風人日記 第四十三章
                                  TOPページへ
やはり秋、そして冬
  2012年10月1日~12月31日






感想や連絡はMAILでどうぞ。



               お知らせ (*日記はこの欄の下方にあります)

『季刊文科』(鳥影社刊)53号より短篇連作「信州アカシア林住期」を開始

       http://www.choeisha.com/bunka.html 


 53号(2011年8月、本体1000円) 「信州アカシア林住期


 54号(2011年11月、本体1000円) 「信州アカシア林住期その二 夏の転変」


 55(2012年2月、本体1000円) 「逆接のウズベキスタン」(信州アカシア林住期 その三)


 56号(2012年5月、本体1000円) 「真冬の散歩者たち」(信州アカシア林住期 その四)


 58号(2012年11月、本体1000円) 「シークレット・ズー」(信州アカシア林住期 その五)


          
               

  大手書店、アマゾンなどのネット書店にて発売中。鳥影社から直接購読も可。



『オキナワ 大神の声』(飛鳥新社刊 2200円+税) 


 
              


 7年来毎年訪ねていた琉球弧列島を舞台に、喜界島から与那国島まで八百数十キロを歩いてゆく短篇連作集で、境界地域としての奄美や沖縄の人の出入り、歴史と現状、そしてウタキ信仰や創世神話に象徴される神秘主義を描いたつもりです。
 もう一つはそれらを通じての人々の人生、そして私自身のインド以来の旅人生を描いたとも言えます。写真に出した宣伝チラシでは、編集者はそっちに注目しているようです。

 大手書店およびアマゾンなどネット書店にあります。毎日新聞2009年9月20日に書評(川本三郎氏)、週刊朝日8月7日号に著者インタビュー、沖縄タイムス8月28日に紹介記事、ほかに図書新聞(中沢けい氏),mixiレビュー欄等に書評があります。この日記30章の中の日記からリンクしているものもあります。御覧ください。



 日本政府および日本国民が脱原発路線を推進し、原発全機が早期運転停止されることを望む。
 二度と原発事故に遭いたくないからである。
                                2012年1月3日 

 どういうわけか知らないが、本日未明より全原発54基が停止し、稼働ゼロとなった。下の日記5月5日欄に書いた通り、日本はフシギな国民性の国だと思えるが、なにはあれ慶賀すべき事態であるので、歓迎し、かつこの事態が出来るだけ長く続くことを望む。

                                2012年5月6日

 残念なことに今日7月1日をもって、大飯原発が再稼働してしまった。全原発停止は57日間で終了したわけだ。思えばこの間、日本全体にも市民生活にも何の支障もなかった気がする。今後も少し我慢すれば原発なしですむはずだ。いい加減、なんでも経済、なんでも便利優先の考えをやめようではないか。

                                2012年7月1日

 すっかり秋になったが、原発関係の現状は、「2030年代原発ゼロ」もどうやら反古となり、青森県大間原発の建設再開を決めた。今日10月1日電源開発社長が現地を訪れ、再開の説明をした。仮に2030年原発ゼロ方針が曖昧ながら生きているとしても、今から新原発を造れば完成後40年間は稼働するわけだから、ゼロなどあり得ないことになる。
 実に簡単な矛盾だ。今の日本政府及び関係者はまったく信用できない嘘つき・欺瞞家たちである。

                                2012年10月1日
                                            日本大学教授・作家
                                                        夫馬 基彦     


                        *これより日記                      

12月31日 須賀章雅『貧乏暇あり』(論創社)の面白さ

札幌の古本屋「須雅屋」主人(といっても店舗はなく自宅アパートでの通販専門)が、この暮れ押し詰まってなんとも愉快な本を出した。

よわい55歳、この道すでに30年の、年季の入った古本屋稼業のあれこれを書いたものだが、なんといっても面白いのはその度はずれた貧乏ぶりである。元はあったらしい店舗も引き払っての住まいは、古本で足の踏み場もなく、来客一人が座るスペースもない。奥さんは押入れで寝るらしい。

仕事にはかなり熱心で詩集やら文学書に関する知識は実に広いから、なぜそんなに困窮するのかと不思議になるが、御当人自身も詩人であるせいだろう、どうやら自分の好みを優先させる傾向があるのではと推測され、おまけにひょっとしたら売るよりまず自分が本を読み耽っているのではと思われる。

なのに奥さんは逃げ出しもせず、どころか、なにやら仲よさげな気配でもある。

面白さの第二は、それでいてこの人、実によく食べ、飲む、ことである。日記形式の本なので、日付が毎日出るが、その後にはしばしばその日食べたものが列記される。たとえば「トースト二、食パンマヨ一、プロセスチーズ一、カフェオレ、牛乳、紅茶にて第一食」といったふうだ。トーストを二枚食べたら何も食パンにマヨネーズなぞつけて食べなくてもよさそうだし、「カフェオレ、牛乳、紅茶」じゃ腹がガボガボ言うのじゃなかろうか。

しかし、以下、第二食、第三食も当然あり、むろんそれぞれに酒がつく。一体どうしてかくも優雅に暮していけるのか。
肝が据わっていることはこれだけでも分るが、更に詩人は父親が亡くなった知らせを受けても何やかや言って腰を上げず、挙句飲んで飲んで一人で騒ぎまくり、奥さんに「とても親が死んだ人とは見えない」と感心されるのである。

怪人、詩人、これにあり。まさに北都の星である。


12月29日 積雪15センチ、一面の純白世界

今朝起きたら外はまったくの純白世界だった。昨日午後から降ってはいたが、ここまで積もるとは思っていなかった。今年度初の積雪、いいものである。

さっそく車の屋根やウインドウの雪をおろした。すぐ出かけるわけではないが、いつ用が生じるか分らないので、ともあれの準備だ。あと、門前あたりの道の雪かき。これは御近所がみなしているし、郵便や宅配便配達のためにも必要だろう。

もうひとつ、庭の数少ない常緑樹ひのき(あすなろかもしれない)の枝が雪の重みで下向きになってしまっているのを、雪を払って上向けた。思わぬことが生じるものだ。

敷地周囲の鉄柵の上に1本1本小さな帽子のように雪が積もっているのが、面白い。なんだか森の小人たちがずらりと何百人も並んでいるみたいだ。

それにしてもきれいな光景だ。朝から雪見酒でもやりたくなる。



12月27日 零下の散歩

今日は、夜半に零下10度、午前9時でも零下9度だったそうだ。午後の今でも零下3度くらいらしい。

午前中、北アルプスや白馬山系があまりにくっきり純白に美しかったので、ダウンコートを着て連れ合いと散歩に出た。天気はよかったが風はなるほど耳をきるほどに冷たかったから、たぶん零下6,7度だったのかもしれない。

昨日は終日家から一歩も出なかったけれど、毎日そうはいかない。これから3ヶ月ほどは連日似たものなのだから、運動不足になる。それに出れば出たで、身はピンとしまってある種心地よくもある。

家から北へ歩いてゆくと、少しづつだが浅間を登る形になり、だんだん浅間連峰が近づいてくる。山が多少大きくもなってくる。住宅や街の建物の向う側に出ると、オヤと思うほど浅間の峰が近くになっている。ああ、ここらは浅間の山麓というより中腹に近いといってもいいのかもとさえ思える。

