オンライン連句     Topへ

 さて、いよいよネット上での連句に移ります。連句に関心のある方ならどなたでも出入り自由とします。

 私は基本的には芭蕉以降の俳諧式目にプラス現代連句の傾向を加味し、時代精神にあふれた闊達な連句にしたいと思っています。伝統を尊び、しかし新しさも、というわけです。
 式目をご存じの方はどんどん付けて下さい。あまり詳しくないという方はそのつど私が書くアドバイスに沿ってゆっくり付けてみて下さい。全くの初心の方は一冊くらいは参考書を用意された方がいいかもしれません。おすすめは、

   『連句辞典』 東明雅ら著 東京堂出版  一番詳しいがちょっと高い、3500
   円くらい。
   『連句入門』 東明雅 中公新書
   『連句のたのしみ』 高橋順子 新潮選書

 などです。ほかにもいろいろ出ています。
 他に絶対必要なものは歳時記と国語辞書です。それぞれお手持ちのもので構いませんが、もし新しくお買いになるなら、歳時記は月別または三季別編集のものが連句にはベターというか、ひょっとしたら必需品です。三季というのは春なら春を初春、仲春、晩春の三つに分けるもので、それぞれほぼ二月、三月、四月に相当します。ゆえに月別編集とほぼ同じになります。おすすめは、

   『最新俳句歳時記』 山本健吉編 文藝春秋(文庫版もあり)
   『ホトトギス新歳時記』改訂版 稲畑汀子編 三省堂
   『現代歳時記』 金子兜太、黒田杏子、夏石番矢編 成星出版
   ほかに、歳時記とはちょっと違いますが、『季語秀句用字用例辞典』斉藤慎
   爾、阿久根末忠編、柏書房

 などです。

 なお、捌き、治定(じじょう)にあたっては、なるべく客観的にするつもりではありますが、しかしここは私の個人ホームページですから、当然ある程度私の好み、主観、主張、等が入ることはお許し願いたいと思います。連句にもおのづと流儀、個性、連句観などがあるものです。合わないとお考えの方はご遠慮下さい。
 
 なお、歌仙等の進行については上記の本などにもたいてい進行表が付いています。ここに表を掲載しようかとも思いましたが、自作のものでない限り勝手に掲載すべきではないと考え遠慮しますが、私の進行の仕方もそれらとほぼ同じです。
 
 付け句は私宛メールにて御投句下さい。式目に合致する範囲で一番いいものを選び、時に直しを入れたり差し戻し・手直しを求めたりしたのち、採用とし、オンライン上に書き込んでいきます。治定にはまあ、お従い下さい。

 なお、新しく参加される方は、礼儀としてもある程度の自己紹介(氏名、俳号、年齢、性別、職業、およその居住地、および俳歴など)は書いて下さるよう、どなたにもお願いします。
 
 連句は本来「座」の文学、つまり一同顔を合わせて互いがだいたいどんな人かは分ったうえで、どういう人がどんな風に付けるかが面白みの一つという要素もあるのですが、オンラインではそれは無理なため、せめて初登場の人には自分に関するある程度の情報を知らせていただくのが、捌きをする上でも、また一緒に付けたり付けられたりしていく連衆仲間のためにも、おのづと必要な手続きと思えるからです。

 これはこの私のオンライン連句でも数少ないルールの一つといたします。
 守れないという方は参加をご遠慮下さい。

 では、皆さん、楽しんで行きましょう。

 


  第1回オンライン歌仙<ネットで野遊>の巻            南斎捌き


                      座   風人連句会
                      連衆  定まらず
                      於   インターネット上


  発句  若みどりネットの上にも萌えたてり           南斎
   脇     誘ひ合せむ今日の野遊             湊 野住
  第三  目利きひとり壺を見ゐたる黄沙にて       丸山鶯吟庵
    4     かり寝の夢に半鐘が鳴る           太田代志朗
   月   自転車に追はれ追はれて忍ぶ月           野
   秋     こげが多めの親父の栗飯              南
  ウ  秋   黒服の胸元に差す赤い羽根           長谷川冬狸
   雑    表と裏の綾なす喜劇                  野
   恋   旅先の泉にコイン投げ入れて              冬
   恋    心中するならフニクリフニクラ            南     
   恋   恍惚のマグを交互に飲んでいき         夫馬小南斎
   恋    君の名前も忘れ去りをり                冬
  夏月  夏の月蔵王の釜に五百年                野
   夏    「六根清浄」と村を出(い)でゆく            南  
   雑   どよめきの名残りドームの芝生揺れ      菅 那留茶
   雑    バッジをはずす国会議員            山本 掌  
   花   花明り青表紙でも読もうかの              掌             
   春    夏目漱石倫敦(ロンドン)の春             南
 ナオ 春   蝶ひらひら秘密の園の天へ飛ぶ            掌
   雑     登山道からシンバルの音           森山深海魚      
    雑   聴力視力コレステロールに血糖値           南
   雑     無理を貫き我が歳を知る            高部江戸我
 新年・恋  ぬしさまとよべぬおかたと姫はじめ          掌
   恋     女帝の恋ふるは道鏡殿にて             野
   雑   電脳(デジタル)で雲雨は保存できません       掌
    冬     軽金属の街に木枯らし                深
   冬   ねんねこの中で覚えし喧嘩作法             野
    雑     テレビに怒鳴って晩酌をする            南
    月   洗面の鏡にうつる蒼き月                 冬
    秋     花野に錆びし銀(しろがね)の鍵           掌
  ナウ 秋   漁(すなどり)の皺深々と秋の暮             深
    秋     風炉名残にと客人招き                代
    雑   小夜更けて同窓名簿に線を引く            南
   雑     ぼくの苦手な図形問題                野
    花   対岸は神楽坂なり花の宴                冬
 春・挙句    連衆華やぎ山また笑ふ               掌

           *註 イタリア・ナポリ近くのベスビオ火山への登山電車の名。歌の名にもなっている。

     2002年4月15日起首            
      2002年12月16日満尾

                                  感想メール    


総括のまとめとお休み御挨拶(12月16日)

 2週間近くたつのでぼつぼつ総括をまとめます。
 この間、深海魚さんと掌さんのお二人から意見・感想等が寄せられました。深海魚さんのは“直し等はないが、全体への解釈を書いてみます”というもので、メールで14KBになる丁寧で面白いものでした。

 本来ならここへもコピーしたいところですが、このページ、いま「表示可能容量を超える」となっていて、ほんの2,3KBくらいしか載りそうにないので残念ながらやめます。代りに常連の方へはメールで転送しました。

 掌さんのものは2カ所細かい点で、1,はナオ3句目の「聴力視力」を語呂から「視力聴力」の方がよくないか、というもの、2,はナオ9句目の「覚えし」を「覚えた」と現代語の方がよくないかというものでした。

 1,は前句への付けを「音」にしているのでこのままにしたいと思います。2,も「ねんねこ」の語感が古いので「し」と文語のままでいきたいと思います。

 ほかに私の総括では、表5句目から4句つづけて漢字体言留めがつづくため、3つ目の「差す赤い羽根」を「赤い羽根差し」に直そうかとも思いましたが、句またがりになってどうもよくない。また次の「喜劇」もいじりようがないので、ええい、ままよ、初心尊重でいこう、とこのままでいくことにしました。

 あとは、ウ4句目の「フニクリフニクラ」が深海魚さんから意味が分らない、呪文みたいだ、という意見が出ましたので、註をつけることにしました。ぼくの世代なぞは誰でも知っているイタリアの歌だったのですが、若い世代はそうでもないのですね。

 これですべて完了です。満尾といいます。起首から初めて首尾整ったわけです。
 参加して下さった皆さん、どうも有難う。私もかなりの時間と労力を要し、正直結構大変だったのですが、楽しくもありました。

 初めての方と知り合えたのもよかったし、なかなかのレベルになったのはもっと嬉しかった。常連の間では、いわゆる「オフ会」として新年連句会の計画も進行しているようです。楽しみな限りです。

 第2回オンライン歌仙はその結果などを待って、新春に計画を立てます。
 それまでしばらくお待ち下さい。では、皆さん、よいお年を。



治定と総括の手引(12月3日)

 いよいよ挙句、最後なので出来るだけ待とうと思いましたが、6日たちましたのでぼつぼつ治定します。
 投句は意外にも次の2句のみでした。

  1,画面(ウエッブ)一面山々笑って     掌
  2,連衆華やぎ春はあけぼの         々

 どちらもいかにも春を寿ぐ内容で、かつ発句・脇とも照応しています。
 が、照応は必要ですが、発句と同じ言葉は使っていけないことになっています。1,の場合、「ウエッブ」は発句の「ネット」とほとんど同じです。意味も「蜘蛛の巣」と「網」です。
 
 また「山笑ふ」は私も好きな季語ですが、「て留」はまだつづきがあるみたいで挙句にはふさわしくありません。

 2,は下7の「あけぼの」が時間的に夜明け時であり、なんだか連衆が朝まで連句をしていたのかみたいな気になります。

 というわけで、両者折衷、かつ少し直して表記のようにしました。
 発句・脇とも照応し、かつめでたく上がり、まずは結構と思います。
 皆さん、長らくご苦労さまでした。そして有難う。

 が、最後にもう一つだけ手続きがあります。
 それは私が「魚の会」以来学んできた風習で、「総括」として全体の見直しを全員ですることです。

 呼称がどこか左翼的気配ありと感じる方もあるかもしれませんが、当時の主催者・文芸評論家佐々木基一(大魚)さんの影響です。元来は企業や役所などでも使った事務用語でもあり、まあ面白くていいじゃないのということでした。

