明治27・8年の役で多額の賠償金を得ることができた政府は、更に富国強兵を進め、第七から十二までの6個師団を増設しました。(第7師団は屯田兵を改変) これは単に國を強くするという意図のみならず、列強による東洋への植民地支配強化に対抗するという意味合いもありました。(恥知らずなアメリカなどは、フィリピンをスペインから奪って植民地にして、日本に占領されると解放という言葉を使っていた程です。)
この師団増設によって、歩兵連隊は常時52個となり、欧米にも勝るとも劣らぬ(とりあえず量のみ)勢力となりました。
八甲田山
明治35年1月23日、迫る日露間の戦役に備えて耐寒訓練が行われました。主眼は冬期に露西亜軍が沿岸諸地域を押さえた場合の内陸部との連絡交通確保の可能性でしたが、冬の天候変化を甘く見た歩兵第五連隊将兵は遭難、210名中199名が殉職する大事故を起こしました。一方の第三十一連隊は、同訓練で一名の死者も出さずに成功しています。
明治37・8年の役
師団はこの戦役では明治37年6月7日動員、10月大阪を発ちましたが、他の師団よりは戦線投入が遅く、本格的戦闘は黒溝台会戦から投入、7倍に値するクロパトキン軍と交戦、これを撃破して奉天会戦に臨みました。明治39年3月復員。
明治44年より大正2年まで朝鮮駐剳、大正11年4月27日シベリア出兵翌10月浦塩より復員。
満州事變
師団は昭和7年4月満州事変に出征、熱河作戦、関内作戦を戦い、周辺討伐に専念した後歩兵第四旅団基幹の混成第四旅団を残置して復員、少しして混成第四旅団も復員しました。
支那事變
支那事變勃発の後、満州駐剳となり綏陽移駐、長く満州守備と討伐の主力となっておりました。
後に掖河に移駐してこの間に師団編成を四単位から三単位へと改めております。
大東亜戦役
長く満州守備の中核部隊として北方に睨みを効かせておりましたが、南方の風雲急に対処するために昭和19年8月に比島へと送られました。しかし末期症状化した比島の戦場はいかんともしがたく、振武作戦要領に従い山地にて徹底抗戦を行い、敵軍の疲弊を待ちつつルソン島山中で終戦を迎えました。
通称号は杉兵団
輜重兵第八連隊 通称: 明治30年大隊で編成 昭和11年6月連隊改変 原駐地:
主な戦歴:明治37・8年の役、朝鮮駐剳、シベリア出兵、満州事変、熱河作戦
関特演で輓馬1個大隊・自動車1個大隊(各3個中隊)に増強
大東亜戦役・昭和19年8月比島進出・第三大隊はレイテで玉砕
ルソン島東方山中で終戦
野砲兵第八連隊 通称:杉4738部隊 明治29年7月13日編成 原駐地:弘前
主な戦歴:明治37・8年の役、朝鮮駐剳、シベリア出兵、満州事変、熱河作戦、
満州事変、関特演
大東亜戦役・昭和19年8月比島へ 第一大隊レイテで玉砕
他隷下部隊全滅状態でマニラ東方で終戦
歩兵第五連隊: 通称 杉4715部隊 明治11年12月29日軍旗拝受 原駐地:青森
主な戦歴:明治27・8年の役 八甲田 明治37・8年の役黒溝台で7倍の露西亜軍を撃破
朝鮮駐箚 シベリア出兵 満州事變 支那事変 満州駐箚
大東亜戦役・昭和19年8月比島へ 2455名中6名生還
昭和20年6月30日 連隊長高階大佐以下軍旗と共に最後の突撃、玉砕
師団長 | 司令部 |
歩兵第五連隊 | |
歩兵第十七連隊 | |
歩兵第三十一連隊 | |
捜索第八連隊 | |
野砲兵第八連隊 | |
工兵第八連隊 | |
輜重兵第八連隊 | |
師団通信隊 | |
師団防疫給水部 | |
師団病馬廠 | |
師団制毒隊 | |
師団第二野戦病院 | |
師団第四野戦病院 |
終戦時
満州駐剳次
師団長 | 司令部 | |
第八歩兵団 | 歩兵第五連隊 | |
歩兵第十七連隊 | ||
歩兵第三十一連隊 | ||
捜索第八連隊 | ||
第八砲兵団 | 野砲兵第八連隊 | |
工兵第八連隊 | ||
輜重兵第八連隊 | ||
師団衛生隊 | ||
師団通信隊 | ||
師団制毒訓練所 | ||
師団兵器修理所 | ||
師団病馬収容所 | ||
師団防疫給水部 |
満州事変次
師団長 | 司令部 | |
歩兵第四旅団 | 歩兵第五連隊 | |
歩兵第三十一連隊 | ||
歩兵第十六旅団 | 歩兵第十七連隊 | |
歩兵第三十二連隊 | ||
騎兵第三旅団 | 騎兵第八連隊 | |
騎兵第二十三連隊 | ||
騎兵第二十四連隊 | ||
野砲兵第八連隊 | ||
工兵第八連隊 | ||
輜重兵第八連隊 |
明治37・8年の役次
師団長 | 司令部 | |
歩兵第四旅団 | 歩兵第五連隊 | |
歩兵第三十一連隊 | ||
歩兵第十六旅団 | 歩兵第十七連隊 | |
歩兵第三十二連隊 | ||
騎兵第八連隊 | ||
野砲兵第八連隊 | ||
工兵第八大隊 | ||
輜重兵第八大隊 | ||
師団弾薬大隊 | ||
師団野戦兵器廠 | ||
師団野戦病院 | ||
師団野戦病院 | ||
師団野戦病院 | ||
野戦通信隊 |
八甲田での悲劇
歩兵第三十一連隊: 通称 杉4711部隊 明治31年3月24日軍旗拝受 原駐地:弘前
主な戦歴:八甲田 明治37・8年の役 朝鮮駐箚 シベリア出兵 満州事變熱河で自動車化
支那事変・満州駐箚
大東亜戦役・昭和19年7月25日比島へ軍旗のみ空路マニラへ
2997名中2516名戦死 昭和20年9月16日軍旗奉焼
歩兵第十七連隊: 通称 杉4717部隊 明治19年8月17日軍旗拝受 原駐地:秋田
主な戦歴:明治27・8年の役 台湾征討 明治37・8年の役 朝鮮駐箚 シベリア出兵
満州事變 支那事變 満州駐箚
大東亜戦役・昭和19年8月比島へ
留宋島バタンガス州で徹底抗戦 昭和20年9月29日解散式
師団建制
編成時
師団長 | 司令部 | |
歩兵第四旅団 | 歩兵第五連隊 | |
歩兵第三十一連隊 | ||
歩兵第十六旅団 | 歩兵第十七連隊 | |
歩兵第三十二連隊 | ||
騎兵第八連隊 | ||
野砲兵第八連隊 | ||
工兵第八大隊 | ||
輜重兵第八大隊 |