風人日記 第六十一章
辛夷の花

2017年4月1日〜2017年9月28日





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                           作品


『オキナワ 大神の声』(飛鳥新社刊 2200円+税)
 
            


 7年来毎年訪ねていた琉球弧列島を舞台に、喜界島から与那国島まで八百数十キロを歩いてゆく短篇連作集。



一昨年、いろんな推移の中で三ヵ月ほど日本の全原発五十四基が停止したことがある。現在は大飯原発が稼動しているほか、安倍首相は「今後新たな原発建設も指向する」と言い出している。原発ゼロは早くも夢のかなたというのだろうか。情けないことである。
 私は現在と未来の人類のために、原発が少しでもなくなっていくことを望む。


               2013年4月1日
               2015年1月1日
               2016年1月1日
               2017年1月1日

               作家・前日大教授 夫馬基彦

                                                     


                     日記         


9月28日 秋雨が降り続く

朝、門まで新聞を取りに行くのにちょっと準備が必要になった。雨よけヤッケを羽織るとか、傘をさすとかだ。
我が家は玄関から門までがちょっと間隔があるので、寒くなるにつれ、だんだん無防備ではいられなくなるのだ。

晴れていれば、冬でもさほど問題はないのだが、雨だと「風情ある秋雨」でも警戒が必要になる。クシュンとやるようだと、次は鼻水となりかねないからだ。信州の秋は要注意である。


9月23日 今朝は少し寒かった

すっかり秋になってきたが、昨日までは早朝でも寒いとは感じなかった。が、今朝は感じた。
いよいよ秋も深化、というところか。

今日は日記をゆっくり書こう。ひとまずお茶を飲んで……。


9月19日 足腰が痛い

今日は朝から左脚を中心に周辺が痛い。そんなに歩いた記憶もないし、一体どうしたのかしらと連れ合いに言ったら、「昨日、塀の外の掃除をしたからじゃない?」と言われた。

確かに、した。一昨日だったかの台風の余波で、表の道路に我が家の木からの落葉がずいぶん広がったので、短い竹ぼうき(長さ40センチくらい)で小一時間掃いたのだ。ほうきが短かったため、腰をかがめて、かなり力を入れて掃いたため、太ももや腰かいわいに無理がかかったのだろう。

ううむ、痛い。この痛みはたぶん今日一杯でも取れないだろう。日頃体を使わない報いでもあろうが、姿勢や急に体を使うことへの配慮がなかったのだ。実際、この頃ほとんど体を使うことをしていない。いかん、いかん、歳をとっても体はある程度使い続けないと、機能しなくなる。



9月17日 教え子の本 その二

額賀澪の本を図書館に返しに行って、今度はもう少し前の教え子・石井光太の本を見つけた。
『世界の産声に耳を澄ます』(朝日新聞出版)だ。まだ読みだしたばかりだが、第一話ミャンマーから始まって、グアテマラ、ホンジュラス、フィリピン……スリランカまで、九か国の赤ちゃんというかその母などを主題に書き継いでいく内容で、アジア、アフリカ、中東、中米など、はばが広い。

まだ初めの部分しか読んでいないが、「子宮貸します」とか「HIVの王国」など項目のタイトルをちょっと見ただけで、ある種の身構えが必要になってくる。気楽に読める話じゃないし、人間とは、世界とは、どうなっているのだろう、と思わず歯を噛みしめたりすることになる。

石井光太はそれを目をそらさず、ずんずん入り込んでいっては、読者の前に開陳していく。
うーむ、そこまで入っていくかと、私は教え子の根性に感心してしまうが、思えば石井光太は、学生時代から教師の心胆を寒からしめるようなところがあった。こっちがうっかりしたことを言うと、じーっと目の奥から見据えていて、「あんた、ほんとに分ってるのか」というような顔をするのだ。

視点の鋭い奴は学生時代から違うな、というのが当時から変わらぬ印象だが、それは彼の著書名を挙げていくだけである程度推察できよう。
『物乞うブッダ』「神の棄てた裸体』「絶対貧困』『レンタルチャイルド』……。

