お知らせ (*日記はこの欄の下方にあります)
『季刊文科』(鳥影社刊)53号より短篇連作「信州アカシア林住期」を開始 http://www.choeisha.com/bunka.html
53号(2011年8月、本体1,000円) 「信州アカシア林住期」
54号(2011年11月、本体1,000円) 「信州アカシア林住期その二 夏の転変」
55号(2012年2月、本体1,000円) 「逆接のウズベキスタン」(信州アカシア林住期 その三)
56号(2012年5月、本体1,000円) 「真冬の散歩者たち」(信州アカシア林住期 その四)
58号(2012年11月、本体1,000円) 「シークレット・ズー」(信州アカシア林住期 その五)
59号(2013年4月、本体1,000円) 「小諸の道」(信州アカシア林住期 その六)
大手書店、アマゾンなどのネット書店にて発売中。鳥影社から直接購読も可。
『オキナワ 大神の声』(飛鳥新社刊 2200円+税)
7年来毎年訪ねていた琉球弧列島を舞台に、喜界島から与那国島まで八百数十キロを歩いてゆく短篇連作集。
一昨年、いろんな推移の中で三ヵ月ほど日本の全原発五十四基が停止したことがある。現在は大飯原発が稼動しているほか、安倍首相は「今後新たな原発建設も指向する」と言い出している。原発ゼロは早くも夢のかなたというのだろうか。情けないことである。 私は現在と未来の人類のために、原発が少しでもなくなっていくことを望む。
2014年4月1日 作家・元日大芸術学部教授 夫馬 基彦
日記
6月30日 今日で今年の半分が終り
早いものだが、こんなものかもという気もする。 曇り空で浅間連峰の影も見えず。長野行きのしなの鉄道の音と小鳥の声が聞える。 夏椿の白い花が少し増えた。散ったものもある。 8月に母が98歳になる。 早死にした兄のことがこのごろ思い浮ぶ。確か58歳だった。
6月29日 高原美術館の若い女性の絵
小諸市は我が家の近くの小山敬三美術館のほか、少し離れた丘の上に市立高原美術館がある。
その美術館に久々に出かけた。母袋なにがしという人の企画展だったのだが、何か考えているらしい雰囲気は伝わるが、作品としてはどうも観念的であまり面白くない。で、隣室でやっている小諸出身の日本画家白鳥映雪の常設展の方へ足を向けた。すると、常設だから当然これまでにも入ったことがあるはずなのに、見たことがない作がある気がした。
映雪の作品は全部で三百数十点所蔵されているそうだから、展示替えをしたのかもしれない。そのせいか印象が新たで、殊に若い女性を描いた何作かが目を引いた。上半身裸の図から和服姿、夏のワンピース姿など、いくつかあり、どれも若い女性の良さが出て、なかなか惹きつける。
この作者、「若い女性」が好きだなと思って、年譜を見ると、描いたのは68歳ごろらしい。なるほどと思った。私自身、これらの絵を見ていて、若い女性の良さ、魅力というものを素直に感じたし、私の感じる良さと画家の感じた良さに近しいものがある気がする。私は70歳だから、つまり老人的感性が似ていると思えるのだ。
色気とか、あるいは逆に清純さというものとも違って、まさに16,7歳くらいの年令の乙女の良さ、若さ、というものそれ自体が描かれている感があった。 そうか、自分も白鳥さんも似たものを感じているな、そういう年齢だなと思った。
6月27日 明け方の狐たちの踊り
今朝4時半ごろ、連れ合いが窓の外を見たら、向うの草はらで子狐が3匹、楽しげにぴょんぴょん踊っていたそうだ。私も以前見たことがあるから、そのさまはすぐ目に浮ぶ。あれは本当に楽しそうだ。
まだ人間はもちろん、他の動物たちも現れない時間帯だから、狐たちの独擅場なのだろう。でも、つい10日か2週間ほど前、下の森で子狐が1匹、檻にかかったそうだ。そのあと、2,3日、母親狐が午前のかなり遅い時間まで草はらに現れ、「グエッ、グエッ」と悲痛な声でないていた。
かわいそうであった。
6月25日 アカシアの枝打ち
我が家の敷地にはアカシアの木が多いことは何回か書いたが、この木はまた伸びが早い。今年の葉が出てからまだ1カ月少々だと思うのに、枝はどんどん伸び、寝室の窓外は窓枠にくっつきそうな枝が2,3本もある。
で、それを伐った。脚立をたて、その上に乗ってのこぎりを使うから、一人では危ない。連れ合いに頼んで脚立を押さえてもらった。
木自体は柔らかいから、すぐ伐れる。問題は季節がら花のあとに実が出来かかっていることで、なるべくそれらを生かしてやりたいが、なかなかそうもいかない。で、バッサリ伐ったりしつつ、ごめんなと心でつぶやく。
人間だといくらなんでもこういうことは出来まい。息子が勝手なことをするからといって、お前、もういい、とか言ってバッサリ伐ったり捨てたりは出来ない。世の親たち、それぞれどう思って子を育てたか。
私は娘一人だが、彼女が早く結婚したせいもあって、なんだか少々物足りなかった。来月には久しぶりに会いに行こうと思っている。
6月22日 いよいよ本格的な
梅雨である。夜中からずっと降りつづけ、朝の明るさはない。木々の緑はまさにみずみずしい。隣家の姫沙羅(夏椿)の白い花がうつ向き気味だ。2階北窓からの視界がだんだん緑で覆われつつある。まだわずかに隣隣家の屋根と壁が見えているが、もうじきそれも見えなくなるのでは。
西窓のアカシアの枝は、もう少しで手に触れそうだ。花穂はもうとっくに散っている。
ああ、雨が降り続いている。出かける予定は全くないのに、これじゃあ出かけられないじゃないかと呟いている。
6月20日 桑の枝を伐る
今朝、知り合いのSさんに来てもらい、我が家から道路の上方にはみ出た桑の枝を伐ってもらった。太枝の根元から伐る手もあったが、そうするとあまりに切り過ぎ感があり、リビングからも外が丸見えになりすぎるので、低めの位置で路上に出ている部分になるべく限定した。
結果は丁度よかったと思う。毎朝掃除せねばならぬほど落ちていた桑の実はこれで7割がたは減ると思うし、リビングからの眺めは刈り込み過ぎというほどにはならずに済んだ。伐った枝類はSさんが軽トラックに積んで引き取ってくれた。自分ちの畑で燃やすそうだ。
樹木が多いのは緑がきれいだし、夏は涼しくていいけれど、管理・手入れはなかなか大変だ。私の家はもともと自然林だった一角に家を建てたから、通常の庭的手入れは必要ないけど(つまり出来るだけ自然状態のままにする方針だ)、でも、道路際などは相応の手入れがないと、背の高い大きなトラックが通ったりする際、支障が出る可能性がある。
