風人日記 第五十

いよいよ七月へ、そして九月

2015年7月1日〜9月29日





        感想や連絡はMAILでどうぞ。huma.motohiko@blue.plala.or.jp

              お知らせ (*日記はこの欄の下方にあります)


『季刊文科』(鳥影社刊)53号より短篇連作「信州アカシア林住期」を開始

      http://www.choeisha.com/bunka.html 

 53号(2011年8月、本体1,000円) 「信州アカシア林住期」

 54号(2011年11月、本体1,000円) 「信州アカシア林住期その二 夏の転変」

 55号(2012年2月、本体1,000円) 「逆接のウズベキスタン」(信州アカシア林住期 その三)

 56号(2012年5月、本体1,000円) 「真冬の散歩者たち」(信州アカシア林住期 その四)

 58号(2012年11月、本体1,000円) 「シークレット・ズー」(信州アカシア林住期 その五)

 59号(2013年4月、本体1,000円)  「小諸の道」(信州アカシア林住期 その六) 

          
               

  大手書店、アマゾンなどのネット書店にて発売中。鳥影社から直接購読も可。


『オキナワ 大神の声』(飛鳥新社刊 2200円+税) 


 
            


 7年来毎年訪ねていた琉球弧列島を舞台に、喜界島から与那国島まで八百数十キロを歩いてゆく短篇連作集。



 一昨年、いろんな推移の中で三ヵ月ほど日本の全原発五十四基が停止したことがある。現在は大飯原発が稼動しているほか、安倍首相は「今後新たな原発建設も指向する」と言い出している。原発ゼロは早くも夢のかなたというのだろうか。情けないことである。
 私は現在と未来の人類のために、原発が少しでもなくなっていくことを望む。
                                

                             2014年4月1日
                             2015年1月1日
                               作家・
日大芸術学部教授
                                            夫馬 基彦

 
  

                            日記


9月29日 今日は久々に出かける予定

友人のEさんと一緒に中山道の宿場をめぐることになっている。どんなところか、往昔の面影は残っているのか、興味深い。天気もよさそうだ。


9月26日 曇って、風もなく、……

我が家ではアカシア、近所では桜や姫沙羅が少し色づき始めている。しかしまあ圧倒的に緑が一面。秋の装いは10月にならないと本格化しないな。

きのう東京へ行った連れ合いが、新宿ピカデリーなど映画館の様子を話した。考えてみるともう20年くらい行ってない気がする。うーむ、懐かしい…と言うべきなんだろうな。


9月25日 今日も寒い、憂鬱な暗い日

先ほどまで少し小雨が降っていたし、暗い曇り空はまだ続いている。たぶん今日は晴れないのではという気がする。となると、一日中寒いままかしら?

秋はさわやかさより、実際には薄寒さの日の方が多い気もする。歳をとると、その薄寒さがもの寂しさ、もの悲しさにつながる。己の存在が季節と重なる。

連れ合いが東京へ出かけたので、今日は一日留守番。これもまたもの寂しい。ひるは刻そばへ出かけようと早くも考えている。マスターのF君とおしゃべりしたいのだ。以前は行けば必ず常連のヤマテイさんがいたものだが、このごろ彼はいない。腰を骨折したのだそうだ。

田舎の母も似た場所を骨折して入院中だ。歳をとるということはつらいことである。私自身、リウマチで右腕や手のひら、足の裏などが痛い。母の入院先は愛知県西北部で、片道5時間はかかるから、日帰りはまず無理、兄嫁も70歳を超えたはずだから、そうそう、世話にもなれないし、さて、どうしたものか…。

方針はなかなか立たず、ものさびしく憂鬱である。



9月24日 寒い

今朝は寒かった。ひるを過ぎた今もまだ薄寒い。空はずっと曇っている。
信州はもうカーディガンか薄セーターが要る。こうなるとあったかい陽がほしくなる。

99歳の母が股関節骨折とやらで入院したそうだ。うーむと唸り、愛知県北西部の病院までの距離と時間を考え、また、うーむ。私自身がこのところリウマチであちこちが痛い。全くうーむ、だ。

