台湾軍転出時
師団長 | 司令部 | |
第十歩兵団 | 歩兵第十連隊 | |
歩兵第三十九連隊 | ||
歩兵第六十三連隊 | ||
捜索第十連隊 | ||
野砲兵第十連隊 | ||
工兵第十連隊 | ||
輜重兵第十連隊 | ||
師団通信隊 | ||
師団制毒隊 | ||
師団兵器勤務隊 | ||
師団防疫給水部 | ||
師団野戦病院 | ||
師団病馬廠 |
終戦時
師団長 | 司令部 |
歩兵第十連隊 | |
歩兵第三十九連隊 | |
歩兵第六十三連隊 | |
捜索第十連隊 | |
野砲兵第十連隊 | |
工兵第十連隊 | |
輜重兵第十連隊 | |
師団通信隊 | |
師団兵器勤務隊 | |
師団制毒隊 | |
師団第一野戦病院 | |
師団病馬廠 | |
師団第二野戦病院 | |
師団第四野戦病院 | |
師団防疫給水部 |
師団建制
師団として主な戦役にはほぼすべて参加
宇垣軍縮後
師団長 | 司令部 | |
歩兵第八旅団 | 歩兵第三十九連隊 | |
歩兵第四十連隊 | ||
歩兵第三十三旅団 | 歩兵第十連隊 | |
歩兵第六十三連隊 | ||
騎兵第十連隊 | ||
野砲兵第十連隊 |
明治37・8年の役次
師団長 | 司令部 | |
歩兵第八旅団 | 歩兵第十連隊 | |
歩兵第四十連隊 | ||
歩兵第二十旅団 | 歩兵第二十連隊 | |
歩兵第三十九連隊 | ||
騎兵第十連隊 | ||
野砲兵第十連隊 | ||
工兵第十連隊 | ||
輜重兵第十連隊 | ||
師団弾薬大隊 | ||
師団野戦兵器廠 | ||
師団野戦病院 | ||
師団野戦病院 | ||
師団野戦病院 |
歩兵第十連隊 通称:鐵5448部隊 明治7年12月18日軍旗拝受 当初第4師団下 原駐地:岡山
主な戦歴:西南の役、明治27・8年の役、明治31年10月第十師団下へ、明治37・8年の役で小野連隊長負傷
青島出兵、満州事變、支那事變・光州攻略で有名を馳せる・蒋介石第五戦区を圧倒
満州駐剳
大東亜戦役・昭和19年2月第3大隊を内南洋へ派遣、主力は台湾轉進の後ルソン島へ
バレテ峠で激戦、ほぼ全滅状態 ルソン島北部で終戦
歩兵第三十九連隊 通称:鐵5446部隊 明治31年3月24日軍旗拝受 原駐地:姫路
主な戦歴:明治37・8年の役激戦の中軍旗手の血で軍旗染まる・安村連隊長戦死、青島出兵、満州事変
支那事變、満州駐剳、
大東亜戦役・昭和19年2月台湾轉進の後比島へ 昭和20年1月バタアン半島轉進
この間永吉支隊は武功抜群の感状・バタアン半島で終戦 軍旗は密かに内地へ 現存
第八・九師団と同じく、常備團隊配置表に基づき明治31年10月1日編成された師団。原駐地姫路福知山、明治40年姫路に移動。帝国の主な戦役には、殆ど出兵しております。
明治37・8年の役ではいち早く明治37年4月動員、大孤山に上陸進軍し、遼陽など激戦を経て奉天会戦を勝ち抜く。明治39年2月復員。
以後内地にあり、昭和に入るまで動きませんでした。
この間、歩兵第二十旅団は宇垣軍縮で大正14年5月1日廃止、編成を変えて歩兵第三十三旅団が置かれました。
昭和2年8月に青島に派遣されていますが、1ヶ月で復員しています。
昭和7年満州事変の勃発とともに4月満州派遣、主に討伐に参加しております。これも昭和9年6月には復員しております。