さあ、これで毎朝の桑の実そうじはせずに済むかしら。
6月19日 桑の実そうじ
我が家には大きな桑の木が何本もあり、今頃の季節には実をいっぱいつける。実は甘くてうまいのもあり、さほどでもないものもあり、まあさまざま。塀際の木の実はなかなかうまいので、季節到来の当初は待ちかねてつまんだりする。
が、手の届くところは少ないせいと、頃合いの熟し加減のがいつもあるわけではないので、2,3回食べると、あとはそのままになることが多い。 塀際の木の実は、コンクリートの路上に落ち、車に轢かれて、かなり道を汚しもする。
で、私は毎朝、路上を掃除することになる。いっそ誰かがみんな採取していってくれぬかと思ったりするが(実際、庭にいる時なぞ、時折、これ、桑の実ですか、うまそうですね、と声がかかったりする)、やっぱり脚立でもない限りうまくは採れない。
で、結局、道に落ち放題となり、せっせとそうじ、となる。もったいような、これも季節の風情のような、微妙な気分である。
6月18日 珍しく3日も間が空いてしまった
筋トレ教室があったり、虚子記念館へ行く用が出来たり(連句教室を開けそうな部屋があるか否かの下見)、私としてはちょっと忙しかったからだ。
虚子記念館長に案内してもらって初めて知ったのだが、近くに「俳小屋」なるものまであり、いかにも句会にふさわしそうな施設で、さすがに藤村、虚子ゆかりの小諸だと感じた。いいなと思ったが、駅からだいぶ遠いのが難点。車ならいいが、連句は1回4,5時間の長丁場で、その場でのアドリブ作句が身上だから、途中ちびちびと酒類を酌み交わしたりもする。車はまず無理だ。
というわけで、北国街道の町屋館の方がいいかと考えたり、いささか思案投げ首。まあ、まだほんとに連句会を開くと決めたわけでもないし、第一、会員が集まるかどうかも全く見当がつかない。前に埼玉県や東京でやっていた時は、そういうことを具体的に設定してくれる幹事役の人がいて、私は宗匠役として指定された時間に出向くだけでよかったので、至極ラクだった。
それを自分でやるとなると、正直億劫な気がしてくる。はて、どうするか……。
6月15日 6.15 懐かしい日付だ
かつて国会をデモ隊がとりまいた日、全学連の先頭にいた女子大生樺美智子さんが圧死した日。
私なぞはそう思い出すが、今の若い人はどうなのだろう。樺さんの名なぞそもそも知りもしないし、反政府デモなどというものも全く理解の外だろう。
世の中は変ったものだし、世の中とか時代というものはそういうものなのだろう。あの頃は世の中を変えよう、新しい時代にしよう、なぞと恋を語るがごとくに言ったものだが、思い通りにはむろんならず、しかし今見渡せば世の中も時代もまるで変っている。
虚しいような、アホらしいような、苦笑するような、しかし至極当然のような気のする今日6月15日である。
6月14日 下駄についた雪
安倍首相は、他国の戦争に同盟国が参戦していたら日本も自衛隊を派兵する(つまり参戦する)、みたいな発言をしたが、その「他国」がたとえ朝鮮半島に限定されるにせよ、従来の憲法解釈からは明らかに憲法違反である。
それだけでも驚きだが、それを公明党も容認する、となると、この党は「下駄についた雪」というより「ただ与党でいたいだけのケチな利権政党」なのだろう。情けない。
6月13日 久々の青空
今朝は気持のいいほど青い空だ。浅間連峰の峰部には少し雲がかかっているが、それも風向きからいって間もなく晴れそう。何日ぶりかの完全晴天だ。
外ではうぐいすと鳩の鳴き声がする。うぐいすは「クー、クー、クク」、鳩は「グーグーグー」といった感じ。「チュチュコイ、チュチュコイ」は小綬鶏かしら?
室温26度、外気温は2度くらい下だろう。
6月11日 だんだん梅雨っぽく……
暦というものはなかなか確かなもので、「梅雨入り宣言」が出たと思ったら、日に日に梅雨らしくなってきた。
といっても小諸佐久界隈は晴天率日本一地帯だからか、あまり雨量は多くない気もするが、しかし今朝も曇天で、今にも降りそうな気もする。浅間の稜線はくっきりしているから、降らないかもしれないが、しかしまあ、日も照らないような気がする。
風は強くなってきた。気圧の変動がかなりあるのだろう。
6月10日 「歳はとりたくない」という口癖
このごろ何かにつけ、表題のような言を口にしているらしい。らしい、というのは自覚があまりないというか、せいぜい頭の中で呟いているだけで実際に口にはしていないと思っているからだ。
が、どうやら時々心の中のつぶやきが現実のつぶやきになって、外へ漏れているらしい。連れ合いから「何をぶつぶつ言ってるの」なぞと叱責される。
実際、歳はおのれでは何ともいたしがたいもので、黙っているうちにとっていくものだから、いちいち口にしても詮方ないものであろう。
なのに、つい出てしまうのは、詮方ないからこそ悔しく、いらだたしいからに違いない。このごろ何かの折にふとそう感じることがある。それに何かのあとにちょっと口にするには格好の言葉だという気もする。
体力が落ちたなと感じるときはもちろん、ふと物忘れに気づいたり、なすべきことが億劫に感じられたりしたとき、思わず口に出たりするのである。 いわば、ちょっとした呪文じみた効用もあるのか、「ああ、歳はとりたくない、歳はとりたくない」と繰り返したりすると、物忘れや失敗感から逃れられる気がするのだ。
などと言っていると、若いころ、初老の人がしばしばそうつぶやいたことを思い出し、ああ、自分も同じ道を歩んでるな、と苦笑したりする。人間というものはあまり変わり映えのしないものだ。
6月8日 さくらんぼと桑の実
庭に桑の大木が3本、若木が2本ある。どれも今頃になると実をぎっしりつけ、ぽたぽたと落とす。一番たくさん落とすリビング前の木は、見ばはうまそうだが甘みが足らずあまりうまくない。
向うの塀際の実は甘くてうまいが、残念なことに枝がだいぶ高い所にあり、簡単に採れない。いちいち長い棒や農具なぞを持ち出すのも面倒だから、ほんの1,2個を食べるだけで、放置することになる。
さくらんぼは低い位置にも枝があるから採りやすいが、味はあまりよくない。いくぶん甘みはあるがそれ以上に苦みが強い。
よって、どちらもぎっしり実がつくのを見ながら、眺めるだけとなる。いや、鳥はだいぶ食べているみたいだから、元来が彼らのものなのだろう。彼らなら食べた後の種をかなりあちこちに広げるだろうから。