うーむ、どうすればいいか……。うーむ。



9月22日 黄葉がチラホラ

信州は寒いせいか、もう桂は黄葉しています。姫沙羅も少し紅い葉が出始めました。これからは日々紅葉が増すでしょう。


9月19日  いよいよ5連休入り

しかし私の日常はちっとも変らず、午前中は新聞2紙をゆっくり読んだ後、『おやじの食事』(? 正確かどうか怪しい)なる本の続きを少し読み、草餅二切れとソーセージで昼食を済ませた。

午後、「暇なときはいつもの喫茶店へ」と表へ出たら、かんかん照りで暑かったので、車にした。いつもは当然歩いていく所だし、それが貴重な運動にもなっているのだが、表へ出たとたん、暑くて歩く気を失ったのだ。

喫茶店にはいつものママがいず、息子がおり、常連客二人がしきりに喋っていた。私は聞くともなく聞きながら小諸新聞を読んだ。小さなローカル新聞は町でどんな行事があるかなどが分って面白い面もある(参加はまずしないのだが)が、つまらぬことも多い。今日は何も感じず。

常連客達の話も同様で、持参した『おやじの食事』を少し読んで、帰った。在店30分弱。明日からさらに4連休である。



9月17日 今日は連れ合いが帰る日

タイ・カンボジアへ行っていた連れ合いが今日帰ってくる予定だ。成田へ朝方着だから、うちへはひるごろかしら。くたびれているに違いない。
元気だといいのだが。


9月14日 初孫の顔を見る

きのう久しぶりに埼玉県の志木まで出向いた。隣の柳瀬川に1年半前まで住んでいたというか住まいがあったのだし、娘たちはずっと志木に住んでいるのだから、志木の街もなつかしい。。

孫は生まれてまだ2週間半だから、まだ首も座っていないし、目も見えていない。が、顔はすっかり落ち着いた整った外観になっている。赤ちゃんというものは生まれてしばらくはくちゃくちゃの顔で、誰なのかよく分らなかったものだが、今はちゃんとした顔になっているものらしい。

その顔が何だか私にそっくりだった。眉目の成り立ち、雰囲気が似ている。別におじいちゃんのひいき目でというわけではなく、客観的にそう思えたのだが、娘夫婦はただ笑っていたから、やっぱり贔屓目だったのかしら?

いずれにせよ、孫は初めてだし、子どももひとり娘だったから、わが血を直接に引く赤ちゃんを見ること自体たった2回目だ。娘のときどんなだったかなと思いだそうとしたが、どうも記憶が出てこない。そうしたら娘が自分のアルバムを出して、赤ちゃん時代のものを見せてくれた。

顔はわりあい四角ばっていて、眼前の赤ちゃんとだいぶ印象が違う。ま、もう2,3カ月はたった時のものらしいから、産まれたてとはだいぶ違うのかもしれないが。

これから日進月歩でどんどん成長していくのだろう。きっとちょくちょく見たくなるのだろうなと、思った。



9月11日 いささかくたびれる

8日に連れ合いが東南アジアに出かけて以来、ひとり暮らしである。ひとりは気楽な面もあるが、結構忙しい面もある。一番は食事の支度で、朝・昼は通常時と大した違いはないが、夜も全部自分でやらねばならないから、買い物を含めると、ほとんど一日食事の準備を頭に置いて暮すことになる。

今日も午後2時ごろから「さて、今日はどうするか」と考え始め、どうせスーパーへ買い物に行かねばならないからその前にスーパーに近いいつもの喫茶店に行き、と考えて2時半に車で家を出た。喫茶店へはいつも歩いてゆくのだが、買い物をすれば荷物が出来るからと車にしたのである。

そして、喫茶店に3時までいたのだが、今日は買い物があるという意識がいつも頭にあるため、持っていった本もろくに読めず、早めにスーパーに向い、さんまとかしめ鯖を買って帰った。夕飯にはまだだいぶ早いから、パソコンに向い、この文も書いている次第だが、頭には常時夕飯のことがある。

で、まもなく階下に降り、ちょっと早いがやるか、とか言ってビールを出し、ちびちび飲みだすだろう。そして5時になれば、さあ時間だと自分のなかの何かがかなり大きな声で呟き、本格的に一人晩酌開始となるに違いない。

