風人日記 第五十

寒い秋、そして冬

2015年10月1日〜12月31日





        感想や連絡はMAILでどうぞ。huma.motohiko@blue.plala.or.jp

                         作品


[季刊文科](鳥影社刊)53号より短篇連作「信州アカシア林住期」 

     http://www.choeisha.com/bunka.html 


 53号(2011年8月、本体1,000円) 「信州アカシア林住期」

 54号(2011年11月、本体1,000円) 「信州アカシア林住期その二 夏の転変」

 55号(2012年2月、本体1,000円) 「逆接のウズベキスタン」(信州アカシア林住期 その三)

 56号(2012年5月、本体1,000円) 「真冬の散歩者たち」(信州アカシア林住期 その四)

 58号(2012年11月、本体1,000円) 「シークレット・ズー」(信州アカシア林住期 その五)

 59号(2013年4月、本体1,000円)  「小諸の道」(信州アカシア林住期 その六) 

          
               

大手書店、アマゾンなどのネット書店にて発売中。鳥影社から直接購読も可。


『オキナワ 大神の声』(飛鳥新社刊 2200円+税) 


 
            


 7年来毎年訪ねていた琉球弧列島を舞台に、喜界島から与那国島まで八百数十キロを歩いてゆく短篇連作集。



 一昨年、いろんな推移の中で三ヵ月ほど日本の全原発五十四基が停止したことがある。現在は大飯原発が稼動しているほか、安倍首相は「今後新たな原発建設も指向する」と言い出している。原発ゼロは早くも夢のかなたというのだろうか。情けないことである。
 私は現在と未来の人類のために、原発が少しでもなくなっていくことを望む。
                                

                        
 2014年4月1日
                          2015年1月1日
                          
                          作家・
日大芸術学部教授
                                             夫馬 基彦

 
  

                          日記


12月31日 いよいよ大みそか

今さっき、注文しといたお節料理も届いた。ちょっと開けてみたらいかにも正月の匂いがした。
これで、準備よし。我が家の正月は簡単なものだ。

娘というか孫がどんなふうか急に気になってきた。が、見に行くわけにもいかない。
世代として今や向うが社会の中心だ。任せておくのが一番だろう。

空は西も北もすべて真っ青。北側の浅間連峰は所々にちょっとだけ雪が見える。が、正月もあったかいそうだから、浅間岳本峰を除けばまもなくみな融けてしまうだろう。青空の正月にちがいない。

みなさん、今年も1年お世話になりました。ありがとうございます。


12月29日 本日の日記A

本日、季刊文科67号(鳥影社刊)が届いた。同誌では小生の連載「新アカシヤ林住期」が始まる。第1回は「緑の生命力」。信州の林の中での私の生活を中心に描いたエッセイとも小説ともつかぬものだ。

関心のある方、ぜひお読みください。



12月29日 青空と雪雲(本日の日記@)

今、西窓から外を見ると、真っ青な空に白雲がいくつも浮いていて、ゆっくり左から右へ、つまり南から北へ流れている。そのせいか南の空は真っ青で、北窓から見える北の浅間連峰は雪雲で重そうに覆われている。

たぶん連峰の峰部はいずれ雪を冠って現れるだろう。浅間ヶ岳や黒斑山など真っ白に違いない。
人間世界の方は明日の筋トレ教室ももうないはずだし、すっかり暮れの静謐さに包まれているだろうと思える。

斜面林下の千曲川の様子をちょっと見てみたい気がするが、寒いだろうなと体は動かない。ま、昼間、懐古園端の展望台から見下ろしてみることにしよう。裏口からの入園はしばらく前から門番なし、つまり無料になっているはずだから、出入りが気ままでいい。

田舎のケアハウスにいる99歳の母のことが頭に浮かぶ。同じハウスに兄嫁の母親も入所しているし、兄嫁が原則日に1回は訪れてくれているはずだから、淋しくはないはずだが、やはり気になる。が、長野県から愛知県へとなると、なかなかおいそれと72歳の体は動かず、送ったリンゴはもう食べているだろうかとか、そんなことばかりが目に浮かぶ。

静かなような、物憂いような、暮である。


12月27日 いよいよ暮も

押し詰まってきた。といっても私の場合、せわしいことはほとんどないが。
なのに、気分としては今年も終りに近づいたなあ、といった感じになるから不思議なものだ。年賀状も数年前から、来たものに返事を出す(これはかなりきちんとやっている)だけになったから、事前には何の忙しさもないし、返事の量もだんだん減っていく。

