明治37・8年の役に於いて外征時に兵力が不足することが判明したので、戦後に二個師団が増設されました。これが当第十七師団と第十八師団です。
明治40年9月18日創設されました。
創設後は対外的に大きな戦役もなく、師団は大正4年に満州駐剳となった程度で、外地への派遣がほとんどありませんでした。
そして大正14年5月1日、宇垣軍縮によって廃止されてしまいました。
ただし、宇垣軍縮の狙いは、旧態前の歩兵中心兵力から、少しでも近代化させるために予算を移す目的もあったので、これは仕方のないことでした。
支那事變による復活
支那事變の戦線拡大と共に兵力不足が顕著となり、臨時編成師団だけではとても間に合わなくなりました。
折からの連戦連勝により予算が拡張しやすくなったこともあり、軍縮により廃止された師団の復活が次々となされました。
これにより第十七師団も昭和13年4月4日復活、3単位編成で支那に送られました。
師団は無錫・常州、宜與などの警備に任じた後、各連隊から兵力を抽出して鈴木支隊(歩兵団長指揮)を編成して武漢攻略に参加、その後は再び警備任務が多く、蘇州・徐州を拠点として晥南・江南・漢永・豫南の各討伐作戦に従事しました。
大東亜戦役
大東亜戦役に入っても師団は支那で討伐作戦を続け、特に昭和17年5月の浙贛作戦で各兵種から抽出した歩兵団長指揮の混成旅団が活躍しました。
昭和18年9月、航空兵力の衰退と米軍侵攻の可能性から、師団はニューブリテン島守備に轉進、ビスマルク諸島に分散して配置されました。
配置は、師団本部がラボール、歩兵第五十三連隊がツルブ、歩兵第五十四連隊がガスマタ、歩兵第八十一連隊がマーカス岬でした。
歩兵第八十一連隊は、後に編成された独立混成第三十八旅団の主力として編入され、師団の建制から抜けています。
この穴を埋めるために(実際は集中運用の為だと思いますが)混成第二連隊と混成第六連隊が指揮下に入りました。
昭和18年12月15日、米軍がマーカス岬に上陸、同26日にツルブのグロセスター岬にも上陸、果敢に反撃を加えつつ、現地自活を進め、ラボールで終戦を迎えたのでありました。
終戦時の士気は、決して低いものではなかったということです。
師団の通称号は「月」
有名な師団長としては、一戸兵衛、仙波太郎がおりました。
師団建制
歩兵第五十三連隊 通称号:月7384部隊 明治38年6月13日軍旗拝受 大正14年5月1日廃止
昭和13年7月14日軍旗再拝受 原駐地:大阪→奈良→廃止→鳥取
戦歴:明治37・8年の役(戦闘無し)、明治41年7月第十六師団下へ、満州駐剳、宇垣軍縮で廃止
再編成後支那事變・無錫・常州・宜興警備討伐、第三大隊(鈴木支隊)武漢攻略、
春季皖南作戦、甘木関作戦、
大東亜戦役 江南作戦、漢永作戦、豫南作戦、昭和19年9月ラボールへ 12月より戦闘状態、
徐々に兵力を減らしつつビール川周辺にて終戦
師団長 | 司令部 | |
第十七歩兵団 | 司令部 | |
歩兵第五十三連隊 | ||
歩兵第五十四連隊 | ||
歩兵第八十一連隊 | ||
野砲兵第二十三連隊 | ||
工兵第十七連隊 | ||
輜重兵第十七連隊 | ||
師団捜索隊 |
再編時
ラボールで最後まで生き残った師団
終戦時
師団長 | 司令部 |
歩兵第五十三連隊 | |
歩兵第五十四連隊 | |
混成第二連隊 | |
野砲兵第二十三連隊 | |
工兵第十七連隊 | |
輜重兵第十七連隊 | |
師団通信隊 | |
師団兵器勤務隊 | |
師団捜索隊 | |
師団第一野戦病院 | |
師団第二野戦病院 | |
師団第四野戦病院 | |
師団病馬廠 | |
混成第六連隊 |