つまり2時すぎ以降、わが頭と行動は要するに晩酌と夕飯に向けて動く仕儀になる。
だいぶ無駄な時間の使い方に違いないが、うまく変えられない。
もったいない。

そして間もなく5時になる。やむをえないから、リビングに降り、ぼつぼつ晩酌の支度でもするか、となる。どうも、やっぱり、時間の使い方がもったいなくはなかろうか。


9月10日 今日は見事な秋晴れ

と言っても雲はいっぱいある。ぷっかり浮いていたり、鰯雲ようだったり。青さも場所によって濃かったり薄かったり。変化に富んで楽しいものだ。

連れ合いは今日からカンボディアらしいが、向うの空はどんな具合かしら。


9月9日 いかにも寒い

今の気温18度、今日の最高温度予測20度C。


9月8日 早くも寂し

今朝、連れ合いがタイ・カンボジアの旅に出ていった。彼女は娘と成田で落ち合い、行く先でも現地語の出来る知人ありだから、しごく賑やかで楽しい旅になるだろう。

一転こちらは、ひとり身の古希となれば、それだけでうらさびしい。せめてさわやかな秋晴れに心地いい風とでもなれば、気分もちがうのだが、朝からずっとあいにくの雨・くもり状態だ。

で、昼食も心づもりしていた刻そばへも行かず、自宅での孤りそば、午後になっても日はささず、というもの寂しい仕儀。せめて今からベルコーヒーへ紅茶でも飲みに行こうかと…迷い中というわけ。

どうするか、ともかくちょっと体を動かしてみるか……。



9月6日 うすら寒い雨だった

今日は埼玉県まで初孫の顔を見に行こうかと思っていたのだが、朝から雨で、しかもうすら寒いので、あきらめた。シルバーウイークに延期である。

午後になってもずっと薄寒いので、車でスーパーへ酒を買いに行った。燗酒を飲みたくなったのだが、手はワイン、ビール、焼酎、日本酒の雷電へと次々に伸び、酒類仕入れ日となった。

そして4時半からちびちび飲み始めたのだが、その割には進まず、5時半にはもう御飯に手を出していた。このごろどうも酔いたい希求があまりないのだ。ちょっと嘗め、味わい、そして食べ、でもう満足してしまう。

歳のせいかなあと、自分で首をひねる。



9月3日 9月の空気

といっても東京界隈と信州ではだいぶ違うだろうが、なにはあれさわやかで、気持がいい。日射し直下の時間帯でなければ、外へ出るにも警戒感がいらない。多少の風があれば、ここちいい。

孫の顔を見に行こうかと打診したら、娘から、まだ退院後の自宅での日常が定まらないからしばらく待って、と返事が来た。母親自身初体験だから、日常の生活リズムがまだつかめないのだろう。なるほど、そういうものかもしれんなと気がつき、しばし延期にする。

名前はもう決めて届けたというから、こちらもその名前で呼び、「○○は元気かな」なぞと呟くようになりつつある。人間としての存在感はこうやって出来ていくのだろう。
初対面のとき、それがどう変化するかしら?



8月31日 寒い

と言うほどではないのかもしれぬが、この2,3日、朝晩かなり寒く感じる。ただいまの気温23度くらい。朝方少し雨が降ったせいもあろうが、8月にしてはかなり低温ではなかろうか。

尤も今日でその8月も終る。9月の声を聞けば、秋風が吹くのも当たり前だ。
涼しいから、散歩がてら図書館にでも行くか、と思ってから、あ、と気づいた。図書館はしばらく前から移転休業中で、3カ月後にならぬと開かない。

その間は隣町の東御市か御代田町の図書館へ行くしかないが、どちらも車なしでは済まぬし、いささか億劫だ。それに今までは図書館に行ったら必ず近くの喫茶店に寄っていたが、そういう馴染みの店がないのも寂しい。