18号線で見つけたショッピングセンターを覗いたついでに、靴下3足と窓ガラスの霜取り器具(プラスチック製へらのようなもの)を買う。後者は名前も知らず、そもこういうものがあること自体を知らなかったのだが、入口近くに「今の季節に必要なもの」という惹句とともに置かれていたので、なるほどと感心して買ってしまった。

このところ、朝、車のウインドウが霜で凍ったりして困るのがこれで解消できるかもしれない。東京ではまずありえない道具だ。

途中で、陶芸家の宮坂さん宅に寄り(ちょうど道筋だし、彼が外に出ていたからだ)、窯場や最近買った焼き物の説明をしてもらった。見ているとだんだん関心がわき、春、窯を再開するときには弟子入りさせてもらおうかなどと、帰途、連れ合いと話した。

面白いかもしれない。



12月25日 庭にかりんの実を置く

今日も寒そうである。終日零下以下の予報。ただし、日ざしが暖かいので、もう少し温度は上がるかも。浅間連峰の峰々にも冠雪は意外に少ない。本峰だけが真っ白である。

先ほど午前9時に郵便局へ車で出かけようとしたが、前部ウインドウも横の窓もみな凍っていて運転不能。氷の結晶が雪の花模様できれいだ。少し雪が降ったのかもしれない。諦めて部屋へ戻りこれを書いている。

しかし庭を見回ったところでは、ビオラの花などは凍りながらちゃんと咲いている。いや、咲いたまま凍っている。強いものだ。

長らく室内においていて香りがなくなったかりんを3個、庭の鉢の上や切り株椅子の上、石の上などに置いた。別に意味はないが、枯れ庭がなんとなく楽しく見える。



12月23日 軽井沢・大賀ホールで「メサイア」を聴く

軽井沢は小諸から列車で24分、車でも40分くらい。それに東京通勤の折には中継点でいつも通っているのに、今まで一度も大賀ホールに行ったことがない。行こうとした事は何度かあるけど、そのつど都合が悪くなったり切符が取れなかったりが重なったのだ。

で、今回(昨22日)はだいぶ前から手配してやっと実現した。五角形のホールは外観も面白いが中もユニークで、大きすぎず小さすぎず、音響は平行壁よりいいそうで、確かに穏やかな印象を受けた。

「メサイア」の全曲通しということで、全部で3時間(休憩含む)。ちょっと長い感もあったが、後半最後は大いに盛り上がり、「ハレルヤ」から以降は会場も熱気に包まれ、大拍手だった。この種のナマはめったに行かない私も本気で強く拍手した。

指揮の鈴木雅明の白髪ふっての熱演もよかったし(演奏・バッハ・コレギウム・ジャパン)、前身は微生物学分析者というソプラノ・ソロのヨハネッテ・ゾマーも、気のせいか知的な印象でよかった。もっとも連れ合いに言わせれば、外観はそうでも歌はあまりうまくなかったと言うのだが。

ただ、終演が6時過ぎの軽井沢はずいぶん寒く(たぶん零度前後)、早く温かいものを口に入れたくて駅近くのレストランに駆け込んだが、頼んだ燗酒も料理もちっとも出てこないのにいらいらした。なのに、値段だけ高い。「やっぱり軽井沢ねえ」、これも連れ合いの評である。



12月20日 日本人はほんとにバカか

今日から2日、小諸で一人暮らし。いつもなら今頃志木市で一人暮らし中だが、冬休みなので、逆の立場になった。つまり連れ合いはまだ冬休みになっていない。仕事先は同じ日大でも学部が違うと休み日程が違うようだ。

今日の小諸は寒い。未明は零下10度くらいだったらしく、9時過ぎまで地表はどこも霜で白かった。車や北側の屋根などはまだ凍っている。遠景の浅間もどの峰も白い帽子をかぶっている。

この2、3日は選挙結果にがっかりというかしらけ、日本人に愛想を尽かしかけたが、自民党の得票率は選挙区で24%、比例区で15%程度と聞くと、選挙制度がいかんのだと再認識した。そういえば、かつて今の小選挙区法が出来たとき、私は「死に票が多く出すぎる。中選挙区制の方がまし」と思いそう公言したが、その通りになったに過ぎない。

日本人は一度思い知らないと気づかない程度に鈍感・平和ボケだから、言い換えれば次の選挙できっと揺り戻しが起きるだろう。来年の参院選、あるいは次の総選挙、どっちになるかはわからないけど。ま、それでも是正されぬようなら、日本人はほんとにバカである。



12月18日 日本人はどうやらバカなのかもしれない

今度の総選挙結果に関して外国ニュース(BS)を見ていたら、ヨーロッパではスペインが「わが国は福島事故を受けて原発建設予定を前倒しで停止することにした。事故を起こした当事国日本が原発をやめないのは理解できない」と言い、アメリカに次ぐ世界第2の原発国であるフランスですら「原発再稼動を主張している安倍氏を大差で首相に選ぶとは呆れる」と言っていた。

アジア諸国は中国も韓国も東南アジアも、「日本の右傾化は警戒すべき」と眉をひそめている。

今朝のニュースによれば、自民党に投票したうちの8割は「原発容認」だそうだ。投票日前の各報道機関の事前調査・予測は「自民圧勝」だったにもかかわらず、投票率は伸びず前回より10%低い59%だった。つまり有権者の多くは自民圧勝でかまわないと思っていたのだろうか。

いずれにしろ今度の結果は、なんとも情けなく、アホらしく、日本人の民度の低さ、鈍感さをあらわすものだろう。私はだんだんものを言いたくなくなってきた。



12月17日 いやな世の中になるかもしれない

選挙結果が出た。自民単独過半数、自民公明で3分の2超、自民と維新が一緒になれば憲法改定も発議できる。

国民投票をすれば過半数を超え、憲法改定となるやも知れぬ。自民党安倍の言い方だと、「国防軍」の海外派兵もやりかねない。

この間の日本の政治はだらだらとあいまい無個性、鮮度の低い日常ではあったが、しかし自民党よりは民主党の方がまだましというところもあった。マニフェストは全滅、野田のあの顔とものの言い方の不快さはあったけれど、右翼的ではなかった。

だが、未来の党がたった9名、維新が比例第2党、と聞くと、日本人はいつの間にこんなに右傾化したのか、リベラリズムはどこへ行ったのかと悲しくなるほどである。

これから安倍政権発足以降、改憲ムードばかりかちょっとした日常の政治風潮にも何かいやーな気配が漂っていきそうで、物悲しい。


12月15日 6日ぶりに小諸へ帰ってきた

やっぱり小諸はいい。おまけにずいぶん暖かくて、気分までのんびりする。まずは「刻そば」でいつものそばを食べ、帰宅するやすぐ庭を歩きまわった。木に葉はほぼ完全になく、アカシア乾いたの実がぶら下がっているだけだ。

