風人日記 第四十八章

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冬枯れの向うに

2014年1月1日〜3月31日






感想や連絡はMAILでどうぞ。

                 お知らせ (*日記はこの欄の下方にあります)


『季刊文科』(鳥影社刊)53号より短篇連作「信州アカシア林住期」を開始

      http://www.choeisha.com/bunka.html 

 53号(2011年8月、本体1,000円) 「信州アカシア林住期」

 54号(2011年11月、本体1,000円) 「信州アカシア林住期その二 夏の転変」

 55号(2012年2月、本体1,000円) 「逆接のウズベキスタン」(信州アカシア林住期 その三)

 56号(2012年5月、本体1,000円) 「真冬の散歩者たち」(信州アカシア林住期 その四)

 58号(2012年11月、本体1,000円) 「シークレット・ズー」(信州アカシア林住期 その五)

 59号(2013年4月、本体1,000円)  「小諸の道」(信州アカシア林住期 その六) 

          
               

  大手書店、アマゾンなどのネット書店にて発売中。鳥影社から直接購読も可。


『オキナワ 大神の声』(飛鳥新社刊 2200円+税) 


 
            


 7年来毎年訪ねていた琉球弧列島を舞台に、喜界島から与那国島まで八百数十キロを歩いてゆく短篇連作集。



 一昨年、いろんな推移の中で三ヵ月ほど日本の全原発五十四基が停止したことがある。現在は大飯原発が稼動しているほか、安倍首相は「今後新たな原発建設も指向する」と言い出している。原発ゼロは早くも夢のかなたというのだろうか。情けないことである。
 私は現在と未来の人類のために、原発が少しでもなくなっていくことを望む。
                                

                                   2014年1月1日
                                        作家・日本大学講師
                                                 夫馬 基彦   
                                  日記


3月31日 今日で3月も終り

日本では年度も終るということだから、いろいろ切り変る。季節感も信州ではいよいよというかやっと春、という感じになる。

私の場合、大学の仕事が名目上続いていた「講師」という肩書まで完全に終る。つまり、22年間の「大学教師」が完全に終ることになる。

さっぱりするとも言えるし、いささかもの寂しい感もある。週1日かそこらの非常勤講師を続ける選択肢はあったのだが、そのためにわざわざ長野県から東京まで通う気になれず、全部やめることにしたのである。

これからは文字どおり長野県オンリーに定着して、庭や畑でもいじっての暮しとなる。話の通じるマスターがいる近所の馴染みの喫茶店「べにや」もおりから閉店になったのが、相当痛手だ。

気ままに通っておしゃべりする場がなくなった。こういうことはなんでもないようで、大きい。べにやが閉店になることが分っていたら、東京の大学も講師の立場をもう少し延ばすようにしていたかもしれない。

しかし、世の中というのはままならぬものだ。晩年に向け割合うまくやってきたようでも、思い通りにはならない。まあ、そう臍を固めて、当分は散歩生活と行こう。おいおい、やることも見つかるだろう。


3月30日 春雨のなか辛夷の蕾が……

お隣の木だが、わが書斎からは一番近いので、毎日めでている。早い蕾は白く割れかけているので、開花もまじかいだろう。人さまの庭のものだと、かえって風情が増すような気がする。

辛夷が咲けば桜も間近い。桜はわが庭に3本ある。蕾は過去最高に多い。期待感が募る。

(HPビルダー15、相変わらず不調、でも、書けるには書けるので、このまま書く)


3月29日 パソコンの不調に再トライ


それでだめなら、ホームページビルダーのソフトを入れなおしてみる。パソコンは順調な時は便利だが、不調になると機械弱者にはいろいろ面倒なものだ。

3月28日 車のウインドウが凍らなくなった


太平洋側の人には「今頃何を」と思われようが、信州小諸ではつい2,3日前まで凍っていたのである。それが凍らなくなったというか、朝7時前にはもう融けている。

おかげで、早朝すぐにゴミを捨てに行けるし、ラクだ。散歩も寒い感じがなくなった。春の遅い信州の山あいにも確実に春が来たようだ。庭の桜の蕾が明らかに膨らんできた。5年前、ホームセンターで買った1メートル弱の苗がもう3メートルくらいになって、蕾で一杯だ。今年こそ満開になるぞと、胸が躍っている。

*なお、ホームページビルダーはどうにか動くようになったが、動きは遅い。色も勝手に変わる。この文章もそう。紫色指定なぞしていないのに、こうなる。どういうわけかしら?


