風人日記 第五十六章

四月の風

2016年1月1日〜3月30日





        感想や連絡はMAILでどうぞ。huma.motohiko@blue.plala.or.jp
                         作品

[季刊文科](鳥影社刊)53号より短篇連作「信州アカシア林住期」 

     http://www.choeisha.com/bunka.html 


 53号(2011年8月、本体1,000円) 「信州アカシア林住期」

 54号(2011年11月、本体1,000円) 「信州アカシア林住期その二 夏の転変」

 55号(2012年2月、本体1,000円) 「逆接のウズベキスタン」(信州アカシア林住期 その三)

 56号(2012年5月、本体1,000円) 「真冬の散歩者たち」(信州アカシア林住期 その四)

 58号(2012年11月、本体1,000円) 「シークレット・ズー」(信州アカシア林住期 その五)

 59号(2013年4月、本体1,000円)  「小諸の道」(信州アカシア林住期 その六) 

          
               

大手書店、アマゾンなどのネット書店にて発売中。鳥影社から直接購読も可。


『オキナワ 大神の声』(飛鳥新社刊 2200円+税) 


 
            


 7年来毎年訪ねていた琉球弧列島を舞台に、喜界島から与那国島まで八百数十キロを歩いてゆく短篇連作集。



 一昨年、いろんな推移の中で三ヵ月ほど日本の全原発五十四基が停止したことがある。現在は大飯原発が稼動しているほか、安倍首相は「今後新たな原発建設も指向する」と言い出している。原発ゼロは早くも夢のかなたというのだろうか。情けないことである。
 私は現在と未来の人類のために、原発が少しでもなくなっていくことを望む。
                                

                         2013年4月1日
                          2015年1月1日
                          2016年1月1日
                          
                          作家・
日大芸術学部教授
                                             夫馬 基彦


                          日記


4月1日 大愚日というそうだ


3月30日 隣家の辛夷
いつの間にか5日経ってしまった。もはや月末間近である。 庭の景色がだいぶ変わった。梅が咲いたり、土佐みづきの芽が出てきたり、水仙がほころんだり。 隣家の辛夷も肉厚の白いつぼみがいっぱいになった。 辛夷は花が大きく、真っ白で、花数も多くていい。咲いたあとがドサッと音たてて花弁が落ちるのがやや残念だが。 満開になると木の向こう側が見えなくなるくらいだ。それが落ちる時がいささか物寂しい。

3月25日 白梅咲き、紅梅未だし
昨日は朝、カーテンを開けたら、雪景色で驚いたが、今日は近遠景どこにも雪はなく、空気も冷えていず、「春の朝」の印象だった。 だんだん春めいてゆく。 庭の水仙の群落が今年は10以上できているが、蕾多くして花未だし。あと2,3日か。隣家の辛夷も同様。蕾はだんだん白い花弁を見せ始めたから、あと3,4日だろう。遠景の山々が雲でもやりだしたのも毎年の春の手順だ。 白梅は咲いたが、紅梅はまだなので、庭に色彩はあまりない。ちょっと待ち遠しい。

3月22日 まだ寒い…?
朝7時前に新聞をとりに門まで出たら、寒いというほどではなかったが、ジャンパーをひっかけずに出たので、あとしばらく鼻と喉が詰まった。 やっぱりまだ寒いのか。今調べたら、その時間はたぶん零下だった。

3月20日 上田の街を歩く。
北国街道は小諸にもあるが、上田にもあることに今さら気がついた。 3時間ほどかかり、だいぶくたびれた。 第一の印象は、上田は小諸よりだいぶ大きい都市だということ。城下町の印象が生きていること。 近いのにこれまでほとんど知らなかったので、また探索しようと思った

