感想や連絡はMAILでどうぞ。huma.motohiko@blue.plala.or.jp |
作品 『オキナワ 大神の声』(飛鳥新社刊 2200円+税)
|
5月17日 なんたる中断 前回の日記以来何と1か月近い。何かの間違いではと何回か見直したが、間違いではなさそうだ。 ということはつまり、この日記に頭が向くこと自体が1か月なかったということだろう。何たること、何たる不可解! 大慌てで、日記を書きだしてみたが、書こうとすると別に大きな「亡失」 もない気もしてくる。 「うーむ」、一体どうしたことか。1か月間、別に書くほどのこともなかった、ということか。あるいは1か月の時間自体を思い出せぬほどに、些末な日々だったのだったろうか……?! まことにムムム…である。 うーむ、むむむ。 4月18日 我が家の桜も満開 染井吉野、小諸八重紅枝垂れ、山桜… すべて満開だが、気温は初夏並み。うーむ、今年は暑くなるのかしら? 4月11日 浅間山系、雪にけむる 手前の民家の屋根も雪で白い。間で高原美術館の塔がきらきら光っている。 ずっと手前、隣家の屋根が壊れて瓦が落ちている。 4月10日 いつのまにやら時は経つ 4月10日にもなって4月初の日記を書く。 情けないことだ。しかも一見頭はちゃんとしている。要するに今日まで、パソコンにも日記にも気が向かなかっただけだ。 外は雪で真っ白だ。雪のせいで意識がおかしくなっていたなぞとは言うまい。しかしまあ、雪に目が行って、ボウとしていたことは確かだ。 いかんいかん、ちゃんとしなければ。 3月30日 辛夷よ咲け 浅間山系が曇り、尾根筋の白雪以外は黒く見える。西側の白馬連峰は霞で全く見えない。 北窓正面に見える隣家の辛夷の蕾がだいぶ膨らんできた。楽しみである。 3月27日 春霞 北の浅間山系も、西の白馬山系も、すっかり霞がかっている。浅間は近いから霞の下の山肌もよく見えるが、白馬の方は霞の向うにうっすらとしか見えない。 それどころか、ずっと手前の国道18号線の車の往き来までちょっとぼやけて見える。 それらのぼやけ具合が、「ああ、春だなあ」と感じさせる。 三宅島は昨日、雨だったそうだ。「海は大きい」と三歳の孫が声を弾ませて言っていた。 確かに大きいだろうな。 3月26日 三宅島は東京か 東京都下だそうだ。電話も今までどうりのケータイ番号で通じるし、電話で話したりする限りは近いものだ。 そう思って安心したが、しかし地図で見ると遠い。海のずっと先、なんだか太平洋のど真ん中あたりにぽつんと浮んでいる感じがある。うーむ、遠いなあ。 さて、電話でもしてみるか。 3月17日 娘たち、南の島へ 昨日、娘たち一家が、南の島へ引っ越した。国内、それも東京都だが、地図で見るとはるか海のかなただ。期間は2年間。 2年くらい今までだって会わずにいたことくらいありそうな気がするが、会おうと思えばいつでも会えるのに結果的にそうなった、というのと、どうあがいても海に阻まれてしまう、のではだいぶ違う。 行く前に東京駅付近で一度会おうという話も生じていたのに、信州から東京駅を往復するのが億劫で会わぬままになってしまった。まあ、たった2年だ、しかも半年か1年くらいに1回は東京駅付近へ出てくるというので、大したことではないと思っていたのだが、考えてみると海の向うへは簡単に行けぬ。 うーむ、失敗だったようだ。無理をしても会っておくべきだったなと、悔やまれる。娘よ、せいぜい出てきておくれ。孫は2年もしたらずいぶん変わっているだろう。 ああ、失敗だった。ああ、うっかりしたなあ!! 3月14日 娘と話す かなり遠くへ引っ越すというので、電話をした。本当は転勤前に一度会おうと言うつもりだったが、なんとなく口に出ず、「時々東京へ出て来い。その時は必ず事前に電話せよ」などと言い、「ハイ」と返事を得ると、それでいいかという気になっていた。 何しろこちらは75歳、もうテキパキと体が動かない。信州から東京へ出ていくだけで大変だから、本当は「信州へ来い」と言いたいのだが、それはさすがに口に出てこない。 やっぱり信州は遠いという実感があるのだ。 ううむ、口惜(くちお)しいのお。 3月8日 春の気配 浅間山系に雪は残っているが、木々の芽は紅いし、風も柔らかい。 遠くの国道18号線を行きかう車群もどことなく軽やかだ。 その向うの白馬山系は雲に覆われ、姿がおぼろだ。 浅間山は純白だが、寒い感じがしない。まもなく春陽に溶け出しそうな気配が、遠くにまで伝わってくる。 春よ、来い! |
|
|