風人日記 第五十二章

雪の新年

2015年1月1日〜3月31日





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              お知らせ (*日記はこの欄の下方にあります)


『季刊文科』(鳥影社刊)53号より短篇連作「信州アカシア林住期」を開始

      http://www.choeisha.com/bunka.html 

 53号(2011年8月、本体1,000円) 「信州アカシア林住期」

 54号(2011年11月、本体1,000円) 「信州アカシア林住期その二 夏の転変」

 55号(2012年2月、本体1,000円) 「逆接のウズベキスタン」(信州アカシア林住期 その三)

 56号(2012年5月、本体1,000円) 「真冬の散歩者たち」(信州アカシア林住期 その四)

 58号(2012年11月、本体1,000円) 「シークレット・ズー」(信州アカシア林住期 その五)

 59号(2013年4月、本体1,000円)  「小諸の道」(信州アカシア林住期 その六) 

          
               

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『オキナワ 大神の声』(飛鳥新社刊 2200円+税) 


 
            


 7年来毎年訪ねていた琉球弧列島を舞台に、喜界島から与那国島まで八百数十キロを歩いてゆく短篇連作集。



 一昨年、いろんな推移の中で三ヵ月ほど日本の全原発五十四基が停止したことがある。現在は大飯原発が稼動しているほか、安倍首相は「今後新たな原発建設も指向する」と言い出している。原発ゼロは早くも夢のかなたというのだろうか。情けないことである。
 私は現在と未来の人類のために、原発が少しでもなくなっていくことを望む。
                                

                             2014年4月1日
                             2015年1月1日
                               作家・
日大芸術学部教授
                                            夫馬 基彦

 
  

                            日記


3月31日 3月も終り

4月から新入学でも新入社でもないのですが、3月が終ると、何となく新年度を迎える気がします。
小生もちょっと気分を変えて、日記を書いていこうかと思っています。


3月29日 辛夷ほころぶ

お隣の辛夷が2輪ほどほころび始めた。全体としてはまだまだだが、それでも春を感じさせる。信州は東京などの太平洋岸と比べると、季節は1カ月遅れの感があるが、春に関しては半月遅れくらいかなと思ったりする。

桜に関してはやっと蕾が出来始めたといったところか、まだまだ花は遠い感じだ。が、遠景の浅間連峰の雪も9割は融けた気がするから、やはり春は近い。庭にも今日初めて蕗の薹が一つ咲いた。水仙も2輪咲いた。

昨日までの客が帰ったあとは花の開花を待とう。


3月28日 従妹帰る

昨27日午後、いとこが帰っていった。名古屋の近くだから中央線に乗るため、北の長野方面行のしなの鉄道に乗り、篠ノ井で乗り換える。中央線に乗ってしまえば3時間ほどで名古屋だが、そこからまた名鉄電車に乗り、そしてさらにタクシーだから、我が家から数えれば4時間半以上だ。

やっぱり遠い。60過ぎてよく来てくれた。いや、60過ぎたからこそ、今のうちに会っておかなくちゃ、行っておかなくちゃ、と思ってきたに違いない。思った以上に元気で若く見えたが、でもきっと疲れたに違いない。おそらく今日1日はぐったりしているだろう。

しかしまあ、幼馴染に会うのは楽しいものだった。ちょっとした表情に昔を思い出したり、叔母さん(彼女の母)を思い出したり。血がつながっているということは面白いものだ。
そしてふと、今90代の母と叔母が亡くなったら、母方の親せきは彼女ひとりになるなと気づいた。貴重な存在である。


3月27日 従妹来る

一昨日、愛知県の郷里からいとこがやってきた。もう60歳を超えているが、少年少女時代身近で育ったので、兄妹みたいな気がする。向うもそう感じているから、遠路わざわざやってきたのだろう。それに今のうちじゃないと、だんだん来ようと思っても来れなくなる感もあってのことだろう。

幼馴染はさすがに歳はとっても昔の面影があり、懐かしい。お互い歳をとったと感じたようだが、気分は若返る。
1日目は我が家でゆっくり過ごし、2日目の昨日は高原美術館やら仏舎利塔のある丘など案内してから、温泉のある宿に送り届けた。
今日は東御の景色のいいイタリアンレストランへ案内する予定だ。

こういう時、小諸は見せる場所がいくつかあり、いい。温泉宿があるのもいい。山があるのもいい。愛知の故郷は濃尾平野のど真ん中で、そういうものが全くない。かつては田んぼや畑が続くばかりだったし、今は家ばかり続いているようだ。

アルプスまでを遠望しながら食べる昼食が楽しみだ。


3月24日 まだ寒い!!

天気のことばかりだが、世事にはほとんど関心が持てないし、瞠目するような話もないからやむを得ない。天気はともあれ毎日の気分・用に影響するから、おのずと一定の関心は生じる。

18日に「あったかい」と書いたのに、6日たった今日は寒い。昨日も寒かったし、三寒四温ともいかない。まあ、春、それも三月の気温は変りやすい、ということかもしれない。

やっぱり早く暖かくなってほしい。むかし、周辺のおじいさんおばあさんたちが「はよ、あったこうならんかいなあ」なぞと心待ち顔で言っていた表情などが思い出される。自分もその通りになっているのだろう。

小諸は太平洋岸に比べると、一ヶ月分くらいは気温が低いから、なおさらだ。はーるよ、来い!!