3月18日 好天
空は青く、浅間山系を中腹までおおっていた雪も消え、春めいた日和になってきた。 気温はまだ少々寒いが、お隣の辛夷の蕾なぞも膨らんできて、だんだん花に近づく感じがする。 西の木立の間からは布引温泉とか東御市の滋野集落なぞもよく見え、視界が広がった感じ。 浅間山系の雪が融けたのは、気のせいか吹き下ろす風もあまり寒くなく、春近しの印象を増す。

3月16日 どうにか3月らしく
雪も降らず、さほど寒くもなく、自然に外を歩く気になる日となった。 で、午前の筋トレ教室に次いで、午後もベルコーヒーへ行った。客は相変わらず常連だらけで、大きな声でのお喋りが続いていた。カウンター席は満員だったので、隅のテーブル席に座ったが、隣席に来た人相の悪い男がぶつぶつ独り言を言い続けるのには参った。 カウンター席が途中からあいたので、移動しようかとも思ったが、それもわざとらしい気もしたので、お茶を飲み終わった時点で、店を出た。茶和園へ行ってマスターとお喋りでもしようと思ったからだが、店の前へ行って中を覗くと彼はいない。このところずっとそうだ。偶然なのか、何か事情が生じているのか。 やむなく、そのまま駅方向へ向い、寿徳前でちょっと立ち止まったが、喫茶店をはしごする気にもなれず、そのまま帰宅した。なんだかつまらぬ成行きになったが、これも日和のいい3月らしさかもしれない。

3月14日降り続く雪
朝から(おそらく夜なかから)ずっと雪が降っている。細かく、みぞれっぽい雪質なので、あまり積もってはいないが、視界は真っ白および遠景は灰色である。 いかにも寒そうだし、外へ出る気になれない。

3月12日 寒い雪

3月も半ばに近くなってきたのに、朝から雪である。
細かく、ちょっとみぞれっぽく、こういうのが寒い。
早く春らしくあったかくなってほしい。


3月9日 筋トレ教室

毎週水曜、つまり今日は駅近くの筋トレ教室へ行く日だが、今日は小雨プラスかなりの寒さのため、休んでしまった。筋トレ教室は楽しみでもあったので、休むのは自分としても珍しい。

つまり、それだけ寒かったというか、曇り空にしょぼ降る雨が気勢をそいだわけだ。寒くても空が青空だと元気が出るのだが、しょぼ降る雨はどうも気分がめいる。出席者はどのくらいだったろうかとつい考えながら、でも多くの人は車だから、あまり関係ないかもとも思った。

歩いて通うのは私ぐらいかもしれない。それだけ家が近いということだが、おかげで図書館にも、行きつけの喫茶店やそば屋にも、すべて徒歩だ。だからそば屋では昼酒も飲める。結構なものだ。


3月6日 すっかりあたたかくなった

今朝、外に出た時、全く寒くなかった。むしろ暖かかった。
敷地内の水仙も毎朝すくすく伸びている感じで、蕾もいくつかできた。
春だなあ、という実感。今年の冬はさほど寒くなかった気がしてきた。

明日はまた他の草花が芽を伸ばすだろう。


3月5日 曇天

外の曇り空を見つつ、昔の友人である歌人福島泰樹の「曇天の…」で始まる歌を思い出そうとしつつ、ついに正確には出てこぬのに業を煮やした。ほかにもいくつか浮んでくるのだが、「…電車よまじめに走れ」とかみな断片で完成形がない。

書棚に彼の歌集が1冊あるが、そこにも上記の歌は出てこない。歌は短いから覚えやすいが、なかなか完成形にはならぬところが難しい。
それにしても彼は今どうしてるかしら?  彼の盟友だった立松和平は早死にしたが……。


3月4日 同世代のお茶のみ会 

昨日は大学同窓のEさんをお茶に呼び出し、図書館横の喫茶店で話しているとき、向うを市役所にいるUさんが通りかかるのを発見。Eさんが走っていって呼び込み、思わぬ3人でのお喋りとなった。

