風人日記 第六十三

新しい年

2018年1月1日〜





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                           作品


『オキナワ 大神の声』(飛鳥新社刊 2200円+税)
 
            


 7年来毎年訪ねていた琉球弧列島を舞台に、喜界島から与那国島まで八百数十キロを歩いてゆく短篇連作集。



一昨年、いろんな推移の中で三ヵ月ほど日本の全原発五十四基が停止したことがある。現在は大飯原発が稼動しているほか、安倍首相は「今後新たな原発建設も指向する」と言い出している。原発ゼロは早くも夢のかなたというのだろうか。情けないことである。
 私は現在と未来の人類のために、原発が少しでもなくなっていくことを望む。


                            2013年4月1日
                            2015年1月1日
                            2016年1月1日
                            2017年1月1日
                            2018年1月1日


                          作家・前日大教授 夫馬基彦


                  日記         


4月13日 うわっ、もう1週間たってしまった

このごろ、日記を書かなくなった。パソコンはそれなりに開いているのだが、ちょこちょこっと見てまわるだけで、自分では書かないのだ。
老化したのか、面倒くさがりになったのか……。

たぶん両方なのだろうが、春のせいもありそう。信州では、今ごろは梅、桜、モモ、プラム、辛夷などが一斉に咲くし、楓やユリノキなどの新芽も一斉に芽吹いてくるので、見てまわっているうちに時がたってしまうのである。

空地の向こうで始まった目的の分らぬ掘り返しや小屋掛けも気になり、様子を見に行ったりしているうちに、次は周りの木がグリーンの葉を芽吹かせたりで、キョロキョロしているうちに、また時間が経っていく。

そして1週間があっという間というわけで、春のせいと言おうと、要するに老化のせいでもあろう。
ううむ、たまには書かなくっちゃ。書くとやはり意識が少ししゃきっとする。



4月5日 白馬山系が純白

2階書斎の真西方角に見える白馬山系が、今日はひときわきれいだ。まさに純白、こういうことは春どきとしては珍しい。
すぐお隣の辛夷の白と比較しても、山の方が白い。桜も満開になってきたし、いい季節だ。



3月30日 ユリノキと楓

ユリノキは百合の木と書くのか、どう書くのか。花が百合に似ているからこういう名になった、というのがパートナーの説だが、確証はない。

ともあれその2種の木を計5本、庭に植えた。庭と言っても元々自然林だった場所だが、しばらく前にアカシアを19本も伐ったため、どうもさっぱりしすぎた気がしたからだ。アカシアは自然林時代からの産物で、どういうわけか多かったうえ、根が浅く上にばかりすくすく伸びすぎ、ときおりバタッと根こそぎ倒れることがある。今まで2回そういうことがあり、その都度近くの道路を塞いだりしたため、大慌てをしたことがある。

その防止目的が第一だったが、おかげで視界がえらくさっぱりしてしまった。少しは残しておいた方がよかったかなという気もしたが、多くは10数メートルになっていたので、どのみち近々伐らざるを得ない感じだった。

視界が広がるのは気分がいい面もあるが、なんだか寂しくもある。近所の人から「だいぶ伐りましたねえ」といささか残念そうに言われると、こちらもそう思わぬでもない。が、倒れた場合の責任はやはりこちらにあるから、処分する責任もある。

さっぱりした状態を半年ほど味わった後、やっぱり何か新しい木を植えたくなり、ユリノキと楓を選んだのだ。ユリノキは以前、道路の向こう側に3本あったのを当時の区長が「落葉が多すぎる」という理由で勝手に伐ってしまったのだ。それらはパートナーの父がかつて植えたものだったから、残念に思っていたのである。

植えたのは背丈1メートル足らずの細木だから、豊かなグリーンを見せるまでには何年かかかるだろうが、成長を見守る楽しみがある。
庭好きの人たちにはたぶん共通の楽しみだろう。



3月26日 辛夷咲く

と言うとちょっと早いかな。お隣の辛夷の蕾が八分がた膨らみ、白い大きな花弁がいっぱいです。
この花は咲いた後、バサッと音を立てて花弁が散るのが、潔いような、がっかりするような…。

それにしても春だなあと感じさせます。



3月19日 だいぶ暖かくなりました

信州ではまだすっかり春とはいきませんが、でも、あれこれ春めいてきました。
浅間山系の雪はほぼなくなりましたし、お隣の辛夷の蕾がだいぶ膨らんで、白い花びらを見せ始めました。

庭の水仙の蕾も増え、もうじき第一号が咲きそうです。昨日はうちの庭前(外)に年配女性二人が椅子持参で座り込み、のんびり日向ぼっこをしていました。こっちまでいい気分でした。

昨日は市役所3階で、小諸市街のスーパーツルヤ(休業中)の今後が説明されました。2年後には再建再開、今年中に工事開始、とのことにホッとしました。一番近かった街なかの店はやはり住民には貴重です。