3月21日 彼岸

カレンダーに連休マークが付いているのに、今日が何の日か気がつかなかった。春分は21日、秋分は23日であったか。今が春の真ん中の日ということだったか。

ほんとにぽかぽかと暖かくいい日だ。午前に近くまで買い物に出たら、道に小学生くらいの子たちが何人か遊んでいた。ああ、今日から春休みなのだろうと、思わせた。子供のころには今日は楽しい日だったのである。

定年を過ぎてからはそういう季節のメリハリがなくなってしまった。のんびりは出来るが、いささか物足りなくもある。



3月19日 本日は雨

春雨と言うのか、ほとんど寒くない。いくらか靄って遠景の山は全く見えない。
気のせいか庭の水仙が急に伸びたような気がする。明日は咲くのじゃないか。
これからだんだんいろんな植物が花をつけたり、伸びたりする。春の一番の楽しみである


3月18日 あったかいなあ

今朝8時半ごろに駅近くまで行ったが、寒い感じは全くなかった。冬コートはもちろん着ず、ジャンパーのみだったが十分だった。いやあ、あったかくなったもんだ。完全に春だ。

午後、外でバケツ洗いをしたが、水を使ってもちっとも冷たくない。このあったかさのまま行ってくれれば気分も穏やかに春めく。よろしく頼むぜ。


3月17日 浅間連峰の雪

2,3日前まで中腹部あたりまで白かった気がするが、今日見ると、もう白くない。白いのは峰部に断続的にある雪ばかり。高峰山なぞ頂上にも雪はない。

春である。高原美術館やサンラインあたりから見下ろすと、きっと小諸の町は春靄のなかだろう。一度行ってみるか。


3月14日 いつの間にか4日

前回からそんなに時間が経ってしまったのは、水曜筋トレ教室、木曜遠藤ハイキング、金曜車検とつづいたからだ、と書きだしたが、そんなもので日記を書く時間がなくなるわけもなし、要するに気が向かなかっただけであろう。

今日はもう3月も半ば近く、寒い信州でも朝、新聞をとりに出るさい寒いと感じなくなった。が、向うの浅間連峰はだいぶ下まで木々の間が白い。つまり雪が残っている。おかげで浅間おろしは寒い。

カレンダーに空白が目立つ。4月になるともっとだ。去年から大学に行かなくなったせいでもあろう。淋しいような、のんびりするような。
たいていのことが両面あるから、世の中も生きることも難しい。

田舎の母はどうしているだろう。気にはなるが、このごろはろくに記憶力が働かないそうだから、遠い道のりを出かける気力も減退する。こっちの体力も落ちている。遠出が億劫に感じる。

なんにせよ、もうじき春だ。


3月10日 プロフィールの似顔絵について

教え子のへの丸君がまた新しい絵を書いてくれたので、それに変更します。絵の印象が今までと似ている、実際よりだいぶ若く見えるのは、作者がもう卒業後10年くらいになり、最近の私と会っていないせいです。

おかげで私は黒い髪を誇り、はつらつとしており、上々の気分です。願わくばこのまま行きたいものです。

ところで、今日は、かなりの雪です。といっても空は時折明るくなったりしますから、たぶんそのうち止み、積雪もないでしょう。昼食は久しぶりに刻そばへ行くつもりです。スキーのコーチに行っていたマスターが戻って来ているはずですから。厳冬期は休業になるそば屋です。


3月8日 また雪

朝、カーテンを開けたら、外は雪が降っていた。あたりは真っ白。
今年は雪が多いなあというのが第一印象。実際、私がここに住むようになってから回数も量も一番多い気がする。

尤もこの時間はもうやんでいるし、気温もそう寒くないから、午後には融けてしまうかも。
我ながら不思議だったのは、雪と知ってすぐ「ああ、今日は日曜でよかった」と思ったことだ。平日だってこのごろは同じなのに、とっさにこういう反応が出てしまうのは長年の習性だろう。しかもその平日だって私は仕事柄別に必ず出かける必要はなかったのに、である。

去年の2月には小諸始まって以来の大雪だったが、今年はさほどの積雪はない。まあ雪景色を楽しむつもりでいれば、結構な3月の雪である。



3月6日 時事的な話題

この日記を書く時、左側にある最近の日記の題目などをちょっと見る。すると、時節的なことやら、ごく日常的なことがたいてい出てくる。

ゆえに、たまには新聞に大きく出てくる事件や事柄なぞについても書こうかなぞと思うのだが、具体的には書きたいことがない。

なぜかと考えると、事象の日付は昨日とかおとついであっても、中身はちっとも新鮮でないからだ。日付さえ変えれば、去年のことでも5年前のことでも、おかしくない。

つまり世の中はあまり変化はないし、自分の周辺も自分もあまり変わりない。いや、それでも何ごとか新しいことも進行しており、それには気が向くが、変らないことも多い。

そういうものだとは、ずっと昔若いころから分っていたとも言える。別に退屈しきりもしないし、不満もない。万物は変化しているし、印象としては不変であったりもする。

そして己だけは確実に歳をとっていく。歩かなくなっていく。街へも出る回数が減っていく。まして遠方にはろくに出かけなくなっている。

いかん、いかん。もう少し歩こう。東京へも出よう。
だけど、あんまり行きたくもないか。用もない……。



3月4日 朝の「筋トレ」教室

先週・先々週と二週続けて欠席してしまった筋トレ教室に、今日久しぶりに行った。男は三人しかいないから、そのうちの一人が二週続けて休むと目立ったのではと思っていたが(それまではたぶん一度も休んでいない)、誰も何とも言わず、三週前と全く同じ雰囲気で教室は進んだ。