 途中から加わった元日本浪漫派(保田与重郎など国粋的ともいわれた流派)作家の宗匠・真鍋呉夫(天魚)さんも、「これは民主的でいいですよ、とてもいいやり方だ」と言われたこともあり、定着しました。

 発句以来かなり長い時間(ここでは7ヶ月半)もたっていますし、参加者もだいぶ変遷してきています。正直、前の方のことは忘れている場合もあったりします。
 そこで、全員で最初から一度ゆっくり検討し、どこか遺漏や疑問、どうしても直したいところなぞあれば、直そうというものです。

 で、ここでもその伝に従い、皆さん、しばらく時間をかけ発句から始めて検討し、気付いたこと、自分の句に関してのことなどあったら、お申し出下さい。
 とはいえ、ちょっと考えていただけば分りますが、連句の性質上、うかつに1句を直すと、次、さらに次の句と、連鎖反応的に拡大し、収拾がつかなくなります。

 ゆえに直しの提案は極力抑えた上でなさって下さい。
 捌きも慎重にいたします。

 以上、最後の治定とご案内でした。
 いや、最後の治定は総括後でした。では、待っています。



治定とアドバイス(11月27日)

 最後の定座花にお二人から投句がありました。

  1,対岸は神楽坂なり花の宴   冬狸
  2,ダム湖からにょっきりのぞく花の枝   深海魚
  3,花曇りマリア観音埋めにゆく        同

 1,は、冬狸さんの勤め先が東京・飯田橋だそうで、そこからは総武線の走るお堀をはさんで向う岸に丁度神楽坂があるわけです。そして神楽坂といえば昔からの花街であるばかりか、大黒天(でしたか)などあちこちに確かにきれいな桜が咲きます。
 
 おのづと華やぎのある花ごろの気配が伝わり、イメージも陽性ではっきりします。
 飯田橋界隈には大学や学校も多いし、それらの窓からの風景ととれば、付きも分りやすい感じです。

 2,は、イメージははっきり浮びますが、どこか荒涼感というか死の気配も漂い、句としては面白い面もある反面、歌仙最後の匂いの花の場としてはあまり気が進みません。それに付きがよく分りません。また、3句去り前に同じ「水辺(すいへん)」の句があるのも気になります。
 
 3,は、前の枝折の花が「花明り」で明るい内容、今度は「花曇り」で暗い内容、と、対照的ではあれ形が似すぎている感があります。また、付きに関してはあれこれ考えたけど付かない気がします(何か意外な解釈があれば教えて下さい)。

 というわけで、花の場、分りやすく華やかな1,を採用とします。

 さて、次は本当に大詰めとなりました。
 「挙句の果て」という日常用語にもなっている挙句の場です。
 
 挙句は発句・脇に照応しつつ春を寿ぐ句にします。前句には必ずしも付かなくてもいいことになっています。内容通りにすればおのづと付く形になるからです。ゆえにこの句だけは事前に作っておいていいことにさえなっています。

 場所はまあ外、一人称は避ける、発句・脇・匂いの花の作者は遠慮。あとはとにかくめでたく納めて下されば結構です。
 さあ、締めをよろしく。



治定とアドバイス(11月21日)

 今回は若手野住君と中年粋女掌さんから以下の投句がありました。

  1,ぼくの苦手な図形問題    野
  2,春スカーフを風になびかせ  掌

 1,は意外な付けで、前句を旧友たちの死、あるいは人間関係の流転、と考えていた身としては肩すかしを食わされたみたいな気分ですが、しかし、同窓を学校、「線を引く」を幾何ととれば付くことは付きます。そして、その意外さが若さを表していていいかなという気もします。

 問題はどうも「内(うち)」になりそうなところですが、しかし教室は半パブリックな場所―つまり内外(うちそと・内と外の中間状態の意)ともとれなくはなく、かつ内外問題や人情問題はあまり厳密にする必要はない、ことからも、ま、許容範囲内かなと思います。

 2,は爽やかで次の花の句がいかにも付けやすい句ですが、代りに掌さんとしてはちょっと平凡かなという感があります。

 というわけであと2句ということも考慮に入れ、ここは野住君の句を採用とします。

 次はいよいよ花の定座です。初折裏の花を「枝折の花」ここを「匂いの花」といいます。ほんらい座中で一番花を持たせたい(この言葉、連句用語でもあります)人―貴人、正客、慶事のあった人などにもってもらうのですが、ここではむろん平等です(慶事のあった人、お申し出下さい)。

 なお、前回書いたように発句、枝折の花の作者は遠慮します。
 あとは出来るだけ匂いやかに。内だけは避けてもらいましょうか。
 さあ、どうぞ。



治定とアドバイス(11月16日)

 今回は掌さんから以下の1句プラスもう一つが届きました。

  1,嘯いてメールの文殻消しやすく
  2,嘯くよわが言の葉を殺めては

 1,は軽やかで内容もぴったりです。が、「メール」が気になります。少し前にデジタルが出ていますし、それに発句にネットがあります。まもなく挙句になりますが、挙句は発句に照応すること、が式目ですので、ここでメールが出てしまうと、挙句が難しくなります。

 2,は掌さんらしい鋭角的な句です。気にされている「葉」は植物とは障りません。
 が、全体に調子がやや大仰な印象があります。たまにはいい気もするものの、「花野」の句以来緊張感がつづきすぎる感があるので、ここはやはりもっと世話物的に転調が望まれるところです。

 で、もう少し待とうかとも思いましたが、せっかく人生の先輩太田代志朗さんが出句して下さったので、お返しの意を込めて小生が付けることにしました。
 連句用語では「無常」です。

 さて、いよいよ残り3句となってきました。
 次は花前、花を阻害したり出しゃばったりしないことが求められます。ま、結婚式に花嫁より華美な衣装は着ていかないこと、みたいなものです。

 雑または春で、人情なし(叙景)または人情・自(1人称)、場所は外または内外(うちそと)です。内容はとにかく今まで出ていなかった類のことを捜して出して下さい。ただし、さらりと。

 なお、花はほんらい一座で一番花を持たせるべき人の場で、発句の作者、前の花(枝折の花といいます)の作者は遠慮します。
 また、挙句も発句、脇、匂いの花(あとの花)の作者は遠慮するのがふつうです。脇は可とする場合もあります。

 そのことを念頭に自分の出番を考え、投句して下さい。
 では、どうぞ。



治定とアドバイス(11月12日)

 まず前回の訂正。
 漁の句の下5「秋の暮れ」に関して、「れ」はいるのかどうか、あると動詞ともとれるが、という指摘が掌さんからあり、作者・深海魚さんにどちらの意かを問い合せましたが、まだ返事がありません。きっと忙しいのでしょう。

 一方、付け句は次々に投じられてきていますので、いつまでも放って置くわけにも行かず、ここらで捌きの権限で治定させて貰います。
 「れ」はとり、体言留めとします。漢字留めが3句つづきますが、ま、やむをえません。

 さて、次はこの歌仙4句目に登場した歌人・熱血風雅ロマンチスト太田代志朗さんから熱心な投句が相次ぎました。(太田さんの強烈なHPはここのリンク集にあります)
 相次いだというのは季語等の訂正が2度ほどあったということですが、最終的にはこうなりました。

  1,風炉名残にと客人招き      代

 ついで、お馴染み掌さんも間に歌手公演をはさんで差替えの結果、こうなりました。

  2,民族主義者劇場占拠       掌

 1,は晩秋の風雅の世界、2,は雑で時事問題にして漢字のみという新しさ、どちらもちゃんと付くし(秋の暮には何でも付きますね)、まさに対照的、ううむ、温故知新いづれをとるかですが、ここは久々の太田さんを優先としましょう。掌さんの紹介者でもあります。

 次はもうにして下さい。上の表を御覧の通りまもなく花で春になります。バランス上、雑がベストです。
 
 内容は植物を出さぬこと(あとの打越が花ですから)、月の句以降、侘び寂び調がつづいたので、下世話ふう、あるいはとにかく転調を図って下さい。
 場所は外(そと)以外、人間は出すなら1人称(人情・自。3人称は人情・他といいます)にして下さい。
 
 要するに打越に障らず、まもなく花の座になることを意識していただけばOKです。
 では、待っています。



治定とアドバイス(11月7日)

 今回は掌さんと深海魚さんから相次いで早々と投句がありました。
 あまりメンバーが固定化してもと思い数日待ちましたが、ぼつぼつ決めます。

  1,菊膾北京育ちの叔母さまで     掌 
  2,漁(すなどり)の皺深々と秋の暮れ  深

 1,の句は「北京秋天」という言葉があるくらい秋がいいとされる北京を出して、しかし今は多分日本在住の叔母が日本的な菊膾を作っているというわけでしょう。
 広がりもあり、かつ従来美学的な句が得意だった掌さんがだんだん世話物的生活句にも芸域を広げつつある感じで、味のある句です。句としてはぼくがこちらが好きです。

 が、問題は、いわゆる内外(うちそと)問題で、打越句が内、家の中の洗面室に対し、また内、それも家庭内的な台所か食卓、というわけで、これがどうしても障ります。
 また、北京もロンドンが出ているし、という気もちょっとします。

 2,の句は、きちんと額縁に納まったイメージ明快、完成した図です。それだけにどこかの写真展やテレビの紀行ドキュメンタリーなどでちょくちょく見る気もし、案外類型的の感もあります。深海魚さんとしては平凡なんじゃないかしら。

 が、遺漏はまったくありません。半ば風景とも化した老漁夫の顔もはっきり浮んでくるかのようです。
 で、まあ、今回はこれで、とします。

 次は秋でもいいけど、まあ雑でしょう。
 人情句は2句以上がふつうですからもう1句は人間を登場させます。内外は屋内とも外ともとれるいわゆる「内外」―例えば門の下とか、縁側、駅、公会堂などどちらともとれる場所、などがいいでしょう。

