軍艦(軽巡洋艦) 夕張

大正11年6月5日 佐世保工廠で竣工 佐世保鎮守府籍
大正13年8月    煙突頂部延長工事
昭和7年1月     上海事變出動
昭和9年8月     機雷敷設軌条撤去工事
昭和10年7月    同完了
昭和12年10月   杭州湾上陸作戦出動
昭和15年3月    対空兵装増備
開戦時        第4艦隊第6水雷戦隊旗艦 ウェーク攻略
昭和17年3月10日ラエで敵機により小破
昭和18年7月1日 機雷により小破
昭和19年4月27日パラオ近海で敵潜ブルーギルの雷撃を受け沈没
昭和19年6月10日除籍

 明治37・8年の役後、着々と増大する海軍力の前に立ちはだかったのが、予算の壁でした。欧米列強の東亜支配を排除するための大きな海軍力を保有するには、主力艦を中心とした建艦計画が必要で、そのためには膨大な予算を必要としたのであります。
 大正時代の八・四計画では、主力艦の他に9隻の軽巡洋艦が計画されました。当時の造船官平田讓造船大佐がこの9隻のうちの1隻を3000トンで5500トン級と同じ性能に仕上げようとして提唱・設計したのが本艦です。ただし、あくまで試作艦扱いでした。
 実際に完成した夕張は所期の目的を達成し、片舷の戦闘能力は5500トン級と全く同じ(両舷同時戦ということはまず無い)、排水量の減少により機関出力は減らせるという結果を残しました。しかし同時に艦型の大きさ上燃料搭載に制約があり、航続力が今ひとつである点、全く無駄ないためにそれ以上発展させる面での制約、トップヘビーという問題点も出ました。またコンパクトにするということは以外に金がかかるということも判明しました。つまりトン数あたりの建造費は、5500トン級に比べて高くついたようです。
 用兵上も新機軸がありました。艦橋の下に士官室を据えることにより、緊急時の対応を素早くできるようにし、以後の中・小型艦設計の基礎になりました。

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小さい艦型に大武装の実験艦

諸元(括弧内は対空改装後)
主砲 : 三年式50口径十四糎連装砲     2基     4門
      三年式50口径十四糎単装砲     2基(0基)  2門(0問)
魚雷 : 九三式六十一糎連装魚雷発射管   2基     4門
高角砲: 三年式八糎高角砲            2基     2門
      八九式一二.七糎糎高角砲     (1基)    (1門)      
機銃 : 九六式二五粍機銃三連装       (3基)    (9挺)
                  連装        2基(4基)  4挺(8挺)
                  単装                (8挺)
      九三式十三粍機銃連装        2機(0基)  4挺(0挺)
爆雷 : 投下軌条                         2条
機雷 : 敷設軌条                         2条(0) 34発(0)

排水量: 2890トン(3100トン)
速力 : 35.5ノット
航続力: 14ノット/3310浬
軸馬力: 57900馬力
主機 : 三菱パーソンズ式ギヤードタービン  3基     3軸

全長 : 139.99米    水線長 : 137.16米
全幅 : 12.04米