3月27日 退職御挨拶

小生、今月いっぱいで、大学を退職いたします。というか、授業は1月末で終り、この25日には卒業式も終りましたので、実質的に退職完了です。今後は長野県オンリーで暮していきますので、みなさん、よろしくお願いします。


3月26日 曇天なれど寒からず


庭の桜のつぼみがだいぶ膨らんできた。
咲くのは連休前後と分っているが、待ち遠しい。

(パソコン、相変わらず不調。色が勝手に臙脂になったり、進行がうまくいかない。
ホームページビルダーを入れ替えたいが、コンテンツがちゃんと継続されるかが心配で、自分ではできない。Sよ、早く援けに来てくれ)


3月25日 天気予報欄に零下がなくなった

今日の予報を見たら、今日明日とも深夜や明け方を含め零下がなかった。ああ、完全に春だなと感じた。


3月も下旬なんだし、当然とも言えるが、今年は寒かったし、雪の残りもつい最近まであったから、ホッとする。

我が家の庭の水仙は何箇所かで、蕾いっぱいの芽を出している。椿の蕾も、大きくなった。浅間連峰も高峰山なぞ頂上にも雪がない。


3月23日 埼玉・東京界埼隈とは9度違うが


それでも暖かい感じがする。つい先だってまでの冷えっとした寒さがないのである。浅間連峰の雪山を見ていても「きれい」と感じるだけで、「寒そう」とは感じなくなった。

さっき庭を1周してきたが、黒土部分も凍った感じはなく、ぼつぼつ種まきとか新芽が顔をのぞかせるシーズンという感じが如実にした。水仙はどこも蕾だらけだし、クロッカスはもう黄色い花を咲かせていた。

小諸としては春である。今年は4月から畑作りに腰を入れようかと思っている。ぼつぼつ気構えをせねばなるまい。


3月22日 世間は連休中


昨日は彼岸の中日だったが、風が強く寒かったので、ついお墓参りをやめてしまった。今日は行くつもりである。

愛知県にある父の墓はどうなっているかしら?


3月20日 水仙の芽が一斉に出てきた、べにやはもうじき……


近寄って見ると大きな蕾もたくさん付いている。まもなく花が咲くだろう。

太平洋側では水仙はとっくに咲いているばかりか、1月に花開く場合もあるが、小諸ではやっとである。梅や桃の蕾もだいぶふくらんできた。連休ごろになって桜とともに一斉に咲くだろう。初めて小諸で春を迎えた時、なんだかネパールみたいだなと思った記憶がある。

かつていたネパールでは、やはり3月末から4月頃にそれらが一斉に咲いたものだ。

そういえば昨日行った民芸喫茶「べにや」で、見かけたちょっと珍しいざるについて尋ねたら、「ブータン製です」とのことだった。精緻な作りで一部に色まで塗ってあった。べにやはこういうものがそこらに何げなく置いてあるのが面白い。

それが23日をもって店じまいというから、残念至極である。それで、私はこのところ毎日行っている。たぶん今日も行くだろう。


3月18日 曇り日は気分が落ち込む


昨日、雑事をいろいろ片付けたから、今日はさっぱりしているはずなのに、ゆえもなく気がめいる。他に理由もないから、要するに曇って寒々しそうに見えるからとしか思えない。

寒々しそうと書いたが、「そう」なだけで、実際の気温はそう寒くもない。気分、印象、の類が結構バカに出来ないと思い知る。晴れてくれないかしら。


3月16日 今日は日曜だったか


朝、月曜だと思って起きだし、さあ、重要事がある日だ、と気を引き締めていたら、連れ合いから日曜よと言われた。やれやれ。

一日得をしたような気もする。


3月15日 本日は快晴!


浅間連峰の肩あたりに白雲がたなびいている。これもきれいだ。


3月14日 今日は薄青空


爽快な青空ではないが、西の方は曇っているななぞと考えながら眺めると、風情のある空だ。

浅間本峰の雪もようも少し陰りがあって、頂上部はほんの少し雪がちらついているのか、あるいはこれが春模様なのか、などと感じさせる。

手前、お隣さんの辛夷の蕾は少しづつ膨らんでいる感がする。ここらでは咲くのは桜ともども連休前後ではあろうが。

遅い春が待ち遠しい。


3月13日 曇天


今日のような暗い曇り空を見ていると、昔、友人の歌人福島泰樹が書いた『曇天』というタイトルの歌集を思い出す。内容はうろ覚えだが、曇天のときはもの思いをする、といったものだった気がする。

確かにそうで、天いっぱいがどんよりと暗いさまを見ていると、もの思いが生じてくる。憂い、焦燥、悔恨、何とも知れぬ悲しみ、諦念とそれへのいささかの反発……。

ただし、その内容は青年時代のそれとはだいぶ違う。もうやり直しなぞききようのないさびしみと、だからホッともする心情である。

雨よ降るな、雪ももういい、やはり日照がほしい。


3月12日 太平洋岸はすっかり春本番らしい


が、信州はまだひんやりした冬模様である。庭の雪も3分の1ほどは残っている。

まあ、やむをえない。代りに夏は実に涼しいのだから。どちらを選ぶと言われたら、暑がり・汗っかきの私は夏涼しい方をとる。

緯度は同じくらいでも関東と信濃でかくも違うのは、日本の多様性の表れであろう。北陸の雪の深さなぞも世界でもまれな現象ではなかろうか。


3月11日 もう3年だ


3.11がやってきた。やっぱり大きな地震だったし、そのあとの津波にはもっと驚いた。テレビ画面でだったが、あんなふうに家や街が一気に流されていく光景をほぼリアルタイムで見たのは初めてだった。

流された人たちのその後の生活を思うと、胸が痛む。人生、生活ががらりと変わったことだろう。福島へはもう帰れまい。家を建てたばかりだった人もあるそうだ。言葉もない。

東京もセシウムなどの被曝線量は相当らしいし、我が家のある長野県東信地方も、距離からいって似たものではなかろうか。周りもマスコミもほとんど口にしないけど。私も考えたくない。