いったん室内で留守中の整理をあれこれした後、また外へ出、ちょっと葉が枯れたりしている椿、葉が赤いつつじ、今年植えたばかりのそよご、それに常緑樹ではないが桜や柿の根元に水をバケツいっぱいづつやった。むろん来年の花と実のためである。

そのあと美術館裏の崖際を散歩して回った。樹幹がスケスケなので下の千曲川のダムや流れが実によく見える。ダムは全口開放してあるので、音高く水量豊富、川の流れも勢いがいい。近所の鹿島神社で賽銭を100円入れてかしわ手を打った。



12月14日 さあて、授業終了

ついに本年の授業終了。最後の授業は連句だった。歌仙(36句)も丁度巻き終え、発句から見直しの総括も終えた。出来映えはなかなかいい。

これで新年の9日までは冬休み。間にはクリスマスも正月もあるからだいぶ酒びたりの日々になりそうだ。いや、このごろはさほど飲まないから、まあほろ酔いの日々というところだろう。

4年生は来週から卒業試験だから、実質今日で終わり。ただし、卒論卒制提出が1月10日に控えているので、学生は冬休みは遊べない。最後の追い込み期間だろう。

1月は3年以下だけの授業となる。それも2回ほどで終わり、あとは試験やら卒制面接、そして入学試験日程へ入ってゆく。つまりまだまだ学校は続く訳だが、授業より行事中心だからやることはだいぶ変る。

何にせよ、今年度日程もだんだん大詰めに近づいている訳で、「キリがついてゆく」実感がある。実際、来年度はもうそういう日程はない。今頃はすでに専任教授としては定年退職済みで、非常勤講師としての授業残務があるだけだからだ。いやあ、さばさばするなあ。



12月12日 ベランダに鳥がまったく来ない、なぜだ!

今日は天気がいいし早朝からずっとマンションのベランダを見るともなく見ていて、改めて思ったが、鳥が全く来ない。以前は鳩や烏、尾長、雀が次々とやってきては鉢の中などをつついていたが、1羽も見当たらない。表にもあまり見られず、以前は椋鳥の大集団の巣だった木にもこの頃はなにもいない。

しばらく前から気になって、先週は鉢の上にパンの切れ端を2個置いておいたが、未だにまるでつついた形跡すらない。首を捻りつつベランダ上部の、以前は鳩の巣が作られたり休息所になっていた排気孔の上を見ても、その種の形跡はなく、いっぱいあった糞もどこにも見当たらない。

先週来た連れ合いによれば、「セシウムとか放射性物質のせいよ。東京界隈は完全に汚染されているのよ」とのことだが、確かにそうかもしれぬ気がしてくる。とすれば、農作物や人間にも影響がないはずはないから、もうこの界隈は被曝地扱いした方がいいのかもしれない。チェルノブイリ事故の際の避難対象地域の放射線量は、東京のそれよりずっと低い地も含まれたそうだ。

日本はどうしてそういうことをもっと言わないのか。政府も自治体もマスコミも市民も。言わないのは東京圏3千万人が避難する場所などないというか、避難しようとすれば大混乱になるうえ、東京の首都機能も失われ、日本中が右往左往状態になる。だから黙っていよう、死ぬ時も病気になる時もみんな一蓮托生だ、 という一種の諦念が働いているのかもしれない。

いかにも日本的な現象のような気もする。すぐどうなるわけでもないのだから、5年後、10年後、少しづつそうなっていくのなら、その時の流れに任せよう、というわけだろう。

私もうーむと考え、嘆息し、それも仕方がないかもしれぬという気がせぬでもない。ただし、これは、自分はもうじき70歳だし、もういいではないか、という思いもあってのことだ。

年寄りはそれでいいが、しかし若い人、子供、赤ちゃんはそれでいいのか、東京の10年後はどうなるのか、と心配になるが、それも若い人に任せておけばいいのかしら?


12月10日 今季初の雪景色

朝カーテンを開けたら真っ白だった。積雪量はほんの1,2センチだが、とにかく視界の大多数が純白というのは気持がいい。車の上だけは5,6センチ積もっている。どうしてかしら?

書斎からの景色も、背景の浅間連峰ばかりか手前の高原美術館の飯綱山も白い。今季初だ。時折ふわっとした雪らしきものが横に流れて行ったりするから、まだ少し降っているのかしら。

今日は午後東京方面へ行く。明日、付属の推薦入試日で朝から出校するため、前日から泊りという次第だ。おかげで今回は都合6日も向うにいることになる。代りにこれが過ぎれば実質的冬休みである。ああ、楽しみ。


12月9日 〈季刊文科〉58号と佐々木基一全集第6巻に書く

昨日は私の文章が載っている出版物が2冊届いた。1冊目はいまや数少なくなった純文学文芸誌の〈季刊文科〉(鳥影社刊)で、もう58号になる。私はこの雑誌に「信州アカシア林住期」という私小説ふう短編連作を連載しており、今回がその5回目の「シークレット・ズー」である。

自宅近くの懐古園(小諸城址)に隣接する小さな動物園を導入に、我が家周辺に出没する鹿や狸・狐・白眉芯など野生動物のことを書いたもので、人間は私と市役所農林課職員がちょっと出る以外はすべて動物だけの話である。私の作品としても初めての動物小説だ。

佐々木基一全集(河出書房刊)は、かつての近代文学派(埴谷豊、平野謙、荒正人ら)の旗手の一人佐々木基一さんのもので、先月から第1巻が出始め、今月第2回配本の第6巻が出た。私はそれの解説を書いたのである。

どちらも今や社会的存在感の小さくなった純文学ジャンルの、更にマイナーな感じのものだから、どれだけの人が読んでくれるか判らないけれど、私としては久々に世に触れる文学的文章を同時に2冊に書いたわけで、ちょっと気分がいい。むろん市販しているものだから、皆さん、ぜ手にとってみてください。

それにしても、このごろ世上では大手出版社からさえ純文学書はめったに出なくなり、純文学自体が果たして存続してゆくものか分らぬとさえ言われだしているらしい。群像・新潮・文学界・すばるといった文芸誌はかろうじて出続けているものの、若い人はめったに読まぬらしく、先週、大学の文芸専攻大学院でちょっと聞いてみたところでも、その種のものを読んでいる学生は殆どいなかった。

私も3年前『オキナワ 大神の声』(飛鳥新社刊)を出したけれど、ろくに売れず、今書き続けている「信州アカシア林住期」シリーズも、この先量がだいぶ溜まっても果たして本になるものやら一向目星がつかない。なんだか物寂しいような気分が付きまとう。

まったく、純文学よ、どうなるのか。もう純文学は存在価値がないのだろうか。


12月8日 我が家のぬくもり

3日ぶりに小諸へ帰着。やはり寒い。駅前の電飾タワーが1本倒れていた。

刻そばへ行くと、奥さんのT子さんもカウンター内に入っていたので、早速燗酒を1本注文。そしてそば。ここのそばはいつもながらうまい。かつお味のきいた露をつけて啜りこむと、小諸へ帰ってきた実感がわく。

銀行、山謙夫人宅と寄って帰宅すると、屋内は暖かい。床下暖房のおかげである。屋内に関しては埼玉のマンションよりはるかに快適だ。思わずホッとし、ここでもやはり帰ってきた実感がわく。