一方で児童書もたくさん書いていることから、彼のやさしさがわかろう。
うーむ、大した教え子が現れたものだ、というのが偽らぬ感想で、私はいささか自慢である。
願わくば、石井よ、たまにはもうちょっと気楽な本も書いてくれぬか。年寄りは体力も落ちてるんだよ。


9月11日 教え子の本

昨日、小諸図書館へ行ったら、新刊書コーナーに日芸(日大芸術学部)時代の教え子の著書を見つけた。額賀澪『潮風エスケープ』(中央公論新社)だ。

額賀は以前、松本清張賞と小学館文庫賞をもらっているので、本があるのは不思議じゃないが、この本は全くの新刊(7月刊)だったので、ホウーと思って借りてきた。ただし、中身は女子高校生主役の青春小説なので、老人の私にはやはり読んでいくのがつらい。

で、少し読んで中断しているところだが、しかし教え子の著書となると、いろんな気分が湧く。
文章はちゃんとしてるか、品とか格調はあるか、売れそうか、次につながりそうか、……などあれこれ気になってしまうのだ。

青春小説となれば、もう私などロートルの出る幕じゃないので、要するにあれこれ教師的心配をしてしまうだけだが、同時に楽しくもある。うむ、すっかりプロの作家になってきたな、とか、この調子ならどんどん書いて行けそうだ、なぞと勝手に推測していい気分になるのだ。

すっかり追い越されてしまったな、という微妙な気分もないではないが、文芸科教授だったのは無駄じゃなかったな、という気分も生じ、悪くない心地でもある。

うむ、額賀澪よ、頑張ってどんどん書けよ。ベストセラーを出したら、一杯おごってくれよ。などと考えるのが楽しい。額賀、そういう元教師のこと、忘れるなよ。


9月9日 久々に

街の刻(とき)そばへ行ってきた。連れ合いが出かけたので、どうせ一人の昼食なら、と思ったのだ。ときそばはF君という中年男性が一人でやっている店で、味はなかなかううまい。

が、それなのになぜこんなに客が少ないかと不思議なくらい、いつも閑散としていて、店主のF君が物静かに客を待っている。

この日は珍しく他の客が2組あって、へーえと思ったが、ビールを飲んでいるとまもなく私一人になり、いかにも「刻そば」らしくなった。かつては私が行けばカウンターの端に必ず常連のヤマテイさんがいたが、この頃はめったにいない。

聞くと、ヤマテイさんは、近頃は週に1度か、時に月に1度くらいしか来なくなったそうだ。歳も81歳になったとか。そういえば前回2,3か月前見かけたときは、杖を突いてゆっくり歩いていた記憶がある。もうあまり外へ出歩かなくなっているのかもしれない。

ふーんと、ちょっと感慨に浸っていると、F君が「ということは我々もそれだけ歳とっているということですよね」と呟いた。正にしかりである。F君も40代、私は70代。ヤマテイさんの80代は当然である。
こうなってくると、まさかそのうち誰かが欠けたりせぬだろうな、とふと思ったりした。F君はともかく、あとの二人はどっちが先かさえわからぬ気もした。

うーむ、不吉、不吉……。えいっ。邪念よ、去れ!!


9月5日 秋の風吹く

ここちよくもあり、やはり少し物悲しくもある。しばらく御無沙汰している喫茶店へでも行こうかと思うが、かえって物寂しくなっては嫌だという気もし、今のところどこへも出かけず、この日記なぞを書いている。

この日記、気づくと2週間ぶりみたいだ。この頃こういうことまですっかり忘れ癖がついている。秋のせいか、歳のせいか……。たぶん両方のせいだろう。田舎の母にも「行く、行く」と言いながらそのままになっている。

うーむ、どうするか……。最近、学生時代の同級生が亡くなった。信州出身者で、作詞家だった。「歌い出し北風小僧の貫太郎〜」という童謡(?)が今でも口をついて出てくる。故郷の信州佐久を想って作った歌だったはずだ。72歳の死は、ちょっと早い。

九州宮崎出身だった、親しかったOの訃報も届いた。亡くなった場所も宮崎なので、葬式も失礼した。高血圧で、朝、起きだすとき、ふらついたりする身では、出かける元気も出ない。ただもの悲しいばかりだ。

だんだん訃報が増え、そのうち自分が訃報の当人になっていくのだろう。
秋の風が吹く。


8月31日 早くも最終日

一体どういうことかしら。日だけがどんどん経っていく。夏休みは終り、といってもどのみちずっと休みみたいなものだし……。
でもまあ、明日から9月というと、やっぱり風は涼しそうだし、気分は清新になる。

さあ、やるか。


8月21日 早くも8月下旬

もうちょっとで夏も終わり。というか、もう終わって、秋になりかかっているのかもしれない。
ここらはもともと涼しいからあまり感じないが、すでに秋風が吹いているのかしら?

