第十八師団

終戦時

師団長 司令部  菊8901
歩兵第五十五連隊 菊8902
歩兵第五十六連隊 菊8903
歩兵第百十四連隊 菊8905
山砲兵第十八連隊 菊8908
工兵第十二連隊 菊8909
師団通信隊 菊8910
輜重兵第十二連隊 菊8911
師団衛生隊
第一野戦病院 菊10715 
第二野戦病院 菊8914
第三野戦病院 菊8915
第四野戦病院  
師団防疫給水部 菊10716
師団病馬廠 菊8917
独立速射砲第十三大隊  
野戦重砲兵第二十一大隊  
第二通信隊  

大東亜戦役開戦時

 師団長   司令部
歩兵第二十三旅団   歩兵第五十五連隊
歩兵第五十六連隊
歩兵第百十四連隊
  騎兵第二十二連隊
  山砲兵第十八連隊
  工兵第十二連隊
  師団通信隊
  輜重兵第十二連隊
  師団兵器勤務隊
   師団衛生隊
  師団第二野戦病院
  師団第三野戦病院
  師団第四野戦病院
  師団病馬廠
  師団防疫給水部

昭南・緬甸攻略の立役者

編成

 師団は、明治37・8年の役での外征兵力の不足が憂慮されたのを受けて、戦後に第十七師団と共に明治40年11月13日に編成されました。
 編成地は久留米。

 師団は大正に入ってから初陣を迎えます。
 第一次世界大戦の勃発で日本も参戦、大正3年8月16日に動員され、大正3・4年の役の主力として海を渡りました。
 その際には独立第十八師団となり、第十五師団歩兵第二十九旅団と臨時攻城砲部隊(野戦重砲兵第三連隊主力)、野戦重砲兵第二連隊などを配下に置き、小規模な一個軍レベルで戦闘を開始しました。
 尤も独逸軍も一個連隊に毛が生えたくらいの兵力でしたので、このレベルで十分だったのでしょう。

 独逸軍は水雷艇も擁しており、なかなかの戦意がありました。
 まず10月18日には水雷艇により防護巡洋艦高千穂が撃沈されます。

 しかし慎重な神尾中将は綿密な斥候と航空偵察により、丁寧な作戦を立ててこれに臨みました。
 これには慎重すぎたという感もありますが、明治37・8年の役で無能な乃木の無策攻撃による失敗を知っていたからかもしれません。

 約6倍の兵力で(単純計算)、天長節の10月31日に攻撃を敢行しました。
 およそ8日間の戦闘により、独逸軍は果敢な帝国陸軍の軍門に降ることになります。
 軍使間で降伏文書が手交されましたが、このときの日本側軍使が後に2・26事件で戒厳司令官となった香椎浩平少佐でした。
 師団は大正4年5月に復員。青島攻略での戦死者は216名、戦傷は67名。

 その後宇垣軍縮により大正14年5月1日に廃止されました。

 師団が再編成されたのは、支那事変が長期化した昭和12年9月9日のことです。
 この際には一応臨時動員ということになっておりますが、実際には完全な復活です。
 復活時はまだ4単位師団。
 杭州湾に上陸の後に上海戦線に送られ、支那軍を撃破、逐次追撃しつつ南京攻略戦に突入。南京占領後は昭和13年に広徳周辺の討伐。
 昭和13年10月に第二十一軍下に入り、バイアス湾に上陸、広東攻略に参加。
 以後、南支の汕頭・潮州・翁英・賓陽・良口・援蔣ルート遮断などの討伐・攻略諸作戦に参加しました。

大東亜戦役

 昭和16年11月6日、師団は第二十五軍に編入、いよいよ馬来攻略の準備に入ります。
 その際に歩兵第百二十四連隊は歩兵第三十五旅団司令部とともに川口支隊として分離され、太平洋方面に送られました。よって、変則的な旅団構造になり歩兵第二十三旅団に3個歩兵連隊がある状態でした。(この時点ではまだ4単位師団)
 12月7日1150、歩兵第五十六連隊基幹の佗美支隊が先駆けて馬来半島コタバルに向けて輸送船を離れ、0130無事上陸。激しい砲火を交えつつ前進しました。

