1997年3月、新潟〜高田間に1日1往復の特急としてデビューした「みのり」。同年長野新幹線の開業と同時に
新潟と信州長野とを結ぶ特急列車として発展したものの、利用の不振により年々縮小を余儀なくされ、2001年
11月をもって長野発着便の廃止、そしてその1年後には列車自体が消滅、登場からわずか5年余りで姿を消し
てしまいました。ここでは2002年以後の「特急みのり」の姿をとらえた写真をご覧いただきます。
189系で走っていた「特急みのり」の写真については、以前のサイトで制作していたコンテンツをこちらで復活して
おりますので、どうぞご覧下さい。
すっかり冬模様と化した海岸線。「特急みのり」はなおも荒海のそばを走り続けていました。これから待ち受ける過酷な運命に負けるものか、という意地を見せるかのように。 JR信越線 青海川〜鯨波 2002/1/3 |
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まるで春の訪れのような、つかの間の冬の晴れ間。うっすらと雪化粧した山間の線路を「特急みのり」が青空の彼方へ向かっていくように去っていきました。 JR信越線 塚山〜長鳥 2002/1/14 |
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春の海沿いを駆ける「特急みのり」。 JR信越線 鯨波〜青海川 2002/5/19 |
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昔は越後平野のあちこちで見ることのできたはざ木。今ではめっきり少なくなってしまいました。線路際に残る貴重なはざ木の脇を、淡い太陽の日差しを浴びながら駆け抜けた「特急みのり」。 JR信越線 越後岩塚〜来迎寺 2002/10/12 |
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どことなく寂しげな秋の海。終焉を間近に控えてもなお「特急みのり」は海沿いを力走していました。冬を目前にして、海岸線の大地は茶色がかっていました。 JR信越線 鯨波〜青海川 2002/11/17 |
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白波が連なる海岸線に沿った鉄路。その上を「特急みのり」が彼方に向かって走り去っていきました。季節は間もなく冬になろうかという頃でした。この後「特急みのり」はひっそりとその役目を終え、後進に道を譲ったのでした。 JR信越線 笠島〜米山 2002/11/23 |