それにしても木はこれだけ実をつけながら、一体何本の子孫を残すのだろう。何百個の実から1本か2本……。いや、子木は見つけるとたいてい刈ってしまうから、ほとんど子孫は残らない。思えば人間は残酷なことをしている。が、刈らずに放置しても、何年も生き延びるのは何本もあるまい。人間以外に鳥や虫などの敵もいるから。渡る世間は植物にとっても難物だ。
6月7日 寒い梅雨
今日は梅雨入り3日目になるのか。夜中にも予報ほど雨は多くは降らなかった気がするが、気温は朝から寒いくらいだ。雨がいつ降り出してもおかしくないくらいに、あたりは暗く、浅間連峰ももちろん見えない。
東京界隈にいた時は梅雨はもっと蒸し暑い感があった気がするが、信州ではこんなもんだったかしら? 不思議なもので天候というのは去年のことでもディテールはすっかり忘れている。
このごろは尾崎一雄の『ミツバチが降る』や『蜂と老人』をゆっくり読んでいる。周りに蜂がいっぱいいるせいもあってのことだ。おかげで、だんだん自分が筆者のような気がしてくる。出てくる場所が早稲田の穴八幡界隈だったり、神奈川県の田舎だったりするのも親近感を増す要因かもしれない。
話は飛ぶが、愛知の田舎の母はどうしているだろう? この8月で98歳になるはずだ。息子である私も70歳を越したから、もうあまり長生きしてくれるなと思うが、当人だって困っているんじゃなかろうか。
6月6日 梅雨入りか
きのう、テレビニュースで関東まで梅雨入りの報道をしていた。その際、甲信越もみたいに言われていたが、はて?と疑問に感じていた。信州に関してはちょっと早すぎる感がしたからだ。
が、今朝からぱらつきだし、さっきからはかなり降った。確かに梅雨入りだと納得した次第。
その降りだす前、庭の桜の木になったサクランボを小笊にとって、食べた。やや苦いが、多少の甘みもあり、ちゃんと食べられる。横には桑の実もあるが、ほんのちょっと手が届かない。なんとか2個ほど採って口に入れたら、これも野性味があってうまかった。沢山採れないのがいいのかもしれない。
小雨のせいで、浅間六峰の峰部がかすんでいる。だんだん晴れていくか、雲が濃くなっていくかで、天候の予測がつくのだが、今のところ五分五分の感じ。さて、どうなるか。
6月5日 じゃがいもとピーナッツ
いま、近所の畑を見に行ったら、私が種イモを植えたじゃがいもと、種まきをした落花生が、ちゃんと芽を出していた。というか、じゃがいもはもうふさふさと繁って紫の花を咲かせていた。この調子なら夏には新じゃがとピーナッツが食べられそうだ。
普段ほとんど連れ合いにまかせっきりにしていたが、こうなると先が楽しみで、ちょくちょく畑へ通うことになりそうだ。新じゃがもうまいし、掘りたての落花生もうまい。ああ、唾がわく。
6月4日 だんだん緑が
濃くなってくる。ここら信州では、まだつい先だって新緑になったばかりの印象があるのだが、緑の深まりは実に早い。葉は色も、伸びも、どんどん進行し、今や大人の(?)緑一面である。 遠景ではもう黒っぽく見える斜面林さえある。
自然は毎日待たずに進行というか、成長が進んでいく。いや、花もすでに終ったのだから、あとは実がなるだけか。葉としてはしばらく2か月ほど光合成活動を続け、やがて秋に向っていくのだろう。先を読み過ぎる言い方かもしれぬが、日々の変化を見ていると、自然の動きの確実さ、速さに、改めて気付かざるを得ない。
地面はアカシアの花のちょっと枯れた花弁で半ば白い。 今日は風がつよそうで、木々がゆらゆら揺れている。曇天の空はひょっとしたら雨に転ずるかもしれない。
6月2日 冷房装置のない我が家
今日はひるごろからだいぶ暑い。午後3時の今は外気温27度、室温は2階の書斎に関しては30度を記録している。むろん今年初の暑さだ。
で、「冷房つけようか」と連れ合いに言って「そんなものないじゃないの」と言われ、あ、そうか、と思った。我が家は数年前建てた時から冷房装置は備えなかったのだ。どうしようかだいぶ迷ったのだが、それまでいた埼玉南部や東京の暑さと比べると、ここらの気温は「涼しい」としか感じなかったからである。
それには家の建築法が外壁の厚さ40センチ以上の外断熱方式ということもあるが、屋内は冬は暖かく夏は涼しい作りなのだ。おかげで、夏もほんとに暑いのは真夏の1週間程度だけで、それさえ我慢すれば冷房なぞ要らない、というのが夫婦そろっての見解だった。
が、ここでの生活も5年を経て慣れてきたせいか、あるいは気のせいか少しづつ信州も温暖化傾向にあるみたいで(実際、真冬の寒さも昔ほどじゃないと連れ合いなぞは言う)、夏は結構暑く感じるようになった。
で、「冷房云々」の発言となった次第だが、さて、どうするか。入れるにしても2階の1室だけとするか、それならいっそないままで行くか、やはり腕組思案だ。うーむ。
続6月1日 狐現る
我が家の西北側はかなり広い草はらで、その先は特に西側が斜面林から森になっている。 その西側から時折獣類が現れる。今朝は狐だった。私は一瞬見損ねたのだが、連れ合いによると親子狐がピョンピョンと跳ねていったそうだ。
連れ合いの畑に昨日あたりから動物の足跡がついていたそうだから、鹿かなと思っていたのだが、狐だったわけだ。色が似ているし、体格もこのあたりの鹿は小ぶりなので、遠目には見間違うことがある。
狐は肉食を主とした雑食だそうだから、はて、何を食べるのか。うさぎとか鼬(いたち)、白眉芯なぞだろうか。想像すると、あまりいい動物と思えなくなる。やはり草食系がいいと思ってしまう。それにしてもこの界隈はそんなに動物がいるとも思えないから、草食がメインの雑食だろうか。あるいは野ねずみや白眉芯の類が想像以上に多く、人間の目につかぬところで相当の生存競争が繰り広げられているのかもしれない。面白いような、恐ろしいような……。
6月1日 ついに6月
と言っても、別に格別の何かがあるわけじゃないけど、時はどんどん過ぎゆくなあ、といったところ。 表の真っ白だったアカシアの花も全体に薄茶色っぽくなり、花びらがひらひら降りつづけている。あと3日たてば、たぶん大半が散り終っているのではないかしら。
代りの花は何だろうなと見まわしてみたら、我が家にも隣にも伸びやかなあやめというか、ジャーマンアイリスが満開である。この花は大きく、豪華でいい。黄色と紫、それに紫と白が混じったものの3種類だ。日本のあやめもしばらく前まで咲いていたのだが、どうも豪華さでジャーマン種に圧倒されてしまう。
5月31日 グッバイ、メイ!