年配組の教室だから欠席は珍しくないし、男性組はあまり喋ったりもしないから、こんなものかもしれない。女性組は相変らずよくおしゃべりが続く。少々うるさい時もあるが、彼女たちのお喋りから、隣町にはどんな教室があるか、二つ以上の教室に行っている人も複数いる、などが分り、参考になる。

多い人は三つ行っている(毎週ではない。月二づつ)ことも知って、なるほどと思ったり、でも、ちょっと場所が遠いなと感じたり。結局、自分としては週一回ここだけでいいかなと思ったり、歩いていけるのがメリットだと感じたり。

帰途、懐古園のなかを通ったら、先月までは大きな氷塊が出来ていた噴水の周りがすっかり溶けていたのにも驚いた。世間はすっかり春にさしかかっていたのだ。
おかげで、気分もだいぶ溶けた


3月2日 図書館も休みだし

今日は街へは出ず、夕方早目から晩酌といこう。だいぶ飲めそうな気がする。


3月1日 ついに3月

3月の声を聞けば春めくかと思っていたけれど、あいにく今日はどんよりした曇り空。浅間連峰も雲がかかっている。風もあって寒そうだ。

予報では今日はみぞれとなっているから、憂鬱である。
早く春の陽気がほしい。


2月28日 2月も最後

28日しかないのは、31日ある月に比べてかなり短く感じる。
といってこのごろの私は月末が忙しいわけでもないし、何か意味があるわけでもない。

考えてみれば暦的な問題に過ぎないのだけれど、「末」だというと、何か落ち着かない気分に誘われるのは、不思議なことだ。

信州ではまだ春に遠いが、それでも、日差しは少し春めいてくる。野草なら少しは庭に芽を出しているのではないか。あとで検分してまわろう。
今日も街へ出てみようかしら。小諸ひなまつりとかいった行事が確か設定されており、あちこちで古い雛壇などが飾られている。子供は少ない年寄り的な街だが、こういうものはやはり華やいでいい。

お隣の辛夷の芽がこころなし膨らみはじめたような気がする。いや、まだかな。


2月27日 母親のこと

今日はどういうわけか、田舎にいる98歳の母のことが気になる。別に最近体調が悪いとか何かあったという知らせもないから、ごく普通にしているに違いないのだが。

気になったからといってすぐ行ける距離でもない。片道4時間半はそれだけでくたびれるし、日帰りはとても無理だ。といって1泊態勢となると、また別の気苦労・体苦労(こんな言葉はないかな)もある。何しろこっちももう71歳の老人なのだ。

母は27歳で私を生んだが、28歳で父と死別し、以降、「後家さん」として二人の息子を育てた。私は18歳で上京して以来、学生時代は夏休みなどになるとなるべく母のもとへ帰るようにしていたが、社会人になって以降はせいぜい盆正月だけになった。

そうやってかれこれ50年近くだ。間に兄も亡くなったから、以降は孫や兄嫁との暮らしだった。孫はやがて結婚や仕事で家を出ていったから、兄嫁との二人暮らし期間がかなり長かった。そしてこの何年かはケアハウス暮らしだ。

ケアハウスは一人部屋だが、入居者仲間はかなりあるから、母はさほど寂しくはないらしい。入居者中の長老格として他の老人連を引き連れ、先頭にたって館内を車椅子で動き回ったりしているのを目撃したこともある。

が、耳はすっかり遠くなり、私の声は聞えなくなった。だから電話でも母だけが一方的に喋り、会話はほとんど成立しない。ゆえに電話の回数もあまり多くはならない。

どうしているかなとただ思うだけになる。


2月26日 今日は寒そう

今もどんより曇っており、予報では夕方から霙。いかにも寒そうな気配である。浅間は灰色で、肩口あたりまで白いところが多い。烏がやけに飛んでいる。

昨日お医者に行ったので、もう行かねばならない所は当分ない。落ち着いた気分になる。



2月25日 どうも医者とはうまくいかない

このところ肩から腕、足の裏などが痛かったので、いつもとはちがう街なかの整形外科へ出かけた。いつもの医師だとずっとかかっていたせいか、ちょっと症状を聞くと、「あ、なるほど。じゃ、クスリ出しときましょう」で終ってしまうから、ちがう人の判断を一度聞きたかったのである。

ところが、診てくれた週2回くらい来るらしい若い医師が、どうも要領を得ない。
「どうしました」
「あちこち痛いのです。リウマチだとは言われているんですが」
「どれ、ちょっとここ(ベッド)に座ってください」
そして腕を張らせたり、腕を組ませて抑えたり押したりなぞした挙句、
「ここへはなぜ来ましたか」
「いつもの医師がくれていた鎮痛剤がなくなったので、この機会にセカンドオピニオンを聞きたい気もして」
「いま何か薬を飲んでますか」
「プレドニンを1日3ミリです」
「ふーむ」
そして私の状態をさして痛くはなさそうだと判断したのか(確かに痛くてたまらぬほどではない。上腕部や肩を中心に穏やかに痛い感じだ)、
「じゃ、このまましばらく様子を見ましょう。で、2週間後、また来てください」
「はあ」

私は何か怪訝に思いつつ、しかしそういうもんかと思いつつ部屋を出、会計を済ませた。が、それにしても今痛いことへの対応は何もないのか、多少の鎮痛剤くらい出してくれないのかと思い、受付の女性にそういうと、彼女はすぐ医師に問い合わせに行ってくれた。
そして戻って来ると、「今日はこのままでいいそうです」
気のせいか彼女もちょっと困ったような顔をしている。その顔を見て私はしばらく黙っていてから、
「そうですか」
と言い、じゃ、もうここには来ない、と思った。あと2週間薬なしで済むならそもそもここへ来た意味がないし、それまでにはかかりつけ医に行くことになるからだ。