こうやってだんだん静かな老後とやらに移行していくのだろうが、寂しさ半分だ。田舎の母親は99歳でまだ健在だが、よく生きてきたなあと感心する。自分はごめんだ、なんとか早く死にたいと思うが、思うようにいかないところが人生の難だろうな。

リウマチで痛い右手を何とか和らげようと開閉させつつ、去年はもう少し動いたが、と思いだしたりする。


12月25日 北空だけが青い

おかげでその下の浅間連峰がきれいだ。浅間嶽手前の通称「ギッパ」が雪の白い線が混じって峻厳そうに見える。いつも穏やかな高峰山や三方ヶ峰まで峰部に雪があって高山ふうに見える。まあ、2千メートル近いのかもしれないが。

でも、手前の隣家の辛夷は少しづつ蕾をふくらませている感じで、春を想像させる。
リウマチで右てのひらがきちんと握れない。足の裏も痛い。治すいい方法はないかしら?


12月24日 昨日は天誕だった

少年時代(中学1〜2年?)、4月29日の朝に学校へ行かずのんびりしていると、おばあちゃんが「今日休み?」というので、「そうだよ」と答えたら、「何の日?」と問われた。で、「天誕」と答えると、「なに、それ?」と言うので、「天皇が生まれた日」と答えると、「ああ、天長節か」とおばあちゃんが言った。

「それは明治や大正の言い方、今は天誕だよ」と言うと、おばあちゃんは「ふーん」と呟いていてから「テンタンて天という字に元旦の旦と書くの?」と言ったので、笑いだしながらふざけて「そうそう」と答えると、歯医者であるおばあちゃんは信じて、患者さんたちに「今日は天旦と言うそうですねえ」と言ったらしい。

そして夕方、「天旦などという日はないそうじゃない!」と私に怒った。どうやら本気で信じていたらしいおばあちゃんに、私は困惑しつつまた笑ってしまったが、世代差ということをその時痛感したものだ。

その天誕も今は12月23日になっているわけだが、今の少年たちはどう言い慣わしてるのかしら?


12月22日 あちこち痛い

多分リウマチだと思うが、一番痛いのは右肩右手で、手はちゃんと握れない。食器などはどうにかつかめるし、食べるにも支障はないから、たいして気にしていないが、しかし痛いなあ、と時々右腕をゆすったり、てのひらを開いたり閉じたり…。

ま、決定的な不便はないが、あとどういうわけか足の裏がだいぶ前から痛い。これも行動に不便があるほどではないからあまり気にしていないが、階段を下りるときは痛くてつい手すりにつかまったりする。

プレドニンを朝1ミリグラムだけ飲んでいる。整形外科医は最初3ミリグラムと処方しかけたが、私が1ミリで結構です、と減量を申し出たのだ。3ミリもらっておいて自分で調節すればよかったとちょっと悔やんでいる。私はどうもクスリ類に警戒感があって、出来るだけ少量にしたくなるのだ。

クスリを飲まずに治す方法は何かないだろうか。


12月20日 一面の青空

遠景には白馬連峰が白く連なり、北側中景には浅間岳なぞが冠雪しています。外は昨日から寒く、気軽に外出できなくなりました。
書斎の真西には赤屋根の布引温泉が見えていますが、出かける気にはなりません。湯ざめが怖いからです。

さっき窓の水滴をふいたばかりなのに、もう新しい水滴が出来ている。それだけ室温(ストーブをつけている)と外気温が違うのでしょう。美しさと厳しさと…。


12月17日 タイヤ交換

一昨日予約したのだが、今朝起きたら雪が降っている。まもなくやんだが、それにしてもグッドタイミング。北の浅間連峰は高峰山や三方ヶ峰が雲の上から覗いている。浅間ヶ岳は雲に隠れて見えない。

あちこちの屋根が少し白い。雪だ。が、どんどん融けていく感じだから、1時間もしたら痕跡はなくなるだろう。11時の予約時間に出かける頃は青空になっているかもしれない。


12月15日 浅間連峰鮮やか

純白の浅間岳から西へ延びる連峰はほかに雪はないが、冬の青空を背にくっきりときれいだ。
西遠方の白馬連峰の方角はうす雲って、春みたいにかすんでいる。
グリーンは北側斜め隣家との境界にある松や檜の常緑樹ぐらいで寂しい。