5月も今日で終わりだ。ちょっとさびしい思いで、5月1日はどうしてたかなと日記を振り返ってみると、メイデーについておしゃべりしながら、いつもの久兵衛で昼食をとったことが分った。7,8人の「メーデー実行委員会」がどやどやと2階へ駆けあがっていったのだった。
それ以外はデモも人出も何もなく、静かなものだった。 5月の出来事と言えば、教え子杉浦君が訪問してくれたこと、娘が3年ぶりにウズベックから帰国したこと、「筋トレ」教室へ行き出したこと、Y内さんが日芸教師としては初めて我が家を訪問してくれたこと、だろうか。
どれも私には印象に残る出来事だった。おかげで5月がいい月だった気がしている。 来月はどうなるか。半ばからは梅雨時だが、小諸はあまり雨は降らないから、涼しい夏気分が進行するかもしれない。佐久・小諸地方は岡山県南部と並んで「晴天率日本一地帯」なのだ。
5月30日 白眉芯と穴熊は消えた
といっても、空中に消えたわけではなかろう。おそらく林業小屋内で一酸化炭素ガスによって殺処分されたのであろう。昨日夕方は農林課の車が出入りしていた。おそらく今は冷蔵保存中だろう。そのうち東京の獣医科大へ送られ、学生の解剖実験材料にされる。
ほんの2日ほどだが、何度か顔を見、だんだんおとなしくなっていく様を見ていたものとしては、いささかの哀しみがある。誰が悪いわけでもなく、しいて言えば人間が悪いのだが。 こういう場所と時代に生まれてきた彼ら自身の運命がものさびしい。
続5月28日 アカシアが降る
朝、動物のことを書いたが、植物のことを書きたくなった。 アカシアの花が、というか花びらが降りつづけているからである。数日前から満開になっているアカシアが、風で花弁を散らせているのだ。
手にとればほのかな香りのする花弁がはらはらと散っていく。枝は花弁のせいで重たげに垂れぎみだから、早く散らしたいのかもしれない。今は東風に乗って、東から西へと花びらを飛ばしている。花にはまだ蜂がまとわりついてもいるから、花房全体は当分伸びていきそうでもある。つまりその間、2,3日は花びらは降りつづけることになろう。
きれいなものだ。いや、さわやかなものだ、と言うべきか。だんだん濃くなってきたグリーンに清楚な白が似合う。散る花びらは界隈を飛び、路上や土の上に積もっていく。おかげで路上も半分ほどが白くなっている。白いアカシアの道だ。
3日前、Y内さんが来た時は花はまだ少しも散っていなかったから、この1日2日の現象には違いない。花が散る、白くはらはらと散り、道が白くうずまる。いいものだ、晩酌をやりたくなるが、さすがにまだ早い。4時半になったら始めよう。待てるかな……。
5月28日 白眉芯は唸らなくなった
今朝、林業小屋入口の白眉芯たちを見に行ったら、相変らず白眉芯4檻、穴熊(と思う。狸かもという気もちょっとあり)1檻があり、手前の2頭はこちらを見たが、何も言わず唸らず。向うの2頭はごろりと丸まって寝たきりである。
ぼつぼつあきらめの境地になってきたか、それとも要するに空腹のあまりだろうか。かわいそうなことだ。
続5月27日 白眉芯のうなり
隣の林業小屋の入口前に獣を入れた檻がいくつもある様子なので、見に行った。すると5個の小型檻があり、4個に白眉芯、1個に穴熊がいた。
白眉芯は4頭とも眉の間にきれいに白い毛が生えている。穴熊の方は体も顔も茶色で柄なし、こうして見ると白眉芯の方が見栄えがする。 もう4時半だから、今日はこのままここで一夜を明かさせるつもりか、それともまもなく農林課職員がやって来て、バタバタと処理ーつまり殺処分していくのか。
いずれにしろ、風前の命たちかと思うと、かわいそうな気がする。彼らにしては何の咎もなく、ただ生きるために果樹園や畑に出入りしただけであろう。 じっと見ていると、彼らが「ウー」と唸りだした。威嚇のつもりか、悲しみの表現か。目つきは半ば獰猛そうだが、悲しげにも見える。
殺すのは一酸化炭素ガスで、1頭当たり3分づつのはずである。
ああ、あわれ。だが、救けるすべもない。人間は勝手な動物である。
5月27日 蜂のうなり
さっき庭へ出たら頭上で「ブーン」という唸りがする。おやと思いつつ少し歩き回ったが、どこへ動いてもそうで、相当の音だ。
で、じっと眼を凝らすと、頭上のアカシアの花のあたりに蜂が何匹も目につく。蜂は花の白い房から顔を出したり隠れたりするから、つまりは花のなかで蜜を吸っているのに違いない。
その音がかくもブーンと響き続けるということは、蜂の数が相当量いるに違いない。目に見えるのは数匹だが、それくらいでこの音にはなるまいから、ひょっとしたら数十匹いるのではないか。それが大多数は花のなかに入って飛びながら蜜を吸っている。いや、蜜を吸う時は花房なぞに止まっているのかしら?
どうも飛びながら、そのまま位置をほぼ移動せず、つまり外見的には止まったような形で、蜜を吸ったり離したりしているのではないか。だから「ブーン」という音がし続ける気がする。 大したエネルギーだし、それだけうまい蜜の量も多いということだろう。
この音を聞いていると、いかにも生命活動盛んな初夏の林、と感じられる。花も盛ん、蜜も多く、蜂も集まり、腹いっぱい甘い蜜を吸い、花粉を媒介し、受精させる。今、窓外の一番近い枝の花房だけでも3匹の蜂が夢中で動き回っている。
人間はあんなふうに一日中食べ続けるわけにはいかない。食事時間を決め、あとは働く時間、読書の時間、なぞと区分けするのだが、しかしそれもある意味では食を得るための分業時間なのかもしれない。
花の時期は食の時間であり、生殖の時間だ。あからさまなものだ。
5月26日 Y内さん来る
一昨日、日芸時代の同僚だったY内教授が小諸へ来てくれた。研究旅行の途次とのことだったが、わざわざ我が家近くのキャッスルホテルに1泊してくれたので、その晩は街の私の常連店へ案内し、翌日午前は家まで来てもらった。
大学をやめてからまだいくばくもたたないけれど、なんだか懐かしかった。彼は教授会で長年、私の隣に座っていてくれたが、今は私の席だった場所に座り、隣に彼の弟子筋にあたる若手女性教師を座らせているそうだ。なかなかやる。
一夕酒を共にし、あれこれ学校の話などを聞いた。来月は学部長選挙だそうだ。私は全く知らなかったことに自分で驚いた。三月まで形式的には非常勤として在籍していたが、学校に行っていたのは一月までだし、専任は十二月で終えていたから、まだ話題になっていなかったか、あるいは私の関心が全くその方向に向いていなかったのだろう。
自然林に囲まれた我が家の敷地を見てもあまり驚かないから、聞いてみると彼の田舎の実家も三百坪ほどの敷地があり、庭に畑があるそうだった。青森県なのだが、そこのお母さんのために彼は毎月一回通ってているそうだ。えらいものだ。私なぞ愛知の母親のところへもう二,三年行っていない気がする。
彼は翌日、駅近くの土産物屋でお母さん用の土産まで買っていた。あとで送るのだそうだ。親孝行の見本なり!