帰途につきながら、はて自分は何をしにここへ来たのかと考えてみた。セカンドオピニオンは聞いたといえば聞いたわけだが、それを聞いてみたい気になった元である腕などの痛みは相変わらず痛いままなのである。まさに?だ。

そのぐらいの痛みで薬なぞあまり飲まない方がいいという意味なのか、我慢せいという意味なのか……。いや、彼はプレドニンで十分と思ったのか(十分でないから今現在痛いのだ)。
よく分らない。で、仕方なく、私は腕やら肩やら掌やら少々(あるいはそれなりに)痛いまま、こうしてこの文章を書いている。



2月24日 春よ来い!

今のところ曇って寒そうだが、予報では最高6度だそうだ。だんだん春に向っている感がする。やはり春は待ち遠しい。


2月21日 30分歩いて寿司屋へ

今日は朝からあったかくて、春のような日である。よって昼食時、ぶらぶら歩いて寿司屋まで行った。このごろの小諸には昼に営業している寿司屋が少ない。駅近くの繁華街には夜しか寿司屋がない。

寿司屋までは片道30分だからちょっとした覚悟をしないと、なかなか行く気になれない。そのせいか否か、店へ入ると、相客は一人もいない。広くて清潔で、味もなかなかいい店なのだが、いかんせん駅や繁華街から遠いのだ。

車でなら訳はないが、それでは酒が飲めない。昼からがぶがぶ飲むわけではないが、やはり寿司となれば一献くらいはやりたくなる。で、寿司屋へは歩いて行くのが常だが、おかげで片道30分となるのはちょっとしんどい。古い城下町・宿場町なのに、なぜ寿司屋くらい繁華街にないのかしら? 実に不思議だ。



2月20日 雪は寂しい……?

今朝、起きぬけから朝食時くらいまでずっと雪が降っていた。降りしきるというほどではなかったが、見ていたらなんだか寂しくなった。このまま降り続くとだいぶ積もるだろうな、今年はなぜこんなに雪の日が多いのだろう、狐でも出てくれば似合いそうだな、などあれこれ想念が浮んだ。

狐は昨日の朝、向うの野原に出たそうだから、期待まじりの思いだが、雪のとき出るのかどうかは知らない。でも、昨日出たのだから冬眠はしていなさそうだ。それともよっぽど空腹になったのだろうか。

関東平野からはもう蕗の薹を食べたという話が伝わってくるけど、こっちはまだ芽も出ていない。やはり信州という所は寒い。夏の涼しさに惹かれて居を構えてしまったが、失敗だったかしら……。
でも、関東側の夏の蒸し暑さはかなわないものなあ。汗っかきの私は朝からほぼ一日中クーラーをつけっぱなしとなり、体に悪い。寝ているときも隣室でつけっぱなしにしたりする。

あ、また外は雪が降ってきた。風もあるのか舞ったりしている。やはり寒そうだ。



2月18日 今日は欠席

毎週水曜は9時から駅近くで「筋トレ」をする日だが、今日はずっと雪が降っているし、寒いので、休むことにした。9時開始はちょっと早いと、当初から会員の声が上がっていたが、その通りだ。夏場はともかく冬場はいささかしんどい。

スタッフも9時出勤だから、もう待っている会員の所へ駆け込んでくる。どうして9時半か10時開始にしなかったのかしら? あとの時間割が混んでいるのかしら?

いずれにしろ、私としては珍しい欠席だ。運動のためにも気分転換のためにも丁度いいので私はほぼ皆勤だったが、天気が相手ではやむを得ない。


2月16日 税務署

行かねばならぬのだが、なんとなく気が重いのはなぜかしら。別に何か問題があるとか、うまく切り抜けねばならない事案があるとか、じゃなく、ごく正規の手順を踏むだけのはずなのだが……。要するにどう展開しようとも、一方的に金をとられる、ことが何か気分が悪いんだろうな。


2月13日 氷の上の猫

本日は終日零下の予報。最高でマイナス3度とか。
もう慣れたけど、やっぱり寒い。
代りに浅間連峰がきれい。峰部はほぼ真っ白、空は真っ青、白雲やや流れる。

猫が氷の上を歩いている。滑ったのを一度見たことがある。四つ足だから転びはしなかったが、かなりぶざまに慌てていた。



2月12日 古文書の虫干し

昨日は、近隣の集落井子というところの公民館へ、古文書の虫干しを見に行った。見たい古文書があったからではなく、小さな集落で古文書の虫干しを、それも寒中に行うのが珍しい気がしたからだ。
虫干しはふつう8月くらいだが、考えてみれば寒中の方が湿気が少なくていいかもしれない。

公民館は集落の公民館にしてはずいぶん立派で、300人くらいは入れそうな頑丈な作りだった。感心して見まわしていると、作ったという人が壁に掲示してある建築中の写真を示しながら、3000万円かかったと誇らしげに語った。

出てきた古文書は行李3箱にあり、一つづつ床に並べていくと、広い館内が丁度一杯になった。
厚紙の大きな地図などもあるので、広げてみると、川筋にぎくしゃくと細かく境界線がかきこまれている。文書類のなかには「水争い」「水分け」といった表示のものも目立ったから、昔は水の分配が重要事だったのだと知れる。