郵便物・宅配便等を整理し、留守番電話に6回も声が入っていた田舎の母にすぐ電話をする。が、母は相変らずこちらの声は聞きとれぬらしい。うーむと溜息。



12月5日 毎度ながら 

ただいま零下3度、最高予報が3度c。あまり言い立てるのもなんだが、今日は出校日なので着る衣類のことを考えると、どうしても気になる。東京方面とは7,8度違うから困るのだ。

おまけに乗り換えの軽井沢駅ホームが小諸より2度は低い。これがまた困る。がまあ、ともあれ出かけるか。


12月3日 小雪さらりと

夜半零下5度、今0度。ごみ出しに外へ出たら粉雪がばら撒いたように路面に残っていた。乾いてさらさらしている。これで湿気が多かったらかなりの雪になっていたろう。

今、浅間連峰は上のほうが雪らしい。白くもやり、うっすら見える所はどこも白い。いよいよ雪のシーズンだ。

12月2日 風邪誕生日

本日、生誕69年記念日なり。あと1年で定年となる日だし、だいぶ前から意識してきたが、折悪しく昨日あたりから風邪模様なり。

昨日は東京方面も寒くて、朝目覚めたら鼻が詰まっていた。マンションでは和室に布団を敷いて寝ているので、鼻先が一番気温が低い。エアコンは上方につけてあるので、冬はせっかく暖房設定にしても部屋の上部ばかり暖かく、下ほど寒いのである。

その上小諸に移動したら気温はさらに数度低く、最高で2度C、夕方以降は零下という仕儀だった。これでは老体は対応できない。駅から自宅まで歩く途中で早くも喉がひっかかりだし、夕方にはくしゃみの連発となった。

今日はせっかくの記念日だから、快適に懐古園あたりをウオーキングし、夕方早目から最近愛飲している信州伊那地方の酒「猿庫の泉」を燗してゆるゆる飲もうと思っていたのだが、計画変更すべきか。いや、ウオーキングをやめ日中から飲み始めればいいか。

しかしまあ、近頃とみに腹は出てきたし(ズボンのホックがしまらなかったりする)、運動不足の傾向顕著だ。ここは生誕記念を機にせめて屋内で運動をすべきかも知れぬ。竹踏み20分、階段上下20回というのはどうだろう。

何人かの方から「おめでとう」を言ってもらった。いくつになってもやはりうれしいことはうれしい。


12月1日 いやあ、寒い!

午前10時半ごろ小諸へ帰ってきたら粉雪がぱらついていて、寒いこと寒いこと。駅を降りたとたん体がピリッと縮かみ、喉が少しひっかかかるような感じになる。そして午後になったら、外出もしてないのに、どうも鼻が詰まる。

気温は最高2度C、夜になると零下の予報で、明朝明け方前は零下7度だそうな。東京も結構寒かったが、やはりあちらは物の数でもなかった訳だ。いやあ、参る。

庭は3日前にはまだ半分あった桑もまったく葉が落ちきり、小さな楓と山帽子1本のほか落葉樹はもう丸裸である。そよごとかつつじなどわずかな常緑樹が目立つ。

視界はずいぶん広くなり、ある意味あっけらかんと伸びやかでもあるものの、やはり寒々しい。代りに地面は落ち葉で完全にうずまり、土はほとんど見えずあったかそうとも言える。

夜半から雪になるんじゃないかしら。それとも湿度はだいぶ低いから空気だけ冷え込んでいくのか。その方がずっと寒いはずだ。


11月28日 また東京出張

といっても毎週のルーチンワークなのだが、先週は金曜が祝日だったおかげで小諸での滞在日が長くなり、なんとなく久しぶり出校の感がある。それにこのごろではすっかり小諸本拠、埼玉出張宿泊地の実感が定着してきてしまった。

長年住み親しんできたマンションには悪いが、向こうでの滞在中はほとんど大学へ行っていて夜とまるだけみたいになっているため、余計そういう印象になる。

それでも、向うにおきっぱなしのものは多いし、身の回り品もほぼそろっているから、行けばやはり自分の部屋ではあり、ソファに寝転がっていると、ずっとそこにいたみたいな気になる。あと数日で誕生日だが、あのマンションに住みだして何年になるかしら。お世話になっている。


11月26日 本日よりHP日記等更新開始

下記日記でお分かりのように、更新が無事できました。



11月25日 新パソコン始動

先週初め、パソコンがクラッシュしたため、昨日、新しくノートパソコンを買った。今度はデスクトップ型をやめノートパソコンにした。1年半ほど型が古いが驚くほど安かったので、迷ったものの手が出てしまった。ウインドウズが7であるのもかえっていい気がしたからだ。台湾製だ。

今日どうにかウイルス防止やらメールソフト、ツイッター、facebook、mixiなどの設定も済ませた。このごろはこういう技術的なことがだいぶ億劫になってきたことを痛感する。

昨日今日とずいぶん時間を使ったが、まだホームページ更新ができない。ホームページビルダーは入れたものの、そこへ今までのHPデータを載せる方法・運用方法が分らない。はて、どうしたものか。誰か教えてくれないかしら。



11月23日 世間は行楽シーズンらしい

今朝、大宮から長野新幹線に乗ったら、自由席は超満員だった。いつもは土曜日のほぼ同じ列車に乗るが、たいてい座れる。今日は金曜祝日、つまり3連休の初日というわけだけど、天気は雨、気温は低い。なのに車内は行楽客と思しき人たちでいっぱいである。

天気等は事前にわからないから、計画を立ててしまったり宿や列車を予約してしまった人たちは出かけざるを得ないのだろうが、しかしその大半は軽井沢駅でぞろぞろ降りて行った。軽井沢は信州でも指折りの寒い地で、長野市や松本市、私のいる小諸市などよりもよほど気温が低い。当然、紅葉などとっくに終り、木々はほぼ枯れ模様だ。

東京界隈は紅葉の真っ盛りだったから、たぶん人々は東京よりずっと木々が多く自然いっぱいの軽井沢なら紅葉はさらに見事ならんと考えての来訪と思えるが、現実は紅葉ほぼゼロ、雨模様、長野市より3,4度低い寒さ、そして人波、しかもその大半は同じ東京族、というわけだ。

いったい何をしに来たのか、もう少し予備調査をしなかったのか、と呆れたり、しかしそれでも「軽井沢」へ出てきてしまう多くの東京人にもの悲しささえ感じてしまう。私は急にガランとした列車で佐久平に向かいながら、せめて上田や長野ならまだ紅葉があるだろうにと思った。



