神流川古戦場


【神流川古戦場(かんながわこせんじょう)
 武田氏が滅んだ後、織田信長は滝川一益を上野の厩橋城に置き、関東管領としていました。ところが天正10年(1582)6月、本能寺で信長が光秀に討たれた旨の報を得た一益は、上野の諸将を中心とする1万8千余を伴って上方に上ろうと、上野・武蔵国境の神流川を越えようとしました。後北条氏と織田氏は同盟関係にあったからです。ところが、北条氏政・氏直父子は、神流川を越えて武蔵国の金窪に入った一益軍を迎え撃って戦いとなりまし。この戦いで一益軍は完敗を喫し、碓井峠へ廻って中仙道を通って本国の伊勢長島に帰ったのです。その古戦場の碑が、埼玉・群馬県境の神流川畔にあります。

所在地:群馬県高崎市新町・玉村町角渕

古戦場碑
 国道17号線脇、埼玉・群馬県境の神流川橋たもと群馬県側に碑が有ります。
軍配山古墳
 玉村町南東部の角渕地区に有ります。

駐車場

トイレ


    
 古戦場碑
※駐車場がないので注意されたい。
 (車両通行が頻繁なため情緒に欠けることから、神流川脇の遊歩道に小公園として移設が望まれる)
 軍配山古墳
 古墳時代初期の円墳で、神流川合戦の折に一益が陣を設け、軍配を振るった所と伝えられています。
 墳頂に昭和5年の発掘調査を記念した碑が有ります。

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