 あと5句で終りです。張り切っていきましょう。



治定とアドバイス(11月2日)

 今回はまず文芸歌手・掌さんから次の投句がありました。文芸歌手というのは前回「元オペラ歌手」と書いたところ、「元」ではない、現役である、されどオペラ歌手でもない、今は催馬楽、和歌、俳句など日本の伝統歌謡・定型詩などを歌う独自のジャンルを開拓しているいわば文芸歌手である、とのことでしたので、今後そう呼ばせていただきます。

 「11月10日(日)午前10時半より雑司が谷キリスト教会で音楽礼拝というのがあって、そこで「和泉式部抄」を歌います。
 雑司が谷墓地のところ。明治洋館建築の宣教師館は豊島区の文化財になっているので、となりのちいさな礼拝堂での、小さな会。」に出演されるそうです。
 連衆の方々、よろしかったらどうぞ。

  1,花野に錆びし銀(しろがね)の鍵

 花野は「花」があるけど秋の季語で、従って桜とはまったく無縁です。ぼくの好きな季語の一つです。そこに錆びた銀の鍵という取り合せは物語が生れそうでシャープです。

 ついで、建築家深海魚さんから、こんなメッセージと共に投句がありました。
 
 「連衆の方からも感想をいただきまして、私がどのように連句を考えているか
我流ですが、ちょっと説明したいと思います。
私が連句で常に意識して句にこめていることは、「兆し」です。
日常的なふとした風景の中に、何か、常軌を逸した恐ろしいことや、
人智を超えた何かが潜んでいるかも知れない・・・
この小さな出来事が何かの兆しなのかもしれない・・・
といった暗示を句に盛り込めないかといつも考えています。
また、ストーリーを言い切って完結してしまわないようにも意識しています。」

 なお、深海魚さんには次のホームページがあります。  http://www.ars-nova.co.jp  関心のある方、御覧になってみて下さい。

  2,柿美味しかな殿の陣

 殿は多分「しんがり」と読むのでしょう。昔の戦国時代あたりの軍勢がしんがりを仰せつかり、緊張しつつ農村のはずれあたりで小休止し、柿を食べているというのでしょう。
 絵画的であると同時に、戦の様が伝わり、相変わらずうまいものです。

 が、ちょっと気になるのは、これまで「女帝」の句、それに「青表紙」など歴史ものと思える句がかなり近くに出ていることです。連句の流れからいってもここは歴史的過去に戻さない方がいい気がします。

 3番目は初めてのメノン楠正三さんからの投句です。当初「メノン」のみでしたので、自己紹介を求めたところ、意外にも73歳の男性、連句歴3年とのことでした。

 が、投句は短句2句に長句2句となっていました。ここは短句の場ですから長句はむろんダメです。何か錯覚なさったのでしょうか。
 短句の方は以下のようです。

  3,鳥風さやか湖畔の夕べ
  4,秋風すずし縄文の里

 3,の鳥風は仲春の季語です。
 4,は式目上の間違いはありませんが、掌さん深海魚さんの句に比べて、明らかに平凡すぎます。

 というわけで、今回は掌さんの句を採用とします。
 
 さて、次はいよいよ最後のページ、名残の裏(ナウ)です。
 季は前のつづきで秋、場の句はもう置いて、人間の3人称を登場させると変化が出るでしょう。

 あとは雑が続いたあと最後の花となり春挙句で終了です。
 さあ、もう一踏ん張り、名句を作って下さい。



訂正(10月29日)

 前回の治定、下5の「秋の月」の「秋」は不要でした。俳諧では黙って月といえば秋になります。まれに強調のため秋を付ける場合もありますが、今回は必要なさそうです。
 ゆえに、上記のように直します。



治定とアドバイス(10月28日)

 今回は2句投句がありました。
 お馴染みオペラ歌手の掌さんと、女性デザイナー冬狸(とうり)さんです。

  1,しんしんと胸の死海に月あかり      掌     
  2,洗面の鏡にうつる秋の月         冬

 1,は、例によって1句単独ではなかなか美学的かつ深みもあっていい句です。
 が、前回の月の座、「夏の月蔵王の釜に五百年」とかなり似通っています。釜は火口湖のことだそうですし、固有名詞、しんとした雰囲気、死、宗教性、など共通性がありすぎるほどです。
 ゆえに却下やむなし。

 2,は、平凡ではありますが生活の中のちょっとした一景で、誰にも納得がいきます。ただ、わずかな難点を言えば、この句の月も前回のと同じくうつっている月、つまりいわゆる「虚の月」である点ですが、でも、前回は水、今回は鏡にということでちょっと違うとも言えます。
 ゆえに、これでゆきましょう。
 
 冬狸さんは実に16句ぶりの採用となります。これまでもたびたび投句はあったのですが、どういう訳か採用せぬままになっていました。でも、めげずに頑張っていただいてよかった。これからも積極的によろしく。

 さて、次は秋の短句。春秋は一度出たら3句以上5句までの決まりです。ま、通常3句程度つづけます。
 内容的には場の句にし、生活臭とか時事性からがらりと転換すると一番です。

 では、また張り切って下さい。まもなく名残の折も裏に入ります。



治定とアドバイス(10月23日)
 
 今回は掌さんからこんな句が来ました。

  このごろお茶をたてる姐さん

 姐さんは「ねえさん」と読むのか「あねさん」か、はっきりしませんが、むかし子守をしていた女の子が、今では粋筋か極道の妻になってお点前をしているみたいで、面白い面もあります。その意味ではかなりうまい展開といえます。
 
 が、姐さんの語感が生活臭というよりはちょっと別な感じを与えますし(それでも別にいけないというわけではないのですが)、細かいところでは「木枯らし」以来体言留めが3句つづくこともあります(5句目の「忍ぶ月」以降4句つづいて体言留めですが、このころは開始直後で少しゆるめにしていました)。

 そして、要するにここらでちょっと人を変えたい気がします。かくいう私自身ももう6句も出していませんし、で、久しぶりにちょっとバラエティーをという意味から、南斎を登場させてみました。
 酒がありそうではっきりとはないので、これもここらでというわけです。わが日常風景でもあります。

 次はいよいよ月の定座です。
 式目については前回書いたとおりです。通常、月花の定座は同じ人がなるべく出ないことになっています。
 出来れば今までやっていない人がいいので、有資格者、頑張って下さい。

 では、秋の月、さあ、どうぞ。



治定とアドバイス(10月18日)

 今回は24歳の乙女(と言うかしら?)野住君からこんな付言と共に早く投句がありました。
 
  〈連衆の掌さんや深海魚さんは上手すぎて、私ごときではちょっと付いていくのが辛く
   なってきました。しかし、いつも「こういうつけ方もあるんだ」と勉強になり、めげずに頑    張ろうと思っています〉

  1,ねんねこの中で覚えし喧嘩作法
  2,着ぶくれて祖母に笑はる里の朝

 「ねんねこ」も「着ぶくれ」も冬の季語です。どちらも生活感があって面白いのですが、一つに絞るよう返事をしたら、御当人は1,を選んできました。
 確かになかなかいい句です。このごろはすっかりねんねこが見あたらなくなったから、一昔前の風景ですが、ぼくなぞには懐かしい光景です。

 しばらくして、今やすっかりこの連句の中心人物となったお馴染み掌さんから次の2句が来ました。

 3,蒲団干す関東平野まッ昼間(ぴるま)
 4,関東平野猫を布団を干しにけり

 むろん蒲団が冬の季語です。3は面白いけど、現代俳句の最長老金子兜太宗匠の「暗黒や関東平野に火事一つ」に似通っていること、4,は「を」が気になることから、手直しを求めたところ、以下のように返ってきました。

 5,蒲団干す上州厩橋(まえばし)まッ昼間
 6,関東平野猫も蒲団も干しにけり

 5,は関東平野だったからこそ蒲団もまッ昼間も面白かったことが改めて分ります。小さな地名では冴えません。
 6,はなかなか味があります。

 が、前回までの流れに並べてみると、打越句から前句、とつづけていわば「お天気」3句がらみになってしまいそうです。「蒲団干す」がどうしても天気のことだからです。

 というわけで、今回は若いのに頑張っている野住君の句を採用しました。
 それから、どなたも今後投句は出来るだけ1句に絞って下さい。前にも言ったと思いますが、1句に絞ること自体が勉強のうちです。ま、どうしても分らないという場合は別ですが。

 さて、次は雑に戻します。
 その次は秋月になりますから、いわゆる月前の句。ここではせっかくの月を阻害しないよう、そびきもの(雲とか霞など)、あるいは目の前に大きなビルとか壁などを置くのを遠慮することになっています。

 また、秋月は初折の表に次いで2回目ですから、前回とは趣を変えます
 内容は屋外が2句つづいたからぼつぼつ内(屋内)で、生活臭をもう少しつづけましょう。具体的な人情(人間)を登場させた方がいいかもしれません。

 では、更なる新人を期待しつつ、さあどうぞ。



治定とアドバイス(10月14日)

 今回も早くお二人から投句がありました。
 最初は群馬の掌さんからの次の句です。

  1,遠く聞える潮騒に雪      掌

 次が建築家深海魚さんの句です。

  2,軽金属の街に木枯らし     深

 1,は音にプラス絵画的光景のはいった図で、きれいですが、音の部分は5句前の「登山道からシンバルの音」に似通い、雪は前句の雲雨にやや付きすぎる感があります。

 2,は前句のデジタルを受け現代的風景を持ってきて、ぴったりです。軽金属の街とはどこのことでしょうか。最近の丸の内か、あるいはシリコン・バレーのようなところか、はたまたどこぞそういう工場のある町があるのか。
 いずれにしろ想像力がふくらみ、どこでも情景が浮びます。うまい付けです。深海魚さんはさりげなくうまいですね。