11月20日 パソコン壊れる

昨日、使用中に突然、画面に「problem has been……」なんとかと表示が出、読もうとしているうちにあっという間に画面が消え、真っ暗になってしまった。

あとはメーカーに問い合わせ、次いで買った店に電話、とあたふたしたが、買った店がヤマダ電機だったかケーズデンキだったかはっきり思い出せず、時間がたってしまった。

風呂に入っているとき、そうだ、ケーズだったと思い出したので、今日一番で電話して対応を決めるつもり。

この日記は連れ合いのパソコンを借りて書いている。というわけで、HPの方は修理が完了するまでしばらくお休みする可能性大です。



11月18日 夜の佐久平、イルミネーションの小諸

今日は大学で一般推薦入試のため朝9時から出校し、面接試験、作文の採点等をした。終って会議を終えたのが午後2時半。すぐ池袋から大宮へ向い、30分待って新幹線に乗り、佐久平へ着いたのが夕5時ごろ。佐久平の街が新開地的さみしさと明るさが混在して見えた。

そこからもうだいぶ暗くなった中を小海線で小諸へ向うのが私としては珍しく、夕方から夜への変化と景色がなかなか面白かった。きれいだったと言ってもいい。

そうして小諸駅へ降り立ったら、駅前に鮮やかなイルミネーションが並んでいて本当に美しかった。これがなかったら暗い寂しい田舎駅前だったろうと思うと、イルミネーション発案者の気持がよく分った。

駅からつながるせせらぎの丘にも電飾がついているかとそちらへ歩いたが、こちらはまだだった。23日の祝日からの予定だったかもしれない。楽しみである。なんでも最近就任したばかりの停車場ガーデン・ガーデナー(28歳)のデザインだそうだから、若い感覚が反映するだろう。

人口4万の浅間山麓の小さな町だが、寂寥より楽しみの方が感じられるのがいい。東京から帰ってくる張り合いがある。



11月17日 曇天の東京

今日は一日予定もなすべきことも全くない。ただ、明日のために待機の日という感じ。

こんな日こそ映画でも見ようかと昨夜ネットであれこれ調べたが、ぜひという映画はなかった。一つだけ少し気が動いたのが早稲田松竹の「恋するバルセロナ」と「ミッドナイト・イン・パリ」のウッディ・アレン2作。どっちもヨーロッパの都市名が出た作だ。映画としての出来はどうか知らないけれど、パリは昔23,4歳のころ1年住んだことがあるし、バルセロナもちょっとだけ行ったことがある。懐かしい。

で、見に行ってみようかと今迷っている。天気がよければホイホイと出かけるところだが、近ごろは寒そうだなとか薄暗そうだなとか思うと、足が引っ込みがちになる。さて、どうしよう。早稲田は学生時代毎日通った場だし、行ってみるか……。



11月14日 しばらく東京方面

今日からいつもの出校日程だが、今週は18日日曜日が推薦入試日なので、土曜日に帰らず日曜午後まで学校で試験官をする。つまり5日間東京界隈滞在というわけだ。こんなに長いのはだいぶ久しぶりである。

小諸は今朝は寒く、明け方には零度近かったみたいだ。山々の峰がかなり低いところまで雪で真っ白である。けれど、東京方面の昼ごろはだいぶあったかそうだから、朝こちらを出るとき何を着ていくかがいつもながら問題になる。信州に合せれば東京では暑い。東京に合せれば、こちらでは震える。

やむなく、新幹線をいつもの軽井沢ではなく佐久平から乗ることにする。軽井沢は小諸より2度ほど寒く(東信地方でも一番寒い)、佐久は小諸より、1、2度暖かい。つまり、ホームに立っていてもさほど寒くない。軽井沢は5分立っていると、体が冷え込む。



11月12日 四十雀、山ガラ、小ゲラ、大ゲラ

木々が落葉しはじめたので、このごろ野鳥が目につく。増えたという意味ではなく、たぶん今まで葉に隠れて目立たなかったのが、よく目につくようになったのだろう。

多いのは四十雀と小ゲラ。前者はスズメ科で、後者はキツツキ科。カラとケラとはだいぶ違う。四十雀は目の周りが丸く白く、かわいい。コゲラは背中の白黒横縞が特徴で、木の幹をたいてい下から上へとコンコンとつつきながら上っていく。樹皮のあいだにいる虫なぞを食べているらしい。

山ガラは四十雀より一回り大きく、背や腹が赤茶色だったりする。大ゲラも小ゲラに比べると随分大きいが、色模様はほとんど同じだ。啄木鳥の行動様式もほぼ同じ。
ほかにアカショウビンやジョウビタキも時々見るが、もしかしたら季節感が少し違うかもしれない。今は表題の4種が圧倒的である。

もっとどんどん来ないかしら。



11月10日 ガラッと変った周辺の色

3日ぶりに小諸へ帰ってきたら、いやあ、我が家周辺の色が変ったこと変ったこと! まず向うの火山庭園の桜と桂の紅黄葉がみな散っており、代って手前の寅さん会館前のユリの樹が見事に黄茶色になり、北側隣家のどうだんつつじが真っ赤、グリーンそのものだった辛夷の樹がほぼ黄色に変じている。

我が家も、アカシアの葉がどれもほぼ8割がた落ちたため、どこもかも見晴らしがよくなっており、樹間から陽光も大きく覗き、庭じゅう実に明るくなった。ぶなの葉はオレンジがかった茶色になり、その手前の染井吉野も半分黄葉した。

おおどころの桑が一向黄葉していないため、リビングからの眺めはあまり変らぬ印象だが、しかし丈の低いどうだんつつじや山法師は色づき始めているから、やはりだいぶ違うとも言える。

そして、書斎北窓からの浅間連峰はすっかり落葉松部分が黄葉し、針葉樹帯のグリーンと鮮やかな縞模様になっている。おまけに峰の部分は昼さがりから折々白グレイの厚い霧雲が覆っているから、頂上部はおそらく雪ではと思える。少なくとも明朝は頂上部が軒並み冠雪していそうだ。

ということは、言うまでもなく寒い。今もすでに外へ出たくないほど寒いし、これから日が落ちるにつれどんどん冷えていくだろう。目下たぶん摂氏6~7度くらい、夜半過ぎにはひょっとしたら零下だろう。

ううむ、ちょっと早いが熱燗で一杯やるか。



11月8日 続:フッとした時間

10月12日付けで、研究室にいると「フッとした時間」がおとづれることがあると書いたが、今もそういう時間だ。今日はだいぶ早く出校したので、授業準備等はもう済んだし、書類チェックも済んでしまった。

窓外を見ると新宿西口高層ビル群にどうしても目がいくのだけど、50階か60階かああいうところに毎日通って一日の相当時間を過ごす人はどんな人たちか、窓外を見下ろすとどんな気分になるのか、上がるのにエレベーターでもだいぶ時間がかかりはしないか、すると一度上ってしまうと滅多に地上には行かないのではないか、昼食はどうするのかしら、などとちょっときいてみたいようなことが次々に浮かんでくる。

実際、昼食問題なぞ興味深い。ビル内に飲食店もあろうけれど、たぶん社員食堂はなかろうから、高くつくのではないか。で、持参弁当組が案外多く、彼らは自分のデスク上で食べるのか、あるいはそういう部屋が用意してあるのか、そこから窓外は見えるのか、下を見下ろしてしまうと食欲に何らかの影響はないか、味は地上で食べる場合とどちらがいいか、などとまたしても思念があれこれわいてくる。

というのは、ぼつぼつ自分自身が空腹を感じだしているのだろう。私はいつも1階中庭向うの学食へ行くのだが、学食が50階にあったりしたらどうするだろうか。やっぱりうどんかそば、あるいは豚骨ラーメンなぞを食べるのかしら?