3月10日 青空、浅間稜線を雲、東へうごく


浅間の雪は少ない。峰部は白いが、少し下にはもう雪はない。手前の木々の芽もだいぶふくらんだ印象があるから、春は近い。

去年までは4月になればまた学校があると自然に思っていたが、今年からはそれがない。ずっと今と同じ状態だ。どこへも行く必要がない。

解放されたような、もの寂しいような。芽吹きが始まれば畑を耕せるが、今はまだ土が硬く凍っている。

人間は凍っていないが、動きがとれない。ジョグもまだ寒過ぎて短時間しか無理だ。逼塞の時期。


3月8日 青空と雪 猫と犬


雪は庭の3分の1ほどと向うの野っ原、それに御近所宅の北側屋根、そして浅間連峰の中腹以上全部、といったところだ。浅間中腹の雪は、時間によってだんだん白さを減じてゆくから、面白い。

今朝、向うの野原の雪の上を猫が一匹悠然と歩いてゆくのを見た。あれは犬がやることじゃないのかあと思いつつ眺めたが、近所の犬は家の中に閉じこもっているようで、とんと姿も見えない。

庭の木々には烏や頬白(? 頬が真っ白、ほかは黒)がよくやって来て、吊るしておいたひまわりの実なぞをつついていく。まれに背中が赤いアカショウビン(?)や縞ゲラなぞも来る。

冬だから多いわけじゃなく、たぶん葉がないからよく見えるということだろうと思うが、楽しみである。
(この文章、どういうわけか黒字で書けた。理由分からず)


3月7日 皆さん、教えて


mixi日記はまあまあ書けるのですが、それをホームページビルダー15を使ってホームページ用に書こうとすると、文字色が変ってしまったり、それを黒色にしようとするだけで、ずいぶん時間がかかったり、水平線1本引くだけにかなりの時間がかかったりします。 この文章も黒色にしたいのに茶色になってしまいます。

いずれも以前はごくスムーズに出来ていたことですが、この1,2カ月でだんだん時間がかかるようになっていき、昨日あたりはホームページ更新をもう諦めたくらいです。

これは私のホームページビルダー15が個別的に不調になったということでしょうか、それともパソコン自体が動きが遅くなり、つまり老化(?)したせいでしょうか?
ホームページビルダー15のせいなら、同じ15を新しく買い、入れ替えればいいものでしょうか。その場合、これまでのコンテンツはそのまま継承されるものでしょうか?

その辺がよく分りません。知っている方、御意見を聞かせてください。


3月5日 雨は雪を溶かす


 3月になって、だんだん春めいてきた。庭にはまだ2月に降った雪が残っているが、それも半分くらいになった。木々が赤い芽を膨らませ始めたようで、遠目にもどことなく赤っぽい。屋根の北側では、時々ドサッと音立てて、雪の塊が落ちる。下敷きになったら大変だ。

当たり前だが、液体が降りかかれば固体(半固体?)たる雪は融ける。全部ではないが少しづつ融ける。今日の雨はこのままいけば、庭の雪を半分くらい溶かしてくれるかもしれない。

尤も天気予報では、午後みぞれ、ついで乾雪、となっているから、結局また降って積もるのかもしれない。小諸としては3月の雪とは珍しいことだ。

ところで、私の日記は「天気のことばかり」という評が以前外国在住者から届いたことがある。遠い国に住む身にとって日本の、それも長野あたりの天気がどうであれ関心なぞない、という反応だった。

それは確かにそうだろうなと思って、一時期なるべく天気のことは書かないように努めたが、しかし、いつの間にかまた天気のことを書くようになっている。

それは日本の挨拶は「今日はよい御日和で」「あった(暖か)こうございますね」などが自然に出るように、日々の天候が生活感覚に密着しているからだろう。

それに政治情勢や、社会のあれこれ、自分の仕事のこと、などを書いても、たまにはいいが、さして興が湧かない気がする。いや、たまにはいいということは、それらを按配よく配分していけば一番いいということかもしれぬけれど、エネルギーがだいぶ要る。

それに、私はたいていこの日記を朝書くから、まずは天候の御挨拶、浅間連峰の様相、庭の木々や雪の変化、といったものがおのずと出てきてしまうのである。

これから春に向うにつれ、木々の芽吹き、やがて膨らむ桃や杏、プラム、柿の蕾、椿の花の蕾、つつじの赤い芽蕾、などが次第に成長していく様は本当に楽しみなのだ。

雪が解けていくにつれ、そういう若い芽がふくらんでくる。


3月4日 雪解けは緩やかに進む


今も積もっている雪は2月14日に降ったものだから、もう半月以上になる。さすがに徐々に融けつつあり、庭も半分ほどが黒い土や落葉層を見せ始めた。
けれど、最終的に融けきるまでにはまだ1週間やそこらはかかりそうだ。

寒冷地の雪とは厄介なものだ。長野県は地図では関東甲信越地方にあり、岩手や青森よりよほど南だが、関東とはまるで違って、気温は青森岩手並だ。

おかげで夏は涼しく、それに魅かれて私は移住してきたが、冬は参る。せめて雪だけでも融けてくれればと思うし、実際、小諸など東信地方は雪は少ない場所なのに、今年だけは突然変異なのだ。