母の誕生日が近づいてきた。今年101歳。うーん、どうしたらいいか。一宮で一緒に御馳走でも食べて、小生は一宮泊、翌日、ケアハウスへ行ってもう一度顔を見、ゆっくり帰ってくるか……。

それにしても遠い。この頃めっきりそう感じる。長野・一宮往復。以前は大した距離と思っていなかったが、近頃は、ああ遠い、と思う。行く前に自分が疲れてしまう感がある。うーむ。

ため息ばかりだ。うーむ、どうするか……。



8月18日 1週間

前回日記から早くも1週間の意味である。
その前回日記が、その前の日記からちょうど1週間だった。
それがまたその前の日記から1週間だった。

ああ、やんぬるかな。耄碌か、怠け癖か、はたまた意識ここにあらずの結果か……。

もの悲しいから、これ以上追求しないことにする。きれいな夜空の星でも見たいものだ。


8月11日 またしても日が経って

気が付いてみれば1週間、というわけ。もう8月も中旬に入った。
ちょっといつもの喫茶店ベルコーヒーへ行こうかと思うが、歩くには日差しが熱いし、車で行くのもなあ…という感じ。

ついでに買い物でもあれば決断がつくのだが、はて何かあったかしら?
風はほど良さげなのだが、日差しが強い。


8月4日 またすっかり日にちが

たってしまった。どうも暑さでボウとしているとしか思えない。
小諸はさほど暑くないはずだが、やっぱり暑い。8月はじめといえば一番暑い時だものね。
皆さん、いかがお過ごしですか?!

小生はほとんど家から出ず、もっぱら本とパソコンに向かうばかり。どうもいけないと思うが、といってほかにいい案もうかばない。まあ、真夏というものはこんなもんだろうなと思いつつ、晩酌のビールばかりが待たれる次第。お許しあれ。



7月31日 今日で7月も終り

早いものだ。この調子だと今年もいつの間にか終わり、また年を取っていくのだろう。流れにばかり身を任せていると、もの悲しくなるから、ここらで奮起一番、久々に何か作品を書いてみようかという気がしてきた。エッセイでもいい。

しばらく題材を考えてみる。


7月28日 東京方面は暑いかしら?

このごろの信州はあまり暑くない。東京より涼しいのは当然だが、それにしてもこんなに涼しかったかな?という疑問がふとわいた。
信州としても涼しいのか、こんなものだったのかがはっきりしない。

でもまあ、おかげで外出するのもラクだ。今日も昼、市役所でのがん検診(血液検査)に行ってきたが、ちっともおっくうでなかった。
それこそみんな、涼しげな顔をして検診を受けていた。

尤も検診の結果はしばらくたってから出るから、いい結果か否かは今のところ分からない。


7月26日 アカシア

花はもうだいぶ前に散り、緑一色だ。まだ実はなっていず、ところどころにある黄色い葉がひらひらっと落ちてくる。

葉が伸びる前はよく見えていた遠景の浅間山系やずっと遠い白馬山系も全く見えない。景色としてはあまりよくない。
季節は蒸し暑いし、気分も幾分うっとうしい。爽やかに外を歩きまわりたい気もするが、蒸し暑さがそれをさせない。

馴染みの店に茶でも飲みに行こうかいくまいか……。


7月24日 「夏休み」への憧れ、郷愁

さあ、今日から夏休みだ!という日の解放感と充実感は、その後の人生の中でもそうそうなかったような気がする。この日、先にのぞめる夏休みの長さは無限大のような気がしたし、自由と魅力が充満しているように思えた。

じっさいは毎年それほど大したことがあるわけでもなかったが、8月末か9月頭になると「ああ、夏休みも終りか」ともの悲しい気分になったから、やはり独特の魅力に満ちたものだったのだろう。

