宜昌作戦時(昭和15年)
師団長 | 司令部 | |
歩兵第百三旅団 | 歩兵第六十五連隊 | |
歩兵第百四連隊 | ||
歩兵第二十六旅団 | 歩兵第百十六連隊 | |
歩兵第五十八連隊 | ||
騎兵第十七大隊 | ||
山砲兵第十九連隊 | ||
工兵第十三連隊 | ||
輜重兵第十三連隊 | ||
師団騎兵隊 | ||
師団通信隊 | ||
師団兵器勤務隊 | ||
師団衛生隊 | ||
師団第一野戦病院 | ||
師団第二野戦病院 | ||
師団第四野戦病院 |
明治37・8年の役
明治37・8年の役に於いて、帝国は全力で大陸へ進出した結果、国内に正規の師団が1個もないという事態が起きました。もしも露西亜軍が輸送船を仕立てて侵攻してきたら、これを迎え撃つのは難しいとも思われました。
政府はこれを想定して明治38年4月に4個師団を増設、十三~十六師団としました。
その中でもこの第十三師団は「独立第十三師団」という名で守備は勿論、明治38年7月7日~24日樺太へ上陸、早くも8月1日には樺太の露西亜軍が降伏したため全占領ができました。
原駐地は高田(上越)。
樺太占領はポーツマスでの講和に優位を与え、結果樺太の南半分を帝国領に併合することができたのであります。
明治37・8年の役以後は臨時編制のまま朝鮮に駐剳しておりましたが、明治40年に至って常設師団に昇格しました。明治41年11月高田に復員。
大正2年4月満州駐剳の後大正4年6月復員。
大正9年8月、シベリア派遣軍の増派として出兵、ウスリー沿線で赤軍匪賊と連日激戦を交わし、大正10年5月復員しました。
宇垣軍縮
シベリア出兵による戦費の捻出と、世界恐慌により帝国も深刻な財政難に陥り、ついに大規模な軍縮が開始されました。一般的に宇垣軍縮と言われる物です。しかし実際には歩兵などの規模が削減されたものの、機械化が進み、部分的には軍拡だったような面があります。
師団はこの軍縮に引っかかり、大正14年5月1日廃止されました。
臨時編制による復活
支那事變が勃発すると、またも兵力不足が発生し、次々と再編・新編の師団が生まれました。
師団は昭和12年9月9日、第二師団を基幹に臨時編制され、上海へ上陸して大激戦、兵力の1/3を失った連隊までありました。更に南京攻略、徐州会戦、武漢三鎮攻略など激しい戦闘をきりぬけて、進撃しました。
大別山作戦では苦戦を強いられつつ勝利し、襄東、昭和14年の冬期大攻勢、15年の宜昌作戦と支那大陸を勝ち抜きました。宜昌作戦後はコンクリート陣地を築いて堅固な陣地となし、周辺討伐や支那兵の反撃を撃退しておりました。
師団は再編後騎兵連隊を持たず、騎兵大隊を構成しておりましたが、更に師団騎兵隊へと格下げされてしまいました。
大東亜戦役
大東亜戦役に於いても各所の作戦には参加したものの、陣地を動かず守備中心となっておりました。
昭和18年5月には3単位師団に改編、歩兵第五十八連隊を第三十一師団に差し出しました。
昭和19年に入り、大作戦湘桂作戦の基幹兵力として、撤退する支那軍を遠く貴州独山にまで追撃、感状を贈られたのでありました。
長沙で終戦。
再編時の原駐地は仙台。
通称号は鏡兵団。
師団昭和18年次兵力17197名
有名な師団長として秋山好古、田中静壱などがおりました。
樺太を占領する
編制時~大正14年廃止時
師団長 | 司令部 | |
歩兵第二十五旅団 | 歩兵第四十九連隊 | |
歩兵第五十連隊 | ||
歩兵第二十六旅団 | 歩兵第五十一連隊 | |
歩兵第五十二連隊 | ||
騎兵第十七連隊 | ||
野戦砲兵第十九連隊 | ||