「今は田んぼをあまり作らなくなってしまったからね」「飲み水は水道だし」などと解説を聞いていると、この小さな集落もずいぶん変化したのだと知れる。水分け書類も江戸後期から明治、大正、昭和前期くらいまでが多く、戦後10年くらいからあまり目立たなくなる。

それにしてもずいぶん多量の書類がきちんと番号順に保管され、虫干しが終ると、私ども見学者までいちいち印鑑を参会者名簿に押さされ、また元にきちんとしまわれた。そして隣にある堅固な小型倉庫風の建物にまた蔵われた。小さな集落でここまでしているのかと感心させられる。

虫干しはつごう1時間半で終った。ただ風を通しただけとも言えるが、毎年こうしたことをするというところに、意味がある気がした。


2月9日 ただいま零下9度

今日は終日零下どころか、最高で零下4度の予報。こりゃあ今冬最低温度かもしれない。外へは出れそうにないな。


2月8日 案外あったかい

先ほどちょっと外へ出たが、寒いと感じなかった。曇天だし、我が家の周辺なぞまだ先月来の雪が残ったままなのに、冷え込みはほとんどない。
ただ、白馬はもちろん、浅間連峰も全く見えない。雲が冷気を遮断しているのかもしれない。

朝がた、小雨が降り出した直後、しっぽの太い狐が1匹、ひょいひょいと向うの野っ原をよぎっていった。のんびりした光景だった。


2月7日 白馬連峰、浅間連峰

書斎の窓から西遠方に純白の白馬連峰、北近景にあまり雪のない浅間連峰が見える。
白馬は一度行ってみたいと思っているが、確か学生時代に一度雪渓を見に行ったような気もする。断定できないところが歳なのだろう。

いずれにしてもきれいなものである。
浅間に関しては2,3日前は中腹まで白かったのに、今朝は峰部以外、雪はなさそうだから、案外気温は高いのかもしれない。高いといっても零下5,6度はあるに違いないけれど。

窓に結露がいっぱいあるから、我が家の外もかなり冷えていそうだ。


2月5日 春の雪

昨日、「春立ちぬ」という日記を書いたばかりなので、やむなくというか首をひねりながら表題のごとくした。要するに雪が降っているからだが、いかにも冷え冷えとし、正直、春の雪なぞという風情は全くない。

ちょっと湿りを帯びた感じもあるから、たぶん冷たさ、寒さとしては一番だろう。浅間連峰なぞも全く見えないし、といって積雪の気配もない。次々に降り、地上に届く時は水分になっている感じだ。

やむなく書斎室内はストーブと加湿器をつけている。窓外の降雪をみながらそれらの音を聞いていると、世の中がいかにも寒い気がしてくる。
今、スイッチを切って静かになったら、こころなし寒さが減じた。音の寒さ、というものがあるようだ。



2月4日 春立ちぬ

といっても東京界隈でも寒いさなかだろうし、ましてこの信州ではほぼ終日零下である。庭にはまだ所々雪が残っている。書斎北窓からの浅間連峰もかなり下の方まで雪がある。

今朝10時過ぎに通った懐古園内の噴水は高さ2メートル半くらいまで白く凍っていた。

だが、立春である。願望の反映なのだろうがどこかに春があるような気がして、完全に氷結してはいない池に鯉の姿を探したりした。

我が家の門の周辺が正月ごろからずっと凍っていたのだが、それが午後になると半分ほどに縮んでいた。あった、春だ!!

庭のどこかには春の草が芽吹いているのではないか。今から探してみる。


追:2月3日 手のひら痛し

節分だし、何か気のきいたことを書こうと思ったのだが、手のひらや指の痛みばかりが気になって出てこない。リウマチなのかなんだかよく分らないが、とにかく痛く、手をきちんと握れない。体操をしようとすると、両腕や足も痛い。

このごろ朝がたはいつもこうだ。歳なのかしら。



2月3日 節分

今日で冬も終ると思うと、ホッとする。むろん、暦通り万事が進むわけでもないが、やはり季節の変化はだんだん出てくるはず。庭の草の芽の伸び具合をみるのも楽しい。

あったかくなってくれば、気分も上向く。街へも出る気になる。


2月1日 後藤さん、無念!!

ヨルダンかシリアでどうやら後藤さんが殺害されたらしい。何とも残念である。
湯川さん救出のため、あえて危険地へ入っての結果だから、やっぱり行くべきではなかったという思いがどうしても沸き起こる。

正義感、友情、ひょっとしたら、といった感情の結果だろうが、自分の子供が生まれて数日目とか聞くと、父親として子供のそばにいてやるのも大事な「男の義務」だったのではという気がしてくる。後藤さん、いい人だったのだろうな。

ヨルダン政府への委託も失敗だったのではないか、トルコ政府に委託すればよかったのでは、という思いもわく。日本政府の対応ー特にイスラエルでの安倍首相の記者会見、はよくなかったのではとも思える。どうも無思慮、緊張感欠如、の印象が争えない。

日本はこの種の国際関係への判断がどこか甘いのではと思える。


1月31日 今日で1月も終る

母が数日前、名古屋の病院を退院し、ホッとしていたら、もう月末である。
私自身、リウマチであちこち痛く、気楽に故郷の母のところまで出かけるのもままならず、まあ寒さがもう少し減じて痛みがとれるのを待たざるをえぬ。

信州は寒く、小諸の気温も終日零下が何日も続く。でも、少しは外へ出ぬと心身が縮こまる気がするので、昼食にひとりでそば屋へ出たりする。ついでに図書館へも行く。いや、どっちがついでなのか。図書館に用がなければそば屋へも行かぬかもしれない。

車の通る道の雪は融けているが、まだあちこちに雪はある。白いのはきれいだが、寒いのとすべる危険が怖い。小生の歳だと、滑ったら骨折の可能性があり、骨折したら何カ月もなおるまい。クワバラクワバラだ。


1月30日 雪降り中

このごろは「寒い」とか「雪」といったことばかり書いている気がする。事実だから仕方がないのだが、それにしても小諸が寒くなったなと感じる。ぼくが小諸に住みだしたのは数年前からだが、一昨年までは雪なぞ降らなかったんじゃないかな。
地球温暖化に逆行するような気がするけど、この界隈だけの現象かしら?

