大東亜戦役開戦時

集団長   司令部  
第三飛行団長 司令部  
飛行第五十九戦隊 戦闘 
飛行第二十七戦隊 軽爆
飛行第七十五戦隊 軽爆
飛行第九十戦隊 軽爆
第七飛行団長 司令部
飛行第六十四戦隊 戦闘
飛行第十二戦隊 重爆
飛行第六十戦隊 重爆
飛行第九十八戦隊 重爆
第十二飛行団長 司令部  
飛行第一戦隊 戦闘
飛行第十一戦隊 戦闘
飛行第二十四戦隊 戦闘
飛行第八十一戦隊 司偵
第十五独立飛行隊 独立飛行第五十中隊 司偵
独立飛行第五十一中隊 司偵
第一航空地区司令部
第七航空地区司令部
第十二航空地区司令部
第十五航空地区司令部
第十八航空地区司令部
第三十六飛行場大隊  
第八十二飛行場大隊  
第十五飛行場大隊  
第二十一飛行場大隊  
第二十二飛行場大隊  
第四十一飛行場大隊  
第九十四飛行場大隊  
第三十七飛行場大隊  
第三十五飛行場大隊  
第九十一飛行場大隊  
第九十三飛行場大隊  
第十七飛行場大隊  
第二十三飛行場大隊  
第九十二飛行場大隊  
第九十六飛行場大隊  
第十五航空通信隊  
第十六航空通信隊  
第二十五航空通信隊  
第十七航測隊  
  第五野戦飛行場設定隊  
  第六野戦飛行場設定隊  
  第七野戦飛行場設定隊  
  第八野戦飛行場設定隊  
  高射砲第二十連隊  
  野戦高射砲第三十二大隊  
  野戦高射砲第三十六大隊  
       

編成時

 集団長 司令部   
飛行第六十戦隊  重爆
第一飛行団長 司令部  
飛行第九十戦隊  軽爆
第三飛行団長 司令部
飛行第四十四戦隊 偵察 
飛行第五十九戦隊 戦闘
飛行第七十五戦隊 軽爆
飛行第十七中隊 偵察
第十五航空地区司令部  
第十六航空地区司令部  
第十七航空地区司令部  
第十八航空地区司令部  
第三十五飛行場大隊  
第四十一飛行場大隊  
第五十七飛行場大隊  
第九十一飛行場大隊  
第九十二飛行場大隊  
第九十六飛行場大隊  
第十五航空通信隊  
第十五航空情報隊  
第十六航空情報隊  
第二野戦飛行場設定隊  
第三野戦飛行場設定隊  
第五野戦航空廠  
第十五野戦航空廠  
第四飛行団長 司令部  
飛行第六十四戦隊  戦闘
飛行第三十一戦隊 軽爆
第一直協飛行隊 偵察
第九十四飛行場大隊  
第九十七飛行場大隊  
第一野戦飛行場設定隊  
第二十一野戦航空廠  

飛行第十六戦隊 通称号:隼魁9142部隊 昭和10年11月飛行第十六連隊として編成 軽爆撃機
            昭和13年8月30日飛行第十六戦隊改編 編成地:満州海浪 原駐地:小牧
      主な戦歴:国境事變、
          大東亜戦役・比島攻略(双軽37機)、昭和17年6月大陸へ春期航空作戦・イ号作戦
            昭和20年1月5日平壌へ 天号作戦 平壌で終戦
        戦死戦隊長:昭和19年8月2日森桂中佐 昭和20年2月2日佐藤三郎少佐
                昭和20年5月26日林正博少佐

飛行第二十五戦隊 通称号:隼魁2387部隊 昭和17年10月20日独立飛行第十中隊改編 戦闘機
            編成地:漢口  白螺磯駐屯 上海→北京→水原(朝鮮)
      主な戦歴:漢口・南京防空、湘桂作戦、大陸からのB29迎撃 水原で終戦
        戦死戦隊長:昭和19年9月17日別府競少佐 昭和19年10月27日松山武夫少佐

