編制時

師団長 司令部
歩兵第三十一旅団 司令部
歩兵第六十一連隊
歩兵第六十二連隊
歩兵第三十二旅団 司令部
歩兵第六十三連隊
歩兵第六十四連隊
騎兵第二十連隊
野戦砲兵第二十二連隊
工兵第十六大隊
輜重兵第十六大隊

大正末頃

師団長 司令部
歩兵第十九旅団 司令部
歩兵第九連隊
歩兵第二十連隊
歩兵第三十旅団 司令部
歩兵第三十三連隊
歩兵第三十八連隊
騎兵第二十連隊
野砲兵第二十二連隊
工兵第十六大隊
輜重兵第十六大隊
飛行第三連隊
高射砲第三連隊
第十六師団
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支那事變動員次

師団長 司令部
歩兵第十九旅団 司令部
歩兵第九連隊
歩兵第二十連隊
歩兵第三十旅団 司令部
歩兵第三十三連隊
歩兵第三十八連隊
騎兵第二十連隊
野砲兵第二十二連隊
工兵第十六連隊
輜重兵第十六連隊
師団通信隊
師団衛生隊
師団兵勤隊
師団第一野戦病院
師団第二野戦病院
師団第三野戦病院
師団第四野戦病院

比島に散った日露戦役編成師団

 明治37・8年の役に於いて明治38年7月18日に京都で戦時編制された師団です。
 7月編成のため、他の戦時編制師団と同じく満州に渡り第四軍下に入るも1ヶ月で講和条約締結、10月18日に関東総督下に移管、後復員しました。
 その後師団は京都を原駐地としました。

 大正8年4月〜10年4月・昭和4年4月〜6年5月・9年4月〜11年3月に満州駐剳をしています。
 この師団は宇垣軍縮では廃止されなかった珍しい日露師団です。


支那事變

 支那事變の拡大により各師団は国内から出征していきました。第十六師団も例外ではなく、第二軍に編入されて華北に投入されました。
 昭和12年8月に動員、北支進出の後保定会戦を経て12年11月に中支に移動、上海から南京を制圧しつつ南京城攻略に参加し、再び13年1月北支徐州会戦、隴海線を伝って追撃・討伐戦を行い、また7月には中支武漢攻略と、異常に長距離な戦歴を持っております。昭和14年の襄東会戦の後に師団は復員して休息をとることとなりました。

 昭和16年4月には歩兵第三十八連隊を第二十九師団に差し出して当時進められていた三単位師団に編成替えを済ませました。


大東亜戦役

 昭和16年9月16日、南方攻略準備で戦時編制へ。
 大東亜戦役の開戦と同時に第十四軍下に入り、師団は比島攻略の任務を負います。ラモン湾に上陸後タヤバス山地を踏破してマニラに入城。マニラ攻略の後は堅実すぎる(機動戦の経験がないため)作戦で敵の主力をバターンの要塞に逃げ込ませたために苦戦したことは言うまでもありませんが、バターン半島西方から進撃するもバターンは陥とせず、増派された兵力を以て、第二次攻略でやっと占領。更に比島各地の掃討作戦をこなしました。
 その後の師団はロスバニオスに駐屯して治安の維持に努めたのであります。

 昭和19年7月、太平洋の各根拠地の失陥と共に比島も敵の上陸予想地点となり、第三十五軍が編成されました。師団も第三十五軍下に入り、レイテ島カンキボットに移駐、10月の敵軍上陸から激戦となりました。特にタクロバン飛行場死守の為に兵力は激減、被占領後は奪還を目指すも攻撃は失敗して戦力の大半を失い、大本営の「自活自戦、永久抗戦」方針によりカンギポット山に立てこもりました。しかし兵力は殆ど枯渇し、ゲリラ戦を選択する以外ありませんでした。
 師団長牧野四郎中将は昭和20年8月10日に自決、歩兵連隊長は全て戦死、軍医部長すら病没しております。
 師団は18,949名中13,158名が戦死、ほぼ全滅と言ってよい状況でした。
終戦時の所在地はミンダナオ島


 師団の通称号は垣。

有名師団長:梨本宮守正王、南次郎、松井兵三郎、石原完爾、牧野四郎

師団建制

歩兵第二十連隊 通称号:垣6555部隊 明治18年7月21日軍旗拝受当初第四師団下 
    原駐地:福知山 明治31年10月1日第十師団下へ 大正14年5月1日第十四師団下へ
    戦歴:明治27・8年の役、明治37・8年の役では、明治38年3月1日に連隊長桂真澄中佐が戦死
        上海事變(動員のみ)、満州派遣・匪賊討伐、昭和9年6月復員、
        支那事變・昭和12年8月動員 保定会戦・南京攻略・武漢攻略・徐州会戦・
        朧海沿線討伐・襄東会戦・昭和14年7月11日復員
        昭和16年9月16日臨時編成・3単位師団化
        大東亜戦役・比島攻略バターン半島攻略で第二大隊全滅・連隊兵力378名に低下
        18年11月レイテ島進出・レイテ島死守・
        19年10月23日艦砲射撃により連隊長鉾田慶次郎大佐戦死
        第三大隊艦砲射撃による壊滅的被害の後10月21日切り込み突撃で玉砕
        連隊本部は24日ブラウエン飛行場死守、3日間の戦闘で大被害、
        ダガミへ轉進、山中にこもるも玉砕
        