今日は夕方からちょっとした会があるが、大丈夫だろうか。早くも気になるのは楽しみにしている証拠だろうな。



1月29日 今日は寒い!

終日零下の予報。明日は最高がプラス1度だそうだが、似たようなものだろう。大寒から10日後、実際には一番寒い時なんだろうな。ちょっと外へ出ただけで喉がひりつく感じ。気をつけなくっちゃ。

明日は雪らしい。



1月27日 本日は霧 

かなりの濃霧だ。室内の窓に結露が全くないし、外気が相当あったかかったのだろう。新聞をとりに門まで出た時もほとんど寒さを感じなかった。
春が近そうな気もするが、まだまだもう一度は寒波があるだろう。

昨夕、田舎の母が退院したはずだ。順調に行ってるかしら。



1月26日 市会選挙の結果に驚く

小生が投票した人物が最下位、ちょっと迷った女性候補(連れ合いが投票?)がラスト前でした。小生の予想では女性候補は高位当選、場合によってはトップ、小生の投票相手も少なくとも当選するだろうと思っていたので、驚きでした。

これまで東京近郊にいた時なぞは、選挙の結果予測はほとんど間違えたことがなかっただけに、我ながらオドロキでした。やっぱり東京近郊とここらあたりとは選挙構造が違うのかもしれません。東京近郊の方は、いわば近郊新住民型の典型、小諸は地方県の伝統的小都市型、ということなんでしょうね。

前のマンションは大規模民間団地で、そこだけで人口1万4千、市人口の5分の1以上だったから、候補者も誰かが張り付いている印象でした。走りまわる選挙カーも多かった。

こっちでは3,4人の候補カーは来たものの、候補自身の顔はほとんど見ず、駅前でも思ったほどではなく、相生町界隈でも出会うことはめったにありませんでした。静かでいいなと思っていたのですが、みな固定票中心の組織選挙だったのかしら?


1月25日(再) 日本政府は後藤さんの命を救え

もう一人の湯川さんは殺害された。もう猶予は出来まい。ヨルダンに拘留中のイスラム女性を釈放するべきだ。ちょうど日本人の副大臣が滞在中だ。ヨルダン政府に日本政府の意向として伝わるようにすればいい。安倍政権よ、早くせい。


1月25日 リウマチ痛し

両腕、てのひら、足(ことに足裏)。むかし幼年時代などに周辺のお年寄りが「リウマチが痛い、リウマチだ」とよく言っていたことを思い出す。つまり自分も年寄りになったということだろう。


1月24日 碧天白雲、市会議員選挙

碧天に白雲二,三、浅間連峰は見事に半ば白い。飯綱山の向うがみな白いのは木々への着雪だろう。

大寒から一週間くらいが一年で一番寒い時だそうだから、あと四,五日か。小諸の冬はほんとに寒いが、空の青さと空気の透明感、雪との対比が気持がいい。

今日ははたして外へ出るか否か。自分でも気分任せだから分らない。午後までの楽しみの一つ。


さて、午後、昼食と投票がてら街へ出た。投票は市議会議員選挙である。人口4万の小さな町だから、20数人並んだ候補者中には直接知っている人が複数いるほか、多少とも縁のある人はほかにもいる。が、選挙は縁で入れるものではない、やっぱり政策、提案によろう。

ふーむ、誰にするか。しばらく考えた上で、私は結局、懐古園で朝市を開く提案を押し出している某氏に決めた。具体的にどうなるかはなかなかむつかしい面もあるが、市内で開かれているいろんな市を、月に1回でも懐古園に集めて開けたらさぞ面白かろうという気がする。
地元に役立つだけでなく観光名物になるかもしれない。

期待して見守りたい。


1月22日 すごい雪

いま猛烈に雪が降っている。かなり大きな牡丹雪ふうで、遠景はすべて灰色に覆われ、寒そうだ。山はもちろん見えない。常緑樹も黒っぽくしか見えないので、目に見える世界は白とグレー、黒、濃茶などだけ。

見ていると次第にひきこまれるような感じになり、幻惑感もある。
この調子だとだいぶ積もりそうだ。
今年はほんとに雪が多く、寒い。

雪のひとひらひとひらが更に大きくなってきた。閉じ込められそうな気までする。



1月20日 朝の薬・補遣

一昨日の日記に薬のことを書いたが、今朝、食後テーブル上に朝の薬を並べてみたら8錠もあった。数え間違いだったわけだ。1錠は薬から胃壁を守るための薬だ。薬が薬を呼ぶ。

8錠となると一度にパッとはなかなか飲みにくく、ちょっと勢いをつける要領がいる。飲み方の技術である。

血圧の薬以外は絶対必要というわけでもない気がするが、しかし飲んだ方が体調がいいし、医師の指示だから、ともあれ飲む。それともこういう場合、飲まずにやり過ごしてもいいのだろうか。毎日薬を飲む同年配の方々、教えてください。



