要目
主砲 :安式12糎40口径単装砲 3基 3門
副砲 :無し
高角砲:三年式8糎40口径単装砲 3基 3門(安式砲を撤去、換装)
機銃 :大東亜後半の増備状況は不明
その他:5号機雷 約100個 (それ以前の機雷は480個とする説あり)
排水量:1540ts
速力 :13.0kt
航続力:不明(石炭焚きの場合、変動有り)
軸馬力:1800馬力
主缶 :艦本式水管缶(石炭専焼) 2基
主機 :直立3気筒3段式膨張レシプロ蒸気機械 2基 2軸
燃料搭載量:石炭449トン
全長 :不明 水線長:73.15米
全幅 :11.91米 吃水 :4.27米
乗員 :138名
帝国海軍では、建軍以来敷設艦に特化させた艦艇を持っておりませんでした。
故に明治37・8年の役では要地の機雷敷設に駆逐艦や海防艦はおろか、巡洋艦まで動員しなくてはなりませんでした。やはりこれでは明らかに不便です。
なんと言っても日本海で行動する露西亜太平洋艦隊への防備から、巡洋艦を引き抜くということは、大きな戦力の低下になります。
しかし当時は限界ぎりぎりで戦っておりましたので、敷設艦を建造する余裕などとてもありませんでした。
明治37・8年の役を何とか戦い抜いた帝国は、敷設艦の必要性をはっきりと認識し、取り敢えず旧式の巡洋艦を改造してこれに充てておりました。
やはりこれでは不足と考えられ、大正4年度計画についに敷設艦建造の予算が盛り込まれ、早速1隻が建造されました。これが勝力です。
建造意図としては、明治の頃の臨時に機雷を敷設する商船改造の艦艇を参考に造られたため、商船や大型漁船に構造が似ており、その性能も商船改造型と大差ないものでありました。従って速力・武装・規模に於いて後々不足が出ており、実験的な艦とも言えます。
勝力は規模の小ささからも実用的ではない面があり、また建造時期に大きな戦役が無かったためほとんど機雷敷設訓練に使用されました。
昭和10年に入り、旧式化した測量艦「満州」の廃艦に伴って測量機材を勝力に移設、敷設艦籍のまま測量艦任務に就くことになりました。その際に敷設用のアーチは撤去され、内火艇や測量艇が積み込まれたようです。
支那沿岸や内南洋での測量による功績は大きなものがあります。
大東亜戦役では、主に南方の測量に従事し、今一つ曖昧だった南方の海図作成に大いに貢献しました。
昭和19年9月21日、敵機の魚雷により、戦没。
大正4年度臨時建造計画
大正 5年 5月15日 呉工廠にて起工
大正 5年10月 5日 進水
大正 6年 1月15日 竣工 勝力丸 特務船籍(敷設船)編入
大正 9年 4月 1日 軍艦籍 勝力に改称 敷設艦に類別変更 呉鎮守府所属
昭和10年 測量艦設備増設
昭和17年 7月20日 測量艦に類別変更
昭和19年 9月21日 敵機の雷撃により喪失
昭和19年11月10日 除籍
帝国海軍最初の敷設艦