第三師団

名古屋城に駐屯した古豪師団

 御一新以降全国に鎮台が制定された際、東海鎮台として周辺に睨みを効かせた師団です。東海鎮台は名古屋鎮台と名を変え、明治21年に第三師団へと改変されました。その古さ故に西南の役を皮切りに日本の内地外地の戦役ほとんどに出征しました。

明治37・8年の役と橘中佐
 明治37・8年の役では、師団の誇り、軍歌にもなった橘中佐の奮戦もありました。橘中佐は歩兵第三十四連隊の大隊長として出征、遼陽城の戦闘で陣地争奪戦を繰り広げ、連隊長戦死の中奮闘し、傷ついた早朝を救うため自らも被弾して果てたという美談です。

支那事変以降
 また、支那事変では当初から出征、終戦まで支那で戦い抜きました。
 最後は大陸打通作戦を敢行した後、湘桂作戦で終戦を迎えました。

 著名師団長には桂太郎、児玉源太郎、松永正敏、仙波太郎、武藤信義、川島義之、辰巳栄一等が歴任しました。

昭和15年頃
師団長 司令部中隊
歩兵第五旅団 歩兵第六連隊
歩兵第六十八連隊
歩兵第二九旅団 歩兵第十八連隊
歩兵第三十四連隊
騎兵第三連隊
野砲兵第三連隊
工兵第三連隊
輜重兵第三連隊
師団通信隊
師団衛生隊
師団兵器勤務隊
師団第一野戦病院
師団第四野戦病院
昭和20年頃
師団長 司令部中隊
第三歩兵団 歩兵第六連隊
歩兵第三十四連隊
歩兵第六十八連隊
騎兵第三連隊
野砲兵第三連隊
工兵第三連隊
輜重兵第三連隊
師団通信隊
師団衛生隊
師団兵器勤務隊
師団野戦病院
師団病馬廠

師団の建制

歩兵第六連隊 通称:幸3702部隊 明治7年12月18日軍旗拝受  元駐地:名古屋
    戦歴:西南の役、明治27・8年の役、明治37・8年の役、大正9年の役、山東出兵、
        済南事件、満州事変、支那事変以降・徐州作戦・武漢作戦・宜昌作戦・
        漢水渡河作戦・浙贛作戦・江北作戦・江南作戦・常徳作戦・
        一号作戦(大陸打通作戦)など
        湖北省で終戦、昭和20年8月23日湖北省大治守金牛鎮で軍旗奉焼
      

歩兵第三十四連隊 通称:幸3703部隊 明治31年3月24日軍旗拝受 原駐地:静岡
    戦歴:明治37・8年の役(連隊長関谷大佐・橘大尉戦死後中佐)、大正3乃至4年役
        大正9年役、山東出兵、済南事件、支那事変以降・上海会戦・南京攻略・
        徐州作戦・信陽攻略作戦・襄東作戦・宜昌作戦・漢水作戦・予南作戦・江南作戦
        第1・2次長沙作戦・浙贛作戦・大別山作戦・江南殲滅作戦・常徳作戦
        湘桂作戦・湘桂反転作戦・銭家湖南方で終戦、8月18日終戦を知る

歩兵第六十八連隊 通称:幸3704部隊 明治41年5月8日軍旗拝受 原駐地:岐阜
    戦歴:シベリア出兵、山東出兵、済南事件、支那事変以降・南京攻略・徐州作戦・
        武漢攻略・襄東作戦・贛湘作戦・漢水作戦・豫南作戦・江北作戦・
        第1・2次長沙作戦・浙贛作戦・大別山作戦・江南殲滅作戦・常徳作戦
        湘桂作戦、九江で終戦

騎兵第三連隊/捜索第三連隊 通称:幸3706部隊 明治29年11月18日軍旗拝受
       原駐地:名古屋守山
    戦歴:歩兵第三連隊に準ず

野砲兵第三連隊 通称:幸3708部隊 明治17年5月24日編成  原駐地:名古屋
    戦歴:明治27・8年の役、明治37・8年の役、シベリア出兵、山東出兵、満州駐箚、
        支那事変以降・徐州作戦・大別山作戦・宜昌作戦・漢水作戦・第1・2次長沙作戦
        1号作戦(大陸打通作戦)、江西省九江で終戦

工兵第三連隊 通称:通称幸3709部隊 昭和11年工兵第三大隊を改変 原駐地:豊橋
    戦歴:明治27・8年役、明治37・8年役、シベリア出兵、山東出兵、満州駐箚
        支那事変以降・南京攻略・徐州作戦・武漢攻略・贛湘作戦・宜昌作戦・
        第1・2次長沙作戦・浙贛作戦・常徳作戦・1号作戦(大陸打通作戦)
        九江で終戦

輜重兵第三連隊 通称:幸3710部隊 昭和11年6月輜重兵第三大隊を改変 原駐地:名古屋
    戦歴:歩兵連隊に準ず 支那事変では感状授与 九江付近で終戦

師団通信隊 昭和11年編成
    戦歴:編成後中支応山を中心に行動、終戦時九行付近
     有線3個小隊、無線1個小隊、本部、行李隊

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