1月19日 小さな町の選挙

まもなく市会議員選挙がある。次の日曜日25日投票だったか。その選挙運動カーが今も門前を通って行った。我が家は街外れにあるから、ほんのたまにしか通らないが、駅周辺なぞは相当うるさいだろう。

人口4万の小さな市だから、候補者に知り合いが複数いる。ほかにも多少縁のある人もいる。みんな当選させたいが、どうなるかは分らない。むろん私の票は1票だけだ。

それに投票した相手が当選したところで、具体的に何かメリットがはっきりするわけでもない。市会でどういう行動をしているかも、多くは分らない。図書館や喫茶店などで地元紙もちょくちょく見るが、市会議員個々の活動まではあまり分からない。

だからまあ選挙の時だけの情報と判断で決めることになるが、よかったかどうかはっきりしたことは今までない。だいたい市会の動静なぞめったに伝わらない。

でも、今回は比較的若い女性も立候補しているし、新顔候補も何人かいるしで、多少興味がわく。その上で私自身、選択に少々迷っている。女性がいいか、某革新派新人がいいか。まあ、当日までにまだ時間がある。そのうち、街か自宅近くで演説を直接聞くこともあろう。それが小さな町の利点だ。



1月18日 朝の薬

朝食後、いつも飲む薬を1錠づつテーブルに並べた。今朝は肩と両腕に痛みも感じるので、痛み止めも加えた。すると、全部で6錠もある。

うーんと唸って、昔のことを想いうかべた。私がまだ30前後の時だったはずだ。作家の森敦さんのところへ時々遊びに行っていたのだが、行くといつもテーブル上に何種類もの薬袋の類が置いてあり、対座中の森さんが、「あ、薬の時間だ」とか呟いて、何錠かをパッと飲む。

午後の時間にそれだけ飲むということは朝晩はもっとということだろう。で、当時かなりの自然派だった私が思わず「そんなに呑むんですか。薬はいわば異物だからあんまり飲まない方がよくはないですか」というと、森さんは「しかしそれぞれ何かに効いてるんですよ。これとこれは胃、これは血圧、これはナニナニ…」と答えられた。
私はあまり納得できなかったが、反論も出来なくて「ふーむ」と黙った。

今、テーブル上の自分の薬を眺めると、やはりそれぞれ何と何の薬と、根拠というか理由がちゃんとある。「ふーむ」である。

私は苦笑しながらその話を連れ合いにし、エイッと全部をパッと口に放り込み湯で呑みほした。あの時の森さんはいくつだったか、60代半ばから70代ちょっとくらいだろう。今の私と同じくらいだ。似たようなことになっている。人間とはかわりばえしないものである。



1月17日 今朝も雪

起きたらまた雪が降っていた。小諸にしてはまったく珍しい日々だ。数日前の雪がすっかり根雪になってしまった。気温も目下零下1度とか。1日じゅう上がらぬらしい。まるで雪国の様相である。

昨日は気になって名古屋方面の天気を調べた。雨模様だったから、今日は太平洋岸でも雪かもしれない。母がいつ退院できるか心配だ。

リウマチだろう、肩や両腕、足裏などが痛い。室温は低くないはずだが、どういうわけか外気温が寒そうな時は痛む。2回の書斎にいると1階より寒いので、ストーブをつけることになる。1階は床下暖房のおかげで温かい。

雪景色はきれいだが、だんだん飽きてきた。やっぱりカラッと晴れてくれた方がいい。


1月16日 雪かきをする

朝起きると、夜中にまた少し降ったらしく、純白世界だった。積雪は10センチはいっている。ただし、表の道路は車が通っている。
ラッセル車が通ったのか、雪の小さな壁が出来たところへお向えの家の雪までそこへ寄せてしまってあるので、ちょっとした壁になっている。お向えは明らかにルール違反だ。

このままでは我が家は車を出すこともできないし、郵便車も近寄れないから、雪かき道具を持って外へ出た。さいわい雪はさほどの量ではなかったので、小1時間で雪かきはほぼ済んだが、まだ車の出し入れがうまくいくかどうかははっきりしない。

日がだいぶ照ってきたので、車の雪が溶けやすいように少し手を入れ、あとは午後を待つことにした。医院へ行くのも午後にする。
前にも書いたが、小諸に雪はめったにないのに、今年はどうしたことか。雪かきは老骨にはこたえる。


1月15日 雪、降り続く

まだ積雪2センチくらいだが、7,8センチくらいまではいきそう。今冬はよく降る。遠景は何も見えず。浅間山もだいぶ下まで雪で覆われたろう。



1月14日 目下零下6度くらいか

西遠景の白馬連峰が純白で美しい。北の浅間連峰は朝日を浴びている。すぐお隣の辛夷の蕾が目立つ。

肩から両腕、手首の先、それに両足うらが痛い。



1月13日 今日は最高3度の予報

終日零下よりはだいぶいい気がするけど、やっぱり寒いな。ずっと太平洋側に住んでいたころだったら信じられない気温だ。

でも、連れ合いによると、昔に比べれば随分あったかくなったそうだ。昔は朝配達された牛乳が凍って、紙のふたが盛り上がりはがれていたそうだ。草地に緑色の草などもなかったが、今はあると言う。