北側遠景の小諸高原美術館の建物が、手前の木々が冬枯れのおかげで見える。こういうのは冬の良さ。浅間岳の雪の白さも冬ならではの美しさだ。
今、しなの鉄道の列車が通っていった。長野から軽井沢へ行く途中であろう。


12月14日 どんより冬空

さすがに寒々しく、浅間連峰なぞは雪でも降っているのではと思わせる。視界に緑はほとんどないし、枯れすすきがそよいでいるばかりで、もの寂しい。

昨日だったか電話で話したばかりなのに、田舎の母はどうしているかと浮んでくる。何しろ99歳だから、突然枯れ木が折れることもありうるという気がしてしまう。

私当人もこのごろはリウマチの具合が悪く、あちこち痛い。右手はきちんと握ることもできない。どういうわけか足の裏が痛く、階段を下りるとき手すりにつかまってしまう。

情けないものだ。


12月13日 わしゃ死ぬ、もう死ぬ

最近、明け方、半睡状態中のわが呟きである。むろん本気じゃないはずだが、それにしてもしょっちゅう出てくるのはなぜだろう……?


12月11日 小学校時代の夢

このごろ昔の夢をよく見る。断片的だが、今日明け方前は小学校時代のもので、小5,6年ごろのクラスメートの女の子(特別美人でも中心的存在でもない)がまず登場し、ついでその子と仲良くなったという男子が登場、二人が楽しげにする光景だ。

約60年前の光景であり、これまで夢にも思い出にも一度も出てきたことのないものだ。なぜ、今頃、なぜ、その光景が、と考えても、私はその子に別に関心もなかったし、いっかな納得がいかない。が、夢のなかでその子の名前まではっきり出て来、相手の男の子の名前も出てくる。

目覚めて何時間もたった今も光景がはっきり浮び、名前もちゃんと出てくる。姓名とも正確だし、小学校卒業後初めてのことで、不思議、というか、訳が分らない。

うーむ、いったい何だろう…!? 


12月9日 見事な青空

空の青さは秋、と言われるが、冬の方が更にきれいな気がする。今日は本当に雲ひとつないうえ、はるか遠方の白馬連峰が北アルプスから純白に峰をつながらせ、鮮やかに見える。手前の木のせいでいつもは見えていなかった集落や東御市界隈までがよく見える。

千曲川はさすがに低くて見えないが、その岸にほど近い布引温泉の赤屋根の建物がよく見える。我が家のちょうど真西になる。冬は寒々しくもあるが、景色は広々していい。北の浅間岳は雪の純白の筋が頂上から何本も引かれていて、いかにも雪の山らしく、美しい。

1月には教え子たちが東京で私を囲む会を開いてくれるそうだ。嬉しいことだ。


12月7日 新しい図書館

市役所新築に伴い、図書館も新しくなり、広くなった。そしてその一角に小さな喫茶室というか喫茶店が店をだしたので、そこへ2度ほど行っている。すぐ前が旧市役所取り壊し中なので少々雑駁感があるが、2階のせいで遠景は御牧ヶ原までよく見渡せ、さわやかだ。

眼下の時折車で通る道も、上から見下ろすと風情が違い、面白い。
おかげで以前からなじみのベルコーヒーについ御無沙汰しているが、あそこにはあそこの良さがあるから、また足を向けるだろう。

人口4万の小さな町にも変化は起こるもので、ちょっと新鮮になる。


12月5日 またまた御無沙汰

前回から早くも10日余り。どうも老耄の兆しありですね。
まあ、日常に変化がなく、書くことがないということもありますが。

この間に名実ともすっかり秋を越え、冬となりました。浅間連峰には浅間岳のほか黒斑、高峰、三方ヶ峰の頂上部に雪があります。赤ザレなぞ雪で真っ白、白ザレです。

西側も斜面林境界の木々の葉が落ちたので向う側遠くのたぶん布引温泉の赤い屋根の建物が見える。私は当初、あぐりの湯かと思ったが、いま妻に見せたら、あぐりの屋根は黒いというから、布引温泉なのだろう。

それにしてもしばらく前までは何も見えなかった向う側に、ほかにも白い建物らしきものがちらほら見えるから、はてあれは?と首をひねっている。日常的に見えなかったものは、ずいぶん不分明なままだ。人間の意識は、他のことを含め、そういうものなのだろう。老人の意識も、若い人と比べたらずいぶん「不分明」なものだろうな。

