師団長 司令部 牡丹江 鷲9109
第二十八独立飛行隊 司偵 温春
第二飛行団 司令部 会寧
飛行第九戦隊 戦闘 会寧
飛行第六十五戦隊 襲撃 宣徳
飛行第六戦隊 襲撃 平穣
第六飛行団 司令部 八面通
飛行第七十戦隊 戦闘
飛行第三十二戦隊 軽爆
飛行第六十六戦隊 軽爆
第八飛行団 司令部 海浪
飛行第三十三戦隊 戦闘 杏樹
飛行第五十八戦隊 重爆 桂木斯
飛行第六十戦隊 重爆 杏樹
第十三飛行団 司令部 八面通
飛行第八十五戦隊 戦闘 海浪
飛行第八十七戦隊 戦闘 八面通
第二航空地区司令部
     会寧

第六航空地区司令部
     八面通?

第八航空地区司令部
     海浪

第十三航空地区司令部
     八面通
第三十九飛行場大隊 司偵
第二十六飛行場大隊 戦闘
第三十四飛行場大隊 戦闘
第七十一飛行場大隊 戦闘
第八十六飛行場大隊 戦闘
第八十八飛行場大隊 戦闘
第三十飛行場大隊 軽爆
第三十七飛行場大隊 軽爆
第五十三飛行場大隊 軽爆
第六十七飛行場大隊 軽爆
第四十六飛行場大隊 重爆
第七十三飛行場大隊 重爆
第七十六飛行場大隊 重爆
集団長 集団司令部 牡丹江
第二飛行団 司令部 会寧
飛行第六戦隊 軽爆 平穣
飛行第九戦隊 戦闘 会寧
飛行第六十五戦隊 会寧
第二航空地区司令部
     会寧
第二十六飛行場大隊 戦闘
第三十飛行場大隊 軽爆
第三十七飛行場大隊 軽爆
第八飛行団 司令部 海浪
飛行第三十二戦隊 軽爆 杏樹
飛行第三十三戦隊 戦闘 杏樹
飛行第五十八戦隊 重爆 桂木斯
第八航空地区司令部
     海浪
第四十六飛行場大隊 重爆
第五十三飛行場大隊 軽爆
第二十八独立飛行隊 司偵
独立飛行第六十三中隊 司偵
独立飛行第八十一中隊 司偵
第二十九独立飛行隊 司偵
独立飛行第六十六中隊 直協
独立飛行第八十七中隊 軍偵
第三十九飛行場大隊 司偵
第五十六飛行場大隊 偵察
航空通信第二連隊 寧安
第一航空情報隊

師団改編次

 母体は、昭和6年11月11日に新京で編成された関東軍飛行隊。
 関東州(満州)の守備を専任する航空部隊でした。創設当初は3個飛行大隊でしたが、徐々に拡大されて昭和10年12月1日に関東軍飛行集団へと改編、飛行5個連隊、1個大隊になりました。

 また、昭和12年8月2日には番号制で統一化するために第二飛行集団と改称され、折からの対蘇警戒のため・跳梁する匪賊討伐のために更に拡大、牡丹江に司令部が置かれました。

 この頃には地上部隊も充実し、連続した攻撃も可能になっています。
 集団は満州事變、支那事變、国境事變、匪賊討伐などに出撃し、着々実績を上げていきました。
 特に国境事變では、数で劣勢だった戦闘機隊が赤軍匪賊を圧倒し、多数の敵機を撃墜しております。九五式戦闘機や九七式戦闘機が敵のI−15やI−16より優秀だったこともあります。俗に国境事變は大敗であったように言われますが、航空戦では帝国の勝利、地上戦も勿論損耗度が高かったのですが、蘇連赤軍も継戦不能に近い状態になっており、引き分けに近かったようです。ただ、関東軍の方は蘇連の状態を把握しておらず、停戦交渉も譲歩してひたすら敗戦として責任をなすりつけあい、隠蔽したようです。

 関東軍特別大演習の実施により、更に満州の航空兵力は拡大されましたが、航空兵團の直轄部隊が増えて第二飛行集団の兵力は若干減少しました。

大東亜戦役
 大東亜戦役の開戦により、関東軍特別大演習で増強した航空兵力の一部が南方へ引き抜かれていきました。
 そんな中、各方面の防空への認識も高まり、更に一局指揮ができるように飛行集団が次々に師団へと改編されていきました。
 集団は昭和17年4月15日に師団へ改編、第二飛行師団となりました。師団の下には飛行団と航空地区司令部が置かれ、来るべき対蘇戦に備えて猛訓練に励んでおりました。

