明治二十七・八年の役で多額の賠償金を得た帝国は、軍事力の増強に力を入れ出しました。それまでの8個師団では帝国を守るに不安な面もあり、また来るべき露西亜との戦役を睨んだ軍整備も必要でした。戦役での基本的な戦闘単位は、各師団から1個旅団を抽出して2個で1個師団とするもので、8個では外征師団は4個しかできない計算になります。
 多額の賠償金が手に入った当時、軍整備を進めるのは容易でした。
 師団は第三師団から移管した歩兵第七連隊と歩兵第十九連隊を基幹に歩兵第三十五連隊と歩兵第三十六連隊を編成して完結しました。


明治三十七・八年の役

 明治三十七・八年の役では第三軍に入り、明治37年5月動員、旅順攻囲戦で乃木の拙劣な指揮の下突撃を繰り返し、多大な損害を被りました。乃木の無謀な作戦で各連隊長は次々と戦死し、指揮は乱れました。しかし第六旅団長一戸少将に至っては身分を顧みず先頭に立って突撃、奪い返された東鶏冠山北砲台を占領するなど赫々たる武勲を挙げたのでした。奉天会戦でも激戦を戦い抜き、やはり連隊長級が戦死しています。

 明治三十七・八年の役終結後大正3年4月に朝鮮駐剳、大正5年4月復員。
 大正10年にはシベリア出兵で第五師団と交代して進出するも意外に苦戦しました。大正11年9月には復員しています。

 大陸に火の手が上がった昭和7年、師団は上海事変で派遣されました。師団は上海西方で会敵、大きな損害を出しつつ敵を駆逐しました。
 昭和10年6月から満州駐剳、昭和12年5月帰還。

支那事変
 昭和12年9月、支那事変の拡大とともに再び上海に進出、呉淞上陸後苦いクリーク戦を経て南京攻略、転戦して徐州会戦、武漢攻略を戦い抜きました。
 一段落した昭和14年6月、内地に復員することができました。

 この頃には旅団1個を差し出して外征師団を編成する必要もなくなり、各師団は4単位(歩兵4個)である必要がなくなったために各師団は3単位に改められていました。第九師団も支那から復員してから歩兵第三十六連隊を差し出して三単位師団へと改変されました。
 昭和15年、師団は対蘇戦に備えるため満州に永久駐剳となり、掖河に駐屯しました。

大東亜戦役
 師団は大東亜戦役勃発後も満州に駐剳しておりましたが、戦局はこの古豪師団を放っておかず、ついに出征することとなりました。
 当初は米軍のサイパン上陸に対して逆上陸して撃滅することになっておりましたが、連合艦隊の敗北と現地司令官の水際作戦の失敗によりサイパンは意外に早く失陥して作戦は中止、沖縄へと送られました。沖縄では第三十二軍司令部下に入り陣地構築に勤しみました。

 戦局いよいよ急迫し、フィリピン戦に台湾の兵力を抽出して送ったために大本営の次の決戦予測地台湾ががら空きとなってしまいました。そこで第三十二軍から昭和20年1月第九師団が台湾へ補強に送られました。結果的にはこの判断が沖縄の失陥を招きます。
 しかし第九師団は台湾進出により、玉砕を免れたのでありました。

 師団司令部は台湾新竹で終戦。

人員は、昭和15年次で25076名

歩兵第三十六連隊は第二十八師団参照

輜重兵第九連隊: 通称 武        明治二九年編成(大隊) 昭和11年6月連隊へ改変
       原駐地:金沢
    主な戦歴:明治37・8年の役 朝鮮駐剳 シベリア出兵 上海事變 満州駐剳
           支那事變・南京攻略・徐州会戦・武漢作戦
           大東亜戦役・昭和19年7月沖縄轉進 昭和19年11月台湾轉進 新竹で終戦
      人員 支那事變時4790名 乗馬322頭 駄馬3885頭
          終戦時    650名   馬400頭   自動車100台
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野砲兵第九連隊/山砲兵第九連隊: 通称武 1546部隊
       明治29年7月13日編成  原駐地:金沢
    主な戦歴:明治37・8年の役・奉天会戦で宇治連隊長戦死 朝鮮駐剳 シベリア出兵 
          上海事變 満州駐剳 支那事變・南京攻略・徐州会戦・武漢作戦 満州駐剳
           大東亜戦役・昭和19年6月沖縄島尻へ轉進 
              昭和19年11月台湾轉進 新竹で終戦