それにしても空が青いのは気持がいい。空気は寒そうだが、散歩をしたくなる。


11月24日 寒い

朝、新聞をとりに門まで出たら寒かった。昨日までは感じなかったから、いよいよ冬の温度になったということだろう。庭の木々の葉も桑の一本を除きすべて落ちた。いや、楓が2本、真っ赤になった葉をつけて存在を誇示している。

隣家の辛夷は葉が落ちたと思ったら、もう新しい蕾(と思う)がぎっしり着いているから、ホウと思う。これから寒くなるのだから、冬じゅう寒さに耐え、春になるとすぐ咲き出すのかしら?

葉がなくなると、鳥が目立つ。落葉前から同じようにいたのだろうが、葉がなくなったからよく目につく。灰色のかなり大型の鳥が、木の幹を下からツツツと駆け上がって、樹皮をつついている。皮の下に虫でもいるのだろう、それをつついて食べる。

餌は冬になっても案外いるものらしいと、知れる。そういえば鳥は冬眠なぞしないみたいだから、餌も冬じゅうなければ生きていけない。虫は隠れる樹皮が減って生きのびるのが大変だろう。

今朝、うちの奥さんが「今日あたり鍋でもしようか」と言った。人間は樹皮ではなく鍋をつつく。


11月23日 御無沙汰しました

ふと気づいたら、前回記入が11月14日らしいから、9日もたっていることになる。9日と言えばたぶん最近ではまずなかった空白期間である。その以前はせいぜい2日か3日空きくらいで進行している。

何か理由があったかしらと考えてみたが、昨日は上田市へ出かけていたくらいしか思い当たることがない。要するに茫と過ごしていただけなのだ。
ま、急に冬めいてきたので、周りの風景の変化に気をとられていたとでもいおうか。

西側の木々が一気に葉を落としていったので、その向う側の風景が気になった、と言えなくもないが、一日中そんなことばかり考えているわけもなく、腑に落ちない。

昨日の上田は映画を見に行ったのである。映画は昔の知り合い広河隆一監督の「パレスチナ1948ナクバ」というドキュメントタッチの作。ナクバとはこの年の5月15日にイスラエルが建国され、同時に90万人のパレスチナ人が自分たちの村や町をイスラエル軍によって一方的に追い払われた「大災厄(ナクバ)」の日のことだ。

映画はそのパレスチナの小さな村を主題にしたもので、広河監督が昔そこで働いた場所を、何十年ぶりかに再訪することを描いている。

むかし出かけていく頃の若い彼を知っているだけに、そして主題はイスラエルとパレスチナという困難な大問題なだけに、印象は強く、未だに感想がまとまらない。映画の後、広河隆一自身が壇上で話をしたのだが、明晰な言葉はなかなか出なかった。

地上に「大災厄」はいろいろあったが、ユダヤ人問題やパレスチナ問題はそのひとつであり、当事者にとっても、利害から遠く離れた極東の日本人にとっても、解答はいっかな出てこない。

まったくこの問題はどうしたらいいのか。誰か解答を出しうるのか。……沈黙だけがたちあがって来る。


11月14日 パリのテロ

パリ市内の何箇所かで連続テロが起こったらしい。銃や爆発物も使っているのか、120人の死者という報もある。日本なぞでは信じられないできごとだ。

アメリカやフランスによるシリア空爆へのイスラム側の報復、ということらしいが、一般市民への無差別攻撃だから、やりきれない。「アラー アクバル!(神は偉大なり)」と叫びつつの凶行というから、神とはいったい何なのか、と考えざるを得ない。

こういう時の「神」とは殺人をも容認するものとして使われるらしいが、人間とはまことに勝手なものである。片や神の名を叫びつつ殺人をし、片や神に助けを求めるだろう。神に頼れないと感じる者はどう叫べばいいのか。と考えていって、ここから先いかなる言葉も浮ばない。


11月12日 冬

先刻ちょっと町の喫茶店へ往復したのだが、帰りはかなり寒く感じた。そして、ああ、冬だと感じた。で、帰宅後、カレンダーを調べたら、8日が立冬だった。

木々が紅葉していくのに気をとられているうちに、いつのまにか冬になっていたわけだ。そう言えば西側向うの斜面林との境界木のあたりも、隙間がちらちらし出した。まもなく葉が全部落ちれば向う側の空間があっけらかんと視界いっぱいに広がるだろう。

