風人日記 第六十四

今年も元気で

2019年1月5日~





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                           作品


『オキナワ 大神の声』(飛鳥新社刊 2200円+税)
 
            


 7年来毎年訪ねていた琉球弧列島を舞台に、喜界島から与那国島まで八百数十キロを歩いてゆく短篇連作集。



一昨年、いろんな推移の中で三ヵ月ほど日本の全原発五十四基が停止したことがある。現在は大飯原発が稼動しているほか、安倍首相は「今後新たな原発建設も指向する」と言い出している。原発ゼロは早くも夢のかなたというのだろうか。情けないことである。
 私は現在と未来の人類のために、原発が少しでもなくなっていくことを望む。


                            2013年4月1日
                            2015年1月1日
                            2016年1月1日
                             2017年1月1日
                            2018年1月1日

                              2019年1月1日

                          作家・前日大教授 夫馬基彦


                  日�記         


5月17日 なんたる中断

前回の日記以来何と1か月近い。何かの間違いではと何回か見直したが、間違いではなさそうだ。

ということはつまり、この日記に頭が向くこと自体が1か月なかったということだろう。何たること、何たる不可解!
大慌てで、日記を書きだしてみたが、書こうとすると別に大きな「亡失」
もない気もしてくる。

「うーむ」、一体どうしたことか。1か月間、別に書くほどのこともなかった、ということか。あるいは1か月の時間自体を思い出せぬほどに、些末な日々だったのだったろうか……?!

まことにムムム…である。
うーむ、むむむ。


4月18日 我が家の桜も満開

染井吉野、小諸八重紅枝垂れ、山桜
すべて満開だが、気温は初夏並み。うーむ、今年は暑くなるのかしら?


4月11日 浅間山系、雪にけむる

手前の民家の屋根も雪で白い。間で高原美術館の塔がきらきら光っている。
ずっと手前、隣家の屋根が壊れて瓦が落ちている。


4月10日 いつのまにやら時は経つ 

4月10日にもなって4月初の日記を書く。
情けないことだ。しかも一見頭はちゃんとしている。要するに今日まで、パソコンにも日記にも気が向かなかっただけだ。

外は雪で真っ白だ。雪のせいで意識がおかしくなっていたなぞとは言うまい。しかしまあ、雪に目が行って、ボウとしていたことは確かだ。
いかんいかん、ちゃんとしなければ。


3月30日  辛夷よ咲け

浅間山系が曇り、尾根筋の白雪以外は黒く見える。西側の白馬連峰は霞で全く見えない。
北窓正面に見える隣家の辛夷の蕾がだいぶ膨らんできた。楽しみである。


3月27日 春霞  

北の浅間山系も、西の白馬山系も、すっかり霞がかっている。浅間は近いから霞の下の山肌もよく見えるが、白馬の方は霞の向うにうっすらとしか見えない。

それどころか、ずっと手前の国道18号線の車の往き来までちょっとぼやけて見える。

それらのぼやけ具合が、「ああ、春だなあ」と感じさせる。
三宅島は昨日、雨だったそうだ。「海は大きい」と三歳の孫が声を弾ませて言っていた。

確かに大きいだろうな。


3月26日 三宅島は東京か

東京都下だそうだ。電話も今までどうりのケータイ番号で通じるし、電話で話したりする限りは近いものだ。

そう思って安心したが、しかし地図で見ると遠い。海のずっと先、なんだか太平洋のど真ん中あたりにぽつんと浮んでいる感じがある。うーむ、遠いなあ。

さて、電話でもしてみるか。


3月17日 娘たち、南の島へ

昨日、娘たち一家が、南の島へ引っ越した。国内、それも東京都だが、地図で見るとはるか海のかなただ。期間は2年間。

2年くらい今までだって会わずにいたことくらいありそうな気がするが、会おうと思えばいつでも会えるのに結果的にそうなった、というのと、どうあがいても海に阻まれてしまう、のではだいぶ違う。

行く前に東京駅付近で一度会おうという話も生じていたのに、信州から東京駅を往復するのが億劫で会わぬままになってしまった。まあ、たった2年だ、しかも半年か1年くらいに1回は東京駅付近へ出てくるというので、大したことではないと思っていたのだが、考えてみると海の向うへは簡単に行けぬ。

うーむ、失敗だったようだ。無理をしても会っておくべきだったなと、悔やまれる。娘よ、せいぜい出てきておくれ。孫は2年もしたらずいぶん変わっているだろう。
ああ、失敗だった。ああ、うっかりしたなあ!!



3月14日 娘と話す

かなり遠くへ引っ越すというので、電話をした。本当は転勤前に一度会おうと言うつもりだったが、なんとなく口に出ず、「時々東京へ出て来い。その時は必ず事前に電話せよ」などと言い、「ハイ」と返事を得ると、それでいいかという気になっていた。

何しろこちらは75歳、もうテキパキと体が動かない。信州から東京へ出ていくだけで大変だから、本当は「信州へ来い」と言いたいのだが、それはさすがに口に出てこない。

やっぱり信州は遠いという実感があるのだ。
ううむ、口惜(くちお)しいのお。


3月8日 春の気配

浅間山系に雪は残っているが、木々の芽は紅いし、風も柔らかい。
遠くの国道18号線を行きかう車群もどことなく軽やかだ。
その向うの白馬山系は雲に覆われ、姿がおぼろだ。

浅間山は純白だが、寒い感じがしない。まもなく春陽に溶け出しそうな気配が、遠くにまで伝わってくる。

春よ、来い!