3月13日 すっかり時が経ってしまった

だんだん春めいてきた。全体に空気が靄っとしているし、外へ出ても寒くない。ジャンパーくらいは羽織って出るが、コート類は全くいらない。
遠景も靄がかかって冬のようにはっきりと山が見えない。

いいような気もするし、景色は冬の方がよかった気もする。
木々の葉蕾もだんだん丸みを帯びてきたようだが、グリーンぽい感じはまだ全くない。敷地にあった19本のアカシアの木を去年伐ってしまったので、庭はかなりあっけらかんとし、どうも物足りない。

やっぱり何本かは残しておいた方がよかった気もするし、しかし丈はどれも同じぐらいで、ひょろひょろと不安定な様相だったから、やむを得なかった気もする。
野原の向こうの崖際の木々も全く裸木ばかりだから、遠くの景色もよく見え、視界が広がった気がするが、代わりに下の新町界隈に家がだいぶ増えたような気もする。

何事も功罪両面あり、ということかしら…。



3月2日 雛飾り

街を歩くと、そこここで雛飾りに出会う。店の表通り近くに飾っている家が多いのだ。向きは店の中方向なのが多いから、ゆっくり全部を鑑賞できるわけではないが、通りを歩くうちに次々出会うのは楽しい。あそこで少し、次にはここで少し、と眺めていくと、しばらくのうちに全部見る計算になる。

小諸は人口4万の小さな町だが、歴史は古いから、たいていの家に雛飾りセットがある。持っている家すべてが毎年飾るわけではなかろうが、表通りからそれに出会うと、おお、このお宅には娘さんがいるな、いくつかな、などと心が華やぐ。

雛人形には古そうなものが多いから、これは、おかあさんか、ひょっとしたらおばあちゃんの代からかな、などと想像が働くのも楽しい。

古くからの住人だと、毎年いくつかを観、さて今年はどこの家が飾るかなと想像する楽しみもありそうだ。人形の顔にも時代によって変化がありそうな気がするが、どうだろう? 大きくは違わなくとも、少しづつ違いが生じていくような気がする。それとも伝統の方がずっと強固だろうか。

古い住人だと、毎年見比べていくのが面白かろう。



2月22日 今日は雨水だそうだ

もう雪は降らないといいのだが。
庭の北側には積雪がまだうっすらある。

浅間山系の峰筋にずっとあった雪雲はどうやらなくなった。
少しづつ春が近づいてくる。


2月17日 また雪かな

朝からずっと曇り空の上、浅間山系も白馬山系も、どんよりと雲がかかって見えない。雲はひょっとしたら雪雲かも。浅間山系は確実に雪が降っていそうだし、だんだん降りて来て、この辺りも雪になるかも。
2月半ばと言えば一番寒い時期だ。



2月15日 残雪ほぼなくなる

だいぶ長い間、北側の屋根、庭の一部や塀の外に雪が残ったままだったが、今日見まわしてみると、塀の外の一部をを除くと、だいぶとけた。
それだけ暖かくなったのか、日照がほどよくなったのか、定かでないが、とにかく春が近づいたようで気分がいい。

遠景を見ても、浅間山系の雪はだいぶ薄らいだようだし、西の白馬山系のほうもこころなし白さは減った。
空気の方は正直まだまだ寒いが、おいおいやわらいでいくのではと期待が持てる。

近くで近所の人が、野積みだった木材を細かく伐りだしたのも、春が近づく感がせぬでもない。隣家の辛夷の蕾も心なしほころびの気配を見せ始めた。白く豊かに咲くのが楽しみだ。



2月8日 すっかり御無沙汰したみたい

この日記を見る限り、前回の1月25日「寒い!」以来だ。

理由は分らない。寒さが急速にやってきて気をとられていたこと、節分や立春など季節の変化の実相に関心がいっていたこと、など、あると言えばあるが、要するに茫としていたのだともいえる。

よって、大慌てでこの記事を書いている。北側の浅間山系は上層部は白い雪が目立ち、西遠方の白馬方面は雲ではっきりしない。

近くの庭は、しばらく前にアカシアの木を全部伐採してしまったため、さっぱりしたというか、見晴らしがいい。ちょっと寂しい感じもある。

が、アカシアの木は根が浅く、幹はどんどん上に伸びて、時々根ごとドサーッと倒れることがある。しばらく前に1本が道路に倒れ、大慌てで人を頼み細かく伐って処理してもらったことがある。数年前には隣家への入り口道へやはり1本丸ごと倒れ、近所の建設会社へ頼んで、倒木を処理してもらった。

どっちも片付くまでは交通妨害になるし、大慌てになる。
よって、倒れやすいアカシアはこのさい19本全部伐ってしまおうとなったのだが、馴染んだ木はなくなると寂しくもある。
伐ってしまったものはもう元に戻らないから、後悔も少し生じるし、うーむ、というところだ。

でも、まあ、しようがない。
しかし、19本はやはり多い。しばらく茫々と庭を眺め続けたが、覆水盆に返らずというか、どうしようもない。さっぱりしていい感もある。

そして、さあ、あとはどうしよう、何か新しい木を植えようか、少し畑でも作ってみようか、などとあれこれ考えることになる。それぞれに魅力があるから、すぐ結論は出ない。まあ、春までゆっくり待とう、というところだ。楽しく待つのが一番だろう。



1月25日 寒い!