そうなれば我が家も完全に冬のなかの裸になるだろう。風が吹けば即あたるし、大げさに言えばだいぶ下の千曲川から吹き上げる風がもろに家に当って来るとも言える。

寒そうだ。今の家にはもう何年も住んでいるけど、こういうことを意識したのは初めてだ。私も歳をとり、家も歳をとったのかもしれない。

そう言えば今朝、布団の中で、ふと、大学へ行かなくなってもう1年半以上になるな、と思い浮んだ。別に淋しくもなんともなく、大学へ行きたいと思ったわけでもないが、自分の状況はだいぶ変ったはなあ、とは感じた。

そして起きだし、洗面したあと、鏡を見ると、わが両鬢が真っ白だとも感じた。
ああ、歳とったわなあ、というのがしごく自然な感慨だった。


11月9日 紅葉深まる

今ごろは朝起きてカーテンをあけると、紅葉がずいぶん深まっている。黄葉から紅葉への感もある。
一番近い隣家の辛夷も、大きな葉が真っ黄色になってきた。遠景の高峰山も中腹あたりはすっかりレンガ色だ。

まだ行ってないが、小諸城址懐古園は紅い葉の木も多いはずだ。菊花展は終ったはずだから、紅葉を目当てに行ってみよう。


*今(9時半)行ってきたが、園内も千曲川対岸の御牧ヶ原も見事な紅葉だった。園内にはほんとに真っ赤なもみじがある。対岸は山全体が赤や黄のまだら模様。千曲川のダムがいつもとは違った風情に見えた。


11月8日 暗くて寒い

雨雲のせいで暗い。青空なら紅葉がさぞ映えると思うのに、暗いから紅葉も華やかさがない。手前のアカシアははや8割がた散り、遠景の山は雲で見えない。昨日ちょっと見た懐古園の紅葉は見事な色どりだったが、今日はレンガ色にくすんでいるだろうな。

遠景が見えず近景がレンガ色っぽく覆われると、風景がだいぶ違って見える。ちょっと重苦しい感じもある。酒でも飲みたくなる。



11月6日 浅間山の煙が白い

さほど子細に観察しているわけではないが、今朝の浅間の煙はずいぶん白い。モクモク感もかなりある。
うかつなことは言えないけれど、煙の下のエネルギーが相当強いような気がする。どうなるかしら。


11月5日 風もなし

今日は暑からず寒からず、街のベル・コーヒーへの往復すべて風ひとつなく、快適そのものだった。11月だと小諸界隈はもう少し寒いものだが、実に温暖穏やかな日である。

往き来に浅間連峰を見ても枯れ葉色が7割方を占め、落ち着いた風情である。

つるやで地元産ブドウを買って帰った。今日の晩酌はブドウがつまみだ。酒は雷電。雷電は隣町東御出身で、道の駅の名前が「雷電の里」だ。雷電は酒はどのくらい飲んだのかしら?


11月3日 東信菊花展

我が家から徒歩3分の旧小諸城址懐古園内で、今、菊の花展が開かれている。毎年この季節に行われるもので、小諸市や東御市近在の菊栽培者たちが自慢の菊を展示するものだ。

ふだんは馬場と呼ばれる敷地に、大きなテントがコの字型に設営され、その中に見事に咲いた菊がずらりと並べられる。圧巻は一本の菊から咲いた花が直径3〜4メートルの円形にぎっしり咲いているもので、よくもまあかくも咲くものだと感嘆させられる。
縱5段の五重の塔みたいに咲いているものもあるが、これは格段一個づつ、五本の花だそうだ。

いつも思うのは、これらの花の見事さと同時に、それを育てた人の大したものさだ。花への熱意というか、愛というか、こだわりというか、春以来、いやたぶん花も何もない冬からずっと続ける花育ての労力・エネルギー・技術を考えると、感嘆してしまう。

どんな人がどんな思いで、かくなることをするのかと感じいるが、端の方のテントに座っているそれらしき人々を見ると、要するに土臭いお百姓的な印象だ。実際、育てる経過は植物を育てる一部始終ようするにお百姓と似たものであろう。