新しい場所を開拓する楽しみもある気がするものの、億劫さの方が先立ってしまうのは歳のせいだろうか。本自体はそんなに頻繁に借り出していたわけじゃないが、新着本の棚を眺めるのが、世の中の動向を知る一助にもなって、楽しみだった。
散歩代わりの距離としても丁度頃合いだった。

慣れた日常がなくなるのが嫌なのかとも思うが、とすればそれも老化かしら。



8月26日 今朝、初孫誕生

まだ、電話で一報を聞いただけだが、母子ともに健康とのことにホッとしている。男児。
小生の血統の特徴に後頭部絶壁があるが、これは似ないようにと願っていた。さて、どうだったか。まだ聞いてない。



8月23日 母、白寿の誕生日

電話で話したが、元気なものだ。こっちの声は低過ぎてよく聞き取れないらしいが、兄嫁の通訳で何とか会話が成立する。同じケアハウスに兄嫁の実家のお母さんも入っているので、楽しくやっているようだ。

こんなに長生きになるとは、予想もしなかった。私自身がもう70代で老人の仲間入りをしているし、世の中、ほんとに長寿社会になったものだ。めでたくもあるが、困ったこともいろいろ生じる。どうなっていくのか、それ自体に自分で目を見張っている。

一方、孫の誕生が少し遅れている。はて、どうなっているのか。



8月22日 武田信玄の墓

昨日は同年の友人Eさんと佐久市の岩村田へ行った。そこに信玄の墓があるというのだ。なぜ甲斐の信玄の墓が佐久に、という疑問からだったが、信玄夫人が大井氏の出で、大井氏はこの界隈の有力豪族ということらしい。

信玄の墓のある寺院の瓦には確かに武田菱があり、墓もあった。ここに墓があるということは信玄が晩年は甲斐より佐久の地を本拠にしていたということかもしれない。確かに越後の上杉との戦などを考えると、甲斐より佐久の方が行動し易かろう。

甲信越と一口に言うが、甲信と越はこうしてしのぎを削ったのだ。そのせいで京へ攻めのぼる機を逸したのかもしれない。寺の境内にある、骨のうずまっているという信玄の墓を見ていると、戦国武将の荒々しい生涯を垣間見せられる感がした。



8月17日 今日は新聞がない日らしい

おかげで朝、新聞がなく、手持無沙汰。よってこれを書いている。代りにテレビを見る手もあろうが、どうも雰囲気が違う。テレビはぼうっと向うに引きづられて見る感じになるが、新聞は読む記事を選択できる。あるいは他の記事と比較できる。

つまりこちらの主体性が発揮できる。途中でやめることもできるし、政治記事の途中でスポーツ記事に移動することもできる。広告のチェックもできる。

むろんテレビの良さもあるが、要するに自分は活字人間だということだろう、新聞の方が落ち着く。
新聞社関係の方、いつもありがとう。ないとありがた味が分ります。



8月16日 終戦記念日

昨日はいわゆる終戦記念日だった。

この日のことは敗戦記念日と言うべきだという意見がある。意味はよく分るが、しかし私は終戦でいいと思う。なにも「敗戦」をわざわざ記念する必要はないし、日本人にとっては「戦争が終った」ことが何より重要だったはずだからだ。

私自身、幼児時代から大人たちが「終戦、終戦」と言うのを聞き育ったし、「戦争が終ってほんとによかった」という言い方も自然に納得できた。「敗戦になってほんとによかった」では、どうも抵抗感があろう。

お盆の日が終戦の日になったのも、どういう経緯かは知らないが、まあうまくおさまった気がする。いろんな立場の人が、まあ、いいか、ちょうどお盆だし、という気分にもなれたのではないか。
今でもごく穏やかな気分で「戦争終結」を喜べる気がする。

昭和18年生まれの私は、これで文字通り戦後の子として平和に育つことになった



8月11日 今日はお出かけ予定

長野市へ出向いて、うまい中華料理を腹いっぱい食べるつもり。このところ暑さであまり食べていないので、栄養補給というわけ。
東京と違ってすぐそこというわけにはいかないけど、たまには楽しいもんです。