 では、次へいきます。
 今度はまた雑に戻してもいいし、せっかく冬が出たのだからもう1句冬で、としても構いません。全くヒフティーヒフティーです。

 場の句(叙景句)はふつう2句程度続けるのですが、1句で捨てても構いません。内容は生活風景みたいにすると、このところの傾向に対しバランスがいいかもしれません。

 では、他の皆さんからの投句も期待して、さあ、どうぞ。


治定とアドバイス(10月10日)

 掌さんからまた早々と投句があり、その後数日待ちましたが他がないので、治定します。

   電脳(デジタル)で雲雨は保存できません

 直接的には付かないのですが、前回の深海魚さんの句と同じで、王朝時代的世界から現代へすっと飛び、かつ、何やら妖しげな雲がかかっていた道ならぬ情の世界を、そういうものはデジタルは保存しないという言い方が対比的で洒落ています。
 こういう付け方もあるといういい見本です。

 で、この辺で今回の件は終了して次に進みましょう。深海魚さんはじめ野住君(前句は勝手に大幅直ししてゴメンね。ま、教え子ゆえと思って下さい)、冬狸さん、そして後込みしかけている江戸我さん、それにこのところ登場しない皆さんも、ぜひ頑張って下さい。

 次は雑でもいいのですが、前の冬のところで新年になり、しかも1句で終ってしまったので、ここらで1句程度冬を入れたい気がします。さもないと歌仙全巻中に1回も冬が登場せぬままになってしまいますし(新年は冬に近くもありますが、新春の意味もあり昔なら完全に春です)、ここからずっと雑にすると、ナオ11句目の月の定座まで4句も雑が続くことになり、やや多すぎます。

 というわけで冬、内容は打越から離れてあっさりした叙景句(場の句)がいいと思います。
 気張らずさらりと、あるいは叙景句ならかなり意外なふうにしても構いません。
 さ、皆さん、もう一踏ん張り。


治定とアドバイス(10月4日)

 今回はまたかなり迷いました。
 経過を追って説明します。

 まず最初にかなり早く掌さんから次の投句がありました。

  1,絹の雨しなしなと四肢のゆるびて

 なかなかいい句なのですが、下5が「て」留めで前句の「にて」留めに障るので、そこだけ直すように求めました。その結果、こう帰ってきました。

  2,絹の雨しなしなと四肢ゆるびゆく

 とても情感深く、官能的、句の形としてもきれいで完成度が高いものです。
 ゆえにすぐ採用としてしまおうかとも思ったのですが、打越句に掌さんは出たばかりだし、同じ人ばかりで早く進行させるのもあまりよくない気がして、しばらく他の人を待つことにしま
した。
 すると、まもなく広島の江戸我さんから次の投句がありました。

  3,生くるにはお宮の月の美しさ

 これは多分貫一お宮の恋物語からとったのでしょうが、大きな難点が二つあります。一つは青表紙や漱石、道鏡など、物語や文学・芝居、時代物的気配を素材にした句が頻出しすぎなこと、もう一つは「月」です。

 月は連句では花と並んで定座(決まった場所)が決まっており、次の月の座はナオ(名残の表)のばあい11句目、つまりあと5句先です。
 月の定座は花と違って1,2句なら引き上げたりこぼしたり(下げること)しても構わないことにはなっていますが、5句引き上げはちょっと多すぎ、あとのトーンが大幅に狂ってきてしまいます。

 ゆえにこの句は却下とします。
 
 で、やはり掌さんの2の句で行くかと思いだしたのですが、いざオンラインに書き込もうとして眺めていたら、どうもいわゆる3句がらみになりそうな気がしてきました。つまり打越句の姫はじめ、前句の女帝と道鏡、にこの句はどうも付きすぎ、句の情感と官能性が姫はじめとつながってしまう感がするるのです。

 で、ウームと困っていたところへ、深海魚さんから次の句が届きました。

  4,受付の造花の蕊みな毟られる

 これはなかなか面白い句です。一見すると前句にちっとも付かないような気がするのですが、しかしじっと見、口にしたりしてみると、何となく収まる感もあるのです。
 前句までの流れをすっとはずして叙景句ふうにし、対置するように現代の何気ない光景を描き、しかも受付の花が毟られるというところは、よく受付にいる制服の若い女性などをそこはかとなく暗示しているみたいで、微妙に付く感が生じます。

 で、採用といきたいのですが、しかし問題があります。
 「造花」です。

 これは古来、花の正花として扱う見解もあり(蓼太『正花論』18C)、似せものの花として正花には扱わない考えもあります。
 さて、ここではどうするかです。

 正花とするならここは花の定座ではありませんから、当然ダメ、正花でないとするにしても「造花」という言葉・字が登場するのは、浪の花、花火など完全な似せものの花(例えば花火は花ではありません)と違って、造花が桜だったらどうなのか、この場合有り得るのでは、といった疑問が生じます。

 というわけで、今回は初めてのことですが、皆さんにも考えていただき、もし直しや新たな句が可能ならそれも待ちたい気がします。
 ある意味で、仕切りなおし、というわけです。
 考えてみて下さい。

 なお、前句の「女帝が」は「女帝の」と直します。ご訂正下さい。

治定とアドバイス(9月27日)

 今回はまず最初に掌さんから次の句が来ました。

   1,あえかに匂ふ君が初髪

 が、間もなく当人から訂正が来て、こうなりました。

   2,逢ひ見しをせくきみが初髪

 また、常連の野住君からも、

   3,肌を火照らし初晴れの下

 が来ましたが、「肌を火照らし」があまりにも前句にダイレクトに付きすぎの感があり、かつ「初晴れの下」となると、なんだか野外で行為をしているみたいな気配も生じ、ちょっとあからさま過ぎます。
 で、差し戻したところ、こうなりました。

   4,袈裟が裳裾を初詣かな

 史上有名なスキャンダル道鏡と孝謙女帝に見立てたとのことです。

 さて、どうしたもんでしょう。皆さんも考えてみて下さい。
 2は、「逢ひ見しをせく」が気になります。動詞が3つも続く上、見しの「し」は過去、前後は現在だから、なんだか意味がよく分らないところがあります。前句との関係も同一人物のような違うような、どうも判然としません。

 4は、このままでは註をつけない限りさっぱり分らないし(つけてもいいのですが)、句としても袈裟を擬人化させたのか、なんだかすっきりしません。

 むしろこの中では1の方が、いっそ素直に爽やか、15,6の清純な少女を前句の不倫ぽい匂いに相対付けしたような感じで、一番いいかもしれません。
 が、そうするとまた掌さんの句が連続することになり、「青表紙」の場合があるのにまたかの印象が生じます。

 そして、どうやら今回がどこか難しくなったのは、季が新年になったせいとも思えます。新年はそんなに季語がないし、トーンが似ているから続けるのにやりにくい面があります。
 で、それならいっそ新年は1句で捨て、恋だけ残す形の方がすっきりするかもしれません。式目上はそれもOKです。
 
 というわけで、ここは4の素材の面白さに着目し、大幅変更ですが、表記のようにしてみたらどうかというのが、私のアイデアです。いわば不倫付けです。

 確かに連句とはなかなか難しいものです。でも、そこが面白くもあります。
 連句の宗匠(捌き)はジャズのバンドマスターかオーケストラの指揮者みたいと言えなくもありません。

 さて、となると次は雑で、恋を続けてもよし、恋離れにしてもよしです。恋離れとは前句に付ければ恋だが、その句単独では恋ではない内容の句です。

 面白いところです。
 最近登場の江戸我さん、深海魚さんなど、頑張って出てきて下さい。
 むろん、他の皆さんも。さあ、どうぞ。

治定とアドバイス(9月20日)

 今回は素早く皆さんから投句が相次ぎました。
 以下の順です。

 1,ぬしさまとよべぬおかたと姫はじめ       掌
 2, もの思いふと寒さ知る夕の庭          冬
 3,赤姫は俄に凛々し冬座敷            野
 4,盗人はこともあろうに赤き姫           野

 姫という言葉が3つも出ているのが偶然にしても面白いのですが、まず2から見ていくと、この句は冬ならぬ秋の句です。「寒さ」は確かにそれだけなら冬の季語ですが、「やや寒」「そぞろ寒」「肌寒」「朝寒」「夜寒」などはみな晩秋の季語です。
 ここでも「ふと知る夕の寒さ」となれば、当然これらと同列です。
 また「知る」は前句で出たばかりです。

 3,4は久々登場の芝居好き野住君のもので、いずれも歌舞伎における「赤姫」とはお姫様のこと(たいてい赤い振袖を着ている)、そして彼女らは恋をすると火付け、殺人、窃盗、何をしでかすか分らないそうです。

 というわけで、二つともなかなか面白いのですが、当人が言っているとおり前に「喜劇」と「青表紙」が出ており、だいぶ離れているから直接「去り嫌い」の式目には反しないものの、やはりまた芝居か、の印象は免れません。
 加えてこの内容、上述の解説を註として付けない限り、普通まず分らない感があります。
 
 これらに比し1は「姫はじめ」という何とも微妙で、相当エッチで、かつ奥ゆかしくもある新年の季語が面白い上(意味は歳時記で調べてみて下さい。新年は冬と春のあいだに1本立としておく特別の季で、この場合、冬の代りに使っても構いません)、更に不倫か訳ありの恋らしき内容が、前句に絶妙に付きます。

 なんだか中年の無理を承知の妖しい恋らしいじゃないですか。ひょっとしたらご自分のことかなぞと、大いに想像力をかき立てられますねえ。
 ゆえに文句なくこれを頂きます。

 次も同じく新年の恋がいいでしょう。新年は雑にしても構いませんが、まあ、2句ぐらい続けるのが順当です。恋は一度出たら2句以上5句まで、通常3句程度です。
 では、どうぞ。

治定とアドバイス(9月17日)

 今回の投句は次の2句でした。

   出世払いのシャンパンをぬく        掌
   無理を貫き我が歳を知る      高部江戸我

 掌さんの句は単独では面白いのですが、付きがどうもよく分らないところがあります。
 出世払いなら普通若い人と思われますが、それならコレステロール等には関係なさそうな気がするし、単に飲食物ということで付けたとしてもたまのシャンパン程度で検査値を連想するかしらという気がします。
 何か他の意図があったのかしら?

