第十二師団

歩兵第二十四連隊  通称:剣8703部隊 明治19年8月17日軍旗拝受 原駐地:福岡
    主な戦歴:明治27・8年の役、明治37・8年の役、シベリア出兵、第1次上海事變、満州駐剳
        大東亜戦役 昭和19年11月台湾進出 新竹で終戦

歩兵第四十六連隊 通称:剣8705部隊 明治31年3月24日軍旗拝受 原駐地:大村
    主な戦歴:当初第六師団下 明治37・8年の役、第十八師団転属、大正12年復帰、
        第1次上海事變、満州駐剳・勃利駐屯・匪賊討伐・林口次いで石門子移駐
        大東亜戦役 昭和19年11月台湾進出 第二大隊及び第三大隊は輸送中敵潜により海没
                 高雄警備の後新竹岡山に移駐 終戦

歩兵第四十八連隊 通称:剣8707部隊 明治31年3月24日軍旗拝受 原駐地:久留米
    主な戦歴:明治37・8年の役、シベリア出兵、第一次上海事變、満州駐剳・寧安に駐屯
        大東亜戦役 昭和19年11月台湾進出 新竹で終戦

騎兵第十二連隊/捜索第十二連隊 明治32年12月27日軍旗拝受 原駐地:小倉
    主な戦歴:明治37・8年の役・奉天会戦で活躍、シベリア出兵、満州駐剳
        大東亜戦役 昭和19年11月21日復員第23師団捜索隊改変

野砲兵第二十四連隊 通称:剣8722部隊 明治40年11月13日編制 当初第十八師団下
    主な戦歴:大正3・4年の役、大正14年第十二師団下へ、満州駐剳・掖河駐屯
        大東亜戦役 昭和20年1月台湾進出 新竹で終戦

工兵第十八連隊 通称:剣8745部隊 明治40年大隊編制 昭和11年連隊改変
    原駐地:小倉後に久留米へ
    主な戦歴:当初第十八師団下 帝都復興、大正14年第十二師団下へ、
           第一次上海事變・廟行鎮で激戦、工兵3名の破壊筒決死隊が「爆弾三勇士」となる
           満州駐剳
        大東亜戦役 昭和20年1月台湾進出 台南で終戦

編制時

師団長 司令部
歩兵第十二旅団 歩兵第十四連隊
歩兵第四十七連隊
歩兵第二十四旅団 歩兵第二十四連隊
歩兵第四十八連隊
騎兵第十二連隊
野砲兵第十二連隊
工兵第十二大隊
輜重兵第十二大隊
要塞砲兵第四連隊

小倉の精強師団

大正中期

師団長 司令部
歩兵第十二旅団 歩兵第四十七連隊
歩兵第七十二連隊
歩兵第三十五旅団 歩兵第十四連隊
歩兵第二十四連隊
騎兵第十二連隊
野砲兵第十二連隊
工兵第十二連隊
輜重兵第十二連隊
野戦重砲兵第二旅団 野戦重砲兵第五連隊
野戦重砲兵第六連隊

 明治27・8年の役後、獲得した賠償金を基に充実させた常備団体の一つ。七〜十二までの最後の師団です。
 明治31年10月1日編制。小倉城に司令部が置かれました。


明治37・8年の役

 師団は、明治37年2月動員、第一軍に編入されて早速鴨緑江会戦に先頭切って勇戦、勇名を馳せました。更に遼陽、沙河、奉天戦と、大会戦に連続して参加、勲を立てたのであります。講和なって師団が復員したのは、明治38年12月でした。

 大正7年7月、師団はシベリアへ出征、浦塩派遣軍下に入りました。進撃は続き、ハバロフスクを占領後鉄道沿いにブラゴエシチェンスクを占領、赤軍匪賊を誅殺したのであります。滞陣1年の後、大正8年6月に第十四師団と交替して復員しました。

 昭和7年2月上海事變勃発を受け、師団は混成第二十四旅団を編制、下元混成旅団として上海呉淞に上陸しました。呉淞砲台占領後廟行鎮に進出、堅牢な陣地に出会い、鉄条網突破のために工兵隊が破壊筒を抱えて弾雨の中突入、鉄条網を爆破するという決死的攻撃が行われました。この際戦死した江下・北川・作江の3人が軍神として、有名な爆弾三勇士の歌に歌われたのです。
 旅団は南翔鎮占領後5月に復員。

 昭和11年4月、交替部隊として満州に駐剳。第三軍下で東寧に駐屯して匪賊・馬賊討伐を実施しました。駐屯地は後に城子溝、次いで掖河に移駐しました。
 昭和16年7月には師団単位の3単位化に伴い、歩兵第十四連隊を第二十五師団に差し出しております。

大東亜戦役
 大東亜戦役開戦後も師団は満州に駐剳しており、赤軍匪賊に睨みをきかしつつ討伐戦を繰り返しました。

 昭和19年11月、希薄な台湾の防備を固めるために台湾移駐、新竹に駐屯して台湾西方を守備することとなりました。しかし輸送中に敵潜水艦に襲撃され、3隻の輸送船が撃沈されて大きな損害が出たのであります。

 台湾新竹で終戦。

通称号は剣兵団。
有名な師団長として杉山元や香月清司・山田乙三・河辺正三などが歴任しました。
 かの有名な森鴎外が軍医部長として居りましたが、医者としての無能さを露呈しただけでした。
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輜重兵第十八連隊 通称:剣8747部隊 明治40年10月大隊編制 昭和11年6月連隊改変
    原駐地:小倉後に久留米へ
    主な戦歴:大正3・4年の役、初の自動車化。大正14年第十二師団下へ 満州駐剳東寧駐屯
        大東亜戦役 昭和19年11月台湾進出 台南で終戦

明治37・8年の役時

師団長 司令部
歩兵第十二旅団 歩兵第十四連隊
歩兵第四十七連隊
歩兵第二十三旅団 歩兵第二十四連隊
歩兵第四十八連隊
騎兵第十二連隊
野砲兵第十二連隊
工兵第十二連隊
輜重兵第十二大隊
師団野戦電信隊
師団弾薬大隊
師団野戦兵器廠
師団野戦病院
師団野戦病院
師団野戦病院

満州駐剳昭和15年時

師団長 司令部
歩兵第十二旅団 歩兵第十四連隊
歩兵第二十四連隊
歩兵第二十四旅団 歩兵第四十六連隊
歩兵第四十八連隊
騎兵第十二連隊
野砲兵第二十四連隊
工兵第十八連隊
輜重兵第十八連隊
師団衛生隊
第一野戦病院
師団病馬廠
第十二砲兵団 野戦重砲兵第九連隊

終戦時

師団長 司令部
歩兵第二十四連隊
歩兵第四十六連隊
歩兵第四十八連隊
野砲兵第二十四連隊
工兵第十八連隊
輜重兵第十八連隊
師団通信隊
師団兵器勤務隊
師団制毒隊
師団病馬廠

シベリア出兵時

師団長 司令部
歩兵第十二旅団 歩兵第十四連隊
歩兵第二十四連隊
歩兵第三十五旅団 歩兵第四十七連隊
歩兵第七十二連隊
騎兵第十二連隊
野砲兵第十二連隊
工兵第十二連隊
輜重兵第十二連隊
第一無線隊
第一航空隊
第一陸軍病院
第二陸軍病院
第三陸軍病院
師団野戦病院
第一臨時測図部
第一兵站司令部
第十二師団兵站部