2月23日 浅間山系がきれい


書斎から北側に一番よく見え、近いのが浅間山系だが、今ごろはそれが美しい。正面に見えるのは高峰山で、山系右端の浅間山には雪がいっぱいかぶっていて、いかにも存在感がある。
浅間の隣は黒斑(くろふ)山だったか。鳥のような文様が浮んで見える。

ずっと左へ視線を動かすと、三方が峰になる。平たい尾根に名の通り3つ小さな峰がある。三方が峰の右側奥には険しそうな崖が見えており、以前はその名も知っていたが、今どういうわけか思い出せない。かつてのような山への関心が減じてしまっているのだろう。

毎日見ているのに、忘れるものだなあ、とちょっと驚く。
目を西窓に向けると、はるか先に白馬山系が見える。これは大きいし、純白で、いかにも「白馬」というイメージがあるから忘れない。

浅間山系は近いから、登ったこともある。登山道がかなり整備されていて、「天狗湯」だったか、赤色の湯があって、染まらないかと気にしながら入ったことがある。においもかなり強かったが、どんな香りだったかは思い出せない。

香りはあまり記憶に残らないのかしら?
視覚は湯船の形状までかなりはっきり思い浮ぶ。

また山へ行きたくなった。春になったらトライしてみるか。


2月17日 ひとり飯

もうじき干(ひる)だが、なかなか動く気にならない。妻が出かけているので、ひとり飯になるからだ。
外食すればいい気もするが、外は真冬の寒さだし、馴染みのそば屋は休みなので、出かけるにならない。

湯を沸かし、そばかラーメンでも作ろうと、心で思っているのだが、体が動かない。
怠け心というか、何かしら…。

ぼつぼつ階下へ行くか。


2月12日 浅間山系が鮮やかだ

浅間山をはじめいくつかの峰が真っ白だ。
きれいなものだ。寒そうな気もするが、室内から見ている限りはいい眺めだ。

西の白馬山系が雲で見えないのが、残念。雲が多いから、雪なのかもしれない。
遠くの国道(18号線?)を行きかう車の姿が、世の中は動いているなあと思わせる。


2月10日 ひさびさ

だいぶこの日記を書かなかった。すっかり忘れていたとも言えるし、書くことがなかったとも言える。歳をとったとも言えそうだ。
現に久々に書こうとしても、別に書くことはないような気もする。

老化、というのが一番正確そうだ。
世の中が三連休中だというのもほとんど意識しなかった。

これはまあ、数年前、定年退職して以降、ずーっと長い連休中ともいえるから、無理からぬことではあるけれど。

いずれにせよ、世間との交流がぐんと減った。界隈では数少ない都市である長野市や上田市へ出ることもだいぶ減った。ということは新しい映画や展覧会もあまり見ていないことになるし、人にも会っていないということだ。

うーむ、いかんいかん。一番近い近所の喫茶店にすらろくに行ってない気さえする。
明日は上田へ新しい映画を見に行くとしよう。



1月14日 出不精

 私はもともと割合外へよく出る方だった。70歳までは大学で仕事を持っていたし、大学へ行かなくなってからも二日に一度はどこかへ出ていた。ちょっとあちこち散歩したり、馴染みの喫茶店や図書館へ行ったりだ。喫茶店ではママや常連衆とちょっと言葉を交わしたりもする。

 なのに、このごろではだんだん外へ出なくなり、最近はいつどこへ行ったかがすぐ思い出せなくなった。冬の寒さのせいもあるが、いつの間にかいわゆる「出不精」になっている気もする。

 出かけたい気はあるのだが、いざ具体的に考え出すと、とたんに億劫になってき、寒いとか、雨が降りそうだ、とか半ば天気のせいにして、足を動かさないのだ。

 寒さはともかく、雨なぞ冬場はめったに降らないのだから(小諸市は晴天率全国1,2だそうだ)、要するに出かけるのが億劫、早く言えば出不精になってきたのだ。

 なぜかと考えていくと、70歳で大学を定年になってから、「出かけなくてはならない」ということ自体がなくなったからのような気がする。毎日家にごろごろしていて当然、それが常態、という感覚になってしまったのだ。

 「出かける用がない」というのも「出かけなくてもいい」と言い換えれば、気分は悪くないし、自由そのものな気もする。かつては憧れた境地だったという気もする。

 要するに、人間なぞ勝手なもので、行かなきゃならない場所や義務があるうちは、束縛やしがらみみたいに感じ、行く必要がなくなると、おのれが無用な存在なようが気がしてくるというわけだろう。
小説でも書けばいいのだが、それも、やいのやいの言ってくれる編集者なぞがいないと、一向進まない。

義務感がない、自由、というのは、困ったものだ。


1月8日 新年初書きです

すっかり怠け癖がついたというか、ひょっとしたら歳のせいか、日記も書かないままでした。

小生、もう75歳です。皆さん、お元気でしょうか。改めて新年おめでとうございます。
東京方面へもめったに行かなくなったので、皆さんにお目にかかる機会も激減しました。
これではならじと、なるべく出向きたいと思っています。個展などある場合はぜひお知らせください。

信州は空気がビンと冷えています。おかげで景色はきれいです。信州へお出かけのせつは、御一報ください。

2019年正月   夫馬基彦



1月5日  皆さん、新年おめでとうございます。                         
 小生、いま75歳です。まだまだかなり元気なので、今まで通り、日記も続けていくつもりです。皆さんもお元気で、時々メールなぞくださればと思います。
お待ちしています。