 高部さんの句はちょっと付き過ぎなくらいです。が、一巻の中にたまにはこういう付きがあるのも、かえって彩りのうちでもあります。
 連句には「無常・述懐」という言葉がありますが、それを思わせるところもあってここでは丁度いいので、こちらを頂きました。

 初登場の高部さんは広島在住、44歳の主婦、純文学専門のホームページを持っておられ、俳句もたまに作られるそうです。掲示板に書き込みもありますから、皆さんもHPなぞ開いて見られたらいかがでしょう。

 さて、次はぼつぼつ、そして同時に2度目の恋の座が始まる頃合です。
 どちらも絶対ここからそうしなければならない性質のものではありませんが、順当な進行からいくと、ぼつぼつそうした方がベターという意味です。

 冬と恋を同時に重ねなくても構いません。とりあえずどちらかだけにしておく手もありです。が、同時に重ねるのも「冬の恋」という感じで面白い気がします。

 選択は御自由、ただし、1回目の恋の座(初折のウラ)の内容と重ならないよう、ひと味違ったものを作って下さい。
 内外はがもう1句程度あった方がいいでしょう。

 では、皆さん、張り切ってどうぞ。


治定とアドバイス(9月12日)

 今回は山本掌さんから一旦差し戻した上で下記の投句がありました。

   鍛冶屋打つ馬蹄牛蹄ちょうつがい       掌

 これには困りました。馬、牛、ちょう、全部が式目違反なのです。
 つまり打越句に「蝶」がありますから、生類(動物ー鳥獣虫魚)はダメなのです。これは別の言い方をすれば「去り嫌い」になるのですが、この去り嫌い、今まで2,3度は説明してきたはずですが(8月24日など)、まだよく理解されていないようなので、もう一度解説します。

 一番簡単にいうと、連句では同種のことは一旦あいだを置いたら(すぐ続けるのは2句ぐらいまで構いません)、通常3句、少し種類が違う場合でも(品変りて)2句は、間をあけて(去る)からでないと出してはいけないきまりがあります。

 今回の例でいうと、蝶は3句置いてから、獣である馬牛は2句置いてからでないとダメということです。
 蝶番は生き物ではないじゃないかという質問も出そうですが、蝶が使われているというか、蝶のイメージから来た言葉であることは明らかです。ゆえにやはりダメとなります。

 一見煩雑そうに思えますが、これは要するに打越句に障らない、それから同種・同趣向・似たことを近くでしない、という連句の基本を言い換えているだけで、決して難しいことではありません。

 というわけで、今回の掌さんの句は却下ということにして、代りにぼくが付けることにしました。
 内容は見たとうり健康診断の検査項目です。実は昨日毎年1回の半日人間ドックにいってきたところです。気になる項目がいくつもあります。

 聴力視力は数え方次第でかなり字余りになりそうですが、語感、それからローマ字表記にした場合を考えれば、音(おん)としてはさほど過剰ではありません。俳諧の575といった言い方は、外国語のHAIKUの場合、5音、7音、5音のシラブルで数えているようです。

 さて、次はまた雑です。内(うち)で、人間くさい句(人情句)がいいでしょう。
 さあ、どうぞ。

治定とアドバイス(9月5日)

 昨日治定したばかりなのに、実に素早い投句がありました。
 前々回初投句があった森山さんからで、今回はちゃんと自己紹介をつけた上でのものでした。

 それによると森山崇(深海魚)さんは今年37歳の建築家(ホームページあり)、男性、だいぶ以前真鍋呉夫門下で1−2年連句を巻いたことがあるそうです。このページはネット上で偶然知ったとのこと、小生もむろん初めての人です。

 投句は表出通り。視覚的な蝶に対し、今度は聴覚というわけで、天の蝶の澄明感ににぎやかなシンバルの音というところが、いっそ神秘感を沸き立たせるようで、うまいものです。
 通常はもう少し待って複数の投句が出たところで決めるのですが、今回は待たずに決定としました。更にいい付け句が出るのを期待しています。

 次も雑。広い界の句、そして人間は三人称(いわゆる人情・他)が続いたので、ここらで家の中など(いわゆる)の下世話な世界、そして一人称(人情・自)的営為が出るとベターでしょう。これらは内外(うちそと)、人情問題と称しますが、いずれも要するに変化を求め、打越に障らないためであります。

 今まで出ていない素材を探し、ますます展開鮮やかにお願いします。
 更に新しい方もどうぞ。


治定とアドバイス(9月4日)

 今回は意気盛んな山本掌さんから計3句届きました。
 3句というのは最初の1句は御本人がまもなく取り下げ、以下のように差し替え。

  つくづくと五臓六腑を春耕す

 味のある句ですが、これだと打越句の人物と同一、かつ同趣向の延長、に見えますので、捌きから差し戻し、再考をお願いしました。その結果の3句目がこうでした。

  蝶ひらひら秘密の園にアリスなど

 どうやら小生の「風人日記」のイギリス紀行からヒントを得て下さったようですが、御本人もお気づきのように、アリスがちょっと障ります。固有名詞が続くのは2句まで構わないのですが、打越の青表紙から、前句の漱石、そしてアリス、といわば文学あるいは本の世界が続くのがいわゆる3句がらみ(同種・同趣向が3句続くこと)になります。

 といって全体は捨てがたいので、捌きの権限で表記のように直させて貰いました。御了解下さい。

 さて、次はぼつぼつ春は終って雑です。春を続けてもいいのですが、句の内容からいってもこれ以上春を続けるとマンネリ化しそうです。

 内容はちょっと文学的あるいは時事的な句が続いたので、この辺はさらりとした遣り句の方がいいでしょう。遁げ句ともいいます。
 つまりあまり肩肘張ったり力まず、軽くやり過ごすといった意味です。連句ではこういう点も重要で、軽い遣り句が状況に応じてさらりと出来るのは、かなりの手練れです。

 人間は出さず、叙景または静物句(場の句とも言う)などにした方が落着きそうです。場は内外(うちそと)どちらでも結構です。
 では、どうぞ。


訂正(8月25日)

 下の24日付の段階では、小生の句、「イギリスの春」となっていましたが、「倫敦(ロンドン)の春」と訂正します。(ロンドン)はルビです。

治定とアドバイス(8月24日)

 1ヶ月のイギリス旅行の間にお二人から投句が来ていました。
 一つはお馴染み冬狸(とうり)さんの、

   春場所番付勘亭流   冬

 もう一つは森山という初めての方の、

   烏貝からはみだす肉色

 です。前者は青表紙に勘亭流と付け、ならばいっそ全部漢字で、という趣向でしょう。
 が、意図は分りますが、2句去りのところにサッカーとかドームなどスポーツが出ているのが少し障るうえ(連句には去り嫌いと言って、要するに似たことや物はおおむね3句か2句以上間を置いてから出すという式目があります)、語呂もよくありません。もう一工夫必要でしょう。
 
 また、森山さんのはなかなか面白い句なのですが、付きがはっきりしません。花より団子ふうの食べ物か酒の話か、あるいは春の解放感というかけだるい気配を、烏貝のなまなましさによってズバリと表現しようとしたのか。後者の方が意味深げですが、しかしこれだけでは作者の意図はよく分りません。

 それに森山さんは俳号も名前も書いてなく、性別、年齢、職業なども何も書いてないので、こちらとしてもやや戸惑います。連句は本来「座」の文学、つまり一同顔を合わせて互いがだいたいどんな人かは分ったうえで、どういう人がどんな風に付けるかが面白みの一つという要素もあります。

 オンラインではそれは無理ですが、しかし初登場となればやはり自分に関するある程度の情報は自己紹介かたがた知らせていただくのが、おのづと必要な手続きのような気がします。この句にせよ、60歳の男性の作であるか、35歳の女性の作であるか、魚屋さんであるか、その他の職業であるか、ヨーロッパなど外国の光景か国内か、などでだいぶとりようも違ってくるでしょう。捌きとしても作者の意図を知りたいものです。

 というわけで、今回はこれは留保とさせていただきます。
 今後新しく参加される方は、礼儀としてもある程度の自己紹介および俳号、俳歴などは書いて下さるよう、どなたにもお願いします。

 そこで今回は、1ヶ月の休みのあとでもあり、小生が付けることにしました。
 内容はおのづと御覧の通り。
 ロンドンでは漱石記念館も出来(まだ発展途上の感ありですが)、その向かいのかつての漱石の下宿あとには「SOUSEKI NATUME」のプラーク(有名人士の住居やゆかりの地あとに表示されるプレート)も今年から付きました。

 漱石はイギリスでノイローゼになったのですが、春なぞどうしていたのかしら?
 イギリスは冬も春も寒いらしいのですが。

 さて、次はいよいよ名残の折(2の折)入りです。
 が、もちろん付きとしては前句に続いてゆきます。そしてここはもう1句、春です。
 ページも変ったことだし、思い切って中身を転換させて下さい。今まで出ていないもの、ヘーエというような発想を期待します。
 