食べ過ぎないように注意します。



8月9日 長崎原爆記念日

この日午前11時、長崎市に落された爆弾により、7万4千人が死亡した。ヒロシマの約半数だが、街は一瞬にして壊滅した。
ヒロシマと合せると、合計22万人、その後の死者も入れれば30数万人になろう。

核兵器とはまことに恐ろしいものだ。さすがに敵味方とも、しばし呆然としたのではないか。よって以来、核兵器はさらに開発され続けたものの、まだ3発目は使用されていない。人類の叡智というより、要するに恐ろしさのせいだろう。

8月9日は今後3つ目の核爆弾使用を永久になくすための記念日にするべきだ。長崎がキリスト教ゆかりの町だったことは、のちにそれを知っていったアメリカの一般市民にも大きな衝撃だったはずだ。

あれから70年。どうにか平和が保たれてきたことを、ともあれ喜びたい。



8月6日 今日

広島の原爆記念日である。朝日新聞に見開き2ページにわたって1945年8月6日当日の広島市が一望できる写真が載った。ほんの2,3の建物以外何もない、ぼうぼうたる全くの廃墟である。これほど何もない都市を見るのは初めてだ。

それがたった一発の爆弾の結果とは、まさに茫然たる思いだった。

1発で14万人がなくなり、その後の死者も入れれば20万人が死亡と聞くと、まるで魔法でも見る思いだ。いや、まさに原爆は人類が生み出した「死の魔法」なのであろう。
広島にはもう草も生えまい、と言われたというが、それがよく分る。

だが、広島はその後草が生え、人が住み、今や大都市になっている。

分らぬものだ。人間の生命力の強さの証なのか、原爆といえどもしょせん破壊消滅はいっときのものである証拠だろうか。

いや、影響はいっときどころか長く続いている。広島の遺族は連綿と何10万人も続いており、ヒロシマの惨禍は世界中がいまだに記憶している。

8月6日の記憶は永久に残るだろう。



8月4日 暑い!

おかげで外出せず。おかげでビールも底をついた。今日は買い出しに出ずばなるまい。
うんざりするがやむを得ない。買い出しに行かなければビールが飲めない。ビールは飲みたい。暑いが、やむなく買い出しに出かけるか。



8月1日 ついに8月

まだ10日ほどは暑いそうだが、お盆の気配とともにだんだん秋めいてゆくだろう。その秋風がそよ吹く風情が好きだ。

これまで街へもめったに出なかったが、ぼつぼつ散歩がてら行ってみようか。図書館も8月下旬で3ヶ月間休業になるし(移転のため)。ベルコーヒーへもこのところあまり行ってないし。



7月30日 昨日今日と涼しい

台風のせいかしら。嵐は困るが、遠方の台風は涼しくなっていい。
もうじき8月だ。お盆かぜが吹くかしら。



7月27日 早く台風よ来い

要するに雨が降ってほしいのである。一度日本中を水で包んでくれないと、暑さがとれまい。
明日は終日曇りの予報だが、雨も降らないかしら。



7月26日 ぎょぎょっ!?

10日も日記を書いてなかった。暑かったせいですっかり忘れていたらしい。いや、暑くない日もあったから、なんだったのか!?

で、今日は久し振りだからたっぷり書こうと一旦思ったのに、今度はほんとに暑くてこれだけ。わが書斎は2階で暑いし、クーラーもない。クーラーをいよいよ買おうか、また迷う。


7月16日 降り続く梅雨

梅雨は必要なものとは分っているが、降り続くと鬱陶しくなる。
ちょっと図書館や街へ行くにも気分が引けるし、といって代りの場所も思いつかない。どこへ行っても雨が降っているのだ。

屋根に枝が垂れさがったりしている庭の木を数本伐ることにしたが、うまくいくかどうか気になったりする。建物近くの木はうっとうしくもあるが、なくなればさびしいかもしれない気もする。むつかしいものだ。

まあ、だんだん心の準備をしていくしかなかろう。


7月13日 まつりのあと

土曜が市民まつり、昨日曜が健速神社祭礼だった。昨日なぞは神輿は健速神輿と迎える相生神輿の2基だけで、その意味では静かなものだったが、縁日が今年は本町・相生町を結ぶ横筋に設定された(去年までは相生通りだった)ため、ちょっと景色が変った。