Eさんが大学の卒業名簿を持ってきたので、見ると連れ合いの名も出ているし、Eさんのほか学生時代の知り合いの名がちょくちょく目に入る。Uさんもちゃんといる。が、私自身は中退なので、名はなし。

卒業年の年末発行なので、就職先はかなり書かれている。ただし、もう70歳以上なので、退職済みだろうな。現在の連絡先としてはあまり役に立たないかもしれないが、Eさんの理工学部の欄なぞはいわゆる一流企業が目白押し。理工系ブーム時代だったなあと思いだす。

Uさんは先に帰り、4時ごろ、私はEさんの車で送ってもらい帰った。


3月1日 今日から3月

朝、まず車の雪落しをした。夜中に降ったらしく、3,4センチ積もっていたのだ。今日は整形外科へ行く用があるので、午前中に車に乗れるようにしておかねばならない。
さいわい、日が照ってきたので、あとはなんとかなりそうだ。

この分だと、3月中にもう1,2度、雪が降りそうな気がする。大雪は勘弁してほしい。


2月29日 今日で2月も終り

2月29日という日は4年に1度しかないことも、今朝気づいた。貴重な日だとも思うし、今日誕生日の人は何歳になるのだ?とも思う。

いづれにせよ、2月という言葉を聞くと寒く感じるが、明日からの3月はあったかくなりそうな気がする。日も照るといいな。

歳はとっても、春はやはり待たれるし、気分が上向く。何かやろうという気にもなる。


2月27日 梅のつぼみ

2月もだんだん月末が近づいてきた。1年で一番寒い月が終っていく感がある。梅のつぼみが目立ち始めた。3月が待ち遠しい。


2月25日 「新アカシア林住期」のこと 

『季刊文科』に連載中の第2回をやっと書いた。締め切りは25日だったので、どうにか守れたわけだ。だんだん締め切りがつらくなってくる。今は1本しかないから何とかなっているが、2本も3本もあったら死んじゃうかもしれないな。

でも、書きあげてみると、いい気分で、ああ、やっぱり自分は物書きだ、と満足した。年にたった1回の締め切りなんだけど。ちなみに第1回の題は「緑の生命力」、第2回は「小さな坂の町」である。第2回は小諸の町のことだ。発行は鳥影社。第1回が67号で、次回は68号となるはず。


2月22日 散歩には寒すぎるのか否か……

今日は一旦散歩する気になって外へ出たが、少し歩いたところで、1時間は無理かなと思いなおし、家に戻ってしまった。ベルコーヒーくらいは行けばよかったと残念に思っている。


2月18日 立春はとっくに過ぎたが……

散歩をしようと外に出たものの、風が冷たくて屋内に戻る。今年は全体に暖かかったけど、今日は真冬なみの寒さだ。

季刊文科の連載〈新アカシア林住期〉の2回目を書こうかと意識を向けようとするが、このごろめったに書かないので、すぐは気持が向かない。だんだん物書きでなくなっていくな。いささか寂しいような、しかしおかげで日々のんびりしていられるような……。

ベル・コーヒーへお茶を飲みに行くのも、このごろは歩いて行くのが億劫で、ついやめてしまう。先だっては車で行ったし、要するに寒いからだろう。やっぱり春が待ち遠しい。立春は過ぎたが、まだまだ真冬の気候だ。

今調べてみたが気温は4,5度くらいか。風がある分もっと寒く感じる。


2月16日  町の喫茶店

お茶を飲みに久々に街へ行ってきた。といっても玄関を出たとたん、寒いと感じたので、つい車にしてしまった。
車で喫茶店へ行くのはどうもなじまないが、でも駐車場には数台車が止まっており、客はみな車で来ていることが分った。

半円形のカウンターを囲んだ客たち同士の雑談を聞いていると、隣町から来ていたり、更にはかなり遠くの町から来ていたりするので、ヘーエと少し考えを巡らす。つまり小諸はたった人口4万少々の町だが、それでもこの地方では中心の、もと宿場町兼城下町だから、近在の人たちからすると、「ちょっと町まで」「ちょっと小諸まで」といった感覚になるらしい。