11月6日 高原の夜のコンサート

昨夜、小諸高原美術館でケルト・ミュージックのコンサートがあった。マーティンとデニスという二人のアイルランド人によるもので、前者はフィドルというヴァイオリンみたいな楽器を弾き、後者はそれにギターをつま弾いて和音を合せるという珍しいやり方で、私には初体験だった。

場所も美術館の日本画(能役者の絵)が並ぶ前だから、これも珍しい。

で、私はかなり期待して前から2列目に座り聴き入った。二つの楽器プラス二人の靴音の拍子が巧みに合わさって、目をつぶって聞くと玄妙な音の世界にひたれた。フィドルはヴァイオリンより音が柔らかく穏やかな印象で、曲によっては庶民的民族楽器みたいな音色も出た。

というわけで、相応に興味は持てたのだが、音楽自体はあまり面白いとはいえなかった。初めてのせいもあるが、あまりメロディアスではない単調な印象で、楽しい感じ、親しい感情を呼び起こされないのである。

一部にかなり熱烈なファンはいるらしく、ブラボーも飛んでいたものの、私も連れ合いもそしてたぶん半分以上の観客も、少しさめて聴いていたように思う。

しかし、会場は飯綱山というかなり高い丘の上にあるため、入出場のさい上から見下ろす小諸市の夜景が実にきれいだった。人口4万の小さな町だからきらびやかな光の海とはいかないのだけれど、黒い闇の方が多い広々した下界にところどころ光る街の様子が都会の夜景とは違う美しさを見せている。

車で降りていくにつれ、だんだん変化していく様子も面白かった。



11月4日 今日は一日労働した

敷地内に3年前からの枯枝薪類が二山ほど積み上がったままだった。他に今年の桑の枝打ち分が二山、別に細かい枯れ木の小山もある。いい加減何とかしなければならないとは思っていたところ、今日は無風で寒い。大量の焚き火にはもってこいの日とも言える。

そこで、午前9時ごろから燃やし始めた。乾ききっている木はパチパチ音をたてて快調に燃える。といってほおりっぱなしで屋内に入るわけにもいかないから、バケツ2杯と如雨露に水を一杯ひたし、火ばさみとスコップを用意し、ジャンパー姿で火を燃やし続けた。

火に面した体の前側は熱く、しかし零度近い小諸の気候は背中が冷たい。枯枝は早く燃え、枝の半分ほどが下に残ったりするから、かなり頻繁にそれを拾って上に積み直したりする必要がある。ゆえに顔はいつも火に向いているので、火焼け(日焼けではない)して赤くなる。

午前中3時間近く燃やしたが、まだ片付かないので、午後2時半過ぎから再開し、この際きれいさっぱり片付けようと腕ほどの太さの太い枝まで燃やし続けた。焚き火は威勢良く燃え上がるから、ついでに敷地内の枯草類も全部燃してしまおうと欲が出、ということはつまり、枯れ草を全部抜いてまわる必要が生じ、それもやってしまった。

いきおい汗だくである。で、途中で家に入って体を湯で拭き、シャツを替え、更に作業を続け、5時にどうにか終えた。灰の周りに少し水を円形に巻き、あとはそのままにして風呂に入った。

いやあ、いい気分だったが、体の節々が少しぎくしゃくする。夕方に入ってだんだん暗くなっていく窓外を見ると、まだ少し燃えている焚き火の火が、白い灰の三角山の上に赤くチロチロと見える。大丈夫かなと思いつつ、もう外へ出ていく元気はなく、気にしつつ食事を始め、終ってもチラチラと赤い火を横目で見つつ、そのままにしておく。

7時ごろ、見ると赤い火は見えなくなっている。どうにか終ったようだ。もう大丈夫と思える。やれやれ、一日がかりの焚き火だった。



11月3日 初めての日帰り出校

今日は大学祭期間中で授業はないが、高校生や父母対象の進学説明会の当番なので、午前7時半に小諸の家を出、10時20分ごろ学校に到着、すぐ説明会に対応した。

ぶっ続けで午後1時に担当時間を終了し、弁当を食べ、中庭の芸祭企画や学生屋台などをしばらく見てから帰途についた。池袋や大宮などの乗り換えは比較的スムーズに進行し、新幹線で佐久平へ。小海線に乗り換え、我が家についたのは4時半過ぎだった。まだ明るかったのでホッとしたが、5時を過ぎていたらもう暗くなるところだった。

そうか、こうすれば日帰りも出来るかと思ったが、計9時間で、さすがにくたびれた感もあった。今後またやるかどうかは少し考えてからにしよう。

それにしても小諸も東京も相当寒かった。今季初めてレインコートを着、マフラーを着用したが、東京でもその姿のままで頃合だったから、今年はどこも寒いのかしら。

疲れたので今日は早く寝る。



11月1日 カレンダーが最後の1ページに

私の書斎のカレンダーは二月づつ1ページになっている。そのため、今日から11月12月が一緒に現れるので、つまりカレンダーとしては最後のページとなった。

その最後の1ページを眺め、予定や記念事などを書き込むと、いささかの感慨がわいてくる。私の誕生日は12月にあるので、ああ、今年ももうじき終るのだなあという思いと、まもなく自分は69歳の誕生日を迎えるなあという思いとが一緒に浮んでくるからだ。

69歳を迎えるということは、いいかえれば定年まであと1年となることでもある。大学は有難いところで定年満70歳だからだ。普通なら60歳か62,3歳、遅くとも65歳でほぼ皆定年になるから、私の同年者やその近くの人たちはもう大半が定年済みなわけで、今まで自分だけがまだ現役だとちょっといい気分だったのに、もうそれも終りというわけである。

で、この頃は70歳とか69歳とかをしばしば考えるようになった。定年になるときれいさっぱり解放されるような気もし、人知れずにんまりしたり、いや、やはり寂しいことかもしれぬとしんみりしたり、気分は複合的に移ろう。どこへも行く所がなくなるというのはどういうことだろうと不安になったりもするが、考えてみると私は大学へ勤めだすまでは48歳までずっとフリーだったから、そういう状態はとっくに体験済みとも言える。

だが、かつては定期的に行かねばならぬ所はなかったものの、仕事であれこれ人に会ったり取材に出たりで、暇だったわけではない。それが今度は完全に暇になるとも言えるところが違う。もちろん、まだ書きたいことはあるし、隠棲体制になるにせよ、そうなればおのずとまた何かすることを見つけるだろうという予想もある。

それが何になるか、自分がその時どんなことを考え出すかが、自分でも楽しみな気さえする。なんといっても未知の領域であるからだ。こういう体験は今までない、自分自身が未知数とはおもしろいことだ。



10月28日 窓外の色

2階書斎の窓外が西側はアカシアの黄色、北側はお隣の沙羅(夏椿)の紅葉ですっかり色づいた。遠景の浅間連峰の山肌もだいぶ赤茶色混じりになった。

アカシアの葉が黄色くなったのはつい最近のことで、昨日東京から帰ってきたら窓外が一気に黄変していたのでびっくりした。その隙間から向うの隣接地の桜が真っ赤に見える。桜は春は花、秋は紅葉と変化に富んだ美しい樹だ。