99年ぶりとか、いや、史上初の大雪とか、地元人もびっくり、かつちょっとはしゃいでいるみたいだから、まあ、怒ったってしょうがないのだが、雪でグショグショはやはりうんざりしてくる。

浅間連峰の雪は昨日とだいぶ違って稜線近くまで後退したから、少しづつ春めいてはいる。「雪国」の春が待たれる。


3月3日 浅間絶景


浅間はいつもきれいだが、今日は上から山裾まで雪景色で、見慣れた身さえしばし目を奪われた。

白い部分は時間とともにだんだん上ってゆき、今は上層部だけになったが、それでもいつも稜線部近くだけなのに比べれば、相当部分が白い。

本峰浅間岳は純白である。煙は見えない。火口の中はきっと雪が積もり、温度が下がって火の気もなくなっているのかも。

地上は、庭の半分はまだ白い雪だが、街なぞはほぼ雪は消えている。連れ合いは散歩がてらと称し、郵便局まで歩いて出ていった。私は銀行へ行ったついでに、ガソリンだけは満タンにしておいた。


3月2日 またしても雪


ただし小雪なのでホッとした。まだ少しちらついており、地上や屋根ばかりか木々にも着雪していてきれいだ。

曇天に白雪世界、いかにも寒げで、新聞を取りに門まで出るのがためらわれる。

でも、やはり出るか。


3月1日 今日から3月


外はしょぼしょぼ雨が降っているが、さほど寒くない。みぞれでもないと思う。周りは冬の枯れ木ばかりだが、こういうときこそひそかに新芽を膨らませかけているのではという気さえする。

雪もだいぶ解けかけ、庭にも黒い土の部分が見え始めた。うらの辛夷の木の芽なぞはだいぶ大きくなっている。つつじの芽もだいぶ赤い。

3月は名目上、私はまだ日大芸術学部教師だが、卒業式以外はなにも出校行事とてないから、実質的に教師の実感もない。ほぼ肩書ゼロの、自由人である。

4月からは何か新しいものを書くつもりなので、そのためのラフプランくらい考えださねばならない。そう思って机の前でも、散歩中でも、多少は考えだしているが、まだ何の形、というより手ごたえあるアイデアも浮んでこない。

頭も怠け出しているし、冬の寒さのせいで体も怠けている。ウオーキング量もずいぶん落ちていて、昨日、久しぶりに街まで歩いたら、途中で息を継いだ。夕方、近所のキャッスルホテルの温泉に久しぶりに入ったら、体が穏やかになった。徒歩でも5,6分なのに、冬になってからここにすらろくに来ていなかった。

脈絡なく、今日は母に電話しようと思った。97歳である。


2月26日 昨日、マンションと別れる


24日をもって荷物を小諸に送り出し、残った多くの不用品をトラックを呼んで処分し、完全に空になったマンションを一人で掃除し、隣の志木のホテルへ行って1泊した。

連れ合いは小諸で25日朝、荷物を受け取り開梱しなければならないので、24日夕にはマンションを出た。

泊まったホテルは5階の部屋で、ちょうど真北にわがマンションの建物か隣の建物(同じ形状なのではっきり確定できない)が遠景に見え、懐かしく、物悲しく眺めながら眠りについた。22年間住んだ部屋との別れである。ただし、館内暖房の音がうるさく、夜はよく眠れなかった。

25日は仲介業者の事務所でマンションに関する契約をし、近所の銀行で決済も済ませた。どれもごく事務的に進み、終って私は一人で列車に乗って小諸へ向った。

今日は午前4時に目覚めた。いつもより2時間以上早い。連れ合いによると、私は前夜、「疲れた、疲れた」と言い、夕食後早々に寝てしまったそうだ。

本日は快晴、されど、地上は14日来の大雪がまだ解け残って、真白である。雪かきに出、1時間ほどスコップを使ったら、右肩右腕が痛くなった。

午後、車で地元スーパーツルヤへ一人で買い物に行った。連れ合いは引越疲れで半ばダウンしている。
好きな日本酒「猿庫」と信州ワインを買い、いま早くもワインを飲みだしている。今日は落ち着いて気持よく飲めそうである。


2月23日 今日からしばらく


埼玉県のマンションに行く。マンションはこれを最後に終りとなるので、いわば最後のマンション行。22年間の思いが浮んでくる。

同じ市内に娘宅もあるので、たまには界隈へ行くかもしれないが、しかしまあ、せいぜい1年に1,2回くらいだろう。やはりもの寂しくはある。有為転変、世の常とはいえ、少しづつ退場していく気分だ。嗚呼。


2月22日 うせもの


昨日、わりあい大事な物がなくなった。手帳に類したもので、場所は我が家の自分の部屋の中である。机の上に置いておいたのが、ちょっと他ごとをしている間に見えなくなった。

その間、部屋に出入りしたのは私と連れ合いだけ。他人は一切家自体に入っていない。目を離したのはほんの15分くらいだろう。気づいて、まず自分一人で、次いで連れ合いと二人で隅々まで探したが、ついに発見できず。