で、町なかの小さな喫茶店なのに、客は案外遠くからやって来る仕儀となるらしい。いきおい話題も近在一帯に及んだりするから、いながらにしてあちこちのことが分り、私なぞには面白い。どこそこに旅館が出来たとか、あそこの地主は誰だとか、むろん私には直接何の関係もないことだが、界隈の情勢がよく分る。

しかしまあ、しばらく聞いていると飽きてくるのも事実で、小諸新聞とか東信ジャーナルといった備え付けの新聞を読み終えると、持参した本をほんの2,3ページ読んで、早々に帰ることになる。
常連連中の顔はたいてい知っているが、口をきいたことはたった一度しかなく、向うも声をかけてこない。

どういう関係と言うべきだろう?


2月14日 手の腫れ

この2,3日あったかい。今日はリウマチによる右手指の腫れの件で整形外科へ行ったが、全く寒さを感じなかった。まるで春みたいだ。

リウマチの方は水曜日から薬を飲み始めることになった。2週飲んで、3周目に結果を見て診断とのこと。なかなかすぐにとはいかない。ま、焦らず、ゆっくりいこう。


2月11日 さむいですね

今朝は青空も一部ありますが、浅間山系は灰色の雲に覆われています。たぶん雪でしょう。
7時ごろごみ出しに行ったら、小生が一番乗りでした。初めてです


2月9日 気温上がりますように

曇り空。ほぼ終日曇りの予報。夜、出かけねばならない用があるので、憂鬱。道が凍ってなければいいが。

付記:2月7日の日記について。字体云々は私のパソコンでのことで、読者の方には関係ないことじゃないかと気付きました。読み飛ばして下さい。


2月7日 あれ、こんなに書かなかったかしら!?

気づいてみたら前回以来5日もたっている。これはいかんと思うと同時に、それにしても日記ページなどの使用文字がやけに小さいなあ、と感じた。これでは視力の衰えてきた老人は、そもそもこのページにログインするのを本能的に避けるようになりつつあるのかもと、感じた。

よって、字体をこの大きさに変えてみた。

まだ、いいのか悪いのかよく分らない。なんとなく落ち着かない。が、何ごとも変えた直後はそんなものだとも思うので、しばらくこれでやってみようかしら? みなさん、御意見聞かせてください。
やっぱりちょっと字が大きすぎかしら?


2月2日 雪景色と家計

2月も2日となると、なんだか一年で一番寒いころかなと思ったりする。が、明日はもう節分、そして明後日は立春だから、日本の暦はちょっと実感とは違う。早め早めのアンテナみたいな役回りかしら?

実際、書斎の北窓から見えている浅間山系は、かなり麓の方まで木々が白く着雪しており、そのちょっと上となると今現在雪が降っているのか、灰白色の雲に覆われている。

手前の御近所の屋根はこっちから見ると南側面だからほとんど雪は融け去っていて、明るい印象を受ける。西側遠景の山は黒く、その向うにあるはずの白馬山系は雲に隠れて見えない。

一転、手前我が家の敷地のニセアカシアの木々は、全く枯れ枝ふうばかりで、緑はもちろん、芽もまるで見えず。もの寂しい代りに、見晴らしはいい。

昨日はついに家から一歩も出なかった気がするが、いま連れ合いに聞いてみたら、「酒を買いに行ったんじゃない?」とのことだった。が、どうも違う気がして、ゆっくり考えたら、銀行へ今月分の家計費をおろしに行ったのだった。いくら寒く、雪景色ばかりでも、やはり生活はある。


