第六師団

西南の役渦中の師団

 帝国陸軍草創後二鎮台から四鎮台に増やされた時期の四鎮台の一つ。
幕府も畏れた九州南部の兵からなります。日本最強の師団として鳴らしました。

乃木希典軍旗を奪われる
 その創設期、早速神風連の乱で佐賀に出兵、更に西南の役が起き、谷干城を司令官として熊本城に籠城、度重なる薩摩軍の攻撃を撃退しました。ただ、この戦闘で無能な乃木希典が連隊旗を薩摩軍に奪われたことは悔やまれます。前代未聞の不名誉極まりない大事件に、陛下は咎めることもなく篤い情を以て慰められました。乃木希典の指揮は、全体に戦術的にも拙劣でありました。これが後の明治37・8年の役の増長を招いたのかもしれません。鎮台は被害も大きく、薩摩軍の強さを思い知らされた形となりました。

 明治21年に鎮台は師団に改められ、編成が変わりました。
 当初は歩兵第十三・十四・二十三・二十四連隊でしたが、第十二師団が創設されると歩兵第十四・二十四連隊が第十二師団に移籍し、第四十五・第四十七の両連隊が編入されました。
 その後明治27・8年の役では山東、明治37・8年の役では第2軍出兵、その力を遺憾なく発揮しております。
 大正3年の役では山東に進出、済南城攻略などを行いました。
 その後も韓国駐箚・満州駐箚・済南事件など国外での活動が多くありました。

 満州事変では熱河作戦に参加、8ヶ月で復員。
 支那事変に入り、昭和12年動員、華北に投入されました。師団は永定河、保定、石家荘と転戦、南下して杭州湾上陸作戦に参加しました。その流れで南京攻略、北上して徐州会戦、武漢攻略、漢口攻略、長沙作戦など支那戦線の重要な戦闘には大半で参加しておりました。

大東亜戦役
 師団は大東亜戦役開戦後しばらくは支那戦線にありましたが、ガダルカナルが怪しくなり、第十七軍に編入、南方進出が決まりました。しかし直前にガダルカナル放棄が決まり、同じくらい過酷なニューギニア・プーゲンビル島へと転進しました。
 米軍のタロキナ上陸に師団は果敢に反撃しましたが、被害が大きく頓挫する形となり、逐次撤退、ブインで自活しつつ終戦を迎えたのでありました。
 有名師団長:北白川宮能久王・黒木為楨・明石元二郎・荒木貞夫・香椎浩平・神田正種

師団長 司令部中隊
歩兵第十一旅団 歩兵第十三連隊
歩兵第四十七連隊
歩兵第三十六旅団 歩兵第二十三連隊
歩兵第四十五連隊
騎兵第六連隊
野砲兵第六連隊
工兵第六連隊
輜重兵第六連隊
師団通信隊
師団衛生隊
師団第一野戦病院
師団第二野戦病院
師団第三野戦病院
師団第四野戦病院

師団建制:昭和15年

師団長 司令部中隊
第六歩兵団 歩兵第十三連隊
歩兵第二十三連隊
歩兵第四十五連隊
騎兵第六連隊
野砲兵第六連隊
工兵第六連隊
輜重兵第六連隊
師団通信隊
師団兵器勤務隊
師団衛生隊
師団第一野戦病院
師団第二野戦病院
師団第四野戦病院
師団野戦病馬廠
架橋材料隊

昭和20年次

歩兵第十三連隊 通称:明9018部隊 明治8年9月9日軍旗拝受 原駐地:熊本
    主な戦歴:神風連の乱、西南の役、明治27・8年の役、明治37・8年の役、満州駐箚、
      大正3年の役、昭和6・9年の役、支那事変・湖東作戦で軍用犬を活用・南京攻略他
      大東亜戦役 昭和17年ニューギニアへ ラボール転進、後コロンバンガラで連隊長戦死
        プーゲンビル島進出タロキナ奪回作戦で7割損失、大隊編成に縮小
         以後連隊長戦闘に特攻、終戦時プーゲンビル島ミオ河畔
                  昭和20年8月24日軍旗奉焼

歩兵第二十三連隊 通称:明9019部隊 明治19年8月17日軍旗拝受 原駐地:熊本→都城
    主な戦歴:明治27・8年の役・威海榮南砲台占領、明治37・8年の役・首山堡で8割の損害・奉天会戦など
      明治41~43年韓国駐箚、大正12~14年満州駐箚、大正14年原駐地移転、昭和3年済南事件
      昭和6~9年の役・熱河作戦・復員、支那事変・昭和12年8月動員・華北を中心に活動
        涿州・保定・石家荘、南下して杭州湾上陸作戦・上海・南京・武漢・大別山・南昌・贛湘・冬季・陸水
        一次・二次長沙などの各作戦
      大東亜戦役 昭和17年12月ラボール転進、プーゲンビル島へ 西地区警備
        モシゲタで第2中隊壊滅・タロキナ攻撃で戦士468名先勝705名タイタイ地区へ転進
        現地自活ミオ河河畔で終戦

歩兵第四十五連隊 通称:明9020部隊 明治31年3月24日軍旗拝受 原駐地:熊本→鹿児島
    主な戦歴:明治37・8年の役・遼陽・沙河・奉天会戦、満州駐箚、済南事件2個大隊出兵
      昭和6~9年の役・熱河作戦・復員、支那事変・永定橋・保定・石家荘・転じて杭州湾上陸
       南京攻略・徐州・漢口・武漢・南昌・冬季・宜昌・陸水・1次・2次長沙・浙贛作戦
      大東亜戦役 プーゲンビル島進出途中連隊本部乗船の明宇丸沈没 タロキナ作戦
       終戦時プーゲンビル島マイカにあり。

騎兵第六連隊 通称明9022部隊 明治29年11月18日軍旗拝受大隊より昇格 原駐地:熊本
    主な戦歴:西南の役、明治27・8年の役、明治37・8年の役、満州駐箚、済南事件、満州事変
      支那事変、大東亜戦役 昭和17年末ニューギニアへ・同時に徒歩編成に改変
       終戦時プーゲンビル島マイカ 昭和20年8月20日軍旗奉焼 各戦歴は歩十三に準ず

野砲兵第六連隊 通称:明9024部隊 明治17年5月24日野砲兵第六大隊を改変 原駐地:熊本
    主な戦歴:明治27・8年の役、明治37・8年の役、満州駐箚、済南事件、満州事変、支那事変
      大東亜戦争・昭和18年10月ニューギニアへ移動中第1大隊海没、火砲喪失
        プーゲンビル島で終戦

工兵第六連隊 通称:明9025部隊 昭和11年工兵第六大隊を改変 原駐地:熊本
    主な戦歴:西南の役、明治27・8年の役、明治37・8年の役、満州駐箚、済南事件、満州事変、
     支那事変 クリーク渡渉・敵保塁・鉄条網撤去に活躍
     大東亜戦役・ニューギニア転進、プーゲンビル島で終戦       詳細戦歴は歩兵連隊に準ず

輜重兵第六連隊 通称:明9026部隊 昭和11年6月輜重兵第六大隊を改変
    主な戦歴は工兵第六連隊に準ず 在支期間の戦死は110名
     南方進出時6個中隊1830名 自動車19輛・自動貨車133輛機械化編成
     プーゲンビル島で終戦 生存745名
     

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