5月24日 アカシアの花が真っ白に
庭中に咲いている。高さ20メートルくらいのものからまだ丈の低い若木まで全部で16,7本あるから、遠目に見ても中から見てもまさにアカシア屋敷だ。
2階の書斎からは西窓のすぐ間近まで枝が伸びて、かすかに揺れている。窓を開ければほのかに香るが、開け放しておくには小諸はまだ寒い。
今頃の花穂は、好きな人はてんぷらにするそうだが、我が家はてんぷら自体を作らないので、さっと湯がいてサラダにする。食べごろは丁度今だろう。2,3日遅れるともうかたくなる。お隣のAさん宅はてんぷらにするそうだ。
きのう、庭の切り株テーブル周りに野外用の椅子を置いたので、ちょっと腰かけてみたりする。すぐ前の桃の木に小さな実がぎっしりついている。摘果が必要だろうとだいぶ実をとったが、まだ数え切れないほどある。でも、多少なりとも食べられるようになるのはほんの数個だろう。それが楽しみである。
5月23日 庭に椅子を出す
冬の間屋根裏にしまっていた椅子2脚を、そうだ、もう外に出す時だ、と気づいてそうした。鉄とプラスティック網でできたものだから、元来が雨風に耐える野天用のものなのだ。
去年と同じ桃の木脇に置くと、ああ、夏だ、と感じさせる。真夏は暑すぎるから今頃の初夏が一番適切な季節かもしれない。夕方になったら、そこで茶を飲もう。いや、いっそワインなぞの方がいいかな。よーし、そうしよう。
5月22日 寒い……
朝7時半に散歩に出、そのまま街の喫茶店で紅茶を飲み、8時半に出てきた。と、寒く感じた。 陽が照っていなかったからだろうが、それにしても5月下旬で寒いというのはやはり小諸である。東京界隈(埼玉を含む)ではありえない。
代りに新緑が本当にきれいだ。そこにアカシアの花や懐古園では藤やつつじの花が満開である。きれいなものだ。
5月21日 本日はかなりの雨、でも……
だんだん、明るくなってきたから、まもなくやむかもしれない。きのう、落花生とモロヘイヤの種を播いたのは成功だった。第一、水をやらずに済む。
5月20日 落花生とモロヘイヤの種を播く
今日は連れ合いが中心になってやっている畑を手伝った。去年と同じように三角棚を組み、短い畝をいくつか作り、種を播いた。
種は連れ合いはモロヘイヤ、私は落花生にした。落花生はうまくいけばビールのつまみにしようという魂胆だ。昔食べたことがあるのだが、掘りたての落花生はさっとゆでて食べると柔らかくて実にうまい。生でも食べられるくらいだ。
その味を思い出し、我が家でそれを再現しようというわけだが、さて、うまくいくかどうか。先は長いが、まずは種まきからという次第だ。なんでも、獣類に食べられてしまわないためには、かなり厳重な防柵が必要らしい。鹿や穴熊、白眉芯、らが跳梁するからだ。
とりあえずは播種だけにしたが、具体的にやりだすと、うまい収穫物を得るためには実に手間ひまがかかることが分る。ううむ、買った方が早いか、なぞと考えだすのは早くも百姓失格である。
5月19日 小諸新聞を読む
5月8日の日記に信濃毎日と東信ジャーナルの2紙を読む話を書いたが、もう一つ小諸新聞も読む。
これも日刊で、名前通りまさに小諸界隈の新聞だ。地元の小中学校のことまで含めローカルそのものなので、大きな新聞とは違う面白さがある。日曜日に駅近くであった催しにどれくらい人が来たかとか、雰囲気はどうだったか、なぞ、行かなかった者にとっては、へーえ、そうだったの、といった興味がわく。
私は夜の外出はまずしないので参加しなかったが、18日のイベント(地元在住の音楽グループの演奏など)にはかなりの人が集まったらしいのを知ると、しまった、行けばよかった、と思ったりする。いつも5時過ぎからもう晩酌を始めてしまう身は、7時ごろ外出するのが億劫になってしまうのだ。これではいかん、どうも行動パターンが爺むさい、と反省するが、なかなかなおらないだろうな。
5月18日 妻、帰る
なんだか、昔どこかで聞いたような言葉だが、バンコックに行っていた連れ合いが帰ってきた。南国へ行っていたのに別に日焼けもせず、あっちは面白かった、時間が足りなかった、なぞと言っている。また行くとも言うから、元気なものだ。
とはいうものの、眠い、と言ってベッドへ入り、眠りこけている。スーパーへの買い物のため起すべきか否か。難しいところだ。
5月17日 続アカシアの花咲き出す
アカシアの木のうちには、枝が2階の軒下にまで入って来ているものもある。丁度、階段の窓外がそうで、最初のうちはおや、枝がかわいい、なぞと思い、ついで、へーえ、ここまで入って来るのかと少し微妙な気分になり、今では、これじゃ困るな、窓の視界が狭くなるし、ガラスに葉や枝がくっつきすぎる、と心配になってきた。
で、さっき、外へ出、枝切り棒を持ち出してみたが、そこまで届かない。折りたたみの三角梯子にでも乗らねば無理だ。それに乗って作業するには一人では危ない。ゆえに、今一人しかいない状態ではあきらめざるを得ない。
軒下にアカシアの花が咲く(たぶんそうなる)なぞ風流とも言えるが、厄介とも言える。木に囲まれた家の長短がはしなくもあらわれた。さて、どうするか。とりあえずは明日、連れ合いの帰宅を待って相談するしかあるまい。三角梯子を支えてもらえば、なんとか切れるかもしれないし、やってみねばわからない。
風情と厄介事とは隣り合わせにある。
5月17日 アカシアの花咲き出す
今朝気付いたのだが、アカシアに花穂が出来、その一部がわずかにほころんでいる。そうか、花だったか、と気づくとともに、周りの木々にもあちこちに花穂が伸びているのに気づいた。まもなく、花で一杯になるだろう。確かアカシアの花はいい匂いだった。
地面の方ではあやめの花が咲き始めている。青紫と、青白混合、黄色の3種。花が大きいだけにいくつも咲くと豪華感がある。
檪を始め隣家の辛夷、欅などの新葉も一斉に広がってきた。一軒向うのK家なぞはもう完全に見えない。浅間連峰も高峰山が見えなくなった。
5月16日 緑の勢い
周囲の緑がますます色濃くなってきた。葉も広がり、近所の建物がだんだん見えなくなりつつある。まもなく我が家は緑の木々に覆われるだろう。
5月15日 今日は一日曇天かな
曇天嫌いな私にはうっとうしいが、天の意思とあればやむをえない。寒くならないことを祈る。昼はやはり街へ出たいので。
5月14日 白眉芯と穴熊
今朝、庭仕事中に、犬の散歩に出てきたお隣さんとおしゃべりした。すぐ西側の林業小屋前に白眉芯がいるそうだ。そういえば、昨夕だったか農林課の車が来て、何か置いていったなと、見に行ったら、扉前に檻に入った穴熊がいた。白眉芯と違って眉間に白い毛がないからすぐ分る。
白眉芯は木に登って果物などを食べるから、果樹農家には嫌われる。檻があちこちにしかけられるので、よく捕獲され、殺処分される。
穴熊は木には登らないし、果物にもあまり被害は与えないはずだが、田んぼのあぜ道に直径30センチくらいの穴をいくつも掘ったりするので、やはり農家からは嫌われる。それで捕まったものが、檻ごと我が家近くの林業小屋に運ばれるわけだが、どういうわけかすぐ殺処分しないで、扉前にしばらく放置したりする。
すぐ処分しようとすると暴れるのかもしれない。空腹にさせ疲労したところで処分にかかるのだろうか。いづれにしろ、おかげで小屋の扉前には1日2日檻入りの穴熊や白眉芯が放置されることになるのだが、面白いから近寄ろうとすると、猛烈に毛を逆立て唸りを発して威嚇したりする。