朝起きたら、視界は真っ白。夜なかに雪が降ったらしい。
ただし、さほどの積雪ではないので、まあ、午前中ぐらいで消えるのではと楽観している。浅間山系はどこも中腹くらいまで白い。白馬山系もそう。

昨日は筋トレ教室をすっかり忘れていた。このところ出席率が落ちているようだ。老化?



1月20日 ひさびさの稲門会

昨日、小諸市内で開かれた。従来は軽井沢などで開かれることが多かったから、珍しい。
小諸の街なかとなれば便利だから、私と田村は喜んで参加した。
会場になったレストランは、経営者のママが私と故郷が近いし、なんとなく懐かしい。

参加は20名弱だったか。顔見知りが多いし、同窓生となると気持が穏やかになる。
あまり酒も飲まず、さほどお喋りもせず、穏やかに落ち着いた会だった。



1月16日 雪山

といっても、我が家の書斎から見るもので、今日あたりはやや曇り模様だから、西遠方の白馬山系は全く見えず、北の浅間山系は浅間山と赤ザレ、奥烏帽子岳の3つだけが雪を冠っており、あとは黒っぽい地味な山肌だけを見せている。

白馬山系は昨日、純白にそびえて見え、実にきれいだったが、毎日その光景が続くことはめったにない。比較的近い浅間山系にしろ、きれいに見えるのは空が青くて雲がない日だけで、その条件がない日は、一番東端の浅間山を除けば、全体に黒っぽい中に白い雪がところどころ刷毛で塗られたように見える程度である。

昨日あれほどきれいだった白馬なぞは、今日は姿も影も見えない。
浅間山系は近いから、書斎正面に見える高峰山はじめ、三方ケ峰、黒斑山など、どれも雪のありようまでよくわかる。

形としてはギッパ(牙山)が名前通り一番面白く、次いで三方ケ峰がその名通り三方に小さな峰があって、それぞれに名前はないのだろうかなどと、毎度少し考えさせられる。

雪がもう少し濃ければ何かふさわしい名が付けられそうな気がするが、全体としては、「穏やかな近場の山」という感じで、洒落た名前が浮ばない。
うーむ、もう少し雪が積もってくれたらなあ。



1月8日 焚火

庭に積み上げておいた枯れ枝類が気になって、焚火をした。
午前に1回目をし、ぶすぶすいぶり続ける残り火が気になって、他の枯れ枝類も集めて午後2回目をした。

途中から妻も出てきて加わった。焚火好きだから予想通りである。
焚火というのは面白いもので、二人とも子供時代から大好きだったと初めて知った。
子供時代は子供だけで焚火を始めると、大人から「気を付けるんだよっ」と厳しく声がかかったものだが、さすがに今はそういう声は飛ばない。

むしろ、通りがかりの人が寄ってきて「木が多くていいですねえ」と話しかけられたりする。みんな何となく自分もやりたそうな顔をしている。
大人も子供もたいてい焚火好きなのだ。

2回目はもう少し先に取っておけばよかったかな、と思ったり、いや、またどこぞから焚火の材料くらい出てくるわさと、期待したり、楽しい感じが続く。



1月5日 今年初のベルコーヒー

元旦から午後は開いているのを知っていたのだが、今日が初お目見えとなった。
ママ(1時から担当)はもちろん健在、途中でちょっと顔を出した息子さん(1時まで担当)も元気で、今年もまた小諸で一番よく顔を合わせる人たちになりそうだ。

客の方も顔を合わせた第1号は
ずっと顔なじみの常連で、今年もまた昨年同様のつきあいーーといっても顔を見て黙礼するだけだがーーとなりそうだ。
1時間ほどいて、彼とママの会話を聞いているうちに、ああ、ベルコーヒーだなと感じ、フムフムとひとり頷いて帰ってきた。

私はベルコーヒーはまさに常連で、小諸では一番よく行く場所だが、考えてみると、ママ以外とはあまり話をしない。多少とも言葉を交わすのはほんの一人二人くらいだろう。

今年はもう少し言葉を交わすようにしようか。東京方面へはもうほとんど行かないだろうし、人と会う場所はだんだん少なくなる。その分、貴重な場所だ。


1月1日 賀正

一日違うだけで1年違うような気がする不思議な日だが、しかしまあ年賀状の束を見ると、1年に1度だけの稀有な日という実感がわく。
年賀状も定型通りという気もするが、とにかくほかにはない日で、読んでいくのが楽しい。

中学時代の仲間と近況を知らせあう日なぞ、ほかにはまずないし、高校時代のヤツの言動を思い出す日もほかにはない。
あーあ、みんな歳とっちゃったなあと、口に出し、おのれの歳とった顔をおのれで想いうかべる。

うーむ、全く歳とったものだ。皆さん、あけましておめでとうございます、ともの悲しく言ってみる。