そういう「夏休み」は学生時代の終焉とともに、二度となくなり、以来、真夏といえども、「日程やなさねばならぬこと」におおむね追われ続けてきたわけだが、この頃になってまた「夏休み」の快楽がよみがえってきたような気がする。

義務や仕事がなくなり、要するに引退生活というか老後生活が始まっているからであろう。となれば夏に限らず、春でも秋でもそうなのだが、私はたまたま中高年以降は大学の教師だったせいで、春四月は新学年開始、そして七月は夏休み!という体制がかなり長く続いたのである。

大学教師なぞラクな仕事だったが、それでも「夏休み!」となると気分が違った。
それが今はない。日々は四月であれ七月であれ、だらだらと続き、「休み!」という躍動感がない。
長期旅行に出る元気もないし、行きたい所も特にない。世間が少しフワフワした気分に包まれてくるような気がするだけだ。

でも、7月21日とか24日と聞くと、「夏休み」という言葉がスッと浮かんでくる。少年時代、学生時代の楽しさのしからしむるところだろう。老年になると、そういうものはもうないし、あっても「老年の夏休み」とはいかなるものかイメージが浮ばない。

まあ、ちょっと温泉旅行にでも行くくらいが、かろうじて浮ぶアイデアであろう。老連れ合いも多分似た思いじゃなかろうか。
さいわい信州には温泉地はあれこれある。楽しんで探してみよう。


7月22日  また8日も

ボウとしてるんだろうな。気づくとまた8日もたっている。外は完全に真夏の気配。緑濃く、日はカッと照り、外へ出る意欲は全くなし。
庭の雑草や木の葉の茂りすぎが気になり、庭鋏を持って少し伐ってまわった。

ほんの小一時間。それだけで汗は滴り落ち、ふろ場で昨日の残り湯(むろんもう冷えている)をざっ、ざっとかぶると爽快だった。
夏の良さである。

また明日も庭仕事をするか。


7月14日 老化のきざし、窓の外

このごろどうももの忘れが多い。ちょっとしたことが多いが、思わぬ忘れごとに気づくと、ハッとする。もっと大きな忘れごとが進行しているのではと、気になりだすのだ。気になるが忘れていれば気づかないわけだから、何事もなさげに日常は進行してしまう。

それが怖い。忘れずに済む何かいい方法はないものか。

窓の外の夏椿こと沙羅の花が白い。樹は2本あるので、ちょうど沙羅双樹というわけだ。

沙羅双樹の花の色……。何やら詩的な感じがする。仏心はわかないがインドにあると沙羅はどんなふうか、かつてインドの仏蹟地で沙羅は何度も見たはずだが、その時のことが思い出せない。
このごろは何かにつけこういうことが多い。これも老化かしら。もの悲しい限りだ。

両者の間に辛夷の木があって、春には真っ先に咲いていた。これも白い花だった。花弁が肉厚で、落ちるときはバサリと音たてるのが面白かった。沙羅の花は音を立てるほどではなく、というか季節がら周りの木を含め葉や枝がいっぱい伸びているから、花がいきなり土までまっすぐ落ちていかず、音がしない。

静かに、おとなしく(音なしく)、咲いていつの間にかなくなっていく。
これも面白いものだ。



7月12日 うわっ、10日もたった

どうしてこういうことになるのか。ほとんど毎日パソコンは開いているのに。
9月に名古屋へ行くことになったので、意識がそっちにばかり向いていたのかもしれない。
何しろ久しぶりだから。

暑いことも理由の一つだろう。信州は涼しい地で、東京や名古屋に比べたら、ずいぶん過ごしやすいが、それでも暑くて、夏はどうもボウとする。
故郷の101歳の母はどうしているだろう、という想念もほとんど毎日おこる。

100歳なんてどんな頭の具合になっているんだろう? 覗いてみたいが、むろんかなわない。
70歳越えた自分の頭も、若いころには想像がつかなかった。


7月2日 旧友来たる

昨日夕、日芸時代の同僚だったYさんがわざわざ東京からきてくれた。早速飲み始め、あれこれお喋りした。元気そうで、ちっとも変わらぬ気がした。年下の友人というのは、いつまでも年下のままで、したがってこちらからは若いままにも見える。

だが、彼も大学ではいったん定年になり、「定年延長」の手続きをしたと聞くと、そうか、そういう歳かと感慨が生じる。青森県の郷里のお母さんは施設に入っているそうだ。月に2回おとづれ、実家へ連れ帰って二人で過ごすそうだ。偉い!!