地球温暖化は確実に進んでいるということだろうが、しかしもうちょっとあったかくなってくれんかと、年寄りは思う。



1月12日 10時間眠る

昨日は娘宅で朝8時に起床、昼前には小諸に帰着。夜は9時に就寝、今朝は7時に起床した。
いやあ、よく寝たもんだ。まるで少年時代みたいだ。

外は夜中にまた雪が降ったらしく、純白の世界だった。東京界隈とは別世界だ。
別に雪かきも必要なさそうなので、のんびりしたものだ。今日はひるごろ町へ出かける予定だが、どうなるか。天気はよさそうだが、雪で道がすべらないかが少し心配。

それにしても東京と小諸は電車でたった2時間半なのに、ずいぶん違うものだ。夏は涼しくていいが、冬は厳しい。汗っかきの私はいわば夏の涼しさを選んだわけだが、ことしの冬の厳しさはいささか目論見違いだ。

だいぶ気が早いが春が待たれる。だんだん雪国の気分になってきた。


1月11日 教え子たちに囲まれ

昨日、東京・江古田で「夫馬先生を囲む会」なるものが開かれた。30分早く着いたので、日芸江古田校舎を訪れ、入り口辺で校舎を見ていたら、いきなり「夫馬先生」と叫んで文芸科助手のH嬢(いや、結婚して姓も変っていた)が現れたので驚いた。

そのあと受付方向へ歩いて行ったら、手前に立っていた制服姿のガードマン氏が「おや、夫馬先生」と声をかけてくれたのでまた驚いた。「あれ、ぼくの名前、覚えていた?」というと、「覚えてますよ」と返事。ちょっと懐かしいので学内を散歩したいというと、「どうぞ、どうぞ、サインなぞ要りませんから」と言ってくれた。

で、中庭や学食、文芸棟1階などを少し歩いた。まだたった1年足らずだから変化もなく、見慣れた「いつもの」風景だった。懐かしさを感じるにはもう少し時間が必要だなと思った。
町へ出ようと踏切で電車を待っていたら、「懐かしい」感情が湧いてきた。面白いものだ。

南口のブックオフ近くの店の前へ着いたら、ちょうど後ろから「夫馬先生!」と声がかかり、3人の元女子学生たちに囲まれた。

出席者は17名で、講師の小嵐九八郎さんも来てくれた。卒業後15年くらいの古株から現役生まで幅広い。名前がすぐ出てこない人が半分くらいいたが、顔は全員すぐ分った。あまり変っていない。
テレビによく出ている石井光太君が隣に座ってくれた。

ワイワイ話すのが楽しく、1次会で引き揚げるつもりが2次会までとなり、志木市に住む娘宅へ泊りに着いたのはだいぶ遅かった。 
今朝目覚めたら8時だった。いつもは6時過ぎには起きているから、ずいぶん寝坊したわけだ。ヤッパリくたびれていたのだろう。

楽しい日だった。



1月10日 みなさん、改めて新年おめでとうございます

この場でもすでに元旦に御挨拶していますが、10日たち気分も少し変ったので、改めてごあいさつします。
今年は新年からパリで大変な事件がありましたが、なんとか平和な年になりますよう。
さいわい空は青空、気候は悪くないような気がします。

小生も若返りを目指して、今年は毎日ウオーキングをしようと思っています。みなさんも、それぞれの場所でウオーキングをしませんか。遠くで知っている人が同じようにウオーキングをしていると想像すると、楽しくなります。
なさる方、ちょっとご一報くださると、楽しくなります。よろしく。


1月6日 年賀状シーズンの終り

元旦に来る年賀状の束はやはりうれしい。誰がくれたか、どんなことが書いてあるか、意外事はないか……、ゆっくり見ていくのが正月らしさも誘う。

2日はこの頃郵便局自体が休みなのか、なにも来ない。

3日4日はちょっと出し遅れたか、といったものが来、5日はたぶん元旦に書いたと思しきものが来る。

今日、6日になると来るのか来ないのか、もう関心自体があまりない。こちらからも元旦以降返事として出していたものの最後(メールで出したのがどういうわけか返って来てしまったので、はがきを書いた、など)を朝投函しに行き、さあっもうこれで終わり、とキリをつけた気分になる。

いわゆる松の内も今日で終るので、明日7日朝には門の松飾りも片付けることになる。私の場合は12月は休みだった「体力トレーニング教室」が再開されるので、日常がよみがえる感もある。1か月以上会わなかった人たちと再会することにもなる。

さいわい今朝はあまり寒くないので、外へ出るのもおっくうでない。昼間にはウオーキングもするだろう。日常性はその良さもある。
さあ、また普通の日々の開始だ。



1月4日 今日は寒い

正月三が日という言い方があるが、今年は今日が日曜なので、正月4が日という感じだ。一日儲けた感じもあるが、代りに寒い。

入院中の母も無事、というか元気に正月を迎えたようだ。面倒を見てくれている兄嫁には本当にお礼を言いたい。私もまた見舞いに行きたいが、先月行ったときは、帰りの四時間半の列車がつらい感じがあった。だんだんいろんな意味で歳とってゆく。

2日には教え子のS君が小諸まで来てくれた。
教え子からは年賀状がどっさり来たが、直接ここまで来てくれる人はほかにはいない。嬉しいことだ。


1月2日 今日は快晴です
      

今年は身辺にいろいろ変化が起きるかもしれない。おのれ自身にも起きそうな気がする。いよいよ老年入りということだろう。


1月1日 皆さん、新年おめでとうございます
     

小生もだんだん年をとってきましたが、どうにか元気でおります。
小諸は雪が降ったりの寒い元旦ですが、浅間連峰がだいぶ下の方まで冠雪して、きれいでもあります。
信州方面へお越しの節はぜひ寄ってみて下さい。