檻に入っていても結構恐ろしいものだ。だが、係が来て小屋内に運ばれれば、一酸化炭素によってあっという間に殺処分されるから、可哀そうでもある。
それらの死体が小屋内の冷蔵庫には2,30体はあるはずだから、想像するとちょっと不気味というか哀れというか、微妙な気分になる。溜ると、東京の獣医科大に解剖用として送られるそうだ。授業に使うのだろう。
5月13日 だんだん……
さびしくなってきた、と書こうか書くまいか。と書いている。ひとりになって5日目。考えてみたら今年になってはじめてかも。特に大学の授業がなくなった2月以降は、ずっと家にいたから。
私も今年はちょっとした旅に出たりしてみようと思っている。どこがいいか、近場か、いっそ遠出か……。まずそこらから考えて行く楽しみもある。さて、どうするか。
5月12日 独りの寂しさとよさ
連れ合いが旅に出たため、すでに3日ほど一人でいるが、いい面、悪い面がある。
悪いのはやはりもの寂しいというか孤立感があること、いいのはじっくりものを考えられること、ふだん気付かなかったことに気づくこと、などだ。
4月以来、書く、書くと言いながら、いっかな内容を思いつかなかったのに、案とかタイトルが1,2出だした。ちょっと爺むさい内容のような気がして、まだ決めかねているが、とにかく具体化の兆しあり、ではあろう。
街で初めての店で昼食をとったりもした。今まで常連通いだった店がたまたま休日だったりまだ開いていなかったりだったせいだ。この店は食事に関してははずれだったが、喫茶店としてはまずまずだった。
今日も新しい店を開拓してみようか、昨日休みだったそば屋にするか、選択の楽しみがある。季節は本当にいい。街へ歩いて出るのがちっとも億劫でない。ついでにスーパーで買い物するのも楽しい。今日はケーキも買おうと思う。
5月11日 夏なのに白馬連峰が……
西空の彼方に真っ白な白馬連峰が見える。冬ならいつも見える風景だが、夏場は珍しい。もっと近ければむろん、アルプスも白馬もよく見えるのだろうが、我が家からの距離だと、こういうふうに見えるのは秋から冬がふつうである。
つまり、今日は空気が澄んでいるのだろう。湿度も低いのだろう。手前のグリーン一色との対比が美しい。
5月10日 認知症の不安
鬼丸子さんの文章から、認知症にかかわる記事(?)を読んで、いささか不安になった。誰でも、いつでも、高齢になると認知症にかかる可能性がある、なった場合、それをはっきり自覚できなかったり、思わぬ事故を起したりする、というもので、70歳になった身としては、むむむといささか緊張し、不安になった。
実際、上記のとおりだとすると、自身で防ぎようがないではないかと思えるところが一番怖い。いつも身近に家族がいてくれる場合はいいが、折から家族が海外旅行中の小生としては、にわかに「一人でいること」が不安になった。といってすぐ対策(一人でいずにいられる法)を立てようもないのだから、とにかく、むむむ、としか言いようがない。
歳をとるのは怖いことだ。
5月9日 雨、買い出しをどうするか
今日からしばらく独りなので、食料・酒などの買い出しが必要だが、あいにくかなりの雨だ。しばらく待つか、様子を見るか。
あ、ちょっと西の空が明らんできた。しばし様子見だ。
5月8日 朝の紅茶
といっても自宅で飲むものではない。8時ごろ散歩に出た後、街まで行って飲むteaである。 さすがにこの時間にやっている喫茶店はそうはないから、ほぼ一つの店に限られるが、懐古園を通り抜け、街の中ほどに行って、朝6時半くらいからやっているという店に入ると、先客が必ずいる。
いつも同じメンバーかというと、そうではなく、たまに行くだけの私は今のところ、同じ人に出あったことがない。というか、全員の顔を覚えているわけではないから、いつも初めてみたいな気がする。相手の方も挨拶してきたりしないから、たぶん初めてか少なくとも言葉を交わしたことはない人ばかりだろう。
私はそこで配達されたばかりの新聞を2種類読む。最初が信濃毎日新聞。この地方では一番大きいというか一番知られたもので、記事内容もしっかりしている。全国ニュースもちゃんと分る。うちでは朝日新聞をとっているから、新鮮だ。
次に読むのが東信ジャーナルだ。東信というのは東信濃、略して東信で、長野県では県内を北信、中信、東信、南信と分ける。南北に長い県だし、中央部に山脈があり、たとえば小諸や上田から松本に抜けるには、似た緯度にあるのにかなり長いトンネルをくぐらねばならないから、松本市は中信と言っても、小諸あたりは東信と呼ぶ。
新聞はその東信版で、要するに佐久市、小諸市、南佐久郡(軽井沢など)版である。相当ローカルだが、それだけに地元ニュースがよく出ていて、こういう新聞を読むようになってから、地元のことに詳しくなった。だんだん土地になじんでいく気がして楽しくもある。
5月7日 連休明けは医院へ
ということは、それだけ医者が自分にとって必需になっているわけだ。情けない次第だが、年相応なのかもしれない。
今日は持病にまつわる採血のほか、2日前に窓枠にぶつけた肩の痛みの対応だ。まあ、医者は、貼り薬でも出しておきますか、であっさり済んでしまったが、こういうことがだんだん増えてきた気がする。やっぱり気分は良くない。
5月6日 連休最終日
私にはあまり関係ないのだが、しかし世の中や仕事のある人たちには影響が大きかろう。自宅や仕事場に帰らねばならぬし、交通機関なぞもだいぶ混雑したりする。 あいにくの曇り空で、気温も少々低めである。みなさん、風邪をひかぬよう、気をつけてください。
我が家の庭のアカシアの木々は2,3日前から一斉に芽吹きだし、今日は2階の書斎の西窓近くにも軟らかい新葉が伸びてきた。遠景はすっかりグリーンである。 もっと遠景の浅間連峰は曇って霧が半ばかかっている。中腹以上は少し雨模様かもしれない。
我が家の小さな柿の木が2本とも葉を伸ばし始めた。去年は1本が芽を出さず枯れたかと思っていたのだが、今年は新しい幹(まだ細い)が脇にすくすく伸び、それに葉が出だしたのである。新しい生命はいいものだ。何も言わずともさわやかさと元気が漂ってくる。
5月4日 教え子杉浦君来る!
彼は奥さんの実家が小諸なので、奥さんの里帰りのついでに我が家にも顔を出してくれたのである。そして、わがパソコンを点検してくれた。
自分としてはさしたる問題はないつもりだったが、プロの彼の目からすると、いろいろあったらしく、ずいぶんあちこちを見て手直ししてくれたうえ、連れ合いのパソコン3台までチェックしてくれた。つまり計4台のパソコンをほとんど同時進行でちょっと手を入れては次に移りという形で、まことに手際よく、早く、やってくれたのである。
私なぞの目には何をしているのかよく分らなかったが、今こうしてパソコンを使っていても、動きが早くなっているのは明らかだから、気持がいい。プロだなあという実感がした。
夜、入浴後、パソコンを使おうとして分らぬ点が生じたので電話をすると、彼はホテルからすぐやって来てくれ(徒歩5分ではあるが)、また直してくれた。まことにありがたく、ビールなぞふるまっていると、楽しくなり、つい10時半まで飲んでしまった。ホテルにいる奥さんから電話がかかって来て、あわてて帰ってもらったが、奥さんには恐縮の限りだ。奥さん、申し訳なし。
それにしても、持つべきは良き教え子なり、だ。
5月2日 もう初夏だ
今日は駅近くでの「筋トレサークル」の日なので出かけた。筋トレは機械にだんだん慣れてきた。 その終了後に行った座ったままの腰のばしといった運動がなかなか気持ちがいい。へーえ、こういう形でそんな所の筋肉が伸びるのかという発見があり、めったに使っていないと思われる筋肉が伸びるのが気持がいい。