 お待ちかねの皆さん、さあ、どうぞ。
 
治定とアドバイス(7月21日)

 今回は3人の方から投句がありました。
 最初が山本掌さん(もとオペラ歌手だそうです)で次の2句(今後は1回1句にてお願いします)。

   1,花曇り行乞は徒歩にて厠
   2,花明り青表紙でも読もうかの

 次が常連の冬狸さん(デザイナー)です。

    面深きヴェールに花の降り注ぎ

 3番目が那留茶さん(わが同期生)の句。

    花の宵路地を横切る黒き猫

 期せずして熟女3人(いや、もっと若いかしら)の競作となった感がありますが、まず掌さんの句はいずれも時代めかした雰囲気で面白いのですが、1句めは「行乞」が神祇釈教で、2句前の「六根清浄」と障ります。

 冬狸さんの句は結婚式の花嫁がバージンロードを歩く情景とのことですが、打越の「どよめき」に障りそうだし、花が参会者が投げる花であって桜じゃないような気もしてしまいます。ヴェールの主がイスラムの女性などだととると、付きません。

 那留茶さんの句は付きがはっきりしない上、「黒」のイメージがウラ1句目の「黒服」を思い出させてしまいます。連句は離れていても似たイメージ・使い方は出来るだけ避けるのが式目です。

 というわけで、掌さんの2句目花明りの句が浮上してきます。青表紙は経書とか浄瑠璃の教本など。ちょっと時代物ふう、あるいは戯作ふうで、よく付きますし(付きすぎるくらい)、国会議員が一転、江戸ふうの風流人模様で、転換に変化も出ます。

 問題は掌さんが連続2句となることで、出来れば避けたかったのですが、しかし句としては一番なので、やむを得ません。

 次は春です。春秋は1度出たら3句以上5句まで、通常3句ぐらい続けます
 したがって、ここと、少なくとも名残の表(ナオ)までは春が続きます。花(桜)は春のなかでも仲春の末ごろですので、次は季戻りしないために仲春または晩春の季語を使うべきです。

 むろん77の短句。今まで出てきていない意外で洒落た展開を期待します。

 なお、風人日記や掲示板にも書きましたが、小生、明22日より約1ヶ月イギリスへ出かけますので、その間は更新はお休みとさせていただきます。
 ただ、メールや書き込みは向うでも見ることが出来ますので、句が出来たら早いうちにと思う方はどうぞ遠慮なく送って下さい。

 皆さんもいい夏をお過ごし下さい。近況など、掲示板に書き込んで下さると、連衆同士親睦にもなると思います。
 では、お元気で。


治定とアドバイス(7月14日)

 今回も初めての方を含めお二人から投句がありました。

    あの支持率も陽炎のやう    冬狸
    バッジをはずす国会議員   山本 掌(しょう)

 偶然ですが、極めて似た句です。発想も付け方も殆ど同じと言っていいでしょう。むろん「どよめきの名残り」を時事問題としての政治に転換したわけで、うまく付いていますし、新素材への転換も、気が利いています。
 
 ゆえにさてどちらにするか、大いに迷うところですが、前にも書きましたように連句は句の優劣の他に、座の融和、礼儀・人情等を含めた総合的捌きということが求められます。

 また、冬狸さんの句には「陽炎」という春の季語が含まれています。ここは次が花で春に決まっていますから、それに続く形での春は可なのですが、全く新人の山本さんはおそらくそういうことは御存知なく、ひたすら「雑」でなければと思ってこられたのではないでしょうか。

 といったことを考え合わせると、ここはまあ常連の冬狸さんには譲って頂いて、初めての山本さんを拍手しつつ迎え入れましょう。
 
 山本掌さんは意外なことに女性、群馬在住で、私も指導を受けたことのある(そのときの句はこの欄の上の方に「私の俳句」として掲載してあります)金子兜太門の俳人だそうです。
 私は面識はもとより名も存じなかったのですが、そういう方が連衆に加わってきて下さったのは、いかにもオンラインらしく場が広がった感がします。皆さんともどもよろしく。

 さて、次はいよいよ花の定座です。
 連句・俳諧では花といえば自動的に春の桜のことです。
 そして歳時記を開いていただけば分りますが、ざっと数えただけで30やそこらの季語があります。探せばもっとあるでしょう。

 そのどれを使っても構いません。ただし、「桜」はダメです。あくまで「花」という言葉を使うこと。
 花の定座は2度あり、一つがここ初折のラスト一つ前、もう一つは二の折のラスト一つ手前(つまり全体のラス前)で、前者を「枝折の花」、後者を「匂いの花」と優雅にいいます。

 ここはとにかく初めての花ですから、それこそ皆さん花を持たされた気分で晴れ晴れしく詠んで下さい。座での式目としては、本来その場で尊重さるべき人、何か慶事があった人などに持ってもらう場です。

 むろん575の長句、さあ、張り切ってどうぞ。


治定とアドバイス(7月8日)

 今回は初めての人から投句がありました。高校時代の同期生すがのぶこさんこと菅那留茶(すが なるさ)さんからです。短歌は経験者だが俳諧関係は全く初めてだそうです。
 でも、なかなかうまく出来ています。

   どよめきの名残りドームの芝生揺れ

 付きとしては、前句が田舎の古き日のことだったので、現代の時事的国際行事を対比的に持ってきた相対付け(正反するものを付ける手法)ともとれるし、掛け声など音で付けたともとれます。
 ドームが打越句の釜にちょっとイメージが似ているかなという気もしますが、ドームは建物だし、やはり違うとするのが妥当でしょう。ゆえに採用とします。
 
 何といっても新たな参加者が出たというのは嬉しいものです。もともとこのオンライン連句、そういう出会いを期待して作ったものです。未知の方、初心の方も臆せず御参加下さい。

 次はもう一つ雑、77の短句。全体にやや別世界的傾向なので、ここらで時事的政治経済など俗気が濃く出てきてもいいでしょう。
 
 ただし、次は花の定座なので、いわゆる「花を持たせる」意味から(この言葉は連句用語でもあります)、花前句は控えめに、そしてせっかくの花を阻害するようなものーたとえば高い塀とか建物などは出さないのが礼儀です。

 では、更なる新人を期待して、さあ、どうぞ。


治定とアドバイス(7月4日)

 前回のアドバイスで次は夏と書きました。それと蔵王はもと修験道の山ということと相まって、私は幼少年時の懐かしい記憶を呼び覚ましました。
 私の村(濃尾平野)からは毎年夏になると、白装束の一団が木曽の御嶽山や奈良の大峰山へ「六根清浄、六根清浄」と呼ばわりながら出ていったものなのです。

 それらは御岳講、大峰講などと呼ばれ、毎月積み立てをして費用をためた村の有志たちが修験行者姿の先達(せんだつ)に先導され、早朝、法螺貝の音などとともに出かけていくもので、男は17、8歳になると必ず参加する風習もあり、なかなか得難い民俗行事でした。

 それで私は「六根清浄」すなわち夏と感じて表出句を作ったのですが、歳時記を見ると出ていません。
 で、しばらく迷ったのですが、やはり修験道、山参り、六根清浄、などは夏のイメージとわかちがたくあります。また、山開き、開山祭、などは7月1日前後の夏の季語として、どの歳時記にもあります。

 六根清浄は仏教用語としては確かに季節はありませんが、カギカッコを付けて「六根清浄」と呼び声掛け声とすれば、山開き後の夏の語感は明らかだと思います(近頃では山は9月ごろまで開いていますから、初秋も含まれることになりますが)。

 ゆえに、これはあくまで夏の山参りの図として、夏扱いとさせてもらいます。句の内容分類としては文字通り神祇釈教(神道と仏教。つまり広義では宗教の意)になります。

 さて、次は雑(ぞう)です。
 575の長句。あと、雑、花(春)と続いていくことを少し頭に置いて、今まで出ていなかったようなことを出して下さい。前回言った時事句やスポーツもいいでしょう。山登りはスポーツ的要素もあるのですが。

 さあ、どうぞ。

治定とアドバイス(6月29日)

 野住さんから次のような投句がありました。

    夏の月御釜の碧にも染まずただよう

 御釜というのは火口湖のことで、この場合具体的には蔵王のことだそうです。碧は「へき」と読むのでしょうか。

 叙景句というのは丁度頃合ですが、これだけでは通常、火口湖の青い水面のことと分る人は少ないでしょう。
 それに中7も下5も字余りが目立ちすぎます。前句にどう付いたかも判然とはしません。
 ゆえに表記のように直しました。
  こうすれば具体性が出るし、「忘れ去りをり」にも付くとおもいます。

 次はもう1句夏がいいでしょう。雑にしてもいいのですが、せっかく夏が出たのですから2句ぐらい続いた方が落ち着きます。

 77で、夏らしく爽やかに。ぼつぼつ時事句が出てきてもいいかもしれません。サッカーなどスポーツもいいでしょう。
 
 連句は1巻中に大げさに言えば宇宙万般・人事百般を読み込めればベストです。つまり出来るだけいろいろなこと、今まで出てこなかったことを意外性を持って繰り出し、展開していくと面白いのです。

 では、新しいものをぜひ、どうぞ。


治定とアドバイス(6月19日)

 冬狸さんから投句がありました。

    君の名前も忘れ去りをり

 これは「恍惚」を老人性のものととったのでしょうか。前句ではもちろん心中直前の官能の極みとしての恍惚だったわけですが、どうとるかは付け句をする人次第です。
 そしてこうとれば、がらりと意味が変るところが、連句の面白さです。