        

歩兵第九連隊 通称号:垣6554部隊 明治7年12月18日軍旗拝受当初第四師団下 
         原駐地:京都
    戦歴:西南の役、明治27・8年の役、明治37・8年の役・金州・得利寺・遼陽・奉天、シベリア出兵
        大正14年第十六師団下、支那事變・塘涸上陸・北支・中支南京・徐州・武漢
        大東亜戦役・比島攻略 昭和16年12月30日連隊長上島良雄大佐戦死・
        バターン攻略カポット台で全滅状態・カマリネス州ナガ市駐屯 
        昭和17年11月2日連隊長武智漸大佐戦死
        昭和19年サマール島轉進・レイテ島カトモン山進出
        昭和19年12月8日連隊長神谷保孝大佐戦死
        ブラウエン飛行場奪回作戦で壊滅状態 ロビ山脈陣地に後退、終戦を迎える

野砲兵第二十二連隊 通称号:垣6558部隊 明治38年7月18日編成
             原駐地:編成熊本→京都
    戦歴:明治37・8年の役(戦闘無し)、満州駐剳、支那事變・保定会戦・南京攻略・武漢攻略・
        安陸作戦・襄東作戦 復員
        大東亜戦役・臨時に自動車化・比島攻略戦 第二次バターン攻略
        レイテ島ドラッグ地区に駐屯、第三大隊のみルソン本島へ
        昭和19年、米軍上陸と共に激戦、タガミ・ブラウエンに後退
        ほぼ全滅状態でカンキポッド周辺にて終戦を迎える

工兵第十六連隊 通称号:垣6559部隊 明治38年創設 工兵第十六大隊
           昭和11年6月1日連隊に改変 原駐地:編成満州→天王寺→京都
    戦歴:明治37・8年の役(戦闘無し)、満州駐剳、支那事變・保定会戦・南京攻略・武漢攻略・
        安陸作戦・襄東作戦 復員
        大東亜戦役・昭和16年10月動員。比島攻略・バターン攻略
         ルソン島警備と道路・橋梁の修理 昭和19年レイテ島へ
         全滅状態でレイテで終戦

輜重兵第十六連隊 通称号:垣6561部隊 明治38年創設 輜重兵第十六大隊
           昭和11年6月連隊改変 原駐地:編成地不詳→京都
    戦歴:明治37・8年の役(戦闘無し)、支那事變・保定会戦・南京攻略・武漢攻略・安陸作戦・
        襄東作戦 復員
        大東亜戦役 比島攻略・バターン攻略、ルソン島警備
         昭和19年4月、1個中隊をレイテに先遣、11月連隊主力も展開
         輓馬の第一中隊は輸送直前に爆撃で乗船沈没のためルソン島に残地
         連隊主力はレイテ島で全滅。帰還者無し

騎兵第二十/捜索第十六連隊 通称号:垣6557部隊 明治38年8月8日軍旗拝受
            原駐地:姫路→京都 昭和15年7月10日捜索第十六連隊へ改変
    戦歴:明治37・8年の役(戦闘無し)、シベリア出兵・満州駐剳、支那事變・保定会戦・南京攻略・
        武漢攻略・徐州会戦・襄東会戦 復員 分割して騎兵第百二十大隊を大陸に残置
        大東亜戦役・比島攻略被害甚大・方面軍直轄としてルソン島残置・バギオ轉進ゲリラ討伐・
        20年2月3日第二十三師団配属、バギオ付近で戦闘の後兵力壊滅車輌残存ほとんど無し
        バギオ北方アギ山で終戦 790名中609名?戦死

歩兵第三十三連隊 通称号:垣6556部隊 明治31年3月24日軍旗拝受 原駐地:津→久居町
            当初第三師団下 大正14年5月1日第十六師団下
    戦歴:明治37・8年の役・南山会戦・得利寺会戦・沙河会戦・遼陽会戦・
        奉天会戦で白兵戦 連隊長吉岡友愛中佐戦死 戦死800名戦傷1180名
        シベリア出兵・満州駐剳二回、支那事變・保定会戦・南京攻略・武漢攻略・徐州会戦・
        襄東会戦 後復員
        昭和16年9月16日臨時編成3単位化
        大東亜戦役・比島攻略・南部ルソン島警備・ミンドロ島攻略・昭和19年9月レイテへ轉進
        10月20日より3日間激戦 
        連隊本部は23日夜軍旗奉焼 切込の後連隊長鈴木辰之助以下玉砕
        第二大隊は28日ダガミで玉砕

大東亜戦役開戦時〜玉砕まで

師団長 司令部
第十六歩兵団 司令部
歩兵第九連隊
歩兵第二十連隊
歩兵第三十三連隊
捜索第十六連隊
野砲兵第二十二連隊
工兵第十六連隊
輜重兵第十六連隊
師団通信隊
師団兵器勤務隊
師団衛生隊
師団第一野戦病院
師団第二野戦病院
師団第四野戦病院
師団防疫給水部
師団病馬廠