花を見ていると、自分も育ててみたい気がふと動いたりするが、すぐ、いやいやこれは根気と集中力、裏方的美意識がなくてはとても出来る技ではあるまいと思えてしまう。

それでも毎年やるとなると、それぞれに今年のテーマがあるのだろうなとも思え、一度ゆっくりそういう話を聞いてみたい気もする。


10月31日 一面の黄葉

と言うと少しだけ違う。厳密には1,2割はグリーンがあるからだ。が、それらもだんだん黄色くなり、まもなく他の紅葉ともども散っていくだろう。

そうなったあとの冬景色は何とも寂しいもので、意識までも寒々とするが、それゆえにそうなる前の秋景色は味わい深い。木々にはまだ葉がぎっしりあり、黄色や赤系の様々な色がひろがり、北側なぞそれが高峰山の上まで続いてゆく。

一番手前のお隣の庭の沙羅や辛夷、山法師もだいぶ色づいてきた。沙羅なぞもう枯れかかっている。まだ散ってくれるな、とつい言いたくなる。

話は違うが、体のあちこちがリウマチで痛い。両腕、首筋、腰、足の裏などで、一番は右てのひらだ。握ったり開いたりのたびにかなり痛い。足の裏は開閉なぞも出来ないが、階段を下りる時が痛い。

整形外科へ行ってみようかと電話受付を調べたら、今日は待ち人数20数人だそうだ。土曜日のせいかしら? とても駄目とあきらめ、月曜まで様子を見ることにする。


10月27日 映画〈サイの季節〉を見る

きのうは長野市まで出向き、映画を見た。新しい映画は東京まで出向かなくとも、たいてい長野市で見られる。

この映画はイラン在住クルド人を主題にした映画で、製作はトルコのイスタンブール、バフマン・ゴバディというイラン国籍者らしい人によるものらしいので、どこの映画というべきかよく分らないが、いっそクルド映画と言った方がいいかもしれない。

クルド人は地図で言えばイラン・トルコ・シリア・イラクにまたがって住む、国家をもたない最大民族で、古代カルデア王国が祖である。

映画はそのクルド人で、イスラム革命がきっかけで(しかし内実には妻をめぐる個人的関係もあるようだ)30年獄中にいた詩人たる人物が釈放されて元の場所に戻ると、妻は他の男と一緒になっており、彼は死んだことになっていて墓まである。
茫然たる彼の目に映る妻や周辺等が描かれていき、ラスト、男は一人荒野(?)へ去ってゆく。

なんとも言葉も出ないようなストーリーで、私などただ茫然と見終わった。外へ出、遅めの昼食をとりながら、映画の意味をよく把握できない自分を感じた。要するに国をもたない者、さらに家族まで持てなくなった者の孤独と悲哀がひしひし迫るのだが、今の日本人たる自分なぞには文字通り呆然とする以外ない内容なのだ。

私はかつて若き頃、トルコからイラン界隈を通る一人旅をしたことがあり、クルド人にもちょっとだけ接した経験がある。が、それくらいで理解できるわけもなかったクルド人の実相がまざまざと描かれてゆくのである。

哀しく、つらい映画で、とても楽しめるなぞというたぐいではないが、日本の田舎でのんびり暮している私なぞがすっかり忘れ去っていた世界の現実が、久々に眼前に立ちあがってきた一日だった。


10月25日 雲ひとつない青空 

秋の決まり文句だが、今朝はほんとにそうだ。西窓を見ても北窓を見ても全く雲ひとつない。西窓のはるか遠景には、雪山が見えている。きれいでもあるが、寒そうでもある。北の高峰山、三方ヶ峰はたぶん黄葉した木々の色が山肌のように見えている。手前の人家の周りの木はどれも紅葉している。

きれいで、やはり少し寒げである。


10月23日 のど引っかかる

今朝からどうものどが少しおかしい。鼻の奥を含め、何か抵抗感がある。きのう、寝室下の暖房器具を治したばかりなので、温度関係に問題はなかったはずなのだが、どうしたのかしら?