2度繰り返し探し、夜、布団の中であれこれ推量を凝らしたうえ、今朝になってからまた慎重に2度探したが、見つからず。ごみかごまで全部チェックしたがダメ。さして物の多い部屋でもなく、むしろさっぱりした部屋だから、本当に狐に化かされたような気分である。

連れ合いは、こういう時はしばらくほっておくのがいい、同じ視点でいくら探しても出てこない、と言う。そうも思えるし、しかし、自分としてはおのれの部屋で、これだけ探してなぜ出てこないのかと、そのこと自体が不思議な気さえしてくる。

どうしたものか。神隠しという言葉さえ浮かんでくる。不思議なことがあるものだ。どうしても今、探し出さねばならない物というほどでもないのだが、とにかく不可解で、茫然としている。やはり神隠しだろうか。


2月20日(2) 雪かき


今積もっている雪が降ったのは14日のことだったようだから、もう6日間積もりっぱなしということになる。さすがに日照でいくらかは融けているはずだが、雪かきをしていない場所は腰くらいまで雪がある。

景色としてはいいけど、生活的には不便な面も生じる。
よって、今日は門の周辺、車の屋根の上、家の前の道路などの雪かきをした。子供のころはよくやった記憶があるが、近来ではほとんど覚えがない。

サクッ、サクッと音立てて雪をかくのは気持がよくもあり、苦痛はほとんど感じなかったが、右肩がすぐ痛くなった。かねて50肩が長引き、ちょっと力仕事をするとすぐ痛くなるくせがついていたから、やはり来たかという感じだ。

が、その痛みは少年時代なぞにも記憶のある痛みで、スポーツのあととか何か力仕事をさせられたあとなどのそれと同じだった。痛いが、不快ではなく、なんとなくひと仕事をした充実感と同伴したもののようだった。

70過ぎて腰とか肩などを痛めるのは当人の無分別、みたいな気もするが、「オレもまだまだこれくらいの力仕事はできる」という意地がつい出てしまうのかもしれない。

さて、痛い肩を肴に酒でも飲むとするか。


2月20日 まだ雪にうずまっている


きのうの前の日記がだいぶ間があるが、そのあいだは志木のマンションで引っ越し準備・片付けに追われていたためだ。書き込みは小諸でしかできないように設定している。両方でやるとごっちゃになるから。
で、その間の日記をmixiから一つだけ下に書いておく。



2月18日 小諸は雪にうずまってるらしい


今日早朝、引っ越し屋さんから電話があり、長野県方面は道路が通行止めだったり大渋滞だったりするので、19日は中止、24日に延期と決まった。小諸の御近所衆の情報では、我が家の庭の積雪はまだ腰くらいまであるそうだ。100年ぶりの大雪とか。ギョエッ!!

24日も危ないかも、3月にするのが安全、ともいうが、そんなに先延ばしもできない。なんとか2月中には終えたいものだ。

それにしても、最後になってえらく難儀なことになった。


2月19日 トンネルを過ぎると雪国だった


それは越後のことだと思っていたが、ナニ、信濃のことだった。

関東平野は別に雪なぞほとんどなかったのに、安中あたりのトンネルを越して、軽井沢に入ったとたん、周りは真っ白、それも屋根の上に50センチは積もっている雪世界だった。

ややっと思いつつしなの鉄道に乗り換えたのだが、動いているのが不思議なくらいだった。すべて純白5,60センチの雪世界。そして24分、いや、いささかの遅れありだったか。小諸駅についたら、冷気は思ったほどではなかったが、まあ、どこもかしこも積雪50センチくらい。

降ったのは13,4日だったそうだから、5日たってもほとんど解けていないということらしい。茫然と、かつ感嘆しつつ、駅前の停車場ガーデンで昼食をとり、歩くのもままならぬからタクシーに乗って「近くて悪いけど」と行く先を言ったら、「ああ、この前、行ったところですね」と返された。

こっちは知らなくても、小さい町だからだんだん顔を覚えられてきているのだろう。

我が家は車など上に50センチ以上、庭も腰までの雪だった。事前に頼んでおいたおかげで、門から玄関まで雪かきが出来ていたので、家まで楽に入れたが、さなくば腰までの雪の中を必死に掻き分け、濡れ濡れになってやっと家に入れたというところだろう。

いやあ、とにかく落ちつけてホッとした。1週間分のパソコンの整理をし、車の屋根の雪下ろしをし、やっとさっきから折しも届いた青森シードルを飲みだして一息ついているところである。

ああ、やれやれ。そしてきれいな雪景色である。


2月11日 今日は寒そう


連日のことともいえるが、今日は最高気温で零下2度らしい。なんと明け方6時は零下13度だったそうだ。信州は涼しいなんてもんじゃない。冷えあがる。

3日前の雪がまだ外一面を白くしたままだ。朝カーテンを開けると白色世界なのはきれいでもあるが、寒そーと感じさせもする。実際寒い!


