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![]() 歴女・歴男様、御必見 句歌・慣用句の故郷へ |
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【旅の文字を含む句歌】 ※旅の歌は数多く有るのですが、昔の旅は野宿が当たり前で辛い旅でした。従ってここでは、微笑ましい 物のみとしました。 |
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■「唐ごろも着つつ馴れにし妻しあれば はるばる来ぬる旅をしぞ思う」 在原業平 |
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■「更級や姥捨山に旅寝して 今宵の月を昔見しかな」 能因 |
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■「都にも旅なる月のかげをこそ おなじ雲居の空に見るらめ」 西行 |
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■「たおりてもたれにか見せむ山桜 花もかひなき旅のそらかな」 後鳥羽院下野 |
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■「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」 芭蕉 ![]() |
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■「旅人と わが名呼ばれん 初しぐれ」 芭蕉 長勝寺 |
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■「秋暮るゝ 奈良の旅籠の 柿の味」 子規 |
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■「幾山河こえさりゆかば寂しさの はてなむ国ぞけふも旅ゆく」 牧水 生家 |
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【場所を含む句歌】(有名句歌の故郷を訪ねる) | |||
■「人しれぬ心にたてつる錦木の 朽ぬる色や袖にみゆらん」 隆房 錦木塚 |
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■「象潟の桜は浪にうずもれて 花の上漕ぐ海士の釣り舟」 西行 ■「惜しまれぬ命も今は惜しきかな また象潟を見んと思へば」 北条時頼 ■「象潟や 雨に西施が ねぶの花」 芭蕉 象潟九十九島 ![]() 画像提供:群馬県前橋市 菊池様 |
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■「契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波こさじとは」 元輔 末の松山 |
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■「武隈の松はこのたび跡もなし 千歳を経てやわれは来つらむ」 能因 武隈の松 |
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■「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにし我ならなくに」 源 融 文知摺石 ![]() |
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■「笈も太刀も さつきにかざれ 紙のぼり」 芭蕉 医王寺 |
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■「陸奥の木奴見ケ浜に一夜寝て 明日や拝まむ波立の寺」 西行 波立寺 |
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■「都おば霞と共に立ちしかど 秋風ぞ吹く白河の関」 能因 ![]() |
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■「ももしきや古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり」 順徳天皇 ![]() |
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■「暮る夜は衛士のたく火をそれと見よ 室の八島も都ならねば」 ![]() |
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■「かみつけの佐野の舟橋とりはなし 親はさくれどわはさかるがへ」 ![]() |
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■「つくばねの峰より落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる」 陽成院 ![]() 画像提供:群馬県高崎市 K.F様 |
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■「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は 美男におわす夏木立かな」 与謝野晶子 ![]() |
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■「大海の磯もとどろに寄する波 割れて砕けて裂けて散るかも」 実朝 (二所詣(箱根神社・伊豆山神社)の折に詠まれたもの) ![]() ![]() |
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■「田子の浦ゆうちいでて見ればま白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける」 山部赤人 ![]() |
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■「蘆原(イオハラ)の清見の崎の三保の浦の ゆたけき見つつ物思ひもなし」 田口益人 ![]() |
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■「梅わかな 鞠子の宿の とろろ汁」 芭蕉 ![]() |
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■「御臨時の 金の封切る 大井川」 不明 ![]() |