ま、要するに世の中が寒くなってきたのではあろう。信州としてはぼつぼつ冬近い気候になってきたわけだ。老体、気をつけねばなるまい。


10月20日 肌寒い

今、書斎にいるのだが、寒くてくしゃみが出た。室温は25度ほどを指しているのだが、どうしたわけか。あわててストーブをつけた。
明け方布団の中にいるときから痛かった右手が、いまだに痛い。リウマチかなと思うが、このごろひるごろになってもまだ痛かったりする。

今週は一宮へ行こうかと思っていたのだが、兄嫁が留守だったり、小諸でちょっとした会があったりで、どうもタイミングが合わない。
来週に延期するか、会を欠席するか、ちと思案。


10月19日 延期

先週までは、今日、一宮に行っているはずだったのですが、またしても延期です。どうせ行くのなら母のほか兄嫁にもぜひ会いたいんだけど、兄嫁が留守のようなので。

まあ、このごろは急ぐ必要もないので、ゆっくりいきましょう。


10月18日 外は青空、紅葉、落葉…

きれいなもんなのだが、何かちょっとけだるい。腕や掌が痛いところをみると、軽いリウマチか。
外の景色と体の内の気配が同じようにいかないのが難点。歳のせいか。若いころが懐かしい。明日、故郷まで出向こうかと考えていたが、無理をせぬ方がいいかな……。

うーむ。


10月16日 このごろ憂鬱

リウマチなのか体のあちこちが痛い。特に右腕が痛く、てのひらの開閉まで痛い。明け方寝床の中から痛く、起きだしても右手のひらの開閉のたび痛い。1ヶ月くらい前までは午前の時間がたつにつれだんだん痛みは薄らいでいったが、このごろはひるになってもまだ痛い。

整形外科へ行っても結局痛み止めを処方されるだけみたいな感もあるので、あまり通う気にもなれない。それとも行った方がいいのかしら? 御存知の方、あるいは同病者の方、教えてください。


10月15日 ますます寒くなってきた

午後2時過ぎなのに、書斎でストーブをつけている。室温は24,5度になっているけれど、なんだか寒いのだ。この書斎は北向きなのでかもしれない。代りに北窓正面には高峰山、左に三方ヶ峰、右に木に隠れているが黒斑山と連なっている。

西窓はるか遠景には北アルプスの更に北側あたりがかすかに見えている。山は遠景中景それぞれに魅力がある。高峰はつい2日前、友人のEさんの車で行き、そのまま三方ヶ峰の北側を湯の丸峠まで抜けて、アトリエ・ド・フロマージュの横を通って帰ってきた。

三方ヶ峰北側の道は決していい道ではなかったが、通り抜けることによって、日ごろ書斎から遠景に眺めている三方ヶ峰の向う側がどうなっているかがすぐ目に浮び、視野が見えない形で広がった気がする。

それにしても手前窓のすぐ向こうは日に日に紅葉が進み、きれいなものだ。
庭のアカシアの葉もだいぶスカスカしてきた。冬の情景が目に浮かぶ。


10月13日 さて、どうするか……

田舎の母の所へ行くか否か、をずっと迷っている。というか、日帰りは無理だし、泊まるとしたらどこにするか。70歳の兄嫁に世話になるのは気が引けるし、ではホテルにするかだが、母の近くにはその種のものはないし、名古屋まで出て駅前ホテルあたりにするかだが、どうも気に染まない。
うーむ、困ったものだ、若いときならもっとてきぱき方針が立ったものだが、このごろはどうも逡巡してしまう。

まったく困った……。


10月12日 だいぶ寒くなってきた

東京界隈だとさほどじゃなかろうが、信州ではこのごろ寒さを感じるようになってきた。朝、門まで新聞をとりに行くのだが、玄関を出ると、ブルっとくる。室内カーディガンのままでは寒い。

田舎の母が退院したので、一度祝いに行かねばならないが、どこかテキパキいかない。今行かなきゃますます足が動かなくなると思いつつ、踏み出さない。何かもう一つ背中を押してくれるものが必要なのかしら?

入院中は退院して元の場(自宅すぐそばのケアハウス)に戻ったらと思い、退院したら、もういつでも行けるとホッとしてしまっている。
どこか足が進まないのは、行けばもう日帰りはしんどいと思い、では兄嫁宅に泊まるかとなると、兄嫁ももう70だからそんなに世話にはなれない、と考えてしまうからだ。

うーむ、どうしたものか。ぼやぼやしていると、どんどん寒くなるし……。


10月10日 昨日、母退院

ケアハウスに戻る。部屋は変るかもしれないとのことだが、まずは一件落着。皆さん、御心配かけました。


10月8日 空青く紅葉進む 母快癒

秋の朝は日ごとに進む紅葉の美しさと、肌寒さとの二面がある。不可分の関係にあるから、どちらがいいなどとは言えない。ブルっとふるえ、風邪に気をつけなくっちゃ、と思い、しかしきれいなもんだなと遠景の高峰山なぞを眺める。

高峰の隣には浅間ヶ嶽もあるはずだが、隣家の木の陰になって見えない。煙は噴いているだろうか、なぞと推量しながら、そのうち外へ出た時に確かめるのが楽しみだ。
しかし、こういう気候になって来ると、カーディガン程度でうっかり外へ出ると、くしゃみが出たりするから要注意だ。

浅間連峰の上を西から東に大きな雲が次々に流れてゆく。雲の影が山肌に映って、それも少し動き、面白い。その手前を大きめの鳥がのんびり飛んで行く。何の鳥かしら?

