ウエールズの最奥 秘密の園
                             夫馬 基彦

 私は昨二〇〇二年の夏、一ヶ月間をイギリスで過ごしたが、そのうち半分ほどをレンタカーでイングランドからウエールズへかけて経巡った。半日ほど車で移動しては、行った先でB&Bなぞを見つけ、気ままに泊るというやり方だ。相方はノンフィクション作家であるうちの奥さんである。
 その旅で印象に深かった一つはウエールズで、私たちは何カ所か動いたのち、あの『不思議の国のアリス』のアリスのモデルが夏休みを過ごした別荘だったという、ランドゥツノという海岸のホテルで泊ったのだが、実はそこは期待したほど面白くはなかった。
 で、そこを出たあと、私たちはもう一晩だけどこかウエールズで泊り、それからまたイングランドへ入ろうと考えたのだった。ウエールズは率直に言ってあまり美しくはない。どこか日本に似ていて、狭く貧しく、気分が小さくなる。見事に広々ときれいだったイングランドに比べ、ゴミも廃物もちょくちょく目に付く。海は確かにきれいだったが、しかし海なら我々にはあまり珍しくもない。というわけだ。

 もう一泊だけのウエールズ、さてどこにする。私と奥さんは地図を見ては鳩首地名をついばみ、あまり広くもない北ウエールズから中部ウエールズ一帯をまず地図上で、ついで車を転がして目と皮膚で確かめ、あちこち渉猟したが、なかなかこれというところに出会わない。
 吊り橋に大きな象の足みたいな塔を四辺に備えた古城とか、ガーデン付きのマナーハウス、SL列車の走る谷間に、何とか川、そういうものはちょこちょこあるのだが、どうも食指が動かない。城やガーデンはイングランド以来もういくつか見ているし、谷間とか渓流とかは海同様、日本人には別に珍しくもないのだ。
 そこであの町この町、丘の上のちょっとした村などに寄っては、茶を飲んだりサンドイッチの昼飯を食べたりしつつ、うっかりして一旦イングランド側に出てしまいかけたりした末、また戻って、ともあれちょっとは由緒と景色のよさげなCという町に出、そこのツーリスト・インフォメーション(小さな洋品屋が兼ねていた)で貰ったリストにしたがって次々に電話し、やっと五軒目あたりでOKが出たB&Bに向ったのであった。

 そうして走り出してみると、これがすごい田舎だった。
 相手は、
「なに、そこから谷間にはいってジャスト三〇分」
 なぞと言ったのだが、この谷間、行くにつれほんとに狭い谷そのもので、やがて道はすれ違いもままならぬぐらいにどんどん狭まり、行き交う車は殆どなくなり、両側鬱蒼、樹木垂れ下がり、道にはしょっちゅう雉とも鶏ともしれぬ鳥がツツツと駈け、あるいは兎がピョンピョン走り、ゆえに二、三分行くごとにそれらの無惨な轢死体に出会うという仕儀になってきた。
 左側には渓流がさらさらと流れ、ところどころ少し平地になると、小さな集落や郵便局があるくらいの村になる。
 景色はいい。森と、そして丘陵の山肌には白い羊の群。「養鱒場」の看板も二つほど出てくる。
 そして遂に行き着いた谷間のどんづまり、最奥の村が目的地Lであった。
 渓流の橋を真ん中にほんの少し開けた平地に二軒の小さなホテルを含め戸数約四、五〇の小集落。四辺はことごとくかなり急峻な丘で、しかもその八〇パーセントが牛、羊が放し飼いされた牧場、二〇パーセントが森。丘は頂上まで緑の牧地だから、真っ白い羊がそれこそ天に届くみたいに目の向う遙かに点々といる。
 宿はその村の広場からほんの数軒先の小さな学校の隣、出てきた夫妻はイングランド人だったが、何でも十一年前ここが好きで移住したそうで、六十代半ばとおぼしき夫は界隈のトレッキング案内者を兼ね、夫婦で四部屋ほどのB&Bをやって生計を立てている風情であった。
 言葉つき丁寧、いかにもナチュラリストらしく屋内には植物や鳥、動物、山、地図などの本が多く、翌日の朝食の際はテーブル上にジャムやらバター、マーガリンなどが一々これは何製の何々と白ラベルに手書き文字で表示されるという具合で、どこかほほえましい。
 部屋もよく、二つの窓からは丘やら羊やら牛、何軒かの村の家、樹々や花が美しく見え、布団もシーツもカーペットも、バスルームもすべて清潔である。そして静寂。聞えるのは羊と牛の鳴き声だけだ。
 じっとしているのが惜しくてすぐ外へ出てみると、庭には花、道端にも花、坂を上っていくと両脇に甘いブラックベリーがとり放題に実っている。
 牛と間近で目をじっと見合ってからぶらりぶらりと坂を下り、教会の敷地にはいると、今度は巨大な一位の樹があの赤くてぬるりと甘い実を一杯つけていて、それを口に含んではぺっと種を吐き出しながら、つい自分もウメーと鳴いてみる。

 食事がまたうまかった。
 こんな多分人口二〇〇人くらいの村なのに、ホテルが二軒もあるのは、イギリス人の間ではおそらく知る人ぞ知る地なのであろう。どうやら一週間とか二週間単位の滞在者が多いらしいホテルの一軒は、料理も自慢らしく、何とかコンテストで一位になったとかどうしたとか顕彰が飾られ、「L産ラムのワイン甘煮」とか「L谷ふうチーズサラダ」なぞといったものを食べると、嘘ではなく舌がとろけるほどうまい。
 おまけに安い。量が多いからこっちはたいていいつも二人で一人前をシェアーにしているせいもあるが、一回しめて酒代込み二〇ポンドくらいだった。
 うっくっくと涎とゲップ、充足の吐息が出るくらいだった。
 宿賃も一日四十五ポンド、私たちは夕食を終えるや直ちにもう一泊延泊を申し込んだ。同じ場所で延泊したのは最初のサフォークの村とここだけである。夜は降るばかりの満天の星、朝は羊の声で目覚める。
 まことに別天地、うるわしの里、貧しきウエールズの奥深くに隠された秘密の園、であろう。そういえば、ここはウエールズでは「十九世紀最大の抒情詩人」とされるジョン・ヒューズの出身地でもあると分った。まことにむべなるかなである。
 で、私は言った、
「本当のアリスの国はここだったんじゃない?」
 すると奥方は、「ウーン…」と賛成するようなしないような風情。
 そういえばそうだ、考えてみればアリスの世界は童話的ではあれ、というかそうだからこそか、どこか怖いようなところ、人間心理の奥底を剥がれるようなところもあったから、ここの全くのやさしみ、牧歌性、平和さは少し違うのかもしれない。
 が、なにはあれ、ここが私たち今回の二週間イギリス・カントリー・ツアーの奥の院、そして前後合わせて二週間のロンドンをも含めてイギリス一ヶ月の旅の最高のスポットであったことは疑いをいれない。
 ああ、懐かしのL、ラブリーL。
 とこう、この地に関してだけは実名を明かさないのは、わんさわんさと大勢に押しかけられ、せっかくの至高の地を乱されたくないからである。『地球の歩き方』あたりに書かれたら、半年後には人で一杯であろう。
 それでも教えろと言う方には、男なら極上の美酒を最低一本、女ならこぼれる笑みとキス、を引換えにそっと内緒でといきましょう。
 というわけです。(小説家。日大芸術学部教授)
                      (「英文学」86号 2003年9月刊 所収)