 いづれにしても、これで恋離れは確実でしょう。前句につければ老夫婦の問題、つまり広義の恋(夫婦愛)ですが、この句単独では老人問題ないしまったく違った何か、となります。

 で、次は月となります。ただし、「2花3月」といって月は歌仙全体で3回あります。
 前回は秋月でしたから、今回は変化を持たせるために他の季節、しかしまもなく裏の11句目には花―つまり春が来ますから、春を除いた夏か冬となり、これまで春・秋が出ているわけですから、間の夏をここらでというのが妥当なところです。

 夏月は秋月と区別するために、「夏の月」とか「月涼し」と月にプラス夏の季語をつけて使います。くっつけて使えない場合は、句中に夏の季語があり、月とそれなりに有機的つながりがあると思えればそれでOKです。
 まあ、平たくいえば1句中に夏の季語と月の両方があればいいといってもいいでしょう。

 ここは575、前句に付けつつ、打越句(前々句)からはがらりと転じる。このところ全体にかなり生臭い人間臭が強かったので、ここらでさらりとした、あるいは人事俗世を離れた叙景句(景気の句)にするのがベストでしょう。

 男性軍、忙しそうですが、ぼつぼつ登場して下さい。
 さあ、どうぞ。


治定とアドバイス(6月12日)

 今回は常連の野住さんとわが娘夫馬小南斎(会社員)から投句がありました。
 野住さんのは、

    金婚や幾山越えて今日ふたり

 で、意味ははっきりし、よく付きもしますが、句それ自体としては「金婚」「幾山越えて」「今日ふたり」が3つとも重なる感もあり、なにやら平凡です。せっかくの心中が利いていない印象もあります。

 小南斎の句は、はじめ「旅先の泉」句に付けたらしいもので、以下のようでした。

    カフェラテのマグを交互に飲んでいき

 つまり77を575と誤解した句で、そのうえ、投句が届いたときにはすでに「心中」の句が付いてしまった後だったわけです。となるとイタリアがらみが3句続くことになるし、内容的にもそぐいません。
 ゆえに上のように「カフェラテ」を「恍惚の」と直してみました。

 これで随分官能的にして恐ろしい句になったと思います。飲んでいる中身はもちろん毒です。
 なんだか現代風ロミオとジュリエットみたいな感じもちょっとしませんか。
 ちょっと手前味噌かもしれませんが、話は面白くなったと思います。

 次はぼつぼつ恋離れでしょう。恋句が少なくとも3句は続いているし、内容はコンクそのものだし。
 だから、ここらで恋離れをというわけですが、ただ、この「恍惚」句自身、とりようによっては恋離れととれなくもありません。前句に付ければ相当濃厚な恋そのものですが、この句単独では必ずしも男女のこととは言い切れないからです。飲んでいるのは男同士か家族同士かも、中身も何であるか分りません。

 というわけで、改めて恋離れ句でもいいし、もうすでに離れたとしてはっきり別の句でも構いません。

 いづれにしろ、77で、前句に付け、打越句(前々句)からはがらりと転じること。季はまだ雑がいいでしょう。
 さあ、どうぞ。


治定とアドバイス(6月6日)

 なかなか投句がないので、私が付けることにします。

    心中するならフニクリフニクラ

 トレビの泉からイタリアというわけです。
 一昔前の日本なら心中の名所は三原山でしたが、イタリアではどうなのでしょう。

 「フニクリフニクラ」はむかし高校時代に大きな声で合唱したりした歌です。当時は意味も知らずに「♯ 行(ゆ)こう、ゆこう、火の山へ」などと歌っていたのですが、あれは登山電車会社のコマーシャルソングだったのだそうですね。
 なんだか、浅はかだった気もします。まあ、いいんですが。

 次は恋を続けてもよし、転じてもよしです。「表と裏の綾なす喜劇」を恋の呼び出しと考えれば、もう3句恋句が続いていることになるし、しかし「表と裏」はそれほど明確な恋の呼び出しではないと考えれば、恋句はまだ2句で、もうちょっとほしいところです。

 いずれにしろ恋をぼつぼつ終る場合は、恋離れの句を作るのが一番優雅です。
 つまり、前句に付ければ恋となるが、それ単独では恋とは限らない、ないし恋ではない句、ということです。どうです、優雅な別れでしょう。

 では、どうぞ。サッカーばかりでなく、言葉もお忘れなく。


治定とアドバイス(5月31日)

 だいぶ時間がたちました。この間、冬狸さんと野住さんから頂きました。冬狸さんはいったん差し戻させてもらってから2度目の句が、

     旅先の泉にコイン投げ入れて

 でした。野住さんの句は、

    嫖客はほろ酔い機嫌大門に

 です。冬狸さんのはトレビの泉あたりでしょうか、コインによる恋占いが「表と裏」についており、野住さんのは吉原の大門前の客で、江戸時代あたりとなりますか、こちらは恋というか色恋の方ですが、これは前句の内容全体に付いています。芝居の中の風景のようにもとれます。

 というわけでいささか迷いましたが、同じ人が2度続くよりは変化がほしい気がして冬狸さんの句を採りました。野住さん、句が悪いわけじゃありません。ま、引き出しに入れて置いて、どこぞで孕み句(連句はアドリブが原則ですが、とはいえ事前に多少準備しておなかの中に孕んでおく句のことを言います)として使って下さい。

 次は、また恋です。恋は2句以上5句まで続けるのを原則とします。ただし、1句で捨てても可、ですから、結局あまり厳密ではないのですが、まあ通常3句ほどは続いた方が収まりと興趣上よろしいというところです。

 季は無しの雑、いよいよ濃厚な恋になっていくと面白いでしょう。変化を持たせて、意外性も入れ、大胆に。
 大いに恋を楽しんで下さい。
 さあ、どうぞ。

 治定とアドバイス(5月16日)

 今回は早々と某学生君と次いで常連の野住さんから投句がありました。
 が、いかんせん学生君のは授業でまだ発句も充分にやっていない段階だったせいでしょう(昨日現在、脇まで進んでところです)、いろんな意味でまだまだといった感じで、却下としかいいようがありません。
 現役学生諸君はまあもう少し、というか様子を見てでしょう。

 野住さんは常連だから、他の新人が現れないかと待ちましたが、もう1週間以上になるので、ここらで決めます。
 野住さんの付け句はこうです。

  表と裏の綾なす喜劇

 付けの意図は、黒と赤、あるいは服から表と裏ときたのか、それとも黒服からチャップリンでも連想して喜劇ときたのか、あるいは前句全体の雰囲気にある種の演劇性を感じたのか、はっきり分りませんが、まあ、どれともとれ、付いていることは付いています。打越句にも障りません。季語はないから雑の句です。

 それにこの句は、取りようによっては色恋の手管、心理合戦ふうとも見えるので、次に恋句を持ってきやすいと言えます。つまり、そうなればこの句は恋の呼び出しだったということになります。

 恋の呼び出しとは、その句単独では恋とは言い切れないが、なにやら恋を想起させたり、次の句次第ではやっぱり色恋模様だったかといえるような句のことです。味のある言い方で、恋の最後の句を恋離れ(後述)という言い方とともに私の好きな言葉です。
 私の小説集『恋の呼び出し 恋離れ』(中央公論社刊。著書紹介欄参照)はここからとった題で、連句小説のつもりです。

 というわけで、この句を採用。ゆえに次は恋、と行ってほしいところです。

 連句における恋は、いわゆる恋愛はもちろん、広い意味での色恋、男女関係全般を含みます。つまり、昔なら吉原など遊里のこと、今ならセックス商売関係のこと、ポルノ的なこと、から結婚、見合い、夫婦、金婚式などまで含まれます。ちょっと前までは枕とか化粧、布団、さらには女と言った言葉が出てきただけで「恋」とした場合もありました。

 がまあ、私は化粧や枕だって恋とは関係ない場合もあるし、まして女と言っただけで色恋というのは女性蔑視時代の産物だろう、そんなふうに言うなら今は男と言っただけで女性から見れば恋になるではないか、ということで、やはり現実に恋あるいは色と関係ある場合に限定しようという意見です。

 皆さんもそんなところに従っていただいて、せいぜい色っぽく、楽しんで、さあ、どうぞ。
 どこの座にもたいてい一人二人は、恋の座となると俄然張り切る人が出るものです。こちらも楽しみに待っています。
 あ、もちろん次は575の長句、季は無しの雑(ぞう)が妥当でしょう。


 治定とアドバイス(5月7日)
 
  今回(裏1句目)は長谷川冬狸さんから2句投句がありました。
 
  1句目は、  うれしさを絵手紙にして秋の暮れ
  2句目は、  Gジャンの胸元に差す赤い羽根

  です。

  1句目の方は打越の「忍ぶ」が栗飯を食べたら途端に嬉しくなったみたいで、ど
 うもぞっとしません。感情が相対(あいたい)的にさわる感があります。
  2句目は赤い羽根が面白いけど(晩秋の季語)、Gジャン(性格にはジージャン
 でしょう。ジーンズの頭文字はGではなくJです)では着ている人物が若く、やはり
 打越の「自転車に」乗っている人と同じような印象が生じます。

  黒服とすれば、やくざかはたまた喪服か、いずれにしろ栗飯を食っていた親父、
 実は……、となって、話が俄然面白くなります。家庭的雰囲気からもがらりと転じる
 ことになります。
  連句はこんなふうに次々と意外性を持って転じていくのが醍醐味です。似た雰
 囲気はつまりません。
  黒服をどうとるかは次の人次第。その解釈がまた楽しみです。

  冬狸さんはデザイナー兼装幀家のミドル女性。俳号の由来は、はて何でしたっ
 け?