歩兵第五十四連隊 通称号:月7385部隊 明治38年6月13日軍旗拝受 大正14年5月1日廃止
昭和13年7月14日軍旗再拝受 原駐地:善通寺→鳥取→岡山→廃止→岡山 当初第十四師団下
戦歴:明治37・8年の役(戦闘無し)、明治41年7月第十六師団下へ、満州駐剳、宇垣軍縮で廃止
再編後支那事變出動 歩兵第五十三連隊の行動に準ず
大東亜戦役 昭和18年11月ラボールへ進出 連隊主力ニューブリテン島ガスマタ、第一大隊ガブ
20年4月、連隊主力はラボール轉進、第一大隊3月6日より戦闘状態
ラボールで終戦
混成第二連隊 通称号: 昭和19年6月24日編成 現地残置の各兵種を統合して編成
混成第六連隊 通称号: 昭和19年6月24日編成
野砲兵第二十三連隊 通称号:月7387部隊 明治41年2月編成 大正14年5月1日廃止
昭和13年4月4日再編 原駐地:姫路→岡山→廃止→信太山
戦歴:満州駐剳、宇垣軍縮で廃止 再編後支那事變・蘇州付近警備討伐・
第三大隊武漢攻略鈴木支隊配属・甘木関作戦・中支で討伐
大東亜戦役 河南作戦・漢永作戦・豫南作戦など
昭和18年9月山砲に換装、ニューブリテン島進出 第一大隊ブーゲンビル島 主力はラボール
12月、敵上陸と共に戦闘、逐次ラボールへ轉進 第一大隊は独立混成第三十八旅団下へ
ラボールで終戦
工兵第十七連隊 通称号:月7388部隊 明治40年工兵第十七大隊編成 大正14年5月1日廃止
昭和13年4月再編 原駐地:広島→岡山→廃止→広島
戦歴:満州駐剳、宇垣軍縮で廃止 再編後支那事變、武漢攻略・中支で討伐・春季晥南作戦
大東亜戦役・浙贛作戦 昭和18年10月ニューブリテン島進出
戦闘の後ラボール轉進 ラボールで終戦
輜重兵第十七連隊 通称号: 明治40年9月輜重兵第十七大隊編成 大正14年5月1日廃止
昭和13年7月連隊として再編 原駐地:岡山→廃止→姫路→岡山
戦歴:宇垣軍縮で廃止 再編時輓馬中隊と自動車中隊 支那事變・蘇州駐屯 戦歴は工兵参照
昭和16年5月頃輓馬2個中隊・自動車2個中隊に改変
大東亜戦役 支那での戦歴は工兵参照
昭和18年9月、ニューブリテン島進出
連隊本部と第一中隊・第二中隊の一部輜重車50と自動車10、人員258名
逐次損耗しつつラボールへ後退、現地自動車部隊を編入して再編、自動車2・徒歩1個中隊
ラボールで終戦 424名生還 (主に日本陸軍機械化部隊総覧を引用)
師団長 | 司令部 | |
第十七歩兵団 | 司令部 | |
歩兵第五十三連隊 | ||
歩兵第五十四連隊 | ||
歩兵第八十一連隊 | ||
野砲兵第二十三連隊 | ||
工兵第十七連隊 | ||
師団通信隊 | ||
輜重兵第十七連隊 | ||
師団第一野戦病院 | ||
師団第二野戦病院 | ||
師団第四野戦病院 | ||
師団兵器勤務隊 | ||
師団捜索隊 | ||
師団病馬廠 |
ラボール進出時
大正11年初頭
師団長 | 司令部 | |
歩兵第三十三旅団 | 司令部 | |
歩兵第四十一連隊 | ||
歩兵第五十四連隊 | ||
歩兵第三十四旅団 | 司令部 | |
歩兵第二十一連隊 | ||
歩兵第六十三連隊 | ||
騎兵第二十一連隊 | ||
野砲兵第二十三連隊 | ||
工兵第十七大隊 | ||
輜重兵第十七大隊 | ||
山砲兵第二連隊 |
師団長 | 司令部 | |
歩兵第三十三旅団 | 司令部 | |
歩兵第四十一連隊 | ||
歩兵第五十四連隊 | ||
歩兵第三十四旅団 | 司令部 | |
歩兵第二十一連隊 | ||
歩兵第六十三連隊 | ||
騎兵第二十一連隊 | ||
野砲兵第二十三連隊 | ||
工兵第十七大隊 | ||
輜重兵第十七大隊 |
編制時