2月10日 雪解け


2日前の雪は小諸としては珍しい大雪だった。積雪たぶん25センチ、これはあまり雪自体が積もらないこのあたりとしては今年最大、いや、私がここに住み始めて以来、ひょっとしたら最大ではと思われる。

昨日は快晴だったので懐古園を散歩したが、地表も遠景もどこもおおむね真っ白だった。今日になっても雪はあまり融けていず、御近所衆の話では「当分このままでしょう」とのことだ。

しかし朝からの好天に気温もあたたか気味で、午近くには雪もだんだん融け始めている様子だ。
で、車を出し、ちょっと用足しに出たが、心配した凍結もさほどではなく、町なかに関しては何の問題もなかった。徒歩だと車の撥ねがピシャッとかかったりするから困るけど、車なら何の不自由もない。街はどうやら明るい日常を取り戻しているようである。

マンションの引き払いが近づいているので、こちらでもその受け入れ準備を始めた。場所を開け、あのボックスがここにうまく入るかどうかなどとサイズを測ったり、やることがいろいろある。老体はくたびれる。


2月9日 今朝は晴れた


北の浅間山方向は暗い曇天のままだが、南・西は澄んだ青空になっている。明るいし、気分も晴れる。積もった雪はきれいだが、降っている間はやはり重苦しい気分になる。

これでたぶん今回の雪は終りだが、あとが心配だ。凍結が当分続くのではないか。滑って転ぶと老人は骨折しやすい。車だってスリップする。今日は早朝から除雪車が鈍い音を立てて往復していたが、道は完全ではない。

しかし樹上の雪はきれいだ。約20センチ平均だが、場所や向き、枝の太さによって積雪(着雪というのかしら?)量が違う。玄関前だけは足で除雪しておいたが、凍ったらかえって危ない気もするし、はてどうすべきか。雪国ではないから、雪への対処法に疎い。


2月8日 大雪か


「か」をつけたのはまだ降り続いているからだ。朝起きたら降っていたが、以降ずっと降りつづけ、今は12,3センチ、所により15センチだ。

小諸は寒いが雪はめったに降らない地だから、珍しい。さっき入った情報では、高速道路が不通のため一般道の18号線に殺到し、大渋滞、小諸では珍しく警官が出動して整理中 だとか。

この勢いだと積雪25センチくらいまでいくかもしれない。むろん外出なぞ不可能。冷蔵庫を探してつまみを見つけ、雪見酒でもやるか。


2月6日 連日、引っ越し準備


まもなくマンションを引き払うので、先週くらいからずっとかたづけ・整理に追われている。

一番難物はなんといっても本で、書斎いっぱいの本をどうするか、眺めては思案投げ首、一度は9割を廃棄していこうと考えたり、古本屋を呼んで出来るだけ引き取ってもらおうと考えたり、やはり気になる本だけはなるべく小諸へ送ろうと思い直したり、しかしその仕分けが要するに難物、とどうどうめぐりだ。

持っていきたいのは山々だけど、結局読むわけではない、過去の自分を周りの書棚において、その本とおのれの関係、ひいては当時の自分の状態・考えと対面する、過去の知識を蘇らせる、といった効果の方が大きいだろう。蔵書とはそういうものという気がする。

さて、どうするか。仕分けの労力、重い本の運搬、経費、向うでの保存場所、整理にかかる労力、と問題多々、困ったものだ……。うーん。


2月4日 寒い東京界隈、みぞれ、引っ越し準備


節分も過ぎ、立春となったが、寒い一日だ。午後しばらくはみぞれ模様だった。いつ雪に変るかという感じである。

関東地方の天候としては2月が一番寒く、春は3月下旬からというのが相場だから、例年通りではあるのだが、昨日がやけに暖かかったから、戸惑う。昨日との温度差14度とかだ。

マンションを引き上げる引っ越し準備を少しづつしている。20年以上住んだ場となると、広からぬマンションでも、あるわ、あるわ、次から次にものが現れ、それらがそれぞれ相応の思い出があるものばかりだから、簡単には行かない。

歳をとっての引っ越しはするものではない、という言い方があるそうだが、まさにその通り。70歳を過ぎると、体もきかなくなるし、気もパッとは動かなくなる。もたもたと草臥れていく。

ああ、誰か、スパっとやってくれないかしら。


1月29日 志木市へ来る


丸3日ぶりの日記だ。私としては間がこのくらい空くのは珍しい方である。

で、いったいこの間何をしていたのかと考えてみると、要するにホームページを新しいプロバイダーに移転させようと四苦八苦していたのである。小諸市で加入した新しいプロバイダーには新しい住所(アドレス)もすでに用意したのだが、そこへ従来のホームページを移転させるのが、寸前までは進行するのに、最後のところで何かうまくいかず立ち止まってしまうのだ。

さほど難しいこととも思えぬのだが、このまま進行させるとひょっとして全く間違えやしないかと急に不安になり、停まってしまうのだ。その時ちょっとアドバイスをしてくれる人がいればいいのだが、それが近くにいない。遠くにはいるのだが、わざわざ遠距離電話で聞くのは忙しそうな相手に悪い気がする。相手も面倒そうな様子のように思える。

というわけで躊躇っているうちに時間ばかり経つ、というわけだ。
で、結局、小諸ではホームページが移動できぬまま、今日、引っ越し準備に志木市へ来てしまった。こっちへ来れば、具体的にやる引っ越し準備が山ほどある。ホームページの引っ越しどころではない感じになる。