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■「大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天橋立」 小式部内侍 ![]() 画像提供:東京都八王子市 古田様 |
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■「由良の戸を渡る舟人かぢを絶え 行方も知らぬ恋の道かな」 曽根好忠 由良神社 |
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■「朝ぼらけ宇治の川ぎりたえだえに あらはれ渡る瀬々の網代木」 藤原定頼 ■「橋姫のかたしき衣さむしろに 待つ夜むなしき宇治のあけぼの」 不詳 ![]() |
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■「小倉山峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびの行幸待たなむ」 藤原忠平 常寂光寺 |
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■「吾妹子が寝くたれ髪を猿沢の 池の玉藻にみるぞ悲しき」 柿本人麻呂 ![]() ![]() |
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■「あおによし奈良の都は咲く花の にほふがごとく今盛りなり」 小野 老 ![]() |
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■「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」 安倍仲麻呂 ![]() |
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■「若葉して 御目のしづく ぬぐはばや」 芭蕉 唐招提寺 |
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■「ゆく秋の大和の国の薬師寺の 塔の上なるひとひらの雲」 佐佐木信綱 ![]() |
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■「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」 正岡子規 ![]() |
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■「難波潟みじかき芦のふしの間も 逢わでこの世を過ぐしてよとや」 伊勢 ■「すみの江の岸による浪よるさえや 夢の通ひ路人めよくらむ」 藤原敏行 ![]() |
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■「若の浦に潮満来れば潟をなみ 葦辺をさして鶴鳴き渡る」 山部赤人 ■「若の浦に袖さへ濡れて忘れ貝 拾へど妹は忘らえなくて」 不詳 ![]() 画像提供:大阪府茨木市 藤本様 |
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■「有馬山猪名の笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする 」 大弐三位 有馬温泉 |
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■「山はみな離れ小島となりにけり しばし海なす朝霧の上に」 花山法皇 花山院 |
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■「淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいく夜寝ざめぬ須磨の関守」 源兼昌 関守稲荷神社 |
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■「立ち別れ稲葉の山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰りこむ」 在原行平 宇倍神社 |
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■「我こそは新島守よおきの海の 荒浪風こころして吹け」 後鳥羽院 ■「わたの原八十島かけて漕ぎ出ぬと 人には告げよ海人の釣り舟」 小野篁 隠岐神社など |
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■「八雲立つ出雲八重垣つまごみに 八重垣つくる其の八重垣を」 須佐之男命 須我神社 |
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■「大和道の吉備の児島を過ぎて行かば 筑紫の児島思ほえむかも 」 大伴旅人 |
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■「妹が見しあふちの花は散りぬべし 吾が泣く涙いまだ干なくに」 山上億良 ■「東風ふかばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ」 菅原道真 ![]() ![]() 大宰府政庁跡 大宰府天満宮 |
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【旅の文字を含む慣用句】 | |||
■「可愛い子には旅させよ」 意味=愛する子であれば、辛い事もあるが多 くを学べる旅(修行)を経験させなさい。 |
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■「旅の恥はかきすて」 意味=普段出来ない非常識も、旅先なら後に 残らないから平気だ…。 |
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■「旅は道連れ世は情」 意味=旅には道連れが、世渡りには人情が 大切である。 |
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【場所を含む慣用句】(慣用句の故郷を訪ねる) | |||
■「阿漕が浦に網を引く」 意味= 定められた決りを破る事 出自:阿漕という者が伊勢神社の神領である 禁制の海で、悪事と知りながら漁をし たという伝説から。 万葉集にも詠まれています。 |
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■「飛鳥川の淵瀬」 意味= 変化が著しい事 出自: 川の流路が変わり易かった事から |
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■「いざ鎌倉」 意味= 大事が起こったらすぐ駆けつける事 出自: 謡曲『鉢の木』 ![]() |
