 残る桜も 散る桜
をもじって、
  散る桜 自粛の桜 散る桜
というのはどうかしら。

良寛の句、じっと見ていたら、上5はすでに震災で亡くなった人、下5は結局何年かのちにみんな放射能で死んでいく、みたいに思えてきたもんだから、ちょっと卑近な話に戻してみた次第。


4月8日 またしても揺れた

私はもう寝入っていたのだが、昨夜12時前、揺れに目が覚め、しばらく様子を見ているうちこれは相当強い、前回に近いと感じ、起ち上った。天井からの照明器具が大揺れなので、座卓に乗ったりして押さえて回り、各部屋一通り終えたころ揺れも収束した。

前回に比べ持続時間は短かったし、揺れも結局前回よりは弱かった。震度4だそうだ。前回は長野県小諸市だったが震度5だったから、だんだん震度の実感も身についてきた。どっちも内陸だから津波の心配はないのが助かる。地震だけなら震度5くらいまではまあなんとかしのげる気がする。

言いかえれば震度6以上だと相当怖いだろうな。未体験の揺れだし、たぶん停電するだろうし、今回の震災でいろんな事例を見たから、かえって恐怖が増幅しそうに思える。数分の揺れがほんとに長く感じ、その間に想像力が本能的に拡大するだろう。

日本列島は、いや、ひょっとしたら地球全体が自然変異、地殻変動期に入ってきたのではという気さえする。スマトラ地震、ニュージーランド地震、中国での地震、ヨーロッパやアメリカでの異常気象や洪水、太平洋での度重なるエルニーニョ……。すべてが連関しているのではないか。

末世の始まりという説もある。


4月6日 国傷んで桜花あり

今日午後というか夕近く、埼玉のマンションに来てみたら、近くの柳瀬川土手の桜が見事に満開である。小諸では桜どころか梅もちらほらという段階だから、いやあ、こんなに春だったのかと家より先に思わず土手へ向ってしまった。

土手には例年とほぼ同じくらい屋台も出、そぞろ歩く人も多い。風はないし、花はまさに咲きそろったばかりという感じで、散った花弁は全くない。例年でもこういう時に出くわすことはなかなかない。たいていは風が強かったり、曇天だったり、寒かったり、個人的にそれどころでなかったりで、ポカポカ陽気のなか満開の夕に土手を歩けることなどあまりなかった。

時が時だけに、「国破れて山河あり」ならずとも「国傷んで桜花あり」程度の感慨が生じた。

ただし、例年なら青いシートと人でいっぱいの河川敷がまばらだ。今年はついしばらく前に河川改修工事で河川敷の草まであらかたむしり取られて土が露出しているせいかもしれぬし、いわゆる自粛のせいかもしれぬ。あるいはまだウイークデイのせいなのか。

金土日になればいつもの賑やかさが蘇るやもしれぬと、つい直前まで今年は花見なぞそぐわないだろうと何となく考えていた身が急に期待しだした。日本は、日本人は、それこそこういうときにこそ花を愛でればいい、そう無条件に感じた次第である。



4月4日 肩痛し

このところ楓、小諸八重紅枝垂れ桜(小諸固有品種)と相次いで苗木を植えたら、肩が痛くなった。

特に枝垂れ桜の時は掘り始めた場所に一抱えほどの大きく重い石があったため、それを取り除くのに一年ぶり(つまり去年ばね指になって以来)に力を使ったせいだ。固い地盤をスコップで突き刺すように掘っていくのもかなりの負荷がかかるだろう。

植樹はうまくいったが、昨夕から右肩、今朝になったら左肩までが少々痛い。もともと右の五十肩は二、三年続いたしつこいもので、去年の秋ごろから痛まなくなり、どうにか完治したと思っていたところだけに、ひょっとしたら再発かとかなり心配。

ただし、長年の経験、去年のばね指等で、こういう場合はまず安静、そっと患部をいたわり無理をしないことが鉄則と身にしみて知っているので、まあその通りやるつもり。予感ではこれ以上力仕事をしなければ二週間くらいで収まりそうな気がする。

放射能よりはるかに短いし、痛みという直接事象があるので分りやすい。放射能に比べると、たいていのことは何でもない気がしてくる。これ放射能の効用なり。



4月2日 じゃがいもを植え付ける

昨日、ホームセンターへ楓の若木を買いに行った。2メートルの赤楓を1890円で買った。ノムラカエデともいうこの種は春から真っ赤な葉になるらしい。普通の楓の方がいいかなとも思ったが、これだけがあったので買ってしまった。

近くに種ジャガイモを売っていたので、男爵芋の小袋を220円で買った。帰って植え付けの仕方をネットで調べ、YouTubeで映像を見て研究した。

今日、その結果を実践。芋を半分に切り、切り口に草木灰をつけ、畝に溝を掘って30センチ間隔に種いもを置き、間に化成肥料を少量撒いて、土掛け。まあ簡単なものだった。

これで2ヶ月後くらいには花が咲き、夏に新じゃがとなるはず。楽しみなものである。今年はつい食糧確保の意識が働くのは何ゆえだろうか。
見ていた連れ合いがやってきて別の畝にハーブ類の種を何種類も播いていた。ハーブ類はいわゆる葉ものの範疇だと思うが、まあ少量だからいいんだろうな。

明日は小諸枝垂れ桜の苗を植える予定である。