若田原遺跡群
群馬県高崎市 若田町 八幡霊園内
高崎市の西部、碓氷川と烏川に挟まれた台地に造られた大集落跡です。付近には多くの古墳が点在し、八幡古墳群と一体と見る事もできます。
一帯は八幡霊園の造成に当たって発掘調査されたもので、縄文・古墳・奈良時代に亘る多数の遺構が確認されました。
多くは埋め戻されましたが、縄文時代の敷石居住跡と3基の円墳が復元保存されています。
楢ノ木塚古墳と若田大塚古墳
:
若田大塚古墳
円墳としては規模の大きなものです。
:
若田大塚古墳
墳頂部です。
楢ノ木塚古墳
外観です。
峯林古墳
外観です。
峯林古墳の石室
石材は付近の河原石です。
敷石居住跡
覆い屋が懸かっています。
敷石居住跡
境界や炉の敷石の様子
◆若田大塚古墳
古墳群中で最も大きな円墳で、直径29.5m高さ7.5mを計測しています。
二段築成で葺石が見られ、円筒埴輪などが巡っていました。主体部は横穴式石室の様に基壇上に構築されています。
古墳の築造は、埴輪や副葬品などから6世紀初頭とされています。
盗掘坑に残されていた鐡槍・横矧板鋲留式短甲などが現存する。
−現地案内板より−
◆楢ノ木塚古墳
この山の下に小さな円墳が埋もれています。石室き自然石を用いた全長6.35m袖無型横穴式石室です。
6世紀後半の築造と推定されています。
副葬品は盗掘されていましたが、馬金具や鉄鏃片が残されていました。
−現地案内板より−
◆峯林古墳
直径17.5mの円墳で、墳丘は二段築造され基壇を有します。横穴式石室は前庭とともに基壇上に構築されています。
石室は輝石安山岩を用いた石積みで壁面の積み上げはドーム状をなしています。
築造は古墳築造の終末に近い、7世紀後半と推定されています。
石室前からは、須恵器の高杯4、杯1、土師器杯1が出土しています。
−現地案内板より−
◆敷石居住跡
柄鏡形をした敷石住宅で、居住中央部に炉を構え、張り出し部と境には小竪穴を設置しています。
居住の使用時には全面に石が敷き詰められていたと推定されます。
このような形態をした居住跡は縄文時代の中期から後期に見られます。
園内には他に三か所ほど居住跡が保存されていのすが、敷石を観察出来るのはここのみです。
−現地案内板より−