第三飛行師団
 戻る

開戦劈頭の殊勲航空兵団

 昭和14年、陸軍では大規模な航空兵力の改編が行われました。
 支那事變の長期化により関東軍兵力の抽出が続き、北方への憂慮が出てきたことも一因ですし、実際常備兵力では広大な支那戦線の維持は無理と考えられたのでしょう。
 昭和14年9月1日、航空兵團司令部は関東軍隷下になり、手薄になった支那戦線は新たに第三飛行集団が編成されることとなりました。

 第三飛行集団は新編された後支那戦線で匪賊討伐や各作戦殆どに参加し、経験を蓄積していきました。

大東亜戦役
 昭和16年11月、集団は仏印進駐、兵力の完結後南支作戦を援護するように陽動して過ごしました。
 本当の意図は、開戦と同時に南方、特に馬来・昭南方面に航空攻撃を加えることにあったのであります。

 開戦と同時に馬来作戦を支援、昭和17年2月14日にはパレンバン降下作戦を支援しています。

 馬来・昭南作戦は異常な順調さで進み、地上部隊が迅速に飛行場を占領しては整備部隊が進出し、飛行部隊が着陸、地上部隊に協力するという形がとれました。
 かなり早い段階から綿密に計画が練られていたことと、地上部隊の快進撃が成功に繋がったと言えましょう。

 馬来方面が一段落すると、すぐにジャバ攻略に入り、東南亜細亜攻略を完成させました。

 集団は、昭和17年6月10日第三飛行師団と改称。
 陸軍では最も戦力の充実した飛行兵団でした。
(最盛期の航空兵力は戦闘機180機、軽爆100機、重爆130機、司偵45機、陸軍全体の約30%。)

 昭和18年9月9日、ある程度安定した南方より、目立ちにくい大陸が苦戦していることもあり、師団は支那戦線に引き抜かれます。
 その際、師団長中薗中将が百式輸送機機上にて戦死。
 司令部を南京に置き、匪賊討伐や戦線拡大に有効に活用された後、昭和19年2月14日、第五航空軍に昇格、復員廃止されました。


通称号:隼2375兵団

有名師団長(集団長):菅原道太、下山琢磨

戦死司令官・幕僚:司令官中薗盛孝中将
            第百五教導飛行団団長近藤三郎大佐戦死

top
飛行第四十四戦隊 通称号:隼魁2376部隊 昭和14年7月編成  偵察機
            編成地:濱口 漢口→白螺磯→広東→広州→南昌→新郷→漢口→唐山→大田
      主な戦歴:支那事變・宜昌作戦・中原会戦・長沙作戦
            大東亜戦役 香港攻略・浙贛作戦・江北殲滅作戦・イ号作戦 大田(朝鮮)で終戦

飛行第九十戦隊 通称号:隼魁2381部隊 昭和16年3月1日編成  軽爆撃機
            編成地:南苑(北京) 仏印→済南→仏印→馬来→広東→上海→張家口
      主な戦歴:支那事變・宜昌作戦・中原会戦・長沙作戦・南支第一次作戦・第百二号作戦
            大東亜戦役・馬来作戦・昭南作戦・パレンバン降下・ジャバ攻略・桂林攻撃
            イ号作戦・天号作戦・対蘇反撃  張家口で終戦

独立飛行第十八中隊 通称号:隼2383部隊 

廃止時

師団長 司令部 南京
第一飛行団長 司令部 漢口
飛行第十六戦隊 軽爆
飛行第九十戦隊 軽爆
飛行第二十五戦隊 戦闘
第三十一飛行場大隊 軽爆
飛行第四十四戦隊 偵察
独立飛行第十八中隊 司偵
独立飛行第八十三中隊 軍偵
第八直協飛行隊 直協
第百五教育飛行団長 司令部 北京
第百十四教育飛行連隊 戦闘
第百十五教育飛行連隊 偵察
第百十八教育飛行連隊 戦闘
第三航空地区司令部
第五航空地区司令部
第十六航空地区司令部
第五十七飛行場大隊 偵察
第十八飛行場大隊 軽爆
第九十一飛行場大隊 軽爆
第九十六飛行場大隊 重爆
第十五航空通信隊
第五航空固定通信隊  
第六航空情報連隊  
第五航測隊  
  支那派遣軍気象隊  
  第十五野戦航空廠  
  第二十三航空分廠