来月には私も田舎の母の顔を見に行こう。


7月1日 今日から7月

1年の後半の始まりである。え、もう!!という気になるが、木々の枝が伸びて、伸びて。今朝は道路に雨に濡れた枝が垂れさがってしまったので、高枝伐りを持ち出して切った。おかげで私は少し濡れてしまったが、道路は無事に車が通れるようになった。

雨のない梅雨だと思っていたが、一転、今日からは雨模様となるのかしら?
隣家の沙羅の花が濡れて爽やか。夏椿は白花がいい。



6月29日 グリーン一色

きれいなもんです。


6月27日 夏です!!

カンカン照りとかとは違いますが、梅雨時なのに雨も降らず、日がぱっと明るい。風がややあって爽やかだし、緑を見ているのが楽しい。お隣の夏椿(沙羅)の白い花があまり自己主張もなく、清楚でいい。

それにしても今年は梅雨がないのかしら?


6月23日 ああ、10日以上も!!

前回の日記からすでに12日たっていますね! ほんとかしら?!

多分ほんとなんでしょうね。一体どうしたことでしょう。要するにこの頃このページ自体を開かない、というか、パソコンを開かなかった、のでしょうね。

なぜだか、考えてもわかりません。たぶん、庭や周囲の緑の鮮やかさぶりに意識を奪われていたのでしょう。庭ばかり眺めていた気がします。お隣の庭や、懐古園も。

東京界隈より1か月分ほど寒いこの辺りは、6月に入ると一斉に緑がわあーっと進行しだし、人の目を奪ってしまうのです。

今年は梅雨入りしてからも雨が少なかったので、人間もじーっと見ている時間が少なかったのかもしれません。
しかし、おかげできれいな緑です。

*なお、日記欄の上の2013年4月1日以降の日時欄は原稿ではちゃんと書いているのに、表示されるとこうなってしまうのです。直そうとしてもうまくいきません。なぜでしょうか? 御存知の方、教えてください。


6月11日 梅雨なれど、雨はあまり降らず

近ごろ、物忘れ多く、いつの間にか日が過ぎていきます。

外は緑一色、遠くの浅間山系も緑になり、すっかり夏の風情です。
庭の端に1本だけ植えたトマトの苗が、すくすくと伸び、早くもちっさな緑色の実を2,3個付けています。

代りに日差しが強く、あまり出かけなくなっています。上田近くの別所の景色がすごくきれいだと連れ合いから聞かされているのに、行きたい行きたいと思いつつ、身は室内にそのままあります。
ああ、怠け者!!


6月9日 早くも1週間

まだ梅雨という感じもしない。でも、曇り気味だし、だんだん梅雨っぽくなりつつあるな。
緑がきれいだ。



6月2日 早くも6月

庭のアカシアの花はほぼ完全に散った。雷鳴がとどろいている。窓ガラスに雨が吹きつけている。グリーンは濃い。

梅雨の始まりにしてはちょっと早いか? 空は案外明るい。



5月27日 白い花が降っている……

白い花というのは前回書いたアカシアのことだが、5日もたつと、散り始めるのか、それともたまたま風が強いせいか、書斎の窓外を時折ヒラヒラと落ちていく。いや、風に吹かれと飛んでいく、と言った方がいいか。

花はまだ蕾の部分もかなりあるから、少しくらい散ってもいっかな減る気配もなく、花房のふくらみはむしろ増えつつある感じすらする。風でだいぶ遠くまで飛んでからゆっくり降りてくるので、場所によっては雪でも降っているみたいに見える。

花のあとはさやに包まれた実ができるはずだから、やがてはその実がまた遠くに飛んで、新しい若木をはやすに違いない。そのせいだろう、西側隣地には大きなアカシアの木が生えているし、探せば界隈に何本かは育っていそうな気がする。