騎兵第九連隊: 通称        明治32年12月27日軍旗拝受  原駐地:金沢
    主な戦歴:明治37・8年の役 朝鮮駐剳 シベリア出兵 上海事變 満州駐剳 支那事變
           満州駐剳・一時捜索第九連隊へ改変
           大東亜戦役 師団沖縄轉進時廃止

昭和13年次

師団長 司令部
歩兵第六旅団 歩兵第七連隊
歩兵第三十五連隊
歩兵第十八旅団 歩兵第十九連隊
歩兵第三十六連隊
騎兵第九連隊
山砲兵第九連隊
工兵第九連隊
輜重兵第九連隊
波田支隊 台湾歩兵第一連隊
台湾歩兵第二連隊
台湾山砲兵連隊
台湾臨時自動車隊
台湾第一衛生隊
台湾第二衛生隊
台湾第一輸送監視隊
台湾第二輸送監視隊
第九師団

歩兵第七連隊:通称 武1524部隊  明治8年9月9日軍旗拝受  原駐地:金沢
       師団編成時第3師団より移管
    主な戦歴:西南役 明治27・8年の役 明治37・8年の役大内連隊長戦死 朝鮮駐剳
           シベリア出兵 上海事變軍神林大八連隊長戦死 満州駐剳
           支那事變・南京攻略・徐州会戦・武漢作戦  満州駐剳 
           大東亜戦役・昭和19年7月沖縄轉進・昭和19年11月台湾轉進 台中で終戦

明治三十七・八年役時

師団長 司令部
歩兵第六旅団 歩兵第七連隊
歩兵第三十五連隊
歩兵第十八旅団 歩兵第九連隊
歩兵第三十六連隊
騎兵第九連隊
野砲兵第九連隊
工兵第九大隊
輜重兵第九大隊
師団弾薬大隊
師団野戦兵器廠
師団野戦病院
師団野戦病院
師団野戦病院

師団新設時

師団長 司令部
歩兵第六旅団 歩兵第七連隊
歩兵第三十五連隊
歩兵第十八旅団 歩兵第十九連隊
歩兵第三十六連隊
騎兵第九連隊
野砲兵第九連隊
工兵第九大隊
輜重兵第九大隊

日露戦争へ準備師団

工兵第九連隊: 通称 武1550部隊  明治29年7月編成(大隊) 昭和11年連隊へ改変
       原駐地:金沢
    主な戦歴:明治37・8年の役 芹沢連隊長戦死 朝鮮駐剳 シベリア出兵 上海事變 
           満州駐剳 支那事變・南京攻略・徐州会戦・武漢作戦 満州駐剳
           大東亜戦役・昭和19年7月沖縄轉進 昭和19年11月台湾轉進 新竹で終戦

終戦時

師団長 司令部
歩兵第七連隊
歩兵第十九連隊
歩兵第三十五連隊
山砲兵第九連隊
工兵第九連隊
輜重兵第九連隊
師団通信隊

明治三十一年十月十日編成

歩兵第三十五連隊: 通称 武1533部隊  明治31年3月24日軍旗拝受  原駐地:富山
    主な戦歴:明治37・8年の役中村連隊長戦傷・折下連隊長戦死 朝鮮駐剳 シベリア出兵
           上海事變 満州駐剳 支那事變・上海で死傷2000名・南京攻略・
           徐州会戦・武漢作戦
           大東亜戦役・昭和19年7月沖縄轉進・昭和19年11月台湾轉進  台中で終戦 

歩兵第十九連隊: 通称 武1528部隊  明治19年8月23日軍旗拝受  原駐地:敦賀
       師団編成時第3師団より移管
    主な戦歴:明治27・8年の役 明治37・8年の役 服部連隊長戦死 朝鮮駐剳 上海事變
           満州駐剳 支那事變・南京攻略・徐州会戦・武漢作戦 満州駐剳
           大東亜戦役・昭和19年7月那覇轉進・昭和19年11月台湾轉進
           新竹で終戦  昭和20年9月3日新竹州で軍旗奉焼

師団建制