浅間の色が大幅に変るのはもう少し先なのか、あるいは針葉樹も多いからこんなものなのかよく分らない。というより、毎年見ているのによく覚えていないのが不思議だ。人間の記憶力とはこういうものなのか、それとも私個人の記憶が悪いのか、このごろ気になる。

黄葉では桂と白樺がきれいだ。



10月27日 秋は短し

東京界隈から帰ってくると、小諸は寒く感じる。今日の最高気温が12度だ。しかし、庭にはサフランが芽を伸ばし、早くも紫色の花が2輪咲いていた。柿もだいぶ色づいてきた。ぼつぼつ食べられるかもしれない。隣の火山庭園の白樺、桜、楓は見事に黄紅葉している。きれいなものだ。

大鋏を持って敷地の内外を一巡りしたけど、桑の若木以外あまり刈るものがなかった。草も木の枝もみな委縮しており、刈る必要がないのだ。小山敬三美術館の裏へ行くと、夏の間は殆ど見えなかった千曲川が木の間からかなりよく見えるようになっていた。まもなくすっかり丸裸に見えるようになるだろう。

冬が近づいている。秋は短い。



10月24日 今日は冷える、今秋一番か。

10月下旬に入ってからずっと寒くなり続けているが、今朝は多分明け方4度以下か。
寒くなったものだ。信州の場合もう冬支度そのものだ。

だが、今日から出校で東京界隈へ行くが、向うは日中26度とかの予報が出ている。夏日だ。
うーん、またしても着るもの選びに難儀する。あちら立てればこちら立たず。どうすればいいのやら。



10月21日 「杜の城下町フェスタ」

今日から1週間、小諸市で始まった。ポカポカといい天気の中、駅近くのせせらぎの丘で音楽と絵のワークショップ、本陣母屋や古い酒造会社の店や酒蔵を使っての飾り雛や古着の展示即売、駅を挟んだ連絡通路での絵の展示会など。

小諸は祭り好きで、夏まつりのほか、春は雛飾りなどの人形まつりがあり、今度は新手の秋のまつりというわけである。夏以外はあまり人出はないが、古い町のまつりらしくのんびり落ち着いているのがいい。つられてせせらぎの丘のベンチにしばらく座って、音楽バンドと子供たちが遊ぶのを見物してしまった。

ただし、小諸を「杜の城下町」と呼ぶのはどうも妥当じゃない気がする。小諸はさほど杜はないし、城下町ではあるが実感としては北国街道沿いの宿場町の要素の方が強いからだ。駅前には「高原の城下町小諸」という大きな看板も立っているけれど、あれもいつも首をひねる。高原というと基本としては平なイメージだが、小諸は大半が坂の町だからだ。

となると、どう言えばいいか。「古城と宿場の坂の町」? どうも締まらないかな。



10月19日 橋下ってのは分らん人物だ

このごろ彼にまつわる論議がかまびすしい。彼自身の発言もかまびすしい。

週刊朝日には「ハシシタ」記事なるものもでかでか出ているというから、さすがに人の出自背景まで根掘り葉掘り暴露するのに本名ならざる呼び方をするのはよくないと思ったが、少し彼に関する文章(週刊朝日以外)を読んでみたら、彼の名は父親の代までは「橋下」(はしした)だったのを、彼の代から父親が「はしもと」と呼びかえたとか、彼自身が同和地区では自分は同和出身と言い、違う場所では「違う」と言ったりしているという話が出てきたりした。

事実とすれば、何が何やら分らぬし、彼は大阪市職員を思想選別するみたいな言動もしているし、ほかにもかなり独断独裁的発言も目につく。「ファッシスト」という評価もある一方、なかなか率直でいい発言傾向もある。少年時代の育ち方、言動などはどうも感心しないし、「弁護士や政治家は嘘をつくのは当然」といった発言も肯定しがたい。でも、テレビ画面で見る彼の顔や言動はさわやか感もあり。という訳で、本当に今のところ判断保留、何者ならん、というところだ。

世間の評価や、私自身の評価もどうなっていくか、しばらく見ものという気がする。



10月17日 10度の温度差

二つの意味がある。一つは一日の温度差、もう一つは小諸と東京界隈の温度差。
例えば今日は小諸の午前6時6度、正午17度。小諸を出る午前9時12度、所沢へ着く正午ごろ22度。

10度違うと着るものに本当に困る。小諸や乗り換えの軽井沢(ここは小諸より2度ほど寒い)の寒さに合せると、大宮へ着いたあたりから暑くてたまらない。といってもこの頃は関東南部でも上着はあったほうがいいから、チョッキを着ておいて、新幹線車中で脱ぐなどというやり方になる。

おかげで鞄は膨らむし、それでも「ズボン下か股引か」問題は残る。つまり小諸を出るときは股引がいいけど、まさかそれを新幹線車中ではきかえるわけにはいかない。よって小諸では少々ふるえながらズボン下厚め程度にして出かけることになる。

短時間のうちに10度の温度差は体にもよくない気がするが、正確なところどうなのだろう。医学的所見をはっきり知りたい。



10月15日 朝から汗ぐっしょり

きのう思いたって庭というか敷地内の桜3本(小諸八重紅枝垂1本、染井吉野2本)の根元半径約60センチの円状に溝を掘り、鶏糞と配合肥料を施した。来春いい花を咲かせんがためである。

その白い配合肥料が円状になっている風情が気に入り、今朝は柿2本、プルーン1本、いちじく1本にも同様に溝を掘り、肥料をやった。ただし鶏糞は途中でなくなってしまったので、あとの2本は配合肥料だけになった。

最初は花から始まったのだが、今日の分は言わずと知れた果実の生りを期待してのこと、つまり花よりナントカである。
今ごろ施肥するのがいいのかどうか、鶏糞と配合肥料を合せていいのか否か、さっぱり知らぬまま、思いたったが吉日でせっせとやってしまったが、果して来年の結果はいかん。

何はあれ、ぐっしょり濡れたシャツを早速脱ぎお湯で体を拭いたら、実に気持がよかった。労働の喜びという感じである。そして思った、運動とか体操の類いで汗をかくのは、無駄というか、どこか虚しいものではないか、と。体を動かし汗をかくのは具体的な労働で、のちに成果が表れてこそ充実するのではないかと。

来年を待とう。



10月14日 人が死んだ報を聞くと

私は何やら少しさばさばした気持になる。別にその人が死んだ方がいいとか鬱陶しい人だったと思っているわけではなくともだ(思っている場合もちょくちょくある)。亡くなったこと自体、この世から消えさっていくこと自体が、さっぱりしていい気がするのである。

言いかえればこの世に生き続けることこそがどこか鬱陶しい、面倒なことに感じているのかもしれない。知人も亡くなればそれなりに寂しいのだが、減っていくたびだんだんいろんな感情を持たずにすむという気がして、さっぱりするのだ。

