通称:照兵団  師団司令部:宇都宮

 明治37・8年の役では、相次ぐ激戦と広大な大陸の制圧のために満州派遣の兵団や国内守備の兵団が不足するという事態が起きました。そこで急遽師団を新設する必要に迫られ、明治38年4月に13〜16の師団が編成されました。これを緊急動員師団といいます。しかし編成が完結する頃には重要地点も確保し、各地の会戦は勝利を治めて講話への道を進んでいたために戦地へ出ることはありませんでした。
 師団の本格的な編成は、実は明治41年頃で、それまでは歩兵第五十連隊と歩兵第五十九連隊が中心でした。明治41年に歩兵第二連隊と歩兵第十五連隊が転属してきて建制が完結しました。
 師団の初陣はシベリア出兵でした。ここで師団は連絡不足と兵力の分散により歩兵第二連隊第三大隊を全滅させてしまうという大損害を受けます。俗に言う「尼港事件」です。
 ついで上海事変を戦い、満州事変では大連待機でした。その後支那事変に投入され、保定や徐州の会戦を戦い抜きました。このころには関東軍の管轄下に入り、後に満州駐箚となりました。
 師団は四単位師団から三単位師団に改変するに当たって歩兵第五十連隊を差し出し、復員しました。


 
海洋師団への改変

大東亜戦役が進行していく中、大陸重視の編成であった各部隊は島嶼の戦闘で次第に不便を覚えるようになりました。各兵科が縦割りになっているために、分割配置がしづらいという側面が浮き出てきたのであります。陸軍でもこれを解消するために、海洋師団という編成を打ち出し、実際に既存の師団のいくつかを改変しました。第十四師団も昭和19年に南方へ進出する前に改変を終えました。即ち野砲兵第二十連隊と工兵第十四連隊を解散して各歩兵連隊に配属すると言うことでした。これにより島々に分散した部隊はそれぞれの部隊だけで運用が可能になり、負担軽減、円滑運用に幅が出たのであります。
 また、海洋師団独特の部隊として師団海上輸送隊が編成され、配属されました。これも各部隊間の物資の円滑運用につながりました。

 師団司令部はパラオに置かれ、各部隊はパラオの諸島に配置されました。昭和19年5月にパラオ諸島に米軍が侵攻、師団各兵力は果敢に反抗しました。各島内は洞窟による永久陣地化されており、米軍に出血を強いました。切り込み隊や決死隊が編成され、特にペリリューやアンガウルでは米軍が恐れをなすほどの奮戦を見せたと言います。しかし水際防御の作戦は以前の戦訓でわかっていた通り、被害を増大するだけで反抗に寄与する物ではありませんでした。
 配置された部隊は各個玉砕していき、上陸がなかったパラオ本島で敵の猛爆下師団主力のみが終戦を迎えるという事態となってしまったのであります。

第十四師団

パラオに散った海洋師団

昭和20年
師団長 司令部中隊
第14歩兵団 歩兵第2連隊
歩兵第15連隊
歩兵第59連隊
師団通信隊
師団兵器勤務隊
師団経理勤務隊
師団野戦病院
師団防疫給水部
師団戦車隊
第23野戦飛行場設定隊
第57兵站地区隊
独立自動車第42大隊
第123兵站病院
第23野戦防疫給水部
師団輜重隊
師団海上輸送隊
大正14年
師団長 司令部大隊
歩兵第27旅団 歩兵第2連隊
歩兵第59連隊
歩兵第28旅団 歩兵第15連隊
歩兵第50連隊
野砲兵第20連隊
工兵第14連隊
輜重兵第14連隊

歩兵第二連隊 通称:照7746部隊  明治7年12月19日軍旗拝受  当初第1師団下
   編成地:水戸
     西南の役、明治27・8年の役、明治37・8年の役、明治41年9月第14師団下へ
     シベリア出兵「尼港事件」で第3大隊全滅、上海事変、熱河作戦、支那事変、満州駐箚、
     大東亜戦役 昭和19年4月24日ペリリュー進出 9月15日敵上陸、
      昭和19年11月24日軍旗奉焼、決別電打電、中川州男大佐自決、総員玉砕

歩兵第十五連隊 通称:照7757部隊 明治18年7月27日軍旗拝受 当初第1師団下
   編成地:高崎
     明治27・8年の役、明治37・8年の役、明治41年9月第14師団下へ
     シベリア出兵、済南事件、上海事変、満州事変、支那事変 永定河、徐州等、満州駐箚
     大東亜戦役 昭和19年4月24日パラオ本島進出、第2大隊・第3大隊ペリリュー等へ
      第2大隊・第3大隊それぞれ大隊長千明武久大尉・飯田義栄少佐以下全員玉砕
      連隊主力はパラオ本島で終戦  昭和20年8月31日軍旗奉焼

歩兵第五十九連隊 通称:照7768部隊 明治38年8月8日軍旗拝受 当初第15師団下
   編成地:宇都宮
     韓国駐箚、明治41年9月第14師団下、シベリア出兵、満州駐箚、上海事変、満州事変
     支那事変 保定 徐州等華北、満州駐箚、
     大東亜戦役 昭和19年7月10日パラオ本島進出、第1大隊アンガウル進出
      第1大隊 大隊長後藤丑雄少佐以下昭和19年10月19日アンガウルで玉砕
      連隊主力はパラオ本島で終戦  昭和20年8月31日軍旗奉焼
 有名な連隊長としては、2・26事件で斬殺された松尾伝蔵大佐がおりました。

野砲兵第二十連隊 通称:満州818部隊 明治38年4月17日編成 昭和19年2月10日廃止
     明治37・8年の役、シベリア出兵、満州駐箚、上海事変、支那事変 徐州等、満州駐箚、
     大東亜戦役 昭和19年2月パラオ進出に際し各大隊を各歩兵連隊に配属、連隊廃止

工兵第十四連隊 通称:なし 明治38年4月17日大隊として編成 昭和11年連隊昇格
    昭和19年2月10日廃止
     明治27・8年役、シベリア出兵、第1次上海事変、満州事変、支那事変、
     満州駐箚
     大東亜戦役 和19年2月パラオ進出に際し各大隊を各歩兵連隊に配属、連隊廃止

輜重兵第十四連隊   明治38年5月大隊として編成 昭和11年6月連隊昇格
   昭和19年2月師団輜重隊へ改変
     明治37・8年の役、シベリア出兵、第1次上海事変、満州事変、支那事変、
     満州駐箚
     大東亜戦役 昭和19年師団輜重隊に改変
  上海事変時:5個中隊と馬廠  支那事変時:輓馬3個中隊と自動車2個中隊
  満州駐箚時:輓馬・自動車各2個中隊 及び湿地通過材料中隊
  師団輜重隊時:127名自動車編成

師団海上輸送隊 通称:照6147部隊  昭和15年12月独立工兵第22連隊として編成
     昭和19年3月5日改変、西部ニューギニアで終戦

有名な師団長としては、上原勇作、畑俊六、土肥原賢二、井関隆昌などが在籍しました。

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