工兵第十三大隊 | ||
輜重兵第十三大隊 |
明治37・8年の役に於ける臨時編制師団
再編時(昭和12年)
師団長 | 司令部 | |
歩兵第百三旅団 | 歩兵第百四連隊 | |
歩兵第六十五連隊 | ||
歩兵第二十六旅団 | 歩兵第百十六連隊 | |
歩兵第五十八連隊 | ||
騎兵第十七大隊 | ||
山砲兵第十九連隊 | ||
工兵第十三連隊 | ||
輜重兵第十三連隊 | ||
師団通信隊 | ||
師団衛生隊 | ||
師団第一野戦病院 | ||
師団第二野戦病院 | ||
師団第三野戦病院 | ||
師団第四野戦病院 |
昭和18年次
師団長 | 司令部 | |
第十三歩兵団 | 歩兵第六十五連隊 | |
歩兵第百四連隊 | ||
歩兵第百十六連隊 | ||
山砲兵第十九連隊 | ||
工兵第十三連隊 | ||
輜重兵第十三連隊 | ||
師団騎兵隊 | ||
師団通信隊 | ||
師団兵器勤務隊 | ||
師団衛生隊 | ||
師団第一野戦病院 | ||
師団第二野戦病院 | ||
師団第四野戦病院 |
終戦時
師団長 | 司令部 |
歩兵第六十五連隊 | |
歩兵第百四連隊 | |
歩兵第百十六連隊 | |
山砲兵第十九連隊 | |
工兵第十三連隊 | |
輜重兵第十三連隊 | |
師団通信隊 | |
師団兵器勤務隊 | |
師団衛生隊 | |
師団第一野戦病院 | |
師団第二野戦病院 | |
師団第四野戦病院 | |
師団病馬廠 |
歩兵第六十五連隊 通称号:鏡6805部隊 編成地:会津若松
明治40年11月7日軍旗拝受 大正14年5月1日廃止 昭和12年9月16日再拝受
主な戦歴:朝鮮駐剳、軍縮廃止、再編、支那事變・上海で1719名死傷の損害
武漢三鎮攻略・冬期攻勢・支那各作戦
大東亜戦役 湘桂作戦戦死傷2900名 湖南省衡陽で終戦
昭和20年8月26日 21時15分 衡陽で軍旗奉焼
歩兵第百四連隊 通称号:鏡6804部隊 昭和12年9月16日軍旗拝受 原駐地:仙台
主な戦歴:支那事變・上海・徐州・武漢三鎮・大別山・宜昌
大東亜戦役 江北・江南殲滅作戦・湘桂作戦
終戦時湖南省衡陽にあり、昭和20年8月23日 衡陽で軍旗奉焼
歩兵第百十六連隊 通称号:鏡6806部隊 昭和12年9月16日軍旗拝受 原駐地:新発田
主な戦歴:支那事變・上海・南京・徐州・武漢三鎮・襄東・贛湘作戦・宜昌
大東亜戦役 江北・江南殲滅作戦・常徳・湘桂作戦 終戦時湖南省衡陽
山砲兵第十九連隊 通称号:鏡6809部隊 明治38年4月1日編成 原駐地:高田
大正14年4月30日廃止 昭和12年9月9日再編
主な戦歴:朝鮮駐剳、廃止、再編、支那事變は他連隊に準ず
大東亜戦役 他連隊に準ず 湖南省衡陽で終戦
工兵第十三連隊 通称号:鏡6811部隊 明治38年4月1日大隊編成 原駐地:小地谷
大正14年5月1日廃止 昭和12年9月9日再編
主な戦歴:朝鮮駐剳、廃止、再編、支那事變は他連隊に準ず 主に渡河作戦に従事
大東亜戦役 他連隊に準ず 揚子江河畔衡陽で終戦
輜重兵第十三連隊 通称号:鏡6813部隊 明治39年4月大隊編成 原駐地:高田
大正14年5月1日廃止 昭和12年9月9日再編
駄馬6個中隊・自動車2個中隊→昭和18年輓馬・自動車各2個中隊
主な戦歴:朝鮮駐剳、廃止、再編、支那事變は他連隊に準ず
大東亜戦役 他連隊に準ず 揚子江河畔長沙で終戦
騎兵第十七連隊 明治38年4月15日軍旗拝受 原駐地:高田
主な戦歴:朝鮮駐剳、大正14年4月30日廃止 昭和12年9月大隊編成軍旗なし
昭和15年 師団騎兵隊へ 後廃止