支那事變では昭和12年7月27日臨時編成で北支進出、悪環境の中山東へ。台児荘で激戦を演じ大損害を被りました。徐州会戦以降はスムーズで、武漢では第3師団と先陣争いをするほどの余裕がありました。昭和13年には石家荘駐屯、討伐作戦を展開しました。昭和14年姫路に復員、次期動員に備えました。
師団は昭和15年満州永久駐剳を命じられ、佳木斯に駐屯、討伐・警備に明け暮れました。
大東亜戦役中も満州にあり、赤軍匪賊に睨みを効かせておりました。
その後台湾方面の兵力不足を補うため、大本営直轄の後台湾軍へ編入されました。
しかし、比島戦線が風雲急を告げ、師団は比島へ轉進します。昭和19年11月比島へ進出、バレテ峠の激戦で師団総力で当たり、撃退しました。しかし被害も多く、最終的には突破されることとなったのであります。
この戦いを経て師団は終戦時21727名中3001名の生存者しか残りませんでした。
ルソン島ビナバガンで終戦。
通称は鐵兵団
明治末〜大正期
師団長 | 司令部 | |
歩兵第八旅団 | 歩兵第十連隊 | |
歩兵第四十連隊 | ||
歩兵第二十旅団 | 歩兵第二十連隊 | |
歩兵第三十九連隊 | ||
騎兵第十連隊 | ||
野砲兵第十連隊 | ||
工兵第十連隊 | ||
輜重兵第十連隊 | ||
陸軍教化隊 |
歩兵第六十三連隊 通称:鐵5447部隊 明治38年8月8日軍旗拝受当初第十六師団下 原駐地:鳥取
主な戦歴:明治37・8年の役、明治40年第17師団下へ、宇垣軍縮で大正14年5月1日第十師団下へ
満州事變、支那事變・昭和9年飯塚連隊長戦死、昭和13年3月臺兒荘付近で10数倍の敵に勝利
満州駐剳
大東亜戦役・昭和19年台湾へ
昭和19年12月ルソン島へ第三大隊輸送中に乾瑞丸沈没660名中290名戦死
バタアン半島に布陣、バレテ峠で激戦・玉砕相次ぐ ピナパガン集結時90名 ルソン島北部で終戦
騎兵第十連隊/捜索第十連隊 通称:鐵 明治32年12月27日軍旗拝受 原駐地:福知山→堺
主な戦歴:明治37・8年の役、青島出兵、満州事變、支那事變、満州駐剳
大東亜戦役・昭和19年12月台湾へ・同比島リンガエン進出 進出時221名・装甲車編成
戦車第二師団とともにサンホセ・ガバリアン・サラクサクと転戦、サラクサク防衛に当たる
サリナス地区で終戦 10余名
野砲兵第十連隊 通称:鐵5451部隊 明治29年7月13日編成 原駐地:福知山→信太山
主な戦歴:明治37・8年の役、青島出兵、満州事變、支那事變、満州駐剳
大東亜戦役、第三大隊サイパンへ差し出し玉砕 昭和19年11月台湾へ、後に比島へ
比島バレテの戦いで火砲全門破壊、北部ルソンで終戦
工兵第十連隊 通称:鐵5452部隊 明治29年大隊創設 昭和11年連隊改変 原駐地:伏見→広島
主な戦歴:明治37・8年の役、青島出兵、満州事變、支那事變、満州駐剳
大東亜戦役・昭和19年8月比島進出・激戦を重ね、623名が74名となる 北部ルソンで終戦
輜重兵第十連隊 通称:鐵 明治30年大隊創設 昭和11年6月連隊改変 原駐地:大阪→堺
主な戦歴:明治37・8年の役、青島出兵、満州事變、支那事變・武漢攻略で前野連隊長戦病死(コレラ)
満州駐剳
大東亜戦役・昭和19年8月比島進出・輸送中鍋島連隊長戦死 ピナパガンで終戦