1月31日 晴れ渡る、されど地上は…

数日来の雪が積もったままで、真白である。北の浅間丘陵も山麓近くまで着雪のもよう。木々が白くなっている。

2階の窓から見える御近所の屋根は南側はおおむね日に融けて落雪しており、北側は雪で真っ白の気配。遠景も似た様子。

図書館あたりまで出かけたいが、歩いて行くのはやはり億劫、さりとて車ではまた億劫。どこかで滑りはせぬかと引っ込み思案になる。
結局、我が家の日当たりのいい部屋でごろごろ雪見がてらの読書となる。


1月29日 雪ショボショボ

今冬4回目か5回目の雪が降っている。前回の積雪がまだあまり融けないうちだから、積雪量はだいぶ増えそう。
でも、たった今やんだから、このままいけばさほど増えないかも。

いずれにしても融ける気配は気温の低さから言っても(現在零下2度くらい。日中最高予定プラス1度)、まずなさそう。みぞれか雨にでもなれば別だが。

晴れれば雪景色は悪くないものだが、しょぼしょぼ降り続けるとなると、いかにも寒げで、気持も沈む。3日前の不愉快な医者(東小諸クリニック)の顔を思い出したり、ろくなことがない。
あー、気晴らしがほしい。


1月28日 リウマチ

このごろリウマチで右腕から手のひらが痛い。
一昨日、近在のCTスキャンがある内科医院まで行って診断を受けてきたが、そこが紹介者である小生行きつけの整形外科医院まで書類を送ってくれないと、薬が出ないので、まだ薬は飲んでいない。

整形外科はただ内科でCTスキャンを撮ってもらってくれと言っただけなのに、その内科は検査をすると言って血液検査までやって(血液検査はすでに整形外科でやったばかりで、その結果書も持っていったのに、自分の所でやらなきゃ信用できないみたいな顔をする)、おかげでその結果が出るまで1週間以上待ちになる。

こういうとき、こっちはCT検査だけでいいのにと怒鳴りつけたくなるが、医者は尤もそうな顔で勝手にことを進めてしまう。おかげで検査料3400円、高齢者保険で支払1割でこうだから、額面は約3万4000円だ。医者はぼろもうけだ。だからやたらと検査をしたがるのだろう。その間こっちはただ痛みをこらえて待たねばならない。

それでイライラ腹が立って、夜ベッドの中でまで続いた。医者の高慢ちきな顔がちらついて、何か報復の手段はないかとまで考えた。
まったく医者の中には不愉快な奴がいる。ぼくは父も兄も医者だったし、つれあいの父も医者だったが、どんな医者だったんだろうと心配になった。

こういう医者に行かねばならない老人生活になったと思うと、ものがなしい。


1月24日 新聞が読めない

午前8時半、目下零下5度くらいかしら。寒い、そして遠景の浅間連峰は浅間岳はもちろん、ふだんは雪なぞ全くない高峰山や三方ヶ峰も7合目以上は雪の様子。上を流れる雲はどよっと重そうな雪雲。

今冬でも一番寒そうな様子だ。我が家を含め、北側の屋根はどこも3、40センチ真っ白に積もっている。外は寒そうだな、新聞をとりに行くのもためらってしまう。どうせ新聞受けのカギが凍っているだろうという気もする。


1月22日 整形外科 

右手が痛くてしようがないので、整形外科へ行ってきた。まず人さし指と小指が数日前からかなりはれ上がっている。これはいわばリウマチ系の腫れだろうと思える。

ついで右親指が3日前だったからか、痛い。これは玄関口で何かをしていてぴんと張った紐に親指をひっかけ、紐をぐいと引いてしまったとき、「ポキン」と音がしたのだ。「あ」と思ってすぐ親指を動かして見たところ痛くないし、ちゃんと動く。

で、助かったと思ってそのままにしていたら、昨日あたりからだんだん痛くなって来て、指の付け根とそのずっと手首側の端がかなり痛い。色もこころなし黒ずんでいる。

医師はレントゲンを撮り、骨に異常はないですね、と言い、リウマチの恐れがあるから、紹介状を持って火曜日に内科の医師の所に行けとのこと。
そのあと、奥さんを同伴して整形外科に来い、とも言う。