  さて、次は雑または秋。春秋は3句以上5句まで続けてもいいので、秋でもいい
 のですが、通常は雑に転じることが多いですね。まあ、次の人次第。

  もちろん77の短句。今まで人がらみの句が多かったので、ここらで全くの叙景句
 や時事句などが登場すると、変化がでるでしょう。
  次の3句目あたりからは恋の座になっていきますから、それを少し意識してもいいですね。
 
 では、どうぞ。


 治定とアドバイス(5月4日)

  今回は鶯吟庵さんから1句頂きました。

   げんまん交わしてそぞろ寒かな

  です。そぞろ寒は晩秋の季語、なかなか風情のある句です。
  が、「忍ぶ」に「げんまん」だと恋になってしまいます。表6句には、恋、無常、述懐、病体、鬼 蛇、宗教、固有名詞、などは避けることになっています。つまり表は序の場ですから、まあ大 人しやかにして、強い内容のことは避けようというわけです。
  ゆえに残念ながらこれは却下。恋はこのあと裏(ウ)ですぐ恋の座が登場します。

  他にはなかったので、ここは私が付けることにしました。
  目利き以降今までの登場人物、どうも独り者の感が強かったので、ここらで家族を登場させ 、転じようというもくろみです。
  といっても「忍ぶ」があるので、母親はいない状態、というつもり。栗飯はもちろん秋、それも 晩秋の季語です。でも、このごろ栗はかなり早くから店には出るので、仲秋ぐらいと考えてもさしつかえありません。

  さて、これで表6句を終え、いよいよ初折(一の折)の裏です。表記上は「ウ」と小さく書きます 。
  ここからは今までのような制約や、発句・脇みたいな面倒な式目は殆どありません。自由・闊 達、何をどう詠んでもいい場です。起承転結の承、序破急の破の部分です。

  ただし、季は秋、晩秋または三秋(秋ならいつでも通用する語)です。
  むろん五七五の長句。まもなく恋の座も登場します。伸びやかに、思い切って趣向、手法を こらして。遊んで、洒落て。主義主張を開陳し……。その他なんでも結構。
  時事、政治なども面白いものです。とにかく今まで出てきてないものがほしい。
  歌仙は36句のうちに宇宙万般・人事俗世百般が表されるのがいいのです。

  今まで投稿したのに、その後もの怖じしている人、ここらで復活してちょうだい。。


治定と次のアドバイス(4月30日)

 今回は皆さん、少してこづったようです。長谷川冬狸さんから2回と湊野住さんから頂きましたが、だいぶ待ったのに他からはありませんでした。初の「月」ということでいささか緊張したのかしら?

 野住さんはすでに脇で採用済みですから、出来れば他の人をと思ったのですが、冬狸さんは差し戻し・直しを求めたら悪化してしまいました。そこで、野住さんのものにちょっと直しを入れ、採用とします。原句は下5が「見る月は」でした。これだとただ月があるというだけで句全体が薄くなります。「忍ぶ月」とすれば月にも表情がでますし、自転車に乗る人間との対比が鮮やかになります。

 こういう手法を二物対照といいます。付け句自体が前句に対して転じているなかで、更に一句中にも取り合せの妙が生じれば、その句自体も連句の流れもいっそうふくらむわけです。初心者の方は前句にとらわれ同じような発想をしがちですが、それが一番ダメなのです。常に転じること。出来れば一句のなかでも転じること。

 次は六句目。ここまでがいわゆる表六句で、歌仙全体からいえば起承転結の「起」、能でいえば序破急の「序」に当たる部分で、まあ、ゆるゆると、お行儀よく、立って舞いかける、といった部分です。
 
 その最後ですから、まあまあもう少し静かに、大人しやかに、あまり気張らず、さらりと行けば結構です。
 
 もちろん77の短句、季は前の月に続けて秋です。春秋は3句以上続けるのが式目です。
 
 さあ、どうぞ。
 特に今まで出ていない方歓迎、思い切って出してみて下さい。


治定と次のアドバイス(4月25日)

 4句目は長谷川冬狸さんと太田代志朗さんから付け句を頂きました。
 
 冬狸さんは連句達者のデザイナーで、今回は2句あったのですが、1句目「七堂伽藍」の句は野遊以降、奈良とかその種の場を連想させすぎ、いわゆる3句がらみ(打越句以降3句続けて似た気配となること)となります。
 もう一つ「地平に」の句はなかなかいいのですが、太田さんの句もよく、しかも太田さんは脇以降、すでに何回も投句しておられるので、今回はこちらを採らせていただきます。

 連句はなにより「座の和をもって旨とする」原則もあり、こういった配慮も捌きのうちです。ただし、太田さんの句は「かり寝の夢に鐘が鳴りゐて」で、これだとやはり奈良あたりを連想させるうえ打越句と気配が似ます。
 また、「て」留めは出たばかりです。ゆえに上掲句のように直させてもらいました。こうすればのんびりしていた雰囲気が変り、何事ならんと場が転じます。
 そうそう、太田さんは歌人、ペンクラブ獄中作家委員会での同僚です。

 次は、月の定座です。連句には「2花3月」といって月と花の定座があります。ここへ来たら必ず月を詠むという場所です。月は1句分くらいなら上下移動させることもありますが、まあ、いまは式目どうり行きましょう。
 
 連句というか俳諧の世界ではただ月といったら自動的に秋の月ということになります。同様に花は櫻のことで春です。月の場合他の季節のものにするなら、たとえば「冬の月」とか「朧月」(春)、などとします。
 ここは第1の月で、とうぜん秋です。
 付けと転じを考えつつ、しゃれた句を。
 ただし、あまり花鳥風月的にしないことです。

 さあ、どうぞ。


治定と次のアドバイス(4月22日)

 野住さんと鶯吟庵さんの二人から投句を頂きました。
 
 野住さんのも悪くなかったのですが、冒頭3句、いわば三役どころに同じ人が2回というのはさすがにまずいし、ベテラン鶯吟庵さんのものが面白かったので、そちらを採らせてもらいます。ただし、鶯さんの句は「目利きひとり壺を見ゐたり春うらら」で、中7が発句と同じ「り」で留まっている点、下5の「うらら」が発句、脇の季語と似ているうえ、体言留めになっているので、ここは式目どうり「にて」にしてこう直しました。
 黄沙となれば雄大感、そして中国を想い浮べる感もあって丈高く伸びやかに、大きく転じることになると思います。
 
 第三はこのいわゆる「三句の転じ」が一番大事です。
 そして、以降34句はすべてこの三句の転じの精神を踏襲することになります。すなわち4句目を例に取れば、前句(この目利きの句)には何らかの形で「付け」つつ、前々句(この場合、脇句のこと)からはがらりと転じる必要があります。このことを「付けと転じ」とも言い、連句の一番の基本精神です。
 
 つまり、連句は「往きて還らず」であって、過去から未来へ時間の流れと同じく常に進むもので決してUターンはしませんし、全体を通して何か一つの物語やストーリー性を持つというものでもありません。
 このUターン、前々句(これを打越句と言います。前句を一つ越した句という意味)に意味、趣向、言葉、形態などが似かよることを「観音開き」または「輪廻」と言って、連句では忌み嫌います。忌み嫌うという言葉の強さに注目して下さい。

 では、次はその4句目。
 ここからは第三までのように特別の名称はなく、以降すべて平句と言います(挙句を除く)。 そして、特徴は、
 
 1,さらりと気張らず(あるいはホッと一息、軽く淡々と)

 だけです。もちろん、77(短句)。それとここは雑(ぞう、無季句)です。
 季語なしで77,これは俳句しかやったことのない人には初めてのことでしょう。こういう句をさらっと作れるのが手練れというものです。  

 では、さあ、どうぞ。


治定(4月17日)と次のアドバイス

 早くも4人の方から付け句がありました。小南斎さん(実はわが娘です)、小澤みち女さん、太田代志朗さん、そして野住さんです。

 なかでこれが一番今回にふさわしい気がしました。発句はいわばこれからネット句会を立ち上げようという挨拶・呼びかけでもありますから、そこへみんなで集まろう、ネット上の野遊びに、というニュアンスがあって返礼にしてかつ趣旨を補完している上、体言漢字留めになっている点も満点です。野遊びは晩春の季語で、ぴったり。

 小南斎さんの句はやや付きすぎの上、季語「芽」が初春でした。季戻りになります。みち女さんはうまいのですが、ちょっと離れすぎでした。
 野住(のずみ)さんは日芸大学院生。昨年まで夫馬ゼミに3年おり、連句の授業も皆勤だったうら若き女性です。上の原稿用紙の写真の中にも彼女作の句があるはずです。
 
 次は第三です。「発句が宗匠なら第三は貴人」にと言われる大事な場所です。

  1, 丈高く伸びやかに

  2,思い切って転ずること(場所や発想も)

  3,に、て、にて、らむ(ん)、もなし、留めにする

   
 季はまた春(春秋は3句続ける)ですが、晩春が2句続いているので、ここは三春(初仲晩  の春全般に通用する季語のこと)がいいでしょう。

 もちろん今度は575です。
 さあ、どうぞ。


アドバイス(4月15日)

   次はです。通常は「客発句脇亭主」といいますが、ここではやむなく逆になり
   ます。
   発句は575の長句ですが、ここは77の短句となります。

   1,あまり気張らず

   2,発句に寄添うように余情を補う

   3,当季当座同時刻 すなわち発句と同じ季節(ここでは晩春)の季語を用い、本
   来同じ場所で、同じ時刻ごろ作る(つもりで)

    4, 発句への返礼 

   5,体言の漢字留めをベターとする

 以上です。さあ、どうぞ。