きのう、電話で久々に母と話した。といっても私の声は母には低すぎるらしく聞えないから、母だけが一人喋りし、私はあとで兄嫁に通訳してもらって返事を伝える。もうだいぶ以前から母との対話はこんなふうだ。

病院は明日退院し元のケアハウスに戻る予定だから、様子を見て一度行かなくてはと思う。
思うがこちらもリウマチが痛かったり、寒いのが心配だったりで、なかなかすぐ体は動かない。情けないものだ。


10月6日 好天、さりながら……

いかにも秋らしい、済んだ空にさわやかな風、グリーンもまだ散らず、しかしそこはかとなく色づき始めた木々の葉に、遠くの山美しく、近くの庭の露草の花むらさきに。その影を小さな蛇がすすっとくねりつつ消え去っていった。

庭を見ていても心地よいが、しかしじっとしているのも惜しい気がして、結局馴染みの喫茶店なぞに行こうかと思念が動く。行けば行ったで、また顔見知りの常連連中のお喋りを聞かされるだけかもしれぬのだが……。

うーむ、いっそ、久々に小説でも書こうかしら。このごろでは掲載のあてなぞもほとんどないが、出来上がり次第では何かを思いつくかもしれぬ……。
書けぬかもしれぬが、ともかく書き出してみようか、72歳の徒然の手すさび……。

静かなる秋の、あてどなき物思いならぬ物書き…、さて、そも文章になるか……・。


10月5日 秋寒

街へちょっと行っていて、帰りに懐古園脇の道を通ったら、そこここで紅葉が始まっていた。どうだんつつじとか桜、桂などだ。赤や黄色が、ちょっと薄寒い空のもと目につく。カーディガンを羽織っていったのだが、途中できちんと着、ボタンまでかけた。

空模様も、ひょっとしたら雨になるかなという感じだったが、さいわい降りはなさそうだ。風もなく、シーンとした気配。これで降りだしたら寒いだろうなと思わせる。いよいよ秋も終盤に入りかけたかという感じがする。

ここらでは11月はもう冬の様相だから、コートなしで散歩できるのは今月いっぱいくらいまでかもしれない。秋寒は早く進行する。


10月3日 退院は……

母が入院している。いつ見舞いに行こうか迷っていたら、来週月曜に退院日程などが決まるそうだ。経過は至極順調なので、案外早いらしい。
となるとその日程を聞いてからにするか、という気もしてくる。

退院後は元のケアハウスに戻るそうだし、ケアハウスは自宅のすぐ近くだから、ついでに家の様子も見られる。兄嫁ももう自宅に戻っているというし、その方がいいかなと考えたり……。

なにしろ見舞いに行く方(私)があと2カ月で72歳だから、てきぱきとはいかない。歳をとるということは、まことに憂鬱なことだ。その歳を母は99歳までとった。おそるべきことだ。


10月2日 行くべきか行かざるべきか

母が股関節骨折とかで入院している。普通ならすぐ駆けつけるべきだが、場所が愛知県西北部で、5時間はかかる。日帰りは無理だし、といって70歳の兄嫁宅に厄介になるのも心苦しい。兄嫁自体、体調がよくないのだ。

ビジネスホテルでも探して泊まるかだが、私自身このごろリウマチであちこち痛い状態だから、出かける決断がなかなかつかない。無理をすれば自分自身がダウンしかねない不安がある。

うーむ、どうするか。ぼやぼやしていると、退院予定日が近づいてくるし、医師である甥(母からは孫)は「おじさんを呼ぶほどのことではない」と言っているそうだし、しかしうーむ……。
まったく進退きわまる。名案がどこかから降ってこないか……、うーむ。


10月1日 いよいよ10月

信州は朝晩もう寒いくらい。紅葉も少しづつ始まっている感じ。母が田舎で入院しているし、何となく心配な日々。