帰って連れ合いにそう言ったら、「なぜあたしが行かなきゃあならないの?」と怪訝そうに言い、整形外科に問い合わせ電話をした。すると診療中の医師が出、「説明することがあるから」だそうだ。
で、まあとにかく火曜日には整形外科と内科に行き、ついで、これは同日中なのか否か確認しなかったが、とにかく連れ合いを同伴して整形外科へいかねばならないことになった。

なんだか解せぬような妙な気分である。どういうことかしら?


1月20日 雪のなかの缶びん収集

2,3日前から積もったままの雪の上に、今朝は更に降りつづけている。いや、夜通し降っていたのかも。おかげで雪景色はきれいだが、予定していた「缶びん出し」もする決断ができず、ふーむと腕組みしている。

収集にはたぶん来ると思うが、缶びんをかかえて出かけ、ケースを広げて別々に入れたりの手間というか作業がこの雪のなかでは億劫なのだ。でも、出さないと半月のびてしまうし、さてどうするか……。

こっちも大変だが、収集車の人はもっと大変だろう。今日くらい休めばとも思うが、たぶん来るのだろうな……。


1月19日 南の空、北の空

南は実にきれいなブルー、北は浅間連峰に雪雲が覆っている。峰の上部はたぶん雪だろう。地上は昨日の雪がほとんどそのまま残っており、真白だ。
冬の美しさは青空と雪景色だが、それが両方ある。

郵便受けはまだ凍ったままなので、昨日から新聞も読めていない。ペンチで開けようかと思ったが、無理をすると鍵の部分が壊れそうな気もして、まだ実行してない。
が、2日も新聞を読めないと、いささかじれてくる。ニュースはテレビでも間に合うが、新聞はニュースだけではないとよく分る。毎朝の生活リズムの重要な一環なのだ。


1月18日 雪下ろし?

というのかどうか、敷地内の木に積もった雪をさっき長い農具でつついて落してきた。雪はずいぶん重いらしく、ぺシャンと地にくっつくようになっていた枝が、雪を落としたとたんピンと上向きになる。ロケットツリーとか檜とか何本かを落した後、車の上の雪も落とした。

30センチはあったから、車にも相当の負担だったはずだ。ほっておいても潰れることはないだろうが、かなりのマイナスダメージは与えそうな気がした。やっぱり車庫を作った方がよいだろうかと考え、口にしてみたが、連れ合いは「今さら」みたいな言い方をするので、そのままうやむやにしてしまった。

何年か前ここの家を造ったとき、車庫をどうしようか迷ったが、お隣もそのお隣も車庫はなく表に停めていたので、こっちもそうしてしまったのだ。その後何の不便も感じなかったのだが、こういうときあった方がよかったかなと考えてしまう。

そして結局そのままにしてしまうのだろうな。まだ少し迷っているのだけど……。


1月17日 鼻ぐずぐず喉ざらざら

外へは出ない方がいいんだろうな、が、そうなると出たくなる、でも、寒そうと恐怖感もある……。
酒を飲むと治るんじゃないか、といった気がしてくるが、たぶん違うだろうな……。
ぼつぼつひるどきだし、少しだけ体を温めてみるか……。


1月14日 日記が変……?

12か13日付で日記を書いたつもりだったのに、消えている。思い違いかなあと何度も思い返しているが、どうも納得いかない。妙なことだ。

これは消えませんように。


1月11日 遠い樹氷

書斎の北窓から見える浅間連峰の麓近いあたりに、樹氷が広がっているのが見える。だいぶ遠いから詳細は不明だが、それより上も下も雪はなく、中間部のそこだけが横長に白い。

どういう現象だろうか。しばらく考えてみたが、山から下りてきた冷気が丁度そのあたりで滞留しているのだろうか、といった程度にしか想像がはたらかない。
冷たそうな雲はもっと上を西から東に流れている様子だ。

