【鎌原観音堂(かんばらかんのんどう)】
火山災害から人命を救った堂として、広く厄除け信仰の対象となっています。天明3年(1783)8月5日(旧暦7月8日)午前10時頃、春から小噴火を繰り返していた浅間山が大噴火を起しました。当時、鎌原村は信州上州間の宿駅として栄え、村としては比較的人口が多い600人程度でした。しかし村はこの噴火による火砕流に襲われ、約5m下に埋まってしまいました。この火砕流に気付き、村の高台であった鎌原観音堂に避難した僅か93人を除いて。
火砕流は、更に20数q先の吾妻川を堰き止め、これが後に決壊して被害は江戸にまでおよび、下流域を含めて約1,500名の犠牲者を出したといいます。降灰は関東一帯におよび、有名な天明の大飢饉≠引き起こしました。
昭和54年から堂周辺の発掘調査が行われ、石段は50段と判明し最下段から二名の女性の遺体が発見されました。境内には堂のほか、その石段や吾妻川から戻された旧延命寺の石標などがあります。
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