若い女性の指導で小1時間やって外に出ると、外は暑かった。行くときももう暑くなりそうだったが、終って出たのは正午前後だから、明らかに暑い。 で、すぐいつもの刻そばにかけ込んで、ビールとした。
グーッと一気に飲む一杯がうまい。まだ立夏前だが、もう夏だなと感じた。年をとると時の経過が早くなるというが、こういうことにも適用されるかもしれない。
5月1日 5月1日である
中年期まではさあメーデーだと思ったりしたが、今はもう何とも思わない。年齢のせいもあるし、住んでいる場所がいわば田舎町でその種の行事が何もないせいもある。
学生時代なぞは全都の学生部隊のデモ指揮をして、危うく逮捕されそうになったりした。この時逮捕を免れたのは、デモ隊の先頭でうしろむきになって「ナントカ、粉砕!」なぞと掛け声をかけてジグザグに移ってまもなく、飛びかかってきた刑事たちに拘束されたものの、近くに警察車がなかったためしばらく路上に放っておかれたので、なんなく逃げられたのである。
尤もメーデーは半ばお祭り気分もあったから、警察側もあまり逮捕者なぞだしたくなかったとか、騒ぎを大きくしたくない事情も働いたのだろう。機動隊の服装・態度もあまり厳しくなかった気がする。ま、あんまり跳ねずに、そこらでおとなしくしてろよ、みたいな扱いだった。
実は私は学生運動グループのなかでこの日「デモ指揮当番」だったのだが、おかげで私は学生時代を通じてついに一度も捕まることなく済んでしまった。幸いだったのか、ちょっと物足りなかったのか、どうもはっきりしない。一度ブタ箱体験もしてみたかった気がする。
4月30日 ツルヤでいっぱい買った
わざわざ書くほどのことでもないが、今日スーパーツルヤで野菜やら酒類やらパンやらをパッパッと籠に入れていったら、レジを済ませた後、なんとビニール袋2つ分になった。その割には代金は少なく金5500円也。ふーんと思いつつ車のトランクに入れて帰ったが、何であれ物ーー特に食べ物をいっぱい買うとなんとなく幸せな気分になるものだ。そして少年時代を思い出したりする。
4月29日 すべての発信は自分宛てにもしておくように
という文章を今日知った。ネットにおけるメールなどのことだが、なるほどと納得した。実際、メールなどは手書き時代に比べるとあまりに簡単、かつ一瞬ののちには発信されてしまうから、内容を忘れたり、しまったと思うことも多い。
自分宛てにも出しておけばそれを防げるし、自分の書簡集にもなっていく。今後、実行しようと思う。いいアドバイスだった。
4月28日 連休のはざま
世間では今日は休日にしているところもあるのかしら。なんだかひっそりした感じがする。曇天のせいかもしれない。
小諸の桜は遅咲きの種類がまだ満開だが、木によっては若葉が芽吹きだし、次第に世は緑に移行しつつある。
きのう崖道を降りてダムに行き、対岸の千曲小学校まで行った。校庭の桜が有名なのだ。確かに見事で、そこから見る大平山(懐古園のある場所)もなかなか風情があった。
帰途、新町の方までぐるりと遠回りしたせいか、左足がだいぶ痛んだ。今朝になったら治っていたが、だいぶ運動不足だったことを文字どおり痛さを通じて痛感した。今日は第2回の筋トレ教室に行く予定だ。
4月26日 桂の木が次第にグリーンに
向うの森の入り口で、しばらく前までは二本の桜の花ばかりに目が行っていたが、桜が散ってしまい、入れ替わりに隣の桂の新芽が出てきて、釈迦像ふうに形よくグリーンになってきた。
桂は桜を挟んで二本あるので、文字通り桜と交代した感がある。桜は花の時期をずらして咲くものもあって、それらは今咲きだしている。林業小屋向う側の老木はどうやら老衰しかかっているらしく、いっかな咲かない。桜にも当然ながら有為転変がある。
老いは次第に去りゆき、若木が交代していく。人間も同じである。 私はこの4月からもう東京方面へは行かない。大学の仕事が全部終ったからだ。非常勤講師で残ることは可能だったが、東京界隈まで日帰り通勤するのはどうも気が進まず、全部退いたのである。
どこへも行く必要がないということは、プラスマイナス両面がある。プラスは極めて落ち着くこと。毎朝今までと同時刻に起きるのだが、さあ今日は出勤しなくちゃ、といったせわしない気分は全く生じない。ゆっくり天気や庭の具合を見、いつも通りお湯を沸かして紅茶を入れるのが何ともいえず落ち着く。
マイナス面は、時々、もうどこへも行くところがないか、という気分がふっと生じることだ。自分の意思でそうしたから寂しみとか悲しみの類はあまりないが、やっぱりもうオレの時代ではなくなったな、歳をとったな、という気がどことなく湧いてくるのである。
妙なものである。
4月25日 上田の街を初めて一人で歩く
昨日のことだが、初めて上田へ一人で行った。用のある銀行の支店がこの界隈では上田しかないためだが、おかげで初めて上田の街を一人歩きする機会になった。
第1印象は、全く人けがないこと。町の大きさは私の故郷、愛知県一宮市と似た印象だったが、人の数がいかにも違う。一宮は毛織物の産地日本一、全国から集まる繊維商人などで中心街はいつも人に満ちている感じだったのに、上田はシンとしていた。
道は幅も広く、きちんとした碁盤目だが、とにかく人が見当たらないのである。私は上田駅から駅前通りをまっすぐ歩き、中心部の交差点で右折したりした。つまり上田の一番メイン通りを歩いたはずなのに、ほとんど人と出会わなかった。
昼時だったので、そのメイン通りにあるかなり大きなそば屋に入ったのだが、客は私一人。食べ終えて外へ出ると、やはり人はろくにいなかった。
一体なぜか、うーん、と首をひねったが、たぶんウイークデイの街はいつもこうなのだろうと思えた。 うーん、やっぱりさびしい。界隈の中心都市なのに、なぜだろう?
4月23日 今日は暖かかったが……
ほどよい春(小諸では)の気候にぶらぶら昼食に出た。どこを歩いても満開の桜が目に入り、駅近くの芝生公園ではグリーンとピンクの対比が心地よかった。
で、そば屋へ着き、ついビールを注文してしまった。が、ビールを飲みだしてみたら、次第に寒くなった。何しろこの店は暖房具は何もつけてない。マスターは火や湯のちかくにいるからいいが、客は、とくに背中が冷えてくる。
止むなくジャンパーを着込んだが、ビールを放棄するのも惜しいから、飲み続けていると、体中寒くなった。しまった、あったかいかけそばにすればよかったと思ったが、まもなくざるそばが来てしまった。
食べるだに冷える。こうなったら早く食べ終え、熱いそば湯をもらおうとかっ込み、そうしたが、それにしても寒い昼食だった。しばしばそう思うのだが、この店、何でストーブの一つくらい用意してくれぬのか。それとも小諸界隈の人は、これくらいの気温は寒いと思わぬのかしら。
4月22日 今日は寒くない
今、生ごみを捨てに出たついでに庭を一巡してきたが、全く寒くなかった。陽は照ってないから暖かくもないが、風なし、冷気なし、穏やかな曇天という感じである。
庭に私が数年前植えた桜はどれも満開だ。染井吉野2本と小諸八重紅枝垂れ1本。八重紅枝垂れはかなり濃いピンクで、たぶん江戸彼岸と似た品種だろう。花数は少ないが、枝垂れ枝の一番先に3,4房花をつけているのが面白い。