うーむ、結局、またあと回しかな、というところだ。
その点、このmixiはいい。ただ書いていけば済む。普及するわけだ。ついでにもう倍くらい普及してくれると、わざわざホームページを作らなくてもいいのだがとも思える。


1月26日 タクシー運営、スポーツ施設、遊園地、スキー場……


ほかにも遊泳場など、多角経営の主は、今朝の朝日新聞によると、なんと金正恩氏だそうだ。社会主義を標榜する国の独裁権力者がそれらの利権者であること自体、なんとも理解しがたいことだが、ほかにも国家的資産である無煙炭の輸出利権を政府の一部局が握っていたなどという話を聞くと、いったいどういう「国家」なのだと不可解な気分になる。

一方で、市民生活は物価高で電力不足だそうだから、いったい社会主義とか共産主義の理念はどこにあるのかと寂しい気持になる。もう何十年も前からそういうものに幻想は持たなくなっているものの、しかしそこには出発点としての平等・共生という理想や理念があったはずとの思いも全部消えさったわけではない。

ソ連は崩壊し、中国も実質資本主義化して久しく、キューバはどうなったかろくに情報もないなかで、北朝鮮だけが孤高のごとく見えたりする面もあるけれど、実態は要するに国と国民は貧しく孤独で、権力者や支配官僚は独善なだけなのかもしれない。

遠くの安全地帯からの批判はあまり意味もなかろうが、しかし北朝鮮の多くの国民はたまらないだろう、日々の生活自体がつらかろうと、同情を禁じ得ない。

どこかから、何かのきっかけで、変革が起っていかないかと、ただ祈るのみである。


1月24日 小諸へ帰還


といってもたった2日前に出ていったのだから、要するに2日を経て帰ったきただけなのだが、いささか大仰に感慨じみたものを感じるのは、今後もう東京方面へ出かけていかなければならぬ義務がなくなったからだ。

つまり、大学関係の仕事が今月をもって全部終了したため、もう毎週何曜日に出かけねばならぬとか、何日は入試業務だとか、そういう「義務」がなくなったのである。

これはやっぱり大きい。今まではなんといっても仕事の場は東京界隈、よって週の半分はあっち方面へ出かける、のが約束事だったのに、もうその必要が一切なくなったのだ。

さっぱりしたし、解放感もあるが、一方、一抹の寂しさもあるのが事実だ。私は本業は作家で、したがって主たる仕事場は自宅の書斎であるとずっと思ってきたが、しかし現実には毎週3日くらいは東京界隈の大学へ教えに行くのも仕事だった。

社会的にはむしろそっちの方がメインだったともいえる。私の周辺でも私のことを「作家」というより「大学の先生」と思ってきた人が多かろうという気もする。稼ぎの額に関してもその通りで、世の中というのは、「どういう仕事でメシを食べているか」で測るのが一番端的かつ合理的な考えともいえよう。

代りに作家はろくに収入がなくても、昔からそう名乗る人、そうみなされる人はかなりいた。純文学の場合なぞは「貧乏作家」は半ば常識、あるいはろくに食えないもの、と思われてきたし、20年30年書かなくとも作家は作家、と見做されてきたところがある。

私の場合も自分自身そうだったし、身近な人たちの多くもそう思っているようだ。実際、書こうという気は常にあったし、最近はいよいよ書くぞという思いを強めだしている。

小諸はそういう私の定まった「書斎」の場であり、義務のない自由な空間である。東京界隈からの道中、もう何曜日出校といった予定のない手帳のカレンダーを見ながら、私はいよいよ「小諸へ帰還」だ、私の場、書く場への帰還だ、そう思っていたのである。


1月23日 22年間の終了


昨日ですべての授業終了。これでもう大学へは行かないことになる。22年間の教師生活だった。いささか感慨あり。


1月20日 曇天、歯医者終る


こういう日は、ゆっくり温泉にでもつかるのがよさそうだ。
布施温泉にするか、もっと近場にするか。
連れ合いとゆっくり相談しよう。


1月18日 東京で久しぶりにだいぶ飲んだが……


もう2日前のことだが、教師仲間のYさんと池袋で飲んだ。10数年間教授会で隣に座りつづけてくれた彼とは、出身校・出身学科も同じだったせいで、気心も通じていた。

先月から私は定年で教授会にも出なくなったし、授業も今月限りで終り、あと1回で大学自体へ行かなくなる。で、記念に二人だけで飲もうというわけだった。

行った店は以前一度だけ彼と訪れたことがあるというのだが、私は全く記憶がなかった。私が専任教員になってしばらくのことだというから、かれこれ10数年前になるのかもしれない。彼はそういうことをよく覚えている。

そこの奥まった席で飲み始めた。酒は最初のグラスビール1杯を除けばずっと日本酒の燗酒だ。二合徳利から始め、話も弾んだ。次々にお代りを重ね、二合徳利が四本分、ついで一合徳利にかえてからまた二本。徳利の中身は必ずしも正確ではなかろうが、しかしまあ建前としては、二合×4プラス一合×2で、計1升となる。