人間嫌いなのだろうか。付き合いべた、付き合い嫌いなのかしら。うちの連れ合いもそうで、彼女を見ていると、もう少し何とか世間とうまく付き合えないのかと思う一方、気持はよく分る気もするから、似ているのかもしれない。

人間と付き合うより、自然や植物の方がやはりいい。動物は子供のころ犬や猫を買ったことがあるが、大人になってからはない。ごく単純に独り暮らしや共稼ぎ時代、それに今のように毎日同じうちにいない(2か所を行ったり来たり)時は、餌をきちんとやれないからである。ちょっと残念な気がしている。



10月12日 研究室でのフッとした時間

「フッとした」は「ホッとした」とも違う、まさにフッとの延長にある。フッとだけなら一瞬だが、それが割合長く続く。

東京界隈はいまだにかなり暑く、志木市のマンションにいると朝8時でも南側の室内はクーラーをつけたくなる室温になる。が、クーラー嫌いの私は出来るだけそうしたくないから、部屋を出たくなる。ゆえに8時には家を出、9時前には学校、つまり研究室に入る。

閉め切られていた研究室ではしばらくクーラーをつける。何だ、クーラーつけるんじゃないの、というなかれ。つけるのは30分ほどで、あとはたいてい切る。しばらく窓を開けておいたりもするが、外は電車が通るし、工事音も聞えるから、たいていは閉め切っておく。

ビルの5階は一応南向きのはずだが、少し角度がちがうのか午前中はあまり直射日光はこないし、上下の階や他の部屋部屋がずっとクーラーをつけてくれているせいか、一度冷えればその温度が案外持続する。よって私には丁度いい涼しさがクーラーなしで実現する。

多分、だから私は研究室へ早く来たくなり、来ても他の人は先生連中も学生諸君もあまりいないから、静かで気持がいい。来ればむろん、その日の授業を確かめ、多少の予習というか準備をする。それから事務や学務からのあれこれの書類に目を通し、必要な場合は書類を作成する。

それが終ると、フッとした時間が訪れる。用はもう済んだし、準備は整った。廊下や向かいのパソコンルームもまだ静かなままだ。そういう時間だ。
私はたいてい椅子の背もたれに身を委ね、窓外を眺める。半年前までは見えていた江古田駅はもう6階建てビルのせいで全く見えない。新宿西口の高層ビル群や中野のブロードウエイなどが見える。天気がよければ秋冬は右端遠くに多摩や秩父の山並が見える。

立って見下ろせば、駅北口からの道が多少見え、歩く人々も見える。雨が降っているときなどはここから傘が見えるか否かで判断できる。世間がどんな時間帯なのかもおおむね分る。学生達がどの程度学校の敷地に入っているかも何となく察しがつく。が、気分はまだまだ授業モード以前でのんびりしている。

という時間が『フッとした」時間である。なかなかいい時間なのである。



10月7日 入試を終え小諸へ直行するとまつりだった

本日はAO入試の面接日だった。午前9時前に出校し、10時ごろから面接開始。数が少なかったので案外早く終り、11時半前には判定も終了した。ただし、その後の手順が少しもたつき、万事が終了して解散となったのは12時10分ごろだった。

すぐ学校を出、電車を乗り継いで大宮へ。そこで新幹線に乗り換え軽井沢、更にしなの鉄道に乗って小諸へ着いたのは2時45分ごろだった。と、なんと小諸駅周辺は「フードまつり」とかで公園やら、駅裏の鉄道敷地などで舞台がしつらえられ歌やらお笑い漫談などが行われていた。まわりには屋台の店もあれこれある。

私はかなりくたびれていたのだが、オヤオヤとそのまままつりに加わり、ケータイで連れ合いを呼び出して一緒に初物のリンゴ「秋映え」と富山のますの寿司(なぜこれが売られていたのかはいまだによく理解できない)、上田市名物の焼鳥ナントカ味噌あん付きを買って4時ごろ帰宅した。

おかげで、晩酌はそのままこれらで一杯となり、まあ悪くなかったのだが、しかし全体にどこか疲れ気味である。思うに、朝から入試→移動(乗り換え3回)→まつり→晩酌、とあまりにスピーディーに次から次へと異なる領域を移ろったため、心身が戸惑い疲れたのではという気がする。人間あまりいろんなことをしてはいかんのだろうな。殊に歳をとると。

そんな一日でした。


10月5日 暑い

ただいまの室温、窓を開けていても27,8度になるので、窓を閉めクーラーを入れた。日はカンカン照っており、日中はさらに上がりそう。出校日だが、上着は着ずに行こうか迷っている。電車の中などが冷房で寒い時もあるので、迷うのである。

こちらへ出てくる前の小諸の温度は最高でも20度以下だったことを思えば、違う国へ来たような感じだ。そこを行ったり来たりは体に悪いんじゃないかという不安さえ生じる。

眼下の柳瀬川では、今朝も6時ごろから10人以上の釣師が竿をのばしている。定年退職者たちなのだろう。早くからよく来ると感じる一方、歳をとると朝が早くなるからなとか、家にいてもしようがないから、などと思いをはせることになる。実際、東京近郊のマンションや建売住宅などに住んでいる場合、ろくに居場所すらない、土も緑もろくに見えないかもしれないのだ。ずっと働いてきた同世代諸氏、ごくろうさん。そしてまだまだ結構長く生きねばなるまいと、いささか哀しく同情する。

さて、都内はもっと暑いかもしれない。上着、やっぱりやめるか、どうする……。



10月3日 寒い

6時に起きたら、ブルっとくるほど寒かった。
今は7時過ぎだが、外は霧で白い。向うの浅間連峰は全く見えない。

9時過ぎの列車で所沢校舎に向うが、関東平野はどんな気候だろう。予想では昼は25度の夏日だそうだが。いずれにしろこの冷気で心身は完全に秋の学校モードになってきた。自身としても読みたい本、書きたいものが出てきた。勉学の秋でいきたい。



10月2日 明日からしばらく東京方面

大学での用が7日(日曜)まであるため、とびとびの出校になる。こういうことはめったにないので、都心の美術館や映画館なぞに行こうかしら。何かいい催しあったら教えてください。

問題は気温や天気だ。昨日の東京は30度だったと聞くとビビる。小諸では今日は最低14度、最高19度、つまり一日中20度をこえることはなかった。外を歩く苦痛もない。

まあ、天意を待つしかないけれど。



10月1日 駅前公園の楽しみ

 いま小諸駅前近くの大手門公園が面白い。緑の芝生の上に「望郷」とか「ドン・キホーテ」などと名付けられた鉄の造形作品や、張りぼてふうのキリンなどが点在している。さいたま在住の造形作家「金田勉」氏の作らしい。ユーモラスで、親しみ深い。期間限定との話も聞くが、ずっと展示してほしい。
 
 年に2、3回展示替えするのも季節感が出て楽しいかもしれない。



10月1日 新ページ開始

 毎年のことですが、やはり秋になると気分が変ります。夏が猛暑の連続だっただけに、心身がすっきり締まる思いがします。
 日記の内容もそれにふさわしく、締まったものにしたいものです。また皆さん、よろしくお付き合いください。