杏の花はすっかり散ったが、桃の花が満開である。これも去年までは2,3輪程度だったのが、今年は一気に一斉開花だ。私がこの地に引っ越してきて今年で5年目の春、花の咲く多くの木は私が植えたり枝打ちをして整えたものだから、ようやく花開いた印象があって、満足だ。
4月21日 今日も相変らず寒そう
陽さえ照ればいいのだが、曇り空が続きそうだ。浅間連峰の峰筋は重そうな雲が覆っている
4月20日 桜は満開だが寒い日だった
懐古園へは花見客が続々詰めかけていたようだが、しかし終日寒く、皆あまり長居はしなかったみたいだ。我が家の周辺の無断駐車量も例年に比べるとだいぶ少なかった。
風は強かったが、花はほとんど散らなかったから、満開はむしろ長く続きそうな気がする。かなり曇ってきたけれど、嵐にならねばいいが。
4月20日 桜満開続く
代って辛夷はほぼ散る。 桃、プラムの花も満開、桃はピンク、プラムは純白。つつじが少し咲きだす。椿はかなり咲くが、花弁は開ききっていない。梅(丈5,60センチ)が紅白とも咲く。
今年買ったばかりの丈の低い連翹が満開。どうだんつつじが少し咲くというか小さな白い釣鐘状の花をつける。土佐水木も咲く。小さなゆすらうめがちょっぴり花をつけた。塀わきの大きい椿はほんのすっこししか蕾がつかない。枯れる危険あり。
雪柳咲く。山吹は黄色の蕾。かりんの木は新芽を出し始めた。植えたばかりの桜草はまだ蕾もない。水仙は2種類満開。八重とラッパ。山椒が芽を出し始めた。摘むと指先がふんぷんと香る。
4月18日 書くより花
今月から何か新しいものを書きたいと思っているが、まだアイデアが出てこない。考えているうち、つい目が庭の満開の桜などに行ってしまうのだ。
4月16日 「60歳以上の筋トレ」
昨日、表記のようなサークル(市主催)へ行ってみた。駅近くの施設にいろんな機械を使って筋肉トレーニングをする場があり、60歳以上のために設定されたクラスだ。
初回だから機械の説明や4カ月コースの内容説明程度だったが、ちょっと機械に触れてみたところでは、対象が具体的なだけになかなか面白い。機械に乗ってしまえば何もせずにいるわけにはいかず、おのずと引っ張ったり突っ張ったり手足を動かすことになるから運動になる。それも普段ウオーキングなぞではほとんど動かさない上半身の筋肉を多用するから、丁度いい。
メンバーは10人弱、男が少ないが、もう少し増えるかも。 月に2回のみというのがやや物足りないが、ウオーキングと合わせれば格好の運動になりそうで、楽しみが増えた
4月14日 午前7時半の散歩
今日は我が家の桜もだいぶ咲きだしたし、懐古園の桜はどうかと思って7時半から散歩に出た。
馬場の老桜が3本ほど2,3分咲き、ほかも境内あちこちで咲きだしており、花見用の角提灯もずらりとぶら下がって、いよいよ花見シーズンの開始を思わせた。茣蓙を敷いて場所取りの人も早くも1組いた。
弓道場では早朝稽古の弓ひき衆がすでに稽古中だった。
東口に出るとそのまま帰るのが物足りなくなり、街へ出て、ベルコーヒーまで行った。今日の先客は2名。相変わらず早い営業の喫茶店である。私は紅茶、連れ合いはコーヒーを頼んだが、コーヒーは球形ビーカーにいっぱい作ってあるものからカップにとるやりかたなので、以前行きつけだったべにやとはだいぶ違う。
べにやはコーヒーも紅茶同様1杯づつそのつど新しく淹れるやり方で、香りも味もだいぶよかった。連れ合いはそれと比較してか、だいぶ物足りなそうだった。
帰途、街を歩いているうち、知り合いのやまていさん宅前でやまていさんに出会い、ちょっとお喋り。「朝のおしゃべり」である。そのあと、山謙酒造の店に寄り、蔵酒を1本(4合)買い、山謙夫人と久しぶりにおしゃべりした。夫人は庭の桜草を見てくれと言い、一株持って行けと言ってくれた。
ありがたく頂戴し、帰って早速あんずの古木の根元近くに植えた。咲くのが楽しみだ。
4月13日 庭の桜が咲き始めた
春の遅い小諸では、桜の開花もだいぶ遅いが、今朝起きたら染井吉野がやっと3,4輪咲いていた。小諸八重紅枝垂れも紅い蕾がだいぶふくらんでいるから、あと2,3日だろう。
もう1本の幹の色の濃い染井吉野もだいぶ膨らんでいる。桜は木によってだいぶ色も咲き時も違う。染井吉野でさえ何種類もあるようだ。自然ばえ的に前からある山桜は白い花をほころばせかけた。
4月12日 午前8時の街
朝、懐古園を散歩したついでにそのまま街へ出てみた。早朝7時から開いている喫茶店があるので、ちょっと覗いてみようというわけだ。
店は確かにやっていた。しかも先客2人、女性。連れ合いはそのうちの一人に「あなたの頭をカットした美容院」を訊ねる。気にいる美容院を探しているのだ。
紅茶は1杯350円。表通りの店は500円だからだいぶ安い。マスターは「おやじの代からの常連さんが多いので値上げするわけにいきません」と言う。なるほど、いい店である。
朝8時の街は初めて歩いたが、人けはほとんどない。でも、開いたり開きかけている店は結構あり、私も文房具屋でノートを1冊買った。こんなに早く文房具屋へ入ったのは初めてだ。隣のお茶屋茶和園ももう開いていた。小諸の朝は早いことを実感した。
4月11日 庭の杏の花が満開になった
すぐ隣の桜はまだ一輪も咲かない。隣家の辛夷は白かった花が茶色に変じ、ぼつぼつ散りそうな気配だ。天気がいいので、午後は種まきをしよう。
4月10日 のんびり畑仕事をする
昨日一畝作ったところへ何を播こうかと考えていたが、今朝になってカブを播くことにし、先ほど一畝の4分の1ほどに播いてきた。
もう少し播いてもよかったような気が今はしているが、あまり作りすぎてもという気がはたらいた。残りに何を播くかの楽しみもある。
実際、何にするかと早くも考えだしている。連れ合い手持ちの種の種類を聞いてからゆっくり考えよう。
4月10日 どうやら更新順調の様子
やっとホッとした。
4月10日 更新順調?
はて、どうなのか。まだ確認できない。
4月9日 日記の更新……
ここの本文がうまくいかない。下の3日以前のように細字にしたいのだが、タイトルと同じ太字になってしまう。どうしたものか。
4月3日 暖かくなったものだ
今朝7時半から連れ合いと近所の懐古園を一周してきた。崖際の展望台に立っても噴水の近くに行っても、風もなく実に暖かかった。春そのものという実感だった。
庭の水仙も2輪ほど咲きかけたし、お隣の辛夷も幾輪かほころびかけた。遠景の浅間連峰も春霞にうっすら包まれている。これから当分は朝の散歩が心地よく、楽しみな季節だ。
4月2日 明日は桃花祭
と言ってもたいていの人はハテとお思いだろう。私の郷里愛知県一宮市ではこの日が祭礼で、その名を「桃花祭」というのである。つまり桃の花が咲く頃の祭ということだろうが、私は子供心に怪訝に思っていた。
4月のこのころはもう桜が満開の時期で、桃なぞだいぶ前に終っていたからだ。たぶん、本来は旧暦の4月初頭なら桃の季節だったため、ついた名なのだろうが、子供心になんだか妙な気分だった。いっそ旧暦の日にやればよかろうにと思ったけれど、寒すぎるのかもしれない。
確かに4月3日の祭はぽかぽかほどよい気候で、若い衆は女性から借りた長襦袢姿に女化粧をし、飾り馬を曳き練り歩くのである。子供のころは自分も早く大きくなってああいう姿をしてみたいと思ったり、でもあんまりみっともよくないなと思ったり、微妙な気分だった。
その桃花祭を見なくなってからもう何年になるかしら。18歳で上京以来ずっと見ていない気がするから、もう50年以上だろうか。今も長襦袢姿で若い男どもが練り歩くのかしら? 一度見に帰りたい気もする。
|