皆さんご存じの通り、帝国海軍では伝統的に主力艦の砲戦と同時に水雷戦を重視していました。
 勿論、主力艦同士の砲戦のための補助ですが、その威力は無視できないものであったからであります。

 基本的には、高速を効かした突進、肉薄と扇状に放射する大量の魚雷による大量戦果を狙っていたのですが、、、。

 さてこの阿賀野型ですが。

 設計上、5500噸クラスの軽巡以外での設計は夕張のみで、これとて大正の建造ですから戦力として十分ではありませんでした。
 夕張は実験艦的な意味合いもあり、小型の艦型にどれだけ兵裝を搭載できるかというものでしたので、艦型の大きさの関係上不足がありました。

 海軍としては、ネイバルホリディーの中で主力艦を重視する関係上、巡洋艦までは予算が回りませんでした。
 同時に、昭和10年頃までは駆逐艦の性能上、5500噸クラスの軽巡でも指揮能力としては十分と判断されていたことも、新型軽巡建造を遅らせた原因です。勿論この間にも新型軽巡の設計はあったのですが、予算の承認には至っていません。

 設計に際して重点を置かれたのが、艦橋の指揮に必要な性能、駆逐艦を指揮するのに遜色ない速力、対巡洋艦砲戦能力、雷線数でした。
 これに対して完成した設計は、指揮施設は問題なし、速力は37ktの駆逐艦を指揮するのには問題なし、152粍の口径砲で対巡洋艦戦闘に耐えうる、魚雷発射管は片舷8門、水偵2機、射出機1基で、十分に満足できるものでした。

 尤も、航空主兵の考え方からは、とうてい足りないものであったのでしょうが、これは我が国のみならず欧米の感覚でも普通で、噸数に換算しても十分な兵力でありました。

 対空性能も無視されたわけではなく、搭載された高角砲は最新式で、76粍ながら60口径で、十分なものでありました。これが数量を揃えていれば、かなりの対空戦力になったでありましょう…。

 同型艦4隻のうち、阿賀野・能代・矢矧は戦没、酒匂のみ無傷で残存。どの艦もその性能に見合った水雷戦には一度も遭遇しませんでした。
(考え方によってはレイテ沖で矢矧が水雷戦を行っていますが、戦闘方法が本来の水雷戦と違うので。)

諸元

主砲  : 四一式15糎連装砲(15.2糎)    3基       6門
副砲  : なし
高角砲: 九八式長8糎連装砲(7.6糎)     4基       8門
雷裝  : 九二式61糎四連装発射管      2基       8門
機銃  : 九六式25粍三連装           2基(10基)   6挺(30挺)
      九六式25粍連装            4基       8挺(矢矧新造時)
      九六式25粍単裝機銃                  18挺(28挺個艦差あり)
爆雷  : 投下軌条                          2條
航空機: 零式三座水偵              2機
射出機: 呉式二号五型              1基
その他: なし

排水量: 6652噸
速力  : 35.0kt
航続力: 18ktで6000浬
主機  : 艦本式オールギヤードタービン    4基    4軸
主缶  : ロ号艦本式水管缶重油専焼      6基
軸馬力: 100,000馬力

全長  : 174.5米
水線長: 172.0米
最大幅: 15.2米
吃水  : 5.63米

軍艦 阿賀野型

艦歴

阿賀野
昭和15年 6月18日 佐世保工廠で起工
昭和16年10月22日 進水
昭和17年10月31日 竣工 第三艦隊第十戦隊旗艦
昭和18年6月      対空兵裝強化
昭和18年11月     ブーゲンビル沖海戦
昭和18年11月11日 敵機により被雷
昭和18年11月12日 敵潜により被雷
昭和19年 2月15日 トラック島で仮修理完了 内地へ回航
昭和19年 2月16日 トラック島北方で敵潜「スケート」の魚雷2発被雷 喪失
昭和19年 3月31日 除籍

能代
昭和16年 9月 4日 横須賀工廠で起工
昭和17年 7月19日 進水
昭和18年 6月30日 竣工
昭和18年 8月     第二艦隊第二水雷戦隊旗艦
昭和19年 1月 1日 カビエンで空襲小破 2月に損傷復旧・対空兵裝増備完了
昭和19年 6月     第三次渾作戦出撃も中止
昭和19年 6月     あ号作戦
昭和19年10月     捷号作戦 シブヤン海、サマール島沖の各海戦
昭和19年10月26日 レイテ沖海戦で敵機の雷爆により喪失
昭和19年12月20日 除籍

矢矧
昭和16年11月11日 佐世保工廠で起工
昭和17年10月25日 進水
昭和18年12月29日 竣工 第三艦隊第十戦隊旗艦
昭和19年 1月     電探装備公試試験
昭和19年 6月     あ号作戦
昭和19年10月     捷号作戦 26日敵機の爆撃により小破
昭和20年 4月     天号作戦
昭和20年 4月 7日 大和を直衛中 敵機の雷爆多数命中、喪失
昭和20年 6月20日 除籍

酒匂
昭和17年11月21日 佐世保工廠で起工
昭和19年 4月 9日 進水
昭和19年12月29日 竣工
昭和20年 1月     第十一水雷戦隊旗艦
昭和20年 7月     舞鶴鎮守府籍へ
終戦時          無傷で残存 復員輸送
昭和20年10月 5日 除籍
昭和21年 2月25日 復員輸送任務解除
昭和21年 4月 7日 ビキニ環礁原爆実験で標的艦として大破炎上、翌朝喪失

最後の丙巡洋艦、開花できなかった水雷戦の華

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