単純に半分づつとしても、一人五合だ。まあ少し差っぴいて一人四合強だろう。私としては普段の倍量である。

ところが、私は快適に飲んでいき、少しも酔った印象がなかった。翌日、彼からメールが来、朝ブジに起きられましたか、と問われたが、ブジもブジ、全くさわやかなものだった。

飲んで喋りの、いい酒だったのだろう。こういう相手は本当に得難いものだ。そういう同僚がいたありがたさを感じた。


1月16日 東京も寒い


寒い話ばかりで恐縮だが、昨日大宮駅で降りたら「寒い!」と感じて毛糸の帽子をかぶり、、曇り空の武蔵浦和のホームでは、マフラーを巻いた。所沢校舎へ行ったらまさに「冬の校舎」、がらんとして陽もなく寒々しかった。

でも、夕5時ごろマンションに入ったら、あまり寒く感じなかったのは、要するにすぐワインを飲みだしたせいか。近くに住む親戚筋のTさんがくれた山ぶどうの自家製ワインだから、味が実に濃い。

今朝は一転、実に明るい陽光で、窓越しの日差しは暖かい。さっそく布団を屋内に干した。これから来月の引っ越しのための、不要品選り分け準備に入るが、気が重い。引っ越しは一大作業だ。


1月14日 今日明日とも終日零下の予報


今日は最高気温が零下4度だそうな。寒いなあ。

が、代りに浅間連峰は変化に富んできれいだ。まず浅間岳のすぐ左手下や三方が峰は白い雲で覆われ、それらがゆっくり東方向へ流れていくので、景色が刻々と変る。

峰部が見えなくなったり、いつの間にか覗いていたり、中腹部も樹氷で白くなっていたり、そうでもなかったり。あ、今は浅間岳本峰がほんのしばらく全部見えなくなったと思ったら、また見えだした。雲の下はたぶん雪だろう。

庭には小鳥が目立つ。白い腹に黒い頭、あるいは頭だけ赤い小型の鳥。連れ合いが木の幹にくっつけておいた肉の脂身などの餌もすぐ見つけて食べる。地面なぞもつついているから、小さな生物を見つけているのだろうか。

空の青さが美しい。


1月12日 やっぱり小諸は寒い


まる4日ぶりに小諸駅へ降り立ったら、ピリッと寒かった。
天気はいいのにこういうふうに感じるのは、ほんとに空気自体が冷えているのだ。代りに、駅前から見える浅間連峰は峰部のみならず中腹の森林部分まで樹氷で白く、きれい、かつ冷たそうである。

街での用もちょっとあったのだが、家の反対方向に行く気になれず、そのまま懐古園を通って家へ急いだ。道が所々凍っているので、よく見ながら歩かないとすべりそうな不安がある。

夏場は緑でうずまる懐古園の谷も途中の道も、そして我が家も、みな枯れ木ばかりでやけに見通しがよく、たぶんに寒々しい。

が、家の中は床下暖房のせいでふわっと暖かく、入ってしまえば秋ごろと同じ服装でいられる。溜った新聞や郵便物に目を通し、熱い釜揚げうどんで昼食をとり、少し昼寝をした。

そのあと、できれば庭仕事なぞをしたかったが、さすがに体がまだ外気になれぬので、屋外には出ずにいる。温泉にも行きたいが、連休中で混んでいそうなので、これも諦める。厳寒期はなかなか思うにまかせない。


1月7日 零下8度かな


まだ外へ出ていないが、朝6時発表の温度表によると、いま零下8度くらいのようだ。これくらいだと、新聞を門までとりに行くのもためらわれる。まあ9時ごろ待ってからにするか、といった意識が働くのだ。

でも、朝日が明るくさしてきて、白馬連峰も浅間連峰も美しい。浅間連峰はどういうわけか峰部を除いては雪がないみたいだ。夜中がさほど冷えなかったのだろうか。

このごろゲラ(キツツキ)や小鳥類が多く現れる。鳥が増えたというより、たぶん野山に餌がすくなくなったので、庭の木の表皮の下にいる虫類を食べに来るようになったのだろう。それでコツコツ、コツコツと音を立てついばむ。冬らしいいい音に聞える。


1月5日 今日は終日零下の予報


寒の入りだそうで、その通り寒くなった。
明日はもっとらしく、明け方は零下10度だそうな。おお、ブルブルっ!

窓ガラスの下部に水滴がびっしり付いている。そこに光があたってきれいだ。浅間は雲に覆われている。


1月4日 また小雪


薄い小雪がちらちら降ってきた。積もるとは思えないが、空はどんより曇ったままなので、このまま少しづつ薄化粧していくのかもしれない。
浅間連峰がまるで見えないのがさみしい。

今日は庭仕事も少ししたかったのだが、無理かもしれない。風邪をひかぬよう、家の中にじっとしているか。


1月2日 初雪です


外は真っ白できれいなものです。こういうときは写真を載せたくなります。今年はこのホームページに写真も時々使おうかと考え始めました。技術的に自信が出来たら実行しますので、しばらくお待ちを。


1月1日 皆さん、新年おめでとうございます


すでに元旦の挨拶は一度書いたのですが、どういうわけ新年早々、パソコンが不調のようなので、
もう一度書きます。
本年もどうかよろしくお願いします。