 昭和19年に入ると南方戦線も怪しくなり、比島防衛のために師団も轉進することとなりました。昭和19年5月に師団はその殆どの兵力が司令部と共に比島に移り、司令部はマニラに、各飛行戦隊は分散して配備されました。
 折しも10月には捷号作戦が始まり、壮絶な戦闘に突入します。
 それまでは対陸上戦しか想定していなかった各戦隊は、初めて敵艦の対空砲火を受け、レイテ航空総攻撃で次々と損耗していきました。10月20日から31日までの間に204機を喪失し、戦果はLCI1席撃沈、リバティ船1隻、航洋曳船ソノマを損傷させたに止まりました。
 そこで、ついに特別攻撃が採用されました。確かに通常攻撃より命中率が高いため、採用せざるを得ない面が有ったようです。
 戦果は戦艦コロラドを小破、軽巡洋艦モンペリー、セントルイス小破、最大の戦果は軽巡洋艦ナッシュビルを中破させた程度でした。尤も陸軍の爆弾は陸用で、海軍ほど貫徹力が高い物ではなく、一部海軍から流用したにしても命中に対して戦果は小さくなる傾向があったようです。

 相次ぐ被害と富永恭次の拙劣な指揮、特別攻撃での機数減少により、比島での稼働機は殆ど底をついてしまいました。
 こうなると飛行機がない部隊は地上戦に移るしかありません。
 昭和20年2月上級部隊第四航空軍司令官富永恭次は最後の連絡機で敵前逃亡を謀り、ついに昭和20年5月17日、第二飛行師団は廃止されてしまいました。


通称号は鷲兵団(威兵団)

有名師団長(集団長):安藤三郎、河辺虎四郎、下山琢磨、木下勇

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集団長 集団司令部 牡丹江
第二航空教育隊
第七航空教育隊
第八航空教育隊
第十二航空教育隊
第二飛行団 司令部 会寧
飛行第六戦隊 軽爆三中隊 平穣
飛行第九戦隊 戦闘三中隊 会寧
飛行第二十九戦隊 司偵・直協 連補
飛行第六十五戦隊 軽爆三中隊 宣徳
第二航空地区司令部
     会寧
第二十六飛行場大隊 会寧
第三十飛行場大隊 宣徳
第三十七飛行場大隊 平穣
第七飛行団 司令部 公主嶺
飛行第十二戦隊 重爆三中隊 公主嶺
飛行第二十七戦隊 軽爆三中隊 延吉
飛行第六十四戦隊 戦闘三中隊 東京城
飛行第九十八戦隊 重爆三中隊 敦化
第七航空地区司令部
     公主嶺
第十七飛行場大隊 公主嶺
第二十三飛行場大隊 敦化
第九十三飛行場大隊 延吉
第九十四飛行場大隊 東京城
第八飛行団 司令部 海浪
飛行第十六戦隊 軽爆三中隊 海浪
飛行第三十二戦隊 軽爆三中隊 杏樹
飛行第三十三戦隊 戦闘三中隊 杏樹
飛行第五十四戦隊 重爆三中隊 桂木斯
第八航空地区司令部 第十八飛行場大隊 海浪
第四十六飛行場大隊 桂木斯
第五十三飛行場大隊 杏樹
飛行第二十八戦隊 司偵・軍偵 温春
第三十九飛行場大隊 温春

関東軍特別大演習次

師団建制

関東軍飛行隊次

飛行第二師団

比島進出次

飛行隊長 司令部 新京
飛行第十大隊 偵察 錦州
飛行第十一大隊 戦闘 哈爾浜
飛行第十二大隊 爆撃 新京

満州防衛・対蘇戦を想定した飛行部隊

師団長 司令部 マニラ 鷲9109部隊
飛行第二戦隊 司偵 威11614 昭和13年7月31日改 終戦時福岡
飛行第十五戦隊 司偵 昭和13年8月31日改 終戦時西貢
飛行第二十七戦隊 襲撃 昭和13年8月1日編 終戦時所沢
飛行第四十五戦隊 二式複戦 昭和13年7月27日編 終戦時鉾田
第六飛行団 司令部
飛行第六十五戦隊 襲撃 昭和13年7月27日編 終戦時目原
飛行第六十六戦隊 襲撃 昭和17年3月31日編 終戦時大刀洗
第七飛行団 司令部
飛行第十二戦隊 重爆 昭和13年8月31日改 終戦時台湾
飛行第六十二戦隊 重爆 昭和16年11月14日編 終戦時西筑波
第十三飛行団 司令部
飛行第三十戦隊 一式戦 昭和18年10月1日編 終戦時台湾
飛行第三十一戦隊 一式戦 セレベス 昭和13年8月 編 終戦時昭南
第二十二飛行団 司令部
飛行第十七戦隊 三式戦 昭和19年2月10日編 終戦時台湾
飛行第十九戦隊 三式戦 昭和19年2月21日編 終戦時台湾

関東軍飛行集団改編次

集団長 司令部 新京
飛行第十連隊 偵察 斉斉哈爾
飛行第十一連隊 戦闘 哈爾浜
飛行第十二連隊 爆撃 公主嶺
飛行第十五連隊 偵察 新京 昭和10年12月1日編成
飛行第二大隊
飛行第十六連隊 爆撃 牡丹江 昭和10年12月1日編成
野戦航空廠 新京

第二飛行集団改編次