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■「出雲の神」 意味= 仲人の事 出自: 縁結びの神であるが故 |
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■「伊勢へ七度熊野へ三度」 意味= 信心深い事 出自: 文言の通りで、交通便利な今でも なかなか行けない… ![]() 画像提供:群馬県高崎市 石川様 |
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■「急がば回れ」 意味= 急ぐ時こそ遠回りでも安全な道(方法)を選ぶ事 出自:琵琶湖の東に出るには、舟を使えば早 かったが危険も伴うことから、急ぐなら、 むしろ瀬田の唐橋を回りなさいという諌め。 |
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■「一富士二鷹三なすび」 意味= 吉夢の順序 出自:七福神の絵と共に枕の下に置いて寝ると 、良い初夢を見るという風習 ![]() 富士本栖湖リゾート 富士芝桜まつり 画像提供:山梨県甲府市 伊藤様 |
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■「牛に引かれて善光寺参り」 意味=信心の無い者が他の力で信仰に入る事 出自:『今昔物語』の一話。貧欲な老女が、 布を取られた牛を追っているうちに善光 寺に連れてこられ、前非を改めたという 縁起話 |
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■「小田原評定」 意味=論議が長く、いつまでも結論が出ない事 出自: 豊臣秀吉による『小田原攻め』の際 、北条方は重臣の議論がいつまでも定ま らず、和睦の機を逸して落城してしまった故事 ![]() 石垣山から小田原城を遠望 |
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■「鹿島立ち」 意味= 名誉な旅に出発する事 出自: 防人や武人が出陣に当たって鹿島神 社に武運を祈願した風習によります。 |
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■「清水の舞台から飛降りる」 意味= 大きな決断をすること 出自: 江戸時代に飛び降りる願掛けが流行っ たことによる。因みに舞台の高さは13m で、死亡率は14%弱であったとか…もち ろん今も飛び降りは禁止です。 ![]() |
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■「敵に塩を贈る」 意味= ライバルを人道的に助ける事 出自: 武田信玄と上杉謙信は長く反目してい た。ある時、武田方の領民が今川氏に よって塩を絶たれ困っていた。これを知 った上杉方が、敵対関係を超えて越後 の塩を武田方に贈ったという。 尚、糸魚川から大町を経て松本までの 道を“塩の道”と呼んでいました。 ![]() 千国街道 【塩の道祭り】より |
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■「敵は本能寺にあり」 意味= 真の目的が別にある事 出自: 明智光秀が信長の命により、秀吉の 毛利攻めの応援に向かう途中、にわかに “敵は本能寺にあり”と下知し、信長の 宿所であった本能寺を急襲し、信長を横 死させた故事 |
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■「天王山」 意味= ものごとが最も重要な局面に至る事 出自: 山崎の合戦で秀吉が天王山を手中に した事が、後の勝敗を決定した故事 |
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■「七本槍」 意味= 組織の重要メンバーである事 出自: 豊臣秀吉による賎ヶ岳の戦における七 人の活躍者 |
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■「難波の蘆は伊勢の浜萩」 意味= 土地によって風俗・風習が異なる事 出自: 難波で“あし”と呼ばれた物が伊勢 では“はますぎ”と呼ばれた様に、何 事も土地によって異なるたとえ |
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■「洞ヶ峠をきめこむ」 意味= 日和見して態度を決めかねる事 出自: 豊臣秀吉の山崎の合戦において、筒 井重慶が逡巡してどっち付かずな態度で 形勢をうかがっていた故事 |
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その他の慣用句など… ■「恐れ入谷の鬼子母神」 ■「その手は桑名の焼蛤」 ■「奥の細道」 …月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也。 元禄15年(1702)に発刊された松尾芭蕉の紀行文です。 江戸から東北を巡って岐阜大垣に至る旅行記で、作品中 には多くの俳句が詠み込まれています。 ![]() 岐阜県大垣市「奥の細道」むすびの地 ■「壺坂霊験記」…♪妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ〜♪ 明治初期に作られた浄瑠璃で、人形芝居・歌舞伎・講談 ・浪曲など、幅広く演じられています。盲目の沢市とお里 の夫婦愛を描いた不朽名作で、奈良壺阪寺の名声を高 めました。 壺阪寺 ![]() 群馬県安中市「城若座」人形浄瑠璃公演より |
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【旅を記念する日】 |
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■ 旅の日 5月16日 = 日本ペンクラブが、昭和63年に制定したと され、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出かけ た日、元禄2年3月27日を新暦に換算した ものと云います。 ■ 世界観光の日 (世界観光記念日) 9月27日 = 世界観光機関(UNWTO)が、1980年に 制定したもので、1970年に世界観光機関 憲章が作られた日としています。 |
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※挿入画像の多くは、フィルム時代の1960〜1990年代に訪問したもので、 現状と異なるかも知れません。m(__)m 最終更新日:2021/7/10
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