 その後昭和17年1月23日に師団主力がシンゴラに上陸、第五師団と交代して馬来半島を制圧していきました。
 昭和17年2月15日にはシンガポール(昭南)占領。

 昭南占領後は第十五軍に編入、緬甸攻略に参加、ラングーンに上陸してマンダレーまで進出、攻略終了後は緬甸で討伐作戦の後北部緬甸に駐屯しました。この際のフーコンでの戦闘はかなりの苦戦を呈しました。

 編成上は18年4月30日に3単位師団に正式に改変されています。
 しかし、昭和19年には師団単位の大規模一斉戦闘の可能性も少なくなったために、連隊の上級司令部歩兵団が11月14日解隊復員しております。

 また、昭和18年3月には英国空挺部隊、10月には米式装備の米中軍が南下して激戦、大被害を出しつつ昭和19年7月に撤退を開始しました。これらの戦闘で3200名以上の戦死者が出ています。
 ミートキーナでは歩兵第百十四連隊がほぼ全滅、有名な拉孟の玉砕もここで起きました。
 メークテーラ奪還作戦もあと一息というところまで奮戦しましたが、兵力が続かず、失敗に終わりました。

 その後は後退してシッタン河西岸攻勢作戦で敵軍に被害を与えた後、第二十八師団の収容のため緬甸南西部に進出、交戦を重ねつつ緬甸のチャイトで終戦。

師団は緬甸戦線で補充も含めて参加兵力31444名中戦死20393名。


通称号:菊兵団

有名師団長:神尾光臣、金谷範三、牛島貞雄、百武晴吉、牟田口廉也、田中新一

戦死師団長・幕僚:参謀長横山明大佐(昭和18年6月28日) 
  

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輜重兵第十二連隊 通称号:菊8911部隊 明治30年輜重兵第十二大隊として編成
            大正14年5月1日廃止 当初第十二師団下
            昭和12年9月再編 第十八師団下 原駐地:熊本
      主な戦歴:明治37・8年の役・駄馬編成糧食三縦列+馬廠、シベリア出兵、廃止
          支那事變・輓馬4個自動車1個計5個中隊 杭州湾上陸作戦・南京攻略・蕪湖攻略
          バイアス湾上陸作戦・広徳作戦・翁英作戦・広州警備
          大東亜戦役・自動車2個中隊・戦闘警戒隊(馬来軽機3、緬甸重機2・軽迫1)
          シンゴラに上陸・馬来攻略・昭南攻略・鹵獲自動車装備
          緬甸作戦・後、輓馬1個自動車2個計3個中隊 フーコン作戦後駄馬400自動車30に改編
          拉孟救出作戦・メークテーラ奪還作戦
・シッタン渡河作戦では放置車両も回収員数以上に
          シッタン河東岸で終戦

騎兵第二十二連隊 明治40年10月軍旗拝受 大正14年5月1日廃止 昭和12年9月大隊再編
      主な戦歴:資料不足により不明 昭和18年復員

山砲兵第十八連隊 通称号:菊8908部隊 昭和14年8月22日野砲兵第十八連隊を改編
            編成地:広州 原駐地:久留米  野砲兵第十二連隊は昭和12年9月9日編成
      主な戦歴:(十二連隊時)支那事變・杭州湾上陸作戦・南京攻略・蕪湖攻略・バイアス湾上陸作戦
          広徳作戦
翁英作戦・広州警備 後改編されて廃止
            (十八連隊時)賓陽作戦・援蔣ルート遮断作戦
          大東亜戦役 馬来作戦(臨時に自動車化)・昭南攻略・緬甸作戦
            昭和18年ナンヤセイクで撤退に伴い野砲6門爆破処分・ウ号作戦
            メークテーラ奪還作戦
シッタン渡河作戦 シッタン河東岸で終戦

工兵第十二連隊 通称号:菊8909部隊 明治29年11月工兵第十二大隊として編成
            大正14年5月1日廃止 当初第十二師団下
            昭和12年10月再編 第十八師団下 原駐地:熊本→小倉→廃止 再編後小倉
      主な戦歴:明治37・8年の役、大正3・4年の役、大正9年の役、廃止
          支那事變・杭州湾上陸作戦・南京攻略・蕪湖攻略・バイアス湾上陸作戦
          広徳作戦
翁英作戦・広州警備・広州のインフラ整備
          大東亜戦役 馬来作戦・馬来の道路・橋梁修理・緬甸作戦・ウ号作戦・九号作戦
            メークテーラ奪還作戦・シッタン渡河作戦 シッタン河東岸で終戦