天候というか自然の動きはよく分らない。少し下の下界は雲も雪も全くなく、透き通った冬の様相である。おかげで遠方がよく見える。


1月9日 青空と雲が縞模様に

西空も北ぞらも、どいういうわけか縞模様になっている。北空では高峰山の上部だけが雲の間にくっきり覗いている。面白い雲だ。

地上は寒そう。雪こそないが、たぶん畑などは土が凍っているだろう


1月8日 寒そう
浅間連峰も三方ヶ峰横の赤ザレが白ザレになっている。山が厳しそうに見える。


1月7日 雪ちらつく
ほんの数分前から雪になってきた。薄い、はかなげな雪なので、多分積もったりはしないと思うが、今年の初雪ではあろう。おかげで空はどんより曇り、寂しい気配。その中をお隣さんの辛夷の蕾がけなげにピンと上を向いている。

故郷の母はどうしているだろうと、ふと思う。


1月6日 曇った正月
まだ松の内だから正月といっていいと思うが、我が家の界隈はうすぐらい。さほど寒くないが、日当たりは全くない。さっき町へちょっと行ってきたが、人通りもあまりなく、行きつけの喫茶店もしばらくは私一人が客だった。

気分は外気の気配に影響されるもので、だんだんうっとうしくなって来、酒でも飲みたくなるが、こんな時間と外気では酒もうまそうとは思えない。

よって、部屋を加湿器とストーブで温めるというか空気調節したが、その音がまたうるさいので、今器械はみな消した。やはり静かな方がいい。が、膝先はちょっと寒い。

やっぱり、早めに燗酒でも飲むか、否か…、うーむ。


1月4日 杉浦君来る
昨日は十数年前の教え子杉浦君が、年始に来てくれた。歳を聞いたら彼もはや40歳とのこと。私だけでなくみんなが歳をとっていくと、改めて思った。

教え子はやはり学生時代のイメージとだぶって見えるもので、こっちも若返った気分になる。昔どおりよく喋る喋り方がまた昔どおりだ。向うからもこっちのイメージはあまり変わってないらしく、「先生、ここらでまたインドへバックパッカーで行ってみたらどうです」などと、とんでもないことを言い出す。

若く見られるのはうれしいが、しかしいくらなんでもリュック背負ってインドの旅は体がもつまい。へたをしたら一発でダウンだ。
気分としてももう暑い場所はごめんだ。

しかし、一瞬だが、ザックを背負ってインド界隈にいる自分の姿が浮び、なんだか面白かった。やっぱり若いころは元気で面白かったし、歳とった今は今で、若いころには感じられなかったこと、見えなかったものが見えている。

そういうことを感じさせてくる年若い(といっても世間的にはそう若くない)来訪者は楽しい。来年もまた来てくれよ、と思った。


1月2日 のんびりムード

元旦は年賀状の整理や返事書きに時間をとられるが、2日になると、さあ、正月休みだ、という気になる。ちょっと街にでも出てみようかと思ったりするが、まあ、静かなものだろうな。
いま調べたらスーパーまでが休みなので、出かける気もなくなった。スーパーの影響力は大きいな。


1月1日 元旦を迎える

大みそかにはもう1年たってしまったという感慨が生じるが、1日たった今日元旦には、「新年だ」という思いが生じる。さあ、新年だ、と意気込むことはもうないが、気分が少し改まる。何か「すること」を誓いたいが、そういう大仰さももうない。

だが、やっぱり何かはしたい。やっぱり書くことだろう。去年、〈季刊文科〉に「新アカシア林住期」を連載開始したので、それをきちんとやり通したい。尤も雑誌自体が季刊できちんと出ない可能性があるが、出る限りは書きたい。

浅間連峰の尾根筋にところどころ小さな冠(かんむり)雪が見える。すぐ消えるだろうが、きれいなものだ。