歩いてみたら、行きつけのベルコーヒーまでが店の前に縁日ふうに出店していたので、ヘーエと思った。喫茶店の出店というのは珍しいんじゃないかしら。それにふだんの日曜は休みだから、その分の意外さもある。ツルヤで大吟醸の小瓶を買ってきたところなので、早く帰って飲みたく、そのまま通り過ぎてしまったが、ちょっと立ち寄ればよかった気があとでした。

小諸のまつりはドカンショというのが8月1日にある。ドカンショとは何か、よく分らないが、まあ、これも楽しみである。



7月12日 小諸市民まつり

昨日は恒例の市民まつりだった。例年少し雨模様になるのだったが、今年は快晴、全く雲ひとつなく、おかげで暑かった。

連れ合いと駅前から相生町へ行き、茶話園でお茶を御馳走になった。茶話園の奥から通りを見ていると、子供みこしに女の子が圧倒的に多いことに気付いた。男の子はどうしたのだろう?付き添いの母親も多いので、神輿の周りは女だらけ。男たち、もうちっと頑張れ!

連の数も子供みこし20、大人みこし22とかで、10年ほど前に比べると半分くらいだそうだ。が、いつもろくに人通りもない通りが人でいっぱいだ。ああ、小諸にもこんなに人がいたんだ、と茶話園の人たちと言い交わした。

今日は健速神社の古式の神輿が1基だけで町を静かに、いささかもの悲しく、練り歩くはずだ。私はその姿が好きなので、時間を見計らって見に行くつもりだ。


7月5日  みなさん、若いなあ  額賀頑張れ

日記の足あとなぞを見ると、深夜に見ていてくれる人が多いのに驚く。小生の友人連のことだからそう若いはずもなく、同世代に近い人が多いのに、深夜族だ。小生なぞ9時半から10時には寝てしまう者には、いささか驚きでもある。

そういう方々、朝は何時ごろ起床なのかしら?
小生は6時ごろ起き、自分で朝食を作って6時半には食べ終わる。それから2種類の新聞をゆっくり読み、終ると、パソコンチェックというわけだ。

一昨日は、教え子・額賀澪の松本清張賞受賞式があったが、ちょっと体調不如意、かつ式が夜で、終了が夜8時というので、それから長野県まで帰宅するのはちとつらい気がし(前日あちこち電話したがホテルがとれなかった)、欠席してしまった。

御当人から「無理をせず、寝ていてください。次回、出ていただけば結構です」というメールが届いたせいもある。さては彼女、次は直木賞をとる自信ありだなと感じたから、こちらもそれを予定に入れることにしたのである。とってくれよ、額賀。


7月4日 今日はおねんね

今朝起きぬけから体調やや悪く、朝食後またベッドに入った。どうせこういうことになるのなら、昨日、教え子額賀澪の松本清張賞授賞式に出ておけばよかったと考えたり……。ちょっと不調だったので、東京まで往復は慎もうと欠席したのだ。

彼女は「休んでいてください。次の受賞式に出てくださればいいから」みたいなことを言ってきたので、やる気だな、彼女ならほんとにとりそうだ、と嬉しくなり、その言に従ってしまったのだ。ううむ、こっちはだんだん歳をとっていくし、動けるときは動いておいた方がいいのかもしれない。

寝込むのは久しぶりだ。前回がいつだったか思い出せないくらい。少なくとも数年前だろう。考えてみればそれだけ健康でいられたわけだから、慶賀すべきだ。早く治して、また健康で過ごしたいものだ。それにしてもだんだん東京へ行かなくなる気がする。まさに隠棲だなあ。



7月1日 ついに7月

といっても、日常に何の変化もないが、梅雨らしく、雨量はかなりだ。で、いつもの筋トレ教室に初めて車で行った。市営駐車料100円。
教室は欠席1名。もっと多いかと思ったが、みな車だから関係ないのかもしれない。

明後日は久々に上京するが、以降はカレンダーに予定なし。水曜の筋トレ教室だけがずっとしるしが付いている。
何か新しいことをしたくなった。じっくり考えてみよう。