歩兵第百十四連隊 通称号:菊8905部隊 昭和12年9月軍旗拝受 原駐地:福岡
      主な戦歴:支那事變・杭州湾上陸作戦・バイアス湾上陸作戦・広徳攻略作戦・翁英作戦・賓陽作戦など
          大東亜戦役・シンゴラに上陸・馬来攻略・昭南攻略・緬甸攻略・緬甸警備・ウ号作戦・九号作戦
            シッタン渡河作戦 シッタン河東岸で終戦

歩兵第五十六連隊 通称号:菊8903部隊 明治38年6月13日軍旗拝受 当初第十四師団下
             第十八師団創設と同時に編入 大正14年5月1日廃止 昭和12年9月10日軍旗再拝受
            原駐地:熊本→久留米→廃止 再編時久留米
      主な戦歴:明治37・8年の役(警備のみ)、大正3・4年の役、
          支那事變・杭州湾上陸作戦・バイアス湾上陸作戦・広徳攻略作戦・翁英作戦・賓陽作戦など
          大東亜戦役・コタバル上陸・馬来攻略・昭南攻略・緬甸攻略・緬甸警備・ウ号作戦・九号作戦
            メークテーラ奪還作戦 緬甸ニャンカンで終戦

歩兵第五十五連隊 通称号:菊8902部隊 明治38年6月13日軍旗拝受 当初第十四師団下
            第十八師団創設と同時に編入 大正14年5月1日廃止 昭和12年9月10日軍旗再拝受
            原駐地:広島→佐賀→廃止 再編時大村
      主な戦歴:明治37・8年の役(警備のみ)、大正3・4年の役、
          支那事變・杭州湾上陸作戦・バイアス湾上陸作戦・広徳攻略作戦・翁英作戦・賓陽作戦など
          大東亜戦役・コタバル上陸・馬来攻略・昭南攻略・緬甸攻略・緬甸警備・ウ号作戦・九号作戦
            メークテーラ奪還作戦 ラングーン東北方で終戦

再編時(昭和12年)

師団長   司令部 
歩兵第二十三旅団 歩兵第五十五連隊 
歩兵第五十六連隊
歩兵第三十五旅団 歩兵第百十四連隊 
歩兵第百二十四連隊
  騎兵第二十二大隊
  野砲兵第十二連隊
  工兵第十二連隊
  輜重兵第十二連隊
  師団通信隊 
  師団衛生隊
  師団第一野戦病院 
  師団第二野戦病院 
  師団第三野戦病院
  師団第四野戦病院

青島攻略時(独立第十八師団)

師団長    司令部
 歩兵第二十三旅団  歩兵第四十六連隊 
歩兵第五十五連隊
 歩兵第二十四旅団  歩兵第四十八連隊 
歩兵第五十六連隊 
  騎兵第二十二連隊
  野砲兵第二十四連隊
  工兵第十八大隊
  輜重兵第十八大隊
  師団電話隊
  衛生隊
  第一野戦病院
  第四野戦病院 
 臨時攻城砲部隊               司令部
野戦重砲兵第三連隊
独立攻城重砲兵第一大隊
独立攻城重砲兵第二大隊
独立攻城重砲兵第三大隊
独立工兵第四大隊
野戦電信隊
無線電信隊
航空隊
野戦電燈隊 
 攻城廠
兵站部
独立歩兵第一大隊 
独立歩兵第二大隊
臨時鉄道第三大隊
 歩兵第二十九旅団  歩兵第三十四連隊 
歩兵第六十七連隊
  臨時鉄道連隊
  野戦重砲兵第二連隊 
  独立攻城重砲兵第四大隊 
  独立工兵第一大隊
  第十碇泊場司令部

編成時

 師団長             司令部
 歩兵第二十三旅団  歩兵第四十六連隊 
歩兵第五十五連隊
 歩兵第二十四旅団  歩兵第四十八連隊 
歩兵第五十六連隊
   騎兵第二十二連隊
   工兵第十八大隊
   野砲兵第二十四連隊
   輜重兵第十八大隊