風が吹く。はらはらと白い花が散る。最初はだれかが植えたのか、あるいはそれも風でどこかからやってきたのか、ともあれ今となってはわが家が発生地の如く、白い花が時ならぬ雪のように飛び立ってゆく。

蕾のうちに天ぷらにするとうまいそうだが、我が家は天ぷらをしないので食べたことがない。御近所衆が「いただきまーす」と採っていったりする。うまそうな気がする。


5月22日 アカシアの花が真っ白だ

我が家の敷地にはアカシアの木がつごう15,6本もあるが、それらが今、白いたわわな花房でいっぱいだ。こんなに豊かできれいだったかしら、と思うが、たぶん毎年そう思っているのだろう。その花の周りをミツバチが飛び回っているが、どういうわけか花にちっともとまらない。

まだ飛んでいる。
なぜだろうと不思議だが、理由はいっかな分らない。理由がないわけはないと思うが、異種の存在がすることはしばしば意味不明だ。

まだ飛んでいる。
理由の追及はもうあきらめるが、しかし不思議なものだ。人間である私がパソコンに日記を書き続けるのも、他の生き物から見れば、意味不明なことかもしれない。



5月21日 ホームページ、何とか機能する

パソコンやホームページの具合が時々おかしくなるが、いつの間にか治っていたりもする。
数日前からの一件もそうで、どうやら普通に使えそうなので、これを書いている。
いつもながらのことだが、パソコンもホームページも厄介なものだ。

友人の青野聰なぞは、しばらく前に「メールなどは文体が乱れる。よって原則、使わない」と宣言し、以降メールが来なくなったが、分る気もするし、しかし現代では不便な気もする。

私などは相変わらずホームページを何とか維持し、こうして書いているが、どっちがいいかはよく分らない。
ほんとにどっちがいいのかしら?

そうそう、17日付で書いた、パソコンの異常はこうして書けるようにはなったが、代りにというかホームページの過去1年分がごっそり消えてなくなってしまった。一体どういうわけか!?
呆然としたまま、こうして書いている。



5月19日 真夏だ

今日は暑い。昼食を食べに街へ出、そのあと図書館へ行ったが、街を歩いていると、真夏のように感じた。

やむなく喫茶店へ飛び込み、ホッとしたのち、外へ出るとまた暑い。日陰伝いに帰宅したが、なんだか真夏みたいな気分に陥った。

まだ5月中旬だというのに、これはいささか異常じゃないかしら。東京など太平洋岸や、また新潟や富山など日本海側はどうなのかしら?

お天気さんや、どうかお手柔らかに頼みます。老骨にはこたえます。


5月17日 パソコンのホームページ、異常

どういうわけか昨日からホームページ「風人通信」が全くおかしくなった。第56章までは正常に出るのだが、57章以降がまったくおかしい。違うページが出たり、ホームページビルダーに書いた内容が全く反映されなかったり。

何度かあれこれ試みたが、まるで好転せず。やむなく東京の教え子S君に救援を依頼したが、彼の都合がつく明日の夜まではどうしようもない。
こういうことが起こると、パソコンは便利だが、手の出ない領域でもあると、改めて痛感する。ああ、何とかならぬものか。



5月12日 馴染みのそば屋

今日は連れ合いが午前から長野市へ出かけたので、昼食を食べに小諸の街のそば屋へ行った。
何年も前からのなじみの店だが、この頃は私が家で昼食当番なので、出かける度合いが落ちている。

マスターひとりの店なので、私は食べる前にビールを1本飲みながらゆっくりおしゃべりし、それから久しぶりのそばを食べた。そばはやはりうまかった。この店のそばはマスター手製で、茹でかげんもぴったりだから、自宅で買い置きの乾麺を食べるのとはだいぶちがう。

食前のビール1本も頃合いで、音たててゴクゴク飲むのが絶妙だ。ここでの常連ヤマテイさんもちゃんと現れ、やあやあと声を交わしあうのも旨さを増す。そば友の味だ。
うーむ、やっぱりちょくちょく来ようと思いなした。


5月7日 すっかり初夏の気配

すっかりグリーンが満ちている。その枝にホオジロが一羽、楽しげに飛び回っている。植物も鳥もみな生き生きしている。人間もそう行きたい。


4月30日 ついに4月も終り

裸木ばかりだった視界に緑の芽がそこここに見えだした。信州にも遅い春が来たわけだ。これで連休が過ぎれば一挙に緑の世界になり、初夏のにおいが満ちるだろう。


4月27日 パソコンの具合悪し

こういう時が一番困る。といってほっておくわけにもいかないし。原因がわからないし、とにかく困る。


4月25日 辛夷の花

わが書斎の目の前、隣家の辛夷のの花がすべてなくなった。しばらく前までは真っ白な花たわわだったのに、今日ふと、「何たる変化!」と思った。おかげで背景の高峰山など浅間山系の風景もずいぶん違って見える。

隣家やその向うのお宅も、様子が違って見えるから不思議だ。


4月25日 オスプレイか

このごろ我が家の近辺を得体のしれない轟音の飛行物体が飛ぶようになった。
家人の話ではたぶんオスプレイだというのだが、はっきりしない。少し前に警察に問い合わせ電話をしてみたら、めんどくさそうに「あ、米軍機、米軍機」とかいうのだが、それだけなので、機種とかはわからない。どこへ問い合わせればいいものか?


4月21日 曇天

今朝は曇り空だ。お隣の辛夷の花は少し茶色がかってきた。
向うの駐車場の桜はきれいなピンク色にさいている。
浅間山系は黒く陰っている。雨でも降りそうな気配である。


4月17日 懐古園の桜

信州では今が花見時だ。我が家も満開だし、たまには近所の桜の名所懐古園も見なきゃと、連れ合いと一緒に出掛けた。

観光客でいっぱいだったが、確かに桜はほぼ満開で、いい気分だった。宴を張っている人もいた。
見晴らし台から見える千曲川対岸も、あちこちで桜が花開いており、ああ、花の季節だなあと感じさせた。

動物園へも入って見たかったが、閉鎖されていたのは、先だってライオンの檻で、係員が雌ライオンに咬まれたせいか。けがは治ったのか、経過はどうか、と気になったが、閉鎖中では聞く相手もいない。

動物園で係員がライオンに咬まれるというのは、やはり困惑極まる事態だ。早く治ってほしいものだ。


4月15日  どうして!?

前回の日記以来何回か日記を書いているのに、どういうわけかちゃんと載らず、結果的に今日までなしになっている。今書いているこれがうまく載れば、4月3日以来12日ぶりの日記となる。
長く書いてもひょっとして載らぬ可能性もあるので、これくらいにして、載るかどうか試してみる。

さあ、どうか。


4月3日 桃花祭

4月3日というと私はこれを思い出す。愛知県一宮市真清田神社の例大祭のことで、季節がらこう呼んでいた。町内ごとに飾り馬を出し、若い衆がその綱を引いては塊になって練り歩くもので、町内の勢威を競いあって、にぎやかだった。

はっぴを着た子供たちは馬の後ろに伸ばされた綱をつかんで、大人に負けぬよう威勢を上げる。そして各町内から真清田神社まで往って、還る。出発前と帰ってから、町内の神社でまんじゅうなどの振る舞いがあり、子供にはそれが楽しみだった。

子供のころは毎年必ず参加していたが、中学生になったあたりから見物側に回り、高校生くらいになるともっぱら家で大人に混じって酒を飲むようになった。祭の日だけは酒が公然と飲めるのだった。

あの祭り、今も故郷の一宮では続いているのだろうか? もう何年もというか、何十年も行かなくなったので、実情がさっぱりわからない。まさか祭自体はなくならないはずだが、馬練りの様子はどうなったかわからない。

母や叔母・従妹らは今でも一宮に住んでいるが、祭りのことは一向聞かない。はたしてどうなっているかしら?


4月1日  4月の雪

今朝、窓のカーテンを開けると、外は雪景色だった。まだ少し降っており、ホウと思わず眺めまわしてしまった。前日も寒かったから、その意味では意外じゃなかったけど、何しろ4月の雪というのは珍しい。

雪はまもなくやんだけれど、午後2時50分現在、浅間山系はほぼ白く覆われている。上に薄雲もかかっているから、ひょっとしたらまだ尾根部は降り続いているのかも。天気情報を見ると、小諸の午後3時の気温は5℃になっているから、やはり相当寒い。もう雪は降るまいとは思うが。